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2009/12/31

『静人日記』/天童荒太

4163287205 静人日記
文藝春秋  2009-11-26


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 第140回直木賞受賞作『悼む人』を執筆するために、著者が主人公の静人となって三年間つけ続けた日記を元にした小説。

 『悼む人』は読んでないんだけど、なぜかこちらが先に気になって購入。『悼む人』を超える感動!と帯には書いてあるけど、読んでないので超えてるかどうかはわからない。わからないけど、日記形式というのが効果的でかなりずっしりと読ませられる小説だった。

 人は何のために生きるのか?とか、何が幸せなのか?とか、根源的な問いが頭を過ぎる。遣り切れない死を迎えた人の無念さは、残されたものが受け止めないといけない。近しい人は言うまでもなく受け止めさせらるし、受け止められないくらい受け止めさせられるので押しつぶされてしまうくらいだ。だから、その他の人が何を為すべきか?というのがこの世では大事になってくる。この世では、その他の人たちは、遣り切れない死を迎えた人の、生前の幸せな日々を自分の記憶の中に留めていつまでも生かしておくことが、その人の無念に対してできることではないか、そのように思い日々過ごすべきではないか、というのが静人が訴えかけてくることだと思う。そして、それには僕は全面的に賛成。

 その一方で、それは、「遣り切れない死」を迎えた人に対してだけなのか?という疑問が浮かぶ。本書の中では遣り切れない死に接することが多く、どちらかと言うと普通のことと思える老衰や病死があったかどうか、すぐに思い出せないのだけど、そういった多くの「普通」の亡くなり方に際しても、同じ姿勢であるべきではないのか。戦争で亡くなる方と、老衰で亡くなる方の間に、違いがあるのだろうか?あっていいのだろうか?この問題意識は、本書の中でも、ユーゴスラビアの大統領の話が引用されたりして深く掘り下げられ、静人は最後にひとつの結論に至る。

 「何をどう考えようと、人は自分の主観というものから逃れられないでしょう。であれば、自分なりの悼みを徹するように心がけたいと思いました。その代わり、自分以外の何ものかの欠落と結びついているかもしれないなどと、あやふやなことは申しません。自分のための悼みです。」

 自分のための悼み。この言葉を言い切るために費やされた時間。宣言すればそれが事実になる、というのではない言葉は、有限実行が褒め称えられるこの現代にも確かにあって、この言葉はその最たるものだと思う。ただひとつ静人の行動で同感できなかったのは遙香とのこと。『悼み』は自分のためであっても、まったくの個人に帰属させてしまっては、その悼みは悠久の時の流れの僅かな単発の出来事で終わってしまう。もっと時空を超える思想を描いてほしかった。そこまで拡張していくともはや宗教なのかも知れないけれど。

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