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2013/12/31

『人びとのための資本主義』/ルイジ・ジンガレス

人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す
人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す ルイジ・ジンガレス 若田部 昌澄

エヌティティ出版  2013-07-26
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・アメリカは「縁故主義」(クローニー資本主義)が蔓延している。アメリカにおける縁故とはロビー活動である。ロビー活動に大金を使える、大企業を利する経済政策が行われている。
・これを正すにはクラスアクションをより簡便に、活発にする仕組みを組み込む必要がある。もう一つは企業のロビー活動に対する累進課税。
・租税裁定取引を避けるための方策は、個人所得税とキャピタルゲイン税を同等に取り扱うことだが、その際発生する問題は、法人税率の修正で解決できる(法人もキャピタルゲインを得る際には課税されている)。
・未払いの短期債務に1%の課税をすれば、上位9行だけで年額2150億ドルの税収が得られる。これは年収三万ドル以下の家庭6500万世帯からの総徴税額に等しい。

上記の趣旨とアイデアはよく理解できたし特に租税に関してはなるほどと納得したのだけれど、何とも違和感を覚えながら読んだのはアメリカの医療保険制度に対する批判の部分。

社会保障制度がネズミ講と批判されている部分、これは日本の年金制度と全く同じことだと思う。でもその後、医療保険に関して大きな欠陥があると批判している部分はうまく納得できなかった。アメリカは、保険が存在しないから、医療費が高額になるので風邪をひいても病院に行かない人が多いという話じゃなかったっけ?そして、医療保険の実質コストが支払人から隠されていると批判されているが、これは日本でも同じではないか?ということ。

後者はよく考えてみれば隠されているから高齢者がむやみやたらと通院するところから見てその通りなのかも知れないが、前者は正反対のことを言っていてそのままにはしておけない。

日本も会社員は企業の組合健康保険に加入していて、本人と企業が保険料を支払っている。じゃあその組合に国から保険料が支払われているか?というとNoだというのが私の知識。しかし調べてみると、国民健康保険に関しては国庫負担が30%~50%の幅で存在した。この国民健康保険への投入税金は、国民が広く分担していることになるので、会社員の我々にしてみれば、もし自社の健康保険組合が税金投入を受けていなければ、自分たちが便益を受けないサービスに対して負担を負っていることになる。これがフリーライダーの一種ということか。

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2013/12/22

『イエスタデイ』(文藝春秋2014年01月号)/村上春樹

B00GUP6QYS 文藝春秋 2014年 01月号 [雑誌]
文藝春秋  2013-12-10


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村上春樹を読むとき、僕はいつも「自分がわからないことはどれか」と探しながら読んでいる。ストーリーももちろん楽しめるのが村上作品だけれども、ストーリーの姿を借りて伝えようとしていること-より正確に言うと直接表現するのではなくてストーリーの姿を借りることでしか伝えられないこと-をできるだけ見つけられるようにと思いながら読んでいる。自分がわからないこと、つまり自分は知らないことなのにそれに気づくことができるというのは矛盾だけれども、それができてしまうところが読書の面白さであり凄さでありありがたさと思っている。
そういう意味で言うと本作は、書き下ろし新刊と違って、それほど村上春樹に熱心ではないような人、もっというと普段小説なんてあまり読まない人が読む可能性をよく計算に入れた小説だったと思う。比較的、「読んで分かった」気になりやすい構成になっていると思う。東京生まれの関西弁使いと、関西生まれの標準語使い。お互い、田園調布と芦屋という、世間的には裕福な世帯と受け取られる土地ながら実のところそれほどでもなく至って普通の所帯、という設定が何を言わんとしているかは比較的容易に頭に浮かぶし、栗谷えりかとの奇妙な、というよりは主人公の友人で栗谷えりかと「つきあっていることになっている」木樽の作為的な三角関係とその顛末で指し示そうとしていることもすんなり頭に浮かぶ。
僕はこの物語を、何が普通で何が普通でないのかの基準云々を考えることについての契機としてではなく、昨日は二度と帰ってはこない、けれど昨日を思い出せることは人生に不可欠なことであるという教示を得るものでもなく、明日のことは誰にもわからないのだから今を大事に生きるべきなのだという気概を読み取るのでもなく、やっぱり「言葉」についての単純な一言に引っかかったまま読み終えた。

