2009/07/07

『スポートピア』日本経済新聞2009/07/07 水沼貴史

「耳をふさぐことがぶれないことだと勘違いしていたりする。」

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2009/06/28

『時を刻む砂の最後のひとつぶ』/小手鞠るい

4163282106 時を刻む砂の最後のひとつぶ
小手鞠 るい
文藝春秋  2009-05

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 惜しい感じ。「最後のひとつぶ」という通り、「残された時間」を意識しなければならない立場の人々が現れる連作短編集なんだけど、繋がっている感じがちょっとぎこちない。あれとこれが繋がってるんだよな、これはさっきのあれで出てきた人だよな、と印象はあるんだけど、うまく繋がらない感じ。なので、大事なテーマである、「残された時間」を意識しないといけない人の感情の起伏みたいなものが、短編それぞれで濃淡が違い過ぎてる。どうしても小手鞠るいというと激烈な感情の凄みを読ませてくれる、という期待感があるので、「ショックを受けていない私がいた」と、とてつもない出来事を前にしたときの放心状態を描かれても、文字通りで、切迫感みたいのがいまいちない。「残された時間」という、人生にとって重要なテーマを据えながら、教義めいてないストーリーでおもしろいだけに、ぎこちない感じだけがちょっと残念。
 あと、登場人物が作家というのも、個人的にはあんまり。作家が作家を登場させるというのは、どうにも好きになれない。 

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『レキシントンの幽霊』/村上春樹

4167502038 レキシントンの幽霊 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋  1999-10

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 『1Q84』の品切れ状態のときに、買えるようになるまでの間、未読のものを読んでおこうと購入。これは、吉井和哉のライブで向かった琵琶湖湖畔の石場から歩いた大津パルコのスターバックスで、早く到着したので待ち時間の間の小一時間くらいで読破。「レキシントンってそもそもどこだ?」(正解は、本作のはマサチューセッツ州)とか考えつつ、出先なのでノートPCを触るのも結構手間なのが好都合。読むことに集中。

 『レキシントンの幽霊』『緑色の獣』『沈黙』『氷男』『トニー滝谷』『七番目の男』『めくらやなぎと、眠る女』の7編。『めくらやなぎと、眠る女』は聞き覚えがある、と思っていたら、ちゃんと<めくらやなぎのためのイントロダクション>という小解説が載っていて、10年ぶりに手を入れたものと書かれてた。『蛍』と対になったもので、かつ、『ノルウェイの森』とのあいだにはストーリー上の直接的な関連性はありません、と解説されてる。これは結構、親切。

 この短編集の7編は、村上春樹独特の「奇怪」な構成と雰囲気はあるけれど、「言わんとするところ」は、どちらかと言うと、分かりやすく書かれている部類じゃないかなと思う(もちろん、表面的にはそれに見えるけれど、ほんとうはもっと奥底に隠れているんだよ、ということがあって、僕が気づけていないとは思う)。そんな中でいちばんびっくりしたのは『沈黙』。大沢さんが過去の話として語りだすイヤや人間・青木は、僕が村上春樹の人間像のひとつとして抱いていたものにそっくりだったからだ。僕は、作家の履歴とか性格をいろいろ調べたりするほどは文学好きではないので、単なるイメージだけをずっと抱いてきたんだけど、青木をあんなふうに書くと言うことは、村上春樹はあんなタイプではないということか、それとも、自分の嫌な部分でも冷静に平たく書けるというのが小説家といったところか、思わず考え込んだ。

 しかしながら、『沈黙』と『七番目の男』が提示した、「最も怖いことは何か」というテーマに対するひとつの解は、僕は頷けるものだった。村上春樹を好きだというひとがこれだけいるのに、なぜ社会は少しずつでもこういう方向に進まないのか、それが不思議で怖くてならなかった。 

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2009/06/14

『THE BIG ISSUE JAPAN 120』

p3「私の分岐点」脚本家 両澤千晶さん

そうして生まれたのが『機動戦士ガンダムSEED』です。・・・子どもには理解できない、大人のための作品もたくさん出てきました。だからこそ、私は子どもにこだわり続けたい。

ああやっぱり、という納得。ガンダムSEEDを初めて観たとき、どうにも引き込まれはしなかったのだ。翌週もたまたま見かけて、やっぱり興味わかないな、と思った記憶がある。あれは、やっぱり敏感に、これは子どもに向けたものなんだ、と感じ取っていたからだ。大人が、子どもの気持ちになって面白がれるという類のものではない、と。

p22「毎日が音楽」

これからもきっとあらゆるかたちで話題を提供し、リリースも繰り返されるのだろう。そしてそのたびごとに、世代を超えてファンが増えていくことを期待している。

尾崎豊とhideのベストアルバムリリースについて。ちょうど数週間前、関心空間に『太陽の破片』について書いたこともあって、例によってセレンディピティ。でもこれはLISMOのCMのせい?違うな、キヨシローだよな。

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2009/06/03

『ばかもの』絲山秋子

4104669032 ばかもの
絲山 秋子
新潮社  2008-09

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 大学生のヒデがバイト先で知り合った額子。二人の「ばかもの」が、取り返しのつかない転落を続けていく。

 同じ失敗を繰り返すのが、いちばんの「ばかもの」だと思う。そして、その同じ失敗に自ら足を踏み入れる人間が、いちばんの「ばかもの」だと。僕は結構ラディカル(今となっては死語)な性質なので、それがよいことであれ堕落なことであれ、やるなら徹底的にやり切るのを旨としているが、他人を見ていて蔑みたくなるのは、それは失敗だと分かっていて、失敗だけども自分の本能や欲望に抗し切れず足を踏み入れているのに、そこそこの安全地帯で留まろうとする人、これが本当に最低の人間だと思う。

 そういう意味では、本書のヒデも額子も「ばかもの」ではない。行き着くところまで行ってしまう。ヒデはアルコール中毒に陥ったりする。そして、そのループを予め予想できるのに、止めることができない怖さも認識している。でも中途では止まらない。欲の任せるままに突っ走ってしまう。だからといって、ヒデは単にだらしない人間ではない。同級生が宗教に傾倒した様を目の当たりにした際、「死ぬ という言葉がちょっと気の利いた買い物のように発されるのを聞いて、面倒だなと」思うくらい、いわゆる思慮分別があるのだ。

 ヒデは頭でっかちだ。それも、割と謙虚な頭でっかちだ。淡々と人並みの人生を送れればよいと思いながら、なぜか転落を続けてしまう。こういう人が最も全うで、全うであるがゆえに弱くて、転落しやすいのかも知れない。けれど、「ばかもの」ではない、と思う。ヒデは、けして安全地帯に逃げ込んだりはしなかった。額子も然り。辻褄のあわないところは何もない。そういうヒデと額子の物語は読んでいて爽快だった。

 ひとつ、若干冷めたのは「デュアルプロセッサの搭載されたパソコン」の下り。デュアルプロセッサの搭載されたパソコンなんて、普通の人はそうそう持っていないと思う。デュアルコアのパソコンなら普通だけど。僕はこの業界にいてるので、ドラマや小説にIT関連が登場するたび、些細な違和感を感じるものだったが、小説はなぜいつもこんなに世界を何でも俯瞰できるのだろうと思ってたけど、デュアルプロセッサの如く、本当はどこも少しずつ破綻してるもんなんだろう、と。 

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