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2006/05/07

『祖国とは国語』/藤原正彦

祖国とは国語 祖国とは国語
藤原 正彦


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 この本は、「国語教育絶対論」よりも、「満州再訪記」に読む価値があると思う。筆者の生まれ故郷である満州に家族で訪れる旅行手記だけど、平行して語られる日清戦争、日露戦争、そして太平洋戦争へと進む道のりの記述が凄く迫力ある。太平洋戦争について触れる際、日本軍を悪として書かなければ軍国主義者戦争主義者と思われるような風潮があるけれど、これを読んで歴史を正しく認識しようと思わない人はいないはず。この「満州再訪記」のために本書を買ってもいいと思う。

 ・・・

 「小学生に教えるべきは英語よりまず国語だ」という主張はその通りだと思う。「国語教育絶対論」で述べられているのは至極全うで常識的なこと。
 ただ、「思考や情緒は獲得している言語=語彙に規定される」というのはいささか暴論だと思う。確かに、表出できなければ認識できていない、と言えるもの の、では表現されていないものの情感を感じることはできないのか、と言えば無論そんなことはない。この辺は、言語学なんかをきちんと読んでから書くべきで は?

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コメント

タツミさん,のおっしゃることよくわかります.まったく同感です.断定したり断言するという事に対する違和感と,深みのある議論への配慮,このあたりのバランスが実は難しいと思っています.おそらく,立場に差異はないと思いました.

以下は私のまったく個人的なもやもやです.職業柄,一般向けに講演したり,講義をしたりすることがあるのですが,その場合に厳密に正しい表現をすると,結果として何も伝わらないということがよくあります.一般聴衆に受ける話ができる人たちのスピーチとそうでない人の差は,一重にどれだけ言い切れるかということに尽きるのではないかと思うときがあります.

その分野の専門家ではない彼だからこそ,「思考や情緒は獲得している言語=語彙に規定される」と言い切っているわけですが,このことが国語教育の必要性を明確に後押ししています.この明快さがある場面では必要なのかと思ったりもしています.(様々な議論や見解があることは承知の上で)

藤原正彦氏の著書,国家の品格がベストセラーになっていますが,数学者である彼が政治論や文化論を述べているわけです.藤原正彦氏は,当然言語学者ではありませんし哲学者でも認知科学者でもありません.このあたり,各分野の専門家にはない氏独特の表現や内容が混沌とした現在の大衆に受けたということでしょうか.

長文,駄文,失礼しました.おつきあいいただきまして感謝します.

投稿: ぷりっぷ | 2006/05/08 00:24

 ぷりっぷさん、コメントありがとうございます。

 ”「思考や情緒は獲得している言語=語彙に規定される」というのはいささか暴論だと思う。”というのは言葉が過ぎました。ここで言いたかったのは、それが暴論だということではなくて、「規定されない」という論もあるのだから、それをもう少し踏まえるべきではなかったのか、ということです。
 既に否定され尽くされているかも知れませんが、ポスト構造主義では脱=構築の考え方で、言葉による厳密な認識の不可能性が説かれていますし、もっと身近な命題では、「行間を読む」とはどういうことなのか、というものもありますよね。「行間を読む」と言うからには言葉にはなっていない訳です。しかし確かに"認識"できる何かしらの情緒がそこにはあります。およそ文学は、手持ちの言葉では表しきれない情緒を表すことで成り立っています。もちろん、ここでも「言葉があってこそ情緒が生まれたのであって、そこから連想されているに過ぎない」という論もあると思います。
 要は、いずれの論もあり、どちらが正かというのは哲学でも言語論でも認識論でもまだちゃんと片のついてないことだと思うんです。だから、あんなふうに断定してしまうと、そういう深みのある議論があることを知らないまま、領域外のことを書いちゃってるんだなあという印象を、素人は受けてしまったということなんです。

投稿: タツミ | 2006/05/07 23:29

トラックバックありがとうございました.確かに「満州再訪記」迫力ありました.同感です.

一点に気になったことを.「思考や情緒は獲得している言語=語彙に規定される」との点を暴論とご指摘されておりますが,果たして暴論でしょうか? たとえば,虹はわれわれは7色だと思っていますが,世界には6色の国があります.色の定義が言語にないと虹は6色に見えるわけです.もちろん,実際には細かく分解すればもっとたくさんの色に分解することは可能ですが,われわれには識別できません.

日本では虫の鳴き声を聴いて風情を感じたり,静けさを感じたりしますが,欧米人にはただのノイズにしか聞こえません.静けさや岩にしみいる蝉の声の情緒は,かなりの部分日本語という言語に規定されているのかも知れません.

感情が先にあるからそれを説明する言語があるとお考えだと思うのですが,実は逆のことも多いかもしれません.

投稿: ぷりっぷ | 2006/05/07 22:39

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