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2007/02/17

『僕のなかの壊れていない部分』/白石一文

4334923631 僕のなかの壊れていない部分
白石 一文
光文社  2002-08

by G-Tools

 分かりきったことを何故聞くのだろうとか、分かってもらうために伝えることをなぜしないのだろうとか、自分の考えは自分で守る分には構わないけれど他人にまで強要するなとか、主人公の「僕」の考え方と自分が似てると思うところもあるけれど、大きく捉えるとこの主人公はどうしても「逃げてる」という印象が残っています。
 生と死と家庭について様々なトピックがあって、日々は繰り返しなのか積み重ねなのかという視点が交錯します。幼少の頃母親に捨てられ迷子で保護された際、何かを思い出さないと家に帰れないという不安と戦った経験から尋常ではない記憶力を持った主人公は、…

日々を「積み重ね」で生きているはずなのに、こことは違うどこかに行こうとしなければ生きている意味がない、と言います。
 日々が繰り返しなのか積み重ねなのか、どうせ死ぬのだから生きていることに意味はあるのかないのか、という問いは、答えが出る訳でもないし正解がある訳 でもないから、別にしなくても生きていけるし、しないほうが気楽に楽しく生きていける。けれど、堂々巡りのようなこの疑問を人生で一度でも真剣に考えた時 期のある人とない人では、その人の持つ深みに決定的な違いがあるように思います。生きているのか生かされているのか。なぜ、この主人公は、枝里子とこのま ま会わなくなっても会うようになっても大差ないと言ったのか。こういうことを考えられる人生と考えない人生は決定的に何かが違う気がします。

 印象的だったのは厚生省のエピソード。生後四十三日の子どもを預けられるようにする施策というのは間違っていた、俺たちは親ではなく子どもを向いて施策 を考えるべきだった、現に自分の子どもたちがどこかおかしいではないか、と。親という役割に限らず、一日は二十四時間しかないのだから、何かの役割を引き 受けることは何かを削らなければいけないのが道理で、そういう面倒な部分は行わずに「親」になり、「親」になるまでの生活はそのまま続けたい、というのは どこか間違っているとやはり感じました。この小説は、こういう視点に対して、「生活」を持ち出す意見の視点のエピソードも含まれていて、多面的に読むこと ができました。

 人々は「禅問答」とか「生きるための言葉」とか、ああいった「堂々巡りを何とかしてくれる言葉」の簡便なものを求めているみたいで売れ行き好調のようなのに、なぜ深く考えるほうには向かわないんだろう?と悲しくなりました。

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