2017/10/21

『ユダヤ教(FOR BEGINEERSシリーズ)」/チャーレス スズラックマン

4768401007 ユダヤ教 (FOR BEGINNERSシリーズ)
チャーレス スズラックマン 中道 久純
現代書館  2006-06-01


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数年前からのイスラム教が関わるニュースや、個人的にキリスト教に触れる機会があって、宗教について考える時間が多くなっていた中、ふと「何も知らない」と気づいたのがユダヤ教。そこでFor Beginnersを見つけて読んでみた。

  • 最も印象に残ったのは、柔軟性。「生死に関わる可能性が少しでもあるならば、シャバットの法を犯すことは義務なのです」。この生き延びることを最優先する姿勢がユダヤ教の性格のように映った。安息日があるのも、生命力は無限に放出し続けられないから、一定のサイクルで休息を(強制的に)とる必要があることを理解していたかのよう。同じ”悪”の本性を想定しても、それを極限までの鍛錬で超克するか、別の方法で超克するかという違いが興味深かった。
  • 書き記されたトーラと口伝のトーラ。この教えの運用の仕組みがすごくよくできたものだなと感じた。置かれた時代や状況に応じて、書き記されたトーラに対する解釈としての口伝のトーラを揺り動かしていくところ。
  • ブントの発生起源と衰退のところが今一つ理解できなかった。

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2017/10/01

『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』/佐藤優

4104752134 学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む
佐藤 優
新潮社  2017-07-31


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  • 明治維新の評価について。どう考えてもテロじゃないか、とか、なぜ尊王で攘夷で、簡単に開国に転向したのか、とか、素朴過ぎると自分自身で思っていた疑問にひとつの明快な解を得ることができた。中途半端だったがブルジョア革命だったという見方。
  • 全体主義と普遍主義の理解。個人をアトム的に見るかどうか。新自由主義は普遍主義と通底している。都市部は新自由主義に簡単に相容れる。新自由主義は格差を必ず生み、絶対貧困は国家の保障を求めるところからファシズムを受け入れる。
  • 沢山の主義・イデオロギーが解説されるが、救いのないのはどの主義・イデオロギーも選んでも未来が見えないと感じたこと。どの主義・イデオロギーも今の日本の政治団体に当てはめられる対象があって、そこでふと思ったのは今回の選挙は正に消去法というか、こういった状況にあっても何かを選ぶということこそが政治に参加するということなのだということ。
  • 忘れずに書くと、田辺元というのは本当に最低最悪の日本人だと思う。安全地帯からモノを言う人間が嫌いだというのは私は学生時代から変わらないし、その感覚に更に自信を持った。
  • 一回くらいじゃ消化できない。もう一度読む。

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2017/09/17

『終わりの感覚』/ジュリアン・バーンズ

4105900994 終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)
ジュリアン バーンズ Julian Barnes
新潮社  2012-12-01

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 男はいつも「やり直せる」と思っている。頭では、口では、「もう年を取ったから」と言っていても、だ。主人公のトニーはその男の滑稽なセンチメンタルを冷静に存分に発揮してくれるが、その結果教えてくれるのは「取り返しがつかないものは取り返しがつかず、取り返しがつかないことに気づくのも取り返しがつかなくなってからだ」という、あまりにも「哲学的に自明」の事柄だ。

 あまり若いうちに読んでも得るものの少ない小説だと思う。この歳になっても文学に触れる意義があることを、この歳だから触れることで意義を得られる文学があることを、バーンズが知らしめてくれた。

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『フクシマ6年後 消されゆく被害――歪められたチェルノブイリ・データ』/日野行介 尾松亮

440924115X フクシマ6年後 消されゆく被害――歪められたチェルノブイリ・データ
日野行介 尾松亮
人文書院  2017-02-20


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 筆者が問いかけると、 「偏りも何も僕らは中立機関でも何でもない。僕らが支援をやるに当たって知りたいと思った情報、政府の施策推進に当たっ て参考になる情報を得るための出張だ。出張報告なんてすべて公表するルールはない」 菅原氏は新年7月、事務次官に昇任。 ついに位人臣を極めた。 これまで紹介したとおり、支援法は悲惨な末路をたどった。


 文字通り「愕然とする」記載だった。森友疑惑の渦中の佐川宣寿氏の国税庁長官栄転と同じことが、東日本大震災の支援活動の中でも起きていたのだ。それも国の負担を減らすための改悪の方向で。アベノミクスが続いてほしい財界が安倍政権が倒れないように佐川氏を支援し、同じく政権が倒れてほしくない財界と原子力技術者の国外流出の防止を建前に振り回す財界が菅原氏を支援する。

 国際科学技術センター(ISTC)が核技術者・関係者の立場の保護と、核技術者の非核保有国への流出を防ぐため、原子力利用が下火にならないように、フクシマの被害を過小評価するキャンペーンを張った。政府はそれに乗った。東芝がメモリではなく原発事業を守らなければいけないのもたぶんここに通底するのだろう。

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2017/08/19

『みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く/村上春樹語る―』/川上未映子 村上春樹

B071D3TBYT みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く/村上春樹語る―
川上未映子 村上春樹
新潮社  2017-04-27


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  • 「無意識」と「意識」という言葉の使い方が、混乱しているというか揺れているというか、そういう場面がいくつかあって、そこがいちばん印象に残った。p159の「そういう無意識中心の世界で、人々は個人ではなくむしろ集合的に判断を行って生きていた」のところなんかは、『道徳性の起源』で、社会的な判断は人間に特有ではなく、また、「知性」によってもたらされるものではなくある種の動物(たち)には元来備わっている「本能」だ、という説を知った直後だったので、無意識中心の世界で「善き」判断が行われるのが「集合的」に行われる、というところは詳しく考えたいなと思った。
  • 近代的自我を取り扱うのに興味がない、というのは、「実は僕はほんとはこんな悪い人間なんです」みたいなのを仰々しく開陳することに何の意味もない、みたいに解釈した。
  • p248の問答は、かなり苦しく感じた。たまたま、というのは無理があるんじゃないかなあ。それに、ここの「無意識」がかなり象徴的。
  • 神話や歴史の重みそれ自体が無効になってないか、という問いかけは凄いなあと思った。そしてそれが無効になっているのではと感じてしまう状況になっているのは、言葉を使う側になったときの言葉を使う姿勢にそれぞれみんな課題があるのだと思った。

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2017/08/16

『道徳性の起源: ボノボが教えてくれること』/フランス ドゥ・ヴァール

4314011254 道徳性の起源: ボノボが教えてくれること
フランス ドゥ・ヴァール Frans de Waal
紀伊國屋書店  2014-11-28


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乾さんの(酔っぱらいながらの)オススメ課題図書、盆休みを利用して読了。

  • 教条主義との戦い、という印象がいちばん強かった。神とどう向き合うのか、という課題。そういう意味で、9条を巡る話は、教条主義に陥るか否か、ということなのかもなあと思った。9条を改憲したいというのは、どちらの意味でも条文に対して教条主義になっているのではないかと。70年の歴史で培ってきた知恵を理解できないということではないかと。
  • 信仰の問題。西洋社会では無信仰は人格を疑われる、という知識はあって、その事実の奥深さを改めて感じた。宗教が道徳をヒトにもたらすのではないとしながらも、人間が宗教を必要とした理由は感じられるようになっていて、ここのところの整理が非常に難しい。私は平均的現代日本人的な無宗教だけれども、平均的な仏教感みたいなものは持ち合わせているとは思う。それでも西洋社会から見ればほぼ「無信仰」みたいなものだと思うので、この国でも道徳性は存在するということは、宗教が道徳をヒトにもたらすのではないという証拠だったりして。一方で、日本でも右派が執拗に「神道」を日本の中心宗教に据えたがるその心性が非常によく理解できるようになった。結局、神に値するところに天皇を、というところと、その上で自在に利用したい、という感じが否応なくする。
  • レヴィ=ストロースをこき下ろしていた箇所。レヴィ=ストロースの新しかったのは啓蒙主義の批判で、文明間の(価値の)相対化だったと思うので、あのこき下ろし方はちょっとずれているかなと感じたけれど、フランス ドゥ・ヴァールのほうが、ヒトと動物までも相対化したという点でより突き詰めていると思った。そこまで考えないと、自分の中に眠る「人間」としての特権意識を明らかにできないなと思った。

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2017/07/30

『MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣』/シバタナオキ

4822255271 MBAより簡単で英語より大切な決算を読む習慣
シバタナオキ
日経BP社  2017-07-13


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『LIFE SHIFT』の連続1位記録を止めたとかなんとかで超話題の一冊。難易度が絶妙に自分にマッチしてました。改めてタイトルを見てみると「習慣」であって、習慣にするためにはこのくらいの「概観」の仕方を徹底的に身に着けることが重要だと再認識。主要な数字を覚えることの重要性も再認識。

  • M&Aの際の減価償却について。
  • 要素を分解して、それに対する打ち手を考えるビュー。
  • NETFLIXの事例がいちばん印象深い。次点はYahoo!ショッピング。そこで検索事業を活かすということね。

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2017/07/23

『トップ営業のフレームワーク―売るための行動パターンと仕組み化・習慣化』/高城 幸司

4492556656 トップ営業のフレームワーク―売るための行動パターンと仕組み化・習慣化
高城 幸司
東洋経済新報社  2010-03-01

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著者はリクルート・リクルートエージェント出身。「フレームワーク」に興味を持ったので購入。一番印象に残ったのは「最善のケースも準備しておかなければならない」。KPIの設定の仕方。「これを行えば購入につながる」というアクションまで落とし込んで、契約数ではなくそのKPIの実行数を追う。これを徹底することが重要。常に「考える」こと。

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『法人営業 利益の法則』/グロービス

グロービスの実感するMBA 法人営業 利益の法則 (ビヨンドブックス)
グロービスの実感するMBA 法人営業 利益の法則 (ビヨンドブックス) グロービス

ブックビヨンド  2015-04-10
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「法人営業」とは何か?社会人になって以来、それしか関わっておらず、体系だって学ぶこともなかったので、一度「法人営業」について知ってみようと幾つか書籍をピックアップしてみた。昨今、中古や電子書籍で安価に入手できるので非常に便利。

利益を意識しないと、企業活動として成り立たない。利益をKPIの中心に置くと、売価で勝負できないため、顧客に選択してもらうための「理由づくり」がより重要になる。この観点で、セールスサイクルを捉え直し、理解することが要点。カスタム品と標準品のストーリーも常に認識する。

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2017/04/30

『データサイエンティストの秘密ノート 35の失敗事例と克服法』/高橋威知郎 白石卓也 清水景絵

4797389621 データサイエンティストの秘密ノート 35の失敗事例と克服法
高橋 威知郎 白石 卓也 清水 景絵
SBクリエイティブ  2016-11-12

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「データサイエンティスト」という職種に向けて書かれているけれど、これはほとんど「プリセールス」フェーズにそのまま適用可能、というかプリセールスそのもので、更に言うと「提案」活動全般にそのまま応用できる、非常に有用な本でした。わかっている(つもりの)ことも、クリアに文字化されて、より理解が深まります。もちろん、タイトル通りの「データサイエンティストにとってのアンチパターン本」として非常に読み応えがあります。これだけの失敗事例を取りまとめ、かつ、対策を明示しきった本は、データサイエンティスト向けにかぎらずなかなかないと思います。

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2017/02/12

『政治が危ない』/御厨貴 芹川洋一

政治が危ない
政治が危ない 御厨 貴 芹川 洋一

日本経済新聞出版社  2016-11-25
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  • 自民党の憲法改正第二次草案の第24条の話。家族条項は、社会統制・思想統制的な怖さとは別に、社会保障を国民側に押し付けて、社会保障の崩壊の責任から免れようとする勢力が加担していることを忘れてはならない。なまじ「綺麗事」なので表層だけで受け入れる層が満遍なく現れてしまう。
  • 日本は明治維新からテロ続発の国だった。
  • 政党は特定の集団の利益代表なので、国という視点を持ち出されると倒されやすいというのは目から鱗だった。
  • 安倍が後継者を考えていない、「やってる感」でしかない、2020年以降はどうでもいい、というのも目から鱗。
  • 格差の問題。

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2017/02/05

『ホワット・ア・うーまんめいど ある映像作家の自伝』/出光真子

4000021087 ホワット・ア・うーまんめいど ある映像作家の自伝
出光 真子
岩波書店  2003-06-28


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  • 『海賊と呼ばれた男』が例によってもてはやされそうなので、そんな人物ではないというのを見聞したことがあって、その参考書籍で挙げられていた実子の著書をちゃんと読んでみようと手に取った。「そんな人物ではない」の実例としては、「社会党委員長の浅沼稲次郎が、演壇で右翼の一少年山口二矢に刺殺された事件について、父は犯人の山口二矢をほめたたえた」と「父の口癖、「女、子どもには分からない」」の二箇所を挙げれば十分だと思う。
  • かつてのアメリカが、かつての日本なみに妻が夫のホスト役だったこと。毎度毎度だが、「アメリカ的な」「日本的な」の無意味さを思う。
  • そして、著者が女性の権利に執着しているように見えるのも、実は女性に特有のことでもないし、日本に特有のことでもないよ、と逆説的に思えてくる。
  • ただ、最終章のストーカーまがいの輩に対する徹底抗戦の姿勢は絶対的に肯定されるべきものと思う。
  • それにしても、一定以上の社会的地位と言うか経済環境と言うか、そういう層に暮らす人達の家庭感というか性観念というかはなんでこんなに常軌を逸してるんだろう。

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2017/01/09

『YKK秘録』/山崎拓

4062202123 YKK秘録
山崎 拓
講談社  2016-07-20


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  • 1991年の政治改革関連法案、永田町を少しでもクリアにしようと政治家自らが議論している、とまでは思っていなかったが嫌々ながらも何か行動はするものなのだと理解していたが、「政治改革」という題目ですら国民のほうは全く見ていなかったんだなあと慨嘆する。
  • 何かあればしょっちゅう氏家齊一郎と渡辺恒雄と会っていて、政治家ってそんなもんなんだと薄々そう思ってはいることだけどこうもおおっぴらに書かれるとなんというか呆れることもできない。安倍政権が会食で云々と言われているが、その是非と程度がこれまでと比べてどうなのかわからないけれど、あそこまで表沙汰にされる分今までよりましなんじゃないかと思ってしまうくらい。
  • とにかくこれだけ会食してればそりゃカネもかかるだろう。これくらいのカネは当然と思っているところがやっぱり麻痺している。とにかく日本は内緒話をしないと進まないプロセスが多過ぎるのだと思う。山崎拓も結局はボンボンなのだ。
  • 『日本会議の研究』を読んでなければ、村上正邦って誰だろう?と思っていた。
  • 中曽根の「われわれの世代は戦争経験を持っている。国家が体中に入っている。だから責任感がある」という言葉に打ち勝てなければならない。
  • 1997年から、米国は日本の集団的自衛権行使実現に向けて行動していたということ。
  • ベーカー国務大使が山崎拓の選挙敗北を予想できた理由と予想しなければいけなかった理由。

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2016/04/03

『物を作って生きるには ―23人のMaker Proが語る仕事と生活』/編=John Baichtal・訳=野中モモ

487311747X 物を作って生きるには ―23人のMaker Proが語る仕事と生活 (Make:Japan Books)
John Baichtal
オライリージャパン  2015-12-26

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「メイカームーブメント」がどういうことなのか、を正確に教えてくれる良書でした。世間のニュース等だけに触れていると、どうしても3Dプリンタのキャズム越えと「誰もが製造者になれるユートピアがやってくる!」的なイメージをメイカームーブメントに持ってしまうのですが、単純に考えて誰もが製造者になったら誰も消費者にならない訳だし、雇用の概念が消失するし、それって全然ユートピアじゃないよ、だからそんな世の中来ないんじゃない?という疑問を持って本著を読むのは非常に有意義でした。

本著が教えてくれたのは、先駆者である「メイカー」は、至って一般的な、現在存在する企業の経営と同じ考え方で活動していて、現在のメイカームーブメントの本質は、それが非常にクイックに小規模で継続できるようになった、というところ。それは中国などアジアが負うところが大きくて、必要なパーツを、個人事業として必要なロット数でクイックに入手することもできるし、事業がスケールしてさらに大量なロットが必要になったときに、その規模に対応できるサプライヤからこれまたクイックに調達することもできる環境になった。これはとりもなおさずインターネットの効用。こういった動き方は日本の場合、中小製造業はかねてから得意だったと思う。逆にそういう動きについていけないいわゆる大企業もあったと思う。だから、ある意味では日本ではすでにメイカームーブメントは高度成長期にあったとも言える。現代は企業が難しい社会環境になっているので、日本ではメイカームーブメントが大きくなりにくいのかも。

そのあたりも、DMM.make等のインタビューレポートで、日本の事情も抑えているところ、本当に読み甲斐のある一冊です。

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2016/01/01

『ふなふな船橋』/吉本ばなな

4022513098 ふなふな船橋
吉本ばなな
朝日新聞出版  2015-10-07

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何といえば良いのか凄く難しい。リアリティのあるオカルティックストーリーテリングとしては、『N.P』のような初期の作品ほどのパワーを感じることはできなかったし、全体的に密度が薄いというか、イベントが起きた際のそのイベントの突拍子もなさで一気にテンションが上がる場面と、そうでない場面との密度・落差が大きくて、どっぷり浸れた、という読後感ではありません。ましてやふなっしーなんてとてもポップなキャラクターを主軸に据えて、まるで「船橋マーケット」は手堅く抑えて、というマーケティングを見てしまったり。

けれどこの物語では、ふなっしーは重要な意味がある。主人公の花と、別れた恋人俊介は、現代の日本の資本主義経済下の二つの典型的なスタンスを代表していて、俊介は老舗のそば屋の跡取り息子でいわゆるエスタブリッシュメント、花は小さいけれど文化的な熱意を持った書店の店長でつまり小商い。一度振られた花が、復縁を申し込まれた俊介を、迷いに迷った果てに逆に袖にする。俊介は花と別れて別の女性と付き合っているけれど、その女性に「1か月だけ自由にしてほしい」と言って君に会いに来た、という。それはつまり、「滑り止め」の保険としてその女性はキープされている、ということで、その用意周到さもエスタブリッシュメントの特徴と言える。それに対して花は「「なんのために」とか「どうなるために」がない人たち」が良い、と言う。この二人のスタンスの違いを象徴しているのがふなっしーで、花にとってはふなっしーは心の拠り所となる大切な存在だけれど(そしてなんであれ人の心にはその人が納得できる心の拠り所が必要なのだと語る)、俊介にとってふなっしーは藤子不二雄などの物語キャラクターに比すると「格が違う」ということになる。人の心の拠り所はそれぞれに個人的なもので、だから較べることでしか現れない「格」など無関係なのだが、エスタブリッシュメントはその考え方を受け入れる訳にはいかない。それを受け入れることはエスタブリッシュメントの存在基盤を脅かすからだ。

問題は、この小説がそうした「小さなお金で生きている人たち」に力を与えられる小説か、ということだ。そうした生き方にこそ、お金に対する正しいスキルが必要で、だから花も「経理の勉強をして店長になった」というような描写がある訳だけど、この小説が、果たしてそういう生き方を志そうという人を増やす力を持っているかと言われると、考え込んでしまう。そういう生き方をして苦しんで傷ついた人を癒す力は持っていると思うけれど、そういう生き方を選ぶ人を増やして世の中を変えていくような力は持っていないんじゃないか、そもそもそれは志向していないんじゃないだろうかこの小説は、とそんな風に思ってなかなか難しいと思ったのでした。

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2015/12/06

『服従』/ミシェル・ウェルベック

4309206786 服従
ミシェル ウエルベック 佐藤優
河出書房新社  2015-09-11

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今年の始め、「今年は宗教について読まなければいけない」と思い、大して読めないまま、今年最後の読書になるかもしれないと思う『服従』が強烈に宗教(と政治)を考えさせる一冊だった。

2017年(以降?)のフランスで、イスラーム同胞党が与党となり、フランスがイスラームの国へと変容する。そこに至るのは、極右政党国民戦線が得票率首位の中、UMP・民主独立連合・社会党が「拡大共和戦線」を立ち上げ、イスラーム同胞党を支持し、イスラーム同胞党が大統領を輩出する、という流れ。つまり、極右とイスラーム、どちらを「否定」すべきか、という問いの答えとして、「イスラーム」が選ばれたのだ。イスラームの政策主張は一点、教育に関してだった。

男尊女卑、一夫多妻、貧富の差拡大、家族主義。そして何より大学はイスラーム信者でなければならない。みないわゆる「前近代的」なイメージがするのに、登場人物はみなそのイスラーム化したフランスに不都合を感じているようではない。これでいいではないか、と言わんばかり。もちろん世界にはイスラームの教えに則って運営されている国があり、その国の国民が文字通り「不自由」で不幸な生活なのかと言うとけしてそうとばかりは言えず、豊かとは言えずとも心満ち足りた生活を送っていることだってあり得るだろう。であれば、フランスだってイスラームを選択しても何らおかしくはない、ということ。そこには「貧富の差が拡大」するという、為政者がそうだと認める事象があるけれども、行ってみれば人間中心主義の近代ヨーロッパにしても、芸術文化の力を開花させることができたのはそのシステムの中での著しい富の集中だった。であれば、貧富の差が拡大する社会の中にあっても、貧困層が不満を感じないシステムのほうがより優れたシステムではないのか。

しかしそれは「服従」が可能にするシステムだ。「服従」はなんら問題を孕まない姿勢なのか。それはかつての極右の変形を新たに生産することはないのだろうか。11/13の日経ビジネスオンラインの「ア・ピース・オブ・警句」の「安倍政権支持率回復の理由」で、”具体的には、「自分でない誰か」に決断を丸投げにしたい欲望を抱いたということだ。”という一文を読んだところだった。

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2015/11/04

『偶然の科学』/ダンカン・ワッツ

4152092718 偶然の科学
ダンカン・ワッツ Duncan J. Watts
早川書房  2012-01-25

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経営戦略全史』の終盤に出てきて気になったので。気になったポイントは「過去から学ばない」「結果だけで見ない」という論旨と、『偶然の科学』というタイトル。『偶然の科学』というタイトルからは『偶然とは何か』のような内容を想像したけれど、偶然そのものを科学するというよりも、社会学において事象はほぼ偶然なんだよ、という意味に取れた。だから、「過去から学ばない」「結果だけで見ない」。人間は現在の事象について、過去からの因果関係で、それが必然だとして説明したがるけれども、物理学などと違い、一度きりしか起こらない社会現象について、それが過去の出来事群からの因果と証明することはできないし、多様な出来事のすべてを考慮することもできない、だから、起きたことはすべて「偶然」であり、「過去から学ばない」のが最善の戦略であると述べる。

これは「計画」を捨て去るという点で、今までの自分の生き方を大きく転換しなければならず、少なくない心理的抵抗がある。計画性はこれまで人間性の重要な一要素と信じて疑わなかったところ、「柔軟性」の元に、当初計画をどんどん変更していくのが最善なのだ、ということだから。これは頭では判っていても、「とにかくやってみりゃいい」式の「いい加減さ」を受け入れがたい人間にとってはかなりハードルの高い転換。不確実性の名の下に朝令暮改を繰り返すことを是とした風潮を思い出す。

ここで必要になるのも、やはり「何のためにそのスタンスを取るのか」という目的意識であり倫理観であり道徳観だ。なぜ、細かい軌道修正を繰り返すのか?その答えの先に、受け入れられる土壌がある。

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2015/10/12

『ビジネスモデル全史』/三谷宏治

4799315633 ビジネスモデル全史 (ディスカヴァー・レボリューションズ)
三谷宏治
ディスカヴァー・トゥエンティワン  2014-09-18


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  • 金融。両替商が為替業の元祖、くらいの理解しかできていなかった。直接決済の時間差決済というビジネスモデル、ということを認識したが、完全には理解できていない。
  • 「神の御技である芸術家を支援すること」ジョバンニ・ディ・ヴィッチ。社会的地位をあげるための有効な手段がパトロネージュ。パトロンの理解。芸術を愛しているからではない。
  • A&P、百貨店、GMS、CVS、大規模店の「売り方」ビジネスモデルの変遷が難しい!チェーンと百貨店くらいまでは直感的に理解できるけれど、GMSと大規模店は自分の言葉で説明できない。
  • 行動主義』を読んだ際、「今年は去年と、来年は今年と異なる洋服を纏いたいと思うものだ」と、変化したい欲望を自然なものと断定していたけど、それはGMが開発したビジネスモデルと知り、消費資本主義という言葉がようやく理解できたと思う。
  • オークネットとリンカーズ。恥ずかしながら日本の革新的ビジネスモデル開発企業を知りませんでした。もう少し調べて知識を増やしておきたいです。
  • 「そのヒマこそがわれわれヒトの本質なのです」ここにも暇倫

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2015/10/11

『HHhH(プラハ、1942年)』/ローラン・ビネ

4488016553 HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)
ローラン・ビネ 高橋 啓
東京創元社  2013-06-28


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自分は本当に何も知らないのだなあと打ちひしがされた一冊です。

Himmlers Hirn heiβt Heydrich. タイトルの『HHhH』はこの文章の略で、意味は「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」。この小説は、ナチのユダヤ人大量虐殺の首謀者・責任者のハイドリヒを、ロンドンに亡命したチェコ政府が暗殺を企図した史実に基づいて描かれています。まずヒムラーもハイドリヒも知らなかったし、チェコ政府がロンドンに亡命したことも知らなかったし、ナチの重要人物を暗殺しようという計画とその実行も知らなかったし、リディツェも知りませんでした。『ソハの地下水道』を読んだときも思いましたが、ナチが猛威を振るっていたあの時代に、市民レベルで抵抗を続けていた事実が、ポーランドやチェコやハンガリーには存在するという事実が自分には理解を超えていて咀嚼することができないくらいです。ローラン・ビネは小説の終盤で、「こういう人たちにこそ敬意を払うべきだと一所懸命頑張りすぎた」と述懐します。ハイドリヒ暗殺計画である類人猿作戦の存在すら知らなかった私にとってはガブチークとクビシュが暗殺実行のために躍動する様とその胸の内模様はもちろん衝撃的過ぎてただただ茫然と読み進めるしかなかったのですが、そのガブチークとクビシュを支援する一般市民達が、一般市民であるが故に同じ一般市民である自分の胸にどうしようもないくらい深い深い釘を刺していきます。「お前ならどうするか?」という。

我々日本は、その暴力に対し、自分たちで抵抗することができなかった歴史を持っている国です。その事実を小説として、もしくはドキュメントとしてでも、あるいはニュースの中ででも描くときに、ビネのこの言葉は思い起こされるべきだと思います。

ありうるということと、まぎれもない事実であることは違う

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2015/09/24

『職業としての小説家』/村上春樹

4884184432 職業としての小説家 (Switch library)
村上春樹
スイッチパブリッシング  2015-09-10


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紀伊国屋が買い占めたことで話題になった本著。私は迷わずamazonで買いました。発売日翌日には手元にありました。

タイトル通り、著者が「職業として」小説家をどのように遂行しているかをかなり詳細に記述してくれています。通常、ある職業の人が自分の職業について解説すると、とりわけ小説家が解説すると、それ以降の仕事の内容が、小説家で言うと小説の言葉が「痩せる」ように何とはなしに思っているのですが、著者に関して言うとそれはないように思いました。何故かというと、そういう危険性について言及していて、すでに予測した上で思考されているからです。

「職業としての」小説家という切り口で一番印象に残ったのは、「ダイナミックな経験がなくても小説は書ける」というくだりです。これが日本だけのことなのか、世界的にもそうなのかわからないけれど(きっと世界的にもそうなのだと思う、ヘミングウェイの例を引いていたから)、無頼派という言葉もあるように、小説家は何か世間の常識から外れたような生活をしていなければいけないという思い込みがあるように思います。もう少し言うと、そういう時代があったようです。これは小説家だけじゃなくて、プロ野球選手なんかでもそういう類の武勇伝が語られることが多々ありますし(前の晩朝まで深酒してても翌日ホームランを打ったとかそういう類)、そういうスタイルがそれなりの結果を出すことができる特殊な職業と社会状況だった時代があったということなんでしょう。

いや、スポーツ選手や芸術家だけでなく、実はサラリーマンもそうなのかも知れません。私が就職してサラリーマンを始めた1995年でも、まだそういう「豪放」な文化というのは残っていた気がしますし、私にもなんとなくそういうものを楽し気というか、心を浮つかせるものに感じる気風はかすかに残されています。けれども、成果を出すスタンスとしてのそれは今や主流ではなくなりつつあります。そういう意味では、現代は真摯に追及することが成果に結びつけられる時代に近づいているのかも知れません。

その一方で、オレオレ詐欺のような、労力の割りに見返りの大きい不正や、不正でなくとも簡単に高収入を得られるような誘い文句の乱舞ぶりはより酷いものになっているように思います。そういった、破壊力の大きい暴力によって、真摯さが壊されることが現代の最大の脅威ではないかと思います。それに対しても、著者は答えを二つ提示してくれていると私は思ってます。

p157「「時間によって勝ち得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じているからです」

p212「「効率」という、短絡した危険な価値観に対抗できる、自由な思考と発想の軸を、個人の中に打ち立てなくてはなりません。そしてその軸を、共同体=コミュニティーへと伸ばしていかなくてはなりません

この二点。時間をどのように使っていくのか。どのようにペースを刻むのか。この点をしっかり意識して感が続けたいと思います。

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2015/09/06

『ロジ・コミックス ラッセルとめぐる論理哲学入門』/アポストロス・ドクシアディス,クリストス・パパディミトリウ,アレコス・パパダトス,アニー・ディ・ドンナ

448084306X ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 (単行本)
アポストロス ドクシアディス クリストス パパディミトリウ アレコス パパダトス アニー ディ・ドンナ 高村 夏輝
筑摩書房  2015-07-23


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 「論理で世界を理解することはできないかもしれない。それでも論理は人間が世界と向き合うための、最も強力な道具である」。ラッセルが科学という論理に一度絶望しているからこそ、この言葉に力強さが籠るのだと思う。ラッセルはラッセルのパラドックスによってフレーゲに対して、そのラッセル(直接にはフォン・ノイマン)はゲーデルの不完全性定理によって、そして弟子のウィトゲンシュタインは戦場という極限状態によって、論理に絶望する。とりわけ不完全性定理と、ウィトゲンシュタインが戦場で至った境地ー「世界の意味は、世界の内にしか存在しない」の共通性は、こうやって書くだけで自分も絶望の淵に成すすべなく落ちてしまいそう。もちろんここにはラッセルのパラドックスも連想させるものもある。

 どんな体系をもってしても、必然的に不完全であり、解答不可能な問題が必ず存在する。日常の生活に照らし合わせてみればこんな当たり前のことはないのに、論理の上での話になるとこれほど絶望を感じるのは、人は論理にそれほどまでの力を期待してやまないということなのか。しかし、既に「解答不可能な問題が必ず存在する」とすでに発見された後の世界に住んでいる我々は、「それでも論理は人間が世界に向き合うための、最も強力な道具である」という言葉を忘れずに生きていかないといけない。

 もう一つ、本著で学べたことが、アメリカの「孤立主義」。1939年、アメリカ国民は世界大戦への参戦に反対する国民が大多数だったということ。本著での言葉ではあるけれど、国民が持つプラカードのひとつに、「やるべきことは国内にある」「国外で死ぬのはごめんだ」と書かれている。この姿勢は、現代日本で安保法案に反対する姿勢と、類似すると見ることもできる。

 現実にはアメリカは参戦し、戦後は世界の警察の役割を自任するようになり、その役割から降りようとしているのが現在言われていること。本著ではアメリカ国民が「孤立主義」であったその当時、ラッセルが公演において、ナチと戦うためにアメリカに参戦を呼びかけるような演説をしたと描かれている。

だがこれだけは申し上げておきたい、この部屋にいる皆さんと同様、私も懸命に平和主義者でいようと努めています。しかし、ヒトラーとスターリンに欧州を支配されるのは、どうしても耐え難い!

 現代において、ヒトラーとスターリンに匹敵するような脅威が存在している、または出現する可能性があるということで、積極的に海外に軍事力を展開可能とする、ということを、本著のラッセルの演説から導けるのか?本著はこれに対してラッセルにこう答えさせている:

あなたの答えは?

