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2019/09/22

『さよならインターネット』/武邑光裕

これまでのGDPR登場に関する経緯を見聞きしたなかで理解していた課題点は、「プライバシーを少数のIT企業に独占させて富を集中させてよいのか」というものだったけれど、本著を読んで一番感じた課題点というのは、「広告がこのままでいいのか」という点だった。ターゲッティングで容易にリーチしたい相手にリーチできるようになった結果、広告自体がいわば”手抜き”になった。広告の内容自体でリーチを飛ばす努力は減り続けていて、これは広告に限らず、あらゆるメッセージの劣化に繋がる。GDPRによって個人データの蒐集に制限がかかるこtで、広告の内容自体でリーチする努力が復活する期待。

もうひとつはハクスリー。これは読まないといけない。

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2019/09/16

『官邸官僚』/森功

本文中にもあったが、2流・3流の歪んだプライドというか、やはり「コネ」というのは弊害のほうが大きいものだ、というのを再認識させられた。秘書官になるために採用試験がある訳でも資格が必要な訳でもない。その妥当性は、「補佐」なので全く示す必要がない。けれど、その秘書官は虎の威を借りて、つまり「首相がこう考えている」という理屈で物事を動かす。ここは無茶苦茶である。

それともう一点、「失敗してもその咎を受けなくていい」というのは、長期的に必ず大きな損失となって出てくる。だけど、その損失が直接本人に落ちるわけではなく、むしろ本人は蓄財してのうのうと生きていけるし、今の閣僚は、逃げ切りさえできればいいと思っている感があるからこれにストップをかける理由もない。個々人としては自身の生活を防衛することを考えるしか手立てがない。

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2019/09/07

『真実の終わり』/ミチコ・カクタニ

盲目的だったと思いたくはないけれど、僕らの世代はなんとなく、米国が間違えるはずがないという固定観念を抱き過ぎていたのかもなあと少し思った。様々な書籍を読みながら、一般的に流布される米国のイメージは歴史上かつてはそうではなかったということを何度も学んできたはずなのに。今の米国の有様は、時代の最先端ではあるだろうけれど、米国もただの「国」だったと改めて思い知らされた。
ポストモダンが、その相対主義が悪用されたという分析。そしてポストモダンは当初は権力への対抗だったかもしれないが、そもそも「破壊」することしかできない思索だった、という分析。これはなるほどと思うと同時に非常な衝撃を受けた。ポストモダンに洗礼を受けながら社会に出た世代としては、バックグランドの全否定に限りなく等しい。けれど、ポストモダンが「破壊」しかできない思索というのはなんとなく感じていて、状況に対抗するためには、相手側がいうところの「生産性」のある思索が必要だと常々思う。
そして、敵はやっぱり「倦むこと」。反復されると麻痺する。けれど、麻痺してはいけないのだ。そして、時制が言ったもん勝ちなら、やっぱり言わなければならないのだ。言って争いになることにめげるメンタリティではならない。飽きずに争い続けなければならない。声の大きいものが勝つ世の中ではならない。だから大きい声を出さなければならない。それはけして術中に嵌っている訳ではない。

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『つみびと』/山田詠美

大阪2児餓死事件を題材にした小説を山田詠美が書いていたと知って購入。日経新聞で連載していたと知らなかった。日経も電子版にして久しく、やっぱりこういうことは電子版にすると目に入り難くなるんだなと実感。
大阪2児餓死事件を題材にした小説というのは手に取らなかったかもしれない、著者が山田詠美でなければ。山田詠美はうまく言葉にはできないけれどきちんと表現したものを読ませてくれるという信頼感がある。何かに肩入れする訳でも、説教がましい訳でもなく、物語をちゃんと読ませてくれるという信頼感。
読む前、いちばん怖かったのは、餓死する兄弟の視点があるということだった。餓死する兄弟、その母、その母の母の3つの立場・視点から物語が語られることを著者へのインタビュー記事を読んで知っていた。その「餓死する兄弟」の視点があるのは、山田詠美の筆力を知っているのでとても怖かった。その一点で読まずにおこうかと思ったくらいだったが、これは読まなくてはいけないという気持ちが勝った。
その「餓死する兄弟」の視点は、サイコスリラーのような恐怖を湧き上がらせるようなものではなかったが、そこに至る子どもの心中を思うには苦しすぎるものだった。大人同士なら何でも受け入れるというのは愛ではないと言えるかもしれないが、子どもは親に対して全面的に受け入れるしかないものなのだ。そしてその状態に至る両親間での「父親」側の責務の表沙汰に「ならなさ」に焦点があたっていること。父親である自分自身にも言い聞かせるし、そこをこそ読まれてほしい小説だと思った。

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