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2013/12/22

『イエスタデイ』(文藝春秋2014年01月号)/村上春樹

B00GUP6QYS 文藝春秋 2014年 01月号 [雑誌]
文藝春秋  2013-12-10


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村上春樹を読むとき、僕はいつも「自分がわからないことはどれか」と探しながら読んでいる。ストーリーももちろん楽しめるのが村上作品だけれども、ストーリーの姿を借りて伝えようとしていること-より正確に言うと直接表現するのではなくてストーリーの姿を借りることでしか伝えられないこと-をできるだけ見つけられるようにと思いながら読んでいる。自分がわからないこと、つまり自分は知らないことなのにそれに気づくことができるというのは矛盾だけれども、それができてしまうところが読書の面白さであり凄さでありありがたさと思っている。
そういう意味で言うと本作は、書き下ろし新刊と違って、それほど村上春樹に熱心ではないような人、もっというと普段小説なんてあまり読まない人が読む可能性をよく計算に入れた小説だったと思う。比較的、「読んで分かった」気になりやすい構成になっていると思う。東京生まれの関西弁使いと、関西生まれの標準語使い。お互い、田園調布と芦屋という、世間的には裕福な世帯と受け取られる土地ながら実のところそれほどでもなく至って普通の所帯、という設定が何を言わんとしているかは比較的容易に頭に浮かぶし、栗谷えりかとの奇妙な、というよりは主人公の友人で栗谷えりかと「つきあっていることになっている」木樽の作為的な三角関係とその顛末で指し示そうとしていることもすんなり頭に浮かぶ。
僕はこの物語を、何が普通で何が普通でないのかの基準云々を考えることについての契機としてではなく、昨日は二度と帰ってはこない、けれど昨日を思い出せることは人生に不可欠なことであるという教示を得るものでもなく、明日のことは誰にもわからないのだから今を大事に生きるべきなのだという気概を読み取るのでもなく、やっぱり「言葉」についての単純な一言に引っかかったまま読み終えた。

「大事なときに適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。住む場所が変わっても、話す言語が変わっても、こういう根本的な問題はなかなか解決しない」

だから、谷村が「語気がいくらか荒くなって」言ったことが、谷村にとって大事なときの適切な言葉だったのかどうかは、わからない。

p408「大事なときに適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。住む場所が変わっても、話す言語が変わっても、こういう根本的な問題はなかなか解決しない」

p415「それのいったいどこがいけないんだ?今のところ誰にも迷惑をかけてないなら、それでいいじゃないか。だいた、今のところ以上の何が僕らにわかるって言うんだよ?」
p420「決めの台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ」

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