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2015/08/22

『HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか』/ベン ホロウィッツ

HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか
HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか ベン ホロウィッツ 滑川 海彦

日経BP社  2015-04-17
売り上げランキング : 178


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「答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか」というサブタイトルと相まって、かなり多くのビジネス誌やビジネス書書評で取り上げられているが、これは企業家・創業CEOにとって該当するところの多い知見の書であって、一般ビジネスマン・一般サラリーマンが参考にできる点はそれほど多くないと思います。もちろん「立ち向かう」という精神スタンスは見習うべきものですが、成功を収めた企業経験から来る実践的アドバイスのうち、少なく見積もっても半分くらいはCEOでなければあまり生かしようのないアドバイスだと思います。本著内で「平時のCEO、戦時のCEO」と場合訳しているように、一般ビジネスマン・一般サラリーマンは自分に活かせるアドバイスを取捨選択するスキルは必要と思います。

それだけにCEOの激務さ辛さ加減が他の書籍より生々しく伝わってきます。本著から最も繰り返し聞かされるアドバイスは、「会社にも人間にも、そのステージそのステージで相応しいやり方があり、それを見極めないといけない」ということと、「必死になってやれ」ということ。差は、やることでしかつけられない。

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2015/05/31

『遠いつぶやき』/池上哲司

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奈良県立図書情報館乾さん が、『不可思議な日常』を真面目に読んでくれたので、ということで、特別に送ってくださった『遠いつぶやき』。乾さんが編集を担当されたということで、正直「編集」という作業がどういう作業なのか未だに実感できていないけれども、これは初回はまず一気に読んで全体的な感想を持って、それからひとつひとつを丁寧に読みたいなと思い、頂戴したのがGW連休前だったので、まず連休中に時間を取って一気に読み終えました。

読後感で頭に残されているもので一番大きなものは、「道筋立てることの虚しさ」みたいなもの。私はシステムエンジニアとしてお客様に提案をする仕事をしているので、原則ロジカルに筋道を立てた説明が必ず必要となる仕事をしています。池上さんの書かれたものというのは、『不可思議な日常』を読んだときも感じたことで、他の哲学者の書かれたものに比べて、筋道の積み上げ型が丁寧で細かくて強固に感じます。他の哲学者(特に海外のーそれは翻訳でしか読めないからかも知れませんが)のは、生み出したこれまでにない新しい「概念」に寄りかかるというか、誰でもわかる言葉で積み上げた結果、説明しうる一つの結論に辿り着く、という印象に薄いのです。池上さんの文章は、およそ誰でも理解できる言葉とロジックをこつこつ積み上げる思索を追うことができるのですが、そういうスタイルというかプロセスというか、それを最近の世の中があまり聞く耳を持とうとしないように感じていることを逆に思いださせて虚しさを覚えるのでした。私の仕事でも決してロジカルであることでお客様が受け入れてくれる訳ではないですが、その程度が年々ひどくなってきている気がします。何か「飛び道具」を求めているというか、いつの間にか日常語になってしまった「サプライズ」がないといけないというか。それも確かに認めないといけないのですが、そこもバランスと程度があると思うのです。そしてシステム提案についてだけでなく、日常生活においても、筋が通っていることを許容しようとしない空気が蔓延しています。どれだけ感情的に受け入れづらくても、筋が通っている以上いったん腹に落とさなければいけない、という、「大人の姿勢」というのはどんどん忘れられていっているように思います。池上さんの書かれた文章の背景は、そういうものを浮き彫りにします。

この読後感を大事にしながら、今度はひとつひとつをじっくり読んで考えてみようと思います。

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2015/03/07

『沈黙』/遠藤周作

4101123152 沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社  1981-10-19

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フェレイラの棄教の理由について。直接的には拷問を受ける信者が、自分が棄教しなければ助からないという状況において、神に祈ったものの沈黙を通されたので棄教したと言っている。その一方、フェレイラは日本人の基督信仰において神は教会の神ではなく、日本人の都合のいいように屈折させられた別物の神であり、日本には基督教は根付かなかったし根付きようがないと言っている。しかし、信者およびフェレイラが拷問を受けるような状況に陥ったのは日本人が基督教を正しく理解しなかったからというよりは、日本の権力側政治側の都合の問題で、信者がどのように信じていようとも起きた拷問だったと言える。そう考えると、フェレイラの棄教に至る心境のプロセスは認めがたい。日本の信者の基督教が協会の基督教と異なると言い切るのであれば、信者の拷問に呵責を覚える必要はない。拷問を受けているのが信者であろうとなかろうと自分のせいであるならば救わなければならないというのであれば、棄教を選ぶことに躊躇いはないはず。フェレイラの日本における基督教の屈折化の説明は、とてもいい訳じみて聞こえる。

確かに、日本人は命を賭してまで守らなければいけない「信条」といったものをあまり持たない国民ではないかとは思う。ロドリゴは最後まで殉教について悩んだけれど、それは神が絶対だからであって、「神に祈る」という言葉の重さ自体、基督教信者と私との間ではとんでもなく大きく開いている。それでも、命を賭してまで守るものがあることが是か非かというのはとても注意して考えなければいけないことだと思う。それによって自分の命も他人の命も粗末にすることが、誰かの幸福につながることが決してないと思うから。

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2015/02/14

『時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?』/松岡真宏

479422088X 時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?
松岡 真宏
草思社  2014-11-20


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ITの浸透と進化によって、従来大きな価値を持ちえなかった「すきま時間」が価値を持てるようになった結果、今後、「時間」の価値がこれまで以上に大きくなる、それを「時間資本主義」と呼んで議論を展開しているのが本著。

「時間資本主義」という視点は薄々問題意識として持っていて、考えを深めることができていいタイミングで読めた。一方、このタイプの日本の書籍は大体、「サプライサイドの視点」-ビジネスを行う側が、時流をどう捉えれば今後自分たちは稼いでいけるのか、という視点で書かれていて、そういう時流となった結果、どのようなスタンスを取れば「社会」がより良くなるか、という視点がなく、本著も(時間資本主義で個人はどうふるまうべきかは書かれてはいるものの)あまりその視点はないところが残念。そのあたり、やはり先日読んだ『つながりっぱなしの日常を生きる』などは違うと改めて思う。

時間の使い方について、「効率化」という視点ではなく、「どれだけ自分が使いたいものに使える時間があるか」という視点。なので、従来からの富裕層はともかく、ホワイトカラーの高給層は今後そのポジションの維持のために「すきま時間」もすべて注ぎ込むことになり、「自分が使いたいもの」に使えないため生活の満足度は低下し、一方、現在のところ低所得者層と言われている層は、収入は少ないかも知れないが、「自分が使いたいもの」に使える時間は多いため満足度は高くなる。大雑把に言うと自分の理解はこのように纏まる。

問題意識は2点:

  • 公平性に関して。p97「銀行や市役所の窓口だって同じではないだろうか。あるいは病院の窓口も同様かもしれない。」「時間ごとにこの重要なパラメーターを合理的にいじることで、個々人の満足度を引き上げ、ひいては社会全体の厚生を引き上げることが可能になる」とあるが、特に福祉に関しては「格差」について慎重にならなければならないと思う。時間は再配分できないので、支払う額によって窓口対応のレスポンスに差をつけるというのは賛成できない。
  • ユニクロとバーニーズが引き合いに出され、富裕層は時間の重要性を理解しているので、定番品については選択する時間を極小化するために間違いのないユニクロを購入しているし、そのように決してユニクロは格差の象徴ではないと書かれているが(p114)、ユニクロとバーニーズ双方を楽しむ富裕層はいても、バーニーズを楽しむ低所得者層はいないので、この推論には問題がある。ただ、低所得者層でも月額1万円近く通信費に出費したり、高級ブランドに出費したりすることは確かになるので、そういう意味では格差が二極という捉え方が間違っているのかもしれない。低所得者層の中でも格差がある。

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2015/02/07

『仕事をつくる全技術~トップ営業はこうして「稼げる案件」を生み出している』/大塚寿

仕事をつくる全技術~トップ営業はこうして「稼げる案件」を生み出している~
仕事をつくる全技術~トップ営業はこうして「稼げる案件」を生み出している~ 大塚 寿

大和書房  2014-09-14
売り上げランキング : 130437


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 本著と『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です』は、確か別々の時期に何かの書評で知って興味を持って府立図書館に予約をしたところが結構待って二冊同時に順番が回ってきた。この2冊を同時に今読めたのは幸運でした。この2冊は突飛なところのない、非常にオーソドックスな仕事に対するスタンスを、丁寧かつ具体的なアクションリストに落とし込んで説明されているので、自分が如何に基本を蔑ろにしているかを反省したし、「ビジネスを生み出す」という大きそうに見えるチャレンジも実は基本の積み重ねによって生まれるものだということを理解できたし、常々自分が思っていることの裏付けを得れたので自信にもつながった。

 特に本著で言うと、”p229「組織には「TAKE&TAKE」な人を上にはいかせない自浄作用というガラスの天井がある」”と述べられる章があり、これは事実でもありある種前時代までは事実だったという幻想ということもできると思う。ただ、こういう認識を社会全体で持つことが、社会をよりよくしていくための土壌だと思う。そういう意味でも、たくさんの人に読まれたらいいなと思った一冊。

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2015/01/11

『新・戦争論』/池上彰・佐藤優

4166610007 新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)
池上 彰 佐藤 優
文藝春秋  2014-11-20

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 池上彰氏と佐藤勝氏の書籍は、衆院選前にどの書店に行っても目立つところに置かれていて、選挙前に読みたかったのだけれど果たせず、ようやく読めた第一冊目。

 民族・宗教の基礎知識に始まり、欧州・中東・朝鮮・中国・アメリカの現在の問題の読み解き方を対話形式で解説。情報の密度が高いので頭に入れるのに苦労しますが読みやすい文章なので読み進めるのに苦労することはありません。一歩踏み込んだ、戦略的な読み解き方をする技法をガイダンスしてくれるような内容です。

 最も印象に残ったのは第2章「まず民族と宗教を勉強しよう」の中で、佐藤氏が、イスラエルのネタニヤフの官房長を努めた知人の話を紹介しているところ。「国際情勢を見るときは、金持ちの動きを見る」という話。金持ちは、その時代その時代で、自分の資産を保全するための最善の策を模索し打っている。現代は、直接社会に還元するパイプを作ってしまっているので、再分配が偏るし国家も介在できない。この話は、ピケティの『資本論』に照らして考えられそう。もう一つ、ナショナリズムは社会的に持たざるものの上昇回路、という話は、富が集中し格差が拡大・固定した結果、社会的に持たざるものがナショナリズムによって先鋭化する、としても、今の日本の政治状況はナショナリズムが、格差拡大を志向する現政権を支える結果になっている、このメカニズムを考えるのも面白そう。

もう一つ、ピケティの解説書『トマ・ピケティ『21世紀の資本論』を30分で理解する!』でも、本著のあとがきでも、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は間違いだった、と断定されているところに、日経新聞でフランシス・フクヤマがインタビューされていた。ちゃんと突き合せて考えてみよう。

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2014/12/14

『フランシス子へ』/吉本隆明

4062182157 フランシス子へ
吉本 隆明
講談社  2013-03-09

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 吉本隆明の著作なので、僕にとっては最初から最後まで全部いいところばかりで、いちいちポストイットなんて貼ってられないんですが、『フランシス子へ』は、知ってはいたけれど何故か手が伸びなかった一冊。なんか多分、亡くなる直前の作ということで、その頃の文章としては『開店休業』で触れていたというのもあるし、亡くした愛猫に向けてのエッセイというのがどうも予想できるような気がして手が伸びなかったんだけど、『それでも猫は出かけていく』を読んで、やっぱり吉本家ともなると猫に対しても半端じゃないなあと感服したのと、大体吉本隆明の著作のレビューは良し悪し荒れるんですがamazonの本著のレビューは全般的に高評価だったので読んでみることにしたのでした。
 ホトトギスの話なんか「らしいなあ」と一ファンとして笑ってしまうのですが、一番印象に残ったのは老いに関して、「思ってるんだけど、やらないだけ」と言っているところ。これ、わかりそうでわからない。ここを目指して生きていけばいいんだな、という直感みたいなのはある。こういうところを目指さないで、「いつまでもやろうとする」老人が増えたから、世の中おかしくなってるのかなって。

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『まいにち見るのに意外と知らないIT企業が儲かるしくみ』/藤原実

4774163570 まいにち見るのに意外と知らない IT企業が儲かるしくみ
藤原 実
技術評論社  2014-03-11

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 IT企業に勤めているのに意外と世間での常識的なことを知らないことがあるので、読みやすそうな本書を手に取ってみました。最も勉強になったのは「ダブルアイリッシュ・ダッチサンドイッチ」。租税回避についてはニュースで都度都度見るので知ってはいたけれど、具体的な手法は初めて本書で読みました。法人税を納めている企業・納めていない企業はこれから話題になりそうなので、基本を押さえてニュースに留意しようと思いました。
 IT業界では大体常識的な内容で、IT業界でなくてもITに対する興味が強い方はたいてい知っている内容かもしれませんが、事実を丁寧にまとめてあるので読んで損はないと思います。

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2014/11/15

『ほんとうの花を見せにきた』/桜庭一樹

4163901272 ほんとうの花を見せにきた
桜庭 一樹
文藝春秋  2014-09-26

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この1,2年、深み・読み応えのある小説とはどんな形態だろう?という疑問が頭の中にずっとあって、それは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだあたりから。外国の近代名著も長年並行して読んできたけれど、分量が膨大というのと、書かれた時代のバックボーンやそもそも文体・言い回し・修辞が直感的に分からないことも多いというので、なかなか読み進められないということが増え、読書の時間があまり取れない中、それでも読書を続けたいという気持ちを整理して考えると、現代は過去に比べると読書、とりわけ小説にかけられる時間が少なくなっているのは紛れもない事実で、現代でもバブル前後のように、これでもかという具体的な比喩・固有名詞の多様でリアリティを醸したり、ト書き満載で情報過多で世界観を表現したりする形態は、読書好きの支持を得にくくなってくるんじゃないかなと思っていました。それがどんなに豊饒な作品でも、500ページもあるとちょっと腰が引けるというか。それを読ませられるのはそれこそ村上春樹くらいの一握りのビッグネームだけじゃないかと。そのビッグネームがあんなに読みやすい『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を出し、立て続けに『女のいない男たち』を出した。私は「5分でわかる名作古典」的なダイジェストや、何でもかんでも時短する傾向は性に合わないのですが、分量による深みというのは小説に取ってはだんだん主流でなくなっていく形態じゃないかなと感じていました。

だからと言って、音楽のように、ストリーミングとか定額聞き放題とか、あれはあれで悪いことではないんですけど(そしてamazonがとうとう書籍でも始めましたけど)、ああいった「単位を細分化して回転で稼ぐ」という方向ではなく、小説の「深み」を出すための十分な時間がかけられた作品をこれからも読みたいと思っていたとき、日経の書評で知ったのが本作でした。

「読了にかかる時間を現代の許容範囲に収めつつ、十分に練られた深さを味わえる」形態として、本作のような「寓話」形態が最有力と思えました。本作は、中国古来のおばけ「バンブー」に関して事細かく描写を重ねてリアリティを生み出すということは全然なされてないけれど、バンブーの住む物語を受け入れて読んでいける。僕が今まで読んできた現代の「寓話」作品は、一言で言ってしまうとあくどくて単純で「子供向け」の設定で読ませることで純粋さを無理矢理受け入れさせようとするものばかりだったけれど、本作はそういったあくどさは感じません。泣けると思います。

それにしても、小説は時間との兼ね合いで分量の模索が続く中、時短の主役だったITはコンテキストにフォーカスが当たるなんてなんて皮肉、と思いましたが、小説は分量を模索しているだけであってコンテキストを更に深くしているのだと思いました。ITはいつまでたっても文学には追いつけないでしょう。

  

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2014/11/03

『それでも猫は出かけていく』/ハルノ宵子

4344025741 それでも猫は出かけていく
ハルノ 宵子
幻冬舎  2014-05-09

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吉本家の人々の手による作品を読むときはいつもそのテーマに対する徹底具合が別格だなあと思うのですが、本作も「猫」に対する徹底具合が尋常ではないです。端から「メチオニン製材」とか、世の猫飼い主はみなこの程度のこと普通に知っているの!?と慄くくらいディープな固有名詞がずらずらさも「当たり前」的に登場して圧倒されます。が、吉本家の人々の作品が「違うなあ」と思うのは、それを「高慢ちき」な感じで振り回しているように感じられないところです。専門用語やト書きの多い作品というのは、その情報量で深みが感じられる作品もある反面、どうにも「高慢ちき」なだけの作品のほうが多かったりしますが、吉本家の作品がそうでないのはそこに思慮深さがあるからだと思います。

「家の間を通られない権利?花壇を汚されない権利?自分の持てるあり余る権利の内、ちっぽけな最後の一片まで行使するために、弱い生き物の生きるというたった一つの権利さえも奪い取る」(p37)や、「孤独死が問題にされたり、病院でなく家で死ぬためにはーなどと、そろそろ自分の身体がアブナクなってきた”団塊の世代”が言い出した昨今の生ぬるい風潮に、父はまた最期に、見事に水をぶっかけて逝っちまいました」(p187)等、感銘を受ける文章だらけなんですが、いちばん印象に残った章をひとつあげるとしたら「その27 旅の途中」(p120)です。

京都の友人に外猫の「太郎くん」を譲り受けた女性が、東京に戻ってきてその太郎くんを逃がしてしまった、という話で、太郎くんは京都に向けて西へ西へ進むだろう、という予想で、

「京都までおよそ600キロ。1日数百メートル移動したとして約3年。/途中居心地の良い土地があれば、何か月も留まったり、その地で”彼女”と出会って何年か過ごしたり…。そうしていつか京都のことなど忘れてしまうのでしょう」

僕は人生を「旅の途中」と旅に例えるのにぼんやりとした嫌悪感を若い頃から抱いてきてたんだけど、この「太郎くん」の話で非常にしっくりきたことがあって、「旅」というのは予定変更が許されるのが「旅」なのだということ。出発地点と経過地点と到着地点が決まっていて計画通りに進むことは「旅」とは言わないのだということ。だからいつか京都のことなど忘れてしまったとしてもそれは酷いことではなく、人生とはそういうものだということ。

弱いつながり』で旅について考えたことと再びシンクロ。数十年という時間をかけて、少しずつ「旅」を好きになってきている自分を認めつつあります。

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2014/09/23

『世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか?』/戸塚隆将

4023312215 世界のエリートはなぜ、「この基本」を大事にするのか?
戸塚隆将 208
朝日新聞出版  2013-08-07

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「基本を大事にする」というのが大好きな性分なので、ちょっと俗っぽいタイトルに引っかかりながらも読んでみました。「これだけやれば10kg痩せる」とか「10日聞くだけでペラペラに!」とか、一撃必殺系が大嫌いで、「エリート」とかタイトルにつくタイプの本はそういうケースが多いだけに、「なぜ、この基本を大事にするのか?」というタイトルには大いに惹かれました。

内容は期待通りで、本当に「エリートが実践している基本」ということではなく、一般的に社会人になって働いている人なら誰でもわかっているであろう「基本」、その内容と重要性が丁寧に纏められているものです。「基本」を常に確実に実行できる人が、成果を出すことができるということを論理的に納得させられる内容です。「基本」を蔑ろにしてしまいがちな毎日を送る自分にとって、非常にありがたい戒めの書になりました。

ひとつ印象に残ったのはp85「シャツの首元が擦り切れているゴールドマンのアメリカ人シニアパートナーを目にしたことがあります」というところ。

「しかし、決して汚らしく、みすぼらしい擦り切れ方ではありませんでした。モノを大切にしている様子が窺えました。彼の身に着けている時計も地味で機能性を重視したものでした。清潔感という共通点を除き、服装や持ち物へのこだわりは、人それぞれと言えるようです」

これは辿り着きたい境地だなあと思いました。

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2014/09/19

『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』平川克美

4903908534 「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)
平川克美
ミシマ社 2014-06-20

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 本著で疑問を感じた点は2つに集約できます:

1) 自分たちが生きた、経済成長の時代を、どのような国家でも経済発展の中で辿るであろう「自然過程」としていながら、現在以降に本来なら辿るであろう過程を否定し、いわば「自然」ではなく、「意志」の力で「自然」に抗うことを強いている点。そういった「意志」の力で「自然」に抗わなければならないような状況を生んだ、かつての自分たちの営みはすべて「自然過程」で片づけて顧みもしない点。
2) p131”ヨーロッパや日本で起きたことが示すのは、文明がある程度のところまで進展すると、自由や独立を望む個人が増え、伝統的な家族形態が解体へと向かって社会が変質するということです。”と、ヨーロッパや日本というように普遍性があるような記述であるにも関わらず、p120”自分たちが伝統的にもっていた、いわざ「自然過程」を通じて培われてきた、封建的ではあるが贈与・互酬的な会社システムを、外からもち込んだ人工的なものでそっくり入れ換えようとしても、うまくいくわけがありません”と、日本独自の社会性が”「消費」をやめる”社会の成立要件であると記述している点。

 ある社会変遷が、その国独自の要件に依存しているのか、それとも国を問わず普遍的なものなのかは、混乱してはならない点だと思います。本著はあたかも「日本であれば消費社会を脱することができる」と主張しているように読めますが、消費社会を脱することの必要性や利点の主張はありますが、なぜ「日本だけが」消費社会を脱することができるのか、その根拠が十分に説明できているとは思えません。
 全体的には、お金に困り、医療費や年金と言った社会保障にも不安を抱く高齢者が、安心してこれからの老後を生き抜くために、なるべくお金のかからない世の中にしたい、それはすなわちいろんな人から「無償」で助けを得られる世の中にしたい、という願望と、p228「おカネは必要ですが、おカネを持っている人はどこからか見つけてくればいい。とくに期待したいのが団塊の世代」にあるように、どこかからスポンサー(パトロン)を見つけて、金持ちからお金を融通してもらえばいい、という処世術を綯交ぜにしたような内容だと思います。

 率直に言って読む必要はあまりないかと思います。団塊世代が何を考えているかを知るには好著で、ぱらぱらと斜め読みして2時間ほどで事足ります。

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2014/08/31

『野望の憑依者』/伊藤潤

4198638225 野望の憑依者 (文芸書)
伊東 潤
徳間書店  2014-07-09

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 期を同じくして目に入った「悪を描く」という書評二冊、『弾正星』と本著。私は所謂「ピカレスク・ロマン」というジャンルはあまり好みではないけれど、同時期に類似の作品が紹介されるということは、世間の流れがこういうものを求めているということと思い、その「ピカレスク」の趣向を知るべく読んでみることにしました。

 本著は主人公が高師直、足利尊氏の側近として謀略を尽くして尊氏を押し上げ成り上がっていく極悪人というのが一般的な師直像。天皇も南北朝に、武家も幕府と反幕府に、おまけに足利家も兄弟で、と敵味方が入り乱れる南北朝の乱戦を背景に、師直が非情に成り上がっていく筋は飽きずに読み進められるのですが、「悪の中の悪」というストーリーかと言うと、どちらかと言うとステレオタイプなストーリーではないかと思いました。年を取るうちに、女性と出会ううちに、だんだん角が取れて丸くなって、それが仇となって・・・というような。おまけにその仇の張本人の顛末のオチもステレオタイプというか。「こんな悪いヤツいるんか!!」という、心底怖くなるというタイプのストーリーではなかったです。

 本著と『弾正星』、「悪の中の悪」と謳っているけれども人物造形は既視感のするもので、時代モノなので当然なのかも知れませんが斬新さはあまりありませんのでぞくぞくする怖さみたいなものはありません。それより、この二冊に共通するのは、「悪の中の悪」ではなく、「誰かを裏で操る者」というところ。この二冊が同時期に注目されているのは、悪を求めるということよりも、「表に出ずに、安全なところから好き勝手したい」というのが世の気分ということを示しているのかもと思いました。

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2014/08/15

『ITビジネスの原理』/尾原和啓

4140816244 ITビジネスの原理
尾原 和啓
NHK出版  2014-01-28


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 「そしてインターネットは、人を幸せにする装置へ」-こんなことを書く本というのはだいたい著者が関わる何かへの利益誘導を目的としたもの。それもタイトルとは無関係な。そういう意味では本著はその典型的なもので、「ITビジネスの原理」という、ITビジネスの構造と利益源泉が読めば分かるような期待を抱かせておいて、その実、内容は著者が転職した楽天が、amazonとは違うショッピング体験を追求してるんだよ、楽天のショッピング体験のほうが優れているといえるのはこういうことを考えてるからなんだよ、と、「ハイコンテクスト」で洗脳しようとして終わる、という内容です。しかも、途中にgoogle glassを噛ませて、ちょっと間違いかもと疑わせる囮を仕掛けておいて視点をずらすという念の入れよう。IT関係者にとっては読む必要はあまりないと思います。

 特に問題があると思った2点:

  • クラウドソーシングに関して、ネット時代は時間が細切れになるので、その細切れな時間を有効活用しなければいけない、有効活用できるクラウドソーシングが有用だというロジックは分かるのですが、議事録の例えで優れた仕事をやる人の単価は上がっていくとありますが実際はそうはならない。なぜなら、その優れた仕事をやるクラウドソーシング上のマーケットも当然存在するからで、その人はそのマーケットの価格と戦わなければならないから。今のところ、クラウドソーシングマーケットというのは工数単価に落とし込めるようになったワークがたどり着くところ。
  • グローバル企業は英語よりも非言語化を志向しているので、言語を介さないほうが、ハイコンテクストなコミュニケーションが楽しめるのではないか、とあるが、これは完全に矛盾していると思う。非言語化されたところにコンテクストはない。1枚の写真がどれだけ芳醇な意味を提示しうるとしても、そのためには言語が必要になる。

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2014/08/09

『ヤバい日本経済』/山口正洋・山崎元・吉崎達彦

4492396047 ヤバい日本経済
山口 正洋 山崎 元 吉崎 達彦
東洋経済新報社  2014-08-01


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東洋経済ONLINEの「やっぱり、アベノミクスは蜃気楼?」を読んだ流れで購入。アベノミクスは成果を上げているのか、という話題が最近あまり見なくなっていたところに新鮮だったので。

やっぱり、アベノミクスは蜃気楼?」でポイントと思ったのは:

  • 消費支出が前年同月比5月がマイナス8.0%、6月もマイナス3.0%
  • 機械受注が前月比5月マイナス19.5%
  • 日経平均が15,000円を維持している資産効果が全体を底上げ
  • 公共投資4兆円の恩恵を受ける業種だけ好調
  • 消費税上げの前は社会保障がままならないと言っておいて増税後は公共投資にばらまいている

これらを直裁に書かれていたので本著を読もうと思ったのですが、出だしは「予想を覆したアベノミクスの脱デフレ効果」でした。ただ、高額消費が増えた理由として、団塊世代の投資信託の価格回復が挙げられていて、上記の「日経平均が15,000円を維持している資産効果が全体を底上げ」と一貫していて納得しました。

しかしながら、日本経済全体が回復を実感できるのは、地価が上昇したとき、つまり、バブル前に購入してローンがまだ残っているような不動産の価値が今は「元本割れ」状態だけど、これが回復したら、皆お金を使うようになる、と解説されていて、理屈は理解できるけれどどうしてもこの理屈に素直に首を縦に振れない。その理屈だと、先の投資信託の話も併せて、消費の主役は団塊世代初め高齢者ということになる。高齢者は日本のボリュームゾーンだからそれは一面仕方がないとしても、資産効果によって高齢者の消費が好調になることが、20代~30代の若者世代の経済に波及するだろうか?地価の上昇によって経済を上向きにするシナリオよりも、下落した地価をコスト減と評価するほうが、今後の日本経済にとって望ましい方向ではないか、という疑問が持ち上がる。これは成長を是とするか非とするかという根本的なところに関わってくるので簡単に考えを纏められないが、地価が上昇しなければ日本経済は復活できないというロジックは、実は乗り越えなければいけない課題のような気がする。


そこへグッドタイミングというべきか、今日の日経朝刊にこんな記事。やはり、日本経済のマクロ指標が悪いというのは周知の事実なのだ。


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他に面白かったのは、ロシアが付加価値が分からない、希少価値しか分からない、という下り。なるほどね、と納得。

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2014/06/07

『日本の論点』/大前研一

4833420627 日本の論点
大前 研一
プレジデント社  2013-10-10


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最近少し、時事問題に関して発散的というか散発的というか、ニュースで見て場当たり的に考えてそれで済ましてを日々繰り返して、「中長期的に何を考え続けないといけないんだろう?」という思考能力がやや低下していたので、論点整理された書物を纏めて読んでみたいと思いまずピックアップしたのがこれ。文藝春秋の『日本の論点』でも良かったんだけど、まずは少なめの量のものを。

頭に残ったポイントは2点:

  • 税制改革。所得減・人口減の社会では、金融資産・不動産などの資産課税が有効。フローではなくストックに課税する。
  • p185「今、除染の限界線量はどんどん下がり、逆に除染費用はうなぎ上りに上昇している。こうなると巨大な除染産業が勃興してきて、かつての自民党政治時代の砂防会館に象徴される「砂防ダム」のように、ホットスポットを見つけてきては予算を分捕る「利権化」が起きてくる。その利権の強い味方になっているのは、乳飲み子を抱えた母親であり、「校庭で遊べない子どもが可哀そう」などと騒ぐ親へのインタビューを得意とするマスメディアである」
資産課税に関しては、本著の03で書かれている「お金は使うべき」という論旨とも整合していた。どうしてもお金を使うことを推奨するスタンスに躊躇はあるけれど、やはり要は「使い方」なので、お金を貯めこむ層によって日本経済が歪んでいるとすれば、お金を使う方向に誘導するために資産課税を強化するのはよいと思う。

除染利権化に関しては、まず線量に関していったい何が正しいのかはずっと見続けないと分からないことなので簡単なことは言えないけれど、この文章を読んで真実だなと思ったのは、情緒的であることが社会を悪くすることは少なくないということ。過ぎたるはなお及ばざるが如しという諺もある。誰も反論できないような訴え方をする言説というのは大抵の場合害悪だと思ったほうがいい。

その他に考え続けたいと思ったポイントは:
  • 「安倍自民党政権がうまくいっているように見えるのは、中央の役人を上手に使っているからで、改革にはほど遠い。中央省庁を解体するか、すべての利権と権限を剥奪するくらいのことをしなければ、無血革命にはならない。中央集権を是としてきた自民党政権にそんなことできるわけがない。安倍政権にできるのは、せいぜい中央省庁の利権を奪わない程度に分け与えるお目こぼし「特区」くらいのものだ。したがって安部首相は改革者にはなれない」
  • 国民医療費の問題
  • 憲法96条について

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2014/05/03

『女のいない男たち』/村上春樹

4163900748 女のいない男たち
村上 春樹
文藝春秋  2014-04-18

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断トツに深い印象を残したのは『木野』。その都度その都度の出来事に対して本気の感情を出さない姿勢の顛末を描いていると思うけど、「しかし正しからざることをしないでいるだけでは足りないことも、この世界にはある」という一文をめいっぱい拡大解釈したくなる物語でした。黙って見過ごすことがより大きな罪であり災いを引き起こすのが現代社会だと思う。

タイトルどおり、女に「見捨てられる」男が主人公の短編集で、これまではそういった男が市民権を得ることはなかったと思う。むしろそれが特殊だから話になる、という扱いだったと思うけれど、本作はそれが普通のことになった、つまり女も男も捨てるものであり捨てられるものになったんだということを象徴しているよう。

目についたのが、「病気」といった言い回しが出てくること。もうどうしようもないことが世の中にはあって、それは「病気のようなもの」という片付け方を何度かしているように思う。それは突き詰め方が甘いというよりも、「なんでもかんでも原因分析してきりきりしていくばかりがいい結果にならない。病気だってあるんだ」という姿勢が現代は結構重要なんじゃないか、という視点を僕に改めてくれた。

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2014/04/20

『地図と領土』/ミシェル・ウェルベック

地図と領土 (単行本)
地図と領土 (単行本) ミシェル ウエルベック Michel Houellebecq

筑摩書房  2013-11-25
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あまりの要素の多さに頭が全く追い付きませんでしたが追い付けなくても大興奮のおもしろさでした。サムソンとかコマツとか固有名詞を挙げ、しかもマニュアルか新聞記事かと思うくらいの細かさでの描写も、リアリティの追求ではなくて消費社会・市場主義社会の批判がダイレクト。ただ物語の筋が消費社会・市場主義社会の批判ひとつだけではなくていわば複々線的なので文字通り息をつく隙がない。シナリオがメインとサブというのではなくて全部が並び立っている小説は日本の小説だとあまりない気がします。

