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2006/07/22

『号泣する準備はできていた』/江國香織

4101339228 号泣する準備はできていた
江國 香織
新潮社  2006-06

by G-Tools

 江國香織の小説を読むと、決まってうんざりすることが二つあって、ひとつは「女というのはなんでこんなに自意識過剰な生き物なんだろう」、もうひとつは「女というのはなんで繰り返しの日常がそんなに気に食わないのだろう」。この二つは結局同じことのようにも思うけれど、とにかく女の人がそういう生き物に見えてきてうんざり感を味わうのだ。・・・

・・・「女というのはなんでこんなに自意識過剰な生き物なんだろう」というのは、『こまつま』や『溝』『前進、もしくは前進のように思われるもの』なんかで感 じる。『溝』で最後にウェットスーツを持ってきてしまうところ、正直言って「それがどうした」と溜息を吐いてしまう。『前進、もしくは前進のように思われ るもの』で、唐突に猫を捨てた話を持ち出すのも、「それがどうした」と言いたくなる。突拍子のなさに感傷があるのかも知れないけど、どうにもサリンジャー の世界に届かなかった中途半端にアイテムを具体的にしているだけの感が否めない。サリンジャーは男女問わず感傷を呼び起こさせるのに対し、江國香織は女性 には共感されるのだとしたら、女性は結局普遍的には書き得ないのではないか、なんて暴論のひとつも言いたくなる。 「女というのはなんで繰り返しの日常が そんなに気に食わないのだろう」というのもやはりこの3編あたりに色濃い。いったい、世間の誰が繰り返しではない日常を生きていると思っているのだろう? 「うちのトースター壊れてるのよ、知ってた?」-いったいなんでそんなに注目を浴びなければ気がすまないのだろう?社会的であればあるほど、人は自分が注 目を浴びる存在ではないという慎ましやかさを身につける。これでは女性性というのはその対極にあると言ってるようなもんじゃないか?

 号泣する準備ができているなら、さっさと号泣すればいいと思う。なんで準備でとどめてそれを宣言する必要があるの?そんな中、最後に収められた『そこなう』は、いいこと悪いこと主客転倒酸い甘い全部ひっくるめて襲いかかってくるのが人生だ、という雰囲気がとても好きだ。

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