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2014/04/20

『地図と領土』/ミシェル・ウェルベック

地図と領土 (単行本)
地図と領土 (単行本) ミシェル ウエルベック Michel Houellebecq

筑摩書房  2013-11-25
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あまりの要素の多さに頭が全く追い付きませんでしたが追い付けなくても大興奮のおもしろさでした。サムソンとかコマツとか固有名詞を挙げ、しかもマニュアルか新聞記事かと思うくらいの細かさでの描写も、リアリティの追求ではなくて消費社会・市場主義社会の批判がダイレクト。ただ物語の筋が消費社会・市場主義社会の批判ひとつだけではなくていわば複々線的なので文字通り息をつく隙がない。シナリオがメインとサブというのではなくて全部が並び立っている小説は日本の小説だとあまりない気がします。

感想にどのエピソードを取り上げればいいのか迷うんですが、そうは言ってもやはり「消費社会・資本主義社会の批判」というのが私にとっては最重要。ジェドがアートの世界で成功を収めたのも、あの凶悪な犯罪者の動機も、僻地-と呼ぶのがはばかられるなら田舎または郷土-の復権も、大学で学問を熱心に学ぶ女性学生も、そしてジェドの父親さえも、皆結局は市場主義の仕組みとルールを理解し、それに則っているだけだという結論に収斂されていきます。タイトルの『地図と領土』、領土は現実のもので地図はそれを模したもの、そしてジェドは終盤「<世界>を説明したい」という言葉を呟きます。著者の市場主義の様々な事象を具に記憶する観察眼と、そこから齎される「諦念」が徹底しているので、「市場主義社会というひどい世界に今我々は住んでいる」というような読後感を残すものではないのですが、かと言って(小説というのはもちろんそんな役割を受け持つものではないと思いますが)「現代の市場主義社会のその先」を発想するところはないので、深く考えこむとその点に少し物足りなさ・寂しさを覚えるところです。

私個人は、市場主義社会が持つ歪に対抗できる単位は「時間」ではないかと思っています。何に時間をかけているのか。でもこれは「かけた時間が価値なのか」「価値の創出には効率性の観点でかける時間が少なければ少ないほどよい」という2つの概念が堂々巡りで戦うことになります。



p74「われわれだって、『頑固者(デチユ)(非ヘテロセクシャルのための月刊誌、1995年創刊)』には記事が載らなかったじゃないか。」

p76「田舎がふたたび<トレド>になったという事実に収斂していた。フランス社会は、ジェドの展覧会のヴェルニサージュに続く数週間のあいだに、主要な新聞雑誌の記事をとおしてにわかにその事実を自覚したらしかった。そしてまさに、だれの注意もひかない実用品だったミシュランの地図は、その数週間で、リベラシオン紙が恥ずかしげもなく「郷土のマジック」と呼ぶことになるものへの特権的な入門手段とみなされるようになる」

→「里山主義」


<<<何に時間をかけるのか>>>


p145「ときおりジェドもスイス製品、アルバのカメラか、あるいは腕時計を買おうかと思うことがあった。だが通常の製品の五倍もするのを見て、早々にあきらめた。2010年のいま、<大満足>したい消費者にとって最良の選択は、何といっても韓国製品を選ぶことだった。

p153「これまで完璧な商品に三度、めぐり会ったことがあります。パラブーツの靴<マルシュ>、キヤノンのプリンタ一体型ノートパソコン<リブリス>、そして<キャメル・レジェンド>のマウンテン・パーカ。どれも、わたしが心から愛した品で、寿命がきてもまた同じ品に買い換えて一生、使い続けたいと思っていたくらいなんです・・・わたしは幸せな消費者でした」(ウェルベック)

p164「気の毒なこの人物は、工作機械メーカーのコマツの従業員」「ひどい財政緊縮のおかげで、彼はたったひとりボーヴェまでやってきて、怒り狂う顧客とプログラミングに欠陥の生じた機会の相手を務めている」


<<<説明的でもおもしろい文章>>><<<攻殻機動隊>>>


p168「おそらくそれは、極東の物書きは伝統的にメタファーをふんだんに用いるものとする紋切型を逆手に取った皮肉でもあるのだろう(ウォン・フー・シンは何よりもまず詩人でありたいと願った人物だった)

p174「結局のところ市場は常に正しく、市場にとっての善は世の中にとっての善と一致するのだという絶対的な、揺るぎない確信がある」

p189「いまの時代は何もかもが市場での成功によって正当化され、認められて、それがあらゆる理論に取って代わるというところまできている。それよりももっと遠くを見ることはだれにもできない。まったくできないんだ。」