感想にどのエピソードを取り上げればいいのか迷うんですが、そうは言ってもやはり「消費社会・資本主義社会の批判」というのが私にとっては最重要。ジェドがアートの世界で成功を収めたのも、あの凶悪な犯罪者の動機も、僻地-と呼ぶのがはばかられるなら田舎または郷土-の復権も、大学で学問を熱心に学ぶ女性学生も、そしてジェドの父親さえも、皆結局は市場主義の仕組みとルールを理解し、それに則っているだけだという結論に収斂されていきます。タイトルの『地図と領土』、領土は現実のもので地図はそれを模したもの、そしてジェドは終盤「<世界>を説明したい」という言葉を呟きます。著者の市場主義の様々な事象を具に記憶する観察眼と、そこから齎される「諦念」が徹底しているので、「市場主義社会というひどい世界に今我々は住んでいる」というような読後感を残すものではないのですが、かと言って(小説というのはもちろんそんな役割を受け持つものではないと思いますが)「現代の市場主義社会のその先」を発想するところはないので、深く考えこむとその点に少し物足りなさ・寂しさを覚えるところです。

私個人は、市場主義社会が持つ歪に対抗できる単位は「時間」ではないかと思っています。何に時間をかけているのか。でもこれは「かけた時間が価値なのか」「価値の創出には効率性の観点でかける時間が少なければ少ないほどよい」という2つの概念が堂々巡りで戦うことになります。

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2014/04/15

『里山資本主義』/藻谷浩介

4041105129 里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
藻谷 浩介 NHK広島取材班
角川書店  2013-07-10

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この本は詰まるところ、地方の閉じた経済圏内で、資源を有効活用して収支安定を計るという施策の「実行可能性」と、「収入を増やすことよりも、支出を減らすことを考えましょう」ということの2つに自分の中では尽きました。

「支出を減らすことを考える」際、今までは年金をカットするとか、高齢者の医療費負担を上げるとかが主だったと思いますが、「エネルギーを自作することで、エネルギー費用を縮小する」という方策は新鮮でした。ある程度実現可能性もある。だから、本当にそんなことができるのか?という気にかかり方ではなく、気になったのは「これまで地域の外に支払っていたお金が地域に残る」という発想でした。そして、周防大島の瀬戸内ジャムズガーデンのように、地域の外から人を呼びこむことによってお金を稼ぐ、という発想、これは正に「外貨を稼ぐ」発想と近いように感じます。もちろん通過は同じ国で円なので外貨を稼ぐ訳ではないですが、日本の中でラインを引いて、自分たちの領域内から外に出るお金をなるべく減らし、領域外の人が使うお金を増やすことが望ましい方向ということだとすると、やはりそこには「成長」がないと格差が開いていくだけなのではないか、と考えてしまいます。

少し話がそれますが、ふるさと納税もこれに近い違和感を感じるひとつです。どうして他都道府県の人がお金を使ってくれたら、それに対して特産品とかの特典をつけなければならないんだろう。その地域に住んでいて、真面目に住民税を払っている住民に対してこそ、まず何か特典があって然るべきじゃないのか?住民が支払う住民税は土台であってベースであっていわば当たり前のお金なのでそれに対してお礼は全然考えません、でも非住民の方がくださるお金は上積みなので、インセンティブを出してどんどん追加がくるようにしましょう、ということだと思うんだけど、これって正直者がバカを見ると言ってるに等しくて、でもそれによって助かる地域の生産者がいたりする訳で、結局「経済最優先」になってしまっている。健全な社会に生まれ変わらせるなら、こういうところは正していかなければならないと思う。

ちょうどこの本を読み終わるくらいの頃、藻谷氏がニュースステーションに出ていて、里山資本主義というのは何も大仰に「電気使うのやめましょう」と言っている訳ではなくて、できるところからやればいいということと言っていたのを聞いた。領域外に流れるお金を減らす策を突き詰めるとすれば、節約できたお金が向かう先が領域内になるのかどうかがこの話の決めてじゃないかなと思います。

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2014/04/13

『1971年 市場化とネット化の起源』/土谷英夫

1971年
1971年 土谷 英夫

エヌティティ出版  2014-01-17
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変動相場制への移行を導いたニクソン・ショックと、インテルの世界初マイクロプロセッサ発売の1971年。著者はこの2つの出来事を現代に至るエポック・メイキングとして、1971年を「市場化とネット化の起源」とする。IT業界に身をおいているのに恥ずかしながらマイクロプロセッサが世に登場したのが1971年と知らず、ニクソン・ショックと同じ年にマイクロプロセッサが登場していたんだという事実に少々感動してしまいました。確かにこの2つの出来事が、(良し悪しは関係なく)現代の世界のかなりの部分のベースであることは否定できないので、「起源」という著者の表現は彗眼と思います。

著者は成長のない経済は成立しないという趣旨で話を展開していると思います。また、その反証として「オキュパイ・ウォールストリート」もいつの間にか下火になったという現実を冷徹に記載しています。それと、ハイエクの「合理的な経済を実現する統合的な一つの知は存在しない」ので、多様な不完全な知の集合が全体として合理性に近づく、という趣旨を最後に展開するのですが、IT業界に身を置く私としては、1971年のマイクロプロセッサ登場とともに始まり、何度も何度も「全能」を唄いながらキャパシティ不足や処理能力不足で不完全なもので終わってきたデータ分析が、昨今、いよいよビッグデータという言葉とともに(少なくとも市場(マーケット)的には)完成形を迎えつつあるように見えるなかで、「多様性」は今後も求められるのか?その辺りが次のエポックと考えて、読むテーマを意識していかなければいけないのかなと考えています。

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2014/02/11

『テトラポッドに札束を』/和佐大輔

会社の人に勧められて、わざわざ勧めてくれるくらいだから世間での会話の共通言語ではあるのだろうと思って読んでみましたが、結論としては読まなくてもいい本でした。私に残った興味は、著者は自身のビジネスの黎明期の収入に関して、確定申告をしているのかなということくらいでした。

このタイトルから連想する内容で、読んで得られると期待することは大きく2つあると思っていて、一つは超実践的なネットビジネスノウハウ、もう一つは半身不随という厳しいシチュエーションに置かれた方のタフなメンタリティ。だが、前者はそもそもそのノウハウで稼いでいるので本で公開されるはずもなく、後者に関しては文面は丁寧なんですが胸に迫ってくるものはあまりありませんでした。最もこれは個人差があることだと思います。

端的に言うと、彼が成功した要因の多くは先行者利得であって、彼のスタンスや精神性や向学心とはあまり関係がないと思います。もちろん、あの時代にインターネットに目をつけたこと、更にそのインターネットに目をつけるに至った理由が不慮の事故だったというところで、「不慮の事故にあってもそれを恨むのではなく現状を受け止めて前を向く」という教訓や、「インターネットといった先進的な技術を意欲的に取り組む」というスタンスを学ぶことはできますが、この手の教訓やスタンスを鮮烈に心のなかに印象付けるような文章にはなっていないと思いますし、こういった教訓やスタンスを身につけたいと思っている人は、本著を読む前にすでにこの教訓やスタンスは少なくとも頭のなかに入っていると思います。

タイトルはもちろん『アルジャーノンに花束を』にかけていて、かつ、敢えて「札束」とヒールな空気の表現を使いつつ実は自分を半身不随にしたテトラポッドに感謝をしているということを伝えている捻った構造なんだと思うのですが、花束が札束に変わっていた通り、金銭的な成功を伝える以外のものは私にはありませんでした。

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2014/02/09

『クォータリー マグナカルタ Vol.05』/島地勝彦

4864911061 クオータリー マグナカルタ Vol.05 WINTER 2013
島地 勝彦
ヴィレッジブックス  2013-12-20


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「税金から逃げるのは誰だ」というオビの文句に心を鷲掴みにされて購入。その特集はどの記事も興味深かったです。中から二つ:

「税金と共同体 租税回避と国民国家の解体/内田樹」

ここ最近ブログに書かれていたのと一貫した趣旨で、グローバル化による流動化に対する批判が展開。私はグローバル化については「程度問題」と捉えるのが適切と思っているので、グローバル化を全面否定するに近い論調には馴染めないのが正直なところなのですが、「自民党改憲草案」の22条改憲案が、「公共の福祉に反しない限り」が削除されているという指摘の部分はなるほどと頷いた。ただ、日本を見限るのは何も富裕層だけではない。このあたりの時代の変化を直視した上で、「日本に税金を納める」気持ちにさせるのは何かを突き詰めないと、この議論は何の意味もないように感じた。そうでないと、「日本に生まれた限りは日本に税金を納めるのが当たり前だろう」という精神論の域を出ないし、それこそ「古いスローガン」を振り回す側とやってることはなんにも変らないからだ。
「税をめぐる不都合な真実」/橘玲
「日本国の行政経費は国家予算90兆円に地方自治体の歳出や公的年金・医療保険など社会保障関連支出80兆円を加えたおよそ170兆円だ。これを20歳以上65歳未満の労働可能人口8000万人で割れば、一人当たりの人頭税は年間200万円強になる。これで、所得税や法人税、消費税はもちろん、年金や健康保険料もなく、国債の発行で将来世代に負担を先送りすることもない完全に平等な国家が出来上がる」
「ほとんどのひとは提供される公共サービスに対して過小な税金しか払っていない」

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2014/01/12

『異端の統計学ベイズ』/シャロン・ヴァーチェ・マグレイン

4794220014 異端の統計学 ベイズ
シャロン・バーチュ マグレイン 冨永 星
草思社  2013-10-23


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ビッグデータに関する資料や書籍を当たっているうちにいつの間にか興味を惹かれていたのがベイズ。今思い返すと、ベイズの何を聞きかじって興味を惹かれたのか明確に思い出せず、また、ベイズと巷で取り上げられる意味でのビッグデータとの関連性が今ひとつ明確に説明できないけれど、ベイズ統計学と本著は非常に読み応えがあり抜群に面白かったです。数学に全く興味が持てなくても、現代の最先端のITを支えている理論、その考え方が、黎明の1740年頃から今に至るまでどんな歴史を歩んできたのか、スリリングなドキュメンタリーに惹きつけられると思います。

ベイズの定理そのものの解説や来歴は脇に置くとして、「ベイズ」という統計学の歴史を読もうとして思いがけず現在の日本の情況を顧みずにいられない記述に二箇所出くわします。一つは第二次大戦終結時にチャーチルが暗号化解読の証拠の破棄を命じた部分、もう一つは1970年代のアメリカでスリーマイル島原発事故をベイズ理論で予見していたという部分です。

p161「なぜこんなにも長い間、暗号解読を巡る話が伏せられてきたのだろう。たぶんそこには、自分たちがタニー・ローレンツ暗号を解読できるという事実をソビエト政府に知られたくない、というイギリスの意図が働いていたのだろう」

連合国の勝利にはチューリングらによるドイツ軍の暗号・エニグマの解読が大きく貢献したのですが、チャーチルはエニグマを所有したソビエトに、自分たちが暗号解読能力を保有していると知られないほうが好都合と判断したというものです。このために、暗号解読に多大な貢献をしたベイズ理論は陽の目を見られなくなるのですが、この判断をベイズ理論の立場から見るのか国家安全保障の立場から見るのかで意見は大きく異なってしまいます。これ以外にも、本著には幾度と無く「機密扱い」という文言が出てきます。学者達が国家の安全に貢献する研究を行ったにも関わらず、その成果が「機密」となって世に知らしめられない事態。特定秘密保護法の本来的に期するところはこういった国家の安全に関わる機密情報だと思うのですが、意図するところが仮に国民として納得できるそれであったとしても、その制定過程を誤ると理解できないし、その法によって実現される規制が本来の意図から大きく逸脱してしまうということを改めて思いました。

p326「アイゼンハワー大統領は1953年に「平和のための原子力」と題する演説を行って、原子力産業の展開に着手した」「そしてその20年後には、環境や人々への安全リスクに関する包括的研究はいっさいなされぬまま、アメリカ国内で計50基の原子力発電所が稼働していた」
p329「2003年にはアメリカの全電力の20パーセント相当が104基の原子力発電所で作られていたにもかかわらず、1978年からこれを執筆している今(2010年から2011年にかけて)までに、原子力発電所を新設せよという命令は一度も下されていない」

「これまで事故が一つも起きていないのだから、この先も事故は起こらないはずだ。そうはいっても疑問は残った。不可能とされることは、ほんとうに起きないのだろうか?」この言葉は、3・11における福島原発事故を経験した日本人には重く痛く突き刺さります。アメリカでは、「起きていないこと」の起きる確率を導き出そうという発想がありました。おそらく、日本にはそれはなかったのでしょう。これはひどく単純でかつ重大な違いのように思えます。今のところ起きていない事象の発生確率を考えるためにはどのようにすればいいか、そもそもそれを考えようとするかどうか、「ありえない」という言葉が安直に使える日本語の世界では、根付きようのなかったスタンスなのかも知れません。

ベイズ理論は、そのような「起きていないこと」の発生確率を考えることのできる理論です。これは頻度主義と言われる一般的な統計手法、つまり発生件数をカウントして検定して確率を導く方法ではそもそも扱いようのない課題でした。この点に興味をもたれたら、それだけでも読む価値のある一冊だと思います。

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2014/01/05

『安倍政権のネット戦略』/創出版

4904795253 安倍政権のネット戦略 (創出版新書)
津田 大介 香山 リカ 安田 浩一 鈴木 邦男 中川 淳一郎 下村 健一 マエキタ ミヤコ 亀松 太郎 高野 孟
創出版  2013-07-23

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日本には既に「ティーパーティ」があったんだ。迂闊だったよ。

自民党は、適当なこと、いい加減なこと、嘘をついても誰にも怒られない場所をうまいこと見つけたんだなあ、というのが最大の感想。おまけに、自分たちの代わりに勝手にネガキャンを張ってくれる「自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)」という”市民団体”を見つけて公認してる。手が付けられなくなったら、切って捨てるんでしょうきっと。

ソーシャルメディア人口3,000万人のうち、政治の話題で反応しているユーザが推計10万人で、果たしてどれくらい効果があるのかというふうにも思うけれど、投票率が低い40代以下の世代の支持を取れている効果は小さくないと思う。40代以下の世代全般の支持を得ているということではなく、「投票に行かない人が多い中で、愛国的な発言によって投票に行く集団をうまく見つけた」というところ。

それにしても「サプライズ」感覚が、こんなにも悪い方向に出てくるとは。ネット上では「平和主義」が「優等生」で「驚きがない」ので見向きもされず、敢えて「愛国的」な言説を唱えるほうが「注目」され「主流」になるという。一体何がその人のゴールなのか。何をやりたいと思って生きているのか。よくわからない。
ネットというのはほんとにホントとウソが混じった世界なので、ユーザがリテラシーを高く保とうという意識が大事なんだけど、「時間がある」ユーザは暴力的にウソをばらまくことができるし、それに対抗するだけの時間をほとんどの人は持たない。これって「取り付け騒ぎ」のように僕の目には映る。その「風説の流布」をした人間が咎められることはない。だって噂だから。だってネットだから。こういうことが起こらないように、という文脈でなら、ネット上の匿名性を制限しようという動きもまだ理解できなくはないけれど、特定秘密保護法は成立した今であっても、ネット上の匿名性制限の話はとんと聞かなくなった。J-NSCなんて市民団体があれこれ触れ回っているような状況ならそりゃそうでしょう。制限しようなんて思わないでしょう。

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2014/01/01

『ペテロの葬列』/宮部みゆき

ペテロの葬列
ペテロの葬列 宮部 みゆき

集英社  2013-12-20
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久し振りのミステリーでしたが、帯の『”悪”は伝染する』に惹かれて、ドロドロした性悪な人間性の応酬みたいのを期待していたもののそれはそこまでではなかったです。本筋の事件での顛末よりも、主人公の杉村夫婦の動静に最も心を持って行かれます。

「世直し」という言葉を頻繁に使う、という会社社長が登場するのだけれど、時流を捉えた言葉というのは、その背景に目を瞑らせるというか気にさせなくするというか、詳しい説明を省略させるだけの力を持ってしまうという怖い事実を改めて思いました。よい意味ではそれが「信用」なのだけれど、背景や裏付けを全く聞かず、バズワードとか流行の三文字略語とか、その単語だけを振り回してしまうことの怖さ。でも世の中時間がないから、それだけで事が進んでしまう怖さ。それは、「言葉そのものが価値を持つ」という考えを無意識に支持しているから起きてしまうことで、やはり先日読んだ池田晶子の中の「言葉は交換価値ではなく価値そのもの」という定義は否定されなければならない、と強く思いました。それは、「とりわけ、多くの人たちがもてはやしているという理由だけで流行っているものには」という杉村の台詞からも感じます。

もうひとつ、会社にせよ軍隊にせよ、抗えない環境が構築されそこに囚われたとき、人間はどうなってしまうのか、どう行動するのが正しいのか、ということを考えさせられます。「この理念こそが正しいのだ」という思想的な動機であっても、「こうすることが儲かるのだ」という金銭的な動機であっても、受ける傷はそう変わりません。もっと悲劇的なのは、タイトルにあるペテロのように、途中で良心の呵責か何かでその道を引き返そうとしたとき、そこで行いの罪が現前してしまうことで、引き返そうとしなければそんな罪もそれに対する罰も受けずに済んだのにーということです。これに対して本著がどういう答えを導いてくれているのかは、ひとつではないので、この答えを考えながら読んでみるのがオススメです。

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2013/12/31

『人びとのための資本主義』/ルイジ・ジンガレス

人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す
人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す ルイジ・ジンガレス 若田部 昌澄

エヌティティ出版  2013-07-26
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・アメリカは「縁故主義」(クローニー資本主義)が蔓延している。アメリカにおける縁故とはロビー活動である。ロビー活動に大金を使える、大企業を利する経済政策が行われている。
・これを正すにはクラスアクションをより簡便に、活発にする仕組みを組み込む必要がある。もう一つは企業のロビー活動に対する累進課税。
・租税裁定取引を避けるための方策は、個人所得税とキャピタルゲイン税を同等に取り扱うことだが、その際発生する問題は、法人税率の修正で解決できる(法人もキャピタルゲインを得る際には課税されている)。
・未払いの短期債務に1%の課税をすれば、上位9行だけで年額2150億ドルの税収が得られる。これは年収三万ドル以下の家庭6500万世帯からの総徴税額に等しい。

上記の趣旨とアイデアはよく理解できたし特に租税に関してはなるほどと納得したのだけれど、何とも違和感を覚えながら読んだのはアメリカの医療保険制度に対する批判の部分。

社会保障制度がネズミ講と批判されている部分、これは日本の年金制度と全く同じことだと思う。でもその後、医療保険に関して大きな欠陥があると批判している部分はうまく納得できなかった。アメリカは、保険が存在しないから、医療費が高額になるので風邪をひいても病院に行かない人が多いという話じゃなかったっけ?そして、医療保険の実質コストが支払人から隠されていると批判されているが、これは日本でも同じではないか?ということ。

後者はよく考えてみれば隠されているから高齢者がむやみやたらと通院するところから見てその通りなのかも知れないが、前者は正反対のことを言っていてそのままにはしておけない。

日本も会社員は企業の組合健康保険に加入していて、本人と企業が保険料を支払っている。じゃあその組合に国から保険料が支払われているか?というとNoだというのが私の知識。しかし調べてみると、国民健康保険に関しては国庫負担が30%~50%の幅で存在した。この国民健康保険への投入税金は、国民が広く分担していることになるので、会社員の我々にしてみれば、もし自社の健康保険組合が税金投入を受けていなければ、自分たちが便益を受けないサービスに対して負担を負っていることになる。これがフリーライダーの一種ということか。

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2013/12/22

『イエスタデイ』(文藝春秋2014年01月号)/村上春樹

B00GUP6QYS 文藝春秋 2014年 01月号 [雑誌]
文藝春秋  2013-12-10


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村上春樹を読むとき、僕はいつも「自分がわからないことはどれか」と探しながら読んでいる。ストーリーももちろん楽しめるのが村上作品だけれども、ストーリーの姿を借りて伝えようとしていること-より正確に言うと直接表現するのではなくてストーリーの姿を借りることでしか伝えられないこと-をできるだけ見つけられるようにと思いながら読んでいる。自分がわからないこと、つまり自分は知らないことなのにそれに気づくことができるというのは矛盾だけれども、それができてしまうところが読書の面白さであり凄さでありありがたさと思っている。
そういう意味で言うと本作は、書き下ろし新刊と違って、それほど村上春樹に熱心ではないような人、もっというと普段小説なんてあまり読まない人が読む可能性をよく計算に入れた小説だったと思う。比較的、「読んで分かった」気になりやすい構成になっていると思う。東京生まれの関西弁使いと、関西生まれの標準語使い。お互い、田園調布と芦屋という、世間的には裕福な世帯と受け取られる土地ながら実のところそれほどでもなく至って普通の所帯、という設定が何を言わんとしているかは比較的容易に頭に浮かぶし、栗谷えりかとの奇妙な、というよりは主人公の友人で栗谷えりかと「つきあっていることになっている」木樽の作為的な三角関係とその顛末で指し示そうとしていることもすんなり頭に浮かぶ。
僕はこの物語を、何が普通で何が普通でないのかの基準云々を考えることについての契機としてではなく、昨日は二度と帰ってはこない、けれど昨日を思い出せることは人生に不可欠なことであるという教示を得るものでもなく、明日のことは誰にもわからないのだから今を大事に生きるべきなのだという気概を読み取るのでもなく、やっぱり「言葉」についての単純な一言に引っかかったまま読み終えた。

「大事なときに適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。住む場所が変わっても、話す言語が変わっても、こういう根本的な問題はなかなか解決しない」

だから、谷村が「語気がいくらか荒くなって」言ったことが、谷村にとって大事なときの適切な言葉だったのかどうかは、わからない。

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2013/12/08

『41歳からの哲学』/池田晶子

4104001066 41歳からの哲学
池田 晶子
新潮社  2004-07-17


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41歳の今、どういう訳か中途半端な「41歳」からの哲学、というタイトルを見つけて即借り。2004年の本なのでちょうど10年前。取り扱っている出来事も『バカの壁』や年金法案、デジタル放送や北海道地震等々並んでいて近過去を振り返るいい材料でもありました。特に北海道地震に際しての下りについては、東日本大震災を経た今、著者がどんなことを地震に対して言うのかとても興味があるし、たぶん深刻な被災者ではないと思われるので、本当に東京に大地震が起きて被災した際に何を言うのかにも興味があるが、それ以上に「北海道地震のときよりも東京での大地震の実感が高まった」のかどうかとそれについてどう言うのかに興味があります。

さて本著については頷けるところと頷けないところがはっきり別れ、しかも頷けるところも頷けないところも非常に大きいのが印象的でした。しかも頷けるところは主に「生死」に関するところ、頷けないのが「テクノロジー」に関するところ、というのが面白い。
  • 死は観念でしかない。自分の死は体験できないのだから、動物には死は存在しないし、死を恐れてもいない、人間は観念として自分の死を所有している。この説明は、今までいろんなところで触れているはずなものの、最もすとんと頭に入ってきた説明だった。
  • 「おそらくそれは、大学紛争のせいである」大学がなぜ愚者の楽園になったのか、そして大学では学問を教えるのではなく商売の仕方を教える、または商売そのものをしろというようになったのか、その原因を「大学紛争のせい」と断定している。これはその通りだと感じる。その通りだと感じる理由は本章で続けて書かれている通り、「反体制と金もうけとが、どんなふうにアウフヘーベンされたものか、一度きっちりと自己批判して頂きたい」ということに尽きる。自分たちで学問を破壊しておいてその反省もないから大学は愚者の楽園になるより他になかったし、学問を破壊するような、学問の価値を分からない人間だからこそ大学に対して「役に立つこと、つまり金もうけに直結することをやれ」としか言わない。
  • デジタル放送にしろケータイにしろ電子メールにしろおよそ新しいテクノロジを「不要」「人を馬鹿にするだけのもの」と切って捨てているが、私はこの手の言い分は間違いだと思う。それならば書物だって不要だとされた時代があったのだ。言葉は人の口から出てくるものだけが言葉そのものであって、書き残す言葉というのは何事か、と。それにテクノロジが不要だというなら人間の歴史の中で火ですら、無かった時期と使い出す時期の境目はあり、そこでは火の使用に対する抵抗があったはずだ。自分たちが生きる時代に新しく生まれたテクノロジにのみ要・不要を向けるこの手の言い分は間違っていると思う。
  • この本の一番の問題点は「言葉は交換価値ではなく価値そのもの」という部分。これは記号論から学んだ知識と激しく対立する。敢えて記号論を持ちださなくとも「言葉は言葉自身で価値を持つ」という言い回しそのものに危ういものを感じずにおれない。あるものがあるものそのもので価値を持つという考え方は、言葉に対しても当てはめるべきではないと私は思うので、その理由付けを記号論関連書籍を再読しながら考えたい。

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2013/11/17

『すばらしい日々』/よしもとばなな

すばらしい日々
すばらしい日々 よしもとばなな

幻冬舎  2013-10-24
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よしもとばなながこれまで繰り返し言っているのは「今日一日を大切に生きよう」というシンプルなことで、逆にこれ以外のことはほとんど言っていないと思う。「今日一日を大切に生きる」というテーゼは誰でも思っているし誰でも言える簡単なテーゼだけど、それを芯から納得できるように言葉で伝えるのはほとんど誰もできない。よしもとばななは物語でそれをやってのける上に、エッセイでもそれをやってのける。

いちばん心を打たれたのはやはり「血まみれの手帳」という、父・吉本隆明の遺品である、血糖値をメモした手帳を譲り受けた件を書いたエッセイ。眼が見えなくなっていてもメモを書き付け続けた父の孤独な闘いが、よしもとばななをいつか支えるんだというこの話は、自分はどういうふうに生きていけばいいのかを考えるとても大きな助言になる。
できることなら自分も、考えることをやめないで、思うことをできる限り正確に伝えられるように自分を鍛錬し続けていきたいと思う。生きていくために働くことが必要であるなら、働いているフィールドにおいても、できる限り正確に話し、正確に伝えられるように研鑽していきたい。そう思うことは、その日一日を大切に生きることに繋がっていると思う。ただそれには途方もない精神力が必要だけれども、その精神力の立ち上げの助けになってくれるのが本著だと思う。

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2013/11/10

『数字を追うな 統計を読め』/佐藤朋彦

4532355761 数字を追うな 統計を読め
佐藤 朋彦
日本経済新聞出版社  2013-09-21

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確か日経新聞の書評だったと思うのだけど、「公開されている統計情報でも十分に深い知見を得ることができることを教えてくれる」と書かれていたので興味を惹かれ購入してみました。通読した感想としては、公開された統計情報を使ってデータ分析をするスキル・技法の解説書ではないので、そういった点に期待すると肩透かしかもしれませんが、「統計」に向き合う際の姿勢を学ぶのによい一冊だと思います。「統計」という言葉の来歴など、統計周辺の予備知識が豊富に語られています。

本書で紹介された統計の中でいちばん印象に残っているトピックは、統計としては「世帯主の年齢階級別「うるち米」購入量の前年同月比」の話でした。1993年の平成コメ騒動の際、その当時の40歳代、いわゆる「団塊の世代」だけがうるち米の購入量増加率が増えなかったという統計結果で、「昔から団塊の世代が動くと世の中で大きな動きになると言われていたが、やはりこの世代は他の世代とは何か違う動きをしている」というコメントが添えられていました。

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2013/11/04

『海辺の生と死』/島尾ミホ

海辺の生と死 (中公文庫)
海辺の生と死 (中公文庫) 島尾 ミホ

中央公論新社  2013-07-23
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『死の刺』に登場するミホが作品を残していることも知らなかったし、解題を吉本隆明が書いていると知ったのもあって、書評で見かけて即購入。でも、タイトルに「死」がついているし、やっぱり『死の刺』のミホが書いたものだと思うと読む前からどんよりしてなかなか手をつけられませんでした。
しかし読んでみるとけして「生と死」から連想する澱んだものではなく、ミホの故郷である奄美大島の習俗や暮らしがのびやかで心優しい筆致で描かれていて、ミホとその父母の大きな心の在り様に魅せられました。「生と死」は、島で起きるあらゆることに、例えば牛の眉間を斧で打つというような、そういう一切にタブーを設けず受け入れる姿勢を端的に表したタイトルだったのです。

コミュニティが確立している、南の小さな島に入れ替わり立ち代わり本土など外部から一時的にコミュニティにやってくる。この「外部からやってくる人たち」との交流と、話の序盤で語られる頼病患者の死の話や牛の話、子山羊の誕生の話とが不思議な交歓を生む。ここを吉本隆明が解題してくれていて、これらが「聖」と「俗」の物語になっている、という。そして、「聖」と「俗」は元来一体のもの。切り離すことはできず、あるのは「聖」と「俗」から離れた外部だけだという。島尾ミホは、そのことを意識のうちに入れて、「生と死」というタイトルを与え、序盤に頼病や牛のと殺や山羊の誕生を配置し、中盤に不安な夜の回遊と旅の者という「外部」との交流を、そして終盤に、島民全員から崇め奉られる、(これも外部からやってきた)特攻隊長の夫島尾敏雄との出会いを配置したのだろうか?この朗らかで屈託のない調子は、そういった「構成」の作為が働いているとはどうしても思わせない。
この吉本隆明の「聖」と「俗」は切り離せず一体となってやってくるものだという解説は感覚的によくわかり賛成できる。現代に生きていると、「聖」はどこまでも「聖」であって、その対極に「俗」がある、というのが極めて疑いようのない常識的なことだという認識になるけれど、実は「聖」と「俗」は切り離せない。もし、何かの形で序列をつけなければならないとしたら、日常生活の柵を抜け出そうとしない自分自身の弱さを底辺に置くべきであって、そこから逸脱し超越しようとするものはすべて「聖」であり「俗」であるということだと思う。作中、ミホが「俗歌」を歌ったことを母に窘められ縮こまったことが脳裏に浮かぶ。

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2013/09/23

『ヒプノタイジング・マリア』/リチャード・バック 天野惠梨香訳

4839701555 ヒプノタイジング・マリア
リチャード・バック 和田穹男
めるくまーる  2013-08-15

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 『かもめのジョナサン』のリチャード・バックの最新作、よしもとばななの推薦文、ということで飛びついて買ったのですが、読んでいる最中にあらましわかってしまうし、あまり高揚感なく読み終えてしまいました。一言で言うと、『ジ・アービンガー・インスティチュートの”箱”』の小説版、という感じです。

 「ヒプノタイジング」とは催眠術。自分の人生そのものも、催眠術に掛けられているようなもので、繰り返し繰り返しやってくる暗示を受け入れたり否定したりしながら生きている。だから、肯定的な暗示を選び、自分で肯定的な暗示を発し、否定的な暗示は捨て去るようにすれば、人生は肯定的なことばかり起きるようになる。この存在は「魂(スピリット)」なのだから、すべての制限は「思い込み」=否定的な暗示に自分を掛けているだけで、死んだとしてもそこで自分が終わるわけではない。それさえも否定的な暗示に過ぎない。

 という、唯心論的な教義を、読者の心になるべく効果的に嘘くさくなく落とし込めるように物語が描かれていますが、そうは言ってもどうしたって嘘くさいと思う。これは一種の「最善の事例」であって、これを読んで「よし、じゃあ私も今日から肯定的な暗示ばかりを選んでいこう」というふうに奮い立つ人は少ないと思うし、一方でジェイミーが体験した不思議な成り行きにココロ震わす人もいないと思う。この小説はストーリーを魅せるというよりも「経典」的な性格を強く負わせて書かれていると思うし、アメリカの小説にはこういう「経典」タイプがジャンルとして確立してるよなと思う。

 肯定的に考えるという姿勢自体は全然否定しないけれど、こういう講釈をつけられた上でその姿勢を取るのはなんか疲れてしまわないか?といつも思います。日本人はやっぱりそういう講釈の裏付けで動くのが苦手なのかも、と自分を振り返ってみて思ったり。

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2013/09/16

『文・堺雅人』/堺雅人

4167838710 文・堺雅人 (文春文庫)
堺 雅人
文藝春秋  2013-07-10

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 「堺雅人は鞄に原稿を書くための道具を入れて、持ち歩いている」と背表紙にあったので、もっと思索の密度の濃い文章を想像していたら、起承転結の意識がしっかりしたきちんとした「コラム」だったのでちょっと肩すかしでした。もっと、結論の出ない苦悩感のある文章かと思ってました。

