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2011/07/31

『楽園への道』/マリオ・バルガス=リョサ

4309709427 楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社  2008-01-10


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ポール・ゴーギャンと、その祖母で、女性解放と労働者の権利獲得のための活動に一生を捧げたフローラ・トリスタン。実在の二人の人物を用いた物語は、奇数章がフローラ、偶数章がゴーギャンの物語として交互に語られる。村上春樹の作品で慣れ親しんだこの構成は、「フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法」であり、「二が一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法」であること、また本作は「直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられている」が、これは「騎士道小説の語りの手法を取り入れたもの」ということを、解説で学んだ。

ヨーロッパ的なるもの、偽善、性、読み込みたいよく知ったテーマが詰め込まれているけれど、物語の最終版、それらを押しのけるように衝撃的に登場した言葉があった。「日本」だ。

洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。

戦後、日本人として日本の教育を受けてきた身にとっては、とても表面的で、とても要約された日本観に見えてしまう。19世紀と言えば日本はまだ徳川の世で、「日本の版画家たちよりこれをうまくやったものはいなかった」と書かれている通り、ゴーギャンが影響を受けたと言われている浮世絵師達が活躍した時代。僕の頭にはこれまた表面的で短絡的に「士農工商」という身分制度が思い出され、年貢によって貧困に喘ぐ「被搾取者」農家が、芸術家として生きるなんて考えられもしない。それでも、「ヨーロッパ的なるもの」を考えるとき、「芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった」というのは頭に入れておかないといけないのかも知れない、と思った。なぜかと言うと、戦後から現代の間に、正にそれが起き、そしてそれが現代社会として当然の姿と思っている僕たちのような意識が存在するから。

芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

自分にとって「仕事」とは生きるためのものであり、生きることにとって芸術は必須のものではなく、芸術は自分の仕事の領域には含まれないし取り扱うこともできない、と考えてきた僕にとって、この一文は、-特に「技術(ワザ)を取得し、」の下り-新しいエリアへのきっかけになる力強い一文だった。

Check

p6「存在しないものの助けがなければ、私たちはいったいどうなるのだろうか。ポール・ヴァレリー『神話についての短い書簡』」
p7「サン=ジェルマンでのサン=シモン主義者」
p13「ばらばらのままでは金持ちや権力者によって不当な扱いを受けつづけることなどを彼女が説明」
p13「フーリエ主義者」
p17「「精神的純潔の象徴のような貞操に関する教えは、女性を奴隷に近い状態に追いやる偏見」
p40「愛とは人間をブルジョワ化してしまうものだからだ」
p48「大切なのは逆境と失望だよ。おまえを打ち砕くどころか、もっと強くしてくれるよ」
p53「彼女のユニオン殿堂のアイデアは、サン=シモンの弟子たちが考え出した社会のひな型に多くを負ってるのではないか」
p68「シャルル・スピッツの写真をテハッアマナに見せた。「これは男か、女か」」
p71「自由な人間である樵夫にとっては単なる娯楽であり、気晴らしだった。いわゆる不完全なヨーロッパ文明が人間から肉体の喜びを奪い、自由と幸福を破壊してしまったことのよき証明」
p97「未来の社会の目標の一つとして肉体の快楽や性生活を褒め称える理論には、フローラはいつも不信感を抱いていた」
p98「フーリエの教義の中で一番ぎょっとするのは、「愛に関してはどんな気まぐれも許される」「恋愛とは本来道理のない熱情なのだから、あらゆる情熱的な想念は当然である」というところ」
p162「おまえにわたしの運の悪さを譲ってしまったみたいよ、ポール」
p208「フランスやヨーロッパの悲劇は、絵画や彫刻作品が人々の生活の一部であることをやめてし まったときからはじまったと主張した。中世まではそれらは生活の一部だったし、あらゆる古代文明、エジプト人やギリシア人やバビロニア人、スキタイ人、イ ンカ、アステカ、それにここ、古代マオリのあいだでもそうだった。マルキーズ諸島にはまだ昔ながらの生活が生きている。」
p232「カリフォルニアに行っていたら、どんな人生だっただろうね、フロリータ。きっと心静かで穏やかな人生だっただろう。」
p245「男はこちら、女はあちらと、厳格に男女を対象的な存在として扱い、性の中にどんな形であれ曖昧さがあればそれを排除しようと強制する、カトリック神父とプロテスタント牧師のすさまじい説教」「タアタ・ヴァヒネ」
p283「1888年には、もはや西洋風の愛は芸術家にとって障害であり、芸術家にとっての愛は原始人のように肉欲と官能に限定されたもので、感情や魂に 影響を与えるものであってはならないとの結論に至っていた。だからおまえが肉欲に負けてセックスをするとき-とりわけ売春婦たちと-、身体をすっきりさせ るための行為、その場限りの快楽にすぎなかった。」
p290「ル・スーリール-ジュルナル・メシャン(微笑-意地悪新聞)」が生まれ」
p331「おまえにとっては野蛮なことでも、非難されるようなことでもなく、体制順応主義や頽廃に汚染されていない男性的で自然で、自己の再生を絶え間なく目指している、熱情あふれる若くて創造的な文明の印」
p346「その頃、フランス中が取りつかれていた団体設立の流行り病からおまえも免れ得なかったわけだ」
p348「おまえは彼の弟子たち、口先だけで行動に移さない彼らファランステール主義者たちを決して心よくは思っていないが、フーリエについては経緯を込めて思い返していた」
p368「その業績と几帳面な生活ぶりを理由にしばしば褒められたことのある模範社員だったなて」
p408「貨幣もなく、階級もなく、税金もなく、権力機構もない完全な共和国を建設しようとしている ことを、おまえは発言の中で、または論文で批判していた。彼らのような現実逃避の願望ほど、利己的で卑怯なものがあるだろうか。いいや。他の誰もやってく ることができない離れた地に、選ばれた者の一握りのグループのための天国の隠遁所を創ろうとして、この不完全な世の中から逃げるべきではない。」
p412「ベツレヘム病院の精神病棟で血が凍りそうなことが起きたね」
p436「すべての西欧ブルジョワ階級のキリスト教徒のように、非常に近い将来、マルキーズ人にとってもことは明快になる。二つの性があるのだから、それで十分じゃないか。」
p452「亡命ドイツ人で若い哲学者のカール・マルクス」
p472「日本にいる自分を彼は想像していた。おまえは月並みなポリネシアではなくて、あの国へ楽園 を探しに行くべきだったのだよ、コケ。洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本 人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。日本 ではすべての人がいかなることにも従事できた。百姓であると同時に芸術家でもあり得た。芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異 なる世界を創ることだった。日本の版画家たちよりこれをうまくやった者はいなかった」

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