2011/08/10

産経新聞2011年08月08日朝刊「Karoshi 過労死の国・日本」

文京学院大学特別招聘教授で、ILO事務局長補などを歴任した堀内光子(67)は意外な理由を明かす。「日本は労働時間の規制に関するILO条約を一本も批准していない。批准しない政府には、監視も改善勧告もできない」

こういう情報は、感覚的にだけど、日経を読んでいても絶対に出てこない気がする。日経は基本的に経営よりの発想思想で記述された記事が並び、日本ではビジネスマンとしては日経を読んでいなければならない、という空気で、誰もが経営よりのロジックを「これが現実」と取りこまされてきている気がする。最近の原発再開に対するスタンスなんかはその典型。でもよく考えてみたら、紙名に「経済」と、経済だけの1カテゴリを関している新聞がメインになるような状況は単純に考えておかしいと思い始めた。社会は経済が中心で成り立っている訳ではない。

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2011/04/20

日本経済新聞2011年04月20日朝刊 『大震災日本を立て直す 4』

野中郁次郎 一橋大学名誉教授
「日本には社会全体として傍観者的に発言することが知的であるという風潮がある。しかし、これほど『反知的』であることはない」
「中国共産党にもイデオロギーだけでなく、徹底した現実主義の側面があることを忘れてはいけない」
「現場よりも分析を重んじる米国型の経営が勢いづく中で、現実を知り抜いた人が日本企業の組織の中心に少なくなっていた」

  • 金は浮遊?
  • 自分の問題に引き付けて考えられるか、ということと、視野狭窄に陥らないようにする丁寧な慎重さの両立の実践

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2010/11/14

日本経済新聞2010年11月14日朝刊

「日本語の散歩道」外山滋比古
「英文のパラグラフはレンガ、日本語の段落はトウフのようなもの」

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2010/06/27

日本経済新聞 2010年6月27日 朝刊 『春秋』

「告白」の主な観客は若い世代だ。品田さんの読み通り、若者の閉塞感が変化の底流にあるとしたら、年長者も無関心では済まない。

 ちょっと暗いタッチの作品が流行したら、日経のコラムでさえこの有り様でがっかり。「告白」のヒットが「前向きに考えてもうまくいくわけではない」という空気の表れだと捉えて、何故それを「それでも現実を受け止め、ひとつずつ進んでいこう」という方向を語ることができないのだろう。確かに「告白」はそういうテーマになっていないかも知れない。でも、それを補うことは自由じゃないか。単純な時代の気分の読取と、それに対して紋切り型の嘆きだけで終わらせて、朝刊のコラムも何もあったもんじゃないと思う。

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2010/03/22

『日経ビジネス Associe ( アソシエ ) 2010年 4/6号』

B003ASOAD2 日経ビジネス Associe ( アソシエ ) 2010年 4/6号 [雑誌]
日経BP出版センター  2010-03-16

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 この手の記事何回読んでんだ、って話だけど、折に触れてというのも大切なので。

  • モンティ・ホール問題。何度見てもおもしろい。
  • 株価・為替・長期金利・原油価格
  • p028 因果と相関を区別する (軌道修正を喜ぶ・ディベートをする・持論に反論・仮説と評価を結びつけない)
  • p033「数字から意味と意図を読み取る」田久保善彦氏
  • p036 経済指標

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2009/09/29

日本経済新聞2009/09/28 @関西「旅の途中」/多川俊英

「じっくり聴く側にまわったらタイヘンだ。饒舌にたたみかける方がダンゼン威勢がいいから、どうしても守勢に立たされる」
「私たちはここら辺りで一度立ちどまり、言葉の有効性や限界、その言葉を介する対話がすべてを解決しないことを、冷静に見定めるべきなのではあるまいか。」

 話すことが得意ではない僕は、いつも口数の多い人に追い込まれて苦労している。「どうしても守勢に立たされる」という辛さが嫌というほどわかる。そして、口数の多い人は必ず「対話が大事」だと唱える。けれど、その「対話」は、「対面して話す」意味しか含まれず、「聞く」時間がほとんど抜け落ちている。「聞く」時間が抜け落ちているのに、それは対話の相手の「話す」努力が足りないからだ、もっとガンガン話して前に出ないといけない、という。この辺りですでに、「対話」を振り翳す人が、実は相手を理解することを重視していない事実を炙り出している。相互に理解するのが対話ではなくて、相互に理解させようとするのが対話になっているのだ。

 なんとなく、話かけられると打ち解けたような気分になることも少なくない。「口を利かない」状態から「利く」状態になると、それだけで一歩関係が進んだようになるし、口を利く相手に面と向かって反対を唱えるのも体力がいるので、そうこうしているうちに「対話」主義者のオシに負けてしまう。聞き手に回ってしまう人間は、絶対的に受身なので対策が難しいが、言えない自分を言えないということだけで引っ込める理由はないということ、言われたら理解しないといけないなどと思わないこと、それを静かに保つことができれば、魂を大切にできる力になると思う。

