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2012/08/31

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「坊さんが屁をこいた」

理解できないものに遭遇したとき、それをより詳しく知ろうと思うかどうか。単に違いの内容を認めるだけでなく、違いが生まれた原因・理由にまで思いを飛ばせるかどうか。どちらも、成果を中心に、究極目標とする場合、どちらでもいいと隅に追いやられる思考である。しかしながら、どんなものでも「違い」があるところから価値が生まれる。

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2012/08/30

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「今とここ」

目が覚めたとき「今」がいつかわからない、という所在の無さとはちょっと違うけど、僕は眠りに落ちそうなときと、眠りから覚めそうなときに、急に自分が死を間近に控えた年齢になった実感を得ることがある。もちろん、普通に目を覚ましているときでも、70歳になった自分、80歳になった自分を想像するとそれはそれで怖いんだけど、寝入りばな・寝起き中のときに思い浮かべたときの恐怖感は比べ物にならない。あれは、眠りと覚醒が入り混じっている状態で、「今」とうまく切り離されていく状況だから、感じられる恐怖なのかなと思った。

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2012/08/28

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「書かれた名前」

ちょうど今日の日中、「長嶋終身名誉監督」のことを思い出していた。社内にいかにも肩書で仕事をしているような、肩書が人間の値打ちと思っているような人がいて、その人の話題になったからだけど、もっと若い頃のほうが、「肩書がどうした」と言う勢いが強かった気がする。「長嶋終身名誉監督」というのを聞いたときも、「なんだその”終身”って!」とせせら笑った気がするんだけど、今は若干ながら”終身”を付ける気持ちというか、無暗に長い肩書にしようという感じとか、「退かなくてもいいようなことが判る名前にしないと」という理屈っぽいところとか、そういうのに理解を示せてしまう自分がいる。これは、自分が何者かを証明することに楽をしよう楽をしようと慣れていってしまっている現れに違いない。自分で自分が何者かを証明することはできない。だからといって、客観性を突き詰め続けていく果ては「肩書」になる。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「遠い記憶」

過去と過去の記憶は別物。自分のだけではない過去の記憶を連ねて交差させればさせるほど、過去の記憶によって過去に近づくことができる。これを、実際に人々と会話したりすることなく、自分の意識の中でどれだけやることができるか。それは、自分は過去の記憶を持つ大勢のうちの一である、という認識がなければできない。そして、過去は固定されたものではなく、現在の自分による「判断」によって過去は動的なものとなる。このことは、「過去は動かせない」という絶望に対するひとつの救いと成り得る。

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2012/08/27

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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 図書情報館の乾さんに、40歳の記念にお勧め頂いた『不可思議な日常』。「ゆっくり読むのがお勧めですよ」と仰られていたので、読んでいた本と慌ただしく落ち着かなかった日々がある程度落ち着いた今、一日一章ずつ読んでいこうと思います。

「鈴の音」
鈴をつけていない僕自身も、鈴同様に自分自身でコントロールすることはできない。自分が何者かは、相対する者にも依存している。相対する者がいない世界では、僕自身は何者でもないということになるのだろうか?鈴の音をどんなに鳴り響かせても、何者にも成れないだろうか?仮にそうだとしても、僕自身がいなければ相対する者もおれないから、僕自身を僕自身はどう受け止めているかを平生よく考えておくことは無駄ではない。

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2012/08/24

『独立国家のつくりかた』/坂口恭平

4062881551 独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
坂口 恭平
講談社  2012-05-18

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 ヘルシンキ行きの前後に渡り読了したんですが、その間に読んだ『家族のゆくえ』と恐ろしいほどシンクロするところがあって、痛烈なインパクトで頭に残りました。それは「考える」ということに関して。吉本隆明氏も坂口恭平氏も「考える」ことの重要性を強調されている。それも、ただ「考える」という枠に収まっているのではなく、「考える=生きる」というところまで持ちあげて語られている。効率化すること、自動化することは考えずに済むことを増やすこと。それにどうやれば対抗して生きていけるのかを、真剣に考えるだけでなく、長く深く考え続けないといけないと思いました。

 全体を通じての感想は、経済に関する論点と、精神に関する論点の二つに対しての感想に大きく分かれるのですが、経済に関する論点、態度経済について、ホームレスの方の生き方を述べる部分では、一点、大きく欠落している点があると思っていて、それは、「都市には確かになんでもゼロ円で手に入るくらいものが溢れているかもしれないが、それは誰かが資本主義経済の下で”余剰”的に生産する人がいるから成り立つもの」だということ。ある経済システムがその経済システムだけで自立して成り立つためには、その経済システムの中に「生産性」がないといけない。必要なものをタダで拾ってくる経済システムは、自立していないのでこれを手ばなしで称賛する訳にはいかないと思う。
 そこを拡張しているのがゼロ円特区ということになると思うけど、ゼロ円特区も「贈与」で成り立つ訳なので、けして自立していないし、そもそも「パトロンを持つ」ということを推奨しているし、「パトロン」という概念を金銭以外に拡張してはいるけれど、結局のところ資本主義経済からの流入に依存しているのであって、これ自体が資本主義経済に対するカウンターとなるシステムとは言えないと思います。

 精神に関する論点は、鬱状態のときの視線、「絶望眼」の捉え方は共感しました。僕は鬱ではないけれどひどく塞ぐことはあり、そのときは感性は冴えるのでひどくいろいろなものの捉え方ができるものの、生産的ではないのであまり有用な状態ではないと自分を責めていたが、この捉え方を改める契機になりそう。そして、この状態は、芸術のような領域には役に立つのかもしれないが、自分のようなふつうの社会人には必要のないものと決め込んでいたけれど、芸術と生活を切り離そうとするそのスタンスこそが問題で、芸術と生活は同一線上にあるという認識を保ち続けないといけない。「芸術」をそのように捉えることは坂口氏も本著で書いているし、『楽園への道』でも学んだことだった。

