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2013/11/17

『すばらしい日々』/よしもとばなな

すばらしい日々
すばらしい日々 よしもとばなな

幻冬舎  2013-10-24
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よしもとばなながこれまで繰り返し言っているのは「今日一日を大切に生きよう」というシンプルなことで、逆にこれ以外のことはほとんど言っていないと思う。「今日一日を大切に生きる」というテーゼは誰でも思っているし誰でも言える簡単なテーゼだけど、それを芯から納得できるように言葉で伝えるのはほとんど誰もできない。よしもとばななは物語でそれをやってのける上に、エッセイでもそれをやってのける。

いちばん心を打たれたのはやはり「血まみれの手帳」という、父・吉本隆明の遺品である、血糖値をメモした手帳を譲り受けた件を書いたエッセイ。眼が見えなくなっていてもメモを書き付け続けた父の孤独な闘いが、よしもとばななをいつか支えるんだというこの話は、自分はどういうふうに生きていけばいいのかを考えるとても大きな助言になる。
できることなら自分も、考えることをやめないで、思うことをできる限り正確に伝えられるように自分を鍛錬し続けていきたいと思う。生きていくために働くことが必要であるなら、働いているフィールドにおいても、できる限り正確に話し、正確に伝えられるように研鑽していきたい。そう思うことは、その日一日を大切に生きることに繋がっていると思う。ただそれには途方もない精神力が必要だけれども、その精神力の立ち上げの助けになってくれるのが本著だと思う。

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2013/11/10

『数字を追うな 統計を読め』/佐藤朋彦

4532355761 数字を追うな 統計を読め
佐藤 朋彦
日本経済新聞出版社  2013-09-21

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確か日経新聞の書評だったと思うのだけど、「公開されている統計情報でも十分に深い知見を得ることができることを教えてくれる」と書かれていたので興味を惹かれ購入してみました。通読した感想としては、公開された統計情報を使ってデータ分析をするスキル・技法の解説書ではないので、そういった点に期待すると肩透かしかもしれませんが、「統計」に向き合う際の姿勢を学ぶのによい一冊だと思います。「統計」という言葉の来歴など、統計周辺の予備知識が豊富に語られています。

本書で紹介された統計の中でいちばん印象に残っているトピックは、統計としては「世帯主の年齢階級別「うるち米」購入量の前年同月比」の話でした。1993年の平成コメ騒動の際、その当時の40歳代、いわゆる「団塊の世代」だけがうるち米の購入量増加率が増えなかったという統計結果で、「昔から団塊の世代が動くと世の中で大きな動きになると言われていたが、やはりこの世代は他の世代とは何か違う動きをしている」というコメントが添えられていました。

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2013/11/04

『海辺の生と死』/島尾ミホ

海辺の生と死 (中公文庫)
海辺の生と死 (中公文庫) 島尾 ミホ

中央公論新社  2013-07-23
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『死の刺』に登場するミホが作品を残していることも知らなかったし、解題を吉本隆明が書いていると知ったのもあって、書評で見かけて即購入。でも、タイトルに「死」がついているし、やっぱり『死の刺』のミホが書いたものだと思うと読む前からどんよりしてなかなか手をつけられませんでした。
しかし読んでみるとけして「生と死」から連想する澱んだものではなく、ミホの故郷である奄美大島の習俗や暮らしがのびやかで心優しい筆致で描かれていて、ミホとその父母の大きな心の在り様に魅せられました。「生と死」は、島で起きるあらゆることに、例えば牛の眉間を斧で打つというような、そういう一切にタブーを設けず受け入れる姿勢を端的に表したタイトルだったのです。

コミュニティが確立している、南の小さな島に入れ替わり立ち代わり本土など外部から一時的にコミュニティにやってくる。この「外部からやってくる人たち」との交流と、話の序盤で語られる頼病患者の死の話や牛の話、子山羊の誕生の話とが不思議な交歓を生む。ここを吉本隆明が解題してくれていて、これらが「聖」と「俗」の物語になっている、という。そして、「聖」と「俗」は元来一体のもの。切り離すことはできず、あるのは「聖」と「俗」から離れた外部だけだという。島尾ミホは、そのことを意識のうちに入れて、「生と死」というタイトルを与え、序盤に頼病や牛のと殺や山羊の誕生を配置し、中盤に不安な夜の回遊と旅の者という「外部」との交流を、そして終盤に、島民全員から崇め奉られる、(これも外部からやってきた)特攻隊長の夫島尾敏雄との出会いを配置したのだろうか?この朗らかで屈託のない調子は、そういった「構成」の作為が働いているとはどうしても思わせない。
この吉本隆明の「聖」と「俗」は切り離せず一体となってやってくるものだという解説は感覚的によくわかり賛成できる。現代に生きていると、「聖」はどこまでも「聖」であって、その対極に「俗」がある、というのが極めて疑いようのない常識的なことだという認識になるけれど、実は「聖」と「俗」は切り離せない。もし、何かの形で序列をつけなければならないとしたら、日常生活の柵を抜け出そうとしない自分自身の弱さを底辺に置くべきであって、そこから逸脱し超越しようとするものはすべて「聖」であり「俗」であるということだと思う。作中、ミホが「俗歌」を歌ったことを母に窘められ縮こまったことが脳裏に浮かぶ。

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