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2009/07/07

『スポートピア』日本経済新聞2009/07/07 水沼貴史

「耳をふさぐことがぶれないことだと勘違いしていたりする。」

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2005/05/04

『幸福な王子』(オスカー・ワイルド/新潮文庫)

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 短い話ほどよい。長い話はとにかく全然読み進まない。たぶん、童話のモチーフが巷にもう溢れ返っていて知り過ぎていて、物語も文字だけを使った表現では刺激に乏しいから。文字だけを使った表現で、こういう普遍的なモチーフを描いて、そこに没頭できた時代に羨望。例えば『猟師とその魂』でも、アニメとかFlashとかで見せられたら、違う刺激が混ざるから読み(?)進められたかもしれない。

 刺激がおもしろさの源泉としたら、・・・

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『ナイン・ストーリーズ』(J.D.サリンジャー/新潮文庫)

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『両手いっぱいの言葉―413のアフォリズム 』(寺山修司/新潮文庫)

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『啄木全集 第十六巻 日記四』(石川啄木/岩波書店)

 なぜ啄木の全集を買ったかと言うと、『ローマ字日記』と呼ばれている明治42年の20日間の日記を読みたかったからだ。なぜ『ローマ字日記』を読みたい のに全集を買ったかといえば、『ローマ字日記』単体あるいはそこが含まれている出版物が軒並み絶版で手に入らないからだ。それをたまたま、近所の百貨店の 年末恒例の古本市で発見し、3,000円という価格もあって全集で買ったのだ。
 ではなぜ『ローマ字日記』を読みたいと思ったのか。・・・

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『ガンダム「一年戦争」』(円道祥之/宝島社文庫)

ガンダム「一年戦争」
円道 祥之

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『十二番目の天使』(Og Mandino/求龍堂)

十二番目の天使
オグ マンディーノ Og Mandino 坂本 貢一

求龍堂 2001-04
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 すごく困難な何かに立ち向かう気力を奮い立たせるのが、物語の大切な役割だとしたら、この物語はその力を確かに持っている。写実的なわけでもなく、身近なわけでもなく、びっくりするほど意外な展開があるわけでもないが、迸る説得力を持っている。
 よくあるいい話だねと言ってしまえば簡単だけれど、気楽に読めば誰でも泣けてしまうシーンがあるのも事実。だから、この本がいろんな書評で取り上げられていたり、「泣ける」とオビが連呼していたり、本屋の売れ筋コーナーに陳列されていたり、そういう売り手側面はとりあえず忘れて、いろんな人がこの物語を気楽に読めるような時代になればいいのにと思う。
 この物語の不思議な説得力は、ひとえに簡潔な表現力が生み出してると思う。登場人物の死といった大きな事件を、半ページに満たない表現で片付けてしまう。かといって、本筋にさほど関係しないリトルリーグの戦況を必要以上にリアルに語ることもしない。抑制された文体で、ごくベーシックに書き上げられている。誠実にビジネス界を歩んで成功してきたジョン・ハーディングや、どんなに野球が下手でもまったく諦めないティモシー・ノーブルの姿以上に、この物語の形態そのものが人生に対峙する気力を、無言のうちに読み手に伝えてくる。

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.『かもめのジョナサン』(Richad Bach/新潮文庫)

かもめのジョナサン
リチャード・バック 五木 寛之

新潮社 1977-05
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 Dragon Ashってこんなカンジだよな。ふとそう思った。
 前半と後半で全然違う。前半は洗練された寓話なのに、後半は妙に説教臭い精神論になる。1970年代、西海岸のヒッピーに回し読みされた後、突然爆発的に売れたというのも、なんとなく理解できる。規範を外れてる者達、 規範を外れた生活に真実を見出す者達が、結局は拠り所としてしまう焼き直された規範のバイブル。そんな感じがする。
 「正しく生きる」「よりよく生きる」そんな当たり前の古臭い規範を、 例えば「チャン」という中国人っぽい名前の老カモメが語る。その程度のことで、ヒッピーは受け入れてしまう。つまらない精神論なのに、そこに今まで見たことの真実があるような気になる。
 言ってしまえば、この物語の魅力は「孤高」ということに尽きる。「食うこと」にのみ捕らわれる「群れ」カモメと、「飛ぶこと」に拘り続ける「ジョナサン」。物語は終始、導くジョナサンが、「自分は特別ではない。」と群れに訴え続ける。群れはジョナサンを「神だ」「悪魔だ」と噂しあう。最後にはジョナサンの後継者が現れ、物語は終わる。
 「群れ」を低く身ながら、「群れ」そのものがひとつの「システム」として再生産され続ける、あくどい物語だ。「群れ」が皆「孤高」になることなど、はなから期待していない。そんな道筋もつけられていない。「群れ」は、ジョナサンに憧れて終わりだ。この物語が、1970年代のアメリカで大ヒットしたということは、人々はそんな世界を求めていたということだろうか?アメリカに遅れること何年かで同じ現象の起きる日本でも、そんな世界が来たのだろうか?「遂にオレたちの代弁者が現れたんだ」週刊漫画誌の読者欄にそんなふうに書かれていたDragon Ashが、この物語とシンクロしてしょうがない。

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