 雑誌の連載ということで、最初の方はまだ書き馴れていないからなのか、丁寧な構成だけれどもそれほど目新しくない内容かな、という印象でしたが、全体の半分を過ぎたころ、『ジャージの二人』の話題が出てくるあたりから深みが増してきて面白かったです。更に後半、『篤姫』が出てくるあたりになってより深くなって、俳優さんはやっぱりその時手掛けているお仕事によって密度が変わるのだなあと改めて思いました。
 特に興味深かったのは2点、ひとつは長嶋有との対談で男女同権について触れているところについて。堺雅人は5歳くらい年下という印象なんですが実際は1歳違いなのでほぼ同世代、その彼が男女同権について、男性という側から男女同権を実行しようとすると、必ず困難が付きまとうと言っているところ。実際のところ、「男女同権」と言っている女性も、実は「同権」なんて求めていないのではないか、もしくは「同権」ということがわかっていないのではないか。ここはこの本を読んだ人にはみなちゃんとそう読み解いてほしい。
 もうひとつはコトバについて、「僕のなかには東京コトバでうまくいいあらわせないなにかがあるのだが、僕のさびついて宮崎コトバではもうそれは表現できない」と言っているところと、「本来コトバのうらにあるはずの動機(といって大袈裟なら、そのコトバがでてくるまでのココロのうごき)が追いつかなくなってくる」と言っているところ。自分の思っていることを自分の思っているように”話し”コトバで表せない、という悩みは常に深くある。僕の場合、それはもしかして、関西弁としてほとんど同じようで実は微妙に違う奈良弁と伊賀弁の差にあるのではないかと思うことがあったり、よどみなく話せるようになったことの裏側では、話したいというココロのうごきが衰えてしまっているというような話。これについて語っている部分は、丁寧に書いていらっしゃるなあととても感動しました。

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2013/08/24

『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』/ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ

4062180618 ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える
ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 斎藤 栄一郎
講談社  2013-05-21

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 「ビッグデータの要諦は正確性の放棄と相関関係」という基礎知識については置いておいて、「そこに人間の自由意志は残るのか」という問い掛けにずっと心が囚われた。理由は判らないけれどもハリケーンが近づくとポップターツがよく売れるので店頭に置いておいたら果たして売上増大に繋がった、という話を聞くと、それを選択しているときは確かに自分で選択してるはずなのに、そういう選択をするということが何者かに判られている時点で自由意志ではないような気持ち悪さを感じてしまう。思想の書物を読んでいても、その選択は本当に「自分」が下した選択か?という問い掛けを何度も読んで考えてきたので、ビッグデータという、思想や哲学ではないIT分野の書物でこの問い掛けに遭遇して、自分の好奇心が刺激された。

数年前から事あるごとに思い出す「編集」に関する問い掛けもよく似ている。「果たして「オリジナル」は存在するのか?」という問い掛け。「編集」の文脈で考えるとき、「オリジナルは存在しない」というのがほぼ覆せない定説で、いつもデリダのエクリチュールを思い返す。そしてエクリチュールを思い返すとき、いつも連想でフーコーのディスクールを思い返す。オリジナルはないし、自由もない。言葉を使うとき、すでに権力に伏していて、権力の下で言葉を使っている。これまでのITの世界も、これとすごく似ていたと思う。世界の事象をそのまま扱うことはできないから、モデルを作りそのモデル内でデータを集め、更にそのデータをサマライズする。これは編集に似ていると思うし、モデルを構築する時点で、権力の元にある。
 しかし、ビッグデータはサマライズしない。ローデータにアクセスして、知見を見出そうとする。少なくとも、ITの世界の中では、ローデータにアクセスするということは、オリジナルにアクセスしているということになる。実際のデータサイエンスの世界はそんなに簡単なものではないようだけど、概念上では大量の、整形されていないオリジナルにアクセスすることになる。このITの潮流は、また新しい哲学に繋がるのだろうか?とても興味津々だけど、追いかけて行き方がまだ、わからない。

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2013/08/18

『爪と目』/藤野可織

文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌]
文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌]
文藝春秋  2013-08-10
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 主人公の「あなた」の無感動ぶりというか無執着ぶりというか薄情ぶりというか、誰が読んでも「現代人ってこういうふうに、無暗に自我を通そうとしたりせずに低温で生きてるよなあ」と思うような気がして、だから「あなた」だと思えて仕方ない。ちょっと人間としてでき損ねてる具合では、「あなた」が愛人である「わたし」の父もいい勝負なんだけど、「あなた」のほうが賢い感じで、父のほうがバカな感じを受ける。そして賢い感じの「あなた」が、怪死した「わたし」の母のブログを見つけ、そこに記録されていった拘りのあるようでないような些細で細やかな日常の変化の記録を追いかけまくったとき、人はなぜ「執着」するのかを少しわかったような気になる。でも肝心なところは見ないので、「わたし」に「見ないようにすればいい」と諭して施したマニキュアという「見えないようにするもの」で「見えるようになった?」と言われてしまう。

 わたしは前々からよく見えていたというのに、あなたとわたしはそれ以外はだいたいおなじという。そこが救いがあるのかないのか僕にはよく判らないけれど、日々嫌なことから目を逸らしたり逃げたりいい加減なことをやったりしつつも、僕は「あなた」や父のように、「見ないようにして」生きていたりはしていないので、この物語を自分の教訓にするようなことはないと思う。そしてそれはもちろん、この物語が自分にとって無用だったということじゃない。

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2013/08/10

『夏の入り口、模様の出口』/川上未映子

4103256214 夏の入り口、模様の出口
川上 未映子
新潮社  2010-06

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さすがだな、と思ったのは『おめでたい人』、土浦市の連続無差別殺傷事件の犯人が語る「哲学的思考」のその「哲学的センスのなさ」を明快な文章で説明してみせるとこ。そして、「なぜ人を殺せる考えの持ち主が現れるのか?」という思考方法の限界を定義して、「我々はなぜ殺せないか」を語る必要がある、というところ。理解できないからとその言葉に耳を傾けない姿勢は批判されるべきではあるけれども、哲学的思考が世に有益な作用を及ぼすためには、これ以上耳を傾けても仕方のない事柄を見抜く力と、それに対抗しうる視点で思考するセンスが必要ということかな?目から鱗です。

p13「こんな気持ちに負けないためには更なる希望を見つけて育てるしかないのかも知れないけれど、当然とされているものには逆の価値観で挑むのも一つの方法」
p25「言うべきは言ったほうがいいんですか問題」
p28「彼はなぜ殺したか、ではなく、我々はなぜ殺せないか、という側面から語られる言葉もおなじように準備するべき」
p35「「いつか絶対に死んでしまう!」という身もふたもないあまりにも絶対的な事実」「どばっと飛び起き、部屋の電気をつけて、自分に身体があることを確かめて恐ろしい興奮を逃がす、でもまだこわい」
p60「こうしたある種の感動には批評も目論見も追いつけない、という事実をマイケルの踊るのを精読ならく精観して知り、またため息をつく」
p133「世間は手を替え品を替え物語を用意して、最近は「言い切る」形で捏造して煽ってくるけど、お待ちください。この人生の主導権はいつだってこっちにあるのだからそういった物言いはすべて堂々と無視する力を持ちたいものだ。自立なんてのはお金を持つことでも独立して新しい家族をもつことでも世間の感情に自分の感情をすり寄せることでもなくて自分で考えた価値観を自分の責任において遂行するだけのことなのだった」

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2013/06/15

『さきちゃんたちの夜』/よしもとばなな

4103834102 さきちゃんたちの夜
よしもと ばなな
新潮社  2013-03-29

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 宮崎行きの飛行機で読んでいたら、舞台に宮崎が出てきてびっくりしたとか、いつも通りシンクロする我が読書。

 「これ、いつ頃に書かれた作品群なのかなあ」と思いながら読んでいたら、あとがきに「途中で親が死んだり」「けっこう長い中断を強いられたり」とあって、なんとなく読んでいて感じられた、ストーリーの滑らかさと相容れない、こつこつと諦めずに繋いでいくというような気配の訳が少しだけ判ったような気になりました。初出が2011年6月とあるので、1年半かけてこの五篇が創られたということになります。それが長いのか短いのかなんとも言えないですが、簡単な道ではなさそうだなあということだけは判ります。

 かつて、よしもとばななが世に広まり出した頃の、「癒し」「救い」というテーゼには、「ほんとにそんなにキツいのか?」と全面的に没頭することができないまま、よしもとばななの言葉と物語の力にだけは心酔していったのですが、非常に落ち着いたトーンで描かれた本著からは、今という時代が本当に生きにくい時代で、そんなキツい時代を生きる我々に物語を差し出そうとしてくれた気持ちがよく判ります。個人的には『デッドエンドの思い出』以来の読後感でした。

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2013/05/05

『地図になかった世界』/エドワード・P・ジョーンズ

456009019X 地図になかった世界 (エクス・リブリス)
エドワード P ジョーンズ 小澤 英実
白水社  2011-12-21

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 奴隷制度が存在している南北戦争以前のヴァージニア州マンチェスター群が舞台ということで、奴隷制度の不条理や非人間性に焦点が当てられているのかと思いきや、読んでいると奴隷制度への抵抗が荒々しく胸に燃え上がるような感じではなく、逆に、登場人物たちがみなあまりにも「奴隷制度」を当たり前のものとして生きているので、その制度枠の中でどうやって生きていくのか、という視点で読み進めることになる。奴隷制度に対する批判といった、お説教なところはほとんどない。悪事を働いた人物がストレートに懲らしめられるような展開でもない。でも、奴隷制度下の親子世代に渡る長いタイムスパンが、大河ドラマのように展開していく。
 いちばん印象に残るのは、何度も「法律」が登場するところ。奴隷制度が登場人物にとって当然なのは、法律がそう定めているからだ。だから「法律」は絶対で、登場人物はみな「法律」の順守に強い意識がある。日本はこういう感覚が凄く薄い気がする。法律であっても、皆であつまって決めたことでも、簡単に破る傾向にあると思う。「決め事」に対するこの感覚の違いは、日本式のほうが分が悪いと思う。
 後半で自由黒人の奴隷であるモーゼズが「自由」に対して執着するところが、奴隷制度への不条理感を炙り出す。それでも、それも世界の一コマ、という描かれ方が貫かれるところが、この小説のスケールの大きさだと思う。

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『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第六章 人間はロジックより感情に支配される-ジェームズ・ワトソン

  • サイエンスにおいては優れた着想は個人からしか出て来ない、集合知能というのはあまり有効ではない、総意を得るのは時間が掛かるし、そもそも往々にして間違いである。これはサイエンスにのみ有効な考え方なのか?ジャレド・ダイアモンドによれば、民主主義に個人の優れた判断力というのは必須ではない。それは、集合知のほうが間違えない、ということを言っている訳ではないのか。ただ、インスティチューションが大きくなりすぎると個人を潰す、というのはその通りだと思う。
  • 社会が丁寧になりすぎているというのは、ナイーブになりすぎているというのと同じ意味合いだと思う。特に文化的背景が異なる交流が増えると、丁寧にならざるを得ない面があるのは否定できない。

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2013/04/29

『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第一章 文明の崩壊-ジャレド・ダイアモンド

  • 「個人の優れた判断力というのは、健全な民主主義のための必須条件ではない」。優れた判断力はそうそうないのだからと言われると至極全うだけれども、吉本隆明、ノーム・チョムスキーの「大衆への信頼」に完全に同意できない思いもある。ポピュリズム。しかしポピュリズムは民衆の自発的な行動ではなく、為政者の誘導によるものということか。優れた判断ではなくとも、健全な民主主義に相応しく必要な判断の仕方と、そうではない判断の仕方というものはありそう。もし、個々人における判断は蔑ろでよいという前提を認めてしまったら、個人は大衆に埋没して初めて存在価値を得るということになってしまう。
  • いじめは子どもの世界で起こるものだから、子どもの世界のルールで対応するのが最善と漠然と思っていたが、やはり既にその閾値は越えてしまっていると考えた方がよい。
  • 「いかなる社会も、人びとが互いにナイスにし合うことで存続してきたためしはない」だから一定の権力機構が必要になる。ナイスにし合いながら行けるところまで行く、という「ゆるい」共同体はある種の理想だが、そのあり方はどこかで大事な責任を放棄することによって成り立っているとも言える。大事な責任を放棄することによって、少なくとも表面上、大成功しているように見える事柄が、実は何かをむしばんでいることはあまり指摘されない。

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2013/04/28

『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第二章 帝国主義の終わり-ノーム・チョムスキー

  • アメリカの行動規範が徹底した目的主義ということを再認識。これは、「何に着目しなければいけないか」ということを考えることが徹底的に訓練・教育される土壌だからだと思う。それが如何に直線的で退屈なものに見えたとしても。
  • 「インターネットはカルトを生む土壌になる」。どんなに無害に見えたとしても、カルトの危険性をはらんでいるものがある。
  • 誰かとの共同作業を行うことと、自立した個人であること、その両方のスタンスの必要性を認識できること。

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2013/04/21

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』/村上春樹

4163821104 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹
文藝春秋  2013-04-12

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 村上春樹の作品に対する感想は、常に自分自身だけの個人的な感想にならざるを得ないのだけど、本作は、これまでの村上春樹作品と違って、これ以上ないくらい判りやすいつくりになっていたと思う。深く読み取らないと作者の意図が判らないとか、そういうことが極力ないように書かれたような印象を持った。もちろん深く読もうと思ったら読める深さは持ち合わせていると思うけれど、ストレートに読んでも、そのままで物語の意図がちゃんと読者に伝わるような書き方がされていると思った。

 村上春樹作品のメインテーマとして「予め失われたもの」があるが、本作は珍しく、喪失感の強調だけを感じて終わらなかった物語だった。軽い言い方だけど、救いがある。これまでは徹底的に「予め失われたもの」を感じさせられ、その救いの無さを感じる中から、自分なりの立ち向かい方を模索するような読み方になっていたのが、本作はきちんと救いが書かれている。多崎つくるが失ってしまったものは、無くなってしまったのではないということが、きちんと語られる。ここが僕個人はいちばん感動したところだった。

 その上で、たくさん登場するテーマの中で僕が強く惹かれたテーマは二つ。ひとつは、「だとすれば人間の自由意思というのは、いったいどれほどの価値を持つのだろう?」という問い。先日の『不可思議な日常』の読みでも、ディスクールを思い出さされる一篇に出くわした。表面的には、この問いに対する答えは本作では書かれない。この問いには生涯をかけてでも向き合わなくてはならない。

 もう一つは、「そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ」。村上春樹はけしてサリン事件を忘れない。そして、世の中の安定が奇跡的だと言いながらその奇跡の度合いを実感できず、何かとんでもないことが起きないとありがたみが判らないとでも言いたげな現代(人)に対して、「あっただろう、つい最近」と突き出して見せている。そして何故そんなことが起きるのかと言えば、「我々が暮らしている社会がどの程度不幸であるのか、あるいは不幸ではないのか、人それぞれに判断すればいいことだ」ときちんと言い放ってくれる。

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2013/04/07

『マニフェスト 本の未来』/ヒュー・マクガイア&ブライアン・オレアリ

4862391176 マニフェスト 本の未来
ヒュー・マクガイア ブライアン・オレアリ アンドリュー・サヴィカス ライザ・デイリー ローラ・ドーソン カーク・ビリオーネ クレイグ・モド イーライ・ジェームズ エリン・マッキーン
ボイジャー  2013-02-20


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 面白いです。少しずつ読み進めているのですが、本著に限ってはノート式に感想を書いていきたいなと思いました。読み始めて真っ先に思ったのは、僕はかねて電子書籍に否定的な人に対して、「活字がなかったころは書籍自体が邪道で、口承こそ真の知識伝達だと思われていたと思いますが、それでも書籍が最高最上の媒体だと言えますか?」と尋ねていたのですが、その考え方をどう導いていけばいいのかを教えられているようだということ。

1.コンテナではなく、コンテキスト/ブライアン・オレアリ

  • 「コンテナ」と「コンテキスト」
  • 「コンテキスト」・・・タグ付きコンテンツ、取材ノート、注釈入りリンク、ソース、BGM、バックグラウンドビデオなどと呼んでいる、ある本の内容を取り巻くある種の「環境」
  • コンテンツビジネスにおいて、コンテナありきの状況は終焉を迎える。コンテンツにとって重要なのはコンテキストになり、コンテキストに応じたコンテナを選択できなければ、そのコンテンツは流通すらしなくなる。エンドユーザに見いだされなくなる。
  • ワークフローの転換。

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2013/03/24

『サーバントリーダーシップ』/ロバート・K・グリーンリーフ

サーバントリーダーシップ
サーバントリーダーシップ ロバート・K・グリーンリーフ ラリー・C・スピアーズ

英治出版  2008-12-24
売り上げランキング : 5925


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 リーダーシップの源泉は、権力ではなくて、奉仕の精神にある。この考え方が、1977年に発表されていたことに驚くし、アメリカの分析研究の鋭さと言葉の積み重ねでの説得力の作り方に驚くし、この考え方に日本がほとんど影響を受けていないように見えるのにも驚く。外資系に勤めていて、この「サーバント・リーダーシップ」の考え方には共感できるし、実際に、勤務先で管理職についている人たちは、このサーバント・リーダーシップを実践している人が少なくない。奉仕というと違和感があるかも知れないけれど、どれくらいのことが実行可能な人なのか、ということがリーダーシップの源泉だと考えると違和感ないと思う。
 途中で「トラスティ」という存在の重要性が繰り返し語られるけれど、もちろん理解できるし理解できるまでに言葉が重ねられるんだけど、存在意義を訴えるだけでは浸透はしないという単純な事実を見る思いだった。

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2013/03/05

『CIOのITマネジメント』/NTTデータ経営研究所情報未来叢書

4757122098 CIOのITマネジメント (NTTデータ経営研究所情報未来叢書 1)
NTTデータ経営研究所
エヌティティ出版  2007-12-25

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この種類の書籍を読むのが難しくなったと感じた。内容的にはタイトル通り、CIOのITマネジメントについて網羅的に語られていて、タイトルを見て知り得ると思った内容は読めるけれど、これからCIOになるという訳ではなく、CIOがどのような業務を遂行しているのか、知識を増やし定着する目的で読もうとすると、あまり頭に残らない。それを、「実体験していないことは所詮定着しない」と実地主義で片づけるのは簡単だけどそれでは成長に限界がある。

もう社会人2、3年目くらいからずっと感じていることだけど、自分がコンタクトする相手との距離が、近すぎるか遠すぎるかのどちらかで、ちょうどよいということがない。極端に言うと、CIOと担当者、という二階層の組織に、世間がどんどん進行していったような感じがする。そこでCIOと会話をするためにはCIOを知らなければいけない、ということでこういった書籍を読むのだけど、確かにある程度知識は増えるが会話を伸ばす部分は微小。薄っぺらい知識で会話できるCIOにコンタクトすればビジネス上はある程度の成功を取れるかもしれないが、そういったことは目指すべきではないな、とこの種類の本を読むといつも自戒する。

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2013/03/04

『情報調査力のプロフェッショナル』/上野佳恵

4478490538 情報調査力のプロフェッショナル―ビジネスの質を高める「調べる力」
上野 佳恵
ダイヤモンド社  2009-03-13


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 プロのリサーチャーである著者が、「情報調査力」の磨き方について、物語風の表現を交えながら解説。マッキンゼーでコンサルタント相手にリサーチャーとして相対した経験が、一般的な情報調査力の解説書よりも話が深くなっている所以だと思います。

  • リサーチにはプランニングが必須。何のために調べるのか、ということと、どういう段取りで調べるのか。
  • 具体的にどういう情報源があるのかを挙げてくれているのがよい。
  • 調査は誰かに伝えて初めて意味があるもので、伝えるまでには取捨選択があり、それは「編集」に他ならない。

 「常に問題意識を持って」ということの意味が、一つ深く理解できたと思います。

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2013/02/24

『「反核」異論』/吉本隆明

B000J78L32 「反核」異論 (1983年)
吉本 隆明
深夜叢書社  1983-02


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 『「反核」異論』は未読だったのですが、書店でたまたま『吉本隆明が最後に遺した三十万字〈上巻〉「吉本隆明、自著を語る」』を立ち読みした際、『「反核」異論』の章が開いて食い入るように読んでしまい、本体もぜひ読みたいとなりました。

 『「反核」異論』は、原発の是非を世間が語り続けている今、読む価値のある一冊だと思います。吉本氏は原子力の利用について否定派ではなかった為、否、なかったからこそ読む価値があると思います。それは、原子力の利用の是非そのものについての知見を得るということではなく、『「反核」異論』という言葉を受け取ったときに何をどう考えるべきかを考えるという点において。

吉本氏の「反核」運動に対する「異論」の理由は明瞭で、

どうしてかれらは(いなわたしたちは)非難の余地がない場所で語られる正義や倫理が、欠陥と障害の表出であり、皮膚のすぐ裏側のところで亀裂している退廃と停滞への加担だという文学の本質的な感受性から逃れていってしまうのだろう?

 この一文に集約されると思います。私にはこの文章に何かを付け加えることは全くできません。自分なりに言い換えようと思っても言い換えることすらできないくらい、隙のない、それでいて今まで私が思ってきたことを代弁してくれている一文です。

 そしてもう一つ、その「反核」に対する反対表明について、

文学者の反核声明はだめだと思うんだけど、あれをだめなんだという批判と否定を組織してはいけないということです。つまり、反核声明を批判するのはひとりひとりでやらなきゃいけないと思う

 これで本当に充分だと思います。誰も反対することが出来ない、安全地帯と免罪符を振りかざし賛同を強要し徒党を組む行為というのが、「退廃と停滞への加担」だと切って捨てる気風や気概は、苦しく険しい道に違いないけれど、自由への道というのはそこにしかないと思う。吉本氏がこのとき「反核」に異論を唱えた理由は明瞭で、「反核を言うなら、なぜソ連にも言わないのか。なぜアメリカだけなのか。」「ソ連が仕掛けた「反核」運動は、ポーランド「連帯」弾圧を隠すためのものだというのがなぜ判らないのか」ということ。
 東日本大震災以降の日本で、例えば「反原発」と言うのは容易いことではないし、反核と反原発は共通点もあるが異なる文脈でもあります。でもそこでもし「反原発」に批判の余地がもしあったとしたら、それはやはり声をあげないといけない。「反原発」と同じように、「エコ」とか、「もったいない」とか、「ロングライフデザイン」とか「コミュニティ」とか、そういったものに繋がる可能性を孕んだお題目は、現代の日本にも氾濫していることを、忘れてはいけない。

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2013/02/11

『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』/J.K.ローリング

4062180227 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 1
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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4062180235 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 2
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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言わずと知れた『ハリー・ポッター』のJ.K.ローリング初の現代小説。『ハリー・ポッター』シリーズは映画は何作か観たことありますが小説は一作も読んでないのですが、映画と、ニュースやウェブなどから様々に漏れ聞こえる情報だけでもわかるファンタジー界の綿密なる創り込みで作品の面白さを組み上げている著者が、ファンタジー界を用いなくても面白い物語を描いているのか?という興味で読みました。

物語の主軸は、街を二分する区域-パグフォードとヤーヴィルのいがみ合いのような地方政治。「住人の三分の二近くは全面的に公に頼って生きている」フィールズというエリアが、元はヤーヴィルに所属していたがある時パグフォードに組み込まれることになり、パグフォードの住人はフィールズをヤーヴィルに突き返すことを宿願としている。そんな折、パグフォード内でフィールズの擁護派だったバリー・フェアブラザーが急死、議会に<突然の空席>が生じた-。

と、中心軸は国を問わず判りやすい筋を置きつつ、両地区の住民・家庭を多数登場させて、海外ドラマの展開さながらにストーリーが入り乱れます。親、子、夫、妻、義父義母、同級生、ケースワーカー、議員、その他もろもろ入り乱れます。このストーリーのひとつひとつが人間臭いし、話の展開の仕方もとても丁寧で、海外文学によくある「読んでるうちに場面が変わってて置いてけぼりにされてる」というようなことは全くなく、さすがは希代のストーリーテラーと言ったところですが、そのストーリーテリングのテンポの良さでどんどん読み進められるものの、作中で起きるイベントそのものはそれこそ日常生活でも聞いたことありそうなもので、リアルではありますが、「人生のなんたるか」みたいなことを考える向きではないです。これだけのエゴを連続して食らわされるような構成であっても、これは娯楽小説として読める類の作品で、エゴ塗れになって深淵を覗きたいなら『明暗』のほうが数倍覗けます。

個人的にはファッツに関する筋がいちばん興味深かった。それはもちろんクリスタルが絡むからでもあるし、アンドルーの(ある種の)健気さが若干虚構じみているように感じるからでもあるけれど、「オーセンティック」で一括りにしてしまう、「美学」を気取った価値観の描写が流石児童文学の名手と思わされたからだ。
そしてもう一つ、フェイスブックとSQLインジェクションがさも日常というふうに物語に登場したのには少し驚いた。著者がどれだけITに造形が深いのかは調べていないけれど、日本の小説やドラマでITが出てくるときのぎこちなさは全然感じなかった。

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2013/01/27

『新建築 2013年01号』/新建築社

B00AN570E6 新建築 2013年 01月号 [雑誌]
新建築社  2012-12-29

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・p43 岡田新一(岡田新一設計事務所)
「そこに、グランドデザインに基づく「アーキテクチュア」が現れてくるのだ。そこには市民参加のワークショップからは到達し得ない統合的思考の結果が開示される。このようなプロセスが歴史的変革の時に現れている」
・・・権威主義、特権主義という批判とのせめぎ合いが始まるが、敢えて「市民参加のワークショップ」を、その弱点を捉えて批判的に叙述するのは、現在的な価値があると思う。

・p44 原広司(原広司+アトリエ・ファイ建築研究所)
「建築にとって、豊かな感性や直感は、きわめて重要である。しかし、今はその時ではない。自らの判断力を疑うと同時に、もっともらしい事柄すべてに疑問符を打つ態度が、建築活動全般に要請されている」
「今日本は、残念なことに、かつて、作家のボルヘスが、「どうしてアルゼンチン国民は、これほどまでにおろかなのか」と嘆いた状況にある。このような状態を、打開しようとか、意識を変えようなどという主張に、実はおろかさが現れている」

・p45 中村光男(日建設計 会長)
「海外のクライアントの多くの方が、「日本は街も人も静かな国だ」との印象を口にします。それは新興国のような躍動感を失ったということでもあり、でき上がった国という意味でもあると思います」
・・・こういう、両面を見る発想が常に求められる。

p76「フクノワ」
・「市民参加のワークショップ」の典型的手法

p131「山梨県立図書館」
・情報のフードコート

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2013/01/06

『横道世之介』/吉田修一

4167665050 横道世之介 (文春文庫)
吉田 修一
文藝春秋  2012-11-09

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 「世之介」が好色一代男の主人公の名前ということも知りませんでした。オビに「青春小説」と書かれていて、「これって青春小説だったんだ!」とタイトルしか知らなかったのでびっくりしたのですが、確かに九州から東京に出てきた横道世之介の大学生活を描いてるので青春小説なんだけど、その舞台は1980年代のバブル真っ盛りで、そのバブル真っ盛りの学生時代を、2008年の現代から振り返っている、という構成で、僕らぐらいの世代にとって、二重に捻った味わいのある青春小説です。

 バブルの景気の良さを背景にした、軽佻浮薄な世間の中で、それなりに時代の空気とマッチしながらも「人の良さ」を持ち合わせた世之介の人間性と、そんな世之介でも何かを失っていきつつ生きていく様を、僕のような同世代の読者は読みながら、今の自分もまだまだ一生懸命やり続けなければいけない、やることができるんだと思えるはずです。年を取って40歳も過ぎて、諦めるように生きなければいけないなんてただの思い込みだと、そんな気分にしてくれます。これは文句なく、厳密には世之介の世代より少し下なんだけど、同世代である団塊ジュニア世代にお勧めできる一冊です。

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2013/01/03

『ロスト・シティ・レディオ』/ダニエル・アラルコン

4105900935 ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)
ダニエル アラルコン Daniel Alarc´on
新潮社  2012-01-31

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 難しかった。段落が変わったら、いきなり時空が変わってて、そのことに数行、ひどいときには2,3ページ読まないと気づかなかったりで混乱しながら読んだせいもあってか、長く内戦の続いた架空の国家という舞台で、何を語ろうとしているのか、うまく掴めないまま読み終えてしまった。
 政府も、反政府組織も、結局は民衆のその時々思いつきのムードの産物で、民衆は自分達が生み出したムードから反撃され怯えて暮らしているのだ、という読み解きは思いつくけれどそれは設定から勝手に推測したような気がする。

 「世の中には、自分は誰かのものなんだって思っている人たちがいる」

 メモを取った箇所を読み返してみて、この一文が自分にとってハイライトだと思った。何かに捉われている自分。行方不明になっている自分。なくしたものを探しているようで、その時点で既に主体が自分ではなくなっている。『ロスト・シティ』は、つまりそういうことなのだと思う。

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2012/12/31

『あたらしい書斎』/いしたにまさき

年末年始休暇のタイミングで、部屋の組み換えを考えていて、本棚をどうしようか、というより本棚の存在そのものを考えていたところだったので、タイムリー。主な内容は、書斎とは何か、IKEA製品を使った書斎づくりの実践、デジタルの活用の3つ。概ね、誰もが薄々は分かっている内容だけど、形にして纏まっていることで書斎づくりに活かしやすくなっている。自分にとっては「書斎とは何か」という、「書斎の位置付け」が最も有用でした。

p30「モバイル」や「ノマド」で細切れにされる時間と思考
p48「貼雑年譜」
p55「イギリスでは論文を書くにあたって引用元を記載しないと法律で罰せられる」
p73「LERBERGシェルフユニット」
p96「自分の感覚では近いジャンルだと思っている本を、数冊から10冊ぐらいのグループにして並べていく」
p122「デジタル化した情報は、検索性が向上する一方で、一覧性はアナログのときよりも落ちてしまう」
p128「Pogoplug」
p132「フロー情報を編集し、ストック情報にしておく」
p146「まずは自分が楽しめることや、興味を持って学び、考え続けられることを、こつこつと続けていくことが大切です」
p162「図書館は情報を交換し、イノベーションを生む場である」
p165「林信行」「電子書籍には『ジャケ買い』を誘うようなセレンディピティは期待できない」
p174「クランプ」

4844332783 あたらしい書斎
いしたにまさき
インプレスジャパン  2012-09-21

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2012/12/30

『驚きの介護民俗学』/六車由美

4260015494 驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)
六車 由実
医学書院  2012-03-07

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 「民俗博物館」等で「民俗」という言葉を知っているだけで、「民俗」とは何か、考えたことがなかったので、「民俗学」というのも、判らないとは思わないけれどそれは何かと言われると答えられない、そういうものでした。図書情報館の乾さんのお勧めで購入。この本の面白さは、介護の現場での「聞き書き」で得られた話そのものの面白さと、「聞き書き」という行為そのものを巡る考察の面白さ、そして「介護」に対する社会制度も踏まえた上での主張、この三点。このうち、後者二点について。

 著者は、「聞き書き」は「回想法」とは異なると明言します。「回想法」は、介護において、利用者(要介護者)の心の安定や、コミュニケーション能力の維持・向上を目的として行われるものです。利用者の能力向上という「目的」があり、それを実現する手段として生まれたのが「回想法」です。それに対して、介護民俗学の「聞き書き」は、まず、聞き手である民俗学者=介護者が、民俗情報を求めている立場であり、それを得る行為の結果として、利用者の心の安定や能力維持・向上になるという順序です。「利用者の心の安定・コミュニケーション能力の維持・向上」という成果は結果的に同じでも、その順序の違いは重要で決定的なものである、ということを著者はいろんな言葉で繰り返し語ります。例えば、「ケアする者とされる者は非対称である」という言葉。ケアは相互作用だけれども、ケアする者はケアに対して出入り自由であるのに対して、される者は出入りの自由はない。されなければ生命が脅かされるのだから。「回想法」の発想は、この非対称性に準拠しており、更に非対称性を強化する(要は、介護する方が「してやっている」立場で、介護される側は「してもらってるのだからおとなしく感謝しなさい」という立場)のに対して、「聞き書き」を旨とする介護民俗学の場合、聞き書きの時間はケアする者とされる者の関係性が逆転する(要は、介護する側が「教えて頂く」という立場になる)、これによって、「介護」の相互行為性が回復され、結果、「利用者の心の安定・コミュニケーション能力の維持・向上」がより成果が上がるものになる、と解釈できます。
 この「双方向性」と「非対称性の解消」は、人間関係性での一つの「理想」だと思っていて異論はないのですが、これを実現するための困難さも容易に浮かびます。その一つ、「実際に、介護の現場で「聞き書き」をすることの時間的・精神的余裕の無さ」についても、本著では実践の過程が詳しく書かれています。
 介護者としての実践だけでなく、介護者という個人の活動(と限界)を規定する社会制度面についても主張をきちんと書き込まれているところが本著の行き届いたところだと思います。掻い摘んでしまうと、「時間的・精神的余裕の無さ」の根本は、介護者の低賃金であり、介護者の低賃金を生んでいるのは、国民の意識が介護をその程度に低く見ているからだという問題認識です。著者は介護者として、介護の社会的評価を上げる努力をしなければならないという反省を書きつつ、「介護予防」という厚生行政の考え方を批判します。著者は「介護予防」ではなく、介護は必ず必要になるものだとして「介護準備」という考え方を示し、金銭面の準備もしていくべきだとします。この点は、財政面も含めて考えなければならないところだと思います。

 「聞き書き」して纏められる「思い出の記」は、民俗学的見地からも、話をしてくれた要介護者の方の思い出としても、非常に意義深いものだと思う。個人的には、発話されたものが書き言葉になることで再び生まれる「気配」というものの他に、やはり、発話そのものの「気配」も記録し再現できることにも意義が感じられるように思いました。

 「聞き書き」のモチベーションは「驚き」であり、常に「驚く」ためには好奇心と矜持が必要だという下りは、少し前なら、そんな精神論的なものでは維持できない、と考えたような気がする。しかし、この無形のモチベーションというのは、実は大事にしなければいけないという思いが強くなっている。
 そして、「回想法は誰でもそれを活用できるように方法論化が進んでしまった」というのは、誰でもできるようにマニュアル化することによって魂が抜け落ちるという悲劇を改めて認識するとともに、IT化というのは基本的にモデル化でありマニュアル化であり、誰もができるようにする手伝いであるということにこれもまた再び思いを馳せてしまう。

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2012/12/24

『ことり』/小川洋子

4022510226 ことり
小川 洋子
朝日新聞出版  2012-11-07

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 小川洋子の物語と日本語は、何も不安になるところがない。最近では新聞でさえ「ひとつの事実」として読むことすら危ういと心して掛からねばならない状況の中で、安心して読める物語と日本語の紡ぎ手には感謝の念を覚えます。

 自分にとって『ことり』の有難かったところは、これが数十年という長いスパンの物語だったこと。今年40歳になり、後方に積み上がった時間の思った以上の長さと、前方に残った時間の思った以上に見通しがよいことに戸惑っているので、長いスパンの語りは自分の戸惑いの扱い方を少し指南してくれるようでした。

 小父さんは若干偏執症の気があると思う。そういう言葉しかないので偏執症と表すけれど、実際には小父さんは病の域ではないと思うし、それを言えば、自分にしかわからない言語を語るお兄さんも、それを「病」と言っていいのかどうかも判らない。ただ、「昨日と同じ一日を過ごすこと」が最重要の日々を送りたいというのは、日々が決まっていないと不安になる、「拘り」の気質があるのだと思う。そんな小父さんが大切に維持に努め守ってきた鳥小屋もゲストハウスも、「長い」スパンの中で踏み荒らされてゆく。最後には「ことり」さえも。
 でも、踏み荒らされても踏み荒らされても、小父さんは独り自分のペースを変えようとはせず、力んで立ち向かったりしようとせず、日々を過ごす。この小父さんの孤独は、果たして不幸な一生だったのだろうか。目的の地に着いたとき、ひどく疲労しているという渡り鳥と同じく、疲れ果てて最後を迎えたのだろうか。

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2012/12/02

『プラスチックの木でなにが悪いのか 環境美学入門』/西村清和

4326653671 プラスチックの木でなにが悪いのか: 環境美学入門
西村清和
勁草書房  2011-12-21

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1972年、ロスアンゼルス群は、ジェファーソン大通りの中央分離帯に900本以上の「プラスチックでできた木」を植え込む実験的プログラムを実施した。この実験的プログラムに対する反対意見は大きく、差し止め動議が承認されたのだが、もし、見た目にも本物そっくりのプラスチックの木だったとしたら、いったいそれの何が悪いのだろうか?

