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2010/06/27

『ビッグイシュー日本版145号』

「捕鯨は日本の伝統」というのは、1970年代に国際ピーアールという会社によって広められた俗説、という説を読めたことが最大の収穫。確かによくよく考えてみれば、日本全国くまなく鯨が食べられていたなんて考えにくく、この説は簡単に裏付けできそう。そうまでしてそんな俗説を広めた理由は、農水省が権益を作り温存するため。少なく見積もっても60億円近くの国費が「調査捕鯨」に注ぎ込まれ、関連する天下り用団体の維持を考えると更に多額の国費が使われている。恐らく、商業捕鯨から流通する鯨肉の売上が芳しくなければ、その赤字補填のために更なる国費が投入されるのだろう。

守るべきは、日本にあまねく広く鯨を流通させることではなくて、ほんとうに古来から受け継がれている「沿岸捕鯨」を復活させるという本記事の説はその通りだと思う。

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日本経済新聞 2010年6月27日 朝刊 『春秋』

「告白」の主な観客は若い世代だ。品田さんの読み通り、若者の閉塞感が変化の底流にあるとしたら、年長者も無関心では済まない。

 ちょっと暗いタッチの作品が流行したら、日経のコラムでさえこの有り様でがっかり。「告白」のヒットが「前向きに考えてもうまくいくわけではない」という空気の表れだと捉えて、何故それを「それでも現実を受け止め、ひとつずつ進んでいこう」という方向を語ることができないのだろう。確かに「告白」はそういうテーマになっていないかも知れない。でも、それを補うことは自由じゃないか。単純な時代の気分の読取と、それに対して紋切り型の嘆きだけで終わらせて、朝刊のコラムも何もあったもんじゃないと思う。

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2010/06/26

『ストーリーとしての競争戦略 優れた戦略の条件』/楠木健

4492532706 ストーリーとしての競争戦略 ―優れた戦略の条件 (Hitotsubashi Business Review Books)
楠木 建
東洋経済新報社  2010-04-23

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p490「個人のレベルでどんなに精緻にインセンティブ・システムを整えても、戦略を駆動する力は生まれないのです。」
p490「自分の仕事がストーリーの中でどこを担当しており、他の人々の仕事とどのようにかみ合って、成果とどのようにつながっているのか、そうしたストーリー全体についての実感がなければ、人々は戦略の実行にコミットできません。」

このことは、『39歳までに組織のリーダーになる』にも書かれていた。個人レベルでインセンティブ・システムを整えて戦略遂行が成功するのは、守銭奴だけをばっちり揃えた組織だろう。『ザ・タートル』 のような組織でさえ、自分の意思を試そうという人間が現れたというのだから。

自分が日々行っている「業務」に対して、「戦略」の考え方をあてはめるのは難しいことが多い。難しいというより、「業務」は「戦略」レベルではないから。自分の日々の業務というのはつまるところ「提案」だが、「提案先のお客様にどうやって自社の提案を採用してもらうか」を考えるのは、戦略のようで「戦略」レベルでないことが多い。これは自分だけが整理していればいいものではなく、関連するチーム全員がしっかり共有できていないといけないが、コミュニケーションが分断されがちな自社の組織編成ではここがひとつ大きなネックになっている。

戦略を展開する際に、それぞれが「個人商店」的な組織になっていると、ほとんど展開ができない。対象とするお客様の特性が大きく異なり、かつ、戦略で展開したい「商材」がどうすれば成功するかという部分の理解に大きなレベルの違いがある場合、展開される側の人間が求める「メリット」というのは「省力化」、もっと簡単に言えば「簡単に売れるポイント」や「一撃必殺技」を求めるだけに陥る。

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pⅷ「このところの戦略論の「テンプレート偏重」や「ベストプラクティス偏重」には、むしろストーリーのある戦略づくりを阻害している面があります」
p8「無意味と嘘の間に位置するのが論理」
p13「違いをつくって、つなげる」、…これが戦略の本質
p31「実務家に影響力のあった戦略論に「ブルー・オーシャン戦略」があります」
p45「「プロフェッショナル経営者」という幻想」「経営者の戦略スタッフ化」「テンプレートやベストプラクティスは過度に心地よく響きます」
p46「情報(information)の豊かさは注意(attention)の貧困をもたらす」
p50「戦略ストーリーは、…環境決定的なものではない」
p57「徹底した機能分化は、…協力なリーダーを必要とします」
p58「機能と価値の違い」「機能のお客さんは組織」「価値のお客さんは…組織の外にいる顧客」
p76「ソフトバンクは「時価総額極大化経営」を標榜」
p102「「目標を設定する」という仕事が「戦略を立てる」という仕事とすり替わってしまいがち」
p113「シェフのレシピに注目するのがポジショニング(SP:Strategic Positioning)の戦略論」「厨房の中に注目するのが組織能力(OC:Organizational Capability)に注目した戦略」
p117「実際に画面を横から見て、『きれいに見えてイイね!』と喜んで仕事をしているユーザはいるのでしょうか」
p128「ルーティンとは、あっさりいえば「物事のやり方(ways of doing things)です」「その会社に固有の「やり方」がOCの正体」
p160「我慢して鍛えていれば、(今はそうでなくても)そのうちきっといいことがある」
p173「戦略ストーリーの5C」

