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2005/05/04

『幸福な王子』(オスカー・ワイルド/新潮文庫)

幸福な王子―ワイルド童話全集
ワイルド

新潮社 1968-01
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 短い話ほどよい。長い話はとにかく全然読み進まない。たぶん、童話のモチーフが巷にもう溢れ返っていて知り過ぎていて、物語も文字だけを使った表現では刺激に乏しいから。文字だけを使った表現で、こういう普遍的なモチーフを描いて、そこに没頭できた時代に羨望。例えば『猟師とその魂』でも、アニメとかFlashとかで見せられたら、違う刺激が混ざるから読み(?)進められたかもしれない。

 刺激がおもしろさの源泉としたら、・・・

 短い話ほどよい。長い話はとにかく全然読み進まない。たぶん、童話のモチーフが巷にもう溢れ返っていて知り過ぎていて、物語も文字だけを使った表現では刺激に乏しいから。文字だけを使った表現で、こういう普遍的なモチーフを描いて、そこに没頭できた時代に羨望。例えば『猟師とその魂』でも、アニメとかFlashとかで見せられたら、違う刺激が混ざるから読み(?)進められたかもしれない。

 刺激がおもしろさの源泉としたら、『幸福な王子』をおもしろい話と感じるのは、その適度な短さと、善なる行いをしているのに報われるところがないという、安易なハッピーエンドではないところがおもしろさのポイントだと思う。単に「報われない」という哀しさの余韻というのもあるけれど、「幸福な」とつけておきながら、王子の数々の行いの後の扱われ方は数々の行いの割りにぜんぜんあってない。

 そういう、皮肉というか反意というか、そんなタイトルのつけ方ひとつでもおもしろさに繋がった時代があったということだろう。今では童話だけでなく、ありとあらゆるメディア・ジャンルで見慣れた(あるいはただの普通の会話においてでさえも)表現だから、それだけでおもしろさに繋がることは皆無に近い。

 長さを感じるのは、ぜんぜん想像できない比喩が連発されるとき。神話の世界とかまったく興味ないまま生きてきたので、ぜんぜんわからん比喩が山のように出てくる。でもこの時代ではそれがある意味共通語のようなものだったんだろう。その比喩が若干教義的な意味を持ってたりするともうダメ。比喩で膨らむイメージがないのに説教しようとしている意味だけはわかって白けてしまう。説得力の源泉とか遠まわしな言い方の発生源って案外このあたりなのか?

 そういう読み方をするクセがついていて、お話をお話として純粋に読まないせいで足元を掬われてしまったのが『忠実な友達』。お話の中に教訓話だという言葉が出てくるせいもあって、結論づける読み方しかできなくなった僕はまだ混乱中。「あ、そういう話ね」で終わることができずにいる。

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