本書はこの「プラスチックの木でなにが悪いのか」という課題を、単に対自然の審美観や、自然の擬製に対する嫌悪感というレベルではなく、リーフェンシュタールの『意志の勝利』を持ち出して、それは美的フレーミングに関わる問題だと言う。良いと悪いは倫理に関わるが、逆に「美的」と「倫理的」を完全に引き離すのも問題がある、と指摘する。そうすると、美的フレーミングにも倫理性が発生する。社会的ディスクールとしての美的フレーミングとは、人びとが何を美しいと感じる社会なのか、ということの言い換えで、社会通念としての倫理性だけでなく、美的フレーミングにも倫理性があると言う。

これは、「美学」を単なる「意地」以上にするための、確固たる理論になると思う。何を「美しい」と考えて選択するかは、単純な一個の倫理だけでなくてもよいのだ。

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2012/11/17

『Harvard Business Review 2012年 12月号』/ダイヤモンド社

B009W5IZYM Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 12月号 [雑誌]
ダイヤモンド社  2012-11-09

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「ソリューション営業は終わった」が鮮烈。ほとんどのビジネスは、「顧客の問題を解決する」ことがビジネスに繋がると信じて疑ってしないと思う。しかし、それはすでに過去のものとなっている。それは、「顧客が、その解決方法が判らない問題を抱えている」という前提で、正しい考え方だった。情報量が飛躍的に増えた現代は、顧客は既に課題の解決の仕方を知っている。我々以上に、解決方法を知っている。そんな顧客に対して、ソリューション営業は通用しない。そんな時代に取れる営業戦略は、まだ解決方法が判らない顧客に対してソリューションを売るか、課題の解決の仕方を知っている顧客に対する営業を編み出すしかない。しかし前者は今では結局、価格競争に巻き込まれるだけのフィールドになる。

課題の解決の仕方がわかっている顧客に対する営業を、「インサイト」営業と呼び、そのスタイルを詳説している。自分達よりも顧客のほうが解法を判っているというのは、かなり以前から肌で感じていたこと。商売をうまくやるためには、そこのところに目を瞑ればいいのかもしれないが、社会人になった会社でも、それ以降も、常に「王道」を歩くことを求められてきたので、顧客に対して価値を出すことを考えてきたが、この記事はそれを一歩進めるのに大いに役に立った。

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2012/10/28

『メモリー・ウォール』/アンソニー・ドーア

4105900927 メモリー・ウォール (新潮クレスト・ブックス)
アンソニー ドーア Anthony Doerr
新潮社  2011-10

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『メモリー・ウォール』
 認知症と化石の対比がとても鮮やか。リタイアした後、元来の化石発掘に熱中したハロルドは、妻アルマに「この世で唯一変わらないことは、変化するということ」「別のものに変わらないのはとても珍しいこと」と、化石の魅力を語る。その夫ハロルドを亡くした妻アルマは認知症を発症し、その進行を遅らせるべく、遠隔記憶刺激装置を処置される。記憶を、カートリッジに取り出して保存し、好きな時にカートリッジを挿入してその記憶を参照できる。

僕は人よりもたぶん、記憶力がよくないと思っている。自分では別に、憶えることをさぼっているつもりはない。覚えなければと言う意識が低いつもりもない。それでも、固有名詞を覚えるのが特に苦手だし、昨日食べたご飯を覚えていなかったりする。それは、できれば覚えていたくない出来事が多かった時代があって、なるべく忘れようとする志向を脳が持ってしまったんだと勝手に自分で解釈している。

アルマにとって最も辛い記憶-ハロルドを亡くしたときの記憶-が、巡り巡ってアルマの使用人だったフェコとその子供を救う。もし、その記憶が、アルマにとってだけのものだったなら。それはカートリッジで他人の記憶を見ることもできないのだから、と様々な推測をしてしまうが、それよりも、認知症によって、アルマは最後、一緒に暮らす男がいたのだけれど、男は私をここ(施設)にひとりぼっちでおいていった、としか思い出せなくなりつつ、そういうふうに思い出すに留まっているところ。カートリッジという化石を、それが何なのかさえ思い出せなくなったことが、アルマにとって幸福なのだと信じたい。

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2012/10/27

『プラハ冗談党レポート: 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史』/ヤロスラフ ハシェク

4798701246 プラハ冗談党レポート: 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史
ヤロスラフ ハシェク Jaroslav Ha〓sek
トランスビュー  2012-06-05

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第一次大戦前の1911年、ボヘミア王国プラハに、人気作家ヤロスラフ・ハシェクが新党を設立して選挙戦に挑んだ。その名も「法の枠内における穏健なる進歩の党」!

つまりは「冗談党」な訳だけど、実際に立候補して選挙戦を戦って、その活動っぷりの記録を一冊の本にしたのが本作。もうめちゃくちゃに面白いです。帝国という国家権力、その国家権力の維持の仕組と成り下がっている政党政治、それらを、外野ではなく実際に政党を作って立候補して選挙戦を戦って、スキャンダル告発やらなんやら、無茶苦茶にやりこめていく。でもその政党の政治活動と言ったら、プラハの居酒屋に集まって飲んだくれて、これまた滅茶苦茶な弁舌を捲し立てる、という具合。そのビールの金にも事欠くような集団が、体裁は整っているけれど、スタンスは冗談みたいな選挙戦を繰り広げるのです。

居酒屋でビール飲みに集まることが政治活動なのかどうなのか?知識としては持っている、ヨーロッパの「サロン文化」に似たようなことか、と合点してしまうこともできるし、そもそも冗談なんだから酒飲みながらやってんじゃないの、と言う気もする。でも、「広場のないところに政治はない」というように、政治って、政策とか投票とか、実行内容や仕組から考えがちだけど、原点は「人と人がどんな話をするか」というところだと思う、ので、この「口達者」な新党党員たちの八面六臂ぶりが眩しく見えます。

そう、帝国という危なっかしい体制だから、私服刑事とか密告者とか、現代の日本では考えられないような危険な相手が普通にいるというのに、彼らはその口八丁ぶりで、そんな「当局」側の攻撃さえ、逆に返り討ちにしてしまう。その鮮やかさにびっくりするとともに、そんな弁舌を持ちながら、まともに選挙をやる訳ではないところに、不思議よりは面白さを強烈に感じてしまう。

僕らはいつの間にか、「望みがあるなら、直線的に、直接的に、行動して結果を出さなければ、意味がない」と思い込まされていたと思う。確かに、成果の出ない行動は、やってるのかやってないのか分からないことには違いない。でも、何かを変えるために、しゃかりきになって青筋立てて「あいつが悪い」とやるのが果たして正解なんだろうか?そこまでやっても変わらないのだからよりもっと強力に、となってしまうのもわかるし、正面切ってやらずにコネとかなんとかで裏から手を回してネゴして、みたいな日本的なやり方がとんでもない数の弊害を招いてきた歴史も知っているから、どうしても、しゃかりきにならないと正々堂々としていないと思ってしまう。でも、第一次対戦前のボヘミア王国、今の僕らよりももっと閉塞していたに違いない政治状況で、こんな風に打って出たハシェクの行動を粒さに読むと、「維新」のなんたるか、その神髄を教えられた気になったのだ。

日に日に困難な政治状況になっていくような今こそ読むに相応しいと思います。

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2012/09/23

『ラジオ深夜便 隠居大学 第一集』/NHKサービスセンター

4871081117 ステラMOOK ラジオ深夜便 隠居大学 第一集
NHKサービスセンター
NHKサービスセンター  2012-07-18


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こういう、年配の方の発言集とかインタビュー集、おもしろくて好きで結構読むんだけど、毎回、「自分が年をとってもこうなれてないよなあ、きっと」と思うのはなんでだろう?とそれこそ毎回思う。自分があまりにも若い頃から成長がなく、歳相応の分別というものを身につけてないままだからだろうか?と思ったりしたけど、やっぱりいちばんは経済的なところだと思う。本著でも出てくるように、「お金のあるなしなんて関係ない」と、ご老人は言うし、実際、ほんとに蓄財のなくても隠居を楽しんでいる人もたくさんいるんだろうけど、それは、人脈とか、知識とか、社会資本とかインフラとか、ぜんぶひっくるめて、日本国にある高度成長時代の「貯金」がまだ効いているからできることなんじゃないかと思う。その点をクリアに意識したご老人の発言というのは、亡くなった吉本隆明氏以外に見たことがない。

  • 小沢昭一氏の「お前が知らないから面白くないだけだ」というところ、話し手と聞き手の立場を考える自分のテーマにハマる。「サロン」への違和感に対するアンチテーゼとしても。
  • 山田太一氏の「世の中に個人で抵抗する」。これは『シゴトとヒトの間を考える』で考えたことにハマる。そういう人の数が大多数になれば社会を変えられる、けれど政治はそれでは変えられないように見える。

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2012/09/17

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「人を好きになるということ」

この「人」という言葉は難しい。カッコで括った「人」は、人間を指す「人」と区別するために用いられていると思うけど、「人が悪い」というときの「人」は、いっそ「人間」と同じ「人」だとしてしまったほうが僕にとっては通りが良い。なぜなら書かれている通り、「人が悪い」というときの「人」は、性質という一面的なものではなく、言動なんかも含めたその人「全体」で成り立っているからだ。でも確かに言葉としては「人間」だと書き換えただけということになる。「人間」にも二つ(以上)の意味が包含されていることになって、書き表しにくいので始末に悪い。

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『ワーク・シフト-孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』/リンダ・グラットン

4833420163 ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
リンダ・グラットン 池村 千秋
プレジデント社  2012-07-28

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これは相当に難しい。2025年には、主に、テクノロジーの進展、富の集中化、富の集中化に付随する人の集中化の三点から、時間に追われる・孤独にさいなまれる・繁栄から締め出される、という3つの暗い類型が導かれる。そんな未来に陥らないために我々が今実行すべき3つの「シフト」が示されるが、これが相当に難しい。

示されていることは、総論で正しいと思う。実際に、行動に移せている人もたくさんいると思う。でも、自分のことになると、どこから手を付けていいのか分からない。そんな難しさ。この難しさとは2年前から付き合い始め、今、正に喫緊の課題になっているけれど、それでも手の付け方に逡巡するくらいに難しい。

実際に、行動に移せている人もたくさんいることは分かっているけれど、それでも「そう言われてもなあ」という気持ちが抜けないくらい、大上段で違う世界の話のようにしか受け止められない。それでも、今自分が勤めている会社は、制度的にはいろんなことがやりやすい会社ということを思い出してみようと思う。

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2012/09/09

『再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理』/ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ

4880592366 再帰的近代化―近現代における政治、伝統、美的原理
ウルリッヒ ベック スコット ラッシュ アンソニー ギデンズ Ulrich Beck
而立書房  1997-07

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「サブ政治」の下り、昨今の日本の大きな<政治的>課題-原子力発電の継続をめぐる、産業界と個人と原発建設地住民との対立や、オスプレイ配備問題での対立に思いが巡る。正にひとつの方向に収斂させることが限りなく困難な課題であり、工業化進展の途上=単純的近代化の過程であれば是是非非のうちに方向性を決められたものが、大局的に方向性を決めることが出来ない状況というのが、正に「再帰的近代化」なのだろうか?と思う。

専門家システムの機能の変遷も印象に残っている。「諮問」が意味を失うのが再帰的近代化の過程であり、多くの個人が共同体の中で何らかの「専門家システム」を担うことになるという説明は、現状をうまく把握する手助けになった。情報コミュニケーション構造の進展と、「格差固定」の問題も、現状認識をより強固にした。その上で、ほぼ粉砕されてしまった地域共同体のその先と、粉砕に加担した情報技術と情報社会の歴史的意味づけを考えてみなければならない。

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2012/08/24

『独立国家のつくりかた』/坂口恭平

4062881551 独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
坂口 恭平
講談社  2012-05-18

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 ヘルシンキ行きの前後に渡り読了したんですが、その間に読んだ『家族のゆくえ』と恐ろしいほどシンクロするところがあって、痛烈なインパクトで頭に残りました。それは「考える」ということに関して。吉本隆明氏も坂口恭平氏も「考える」ことの重要性を強調されている。それも、ただ「考える」という枠に収まっているのではなく、「考える=生きる」というところまで持ちあげて語られている。効率化すること、自動化することは考えずに済むことを増やすこと。それにどうやれば対抗して生きていけるのかを、真剣に考えるだけでなく、長く深く考え続けないといけないと思いました。

 全体を通じての感想は、経済に関する論点と、精神に関する論点の二つに対しての感想に大きく分かれるのですが、経済に関する論点、態度経済について、ホームレスの方の生き方を述べる部分では、一点、大きく欠落している点があると思っていて、それは、「都市には確かになんでもゼロ円で手に入るくらいものが溢れているかもしれないが、それは誰かが資本主義経済の下で”余剰”的に生産する人がいるから成り立つもの」だということ。ある経済システムがその経済システムだけで自立して成り立つためには、その経済システムの中に「生産性」がないといけない。必要なものをタダで拾ってくる経済システムは、自立していないのでこれを手ばなしで称賛する訳にはいかないと思う。
 そこを拡張しているのがゼロ円特区ということになると思うけど、ゼロ円特区も「贈与」で成り立つ訳なので、けして自立していないし、そもそも「パトロンを持つ」ということを推奨しているし、「パトロン」という概念を金銭以外に拡張してはいるけれど、結局のところ資本主義経済からの流入に依存しているのであって、これ自体が資本主義経済に対するカウンターとなるシステムとは言えないと思います。

 精神に関する論点は、鬱状態のときの視線、「絶望眼」の捉え方は共感しました。僕は鬱ではないけれどひどく塞ぐことはあり、そのときは感性は冴えるのでひどくいろいろなものの捉え方ができるものの、生産的ではないのであまり有用な状態ではないと自分を責めていたが、この捉え方を改める契機になりそう。そして、この状態は、芸術のような領域には役に立つのかもしれないが、自分のようなふつうの社会人には必要のないものと決め込んでいたけれど、芸術と生活を切り離そうとするそのスタンスこそが問題で、芸術と生活は同一線上にあるという認識を保ち続けないといけない。「芸術」をそのように捉えることは坂口氏も本著で書いているし、『楽園への道』でも学んだことだった。

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2012/08/22

『家族のゆくえ』/吉本隆明

4334786073 家族のゆくえ (知恵の森文庫 a よ 4-2)
吉本隆明
光文社  2012-07-12

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 ヘルシンキ行のフライトで読もうと買った二冊のうちの一冊(もう一冊は『国境の南、太陽の西』)。刊行時はなぜか読む気になれなかった一冊。

 自分の精神的に非常に大きな力になったのは、「「やる」ことは「考える」ことより大切だとおもわれがちだが、わたしはそんなことは信じていない」という一節。行動を起こせていなければ、それは「口だけ」であり意味のないことだと自分を責めるようにしていたが、もちろん、行動することは大切だけれども、「考える」こともそれと同等に大切なことだと信じることがより重要だ。何も考えていない人々の群れが、社会をよくない方向に導いていく。だから、社会は人々をより何も考えない方向に導こうとする。このことに、自覚的にならないといけない。

 「本気の愛情」の下りはなかなか難しかった。本気というのは手間を惜しまないということに繋がるが、効率的であることと本気であるということは相反することになるのだろうか?企業社会では「本気」になっているように見える人たちが大勢いるが、彼らは必ず「効率」を説く。端折れるものは端折れと説く。あれは、本気のような「プロセス」をよく知っているだけということだろうか?

 「七十九歳以降の老齢実感」の章で語られる、現在の大都市の問題は、IT産業に身を置く自分にとって痛切。現在の「現代社会」で起きている諸問題が、大都市とハイテク産業における時間スピードの高速化によって、人間間の暗黙の了解と意思疎通が破壊し尽されつつあることが原因であり、これを解決するためには、ハイテク産業の歴史的役割を見出し組み入れることしかない、とする著者の意見は全くその通りだと思う。ハイテクの進化を進め、社会を更に”改善”しようとしていくことが、この現代社会の諸問題を解決することには繋がらないと思う。その弛まざるスピードアップが歴史上どういう意味を持つのかを「考え」なければならない。

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2012/08/12

『Think Simple-アップルを生みだす熱狂的哲学』/ケン・シーガル

4140815450 Think Simple―アップルを生みだす熱狂的哲学
ケン・シーガル 林 信行
NHK出版  2012-05-23

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 個人的に微妙な状況下で読み切ったこともあり、ビジネス書と思えないくらい感じ入ることが多かった。その上、自分が勤めている会社のことが、落ち着いた筆致で批判的に書かれていることもあり、それに対して腹立ちとか憂鬱とかではなく、深く考え込んでしまうことになった。

 「シンプルであること」が強力なスタンスということは、誰しも認めることだと思う。なのに、なぜ、単に「シンプル」でいられなくなるのだろう?ひとつ根底にあるのは、「孤独に対する恐怖に打ち勝てない弱さ」だと思う。人は必ず組織したい。群れたい。友達なら、多いほうがいい。そうやって輪を広げていった結果、収集がつかなくなることはよくあるし、収集がつかなくなっている集団もたくさんある。多くの人が関連した中でも、自分の意見をきっぱり貫き通せる程、どの人も強い訳ではない。かくして、「シンプルさの親友は、有能な少人数のグループだ」という結論が導かれる。
 僕にとってこの命題は、『来たるべき蜂起』を読んだ時にある程度解消されている-コミューンは分割されなければいけないのだ。一定数以上になったコミューンは、メンバーの誰しもがリーダーシップを発揮できる程度の規模にまで、分割されなければならない。これこそが、人が再び人として生命を取り戻す術なのだ。ただ、それが怖くてできないから、人は甘んじて複雑性を受け入れ、シンプルがいいことを判っていながら、複雑の存在理由をあれやこれや捻りだしては受け入れている顔をしているのだ。

 製品面で見た場合、「カスタマイズ」がひとつのブランドになっていた企業は少なくない。個人個人の趣味嗜好に応じた製品を提供できる、多品種少量生産が製造業の進むべき道だと30年前には確かに言われていたと思う。ところが事態はそうは進まなかった。個人個人はそれほど「個性」を持たなくなったのだろうか?それとも、より他と「峻別」できる、決定的な差異だけで事足りるようになってしまったのだろうか?僕はそうは思わない。時代は、状況は、より、微細な差異で差別化を図り、微細な差異を感じ取れることが、美意識に繋がるようになっていると思う。ではなぜ、スマートフォンはiPhoneだけで事足りそうに状況は進んでいるのだろうか?iPhoneは、個人個人が欲する差異の実現方法を、ユーザにとってより簡素なオペレーションである「アプリのインストール」というやり方で実装した、つまり、複雑性の実現方法をシンプル化したところに、ポイントがあったということだろうか?

 アップルのやり方は、どんな組織でもどんな状況でも使えるようなメソッドではもちろんない。その中心には「有能な人の集団」という大前提があるからだ。そして、「有能な少人数の集団」があるカテゴリでそのカテゴリを牛耳れるとしたら、その他大多数は職にあぶれることになる。だから、このメソッドは、けして人々を明るい未来に導くメソッドではない。それでもこの本の主張が悲壮な響きを持たないのは、やりたいことの規模が地球規模であれ町内会規模であれ、やりたいことにストレートに進むことの正当性に自信を持たせてくれるからだ。

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2012/07/30

『極北』/マーセル・セロー

4120043649 極北
マーセル・セロー 村上 春樹
中央公論新社  2012-04-07

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 「なにか」が起きて、ほとんど破滅したような地球の極北に住む生き残り、メイクピースが主人公。メイクピースの一家はアメリカから極北への入植者。メイクピースの父親は、豊かになり過ぎた社会に疑問を抱き、それを「極北への入植」という形で行動に移した。厳しい自然、何もない環境を「理想郷」とする、現代の矛盾。そこで試される「理想」の形。

 温暖化や原子力発電、更に地球規模の格差問題を絡ませ、それらが地球を破滅させたイメージを思い起こさせる。その文脈も、特に3・11があった以降の僕達には考えることがたくさんあるけれど、僕は「正義」を巡る考察にとても興味を引かれた。メイクピースが暮らす世界では、理念優先の正義は役に立たない、とメイクピースは言い切る。確かに、生きることさえ困難な、荒廃した地球で、理念優先の正義は何の役にも立たないことは想像に難くない。
 けれど、正義が一面的でないことは、なにも、荒廃した地球だけで成立しうることではなく、まだ「破滅」していない現代に暮らす僕達の地球でも同じことが言えると思う。『極北』の世界が示す正義の多様性は、極限で起きることを言ってるのではなくて、どこにでも起こり得ることなのだと語っていると思いたい。「我こそは正義」と声高に叫ぶ意志こそが、最も正義から遠いことが多いのだ。なぜなら正義はある一面で絶対的な否定を孕んでいることに気づいていないからだ。

 だから、メイクピースが後半、「怖いのは絶滅だ」と語るところで肝が冷える。環境によって、時代によって、正義がいかようにも姿を変えるのだとしたら、正義とは単なる「価値観」の一形態であって不変で普遍なものではないとしたら、それは絶滅を避けるための多様性の確保なのではないか、とまで思えるからだ。物事がうまく行ってない例えである「ゴー・サウス」を、メイクピースの父親は自分独特の言い回しとして「ゴー・ウエスト」と言い、正義を北になぞらえ、北の極限まで進んでしまうと正しさを示すコンパスは役に立たなくなるという。ここで唯一出てきていない「東」には何があるのか?その極東の地で3・11に遭遇した僕達が考えるべきことはあまりに多い。

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2012/06/23

『デザインと死』/黒川雅之

4883376540 デザインと死
黒川 雅之
ソシム  2009-05

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 タイトルになっている「死」に関する散文については、事実認識が間違っているところもあって、真剣に読む気になれなかった。日本人に神はいなかった、の下り等。正確性を欠く。「日本人とは古来・・・」という、日本人の特異性を説く言説に対してはまず厳しい目を向けようと常に考えているが、本著の「死」に関する散文についてはその必要もなかったくらい。

 翻って、株式会社Kの話はスリリングでとても面白かった。特に、設立当初から海外売上の占める割合を70%にするという目標設定をしたというあたりなど。理想を掲げる人はたくさんいるけれども、成功する人というのは理想を単に現状維持のためのものではなく、現状を把握した上で目標を設定するんだなというところ。

 もう一つ、伝統産業について批評を加えている散文があったので、橋下氏が今やっていることに対してどのような意見を述べられるかを聞いてみたいな、と思った。

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2012/06/16

『PUBLIC 開かれたネットの価値を最大化せよ』/ジェフ・ジャービス

4140815132 パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ
ジェフ・ジャービス 小林 弘人
NHK出版  2011-11-23

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 「パブリック」を称揚するんだろうという先入観から行くと、プライバシーなど全く無くなってしまったほうが良いという論が展開されるものだと予想するけれど、本著はそんなに短絡的で浅い論ではなかった。平野敬一郎の『ドーン』を読んだ際、「ディビジュアル」という概念が出てきて、これはインディビジュアルと呼応した表現なんだけど、「人間はもともと1つの首尾一貫した顔だけを持つのではなく、社会のなかでさまざまな役割があるだけさまざまな顔を持つものであって、それが自然な人間の姿」として、そういうさまざまな顔の一つ一つを「ディビジュアル」と名付けてた。本著における「プライバシー」と「パブリック」の対概念は、この「ディビジュアル」を思い起こさせた。ただ一つの公共圏と、個人がそれぞれに作る無数の公共圏。そして、何をどこまで公共圏に含めるかは個々人の判断で、その行為が「シェア」である。ただ一つの公共圏と個人それぞれの無数の公共圏というのは、正にディビジュアルの考え方。そして、ディビジュアルをディビジュアル足らしめる行動を、本著では「シェア」だと言ってるんだけど、確かにシェアがなければ公共圏を形成できないけれど、「シェア」だけだとするとアクティブに関わることだけが「圏」を形成することになる。これはすっきりする考え方ではあるけれど、「圏」にはパッシブに影響するものもあることは否定できないし、忘れてはいけないと思う。
 「パブリック」というのはシェアであり、つまり「公開」することからは決して切り離されないとしたら、パブリックというのは不可逆的であると言っていいと思う。だから、著者は「データ保護の4つの柱」に喰ってかかっている。一旦公開されたものはなかったことにはできない。それは確かにそうだけど、技術的なことを言えば、人々の記憶に残ることと、某かの媒体に残ることとは区別すべき問題だと思う。人々が知ってしまったことをなかったことにはできないとしても、ログを削除可能であることは、パブリックに取って必要不可欠なことだと思う。10年前の自分は今の自分とは違う、だから生まれたときの自分と今の自分とはもはや同じ自分ではない、だから「私」の同一性は何をもって保証されるのかと問うと、過去の「私」の痕跡がログに存在していることは、現在の「私」のパブリックの必要条件ではない、と言えると思うからだ。

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2012/06/10

『100の思考実験』/ジュリアン・バジーニ

4314010916 100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか
ジュリアン バジーニ 河井美咲
紀伊國屋書店  2012-03-01

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 2005年にイギリスで出版された『The Pig That Wants to Be Eaten And 99 Other Thought Experiments』の翻訳。ハーバード白熱教室で有名になった「トロッコ問題」をはじめとした哲学的課題が100収められています。それぞれの課題は、物語風に語られ、その後、どう考えるといいか、方向が解説的についています。トロッコ問題でいうと、トロッコの分岐点に立っている自分に向かって、暴走トロッコが突っ込んでくる、そのままにしておけば、40人が作業している作業場に突っ込んでしまうが、ポイントを切り替えれば5人の作業場に進路を変えられる、自分はより被害が少ないほうを、意図的に選ぶべきなのか。選ばなければその結果に自分は責任を負わなくてよいと、言えるのか。

 僕はこの「トロッコ問題」のような、選択の意志に関する困難性を考え抜くのはとても大事だと思ってる。選択が難しい課題を、「難しい」で済ませてしまうことは簡単だけれども、それでは生きている意味がないとさえ思えるから。とりわけ今の日本には、原子力発電という難しい問題がある。世界各国では継続であれ廃止であれ、答えを考え結論を出し歩みを先に進めているように見えるなかで、日本だけが遅々として前に進めていないのは、こういった「考える」ことの文化の欠如に起因しているのかも、と思った。だからこそ、この『100の思考実験』の100の課題を、真剣に常に考え抜きたい。

 最後の思考実験が、現代では避けては通れない市場主義・資本主義の問題を取り上げていてこれがいちばん重要に思う中、僕がいちばん気に入っている部分は:

p256 「判断を誤る可能性があるからといって、何もしない言い訳にはならない」

 日本の政治家に聞かせたい一文だし、常に先送りで済ませようとする我々日本人が考え抜かなければならないテーマだと思いました。

 

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2012/06/03

『青春の終焉』/三浦雅士

この、圧倒的に打ちのめされる感じが、評論の醍醐味。

「青春の終焉」というタイトルだけで、もうビッと来た。何が書いてあるかはすぐわかったし、読んでみたいと思った。この本を書店で見つける数日前に、別の書店で買った『反哲学入門』の帯で見た名前が著者だというのも、この本は読まなければいけないというサインだと思った。そして、期待通りの面白さだった。最初の1ページから最後の1ページまで、ずっとおもしろいおもしろいと思いながら読み続けられた評論は久し振り。原本は2001年刊行、なんで見つけられなかったんだろうと思うくらい。「青春の終焉」というテーマについて、「そもそも青春とはあったのか?あったとすれば、それはいつからあったのか?」という問いの設定からおもしろくて、1972年生まれの僕にとって物心ついた頃からずっと胡散臭かった「青春」について、余すところなく徹底的に解剖してくれる。

僕にとって「青春の終焉」以上に大きなインパクトだったのは、「連歌」の話。連歌は15世紀に宗祇が完成させた知的遊戯だが、僕は連歌のことを単なる「知的遊戯」だと思っていた。その当時の知的階級=特権階級が、どれだけの知識量を持っているかを背景に戦う知的遊戯。事細かに規則が決められ、その規則を知らないことが野暮扱いされ、元は「おもしろさ」を保つためだった規則に雁字搦めになって芸術性を保てなくなる詩歌の類同様に下火になったというような理解をしていた。

しかし、連歌を考えるときに大切なのは、「座」だった。連歌というのは複数でその場に集って句を読み合うので、必然的に「その場所に集まれる」人達とのつながりが大切になる。というか、その地理的なつながりがないとできない遊びだ。そうして、連歌は前の人の句を受けて読む訳だから、どうしても何か共通の「おもしろい」と思える感覚が必要になる。それは土地に根付いたものなのかどうなのか、かくしてその「おもしろさ」のための規則が生まれたりしたようだけど、僕にとっては、この、「座」という場所は、当たり前のように「共通の言語」を持たなければならないという事実に、改めてインパクトを受けたのだった。