  • 競争優位(Competitive Advantage)
  • コンセプト(Concept)
  • 構成要素(Components)
  • クリティカル・コア(Critical Core)
  • 一貫性(Consistency)

p178「要するに「売れるだけ売らない」ということです。」フェラーリの例
p218「ごく粗い脚本で、暫定的なキャスティングで、舞台装置の準備もそこそこに、まずはやってみよう…」
p232「売れない店から売れる店に商品を移すことによる平準化」
p238「コンセプトとは、その製品(サービス)の「本質的な顧客価値の定義」を意味しています」「本当のところ、誰に何を売っているのか」
p264「すべてはコンセプトから始まる」
p268「1980年代に入って、アメリカは価値観の断片化が進んだ結果、過剰なハイテンション社会になりました。」
p274「「誰に嫌われるか」をはっきりさせる、これがコンセプトの構想にとって大切なことの二つ目
p276「大切なことの三つ目、…「コンセプトは人間の本性を捉えるものでなくてはならない」
 『LEON』や『GOETHE』は「人間の本性」を捉えているけれどそれは一部の人間の本性の一部でしかなかった そしてそれは大多数にならなければ魅力の本質を失ってしまうような、自立性の弱い「群れ」のようなものだった
p325「468店に相当する規模のオペレーションを構えるというアグレッシブ極まりない計画」「1999年には1500万ドルを投じて最先端のサプライチェーンのシステムを構築」
p346「「バカな」と「なるほど」」吉原英樹
p363「B社がA社の戦略を模倣しようとすることそれ自体がB社の戦略の有効性を低下させ、結果的にA社とB社の差異が増幅する」
p423「「なぜ」を突き詰める」
p437「「人間のコミュニケーションや社会のありようが革命的に変わる!」という大げさな話をする人が決まって出てくるのですが、私は全くそうは思いません。」(Twitterについて)
p443「営業スタッフがその店の良いところを発見し、それを限られた広告スペースの中で表現して、ターゲットである二十代の女性読者に伝える。」
p446「日本テレビのプロデューサーとして、テレビの創成期を引っ張った人物」井原高忠
p450「一撃で勝負がつくような「飛び道具」や「必殺技」がどこかにあるはずだ、それをなんとか手に入れよう、という発想がそもそも間違っている」
p458「そろそろ成長の限界にさしかかっているのかもしれません」
p464「ごく個人的な活動は別にしても、ビジネスのような高度に組織的な営みの場合、失敗したとしてもそれが失敗だとわからないことのほうがずっと多い」
p482「ビジネススクールの戦略論の講義がしばしばケース・ディスカッションの形をとるのは、それが過去のストーリーの読解として有効な方法だから」
p493「一人ひとりがその念仏を唱え、自分の行動がその行動基準から外れていないかを毎日の中で確認できる。」
p499「小林三郎さんがこう言いました。「それは個人の『欲』です。『夢』という言葉を使わないでください」
p13「平尾」

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2010/06/13

『下流の宴』/林真理子

4620107530 下流の宴
毎日新聞社  2010-03-25

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 絵に描いたような中の上家庭を築いた福原健治と由美子の息子・翔は、高校を中退してバイト暮らしをし、取るに足らない親子喧嘩の末に家を飛び出したと思ったら、20歳の折、22歳の珠緒を連れ、「結婚する」と言いだす。自分は漫画喫茶のバイトの身、相手の珠緒も同じバイトの身と言うのに…。

 医者の家庭に生まれ育ち、プライド高く育てられたおかげで、「自分たちの生きる世界は、あんたたちとは違うのよ」という意識丸出しの由美子に見下された悔しさから、「医者になる。そのために医学部に入る。」と一大決心をし、2年かけて見事合格を果たす珠緒の物語が主軸で、立身出世伝としては至って普通なんだけど、通信教育のやり取りとか、ディティールが効いてて珠緒を素直に応援しながら読めるし、こういう「やってやるんだ」という意思が大切なんだと感じれる。
 けれど一方で、ふがいないとバカにしながらも、翔のスタンスを全否定はできない自分がいる。翔は言う。「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ」。親にうるさく言われた子どもが「わかってるよ!」という、そんな心性から全然成長していない。していないけど、自分もおんなじじゃないか?と寒々としてしまう。そんなに先のことも考えてないような気がするし、難しい局面からは常に逃げようとするところも同じなような気がする。そして、珠緒の合格を見届けた翔は、「努力する人って、重苦しいんだ。」と言い放つ。それも、穏やかに、大人びた微笑を浮かべて。

