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2007/08/15

『17歳のための世界と日本の見方』/松岡正剛

4393332652 17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義
松岡 正剛
春秋社  2006-12

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 著者が帝塚山学院大学で1998年から2004年までの6年間に行った「人間と文化」講義の内容を収めた一冊。文明と文化の歴史の知識がぜんぜんないことを反省していたので、まず基礎固めのつもりで読みました。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教・道教の成り立ちや特色を軸に、「洋の東西」の生命観・自然観の手ほどきを受けることができます。また、「関係を見出すこと=編集」という著者の視点を取り込むことが出来、思索の手段を自分の中に増やすことができ、知識と方法の両方を学ぶことのできる良書だと思います。

p19「エドワード・ホール 『隠れた次元』 プロクセミックス」
p32「ひとつには関係性を察知するための「軟らかいセンサー」を失っているからかもしれません。」
p35「言葉を使えばいつもちゃんとコミュニケーションができると思いすぎることは、じつはたいへん危険なことです。」
p46「「ゼア」の交信を「ヒア」にしすぎると、とんでもないことが犯されることだってありうるんです。」
p71「ジョセフ・キャンベルというアメリカの神話学者」
p79「ある意味で、人間の欲望や煩悩が、それまでとはちがう現実味をもって人間社会をおびやかしはじめ、それが臨海値に達してきていた。そこで、それをコントロールしていく新しい技術や方法が求められていたのかもしれません。」←紀元前6世紀~5世紀 ゾロアスター・老子・孔子・ブッダ・ピタゴラス
p82「このように、光と闇で世界を分けるような見方を二分法」←ゾロアスター(ツァラトゥストラ)
p88「バール信仰」
p98「苦しみを知るだけの修行をしていては足りない。人間には、苦しみの次に解放がなければいけないのだ」ブッダ
p100「こういう方法的なめざめを、「縁起」といいます。」←ブッダの悟り 一切皆苦 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静
p141「最初の十人をまず作るべきなんです。そしてそのコア・メンバーとともに五年を集中するべきです。」
p112「道教」
p166「回心(コンヴァージョン)
p210「ツクヨミ 『ルナティックス』(作品社・中央公庫)
p223「唯仏是真・世間虚仮」聖徳太子
p238「東には薬師如来のいる瑠璃光浄土、西には阿弥陀如来のいる極楽浄土、北には弥勒菩薩の管理する浄土、南には釈迦如来の浄土が想定されていた。」
p244「ところが西行は、この歌枕を実際に歩いてまわったわけです。」
p255「そこで武士たちは、まあ、自分自身が浄土になっていくということをした。」
p262「神仏習合が進んでいって、神社で女性の穢れを不浄とする見方がまちがって仏教側に拡大解釈されたのでしょう。神社での穢れは一時的なものなのに、仏教ではそれが全面化してしまった。」
p269「冷えさび すさび」
p273「そこに水の流れや大きな世界を観じていこうというものですね。こういう見方を禅の言葉で「止観」といいます。」
p275「何もないにもかかわらず、わざわざ「花ももみじもない」と言ってみせることで、それを聞いた人の頭の中には、満開の桜や紅葉の盛りが浮かんできてしまうという、おそるべき歌です。」
p279「花伝書」
p300「グーテンベルクの活版印刷以降、だんだん黙って本を読むようになったんです。つまり黙読が始まった。」「梵我一如」
p322「侘び茶」「やつし」


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