僕はコミュニティが特権意識を持つことがとても嫌いで、コミュニティが特権意識を持つために「共通言語」が必ず生まれると思っていた。言語だけではなくて知識もそうだけど、先にコミュニティに入っている人は後から入る人よりも当然たくさんのコミュニティ内で必要な言葉や知識を持っていて、それをオープンにするかクローズにするか、というようなところで嫌悪感をよく抱いていた。しかし「座」にとってはそれは当たり前のことで、さらに重要だったのは、それを「座」だけのものにしておこう、という姿勢もあった、ということだ。それを「座」だけのものにしておくことで、徒に句としての高尚さを競ったり、難渋な解釈を覚えたりすることを避けることが出来、「座」の一同は、いつも楽しくおもしろく連歌を愉しむことができる。それを担保しているのは、共通言語であり共通知識なのだ、と。

その分岐点となるのが、口語か文語か。「座」というその場限りの口語で留めておくのか、後に残すために「文語」を選ぶのか。「文語」を選んだ途端、「おもしろさ」を犠牲にせざるを得ない。なぜなら、「文語」は「座」の存在する土地を離れてしまうから。何が「共通」するかわからない地点に飛んで行ってしまうから。「文語」を選んだ途端に、「笑い」を失っていく文学。

何かが一斉に流行することは昔からあったけど、これだけ「個性」「個性」と言われるなかで、あれは「森ガール」が端緒だったのか「沼ガール」が端緒だったのか、「ある程度」の固まりが出来るような流行がときどき発生し続けているのは、個人社会になって細分化された社会のなかで、やっぱり「座」が欲しいと叫んでいる証左なのかも知れないと思った。流行歌のない時代は寂しい、というようなことを登場人物が言ったのは重松清作品だったと思うけど、やっぱり人は「座」が欲しいのだ。

4062921049 青春の終焉 (講談社学術文庫)
三浦 雅士
講談社  2012-04-11

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2012/05/05

『反哲学入門』/木田元

4101320810 反哲学入門 (新潮文庫)
木田 元
新潮社  2010-05-28

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解説で三浦雅士氏が「若い時期にこの本に出会える人がまったく羨ましい限りです」と書いているが本当に心底そう思う。「哲学」という「ものの考え方」がどんな道のりを歩んできたのか、その要諦を余さず教わることができる凄い一冊だと思います。それだけではなく、これまで日本で流布してきた哲学にまつわる様々な言葉や解釈の誤りを、鮮やかな切り口で正してくれるので、僕のように趣味で哲学書を読んで理解を深めようとしている人にとっても必読だと思います。

「反哲学」というのは、「哲学なんかクソくらえだ!」というスタンスを指しているのではなく、「それまで哲学と呼ばれていたものに対して、それを根底から転覆する」ことを企てている哲学、という意味で、具体的にはニーチェ以前と以後は、同じ「哲学」と呼びならわすのはおかしい、ニーチェ以降は「反哲学」だ、ということで、その説明が非常に理解しやすい。それと共に、これまで読んできた哲学書の言葉の難解さ具合とか、「なんで”脱”構築なんだ?」とか、そういうところがみな理解できるよう、用語のレベルは落とさずに、分かりやすく解説してくれてます。

哲学というのは非常に馴染みが悪いですし、直接的に何かの役に立つようなものでは決してないし、生半可にかじられて「あの高名なナントカがこんなふうに言っているのだ」的に使われることほど害悪なことはないのだけれど、ニーチェが最終的に「美」をもち出しているところだとか、哲学ということは経済に限らず芸術の領域だったり、実は生活全般に深く浸透してくる「考え方」なので、少しでも触れておくことは悪くないと思います。

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2012/04/22

『サウスポイント』/よしもとばなな

4122054621 サウスポイント (中公文庫)
よしもと ばなな
中央公論新社  2011-04-23

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過ぎたるはなお及ばざるが如し。なぜかわからないけど、そんなことを読後、思った。

あと、幸彦さんが実は珠彦だった、じゃなくて、幸彦のままでどんな展開になったか読みたかったなあ、というのはちょっと低俗な趣味かな。

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『偶然とは何か-北欧神話で読む現代数学理論全6章』/イーヴァル エクランド

4422400193 偶然とは何か―北欧神話で読む現代数学理論全6章
イーヴァル エクランド Ivar Ekeland
創元社  2006-02

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「圧縮不可能でなければならない」と、原子力発電所の炉心融解のリスクと、ビッグ・データ。IT業界の今と密接に関連する事柄を知れる好著だった。もちろん、タイトル通り、「偶然とは何か」という問いを、数学的な切り口と、哲学的な切り口で迫ってくれるおもしろさにも満ちている。

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2012/03/21

『バートルビー/ベニト・セレノ』/ハーマン・メルヴィル

4990481127 バートルビー/ベニト・セレノ
ハーマン・メルヴィル 留守晴夫
圭書房  2011-01-10

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 「その気になる」「ならない」ということと、「そうしない気になる」というのは全く異なること。「その気にならない」というのはただの否定だけど、「そうしない気になる」というのは否定の肯定だ。この「そうしない気になる」ということに、いろんな哲学者が可能性を見出したらしい。それを眺めているだけで興味津々。

 「代書人」という職業も気になる。郵便配達人にしても、代書人にしても、ある意味、国家から仕事を貰う立場のように思う(今の日本は郵政は民営化されているけど)。そういう、国家から与えられる仕事には、嫌気が指すということなんだろうか?それはともかく、どちらも言葉を扱う仕事であるところが奥深い。

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2012/03/20

『春を恨んだりはしない-震災をめぐって考えたこと』/池澤夏樹

4120042618 春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
池澤 夏樹 鷲尾 和彦
中央公論新社  2011-09-08

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 池澤夏樹氏も理系の学問(物理学)を修めていたということを初めて知った。優れた文学者の多くが理系にも関わっている気がする。「移ろうものを扱うのなら文学」と本著にあるけれど、移ろうものを文学で扱うために、前提として静的な分析をするための姿勢・方法論として、理系の思考回路が必要ということのような気がする。

 組織機能について記載されているところがむず痒かった。確かにゆるい結びつきのネットワーク型組織が、非常事態で有効に機能することはわかる。けれど、これにもデメリットがあるからピラミッド型を志向する訳で、それがなんなのかは明確に言葉にしないといけないなと思った。

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2012/03/18

『乳と卵』/川上未映子

4163270108 乳と卵
川上 未映子
文藝春秋  2008-02-22

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 豊胸手術をもくろむ母・緑子と、自分の性を受け入れられない娘・緑子。緑子は言葉を話さず、日記には精子と卵子と乳。世の中の辛いこと悲しいことは生まれてくるからだから、自分は子どもは絶対産まない。お母さんは私を産んだから大変でも当然だと思ったけれどそんなお母さんも自分で生まれた訳じゃないんだからそれもお母さんのせいではないというところまで突き詰める緑子。そんな緑子は声を発さず筆談し、言葉で表せない言葉はないのか、言葉を言葉で表すと一周するんじゃないのかと電子辞書を繰る…。

 生命の輪廻と言葉の輪廻。ほんとのことはどこかにあるのかないのか。そんな根源的な話題をぎっしり詰め込みながら、母と娘が遂にぶつかり合うクライマックスでお互いではなく自分にぶつけあうのは生卵。もう徹底していて清々しい!

 この事の重大さは、「ほんとのとこ」は女性でないとわからないのだろうなと思ってはいますが、それを見透かしてか「言葉」という要素を哲学的に入れ込んでいるあたりがあざといくらい見事で、最後まで面白かったです。

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2012/03/10

『Sunny』/松本大洋

4091885578 Sunny 第1集 (IKKI COMIX)
松本 大洋
小学館  2011-08-30

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 松本大洋の作品について感想を書くのはとてもとても難しい。僕は松本大洋作品は大好きで、『ピンポン』も『鉄コン筋クリート』ももちろん大好きで、松本大洋作品のこの「ベタ」な感覚が大好きなんだけど、世間で松本大洋作品が人気があり好きだという人が多いのが、この「ベタ」な感覚のところなのかそうじゃないのか、そこがどうもよく分からないからです。僕にとっては松本大洋作品はかなり「どストレート」なシナリオで、初めて触れたときから、こういう率直に人の魂を揺さぶるようなストーリーが、そんなに世間で受けるもんなのか、どうにも腑に落ちなかったからです。これはやっぱり、高校生という青春時代をバブル期に過ごし、大学生になった途端バブルが弾けたこの世代独特の「捻くれた」感覚なのかなと思います。

 だから、アツく語れと言われればいくらでもアツく語れるくらい、松本大洋作品は大好きで、この『サニー』も、手にして帰った電車の中で一気に読んでしまったくらいです。作者の来歴は何も知らなかったのですが、ウェブの記事を読んで、作者自身も、この『サニー』が取り上げている「施設」で過ごした経験があると知って、やっぱりそういう体験がないとここまで鮮やかに描けないよな、と納得しました。「施設」で過ごす子どもたちの日々を描いた作品というものは、漫画だけでなく小説やTVドラマや映画やとたくさんありますが、そういういろんな形態で展開されてきた「施設物語」のパターンがすべて投げ込まれ反復されているだけのようで、全然違ったものとして胸に迫ってくるのはやっぱり松本大洋という作家の画風と演出の力だと思います。少し何かを振り返ってみたい気持ちのときに読んでみると、自分にはそういう過酷な経験がないと思っていても、何かシンクロするものがきっとあると思います。それは、松本大洋自身がウェブの記事で語ってましたが、施設の経験がない人間が、施設を過酷と思ってても、そこで過ごしている子どもたちは「意外としたたかにやっている」からかも、知れません。

感想もう一つ。http://tatsumi.posterous.com/sunny

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2012/02/26

『小さなチーム、大きな仕事 完全版』/ジェイソン・フリード デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン

415209267X 小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則
ジェイソン・フリード デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン 黒沢 健二
早川書房  2012-01-11


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  「完全版」の出版予定があるのを知って、知ったその日にamazonで予約をして、読める日を心待ちにしてた。昨日、やっと読めた。これは素晴らしい本だ。掛け値なしに素晴らしい。実行するのがとんでもなく難しいことは何も書かれていない。インターネットが「普通の」存在になったことで、小さなチームで大きな仕事がほんとうにできるようになったんだということに納得できる内容で、それはテクノロジーに精通していなければいけないということではなく、普段の仕事の進め方如何だということを分からせてくれる。例えばこの一文:

「仕事依存症患者は、ほどよい時間しか働いていないという理由で、遅くまで居残らない人たちを能力に欠けているとみなす。これは罪悪感と士気の低下 をはびこらせる。さらには実際には生産的でないのに、義務感から遅くまで居残るような「座っていればいい」というメンダリティを生み出してしまう」

 まるで日本の悪しき習慣について書かれているようだが、本著は紛れもなくアメリカで書かれたものだ。こういうことは、日本だけで起きてるのではなくて、世界のどこでも起きるのだ。合理主義が徹底されていると言われ、能力主義で給料が決まると言われ、残業なんか誰がするのかと言われているようなアメリカですら、起きるのだ。

 そしてこうしたことは、外資系でも起きている。僕たち日本社会において生産性向上の足を引っ張っているのは実は「和」の精神だ。これは何も、小異を、マイノリティを切り捨てろ、と言っているのではない。いちいち仲の良さを確認しなければ仕事ができないメンタリティの問題なのだ。

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2012/02/12

『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』/西岡常一

4532194644 宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み (日経ビジネス人文庫 オレンジ に 2-1)
西岡 常一
日本経済新聞出版社  2008-09

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 率直に言って、この本からは仕事に関わるほぼ「すべて」のことを感じることができる。「書かれている」のではなくて、読み手が西岡氏の言葉から、ほぼ「すべて」を感じることができるのだ。外資系に勤める僕が長らく思い悩んできた「収益と社会への貢献」という問題も、軽々とその問題の考え方が伝わってくる。職人というからには丁寧に仕事をしろということかと思えば、「拙速を尊ぶという言葉がある」と、ザッカーバーグ顔負け(Done is better than perfect)の説教をしているし、宮大工としての正論を叫んでいるのかと思えば「施主には勝てない」という現実感あふれる性がある。
 「仕事」に関して、その意義に思い悩むことは決して無駄なことだとは言わない。けれど、その思い悩みが必要なステージと不必要なステージは、人それぞれに存在する。今の僕には「仕事」についての思い悩みはもはや存在しない。大切なのはまず魂だ。西岡氏もいうように、知識は必要不可欠なものだし、スキルも絶対必要なものだし、現代で言えば資格のようなものも必要だしそれを取得していることは認められるべき。ただ、それもこれもみな、まっとうな「魂」があって初めて輝くものだ。魂もないのに、美辞麗句を並べられるような、誰にも嫌われないような言葉をうまく並べられるような、口のうまい奴にロクなヤツはいないし、そういう奴に流されるようなヤツにも要はなくなった。必要なのはまず魂だ。この精神を汚す人とは付き合わない。

 口のうまいヤツと、しりあいの多いヤツは信用してはいけない。これは、富本憲吉も、志賀直哉も、そして五味さんも教えてくれたことだ。

 そして、頑固であることを回避する必要はないと教えられた。もちろん、その道は非常に険しいが、折れることが頑固を回避していることにはならないことも教えられた。

 何が現代日本を堕落させたのか?そういうと、誰もが、多数決による「数」の暴力、大量生産主義、迎合主義、そういうものを上げるというのに、いまだにただ徒に「つながる」ことへの礼賛はやまない。よく考えないままつながることが、自分の意志の一票を投じることが、他ならぬ身近な誰かを苦しめ、その生活を困難なものにしているかも知れないという想像力が、相変わらず欠如している、そんな人たちとは関わらない。それが進むべき道だと、西岡氏は教えてくれた。

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2012/02/04

『アルビン・トフラー「生産消費者」の時代』/アルビン・トフラー 田中直毅

4140812184 アルビン・トフラー―「生産消費者」の時代 (NHK未来への提言)
アルビン トフラー 田中 直毅 Alvin Toffler
日本放送出版協会  2007-07

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 一方でより安いものを、より安くていいものを、効率的な運営を、と要求を叫びながら、一方でより多くの賃金を、より多くの雇用を、より多くの有給休暇を、という要求も叫ぶ、この現状に違和感を感じ続けて数年が経つ。モノが安くなるということは、単純に言って誰かの給料が安くなるか、誰かの仕事がなくなるか、どちらかによって成立しているはずだ。どうして、自分の立場だけが、高い給料をもらい続けられて、モノをより安く買えることを実現できると思いこめているのだろう?僕はこの答えは、個人から、生産者と消費者が分離してしまったからだと思っている。社会が工業化したときの、労働者は自分のところで作っている製品が買えないというようなパラドックスはよく言われるけれど、それでも労働者はまだ生産者でありかつ消費者であったと思う。現代は、その役割が個人の中で完全に分離されてしまっている。生産と消費は循環運動でなければならないのに、個人の中ではその循環を断ち切らされてしまっている。だから、消費者として、生産者として、全く矛盾する要求を同時並行で掲げることができ、循環を断ち切られているが故に結局状況を悪化させることになっているとは気づけない。

 そんなふうに思っているので、アルビン・トフラーの言葉である「生産消費者」というのがどうもしっくりきてなくて、理解するために本書を選んだ。『富の未来』では、「産業の経済」と「知識の経済」の対立が紐解かれているが、「食うに困らない」ことが既に所与で前提の社会になっているという考え方に問題意識を持っていて躊躇いがあるものの、「生産消費者」というのが大枠では「D.I.Y.」を志向する人ということは理解できた。「金銭を使わずに、無償の労働を行い」、その結果のアウトプットが「生み出された富」という考え方。

 自分たちで行うことでの満足感が金銭に取って変わるというのは、あまりにもナイーヴな考え方に感じるけれど、自分たちで行うという姿勢が主流になっていくというのは、圧倒的な情報量の社会で起こる現象としてとても納得できる。そしてこれは、工業化が究極に達しようとする社会で見られるようになった、「何事も専門家に任せればよい」という、徹底した「分業化」による効率性の追求から人間性を取り戻す確かな理論でもあると思う。
 一方で、出来る限りすべてを消費者である自分たちが自分たち自身で行わなければならない社会というのは、相当に自己責任を負う社会ということでもあり、相当に厳しい社会でもある。そしてある種の回帰でもある。工業化前の時代の働き方に回帰する面が存在するが、果たしてそんなにうまくいくのだろうか? 

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2011/12/31

『あたまの底のさびしい歌』/宮沢賢治・川原真由美

488008347X あたまの底のさびしい歌
宮沢 賢治 川原 真由美
港の人  2005-12-01

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 自分の死後、手紙というものが公にされるのって、どんな気持ちなんだろうか?と少し胸が苦しくなる。自分だったら相当厭なことだなあと思うけれど、本著は敬愛する宮沢賢治の、作品から知る人物像ではない、作品を作らんとする人間である宮沢賢治を知れて、作家とは作品だけで向き合うのがよいのか、作家という人間全体を知ろうと様々な資料に当たるほうがよいのか、考えは巡る。けれどとにかく、この本を手にしたことは最高によいアクションだったと思う。

 幾つかの手紙で、賢治は相反する概念を並列にする。「恋してもよいかも知れない。また悪いかもしれない。」「だまって殺されるなり生きているなりしよう。」「すべては善にあらず悪にあらず」等々。こういう賢治の言い回しでわかるのは、世の中のどんなことも一義的ではないと肝に銘じる賢治の意志の強さ。どう考えたってそれは善いことでしょう(または悪いことでしょう)という行為でも、それは悪いことだ(もしくは正義だ)と訴える、それも自分にとっての都合・利得で言うのではなくそう信じて訴える人がいて然るべきなのだということを、賢治は強く肝に銘じようと努めていたのだと思う。もしくは、善とか悪とかを決めるのは、自分でもなければ誰か別の人でもない。そういう価値判断は、人間が下すべきものではない、と。
 そうやって、諸々様々の視点が入り乱れることを賢治は許容し、その結果当然に混濁させてしまうことになる世界の中で、「しっかりやりましょう。」とただひたすらに繰り返す手紙を賢治は書く。この「しっかりやりましょう」の反復に、僕は胸を打たれる。すべてを認めてしまったら、後は「しっかりやりましょう」とお互いに声を掛け合うのみなのだ。

 賢治が生きた時代は日本にも資本主義が定着していく明治後半~昭和初期なので、どれだけ賢治が崇高な理念を持っていてそれを語れたとしても、勤労に励むことが社会の通念に沿っている時代で、賢治自身も「働いていない自分、こんなんじゃダメだ」と苦悩したことが、手紙の端々から読み取れる。最近、仕事に関する書籍を二冊読み、その歴史、経済の仕組に応じたことが倫理観となって普及させられていくことを学んだところなので、その重さを痛感する。作家の側面を知るということの意義は、こういうことなのだと思う。

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2011/12/30

『これ、いなかからのお裾分けです。』/福田安武

4862020372 これ、いなかからのお裾分けです。
福田安武
南の風社  2010-07-07

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 僕は生粋のど田舎育ちなので、「いなか」を持ち上げる言葉とか話とかがどうも好きになれません。「田舎暮らし」とか、一生田舎で暮らすなんて子どもは絶対嫌がるよ。せめてときどき都会に出れる環境だから、田舎暮らしもいいかな、なんて言えるんだよ。自分の子どもの頃の感覚からそう思ってるんだけど、日本には僕が住んでたような、電車で1時間半で都会に出ようと思えば出れるような環境じゃない田舎もたくさんあって、そういう地域の子ども達は、都会に出たいとより強く思うのかそうじゃないのか、もちろん個人によりけりだろうけど、そういうことを思う。
 この『これ、いなかからのお裾分けです。』の著者は、生半可な田舎ファンじゃなくて、田舎に生まれ育ち田舎を心から愛している「田舎人」なので、その生き方にただただ感服してしまう。僕は田舎で育ったとは言え、引っ越してきたサラリーマン家庭なので、農業を体験する訳でもなく、著者のようなディープな田舎知識は身についてなくて、同じ田舎で生きてもこうも差のつくものなのかと、引いては日々の過ごし方が大きな差になるんだよなと、当たり前のことを改めて反省したり。そして著者が、漁師に憧れたり、漁師になるために大学を選んだり、そこで漁業の現実を知り将来に迷ったりする姿は、真摯過ぎて圧倒。ここまで筋を通して生きていくことはなかなかできない。田舎暮らしのディティールよりも、その筋の通し方に、誰しも感じるところの多い本だと思います。

 田舎で暮らしていくことは、都会で暮らしていくことに較べて、金銭的な豊かさはたいてい劣ることを覚悟しないといけない。「心から喜んでくれる人がいるから、お金儲けにならなくてもいいんだと言うおじいさん」の話が登場するが、これはとても象徴的だと思う、というのは、お金儲けにならなくても暮らしていける要求水準の「おじいさん」ならそういうスタンスで(理想の)生活をやっていけるかも知れないけど、これからいろいろな人生のイベントのある著者が、そういうスタンスで続けていけるのかどうか、そこを指し示すことこそが、現在ではこういう本には必要なことかな、と思う。「はじめてみよう」と誘い出す本はあまた溢れていて、そういうことを言う役割は、もう本では終わったのかな、と。

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2011/12/18

『どうでも良くないどうでもいいこと』/フラン・レボウィッツ

4794959788 どうでも良くないどうでもいいこと
フラン・レボウィッツ 小沢 瑞穂
晶文社  1983-03


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 例えて言うならマツコ・デラックスとかそういうこと?著者は皮肉多目のユーモアで人気を博したそうです。それにこのタイトルに期待大で読み始めてみたのですが、ちょっと日本人の我々が感じる「どうでも良くないどうでもいいこと」というのとずれてはいます。英語の原文で読めたら「ほほう」とニヤッとできるところが、もっと多いんだろうなあ~と思うのですが、残念ながら’10年代の日本に暮らしている僕は、’80年代のアメリカの、若干アイロニカルなノリは半分以下しかわかってないと思います。

 そんな中で胸に飛び込んでくる文章というのは、物凄い破壊力です。壮絶な破壊力だったポイントが3点あります。この3点に抉られた人には間違いなく「買い」の本です。

  1. p112「愛読書は「ザ・ホール・アース・カタログ」とかいうもので、着るものはこれを見て注文する」
  2. p183「近代社会の特徴として、一般市民は便利なシステムに頼りたがり、地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値を忘れる傾向がある」
  3. p200「貧乏人に税金を課すのだ。それも重税を。金持ちのテーブルからのおこぼれを与える考え方が間違っている」

 1.は「世界市民」とか「地球人(アースマン)」とかを自称する胡散臭さに唾棄してる章の一節で、この文章の前は、「地球人(アースマン)は友情のしるしと称する青い葉のある野菜を食することで知られる。熱心に食べるのみで食物連鎖についてあまり考えず、再生説を信じる。」とある。僕は何にせよ、「センスがある」と自他共に認められているそうな人達の、自他共に認められていることのためのシンボル、アイコン、免罪符、あるいはバイブルとしての存在が何かにつけて嫌いで、『ザ・ホール・アース・カタログ』はよくは知らないものの、初めて耳にしたときから嫌いの最右翼だった。それを口にする人たちの、その盲目的な感じが何につけ怖いのだ。なぜ、みんな怖くないのかが分からなくて、怖いのだ。

 2.は、’80年代のアメリカで、こういうことが書かれていたことにちょっと感動。「地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値」って何だ?この30年間、「それってなんだかんだ言って結局カネで表さないと意味ないだろう?」というところで諦めて手を打って突き進んできたんだと思う。確かに、生活するに不足のないカネを得られなければ、その地道で苦しい労力を続けることはできないし、単に「喜びや価値」で食っていけはしない。その最低限の循環をどうやって作るか?を考え始めているところ。蛇足だけれど、こういうことを言っている著者も、結局のところは「企業初期にひたすら低コストで蓄財し、損益分岐点を越えるところで大きく越えることで一気に安定軌道に乗せる」という、古典的な資本主義の作法に則って成功したところが食い足りない。

 3.は超難問。基本的に僕は、この字面通りの意味には賛成だ。消費税を増税して、低所得者層には還付するとか、根本的に間違っていると思う。還付するためのコストを考えてみたら、還付しなくてもいい程度の税率にするほうがよっぽどマシだ。
 それに、ここからがもしかしたら著者が言おうとしていることと重なるかも知れないけれど、これはあくまで「相対性」の問題だと思う。お金が足りないのは、結局、低所得者も高所得者も同じ。高所得者が、「税金で50%も持って行かれると思うと、やる気をなくす」と言ってるのは、そのまま低所得者にも当てはまるのではないか。なんかこの辺にヒントがあるような気がする。

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2011/12/04

『わたしのはたらき 自分の仕事を考える3日間Ⅲ』/西村佳哲with奈良県立図書情報館

4335551509 わたしのはたらき
西村 佳哲 nakaban
弘文堂  2011-11-30

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 一読して最も強く思いに残っているのは「健康」。健康とはたらきとの関係。

 僕は子どもの頃相当に体が弱く、しょっちゅう病院のお世話になっていた。母親も虚弱体質で、父親に至ってはいわゆる「不治の病」で、一家揃って不健康。だから、健康であることが当たり前だと思っているような人とはどうしても打ち解けられないし、健康について気を使えない人を信用することもできない。

 今は子どもの頃に較べれば随分丈夫になったものの、何かに取り組もうとして一生懸命になると覿面に体調を崩すところがある。なにか勉強を始めようと睡眠時間を削り始めたらひどいヘルペスに冒されるとか、ロードバイクも半年くらい続けていよいよというときに他の要因も重なったけどひどい扁桃腺炎になってしまうとか。
 その度に僕は「頑張ろうとすれば必ず体に足を引っ張られる」と恨めしく思ってきた。軌道に乗りそうになる度に体が音を上げ、一週間二週間とブランクを置かざるを得なくなり、結果、それまでやってきたことがゼロにクリアされる。
 と思ってきたんだけど、ここ最近、そんなことないなと思えるようになってきた。ゼロに戻っているようで、ゼロには戻っていない。三歩進んで二歩下がるでいいんだ、と。

 そういうことを思い起こさせる内容が、「わたしのはたらき」にはいくつも出てきた。

 とりわけ、川口有美子さんのALS-TLSの記述は堪らない。僕の父親はALSでもTLSでもないが、働くには相当辛い病を患っている。それにも関わらず、発症してからも家族の為に働き続けて僕と妹を独立させ、その後も働き続け、患って27年、定年まで勤め上げた。これをはたらくということのすべてだと思いはしないけれど、はたらくということの非常に大切なことがここにはあると確認している。

 「仕事」でも「働く」でもいいけれど、それは「感謝する」ためにあることだ。間違えたくない。仕事や働きは、誰かに「感謝してもらう」ためにするものではなくて、仕事や働きをすることは、それによって誰かに「感謝する」ことなのだ。「感謝させて頂く」と言ったほうが判りやすいかもしれない。それを自分が仕事や働きとして選び取っている以上、それをやり切るのは「当たり前」のことで、感謝してもらえないからやる気にならないというのは筋が違うと僕は思っている。そして、仕事や働きをやればやるほど、いろんな人たちの力が重なって自分の生活が営めているということが判るし、そういうのではない、うまく言葉にできないところで、仕事や働きというのは「感謝する」ことなのだと思う。

 坂口さんの「啓蒙」に関する熱い語り口とか、僕は「啓蒙」は大嫌いな概念なのでちょっと鼻白んだこととか、そういう思いも普通なら書きたいんだけど、この『「自分の仕事」を考える三日間』とそれを収めたこの本については、そんなことどうでもいいくらい満ちてくる思いというのがある。図書情報館の乾さんを直撃して、お話を聞かせて頂き、今も交流を持たせて頂いているのもそのエネルギーがくれたものだと思う。あれから約一年、チェックポイントを設けたい。

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2011/11/27

『ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス』/ポール・キメイジ

4915841863 ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス
ポール・キメイジ 大坪 真子
未知谷  1999-05

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 今、日本は空前の自転車ブーム。ほぼ連日のようにニュースでは自転車に関するニュース(それはたいていピストの暴走とかのあまりよくないニュース)が取り上げられる。エコな移動手段、健康的、クリーンなイメージと共にある自転車。でも自転車がブームになったのは今が初めてじゃない。1960年代にも大流行したことがあるらしく、当然だけどその歴史は古い。

 本著が取り上げているのはそれよりはまだ新しく、1980年代後半のツール・ド・フランスを中心に語られる。1980年代と言えば日本は高度成長期からバブルに向かおうとする、正に現代に通じる発展を遂げてきた時代で、世界ももちろんそう変わらない。にも関わらず、登場するエピソードはいったいいつの時代の話なんですか?と繰り返し聞きたくなるくらいに泥臭く闇の世界的なある行為が語られる。ドーピングだ。
 自転車競技は1980年代、薬物に汚染される道をひた走っていたらしい。ドーピング自体は禁止行為だったが、バレなければ構わない。というよりも、バレずに済むことが判っていれば使用する者が当然のように現れ、使用しない者は使用する者にどうやっても勝てないとすれば、これも当然のように誰も彼も使用するようになる。正に悪化は良貨を駆逐する。そこまでして勝たなければいけない最大の理由はスポンサーだ。つまり、1980年代のロードレース界は、金によって薬にズブズブと使ってしまっていたのだ。

 著者のポール・キメイジは本著のサブタイトルに「アベレージレーサー」とある通り、華々しい戦績を挙げた選手ではない。であるが故に、ドーピングの告発を込めたこの本も、その発言も、「ぱっとしない選手がああいうことよく言うんですよね」式に片づけられそうになったらしい。ルールを破ることが成功するための唯一の道で、その中でルールを守ることを貫き通す勇気を、この本から学ぶことには意味がある。どんな世界でも、常にルールと倫理を厳しく守り通して競い合うとは限らない。むしろ逆で、ルールの抜け道を探し出すことが勝利に大きく貢献したりする。それでも、自分はそのようなことはしないというスタンスを貫く勇気と、そういうルールを補正し続けて行こうという持続力の大切さを知ることのできる良書。

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2011/11/20

『震災のためにデザインは何が可能か』/hakuhodo+design studio-L

4757142196 震災のためにデザインは何が可能か
hakuhodo+design studio-L
エヌティティ出版  2009-05-29

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 この本は、hakuhodo+designと山崎亮氏のstudio-Lが2008年に実施したプロジェクト「震災+design」をまとめたもの。東日本大震災を経験したこの2011年、果たしてこのプロジェクトの活動およびアウトプットで実際的に役立ったものがあったのか、その「活動」を役立てた「活動」があったのか、そういうところに興味が向くものの、読中は「システムをデザインしている立場として、”デザイン”とはどういうことかを異なった分野のデザインから学ぶ」つもりで読みました。

 震災のためのデザイン、ということで、当然強く印象に残るのは「社会的デザイン」という考え方です。商業的デザインと社会的デザインの違いは本著を一読することで理解できるものの、「社会的デザイン」という新しい視座を、自分の領域である「システムデザイン」にどう絡めるかというのは難しい。「システムデザイン」というのは原則必ず商業的デザインであるから、という次元の捉え方ではなくて、「商業的デザイン」ではなく「社会的デザイン」を行うときの、対象の把握の仕方、前提の整理の仕方、デザイン中の進め方、出来上がるデザインの完成を図る物差しとしての価値観、等々を、システムデザインにも反映できるはず。これを反映することは、システムデザインの手法だけではなく、自身の「働き方」そのものにも影響を与えることになるので、丁寧に時間をかけて整理してみたい。

 「システムデザイン」そのものの文献も、再度当たってみないといけない。

 もうひとつは、例え社会的デザインであっても、デザインは「正しさ」「楽しさ」「美しさ」を持つものだ、と定義されていて、ここでいちばん引っかかるのは「美しさ」。「美しさ」の基準を考え直すため、『言語にとって美とは何か』を再読しようと思った。

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2011/11/08

『ユリイカ 特集=宮沢賢治、東北、大地と祈り』

4791702255 ユリイカ2011年7月号 特集=宮沢賢治 東北、大地と祈り
吉本 隆明 池内 紀 奈良 美智 大庭 賢哉 桑島 法子 天沢 退二郎
青土社  2011-06-27

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宮沢賢治と吉本隆明は、僕の読書体質に大きな影響をくれた二大文筆家なので、もちろん読まないわけにはいきません。

東日本大震災に遭って、吉本隆明が宮沢賢治ならどう考えただろうか、という推測が語られます。ひとつは、宮沢賢治は両眼的かつ包括的な物の見方をする。だから、津波に関しても、一面的な分析はしなかっただろう、ということ。もうひとつは、東日本大震災で日本の気候の何かが変わってしまったのではなく、ここ十数年の間にじわじわと気候変化が起きていて、その結果のひとつとして東日本大震災が発生したのだと捉え、今後はこのような気候であることを前提として、社会の仕組や建築建造などを考えていったほうがよい、という話で、このふたつが印象に残っています。