 これはどういうことなんだろう。努力する人って重苦しい、というのは、かすかに理解できてしまう。言ってみれば「キリがない」のだ。努力して上に登り上に登り、一体いつまでやればいいんだ?というのが見えない世の中だから、最初から諦めてしまうのだ。それこそ健治や由美子の世代の世界には、「あがり」があった。上る途中で失敗し、そこで停滞してしまっても、あくまで「停滞」であり「停止」であって、「転落」はない。けど、現在は、健治と由美子のもうひとりの子どもである可奈の夫・北沢がうつ病になり解雇されるように、失敗は「停滞」では許されない。「喪失」に繋がるのだ。努力して上に登っても、資本主義の成長と破壊よろしく、「喪失」してしまうところまで上に登る努力をせざるを得ず、その努力を怠ることは許されない。つまり「キリがない」。そして、翔のような人間が生まれてしまう。それを見抜いていたのは健治だけのような気がする。つまり、「おそらく奮起、なんてことと一生無縁に暮らしていくんだろう」。

 こういう人間を生み出してしまうのは、由美子のような偏った価値観だ、と断罪するのは簡単だけど、どうも座りが悪い。林真理子の作品を読むのは初めてだったんだけど、優れて現代小説で面白かった。

 

p38「自分たちは競争激しくて、受験勉強大変だったから、子どもたちにそんな苦労はさせたくないからって、個性だとか、自分の好きな道を、なんてやってたら、子どもはみんなニート、ニートなのよ。」
p49「社会人となれば、学生時代よりも1ランク、2ランク上の相手が見つかるに違いない」
p100「OLとの差は、こうしたちょっとした小物で決まるのだ」
p115「何かの調査によると、今の二十代の四割が、親の水準以上の生活はおくれないという」
p118「お金と縁のないくせに、お金を追っかけると品が悪くなる」
p139「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ。そういうこと」
p232「それは社会から受ける信用と尊厳というものだ。」
p304「人のやること見て、励ますなんて、マラソンの沿道で旗ふってるだけの人だよ。自分で走らなきゃ、何の価値もない。だけどもうじき、あんたにも走ってもらうかもしれない。」
p346「どうせみじめな老後が待ってるんだったら、何をしても同じだね、なんていうのはさ、まるっきり違うと思うよ」
p412「あなたっていつも、他人ごとのように言うのよね」

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2010/06/09

『ヒューマンエラーは裁けるか』/シドニー・デッカー

4130530178 ヒューマンエラーは裁けるか―安全で公正な文化を築くには
芳賀 繁
東京大学出版会  2009-10-29

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 タイトル通り、「裁けるか」に焦点が当たっていて、「防げるか」が第一の論点ではない。「裁判が、ヒューマンエラーの再発の防止に役立つか?」という議論は展開される。そして、多くの場合、役に立たない方向に進むことが明快に記される。体裁が論文であり、最後段のまとめに実践方法があるものの、ツールが提供される類の書物ではない。自分の「ヒューマンエラー」に対する認識と思考を強化するために読む書物。

※処罰感情

piii「ヒューマンエラーの古い視点は、…インシデントの原因と考える。・・・新しい、システム的な視点は、・・・原因ではなく、症状と考える」
p26「マックス・ウェーバーが・・・警告したように、過度な合理主義は、対極の効果をもたらす・・・。合理的な制度はしばしば不合理な結果をもたらす。それは極めて自然にかつ必然的に生じる。」
p36「あるいは、様々な観点や利害、義務、そして代替案を考慮に入れて問題の評価を行うことが「公正」なのか?」
p45「モラール」「組織コミットメント」「仕事満足感」「役割外のちょっとした余分な仕事をする意欲」
p67「私たちの社会は、裁判に持ち込まれる事例を増やせば増やすほど、お互いの意見を気兼ねなく伝え合うのがますます難しくなる風土を作りだす」
p83「情報開示と報告の違い」「報告とは、上司、管理組織あるいはその他の関係機関への情報提供」「情報開示とは、顧客・患者・家族への情報の提供」
p114「後知恵バイアス」
p124「後知恵と有責性」
p132「普通の基準」とは何か?
p157「司法が関与することによって、より公正になることもあれば、より安全になることもない。」
p170「「偶然の事故」や「ヒューマンエラー」といった用語を排除する方法。法律にはそのような概念がないからやむを得ない」
p171「インシデントを裁判にかけると、人々はインシデントを報告しなくなる」
p184「誰かを投獄しても彼らが失ったものが戻ってくることはない。」
p188「取り調べてから数カ月も後に作成された…被疑者が言いたかったこと、裁判官もしくは陪審員が記録から読み取ったものとの隔たりは極めて大きくなる」
p202「組織や社会において、許容できる行動と許容できない行動との間の線引を誰がするのか?」
p225「某氏が責任を取って、辞職した」
p236「調停の席で話されたことは法的に秘密扱いにされる。」

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