2020/11/28

『ナタリーってこうなってたのか』/大山卓也

ナタリーに津田大介氏が関与していたというのは全然知らなかった。インターネット以前からネットの世界には親しんでいたほうだと思うけど、当たり前だけど知らない歴史はたくさんあるんだと改めて心に留めた。ナタリーの運営方針は一から十まで納得できるものばかりで、「ダサいことはしたくない」「みっともないことはしたくない」という”矜持”的なものは、この本が書かれた時代は特に「具体的に数字に落として表現できないものは方針ではない」と一蹴されそうな時代だったから貫くのは大変なことだったと思う、それを貫けたのは偏に「仕事量」ということになると思う。発信する情報に書き手の思いがないことが「ウェブ」的なのかどうかは2020年の現代では議論の余地があるような気がする、だけどそのスタンスで生きていくためには圧倒的な仕事量が必要だと認識してそれを遂行していったのは心から尊敬する。

2020年の現代はもう少し”意思”を正面に出せるビジネス環境になってきたように感じるので、この「みっともないことはしてはいけない」という”倫理”を更にITの、ネットの、デジタルの世界に普及させていくのは我々の使命だと感じている。

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2020/10/25

『「空」論 空から読み解く仏教』/正木晃

『鬼滅の刃』の著者のデビュー前のコンテスト入賞作が『過狩り狩り』だという名だと知りそしてそれを読んでみて、タイミングというのはつくづくあるものなんだなと感じた。今年急速に自分の関心が向いていき集中しているのが「どうすれば先鋭化せずに突き詰められるか」「どうすれば二極化から逃れられるか」「どうすれば中途半端でなく中道でいられるか」といったもので、言えば「過狩り」せずに自分を高めるにはどうすればいいのか、というものだったから。
そういう関心が高まっていたときに目に止まったのが「二辺」「中道」という言葉で、「中道」を理解するためには「空」を理解しなければいけないという説明とともに本著が取り上げられていた書評を読んで即手に取った。原始仏教が伝えたかった「中道」の精神は、注釈がなくても誰しもぼんやりとわかるけれど、「ぼんやり」では済まされないのが教義なのでどんどん厳密な定義化が進んでいった過程がその逼迫度とともによくわかった。だけれどもその厳密化の行為そのものが極端に振れているのではないかという気もした。いちばん感銘を受けたのは世俗諦の概念。僧侶と僧侶でない人、それぞれ教義に沿うけれど、教義に沿っていって目指す到達地点を別に分けている考え方は、わたしとあなたを区別する考え方で受け入れたい。現代は、そこを混同してしまっていて悪い方向に進んでいる物事が多いように思った。

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2020/09/05

『アコーディオン弾きの息子』/ベルナルド・アチャガ

最も鮮烈に、かつ相対的に考えさせられたのがビラだった。「ビラを撒く」という行為がそれだけで警察に追われる時代があったということ。歴史を学ぶなかでそれは日本にもあったことだと知ってはいるものの、イメージ的にはむしろ行為そのものよりも、「悪」なる組織や存在がいて、ビラを撒くという行為でその組織や存在の出現が露見する、と捉えていたが、事はそれだけではなくて、実際に「ビラを撒く」ことで、仲間を増やせる時代があったという実感を持った。僕が生まれ育った感覚では、ビラというのはもはや「ガセネタ」とイコールだったから。スーパーの広告でさえ、価格そのものももしかしたら信じられない、というくらい、「ビラ」というのは軽薄な存在だったから。

そして現代ではこれがfacebookやinstagramやtwitterのデマ拡散と等値なのだろうと思った。風説の流布っていうのはテクノロジーが進化しても絶対になくならない。テクノロジーが進化さえすれば世界は真実の純度が増すというのは幻想。ここは重く掴み取らないといけない。facebookやinstagramやtwitterのフェイクニュースやデマや嘘は、ただインターネットのSNS上で適当なことが言いやすくなって、それで変な政治家が誕生しちゃうね、という受け止め方では浅すぎて、本著の時代のように、命に関わる事案なのだと。

それにしてもバスクについて、スペイン内戦について、本当になんとなくしか知っていなかった。すでに僕が生まれていた頃の出来事なのだ。理念は人を殺す。そして今はとうとう無理念も人を殺すところまで来た。

 

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2020/08/23

『一人称単数』/村上春樹

またいつか長編発表しはんのかなあ~というのが読中ずっと考えていたことでした。もうほんとに現代人は10秒とか20秒とかのショートコンテンツに慣れっこになっているので、長編小説って求められているのかなあという疑問不安がずっとあります。映画はまだ「観る」ものだし長くて3時間なのでどうにかなりそうだけど、「読む」のはかなり能動的だし長編は3時間なんかじゃ終わらないし。どうやったら長い時間をかけて文章を読むという体験が生き残るのだろうともうかなり長い年月考えている気がします。

「これって本当の著者の体験なんだろうか?」と思わせようとしてきたりするところが一人称単数というところかなと思いますが、過去のある時点の、それ自体はそんなに大したことのない出来事や行ったこと、覚えていない多くの事柄と同列のはずなのに覚えているというだけで動かせない事実のように思えてかつ人生の転換点みたいな位置づけになってしまう、それは個人ではどうにも抗えないことであるならばどうしようもないこととして受け入れるのだ、それとも忘れてしまうほうがいいのか。自分ではどうにも避けられない出来事や時代の流れというものがあって、何の間違いもしてないのにそれに大きな損害を負わされてしまうこともある。それをどう受け止めていくのか。それとも受け止めるのではなくて忘れてしまうほうがいいのか。新しい諦念を試されているように思えた。

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2020/06/22

『身銭を切れ』/ナシーム・ニコラス・タレブ

「身銭を切れ」というよりも「身銭を切らないヤツを信じるな」という忠告、というのがいちばん近いと思う。『反脆弱性』も難しかったけれどこの『身銭を切れ』の難しさはあれとはまた異質・・・『反脆弱性』は超複雑な方程式をこつこつ解いて理解する感じで、『身銭を切れ』は古文書を読解してる感じ。なんでそうなるのか?というのがただ読むだけではわからない箇所がかなりあった。そんな中、印象的だったのは宗教に関する章。宗教の果たしている役割を、果たしている役割そのものから説明する箇所は自分の感覚とぴったりあった。「宗教」と一括にしているけれどそれぞれ出自を考えると全く性質の異なるものだし、にも関わらず理由や説明でなくて人々にリスクを回避させる教えになっているという解説。そして、リスクは事象の大きさと起こりやすさで考えなくてはいけない。

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