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2009/05/04

ダーリンコラム 1999-08-30-MON <忌野清志郎は好きなんだけど>

「関心空間」に書いた文章なんだけど、我ながらあまりにもうまく書けたと思ったので、転記転記。

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僕は、実は「ほぼ日」はほとんどチェックしていない。糸井重里に、あまり染まりたくないからだ。
僕ぐらいの年代の人は、糸井重里とその作品に、多大な影響を受けている。
なので、いくらでも糸井重里テイストを好めるし、染まれる。
それがどうも好きじゃなくて、敢えて遠ざかってます。

翻って僕は、言うほど、忌野清志郎をリスペクトしたりもしてません。
どちらかと言うと、僕らくらいの世代っていうのは、既に、
忌野清志郎は、パンクで言う「破壊すべき体制・対象」の側になっちゃってたと思う。
「キヨシローがやってるんだから、オーケーだ」という「型(カタ)」が出来上がっちゃってた。

良し悪しを無視して、「既存」は遮二無二ぶっ壊しにかかるのが、僕らの時代のパンクだった。

でもって、確か高校三年か大学入りたてかの頃、
忌野清志郎のことを、育ちが良くて結局安全地帯から攻めてるだけでインテリゲンチャと変わらない、
というような記事を読んで、多少の共感を覚えたことを思い出し、
そういう文章はないかなあ、とネット検索してみたら見つかったのが、これだ。

驚くべきことに、糸井重里が、きちんと批判していた。
http://www.1101.com/darling_column/archive/1_0830.html

僕は、キヨシローが言う「ロック」の部分に関しては、
この糸井重里の批判が完膚なきまでの的確さだと思う。
1999年以降の、キヨシローの活動の詳細は良く知らなくて、
fm802キャンペーンの『Oh ! RADIO』は素直にいい作品だと思ったけれど。

ロックであれパンク(ロック)であれ、その魂とセンセーショナリズムとは全然違う。
「社会で生きていく」ことと「パンク」は両立しないかのような思い込みが僕らにはどうしてもあるが、
「既存」を遮二無二ぶっ壊しにかかるのは、
「パンク」がどうしてもやり遂げたいことをやり遂げるために、
それが最善だと思ったときに取りうる選択肢のひとつなだけであって、
やり方は他にいくらでもあるし、他のやり方でやったってそれはもちろん「パンク」なはずだ。
奇天烈なことをして唾を吐くのが「パンク」じゃない。
若い世代というのはいつだって柔軟で、
「メロコア」なんて、立派なパンクの一手段じゃないか。

僕は、糸井重里も忌野清志郎も信奉したりはしていない。
それぞれに、好きなところも好きじゃないところもある。
だから、「僕はこう思います」と言えることが大事だし、
誰にだってそういうことが大事だと思うのだ。
その意味で、やっぱり、糸井重里も忌野清志郎も大好きな人たちなのだ。

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