「大事なときに適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。住む場所が変わっても、話す言語が変わっても、こういう根本的な問題はなかなか解決しない」

だから、谷村が「語気がいくらか荒くなって」言ったことが、谷村にとって大事なときの適切な言葉だったのかどうかは、わからない。

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2013/12/10

今日の数字3つ

  • 2012年の後期高齢者人口は約1,600万人、2025年には2,100万人
  • 2000年の介護費用は約3.6兆円、2012年は約9兆円、2025年には約20兆円と予想
  • 2000-2002年の介護保険は約2,000円、現在約4,000円

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2013/12/08

『41歳からの哲学』/池田晶子

4104001066 41歳からの哲学
池田 晶子
新潮社  2004-07-17


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41歳の今、どういう訳か中途半端な「41歳」からの哲学、というタイトルを見つけて即借り。2004年の本なのでちょうど10年前。取り扱っている出来事も『バカの壁』や年金法案、デジタル放送や北海道地震等々並んでいて近過去を振り返るいい材料でもありました。特に北海道地震に際しての下りについては、東日本大震災を経た今、著者がどんなことを地震に対して言うのかとても興味があるし、たぶん深刻な被災者ではないと思われるので、本当に東京に大地震が起きて被災した際に何を言うのかにも興味があるが、それ以上に「北海道地震のときよりも東京での大地震の実感が高まった」のかどうかとそれについてどう言うのかに興味があります。

さて本著については頷けるところと頷けないところがはっきり別れ、しかも頷けるところも頷けないところも非常に大きいのが印象的でした。しかも頷けるところは主に「生死」に関するところ、頷けないのが「テクノロジー」に関するところ、というのが面白い。
  • 死は観念でしかない。自分の死は体験できないのだから、動物には死は存在しないし、死を恐れてもいない、人間は観念として自分の死を所有している。この説明は、今までいろんなところで触れているはずなものの、最もすとんと頭に入ってきた説明だった。
  • 「おそらくそれは、大学紛争のせいである」大学がなぜ愚者の楽園になったのか、そして大学では学問を教えるのではなく商売の仕方を教える、または商売そのものをしろというようになったのか、その原因を「大学紛争のせい」と断定している。これはその通りだと感じる。その通りだと感じる理由は本章で続けて書かれている通り、「反体制と金もうけとが、どんなふうにアウフヘーベンされたものか、一度きっちりと自己批判して頂きたい」ということに尽きる。自分たちで学問を破壊しておいてその反省もないから大学は愚者の楽園になるより他になかったし、学問を破壊するような、学問の価値を分からない人間だからこそ大学に対して「役に立つこと、つまり金もうけに直結することをやれ」としか言わない。
  • デジタル放送にしろケータイにしろ電子メールにしろおよそ新しいテクノロジを「不要」「人を馬鹿にするだけのもの」と切って捨てているが、私はこの手の言い分は間違いだと思う。それならば書物だって不要だとされた時代があったのだ。言葉は人の口から出てくるものだけが言葉そのものであって、書き残す言葉というのは何事か、と。それにテクノロジが不要だというなら人間の歴史の中で火ですら、無かった時期と使い出す時期の境目はあり、そこでは火の使用に対する抵抗があったはずだ。自分たちが生きる時代に新しく生まれたテクノロジにのみ要・不要を向けるこの手の言い分は間違っていると思う。
  • この本の一番の問題点は「言葉は交換価値ではなく価値そのもの」という部分。これは記号論から学んだ知識と激しく対立する。敢えて記号論を持ちださなくとも「言葉は言葉自身で価値を持つ」という言い回しそのものに危ういものを感じずにおれない。あるものがあるものそのもので価値を持つという考え方は、言葉に対しても当てはめるべきではないと私は思うので、その理由付けを記号論関連書籍を再読しながら考えたい。

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