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2018/10/26

『城下の人 新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争』/石井真清

読売新聞の特集記事で知った一冊。石光真清という人も新風連という団体も知らなかったのだけど、記事で引用されていたこの文章で読まないといけないと強烈な印象を抱いた。

「いつの世にも同じことが繰返される。時代が動きはじめると、初めの頃は皆同じ思いでいるものだが、いつかは二つに分かれ三つに分れて党を組んで争う。どちらに組する方が損か得かを胸算用する者さえ出てくるかと思えば、ただ徒に感情に走って軽蔑し合う。古いものを嘲っていれば先覚者になったつもりで得々とするものもあり、新しいものといえば頭から軽佻浮薄として軽蔑するものもいる。こうしてお互いに対立したり軽蔑したりしているうちに、本当に時代遅れの頑固者と新しがりやの軽薄者が生まれてくるものだ。これは人間というものの持って生まれた弱点であろうなあ・・・」

これが西南戦争の際に書かれた文章というのをどうにもうまく消化できない。現代人の文章のよう。全部読み切ることができていないので、少しずつでも読み進めたい。

日清戦争の際は筆者は子供なので、子供の行動として記されているが、兵士の近くにいって話をしたりしている描写があって、身近に内戦があったときの心情や生活が想像できないものの情報として入ってくるのが貴重。砲撃をしているのになんだか悠長な・・・と思っているとこんな記述に出くわす。

「坊や、おいどんも、そのうちに、こんな姿で戻ってくる。その時も手伝っておくれ」

と私の頭を撫でながら笑って戦場へ駆け去った兵士があった。ところが二時間も経たないうちに、その人が本当に戸板で運ばれてきたのである。私は慄然として戦さというものの厳しさを知った。

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