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2012/08/22

『家族のゆくえ』/吉本隆明

4334786073 家族のゆくえ (知恵の森文庫 a よ 4-2)
吉本隆明
光文社  2012-07-12

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 ヘルシンキ行のフライトで読もうと買った二冊のうちの一冊(もう一冊は『国境の南、太陽の西』)。刊行時はなぜか読む気になれなかった一冊。

 自分の精神的に非常に大きな力になったのは、「「やる」ことは「考える」ことより大切だとおもわれがちだが、わたしはそんなことは信じていない」という一節。行動を起こせていなければ、それは「口だけ」であり意味のないことだと自分を責めるようにしていたが、もちろん、行動することは大切だけれども、「考える」こともそれと同等に大切なことだと信じることがより重要だ。何も考えていない人々の群れが、社会をよくない方向に導いていく。だから、社会は人々をより何も考えない方向に導こうとする。このことに、自覚的にならないといけない。

 「本気の愛情」の下りはなかなか難しかった。本気というのは手間を惜しまないということに繋がるが、効率的であることと本気であるということは相反することになるのだろうか?企業社会では「本気」になっているように見える人たちが大勢いるが、彼らは必ず「効率」を説く。端折れるものは端折れと説く。あれは、本気のような「プロセス」をよく知っているだけということだろうか?

 「七十九歳以降の老齢実感」の章で語られる、現在の大都市の問題は、IT産業に身を置く自分にとって痛切。現在の「現代社会」で起きている諸問題が、大都市とハイテク産業における時間スピードの高速化によって、人間間の暗黙の了解と意思疎通が破壊し尽されつつあることが原因であり、これを解決するためには、ハイテク産業の歴史的役割を見出し組み入れることしかない、とする著者の意見は全くその通りだと思う。ハイテクの進化を進め、社会を更に”改善”しようとしていくことが、この現代社会の諸問題を解決することには繋がらないと思う。その弛まざるスピードアップが歴史上どういう意味を持つのかを「考え」なければならない。

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2012/08/12

『Think Simple-アップルを生みだす熱狂的哲学』/ケン・シーガル

4140815450 Think Simple―アップルを生みだす熱狂的哲学
ケン・シーガル 林 信行
NHK出版  2012-05-23

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 個人的に微妙な状況下で読み切ったこともあり、ビジネス書と思えないくらい感じ入ることが多かった。その上、自分が勤めている会社のことが、落ち着いた筆致で批判的に書かれていることもあり、それに対して腹立ちとか憂鬱とかではなく、深く考え込んでしまうことになった。

 「シンプルであること」が強力なスタンスということは、誰しも認めることだと思う。なのに、なぜ、単に「シンプル」でいられなくなるのだろう?ひとつ根底にあるのは、「孤独に対する恐怖に打ち勝てない弱さ」だと思う。人は必ず組織したい。群れたい。友達なら、多いほうがいい。そうやって輪を広げていった結果、収集がつかなくなることはよくあるし、収集がつかなくなっている集団もたくさんある。多くの人が関連した中でも、自分の意見をきっぱり貫き通せる程、どの人も強い訳ではない。かくして、「シンプルさの親友は、有能な少人数のグループだ」という結論が導かれる。
 僕にとってこの命題は、『来たるべき蜂起』を読んだ時にある程度解消されている-コミューンは分割されなければいけないのだ。一定数以上になったコミューンは、メンバーの誰しもがリーダーシップを発揮できる程度の規模にまで、分割されなければならない。これこそが、人が再び人として生命を取り戻す術なのだ。ただ、それが怖くてできないから、人は甘んじて複雑性を受け入れ、シンプルがいいことを判っていながら、複雑の存在理由をあれやこれや捻りだしては受け入れている顔をしているのだ。

 製品面で見た場合、「カスタマイズ」がひとつのブランドになっていた企業は少なくない。個人個人の趣味嗜好に応じた製品を提供できる、多品種少量生産が製造業の進むべき道だと30年前には確かに言われていたと思う。ところが事態はそうは進まなかった。個人個人はそれほど「個性」を持たなくなったのだろうか?それとも、より他と「峻別」できる、決定的な差異だけで事足りるようになってしまったのだろうか?僕はそうは思わない。時代は、状況は、より、微細な差異で差別化を図り、微細な差異を感じ取れることが、美意識に繋がるようになっていると思う。ではなぜ、スマートフォンはiPhoneだけで事足りそうに状況は進んでいるのだろうか?iPhoneは、個人個人が欲する差異の実現方法を、ユーザにとってより簡素なオペレーションである「アプリのインストール」というやり方で実装した、つまり、複雑性の実現方法をシンプル化したところに、ポイントがあったということだろうか?

 アップルのやり方は、どんな組織でもどんな状況でも使えるようなメソッドではもちろんない。その中心には「有能な人の集団」という大前提があるからだ。そして、「有能な少人数の集団」があるカテゴリでそのカテゴリを牛耳れるとしたら、その他大多数は職にあぶれることになる。だから、このメソッドは、けして人々を明るい未来に導くメソッドではない。それでもこの本の主張が悲壮な響きを持たないのは、やりたいことの規模が地球規模であれ町内会規模であれ、やりたいことにストレートに進むことの正当性に自信を持たせてくれるからだ。

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