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2009/08/23

『炎の経営者』/高杉良

4167753723 炎の経営者 (文春文庫)
文藝春秋  2009-05-08

by G-Tools

 日本触媒の創業者、八谷泰造を描くノンフィクション。

 一時期、日本触媒担当として出入りさせてもらってたことがあって、ちょうどビルの建替え時期でもあり、これまでの歴史を受け継ぎながら新しい段階に入ろうとされている空気が満ちていたことが思い出される。当時は自分のなすべき業務に精一杯で、日本触媒のバックグラウンドを学ぶ余裕がなく、当時この小説を読んでいたらまた仕事にも違った面白さがあっただろうなと後悔。常に関連するものを調べ、知る意欲が大切。

 「炎の経営者」とは大仰なタイトル、と思ったものの、掛け値なしに「炎の経営者」だと思える。乗るであろう電車にあたりをつけて、財界重鎮の永野重雄に直談判して出資を得る冒頭のエピソードで、八谷のバイタリティに引き込まれる。
 ソ連に技術輸出するをするあたり、技術輸出というビジネスの成り立ちがよく知らないものの、ソ連との交渉のシーンなんかは、現代にもそのまま通じる。というよりも、世界が未知だった時代の人のほうが、世界に打って出る意欲や度胸があったようにいつも思う。世界が身近になった今は、なんというか、消極的になってしまう気がする。

 この10年余り、自社が行うビジネスの内容なんたるかよりも、数字を扱えることが経営者に最優先のスキル、という風潮だったと思う。確かに、数字を読めなければ会社を潰すだけだけど、これまで目を瞑ってこられた、経営者の「人間性」「人格」というものが、けして軽視できない時代に改めて入ってきたんじゃないか?と、『炎の経営者』を読んで痛感。八谷は、「技術屋」「事務屋」と呼び分けていたが、知識まで縦割りにしてはいなかった。

p10「時の宰相、吉田茂は広畑製鉄所のプラントを外国企業に売却して外貨を稼ぎ、食料の輸入資金を確保したいと考えていた。これを立案したのは、吉田側近の白州次郎といわれている」
p19「三井、三菱の財閥まかせでは、いけん思うとります」
p40「八谷の気魄に押されて皆んななんとか気を取り直して、従いてきたのである」
p60「思えば丁度10年前の今日・・・」(浜田喜久馬追悼文)
p66「午後六時二十分、大音響とともに吹田工場は大爆発」
p93「石原産業へ日本触媒化学の名刺を出して、きちっと断って来い、という謎に相違ない」
p101「大蔵省に、政府系の金融機関として日本開発銀行を創設する構想があるらしい」
p108「昭和二十六年は、前年六月に勃発した朝鮮動乱による特需景気で、日本経済は大いに潤った」
p126「仮に増資ということになれば」
p153「株式会社科学技術研究所の社長に迎えられたが、企業として自立していくことが不可能なことが見極められた」
p261「ポンプのシャフトのメカニカルシールに材質上の欠陥」
p291「東洋綿花(現・豊田通商)は、無水フタール酸の販売代理店」
p313「大島の断りかたは見事」
p322「渡辺勇三塾頭」
p346「ソ連側は、単に日蝕法EO(エチレンオキサイド)、EG(エチレングリコール)技術を輸入するにとどまらず、工業の建設を含めて一括して発注する計画だったので、日本触媒科学工業は三菱重工および交渉窓口の三菱商事をパートナーとして」・・・意味を理解する
p369「ネゴのテクニック」
p383「”ペン”は、鐘淵紡績社長の武藤糸治、京阪神急行電鉄会長の和田薫、それに八谷泰造ら関西財界人の同人雑誌」
p401「この大事な時期にストを打たれて、わしは腸が煮えくり返る思いだが、」
p455「七色の虹」
p468「戦後、日本のものは何もかもだめだという風潮になって、何をするにも欧米のほうばかり向いて追随するようになっていきますが、」

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