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2005/05/04

『啄木全集 第十六巻 日記四』(石川啄木/岩波書店)

 なぜ啄木の全集を買ったかと言うと、『ローマ字日記』と呼ばれている明治42年の20日間の日記を読みたかったからだ。なぜ『ローマ字日記』を読みたい のに全集を買ったかといえば、『ローマ字日記』単体あるいはそこが含まれている出版物が軒並み絶版で手に入らないからだ。それをたまたま、近所の百貨店の 年末恒例の古本市で発見し、3,000円という価格もあって全集で買ったのだ。
 ではなぜ『ローマ字日記』を読みたいと思ったのか。・・・

某HPで、啄 木の明け透けな性描写がローマ字日記にあることを知ったからだ。僕が持っている啄木のイメージは国語便覧の情報をさらにダイジェストした程度のもので、苦 労人の青春歌人程度しかなかった。多少控えめなタイプで朴訥に日々の生活を 重ねる報われない青年、そういうところだろうか。
 ところが、『ロー マ字日記』には「(前略)... sosite 10nin bakari no Inbaihu wo katta.」に始まる独白部分がある。更に救いのないことに、はっきり「Yo no motometa no wa atatakai, yawarakai, massiro na Karada da」と書かれており、この日の日記の前後に読み取れる仕送りを待つ母・妻子の窮状と相まって言葉もなくなる。その「kitanai mati」での事のみならず、下宿の女中やら昔会った女性やら、とにかくそのことばかり繰り返される。
 啄木が聖人君子だとは思ってなかった が、かといってデカダンスの上に成り立つ青春性を駆使した歌人という訳でもない。『ローマ字日記』を読む限り、啄木はそこまで堕ちることもできていない。 啄木は言わば「普通の人」並みに堕ちたことを日記に書いただけであり、単身赴任のサラリーマンがピンク街に繰り出したのと状況的にもさほど変わらない。な のに『ローマ字日記』から滲む啄木は、いつもめそめそしているしまりのない青年という印象だ。 それは、性欲を肯定しようとしながらも、結局のところ妻に読まれたくないからという理由で日記をローマ字にしたようなところに端的に現れている。

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