『ベーコン』/井上荒野
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ベーコン 井上 荒野 集英社 2007-10 by G-Tools |
この本を読んだのは失敗だった。つまらなかった訳じゃない。ただ、小説を読むことに疑問を抱いてしまったのだ。
本著は、料理や食材をアイテムに据えた9つの短編集。タイトルが、そのアイテムとなる料理や食材になっている。僕にとっての「それ」は、3編目の『アイリッシュ・シチュー』でやってきた。
東京郊外で夫・娘・息子・猫と暮らす私。ある日、大雪が降り、宅配が来ず、猫がいなくなり、猫を探し回り、夫に電話をするが邪険にされ、無言電話が度々なり、これまで足を踏み入れなかった子供部屋に入り、猫は見つからず、近所で住宅を販売をしている若い営業マンと目が合い、家に招き入れ、たったまま性交した。
それだけだ。夫も娘も息子も猫でさえ名前が探しやすいのにとことん名前の探せない「私」は、没個性の象徴なのだろう。ありふれた日常でも、言い表しようのない不安に揺さぶられ、日常の裂け目にはまってしまうけれど、またいつもの日常に帰っていく。そんなことを、今更聞かされてもしょうがないのだ。
日常に不安はつきものだ。殊更に日常の中の非日常性を拡大してみせるのは、日常で努力不足な人の当然の顛末に過ぎない。そんな人の不安を拾い上げてもらっても、心はぜんぜん揺さぶられない。小説は正しいことを歌う訳でも時代の新しい問題だけを拾いあげる訳でもない。けれど、焼き直しの現状維持が量産されるのにはもううんざりなのだ。
これではケータイ小説が流行るわけだ。僕は、これからいったい何のために読書をすればいいのだろうか?
p26「でも違う、と温子は思う。今まで、ずっと作るのをためらっていた、でもいつかきっと安海に食べさせてあげようと思っていたほうとうは、焼きおにぎりは、これじゃない。」
p37「まだ何か?という表情でゆかりが見る。芳幸は、自分がぐずぐずと妻にかまってもらいたがっていることに気がついた。」
p40「また、あの田畑が広がる場所に来た。」
p106「電話をしない、家を訪ねないというルールを、日曜日の鵜飼を確保する代償として、固く自分に課していたのだから。」
p110「屈託のない好意と、屈託のない冷淡さ。そのどちらを平気であきらかにしてしまう。」
p144「奥さんはあくまでやさしく微笑み、そのことで逆にいっそう落ち込みながら、柚衣は奥さんの作業を待った。」
p162「目に見えないヘッドフォンを、今も装着しているとでもいうように。」
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