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2018/11/24

『冬将軍が来た夏』/甘耀明

レイプ事件に遭った女性保育士の元に、十数年会っていなかった祖母が5人の老女+一匹の老犬とやってくる。その祖母の登場の仕方も、老女6人+老犬一匹組の立ち振る舞いも活動も、どれもこれも幽霊的というかファンタジー的というか全然リアルじゃないのに、つまり詳説としては寓話的で観念的なのに、描写が具体的で現実感がわさわさとしてて密度が高くて圧倒される。そして徹底的に誠実。あざとい伏線で衝撃だけ与えるようなやり口で読後感を残すのではなく、徒に反語を多用してシニカルにメッセージを伝えようというのでもなく、「生きるとは何たることか」というメッセージを直球で、しかも物凄く重い直球で投げてくる。この、読後感がみっしりとした小説は、現代の日本の小説ではほとんど味わえなくなっていたものだと思う。そしてそれほど読んでないけれど中国小説より断トツに読みやすかった。観念的なんだけど観念的なままの表現ではないというか。中国の文学は、なんとすれば数字だけで書けますよ、というくらい観念で組み立てられている雰囲気だったけれど、この台湾文学は色とか味でも小説は書けますよ数字なんかなくても、と言ってるような感じだった。

痺れるセンテンスは山ほどあったけれど:
”人生には、軽く見てよい傷などなく、ただ薄らいでいく傷跡と、感情を手放すそのときがあるだけだ”
”続けることこそこの世でいちばん協力な超能力だ”

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2018/11/05

『「待つ」ということ』/鷲田清一

IT業界だけではないかも知れないけど、少なくともIT業界は「時間がかかること」を「時間がかからなくする」ことが価値を生み出そうとするためのひとつである産業で、つまり「待つ」ことをどんどん減らそうとする産業。確かに「待つ」ことはどんどん減っているのだけど、待つことが減った結果、①どうしても残る「待つ」ことは何なのか ②「待つ」時間が減った結果生まれた時間は有効に使われているのか という2つの疑問が最近常にあり、特に②に関しては待たなくてよくなった結果、逆に興味が移り勝ちになったり集中力に欠いたりするシチュエーションが多い(それが良いことだと言われるケースも多いけど)気がして、突き詰めたいテーマだなと思っていた時に本著に遭遇。

実際には「待つ」の取り扱いのスコープが、自分の考えていた「待つ」ことで引き起こされる意義というよりも「待つ」そのものの意義だったので、②を考察するのにぴったりではなかったけれど、考えることはより多くなった。

  • 最も印象に残ったのは”「よろしくない」加減がまだ生ぬるい”という話。老人の援助介助において、援助者が援助をしてもよい結果にならない段階の「よろしくない」段階がある、という話で、援助者は援助をしたくても、それにふさわしい「よろしくない」ところまで至るのを「待」たなければならない、という話。これに対して我々の業界で支配的な考え方は、課題があったらそれに対して必ずアクションを取り、それに対するリアクションで次の手をまた考える、というもので、この違い。
  • ”「わたしのあんた」という意識を脱落させること”
  • ”「礼拝」という儀式をめぐるアランのこんな記述”
  • ”アパテイア(無感覚)”
  • ”この本はケアについてはじめて考えた『「聴く」ことの力』の続編とでも言うべきもの”

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