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2013/02/24

『「反核」異論』/吉本隆明

B000J78L32 「反核」異論 (1983年)
吉本 隆明
深夜叢書社  1983-02


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 『「反核」異論』は未読だったのですが、書店でたまたま『吉本隆明が最後に遺した三十万字〈上巻〉「吉本隆明、自著を語る」』を立ち読みした際、『「反核」異論』の章が開いて食い入るように読んでしまい、本体もぜひ読みたいとなりました。

 『「反核」異論』は、原発の是非を世間が語り続けている今、読む価値のある一冊だと思います。吉本氏は原子力の利用について否定派ではなかった為、否、なかったからこそ読む価値があると思います。それは、原子力の利用の是非そのものについての知見を得るということではなく、『「反核」異論』という言葉を受け取ったときに何をどう考えるべきかを考えるという点において。

吉本氏の「反核」運動に対する「異論」の理由は明瞭で、

どうしてかれらは(いなわたしたちは)非難の余地がない場所で語られる正義や倫理が、欠陥と障害の表出であり、皮膚のすぐ裏側のところで亀裂している退廃と停滞への加担だという文学の本質的な感受性から逃れていってしまうのだろう?

 この一文に集約されると思います。私にはこの文章に何かを付け加えることは全くできません。自分なりに言い換えようと思っても言い換えることすらできないくらい、隙のない、それでいて今まで私が思ってきたことを代弁してくれている一文です。

 そしてもう一つ、その「反核」に対する反対表明について、

文学者の反核声明はだめだと思うんだけど、あれをだめなんだという批判と否定を組織してはいけないということです。つまり、反核声明を批判するのはひとりひとりでやらなきゃいけないと思う

 これで本当に充分だと思います。誰も反対することが出来ない、安全地帯と免罪符を振りかざし賛同を強要し徒党を組む行為というのが、「退廃と停滞への加担」だと切って捨てる気風や気概は、苦しく険しい道に違いないけれど、自由への道というのはそこにしかないと思う。吉本氏がこのとき「反核」に異論を唱えた理由は明瞭で、「反核を言うなら、なぜソ連にも言わないのか。なぜアメリカだけなのか。」「ソ連が仕掛けた「反核」運動は、ポーランド「連帯」弾圧を隠すためのものだというのがなぜ判らないのか」ということ。
 東日本大震災以降の日本で、例えば「反原発」と言うのは容易いことではないし、反核と反原発は共通点もあるが異なる文脈でもあります。でもそこでもし「反原発」に批判の余地がもしあったとしたら、それはやはり声をあげないといけない。「反原発」と同じように、「エコ」とか、「もったいない」とか、「ロングライフデザイン」とか「コミュニティ」とか、そういったものに繋がる可能性を孕んだお題目は、現代の日本にも氾濫していることを、忘れてはいけない。

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2013/02/18

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「台風の夜」
自分の立場や責任を自覚するタイミングを、クリアに覚えていることは稀なのではないだろうか。自分自身はなかなかそういうタイミングの記憶がない。もしあっても忘れているだけかもしれないが、忘れるということはやはりそれほど重要ではないと思っているということだろう。唯一、転勤を命じられそうになった昨年の出来事で、自分にとって何が大事か考え抜いたということが、少しだけ自分を変えたと思っている。

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2013/02/12

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「さまざまな二月」
場所や土地が呼び起こす記憶は多いのに対して、多々の記憶を呼び起こす特定の日時はあまり思い当たらないことに気付く。毎年必ず大きく体調を崩す月として心に留めている三月くらいかも知れない。この日はこの場所に必ず立つ、という習慣をもし持って十数年生きてきていたら、ずいぶん面白かったのかもしれない。

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2013/02/11

『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』/J.K.ローリング

4062180227 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 1
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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4062180235 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 2
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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言わずと知れた『ハリー・ポッター』のJ.K.ローリング初の現代小説。『ハリー・ポッター』シリーズは映画は何作か観たことありますが小説は一作も読んでないのですが、映画と、ニュースやウェブなどから様々に漏れ聞こえる情報だけでもわかるファンタジー界の綿密なる創り込みで作品の面白さを組み上げている著者が、ファンタジー界を用いなくても面白い物語を描いているのか?という興味で読みました。

物語の主軸は、街を二分する区域-パグフォードとヤーヴィルのいがみ合いのような地方政治。「住人の三分の二近くは全面的に公に頼って生きている」フィールズというエリアが、元はヤーヴィルに所属していたがある時パグフォードに組み込まれることになり、パグフォードの住人はフィールズをヤーヴィルに突き返すことを宿願としている。そんな折、パグフォード内でフィールズの擁護派だったバリー・フェアブラザーが急死、議会に<突然の空席>が生じた-。

と、中心軸は国を問わず判りやすい筋を置きつつ、両地区の住民・家庭を多数登場させて、海外ドラマの展開さながらにストーリーが入り乱れます。親、子、夫、妻、義父義母、同級生、ケースワーカー、議員、その他もろもろ入り乱れます。このストーリーのひとつひとつが人間臭いし、話の展開の仕方もとても丁寧で、海外文学によくある「読んでるうちに場面が変わってて置いてけぼりにされてる」というようなことは全くなく、さすがは希代のストーリーテラーと言ったところですが、そのストーリーテリングのテンポの良さでどんどん読み進められるものの、作中で起きるイベントそのものはそれこそ日常生活でも聞いたことありそうなもので、リアルではありますが、「人生のなんたるか」みたいなことを考える向きではないです。これだけのエゴを連続して食らわされるような構成であっても、これは娯楽小説として読める類の作品で、エゴ塗れになって深淵を覗きたいなら『明暗』のほうが数倍覗けます。

個人的にはファッツに関する筋がいちばん興味深かった。それはもちろんクリスタルが絡むからでもあるし、アンドルーの(ある種の)健気さが若干虚構じみているように感じるからでもあるけれど、「オーセンティック」で一括りにしてしまう、「美学」を気取った価値観の描写が流石児童文学の名手と思わされたからだ。
そしてもう一つ、フェイスブックとSQLインジェクションがさも日常というふうに物語に登場したのには少し驚いた。著者がどれだけITに造形が深いのかは調べていないけれど、日本の小説やドラマでITが出てくるときのぎこちなさは全然感じなかった。

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2013/02/07

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「新年の朝」
どういう記憶を取捨選択するのかにフォーカスするのではなくて、残った記憶から自分がどういう人間かを見つめ直すほうが前向きというのは感銘を受けた。なるほど。自分もどちらかと言うとうまく行かなかったことばかりが記憶に残っていて、減点思考の人間なんだなと、悪いこととは思わないがいい気分でもなかったが、そこに色をつけるのではなく、フラットに使えばよいということに気付いた。

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2013/02/06

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「においの記憶」
においが記憶を引き出すというのは、結構多くの人が同感することなんじゃないかと思う。記憶がにおいを呼び起こすというのも。においは目に見えるものよりも耳に聞こえるものよりも、はるかに存在感の大きいものだと思う。日本はデオドラント文化と言われるが、出る杭は打たれる風潮と繋ぎ合わせて考えてみると、においを殺そうとする習性に深く納得してしまう。

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