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2006/05/04

『プラナリア』/山本文緒



プラナリアプラナリア
山本 文緒


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 世の中は、繰り返しと決めつけで出来ている。目を逸らしたって逸らしきれないし、気づかないフリをしたってしきれるもんじゃない。だって誰もが繰り返しと決めつけに少なからず甘えて生きているから。自分のその甘えを棚に上げて繰り返しと決めつけの都合悪い気分悪いところに不平不満だけを言い出すようになったとき、この短編集の主人公のようなところに行き着いてしまうんじゃないかと思う。誰にでもその可能性は孕んでいると思う。

 繰り返しを繰り返しじゃないと思って日々を生きられるのは、・・・

その先に薄ぼんやりでもいいから何かがあると信じていられるからだ。あるいは、そんなこと考える余裕もないくらい忙しいからだ。夢中で働かなければならないくらい忙しいというのはそういう意味で幸せだし、キャリアプランや出世に強い欲があるというのもそういう意味で幸せだ。経済は右肩上がりを志向しなければ必ず衰退すると言われるように、人生もなんらかの右肩上がりがなければ苦痛に満ちたものになるのかも知れない。特段の欲も望みもなく、単に日々平凡に過ごせればそれで幸せ、というのではなかなか幸せに過ごさせてくれない、というのは『ネイキッド』の泉水に顕著に現れている。彼女は上昇志向の強い女性だったがそれほど上昇志向の強くない夫から離婚を言われ、放り出されたまんまの生活を送っている。繰り返しが繰り返しだと気づいてしまうと、それが心地いいものであってさえ、繰り返しを嫌う本能がなぜかそれを潰しにかかってしまう。それは『プラナリア』の春香も同じだ。

 『プラナリア』の春香、『あいあるあした』のすみ江はどちらも周りの勝手な決めつけに怒り心頭になる。勝手に不幸だとかかわいそうだとか決めつけられることに怒るのだ。これを読んだ人は100%、「その通りだ。人の人生を勝手に幸せだとか不幸だとか決め付けるのはよくない。」と思うに違いないが、よく似たことを自分もしていることには気がつかない。結婚しているから幸せだとか、四半期決算発表が好調だったからよい会社だとか、テストで何点だったから上級者クラスだとか、その手のレッテルと決めつけにはこの世はほんとに事欠かない。そういったものの一つ一つに異議を唱えていては生きていけないほどこの世は忙しく時間が足りないが、だからと言ってその決めつけに無自覚になってしまうことほど人間として恐ろしいことはない。言ってみれば、生活にかまけて人間としてのプライドを売り渡してしまうようなものだ。

 『囚われ人のジレンマ』で、「男に生まれたばかりに、仕事先でも家庭でも強者であることを要求される。小さい方のケーキでいいと言うわけにはいかないのだ。」と美都はいい、「もし僕と美都の性別が逆だったらどうだ?男だとフルタイムで働いて、女房子供を養えなきゃ結婚する権利がないのか?金を稼ぐ人間だけがそんなに偉いのか?うちの教授みたいに、くだらない啓発本でも書いて稼げば美都は俺を尊敬するのか?」と朝丘君は言う。そして『あいあるあした』ですみ江は「働くか結婚するかどっちかしないと怒るなんて、あたしの親父と同じだよ」とすみ江は言う。ここには、「何もしないで生きていることは是か非か」という深い問題が横たわっている。何もしなくてもそこそこ生きていけるようになったとき、何をどのように考えて生きていけばいいのか。そもそも、ほんとうにその人は何もしないで生きていられているのか。考えることを放棄する訳にはいかない。

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コメント

ご訪問ありがとうございます!人魚マニアさんのブログはテクノラティで”プラナリア”で検索して見つけました。山本文緒は初めて読んだのですがおもしろかったので他の作品も読んでみようと思ってます。

投稿: タツミ | 2006/05/05 10:02

トラックバックありがとうございました。ヤフブロ以外からでもできるんですね。いろいろと精力的に読書なさっていますね。また訪問させていただきますね。

投稿: 人魚マニア | 2006/05/05 06:31

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