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2014/04/13

『1971年 市場化とネット化の起源』/土谷英夫

1971年
1971年 土谷 英夫

エヌティティ出版  2014-01-17
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変動相場制への移行を導いたニクソン・ショックと、インテルの世界初マイクロプロセッサ発売の1971年。著者はこの2つの出来事を現代に至るエポック・メイキングとして、1971年を「市場化とネット化の起源」とする。IT業界に身をおいているのに恥ずかしながらマイクロプロセッサが世に登場したのが1971年と知らず、ニクソン・ショックと同じ年にマイクロプロセッサが登場していたんだという事実に少々感動してしまいました。確かにこの2つの出来事が、(良し悪しは関係なく)現代の世界のかなりの部分のベースであることは否定できないので、「起源」という著者の表現は彗眼と思います。

著者は成長のない経済は成立しないという趣旨で話を展開していると思います。また、その反証として「オキュパイ・ウォールストリート」もいつの間にか下火になったという現実を冷徹に記載しています。それと、ハイエクの「合理的な経済を実現する統合的な一つの知は存在しない」ので、多様な不完全な知の集合が全体として合理性に近づく、という趣旨を最後に展開するのですが、IT業界に身を置く私としては、1971年のマイクロプロセッサ登場とともに始まり、何度も何度も「全能」を唄いながらキャパシティ不足や処理能力不足で不完全なもので終わってきたデータ分析が、昨今、いよいよビッグデータという言葉とともに(少なくとも市場(マーケット)的には)完成形を迎えつつあるように見えるなかで、「多様性」は今後も求められるのか?その辺りが次のエポックと考えて、読むテーマを意識していかなければいけないのかなと考えています。

p6 この年、シリコンバレーで、インテルという設立間もない半導体メーカーが、世界初の汎用マイクロプロセッサ4004を開発し、売り出した。日本の電卓用に開発されたMPUだった。

p16 日本の政界も、野党はこぞって北京政府支持であり、自民党内は親中派と親台派に分かれていた。市場としての将来性では、人口でも広さでも台湾は大陸にかなわない。経済界でも北京政府との国交正常化を求める声が強まっていたい。「親台派の佐藤政権では国交回復は無理」というのが、政権攻撃の決まり文句のひとつになっていた。

p36 まさか佐藤は思ってもいなかったはずだ。71年中に外貨準備が108億ドルも増え、年末には、152億ドル(前年末残高の3・5倍弱)に達しようとは。

p50 中ソ間は60年代後半から緊張が高まり、69年春には、シベリアのアムール川の支流ウスリー川に沿う国境地帯で両国軍の衝突が繰り返され、中洲のダマンスキー島(中国名、珍宝島)の領有を争う激しい戦闘があった。中ソ両国とも北ベトナムを支援していたが、両国の足並みの乱れを突くことで、北ベトナムの戦力を殺げるかもしれない。

p65 ニクソンが投機家を封じ込める、として打ち出した政策だが、その帰結は固定相場制を崩し、変動相場制という、投機家が縦横に活躍できる舞台を用意することだった

p96 行天は、3月の初めにバーンズFRB議長が、こう言ったのを覚えているという。「変動相場制は必ずや人類に不幸をもたらすであろうし、この制度はいったん始まったら終わらせることは困難で、短くとも数年、長ければ一世紀続く可能性があると思う」

p101(レオ・メラメド)一家を救ったのは、リトアニアのカウナス市にあった日本領事館の領事代理、杉原千畝だった。日本の通過ビザを求めて早朝から領事館に殺到するユダヤ人難民に、孤軍奮闘して次々ビザを交付し、約6000人の命を救ったことはよく知られている。メラメド一家も、杉原の命のビザで生き延びなければ、ホロコーストの犠牲になった600万人のユダヤ人と同じ運命をたどるところだった。ビザの手数料は1ドルだった。

p114 エネルギーの大半を輸入石油に頼っていた日本の場合、それまで1ドル=260円台で推移していたのが、石油急騰を期に経常収支は赤字になり、インフレが高進し、(狂乱物価と呼ばれた)円相場は下落して一時は300円を割った。日銀は、円相場を支えるべく大規模な、円買い・ドル売り介入を行った。一年間に70億ドルのドル買いをした前年とは、様変わりだった。

p145 紀伊国屋文左衛門が江戸で色旗を振って米相場を伝えたのが、旗振り通信の最初という言い伝えもあるが真偽は不明。角屋与三次という人は、人夫を大阪から、奈良街道が通る生駒山地の暗峠まで走らせ、目印になる松のところで、赤い装束の手信号で相場を合図させた。それを郡山の問屋の二階から遠眼鏡で見て、相場を人より早く知ることで大もうけしたという。

p163 スミスは、博愛心ではなく利己心が、世間を豊かに便利にしている、と冷めた目で観察していた。さらに分業と市場の関係にも踏み込んでいく。「分業は交換の力によって生まれるものなので、分業の程度も交換の力の強さによって、言い換えれば市場の大きさによって成約される」

p182 ところが、いま振り返るとモンクスの期待は外れたようだ。金融規制は強化されたものの、ウォール街は傷を癒して金融機関の収益は回復し、グリードも相変わらずで、高額ボーナスが復活した。一方で、世界に広がるかに思われた「ウォール街を占拠せよ」運動は、いつの間にかしぼんでしまった。

p195 彼女(サッチャー)は、オクスフォード大学の学部生のころに、ハイエクの『隷属への道』を読んで感銘を受けたという。この本は、ハイエクの著作で唯一、一般向けといえる本で、第二次大戦中の1944年に出版され、英米でベストセラーになった

p219 ハイエクは、合理的な経済秩序を気づくのに必要な知識は、統合された一つの知識体系としては存在しないという。それぞれの個人が所有する、不完全で、しばしば相矛盾する断片的な知識としてのみ存在している。それらの、時と場所の特殊な状況についての知識が、部分的に重なり合うことで、情報がすべての人に伝達され、全体として一つの市場として働くというのだ。

p228 中国共産党が大学の教師らに、学生と話してはならない7項目の禁令「七不講」をひそかに通達したと言われる。①人類の普遍的価値②報道の自由③公民社会④公民の権利⑤党の歴史の誤り⑥特権的資産階級⑦司法の独立

p229 アレクシス・ド・トクヴィル『旧体制と大革命』

p231ケネス・ポメランツ「グレート・ダイバージェンス」

p231マーティン・ウルフ「グレート・コンバージェンス」


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