より変化に強い、というよりも突発的な破壊に強い、そういう社会や建築建造を志向するのは、最近、目にする度に収集している「メタボリズム」の思想に関連したり、ここ1、2年の間、聞こえることが増えてきているような気がする「”所有”に対する疑問」にも通じるようでおもしろい。

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2011/11/06

『スクウォッター-建築x本xアート』/大島哲蔵

4761523182 スクウォッター―建築×本×アート
大島 哲蔵 大島哲蔵アーカイブ
学芸出版社  2003-06

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【ノート】
p92「ポトラッチ」・・・太平洋岸北西部インディアンの重要な固有文化。彼らの社会的地位は所有の量ではなく、贈与の量で決まる。
「ヴァルネラビリティ」・・・攻撃誘発性。
「ボルシェヴィズム」・・・ボルシェビキの思想を実践する流派。
※「プチブル」のコンテクスト。

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2011/11/05

『食う寝る坐る 永平寺修行記』/野々村馨

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)
食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫) 野々村 馨

新潮社  2001-07
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 デザイン事務所勤務の著者が30歳の時、突然出家し一年間永平寺にて修行生活を送ったノンフィクション。

 まず、お寺と何の関係もない一般の人が、突然思いついて出家するなんてことが許されるんだという驚きと、おまけに一年で帰って来れるんだという驚き。僕は出家と言うと、もうそのまま一生、仏の道を歩まなければいけないものだと思っていたので、「一年間」という区切りのある永平寺の修行というのがまず驚きだった。
 ただ、僕にとってこの本を読み終える目的と言うのは、アマゾンのユーザーレビューの中にあった、「強制力を持って成し遂げて得られた達成感というのは、一時的なもので人間的成長にほとんど有用でない」という意味のレビュー、その内容の真偽を確かめたい、というものになっていた。

 と言うのも、僕も概ね、スパルタ方式とか徒弟制とかに懐疑的だから。僕たちの世代というのは、親の世代=団塊の世代以上に、徒弟制のようなものに懐疑的で、大学生の頃から年功序列を敵視し、実力主義を尊ぶような思想に染まって育ってきた世代だし、ちょっと話は逸れるけどダウンタウンのような「ノーブランド漫才」=師匠が存在しない、という仕組=主従・徒弟ではなく、職能教育を施す仕組が本格的になっていきそうな時代に育ったので、スパルタ式や徒弟制に疑問を持ち続けてきた。人間扱いされていないような言われようが我慢できない、という程度のこともあるし、世の中にはそれが本当に人間の尊厳を損なうところまで突き進んでしまっていることもある。

 だから、徹底的に強制的で、暴力的と言ってもいいくらい厳しい永平寺の修行を通して、著者がどんな満足感を得たのかというのが知りたかった。

 読んでいて感じたのは、まず、著者にはそういう視点がないのだろうということだった。ある一つの思想に、哲学に、その方法論に、良し悪しを問わずまるごとどっぷりと浸かること、そのことを批判的に評価する視点はなかったのだろうと思う。もちろん宗教というのはそういうもの。だから、著者はつべこべ言わず、永平寺の流儀を丸ごと飲み込んだ。そして、その結果辿り着いた地点に、十分な達成感と満足感を得て下山した。
 僕は、この、「どっぷり浸かる」というやり方が、最も効率的であるということは知っている。右も左もわからない世界では、まずどっぷり浸かるのが最短距離。例えば数学において公理公式を丸ごと暗記するように。でも、その一方で、例えば某企業において、まるで軍隊と見紛うまでの徹底教育が成され、その結果業界でも群を抜いた業績を収めるというトピックがあるけれど、それは、要は社員を徹底的により安くより多くを産みだすように訓練しているに過ぎない。

 という訳で、資本主義体制の欠点の視点からも、僕はスパルタ式・徒弟制というのはよくないことだと思っていたのだけれど、反対に、なんでもかんでも理屈や理由がないと行動できない現代人というのもどうかなと疑問に思ってて、例えば電話対応を誤ると自社の悪い評判が口コミであっと言う間に広がり、それを回復するコストが高くつくので正しくやりましょう、とか、そんなもん理屈以前にやれて当たり前だろう、と常々思っている。その「当たり前だろうと常々思っている」部分、かつては「常識」と言えたのに、多様性とか個性を尊重とかが行き過ぎて「常識」と軽々しく言ってはいけない風潮が間違った方向に進んでるところを、「常識だろ」と言えるような、そういう強制力はやっぱり必要じゃないのかな、そんな風に読み終えて思ったのでした。

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2011/11/03

『オートバイ・ライフ』/斎藤純

4166600486 オートバイ・ライフ (文春新書 (048))
斎藤 純
文藝春秋  1999-06

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オートバイ好きの作家による、オートバイの愉しみ方。
僕はオートバイには乗らないので、オートバイに直接関わる情報についてはそれほど役に立つ訳ではないけれど、「愉しみ方」という観点はとても面白かった。僕はロードバイクに乗っているが、ロードバイクもオートバイと同じで、パーツやウェアに拘りだすと切りがないものの、それが「愉しみ方」とは思えないし、欲しいものは出てくるものの、それを愉しみとはできない自分がいて、なぜそれが「愉しみ」ではないのかを、本著は明確に語ってくれる。

オートバイの本と言いながら、映画やクラシックの話題も絡められ、オートバイに乗るということが、ひとつの文化と言えるようになっている。オートバイが文化を形作ってる側面。こういう本に触れるにつけ、自分が若い頃からあまりにも映画やクラシックに興味を持たな過ぎてきたことを後悔する。

特に面白かったのは、エコロジーに対する「感傷」という批判。「牛肉を食べている人間に自然保護を語る資格はない」式の言い分に対して、「子供っぽい感傷」と一刀両断にしている。そして、「知ること。行動すること。」というロジックを展開している。ここで言う「感傷」と言うのは、言うなれば「思考停止」ということだろう。僕は感傷そのものは否定しない。何も生み出さない感情の美学というのは確かにあるから。それを、文学とか音楽とか、アートだけの特権にしておく必要はないと思う。けれど、感傷を持ちながらも知り、行動する手立てはある。そこまで考えた上で、「アンドレ・マルローが1930年代に、悲観的かつ行動的な者たちは、ファシストであり、将来ファシストになるだろうと述べている」という一文が、重い。

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2011/10/11

『来たるべき蜂起』/不可視委員会

4779114802 来たるべき蜂起
不可視委員会 『来たるべき蜂起』翻訳委員会
彩流社  2010-05


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 『来たるべき蜂起』はフランスで2007年に刊行されたもの。本書は2009年の『焦点を合わせる』が所収された増補版の訳書。僕にとってのポイントは3つ:

1.これは基本的には「目には目を」の思想である。
2.「蜂起」は比喩ではない。
3.フランスの思想に触れるときはいつも、相対するように見えるものがそれぞれお互いの一部であり、あるものはあるものの一部であり、それが一つのものに見えるように見えて実は既に異なるものに変わってしまっている、ということが詳らかにされる。そうやって常に出口を切り開いてきたが、遂に出口などないということが語られている。

 コミューンとは何か。コミュニティとは何か。コミューンであれコミュニティであれ、何かひとつの集団を形成するとき、形成する成員につきまとうあの選民感情、特権意識、優越感。たとえそれが「自由」を標榜するコミュニティとしても、コミュニテイである以上はコミュニティの内と外を造り出してしまうことに、気づかない。本著ではこう記される。

そうしたものをネットワークと呼んだところで、それらは結局のところひとつの界(ミリュー)として固着してしまう。そこではコード以外何も共有されず、アイデンティティの絶え間ない再構築が行われるだけである。

 労働を憎む。労働こそが、この資本主義社会を維持してしまう装置になっている。もちろんこれを額面通り受け止めて自らの行動に直結させることはできないが、誰もが薄々感じていながら口に出さなかった多くのことの一つとして、現在を考える上で認識しておかなければならないことのひとつ。

これからも消費するために消費を減らし、これからも生産するためにオーガニック商品を生産し、これからも規制するために自己規制すべきであると。

 「タルナック事件」が明らかにした、国家によるテロリズム、「いずれ犯行に及ぶに違いないという憶測で」逮捕されたこの事件。それを可能にしたのは、人民の恐怖心なのだろうか。

 いずれのテーマも、どこかに引かれる線-”界(ミリュー)”が問題になっている。自分が何者かを語ろうとするとき、自明のように「個人」の概念が用いられるが、「個人というあのフィクションは、それが現実化したのと同じ速さで崩壊してしまった。メトロポリスの子供としてわれわれは断言できるが、剥奪状態が極まったときにこそ、つねに暗黙のうちに企てられてきたコミュニズムの可能性がひらかれる」。

 問題は、いつも境界だ。”界(ミリュー)”だ。どれだけ崇高な志から形成されたコミュニティでも、必ず”界”を準備する。そうして個人も”界”がなければ個人として成立できない。そのことに自覚的であり敏感であるコミュニティにお目にかかることは滅多にない。コミュニティを形成じた時点で、自分達のその崇高な志と相反するものを敵とするだけでなく、自分達以外のすべてを”界”の外側として敵に回しているということに自覚的でない。

 それでもコミュニティが生き残り、コミュニティの生成が止まないのは、人間の生の循環が止まないからではない。人間の根源的な弱さ-それも無自覚的な弱さの故だと思う。都合のいいところだけを味わって、生きていきたいのが人間なのだ。そのご都合主義が、新たな「社会問題」を生み出し、それによって繰り返し疎外され、それをまた「社会問題」と定義づけられその解消に励むように誘導されてしまっているというのに。

 コミューンの拡張にさいしてそれぞれが配慮すべきは、これ以上拡張すれば自分を見失い、ほぼ不可避的に支配階層ができてしまう規模を越えないということである。そうなったときコミューンは不幸な結果を察知しつつ分裂し、また広がっていくことを選ぶだろう。

 カリスマとコミューンは矛盾する。コミュニティも然り。コミュニティにヒエラルキーは不要なのだ。某かの秩序を持ったコミュニティは、偽物のコミュニティだ。擬制なのだ。しかし、それには誰もが目を瞑ろうとする。

集合の欲求は人類にとって普遍であるが、決定を下す必要はめったにない。

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2011/10/01

『行動主義-レム・コールハースドキュメント』/瀧口範子

行動主義―レム・コールハースドキュメント
行動主義―レム・コールハースドキュメント 瀧口 範子

TOTO出版  2004-03-15
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 レム・コールハースは、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+ホウ・ハンルゥ というサイトで偶然知った。ハンス・ウルリッヒ・オブリストもホウ・ハンルゥも知らなくて、このサイトを知ったところから本当に偶然。このサイトを見るきっかけになったのは日経朝刊最終面に、森美術館で開催中の「メタボリズムの未来都市展」と関連づけて、メタボリズムが取り上げられていて、「メタボリズムとはなんだろう」と検索してみたところから始まった。そこでレム・コールハースを知り、レム・コールハースが『プロジェクト・ジャパン』という本を出すということを知り、そうしてこの本に辿り着いた。

 レム・コールハースは、こういった風に書籍に取り上げられる他の著名人と同じで、天才であり超人だ。だから、このタイプの書籍を読むときにはいつも「鵜呑みにしてはいけない。自分の頭で考えて取りこむように」と意識している。それでも、レム・コールハースのスタイルには惹きつけられ、鼓舞されるようなところがある。

 最も印象に残っているのは、「コールハースの仕事ぶりについて、彼をいくらかでも知っている人に尋ねると、「レムは編集者だ」という言葉がよく返ってくる」というくだり。「編集とは何か?」というのは、今年ずっと付きまとっている命題なんだけど、ここでは、コールハースの建築家としての活動の、世界と世界の"変化"を受け止め掘り下げその社会的な問題に深く関与していくというスタンスとイメージが重なりあう。コールハースはプラダ・プロジェクトに携わることで商業主義に堕落したという批判を受けるが、現代世界にショッピングが大きなウェイトを占めていることから目を逸らしても意味がない、という。

 同様に、世界は常に変化を続け、好むと好まざるに関わらず、というよりも、ほとんどの人は変化を好み、その結果、今年は去年と、来年は今年と異なる洋服を纏いたいと思うものだ。そういった「欲望」からの変化への圧力と、世界が複雑になったが故に変化しなければならないという「必然性」からの変化への圧力によって、世界だけではなく個人も常に変化の圧力にさらされる。このような世界では、「未来永劫維持できる」建築や品物を創ることは到底不可能なのだ。住居ですら、一生モノではない世界なのだ。その住居の内部に存在させる品々を一生モノにしたところで、何の意味があるというのか?一生モノを謳える製品は確かにそれだけの耐久性とクオリティを保有しているかもしれない。しかし、もはや「一生モノ」を一生保有し続けることなど、「欲望」と「必然性」のどちらの観点からも能わない世の中で、「一生モノを保有すること・選択すること」に優越性を覚えさせるような価値観を流布することは、どちらかと言えば犯罪的だろう。不必要となる時間分の、余剰の金額を払わせてそれを自らの利潤としているのだ。

 変化は受け入れるべきなのだ。変化が存在する以上、一生モノを選ぶモノと選ばないモノの、選ぶときと選ばないときの、その「選択の自由」を尊ぶような価値観でなければ現代には存在する意味がない。これが、僕がコールハースによって自信を与えられた僕の考えだ。そうして僕の興味はここから民藝活動にジャンプする。それはこの一節からだ。

 ”あえて何が僕の本当の審美感かというと、アルテ・ポーベラ(貧しい芸術)が最も深く僕をかたどっている。そのために用意されたのではないオブジェ、日常的でないものの美しさ、ランダムさ。現在の文明には、多くのランダムさと分裂が起こっている。その分裂を見出して美しさに転換すると、妥当なオブジェが生まれる。”

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2011/09/10

『そこへ行くな』/井上荒野

4087713989 そこへ行くな
井上 荒野
集英社  2011-06-24

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 僕は小学五年生の冬、祖母を亡くした。

 小説では、多感な幼少時代、肉親を亡くすような出来事に遭遇した子は、周りの子の呑気さ加減に違和感を覚え距離を覚えるようによく描かれるが、僕はどうだったのだろうか?そんな感情を覚えた記憶はない。ただただ悲しかった。祖母は一年近く入院しての闘病生活の末に亡くなった。気持ちの優しく、人情にも厚く義理堅くもある父母は僕と妹を連れて、毎週必ず車で片道1時間強の病院に見舞いに行った。半年以上が過ぎた頃、土日に満足に友達と遊びに行けないことを不満に思った僕は、父母に「もういい加減にしてくれ」というようなことを言った。今覚えば、そんなことを言えば間違いなく僕を殴り飛ばしたに違いない父に殴り飛ばされた記憶はない。相当に困り果てた空気が流れたのを覚えている。

 祖母は入院していた病気ではなく、直接的には風邪で発熱し体調を崩してそうして亡くなった。その数週間前、まだ発熱もなかった頃、祖母がベッドに腰掛ける傍で風邪気味の僕がふざけてベッドに寝っころがっていたりして、風邪をうつしたのは自分だと思った。本当にそうなのかどうかはわからないまま、そう思わなければいけないような気がして、でも母も父も当然それを否定するし、そんな状況でそう思わなければならないと思ってそう思うこと自体が厭らしいことではないのかという非難にも苛まれた。苛まれたというほど自分を追い込めてはいないという思いも苦しかった。「もういい加減にしてくれ」という気持ちを抱いてしまったことの罪悪感も、同じだった。

 本著『病院』の龍は、母親が「よくない病気」で「消えていく様子」をつぶさに感じている。しかし龍は、自分が置かれたその境遇から、周りの子が「ひどく幼く見える」と感じる、などとは描かれない。事実、龍はひどく幼い。いじめに遭い、階段から転げ落ちて骨折し、母と同じ病院に入院している泉と微かに心を通わせても、泉と病院で親しくしていたことを同級生に知られて同じようにいじめられることを恐れ、泉がもしそんなことを言っても全部否定してかかろうと考える。

 ところがそんなことを考えていたとき、父と話しながら手に取った母の料理本に気付いてしまう。常にさばさばとした振る舞いのように見えた母の本心を。

ボールペンは、レシピを記した文章の中の文字の幾つかを丸く囲んでいた。マルとマルとは線で繋ぎ合わされ、辿っていくとひとつの言葉があらわれる。し、に、た、く、な、い。

 僕はいつも、自分から見た祖母しか考えたことがなかった。自分が考える、祖母がどう考えていたのかだけを追い求めて、あの病床で祖母は何を考えていたのかということを、30年近く思い至らそうと考えたことがなかった。堪えきれなくなりそうだったがここで泣く訳にはいかなかった。感情というのは、なんだって発露すればよいというものではないのだ。発露して消化してそれで済ませてしまうようなところが感情にはある。感情には、そういうふうに使ってはいけない種類の感情が、確かにあるのだ。

 『そこへ行くな』のタイトルの意味、短編ごとの意義、全編通してのメッセージ、そういうことを読み解くことは、僕にとっては今回はしなくてもよいことのように思える。これだけでよいのだ。

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2011/09/04

『日本の論点2011』/文藝春秋編

4165031003 日本の論点2011
文藝春秋編
文藝春秋  2010-11-25

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p428「ツイッターの功罪とは」

・ツイッター日本語版はデジタルガレージ社が提供
・10年7月末の時点でついに1,000万人を突破
・Pear Analytices社
・ツイートの実に四割は無意味な独り言
・ネットの価値は情報のフィルタリング
 ・・・フィルタリングではなく、蓄えたデータからの引き出しであることを、Googleが実践してしまっている。
・道具が人の行動慣習を誘発する、という理屈には慎重にあたるべき。同じ道具でも、活用できる人間もいれば悪用する人間もいる。あくまで傾向と捉えるべき。

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2011/08/29

『災害がほんとうに襲った時-阪神淡路大震災50日間の記録』/中井久夫

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録 中井 久夫

みすず書房  2011-04-21
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 『歴史の中に見る親鸞』同様、これまた奈良県立図書情報館の乾さんのオススメで読みました。オススメというか、某日、乾さんとサシでお話させて頂く機会を得た際に、話題に挙がった一冊。乾さんがこの一冊を僕に教えてくれた理由のその一節は、

ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない

ここだと思うのだけど、どうでしょう?

 「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」、これはいろんな状況で、いろんな意味で当てはまる言葉だと思う。例えば通常の仕事の場面で。この言葉が引用された、阪神淡路大震災発生直後のような、大緊急事態の際、何事かを決定して次々実行に移さなければいけない場面、そういう場面では、通常は少しでも相手方とのコミュニケーションが、できればフェイスツーフェイスのコミュニケーションが望ましいけれど、「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」。これを演繹していって、例えば、一般の会社でいちいちいちいち会議を開かなければならないのは、間違いのない意思疎通確認を重要視しているともいえるし、お互いが信用ならないからということもできる。もちろん、お互いは黙っていては信用ならないという真摯な態度で意思疎通確認を重要視しているとも言えるけど。
 更にこの言葉をもっと広く取って、旧知の仲なんかに当てはめることもできる。いちいち、同窓会とかなんとか会とかを持って維持しなければいけないのは、それだけ信頼できてないからで、ほんとうに信頼できる人間は「会う必要がない」。もう相当なピンチのときにだけ、声をかけるか、思い出すかくらいでいい。そんな関係は、確かにある。

 p22の「デブリーフィング」。ブリーフィングの反対なのだけど、日本でももちろん「反省会」というような形式で存在する。設定するスパンの問題でもあるが、「回復」をプロセスの中に組み込む思想があるかないかが大きい違いだと思う。

 p92「なかったことは事実である。そのことをわざわざ記するのは、何年か後になって、今「ユダヤ人絶滅計画はなかった」「南京大虐殺はなかった」と言い出す者がいるように、「神戸の平静は神話だった-掠奪、放火、暴行、暴利があった」と書き出す者がいるかもしれないからである」

 p94「ふだんの神戸人はどうであったか。」「あまりヤイヤイ言うな」というのが、基本的なモットー

 p95「世界的に有名な暴力組織がまっさきに救援行動を起こしたということは、とくにイギリスのジャーナリズムを面白がらせたそうだが、神戸は彼らの居住地域であり、住人として子どもを学校に通わせ、ゴルフやテニスのクラブに加入しているからには、そういうことがあっても、まあ不思議ではない」

 p97「共同体感情」

 p128「ところが、以上の悪夢は二月十三日夜、セパゾン(クロキサゾラム)二ミリを使うことによって即日消滅した」

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2011/08/21

『歴史のなかに見る親鸞』/平雅行

4831860611 歴史のなかに見る親鸞
平 雅行
法藏館  2011-04

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奈良県立図書情報館の乾さんのオススメで読みました。親鸞については通り一遍のことはもちろん知っていて、「行き着くところまで行き着いた」形の思想として「悪人正機」を捉えていたのですが、「悪人正機」が親鸞のものだとする定説がそもそも誤りでありなおかつ大変な問題を孕んだ誤りであること、そして、親鸞の「行き着くところまで行き着いた」思想は、「自然法爾消息」に、「義なきを義とする、その義すら放棄せよ」とある、その思想の到達に涙。「義なきを義とする、その義すら放棄せよ」は、言葉としては誰でも言える。誰でも書ける。だけど、その言葉にどのように到達したかが、その言葉の「生」となる。同じ言葉でも、同じ音を持って響いても、「誰」が「どのように到達したか」で全く別の言葉になる。僕たちがそれを黙読しても声に出して読んでも、親鸞の思想には届かない。そしてこの「絶対他力」を、「思想の発展と見るか、それとも挫折と考えるか」、それは読者にゆだねましょう、という著者のスタンスが、最も親鸞の到達点を深く理解している言葉だと思う。

その他、親鸞を現在の親鸞の地位に押し上げたのは覚如であるが、その著作『親鸞伝絵』は教団としての成功を意図して作為的に作り上げられた話を含むという指摘が、戦略性の重要性と、成功のために本質さえもすり替えることが古くから存在するということに興味。 

この本については書いても書いても書き足りない気がするので、都度都度、引用文とともにエントリを書きたそうと思う。

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2011/08/17

『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』/マルジャン・サトラピ

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る
ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る マルジャン・サトラピ 園田 恵子

バジリコ  2005-06-13
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僕はたいていの自分の悩みというのはしょうもない、取るに足らないものだと考えていて、自分の悩みだけでなく、周りの人の悩みも、たいていは取るに足らないものだと考える。なぜ取るに足らないかというと更に他人との比較論で取るに足らないものと考える訳で、その比較対象というのはこの『ペルセポリス』のマルジ、のような存在だ。もちろん、「わたし」から「あなた」の悩みを見て上だの下だの言ってはいけないと肝に銘じているものの、ワールドワイドクラスで考えると、途端にその物差しの目盛が変わるのだ。

マルジはイランの少女で、両親の計らいでオーストリア・ウィーンに留学している。この『ペルセポリスⅡ』では、留学先ウィーンでの4年間の人生と、テヘランに戻り学生結婚し破局するまでの過程が描かれている。そこにはイラン・イラク戦争、イラクのクェート侵攻、イランの凋落と体制主義などが淡々と、しかしくっきりと描かれる。自由を求めてウィーンに渡ったのに、どうしようもない流れに飲み込まれてテヘランに戻りたいと切実に思うその経緯は、自分の悩みをしょうもないことだと言うに十分だと思う。

読書体験というのは、実体験では補いきれないものを補ってくれる。それは確かに実体験ではないし、テレビモニタで見るような実際の映像つきでも音声つきでもない。でも確かに文学は実体験を補ってくれることができる。それは映像や音楽とは根本的に質の違うもの。本著は、その根本理由を説明できなくても、そう信じさせてくれる良い「漫画」だと思う。

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2011/07/31

『楽園への道』/マリオ・バルガス=リョサ

4309709427 楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社  2008-01-10


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ポール・ゴーギャンと、その祖母で、女性解放と労働者の権利獲得のための活動に一生を捧げたフローラ・トリスタン。実在の二人の人物を用いた物語は、奇数章がフローラ、偶数章がゴーギャンの物語として交互に語られる。村上春樹の作品で慣れ親しんだこの構成は、「フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法」であり、「二が一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法」であること、また本作は「直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられている」が、これは「騎士道小説の語りの手法を取り入れたもの」ということを、解説で学んだ。

ヨーロッパ的なるもの、偽善、性、読み込みたいよく知ったテーマが詰め込まれているけれど、物語の最終版、それらを押しのけるように衝撃的に登場した言葉があった。「日本」だ。

洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。

戦後、日本人として日本の教育を受けてきた身にとっては、とても表面的で、とても要約された日本観に見えてしまう。19世紀と言えば日本はまだ徳川の世で、「日本の版画家たちよりこれをうまくやったものはいなかった」と書かれている通り、ゴーギャンが影響を受けたと言われている浮世絵師達が活躍した時代。僕の頭にはこれまた表面的で短絡的に「士農工商」という身分制度が思い出され、年貢によって貧困に喘ぐ「被搾取者」農家が、芸術家として生きるなんて考えられもしない。それでも、「ヨーロッパ的なるもの」を考えるとき、「芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった」というのは頭に入れておかないといけないのかも知れない、と思った。なぜかと言うと、戦後から現代の間に、正にそれが起き、そしてそれが現代社会として当然の姿と思っている僕たちのような意識が存在するから。

芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

自分にとって「仕事」とは生きるためのものであり、生きることにとって芸術は必須のものではなく、芸術は自分の仕事の領域には含まれないし取り扱うこともできない、と考えてきた僕にとって、この一文は、-特に「技術(ワザ)を取得し、」の下り-新しいエリアへのきっかけになる力強い一文だった。

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2011/04/23

『話の終わり』/リディア・デイヴィス

話の終わり
話の終わり リディア・デイヴィス 岸本 佐知子

作品社  2010-11-30
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『話の終わり』は、筋自体は非常にシンプルな小説。三十代半ばの女性が、アメリカ西部のとある大学に教師として赴任し、その大学の学生である12歳年下の男性と出会ったその日に恋人関係になる。その恋人と終わってしまった大学教師の女性が、その数か月の出来事を小説にしようとする。

この小説をビブリオバトル@奈良県立図書情報館で紹介しようと思ったのは(実際には参加者が定員集まったので、僕は裏方に回りました)、テーマが「次・NEXT」だったんですが、この小説は主人公の女性が、ひとつの恋愛の「話の終わり」を見つけることで、「次」に進む物語だから。「次」に進むためには、自分自身の手でひとつの「終わり」を書き綴らないといけない、そんな小説だったから。

僕たちは、自分自身の言葉は自分自身のもので、自由に話し書き表していると思っている。どのくらい自由かと言えば、福島第一原発問題で、「”想定外””想定外”なんて後から言うなんて信じられませんよねえー”想定外”なんてあったらいけないことなんですからー」なんて、反原発集会に参加した後、連れだってそう話すおばちゃんが、その一方で国民年金の第3号被保険者救済問題に関しては、「あんなん、お役所がゆってくれな気ぃつく訳ないやんねえ、私らのせいとちゃうわ、ややこしいからあかんねん」って言ってしまうくらい、自由だ。

ところが、言葉-言説は、全然自由でもなんでもなく、権力によって支配続けられているという考え方や、言葉-言説は、全然自由でもなんでもなく、オリジナルのものなど何一つ存在しない、という考え方がある。権力によって支配続けられているというのは、言葉は知識であり、知識の伝達には指令がついて回る。そして言葉を使うとき、僕たちはその権力に従っている。だから、言説をつくるということは、その権力を維持することに、僕たちから進んで加担しているだということになる。その権力は、何を表現するかだけではなく、何かを排除し、何かを抑圧することを内包している。だから、言説をつくるというのは、それだけで、排除と抑圧を行う権力をより強固にする参加者になっているのだと。正確ではないけれど、フーコーが「ディスクール」という言葉でこういうことを言っている。

もうひとつ、オリジナルのものなど何一つ存在しない、というのは、僕たちが言葉を使うときは必ず誰かから「学んだ」言葉であって、自分の中で生み出した言葉などない、ということは、その言葉から成り立つ言説も同じことが言え、どのような考え方も言説も、まったくのオリジナルなど存在しないということになる。僕たちが言葉を使ってやっているのは、誰かに「伝える」ということですらなく、誰かから受け取ったものを違う誰かに「パス」しているだけ。自分というフィルターを通して変容させている、というところに意味を付けるのさえ戸惑うくらい。これまた正確ではないけれど、デリダが「エクリチュール」という言葉あたりでこういうことを言っている。

そして『話の終わり』に話を戻すと、主人公の女性は、彼との経緯を、さまざまな手法で思い起こし、書き記そうと試みる。書き進めてはこれでよかったのか?という彼女自身が現れたりしながら、物語が進む。そして実際、彼女は、「ディスクール」で言われるところのように、自分の小説の執筆自体が、自分の意志とは無関係に、進む方向が決まっているかのような、まるで自分の使う言葉はある「権力」によって決められているような、何を捨てるか何を省略するかも決められているかのような、そんな述懐をする:

p221「じっさい小説は、当初思っていたのとは違ったものになりつつある。いったいこれを書くうえ で、私の意思はどれくらい反映されているのだろうか。最初のうちは、どんなことも一つひとつ自分で決定していかなければならないのだと思い、あまりにも決 めることが多そうで恐れをなしていた。ところが、いざいくつかの選択肢を試してみると、他ではどうしてもうまくいかず、けっきょく一つしか選択の余地がな かった。書きたいと思ったことが書かれたがっていなかったり、たった一つの書き方だけを要請してくることもたびたびあった。」

僕たちは何かを選び、何かを選ばず、そうして決めた事柄を自分の意志で発信していると思いこんでいる。けれど、実は言葉には権力が内包されていて、そんな<自由意志の取捨選択>は思い上がりだ。そして、そこにはオリジナリティはない。そこまで考えるともう救いようがない。

だけど、主人公は、記憶や、ノートや、メモや、さまざまなものを動員しながら、彼との経緯を書き記し、小説を編み上げていく。その中で、過ぎ去ったことだからどれが正確なことなのかはわからないし、正確に書く必要があるのかもわからないし、誰かにとってはまったく違う事柄として見えてしまうかもしれないし、という葛藤を繰り返して彼女が浮き彫りにするのは、今は不在の彼、彼の不在そのもの。何を書くか、何を書かないか、何をどう書くか書かないか、というひとつひとつの判断の積み重ねが、彼女を『話の終わり』に導いていく。つまり、僕たちにはやっぱり自分自身での取捨選択という行為は残され判断があって、その判断の積み重ねが「終わり」と「次」を導いてくれる。この取捨選択という行為の中に思い違いや誤りがあるなら、それこそがオリジナルだし意味を生み出す。そうして積み上げた自分だけの思い違い、自分だけの誤りの中に真実が立ち上り、「終わり」と「次」が見えてくる。

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2011/03/13

『NO FUTURE-イタリア・アウトノミア運動史』/フランコ ベラルティ

4903127125 NO FUTURE―イタリア・アウトノミア運動史
フランコ ベラルディ(ビフォ) Franco Berardi(Bifo)
洛北出版  2010-12

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現代史や社会運動は知らないこと・聞いたことのないことがまだまだたくさんあって、イタリア・アウトノミア運動も最近初めて知った。1977年から始まるこの社会運動を学ぶため本書にあたる。
【20110313】
・リゾーム … 伝統的西洋形而上学のツリー状の思考形態に対する、特定の中心を持たず始まりも終わりも持たない根茎(リゾーム)の思考形式。体系に組み込めないものを排除する西洋的思考に対する批判。
・実存 … 存在可能性としての「本質」に対する、現実の存在。「本質」を至上とするが故に虐げられるものの救済としての概念として扱うべき。
・ディスクール … 記述されたものはすべて権力や制度を内包あるいは反映している、という考え方。

■日本の読者へ
p246「西洋の文化的アクティヴィスムと日本の文化的アクティヴィズム」「日本は何ひとつ独自の貢献をすることなく、西洋に由来するイノベーションをただ受動的に受け取っているに違いないという偏見」
p252「粉川哲夫」
p254「「自発的でいなさい」という命令は、この逆説命令のもっとも知られていて」
p256「フラクタル化し組み換え可能な情報-労働の絶えざるフロー」
p261「社会関係が精神病理」
p264「「無垢」という言葉が意味するのは、たとえ悪のただなかで生きていても「罪がない」ということ、悪の性質を帯びていないということ」
p266「それはもう過去のことなのです」

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2011/02/27

『99人の小さな転機のつくりかた』/「ビッグイシュー日本版」編集部

4479793062 99人の小さな転機のつくりかた
「ビッグイシュー日本版」編集部 香山 リカ マツコ•デラックス 佐藤 可士和 上野 千鶴子 姜尚中 角田 光代
大和書房  2010-12-16

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 『ビッグイシュー日本版』編集部・編ということで反射的に購入。『ビッグイシュー』に連載されている「私の分岐点」を99人分一冊にまとめたもの。『ビッグイシュー』はときどき買っているので読んだことのある人のもあるけれど、この企画は、登場した人が次に登場する人を紹介する「テレフォンショッキング方式」なので、ひと続きの流れで読むと、続いている人が類似した考え方を話してる部分があるのに、3,4人読み進めるだけで真逆の人生観を語っていたりして、そこが楽しい。
 僕はそこそこの齢を重ねているので、それぞれの方がおっしゃっていることを一旦咀嚼して、自分の中に取り込むことができるけど、これを全部ダイレクトに自分の核となるところに流し込んじゃって、大混乱してしまう人もいそうな気がする。大混乱はしんどいことだと思うけど、そういうふうに大混乱できるのは羨ましいなと、ちょっと思ったりもする。

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2011/02/25

『先端で、さすわさされるわそらええわ』/川上未映子

4791763890 先端で、さすわさされるわそらええわ
川上 未映子
青土社  2007-12

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 川上未映子は先日の『ヘヴン』が初読みで、関西人の人はたぶん同じように思った人多いような気がするんだけど、川上未映子が芥川賞取って紹介されて、その紹介文で引用されてる彼女の独特突飛な文章が関西弁混じりなのを見て、「あ、なんか予想つくな」と思って手を伸ばすのを躊躇ってました。特にこの『先端で、さすわさされるわそらええわ』なんかは、もう、スピード感とか支離滅裂感とか、たぶん、関西弁ネイティブじゃない人が感じるソレとは絶対違う、「アンダスタンダブル?な支離滅裂感」って言えばいいのか、そんなカンジだろうなと思ってた訳です。それにしても、「先端ってたぶんアレのことだろうなアレ、まさかアレ」と思ってたらほんとにアレだったのでニンマリ。ニンマリ?違うな。

 貼った付箋んとこをメモに取る前に返却期限が来ちゃって(正確には過ぎちゃって)返却したので引用しながら書けないんだけど、読み取りが難しい章と分かりやすい章がはっきり分かれた本でした。「先端で、さすわさされるわそらええわ」がやっぱりいちばんしっくりきた。スピード感も支離滅裂感も完全シンクロ。すいすい読めました。後は『彼女は四時の性交にうっとり、うっとりよ』と『告白室の保存』がすいすい。なんだエロい系ばっかりか。

 一方でたまらんかったのが『ちょっきん、なー』で、難しい以上に生理的にかなり気持ち悪かった。グロいことを書いてる訳でもなんでもないんだけど、なんというか血が流れるということのリアルに感じられるさ加減というか、おんなじことを描写したとしても、読んでて「かんべんしてー」と思うようなことになる人とならない人がいる。『ちょっきん、なー』は、もう一行一行からこっち側に体をいじくってくるような気持ち悪さがあって、あれはやっぱり女性ならではなカンジなんだろうか? 

