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2012/09/09

『再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理』/ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ

4880592366 再帰的近代化―近現代における政治、伝統、美的原理
ウルリッヒ ベック スコット ラッシュ アンソニー ギデンズ Ulrich Beck
而立書房  1997-07

by G-Tools

「サブ政治」の下り、昨今の日本の大きな<政治的>課題-原子力発電の継続をめぐる、産業界と個人と原発建設地住民との対立や、オスプレイ配備問題での対立に思いが巡る。正にひとつの方向に収斂させることが限りなく困難な課題であり、工業化進展の途上=単純的近代化の過程であれば是是非非のうちに方向性を決められたものが、大局的に方向性を決めることが出来ない状況というのが、正に「再帰的近代化」なのだろうか?と思う。

専門家システムの機能の変遷も印象に残っている。「諮問」が意味を失うのが再帰的近代化の過程であり、多くの個人が共同体の中で何らかの「専門家システム」を担うことになるという説明は、現状をうまく把握する手助けになった。情報コミュニケーション構造の進展と、「格差固定」の問題も、現状認識をより強固にした。その上で、ほぼ粉砕されてしまった地域共同体のその先と、粉砕に加担した情報技術と情報社会の歴史的意味づけを考えてみなければならない。

p4「「自然的」なものはいまや「社会的」なものと徹底的に絡み合ってきているため、自然について当然視できることがらは、もはや何も存在しない」
p10「1989年がひとつの時代の終焉を象徴する日付」「共産主義世界が思いがけずも破綻した年」
p14「家庭外就労の女性が増えれば、従来からの職業や政治、家庭生活の秩序に見いだす、ゆったりとしたものごとのペースに、結果的に激変をもたらすことになる」
p20「この人たちとの認識の違いは、今日、人びとが、封建的な、宗教による超越論的な確実性から工業社会の世界への「放出」ではなく、工業社会から地球規模のリスク社会という混乱のなかに「放出」されはじめているという事実にある」
p21「さらには自我でさえも、もはや自明な自分ではなくなり、自己を語る矛盾だらけの言説へと断片化している」
p34「人びとをひとつに結合させるものではなく、人びとの緊密な結びつきを崩壊させ、問題を増殖させていく。だからたとえば、これらのモデルは、すべての男性と女性を、結婚生活の内部においても外部においても、自分自身の生活歴の主体であり立案者として、一貫して行動することを余儀なくしている」
p45「すべてが麻痺状態に陥るという危険性が存在するというおそらく唯一の理由から、誰も求めないこうした特定の「転換」を最終的に遂げていくまで、すべてのことがらを点検し、細かく切り刻み、議論し、徹底的に討論していかなければならない」
p50「再帰的近代化は、分化と解体の論理がその役割を終え、その論理を媒介と自己規制の論理と組み合わせ、対比させていった時に、おそらくはじまるのではないのか?」
p57「その仮定においては、サブシステム間の境界は、別々に、あるいは共同で、つまり、強力しあって設定されていく。言いかえれば、両義性を許容し、両義性を可能にし、境界を超越していく、多面的な意味をもつシステム形成の問題が、今日最も重要になっている」
p58「専門家の意見を聞く、諮問という従来の方便が機能しなくなっている」
p70「一方が優勢になるときもあれば、その後他方が優勢になるときもある。ヨーロッパが、単純的モダニティという、硬直した血なまぐさい国民国家的ゲームへの逆行を経験しはじめていくなかで、米国の一部の勢力は、政治的なものを創造し、政治の政治を実地に試みていく」
p107「すでにニーチェは、啓蒙主義運動それ自体が神話であることを明らかにし、それによって知識と権力に関して気がかりな疑問を提起し、「モダニティの真の意味を暴露した」。とはいえ、ニーチェは、異端思想をいだく人びとの孤独な代弁者でしかなかった。モダニティは、今日、「その真の意味の自覚」を余儀なくされている」
p116「そうした獲物に加える侮辱」
p141「嗜癖でさえもひとつの選択」
p142「日々の生活を意のままの自由な選択肢の混成物と見なすことは、心理学的現実に真っ向から対立する」
p161「専門家システムは、その取得した知識による支配の非人格性と偶然性の内在的帰結として、脱コンテキスト化していく」
p164「非伝統的文化は、究極的権威を必要としていない。けれども、このことが日々の生活にたいしてもつ意味は、さきに述べてきた要因によって真っ先に弱められていた。」
p169「日々の生活の次元で、信頼の喪失はさまざまなかたちをとりうるが、なかには抽象的システムそれ自体の存続にとってまったく重要でないものもある」
p189「今日、先進社会における地域共同体の崩壊は、その頂点に達している」
p196「価値観の衝突を解決するには、四つの方法しか存在しない」「<伝統からの脱埋め込み>、敵対する相手との<関係の解消>、<言説>ないし対話、それに<強制>ないし<暴力>」
p212「伝統社会は<ゲマインシャフト>」「単純的モダニティは<ゲゼルシャフト>」、その後に続くものは完全に再帰的となった<ゲゼルシャフト>」
p215「行為作用がその行為作用の社会的存在条件に反映し影響を及ぼしていく、<制度的>再帰性」「もう一つ、行為作用がみずからにたいして影響を及ぼしていく<自己>再帰性」
p217「「不安」の問題は、二人の概念的枠組みのなかで重要な位置を占めている」
p225「日本の産業社会学者の小池和男」
p228「低金利で高い貯蓄水準を保つ日本の労働者の性癖は、要するに産業界への融資資金となっている」
p233「共同体とは、日本の場合は企業であり、ドイツの場合は<職業(ベルーフ)>」
p234「共同体の<習俗軌範(ジットリヒカイト)>(特定の、共有された共通の習わしからなる倫理的生活)」
p236「英米の世界でこのように高度に発達したサーヴィス業の職務に就いている人びとの半数以上は、消費者サーヴィス産業で活動」「協調主義の国々では、圧倒的多数の人びとが、生産者サーヴィスで活動している」
p243「公的領域そのものがますます情報コミュニケーション構造の上に重ねあわされていくにつれ、情報コミュニケーション構造からの締め出しは、<市民権>からの締め出しに、政治的にも文化的にも市民社会から実質的締め出しになっていく」
p262「おそらく求められているのは、判断の倫理学の終焉」
p274「言語行為に基盤をおく社会言語学や会話分析は、それらが毎日の埋め込まれた社会的習わしを捨象した言表(「テクスト」、「コーパス」)を問題にしているために、批判されてきた」
p282「ブルデューには、構造が、たんに行為の結果だけではなく、行為の再帰的媒体でもあるとする「構造の二重性」の考え方」
p285「ブルデューのいう「習わしの論理」は、構造とはほとんど何の結びつきももたない」
p301「分析的には、認知的「契機」、美的「契機」、それに解釈学的、共同体主義的「契機」
p302「徹底した解釈学」
p305「構造主義は、マルクスにはじまり、デュルケムをへてパーソンズに至るまで、本質的にはその論点が<社会>構造主義にあった。それにたいして、1960年代以降、たとえばレヴィ=ストロースやバルト、ラカン、フーコーにおいては、構造主義は、言語構造主義ないし<文化>構造主義となっていった」
p307「われわれは、むしろもっと周縁的でない現象に視線を向け直したほうがよいのかもしれない」

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