p200「もっともこれはすでに何十年も主流をなしていて、ル・コルビュジエやファン・デル・ローエ以降、建築には何も起こっていなかった。」

p203「そこで激しく批判したのは、ファン・デル・ローエー彼は空っぽで可動的な構造を提唱していた。その後、企業の<オープンスペース>のモデルとなったものと同じだー、そしてとりわけル・コルビュジエだった。ル・コルビュジエは倦むことなく、強制収容所的な、まったく等しい小部屋に分割した空間を作り続けていた。」

p206「「ウィリアム・モリスはラファエル前派と近かった」父がふたたび語り出した。」「面白いのは、バウハウスを創始した時点ではグロビウスも、まったく同じ考えに立っていたということだ。」「まさしくウィリアム・モリスの考えたことと同じだ」

p207「ウィリアム・モリスの思想は、ル・コルビュジエの影響であらゆる装飾的形態がタブー視されていた状況からわれわれを解放してくれたのだ」

p230「人生はときにチャンスを与えてくれるが、あまりに臆病だったり優柔不断だったりしてそれをつかめなければ、配られたカードは取り上げられてしまう」

p241「モリスの物の見方が多少わかりますよ。1889年にエジンバラで行われた講演の一節です。

要約すればわれわれの芸術家としての立場は以下のとおりである。われわれは商業的生産によって息の根を止められた職人仕事の最後の代表者なのだ」

p243『戦闘的な、高邁な活動は、一見無私なものであっても、私生活上の問題の埋め合わせであるという考え方には、わたしは常に嫌悪感を抱いてきました。何とも不快な考え方ですが、しかしそれにはまたかなり信憑性もあるんですね・・・」

p244「ウィリアム・モリスにとって最重要の原理は、中世にそうだったのと同じく、構想と制作を決して切り離すべきではない」

p245「ウィリアム・モリスが提案した社会のモデルは、だれもがウィリアム・モリスのような人の住む世界では少しもユートピア的ではなかっただろうと」

p278「それまで彼はセクシュアリティを肯定的な力として捉えていた。それは結合の源であり、快楽の分かち合いという無垢な方法によって人間のあいだに融和をもたらすものなのだと思っていた。だがいまやそこにもっぱら、支配のための闘争、暴力的な戦い、ライバルの排除、そして遺伝子の伝搬意外には何ら意義をもたない交接を無闇に繰り返す営みを見出すようになったのである」「だがまさにその圧倒的な単調さこそが、正真正銘のリアリズムの匂いをもたらしていた」

p280「話をするという手段を選ぶものはほとんどだれもいない」

p300「彼女も心の底では知っていたのだが、金を稼ぎたいから、できるだけ多くの金を稼ぎたいからというものだった」

p306「現在のペースで用いるなら、満杯になるまで七千年かかった計算になる」

p315「父はいつだって義務感の強い男であり、父の人生で真に重要だったのはつまるところ仕事と義務だけだった。「自らの家で道徳的主体を殺してしまうとしたら、それはこの世界から自分に可能な限りにおいて道徳性を追い払うことにほかならない(カント『人倫の形而上学の基礎づけ』)

p325「ところがー彼としては初めてのことだったがーいまやそれは漠とした倦怠感しか引き起こさなかった」

p340「<バビロンFKKリラックス=オアシス>は到底これほどの活況を呈してはいなかった。苦痛と死の商品価値のほうが、快楽とセックスのそれを上まわってしまったのだ」

p345「ホテルに戻って、彼はこの暴力的一幕で自分がしゃんとなったことに気がついた」

p361「「意味のないものに意味を見出そうとすべきではない」。彼ははっきりとは意識せずに、ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の結論と同じことを口にしていたのである」<わたしが語ることのできないものについて、わたしは沈黙を余儀なくされる>

p365「招待状やメールに返事することさえ怠るようになり、その結果二年もたたずして彼はふたたびあのやり切れない孤独の縁に沈んでいた。しかしそれは仏教思想における「無限の可能性に富む」無のごとく、彼にとっては不可欠かつ豊かなものと思えた。ただし現在のところ無は無しか生み出していなかった」

p372「フランスの田舎でよそ者はいつになったら受け入れてもらえるかと問うならば、受け入れられることは<決してない>というのが答えである。そこで現れ出るのは人種差別や外国人嫌いではいささかもない。」

p378「彼は幾度もインターネットに接続して、ホテルやレストランの主人、その他サービス業者とやりとりしたが、一切はシャトリュ=ル=マルシェの村を横切ったときに彼を瞬時に捉えた第一印象を裏付けるものだった。そう、この国は変わった、根底から変わったのだ。親子代々地方にすいんでいた人々はほぼ完全に消失していた。都会から新たにやって来た、起業への強い意欲、そして穏やかなエコロジー的信念を備えた人々がそれにとって代わっていた。彼らは<僻地>にふたたび住民を取り戻そうと企てていたーそれまで多くの試みが失敗に終わっていたのに対し、このたびの企ては市場法則についてのしっかりとした知識に基づき、それを自覚的に受け入れることで、見事な成功を収めていた」


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