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2011/02/12

『きことわ』/朝吹真理子

4103284625 きことわ
朝吹 真理子
新潮社  2011-01-26

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 貴子が小学三年生で八歳、永遠子が高校一年生で十五歳。最後に会った一九八四年以来、二十五年振りに二人は再会する。二人がそれまで一緒に遊ぶ契機となっていた、葉山の別荘に買い手がつき解体される運びとなり。貴子は別荘の持ち主である春子の子、永遠子はその別荘の管理人の職を得た淑子の子。体の弱かった春子が急逝して以来、貴子の家の別荘住まいも途絶える。永遠子の母が管理人として働き始めたのは、他にいい人ができて外出する口実をつくるためと淑子は永遠子に不意に打ち明ける。淑子は二人目を身籠っていたが生活を考え産まない選択肢を取ったという。それは夫との子に間違いないと言い、もし生まれていれば貴子と同い年だったと言う…。

 二十五年という時間は僕ももちろん経験している。初めて二十五年を経験したときのこともわずかばかり覚えている。会社の同僚が「私らもう半世紀も行きてんでーどう思うこれ?」というメールを送ってきて、「オマエもう五十歳か!それを言うなら四半世紀やろ!!」と散々コケにした思い出があるが、「そうは言っても、半世紀も四半世紀もさして変わらないような気がするのはなぜだろう…単に言葉に慣れてないせいだろうか?経験したのが四半世紀だけで、半世紀を経験してないからだろうか?メルクマールとして認識するものは、二十五年だろうが五十年だろうが、それこそ二十歳だろうが六十歳だろうが、長短を問わずいっしょくたになるのだろうか?」と少し逡巡したことを、本著を読んで思い出した。あの時は逡巡して終わってしまったけど、そしてまだ僕は半世紀を経験してはいないけれど、四半世紀も半世紀も一緒だというつもりはないけれどもしかしたら四半世紀で半世紀を経験していたかもしれないし、僕の記憶に今残っているあの二十五歳までの人生というのは、ほんとうの僕の二十五年の時系列事象とは別物って可能性のほうが高い。今も粛々といろんな出来事が現れ、粛々といろんな人が現れ、僕の気持ちを千々に乱れさせて過ぎていく。それは二十五年で見たことのあるようなことかもしれないし、これからの一年間は予め見たことのあるような一年間かも知れない。この一か月がまるで一年間のようだと今は感じていても、二十五年後に振り返れば一秒も思い出せないかも知れない。できることならこの今の一分一秒を、大切にしたいと思える時間の一分一秒の現在をくまなく大事にしようと過ごしてきた三十九年間だったけれど、知らず知らずのうちに伸び縮みする時間を堆積を、きちんとした寂しさを抱えて抱いてあげることができるようになったんだなと思う。ただできることなら、その「うまくやれるようになった自分」をまた再び打ち砕く程の衝撃を与えてくれないかな、とは思う。

 驚いたのはラストで、永遠子が「今度遊びましょう」と、具体的な候補日を挙げて貴子にメールをしていたこと。確かに古い友人とは言え二十五年振りの人。世間では誘うときというのは、そんなにも早いタイミングで具体的な候補日を挙げるものなのかと驚いたのだ。そして逆に僕は、単なる儀礼としてその言葉を投げかけているのだという印象を与え続けてきたことが多少なりともあるのだと。

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2011/02/06

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』/岡田利規

4103040513 わたしたちに許された特別な時間の終わり
岡田 利規
新潮社  2007-02-24

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 この文体が、もちろんこんなにうまく書けるという訳ではなくて、なんだか自分が書いているような感じで驚いた。あんまりこういう文体を見かけたことがない。語り手である人物が今いてる場所の詳細をうねうねと書きつけていく感じ。

 渋谷のラブホで四泊五日した行きずりの男女の、男性側の語りと女性側の語りだけど、僕は、それがイラク空爆のときで、二人が示し合わせてテレビを全く見ず、ことの経過を待ったたく知ろうとせず、世間と隔絶された時間を過ごそうとしたということよりも、女性側の語りで語られる、「今感じているこの渋谷-知ってるのに知らない街-みたいなモード」の感覚のために四泊五日があったというのに感じ入る。そして、女性は「まだ離れたくなかった。でももう少しだけだと決めてもいた」というところに、とてつもなく女性らしさを感じる。僕たちは例えば旅行で非日常感覚を味わうけど、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わおうと思うとどうしているだろう?僕の場合、例えば東京出張のような気がする。例えば、休日に勤務先近辺を歩くことのような気がする。僕が味わっている感覚は、本著が説明している感覚とは重要度が根本的に違うかもしれない。僕が味わっているのはほんとに「知ってるのに知らない」だけだけど、本著の二人は「戦争が起こっている」というより重要なときなのだ。それでも、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わいたい、という欲望は理解することができる。そして、本著ではそれは四泊五日という長さの時間だけれど、それが一年や二年や五年や、という長さになることもあるだろう。何年もの長さをかけて、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚に溺れたくなることだって、現実の人生には起こるのだ。  

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2011/01/30

『君が降る日』/島本理生

4344016564 君が降る日
島本 理生
幻冬舎  2009-03

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暗示的。まったく相変わらず自分の「本を選び取る才能」に惚れ惚れしてしまう。

ここ最近読んだ本の「暗示」は、過去の出来事の意味や扱い方の暗示で、この『君が降る日』は今これからの暗示だった。明確な節目なんてある訳ではなく、今が節目付近という訳でもなくてとうに過ぎ去っているのだけど、この暗示を受け取るタイミングとしてはベストだったと思う。

僕が今まで「やってみるんだ」と決めたことは、何一つとしてやり遂げることができなかった。「やるべきことなんだ」と認識したことは、ちゃんと結果を出してきたと思うけど、「これは難しいこと。でもやってみるんだ」とチャレンジを決めたことは、やっぱり難しくて、やり遂げることができたことはない。そしてまた今、僕は「やってみるんだ」と思えたことが胸にある。今までやり遂げられなかった数々は、だからと言って無駄になんかなっていない。無口な情熱として僕の中に折り重なって宿り、それが今度の「やってみるんだ」を後押しする。大事にしたい分だけ、不安の種をいくつも見つけ出してしまえるけれど、それでも「やってみるんだ」と思っている。

表題の『君が降る日』は、恋人を亡くすというモチーフ。『もしもし下北沢』は父親を亡くすというモチーフだったけど、この二作はそこから回復するためには「道のり」が必要、と言ってる点で共通してる。言うまでもないことなんだけど、意外と忘れがちになる。特にせっかちな僕は。いつかは必ず回復することが分かっていても、回復してない間はそんなこと信じることができない。ただ、その間、自分がやりたいと思ったことや、流れが生み出してくれた行動が、いったいどういう意味なのか、本当のところはいつも後から判る。でもそれでよいのだと思う。

でも今回暗示的だったのは『君が降る日』ではなく、『野ばら』。表題作ではなくて、いちばん最後に収録されている作品に痺れてしまうこのパターン、『袋小路の男』と同じで奇妙でなんなんだろう?ほんと。暗示的というか、自分が挑もうとしている道の険しさを再認識させられるような。でも、こう書いちゃうとあまりにシリアスだけど、そんなにシリアスじゃないし、シリアスじゃ余計ダメだよね、というのもちゃんとわかっている。願わくば、そこに誤解が生まれないように、自分自身ではどうにも解決しようのない類の誤解が生まれないように。

もう一作、『冬の動物園』は、主人公の美穂のお母さんの最後の一言、母親らしさでもあると思うけど、本気でそう言ってるようでもあって、本気でそう言ってるようなところが、僕の母親にそっくりで思わず笑ってしまった。 

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2011/01/23

『ヘヴン』/川上未映子

4062157721 ヘヴン
川上 未映子
講談社  2009-09-02

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初「川上未映子」。

どうして女性というのは、自分は忘れられたくないのだろう。自分のことを覚えていてほしいのだろう。一般的には男のほうが、いつまでも過去を覚えていると非難めいて言われるのに。でもその疑問の答えは常に出ている。女性は、自分以外はすべて他人なのだ。

読み終えて思ったのは、主人公の「僕」と、コジマを入れ替えて書いてほしかったなということ。入れ替えるってのは、主人公を女の子で、コジマを男の子で書いてほしかった。コジマを主人公にするって意味じゃなくて。川上未映子が女性であるだけに、主人公を男性ではなく女性にしてほしかった。

読み終えてなんでそんなことを思ったかというと、途中でひとつだけ違和感を覚えたところがあったから。それは、「僕」が斜視は手術で簡単に治るんだということを話した際のコジマの振る舞いに始まる。男性はどうだとか女性はどうだとかの決めつけはあんまり褒められたものではないけれど、「しるし」を大事にするコジマの気持ちというのは僕にはとても分かりやすく「女性」だった。シンボルに拘る、シンボルを大事にする女性。それに対して「僕」はそこには本質はないと感じていて、だからラストで、「誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない、それはただの美しさだった」と嘆息する。でも「僕」のその本質感を、彼を苛めていた百瀬の「斜視が理由なんかじゃないんだよ」という嘯きが補強している面もあり、それがコジマに微かに伝わってしまっている感もある。

だから、主人公を「私」で書いてほしかった。主人公が「私」だったとき、こういう普遍的なラストを作り上げることができただろうか?コジマはくっきりと強く、自分自身の理論を持って、そして「しるし」に縋りながら、強烈な力を発揮する。それが、男の子に出来ただろうか?自分以外はすべて他人、お互いの立場を入れ替えることなど露程も頭になく、あなたはあなたわたしはわたしを貫き通す女の子と、より一般化しようとする男の子。このループを揺り動かすような構造を見てみたかった気がする。

コジマは言う。「わたしが、お母さんをぜったいに許せないのは」「お父さんを」「最後まで、可哀想だって思い続けなかったことよ」。女性は、続かないことを許さない。男性は、そこに孤独が横たわるとしても前に進もうとする。誰とも分かり合えない悲しみを、あらかじめ胸に抱いている。  

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p87「太陽のおまじない」
p115「僕はそのふちに立たされてしまうといつも絶望的な気持ちになった」
p136「自分の手だけは汚れていないって思い込んでるかもしれないけど、」
p151「自殺という言葉が連れてくるのは「どこかの、知らない誰かの死にかた」以上のものではなかった。けれど」
p170「意味なんてなにもないよ。みんなただ、したいことをやってるだけなんじゃないの」
p175「『自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ」
p193「自分がなにについてどう考えてゆくのが正しい筋なのかがわからなくなっていった。」
p203「最後まで、可哀想だって思いつづけなかったことよ」
p210「返事がないのに手紙をつづけて書いてそれをだすのはこわいことだった」
p224「僕がしつこく手紙を書いたりしたから、こんなことが起きてしまったのだ」
p234「わたしたちは従ってるんじゃないの。受け入れてるんだよ」
p235「想像力もなにも必要じゃない、ただここにある事実なのよ」
p241「僕は自分の本当の母親のことも話した」
p248「そしてどこにも立っていなかった。音をたてて涙はこぼれつづけていた」

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2011/01/22

『もしもし下北沢』/よしもとばなな

4620107573 もしもし下北沢
よしもと ばなな
毎日新聞社  2010-09-25

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ほんと「さすが」としか言いようがありません。ここしばらく女性作家の恋愛ものを大量に浴びるように読みたいというテンションが続いてて、先週あたりにジュンク堂ヒルトンプラザ店行って目についたものを買い込んだんですが、その時、「最後に『もしもし下北沢』を読む。たぶん、これ一冊読んだらそれで済んじゃうけど、それもなんなので、いろんなのを読んで、それからこれを読む。」と、そういう方針だった。で、実際そうだった。あまりにメジャーであまりに当たり前に良い作品だけ読むことになっちゃって凝り固まるのはいけないんだろうなあと思っていたんだけど、これだけでいいんだからしょうがないじゃないか、読み終えてそう思った。やっぱりよしもとばななの小説はしっくり来る。なのになんで本作を今まで読んでなかったのか?というと、地名の印象で引っ張るっていうのがあんまり好きじゃないから(笑)。「そんな、下北沢なんかに住めりゃそりゃいいじゃん!そんなんで差異をつくんのって、ずるい!」と思う訳です(笑)。でも、いたずらに下北沢という地名のイメージで押してくるような内容では全然なかった。そこも「さすが」でした。

何が違うって、頭に残る映像が違う。映像というかイメージというか。たいていの作品は、「目に見える」景色がイメージとして描写されていたり、目に見えないものを何かの雰囲気や形を借りて描写したりしている訳だけど、読んでるときは作者が表そうとしてるものが喚起できても、読後にそのイメージはほとんど残ってなくて、粗筋だけが残る。でも、自分が好きだと思う作家の小説は決まって「作者が作品の中で言おうとしたこと」が、(それを僕が正しく読み取れたかどうかは別問題として)イメージとして頭の中に胸の中に心の中に残るのだ。よしもとばななは正にそう。どんな粗筋だったかももちろん残るけど、小説の中に宿っているよしもとばななの人生におけるフィロソフィーとか想いとかそういうのが「イメージ」としてくっきり残るんです。それは言葉にはできないけれど、自分の胸の中では「ああ、あれはこういうイメージの小説だったなあ」というのが、引出の中に大切にストックされる。そういうイメージとともにストックされた作品がたくさんあって、今の自分が、今の自分の考え方や哲学や日々生きるための知恵や工夫やスタンスや強さみたいなのが出来てるんだと思う。

最初に書いておくと、ラストの山崎さんとの下りは、中年男性の僕にとっては、ありきたりの展開過ぎて、つまらなかったというか、なんか予想外の展開で驚かせてほしかったというか、そういう不満はあります。「”品行方正”という意味で正しいということが何か、大人として何かはちゃんとわかっております、判っているということを事前にお伝えしておいて、それでもそれを破ってでも僕はこうしたいんです」式の口説き方に、とりわけ若い女性が弱いということは悔しいくらいわかる訳で、(もちろん山崎さんとよっちゃんの間柄はそんなちゃちいもんではないけれど)その筋に乗っかっちゃったのが少々残念なとこではあります。でもそれを差し引いても、この小説が持つ「切迫感」みたいなのは痛切で痛烈で、切迫感を息切れさせないまま、きちんとある方向に誘ってくれる。そこが「さすが」と賛辞したくなる所以。

「お父さんが知らない女性と心中してしまった」という帯の粗筋だけでは、それがどういうことなのかは半分も書けてないけど、とにかくとんでもなく重たい辛い悲しい出来事があって、残された妻・娘がどんなふうに生きていくかが、基本的に娘・よっちゃんの視点で書かれてる。よっちゃんはひどく丁寧に物事を考え、考え抜いて、行ったり戻ったりを繰り返す。そして、何度も何度も「今はそのときではない」というスタンスが出てくる。「今はそのときではない」。このスタンスは、よしもとばななの小説では結構見かける気がするし、よしもとばななの小説以外ではあんまり見かけないような気がする。「今はそのときではない」。この考え方、哲学、はものすごい重要だと思ってる。今までの自分は常に獣のような、「やれるんなら今やろう」的な生き方をしてきたように錯覚してたけど、「今はそのときではない」こう考えて自重できる哲学をとても大事にして生きてきてたんだなと思う。焦らない、焦らない。いずれ時が来る。そのときはそのときちゃんとわかる。それまでちゃんと待つんだ。自分の周りの環境がそれを待ってくれなかったらそれはそれまでのことなんだ。『もしもし下北沢』が改めて僕に提示してくれたのはそういうことだった。とんでもなく重たい辛い悲しい出来事があったとき、よっちゃんのように行きつ戻りつ、かかるだけの時間をかけて立ち戻っていくのが自然なんだよと。

その人の言葉の、どこに真実があって、どこかに嘘があるのか?誰の言ってる親切が、優しさが、本当の気持ちなのか?欲の裏返しではないのか?自分の弱さが、その裏返しに絡め取られてすり減らしてしまっていないか?間違えたりはしない。

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p4「うすうすわかっていることをだれかがはっきりと言葉にしてくれると、心はこんなに安らぐんだ、そう思った」ばななさん、あなただよそれは!
p15「私も意味がないことをしたい。若いときに戻れるとは思わないけど」
p20「『大人になったら、きちんとしていればなんとかなる』っていう教えを私にたたきこんだこの世の全てに、今はただひたすらに反抗したい」
p59「でもこういう割り切れない時期があるのって、大事なことかもね」
p60「精神的な飢えが根底にあるのに、他のことでその瞬間だけ取り繕っているんだから」
p68「前向きすぎず、後ろ向きすぎないその態度を見て、なんといい女だろうと思ったのだ」
p91「まだ言うな、そして言わないことは裏切りではない」
p106「なにもなかったように暮らしていけたら、それはおかしいよ。だからもし僕がよっちゃんだっ たら、同じように思うと思うんだ。なにかしたい、なにかしなくちゃって。でも、パパが帰ってくるわけじゃないからなあ。そういう気持ちを持ったまま、じっ と今にも腐りそうな荒れた気持ちで、生きていくしかないんじゃないかなあ」
p115「光だけじゃだめなの?日常の温かさだけじゃ生きていけないの?」
p139「そうか・・・時間はたっているんだ」
p156「失っていく、もう戻らない。/そのかわりに、私はこれまで知らなかった、雨の茶沢通りの匂いを知っている」
p158「私が彼を見る目はちょうど、奥さんがいて、でも大好きな見た目の若い彼女を見る男のような、奇妙に切ないものだった」
p169「諏方神社だよ。有名なおせんべいやさんの近くの・・・」
p188「そう、こわいことは、お父さんがさまよっていることだけではなかった。お母さんが心の中でお父さんを完全に捨ててしまうこと、それがいちばんこわかったのだ」
p193「多分もう会うことのない人、でも生涯わかちがたく結ばれてしまった人」
p202「この膜があるままに行動すると、後で必ずしっぺ返しが来ると、私の本能は語っていた。どうしてなんだろう、でもそうだったのだ。」
p208「これが若さというものなのだと実感もしていた。経験していなことをひとつひとつクリアしていく歓び」
p211「さよなら、私のごまかしの恋。今でなかったらきっとほんとうに夢中になれた恋」
p212「数をこなして慣れているから、女性はこういうとき追いつめないほうがいいとわかっているだ。/くすんだような、悔しいような、それは決して嬉しい気持ちではなかった」
p219「よっちゃんの好きにするといいよ、それはいやではないし、反対しない。ただ、私は全然行きたくない」これが”社会”では通じない
p219「こんなふうに捨てられるってどういうことかわかる?世間体を考えてもすごくみじめだけれど、そんなことじゃない」
p228「さすがお母さん、どうして「探偵物語」を観ていたのだろう」
p245「実らないものには実らないものだけが持つ良さがあった」
p252「空っぽにしてあげたい、そう思わずにいられない」
p259「でも新谷くんと行けるところはどこにもない、気持ちよさの果てで行き止まりだ」

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2011/01/15

『窓の魚』/西加奈子

4101349568 窓の魚 (新潮文庫)
西 加奈子
新潮社  2010-12

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 ナツ、トウヤマ、ハルナ、アキオの男二人女二人が温泉旅行に出かける。そこでの四者四様の胸の内と、翌朝残される一体の死体。

 西加奈子は『さくら』を読んで以来、ちょくちょく読んでる。ここ最近、女性作家の恋愛小説を固め読みしようと、ジュンク堂ヒルトンプラザウェストで目に留まった文庫本を買ってきたんだけど、僕のイメージしてた西加奈子とはだいぶ違ってた。実際、それまでの作風とは違う境地を拓こうとしたもの、らしい。

 四人の男女の気持ちが交錯して描かれる中に、ちょっとオカルトな要素が入ってて、そのあたりが「恋」の不可思議さの空気とつながると思うんだけど、今の僕にはちょっと入ってこなかった。空気感で「恋」を語られるものよりは、みっしり真正面から描かれるものを望んでるみたい。前に読んだ絲山秋子のほうが今の好みかな。西加奈子なら、やっぱり『さくら』のような暖かみがほしい。 

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2011/01/07

『袋小路の男』/絲山秋子

袋小路の男 (講談社文庫)
袋小路の男 (講談社文庫) 絲山 秋子

講談社  2007-11-15
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 『妻の超然』に続いて絲山秋子。文庫が出ていると知って早速買ってみた。「袋小路」と言われると『デッドエンドの想い出』、足掛け10年の恋と言われると最近読んだ『寝ても覚めても』を思い出す。日向子が袋小路の家に住む小田切と出会ったのは高校一年。それから12年、指一本触れることないまま、二人は連絡を取り合い、時に会ったりする。どうして小田切は日向子に対して踏み込まないのか?それを小田切側の視点も踏まえて三人称で描かれる『小田切孝の言い分』。小田切がどうして日向子に手を出そうとしないのか、関係を前に進めようとしないのか、男の僕にはわかるようなわからないような、醍醐味ともいえるもどかしさが続く。けれども、「袋小路」の言葉の持つ甘美さは『デッドエンドの想い出』の方が染み渡っていたし、足掛け10年の恋の見えていないさ加減(または見ている加減)は『寝 ても覚めても』のほうが鮮烈で味わい深かった。

 しかし出会いはいつでも思わぬところから飛び出してくる。僕に取っては三作目の『アーリオ オーリオ』がこの上なかった。釘づけになって一気読みしたといって差し支えない。

 38歳の哲と、14歳の姪美由。ケータイメールではなく、リアルタイムではない手紙でのやりとり。哲の過去の恋愛と、14歳の美由にさえ悟られた自分の性分。それは自分が聞く耳を持たないことと、未来について話したがらないこと。見たいのは光っている天体ではなくダークマター。哲とのやり取りのなかで美由は自分だけの新しい世界を作り始め、哲はそれを見ても自分の変わらなさ変えられなさを変えられるなんて思いもしない、諦めている。

 なぜか?終わりを心底怖がっているからに決まっているじゃないか。なぜそれがわからないんだ。終わりと睨めっこして明日を乗り越えるなんて芸当、到底出来ない。だから未来を語らない。若い美由には掃いて捨てるほどの先があり未来があり当人はそれを未来だと思っていない、高校受験と同じくらいの扱いだ。けれども哲は既にほっそりとした恋人と一度その「未来」を潜ってきていて絶望している。
 いや、それは年の問題ではなかった。小田切も、たかが2歳の歳の差でも未来を語らなかったじゃないか。

 なぜか?終わりを心底怖がっているからに決まっているじゃないか。なぜそれがわからないんだ。

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2011/01/05

『現代思想2011年1月号 特集=Googleの思想』/青土社

4791712218 現代思想2011年1月号 特集=Googleの思想
青土社  2010-12-27

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 とりあえずメモ。日本人とフランス人だとこんなに切れ味がやっぱり違うのか。同じ清濁併せ飲むスタンスでも、フランス人はかなりフラットだけど、日本人は「ほんとはキライだけど無理してフラットしてます」という空気漂う。

 最も興味あったのはグーグルのデザイン責任者ダグ・ボウマンの退社の話。
 Googleは、「例えば検索結果のページに使われている水色は、~考えうる限りの微妙に異なる水色のパターンを用意しておき、ユーザーに対してランダムに表示する。~表示した色の違いによってリンクのクリックが多かったのか少なかったのかといった変化を統計的に算出することができます。そして、最終的にクリック率が高かった色が自動的に採用されるメカニズム」になっていて、ボウマンは「これはデザインじゃない」とブログに書いたという話。ここから「デザイン」を突き詰める展開にしてほしかった。

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p55「「非物質的なもの」の汚名を着せられた者たち~一つの言明、一つの野心~それは二つの信仰表明であり、その色合いはまさしくきわめて「アメリカ人」的
p67「よりうまく自分自身のイメージにわれわれを送付するという目的ゆえに、おそらくは怠惰から」
p58「Googleは、各人の財布よりもはるかに各人の生きた知識と自発的改訂(クリティーク)に胡坐を書いた貢献型経済の権化の数々の中で、最もブリリアントなそれである」
p66「ボウマンがブログで吐露したのは、「こういったモノの作り方を実現できるエンジニア集団と仕事ができたことは本当の素晴らしかったが、これは私にとってのデザインではない」」
p70「セマンティック・ウェブ」
p78「アンカリング」
p82「新書マップ http://shinshomap.info/」

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2011/01/03

『経済ってそういうことだったのか会議』/佐藤雅彦 竹中平蔵

4532191424 経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)
佐藤 雅彦 竹中 平蔵
日本経済新聞社  2002-09

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佐藤雅彦氏が意外にも?普通の人が「聞きたくても聞けない」ようなとても基本的で根本的な経済に関する疑問を、竹中平蔵氏にぶつける対談集。だいたいのことろは理解できているような内容でも、それを肌感覚で実感させてくれるいい本だと思います。

ここしばらく「自分の仕事を考える3日間」にあわせて、「仕事」に関する視点で読んでいるので、本書もその視点で読んだ部分もあった。その問題意識で読むと、「雇用」に興味の中心が来る。これまで読んできた「自分の仕事を考える3日間」に関する本の趣旨は、多くが「やりたい仕事を、やりたいように、納得できるようにやるためには、少人数のチームが適している」という結論を導いている。組織が大きくなれば維持費用も高額になるし、意思決定のために大きな時間と労力を使う、等々、大きな組織には「いい仕事」をするための弊害が多い、という。

しかし本書を読むと、起業の最も評価される点は「雇用の創出」ではないかなと思う。自分の雇用は自分で作ればいい=起業ということになるかもしれないが、もちろん誰しも起業に向くわけではないので、被雇用者として生きる道を取らざるを得ない人も出てくる。そうなると、より多くの雇用を創出できる企業が、最も評価される企業ではないのか?という疑問が出てくる。そもそも、なぜ分業制を引くのかと言えば、分業することでより大きなアウトプットを残せるからだ。より大きな規模の仕事を成そうとすると、分業制は必須になる。分業制を引くことによって、雇用を創出することができる。起業することで自分の雇用は自分で確保しろというのが21世紀の日本の姿として妥当なのかどうかは、まだわからない。

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p54「みんな居心地がいいようにだけして、会社そのものが利益を上げる革新の力を弱めてしまった」
p56「「わが社」っていう意識なんですよ」
p60「実はアメリカで、その中でもデラウェア州の影響」
p63「ブリッシュかベアリッシュか」
p74「(増資とは)資本金を増やすこと」
p98「民主主義の社会において、複雑な制度は悪い制度」
p102「98年に経済が悪くなってきて、政府は景気刺激のためにさらに所得税減税をやりたくなった。ところが税金を払ってない人には減税のしようがない。だからこの前の地域振興券というのは商品券減税になるんです」
p114「オーストラリアの肉のほうがアメリカよりずいぶん安いから」
p125「ロバート・ライシュ」「フー・イズ・アス?」
p131「連邦主義、フェデラリズム」
p140「限界革命」
p160「大量生産・大量消費というのがアメリカですが、大量廃棄は日本の減少」
p186「最初にドルのばらまきをやった」
p188「どっかのODAなんかクルマに化けてて、官僚が使ってたとか言われると、ガッカリしちゃう」
p201「経常収支の赤字は通過引下げ圧力」
p208「タイは・・・よく言えばすごく自由。悪く言うとすごく無節操」
p214「ハンチントンの『文明の衝突』」
p253「住宅投資というのはGDPの7%ぐらい」
p270「アクアライン・・・は半分トンネルで半分橋という妙なつくりになってますけど、あれはセメント会社と鉄鋼会社が半分ずつお金を出したからだ」
p279「いくら有益なことでも知識のように目に見えないものならば、それを取得することは消費」
p284「えっ。起業したって」
p293「電通の「アドバタイジング」」
p300「この(ジレットの)会長にはビジネスの取捨選択には四つの基準」
p304「たとえばNECなんか、昔は要するに電電公社の御用達メーカー」
p305「かつての優良な利益をもたらす商品が、そうでなくなってくる」
p306「一般の人には、10対10の会社に見えてしまう」
p309「マハティールがクリントンを名指しで、いちゃもん付けてました」
p319「カスタマーズ・サティスファクション」
p319「寺田千代乃さんが作ったアート引越センター」
p323「企業とエグジットストラテジー」
p355「シュンペーター」「経済の実感を持ってる人に非常に受け入れられる」
p355「どの仕事にもたくさんの課題があるように、広告も一つのCMを作るのにいくつもの問題を抱えます」
p362「oikosは小さい共同体」
p367「金融システムはその典型」
p371「コンペティティブとコンピタント」
p394「地元もマクドナルドが来ることを望んでいてね」
p397「新しいものをどんどん欲しがっていて、でもなくしたものに対して、あれもあったらいいのにと思っている」
p400「もっと、あざとく言えば、マックの戦略に乗せられる人と戦略を作る人の二つ」

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2010/12/31

『自分の仕事をつくる』/西村佳哲

4480425578 自分の仕事をつくる (ちくま文庫)
西村 佳哲
筑摩書房  2009-02

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関心空間ユーイチローさんのKWで文庫本が出ていることを知って、早速本屋へ。

 基本的には、独立している方や、企業の中で全体を見れるポジションにいる方がインタビューの対象なので、一介のサラリーマンとしては読み方が難しいところもあります。「サラリーマンという働き方は、会社に自分の時間を引き渡している」と、はっきり書かれているところもあります。しかし、「文庫版あとがき」で、とある編集者の読者の方からのメールと、それに対する著者の返信が掲載されていて、それを読めば、サラリーマンであってもこの本に書かれている「心」が、自分の働き方を考える役に立つと分かると思います。

 この本で訴えられていることのひとつに、「自分の時間をいかに仕事に注ぎ込むか」というのがあると思います。それは、24時間仕事に注ぎ込まなければいい仕事はできない、というような表現もあるし、狭義の「仕事」に割いている時間は極力減らして、仕事に有用なはずの私的な時間を多く持つことで仕事のクオリティを上げられる、というような表現もあります。いずれにしても、「仕事」というのは「この程度でいいか」で済ませていいものではない、だから、どれだけ仕事に手間暇かけられるかが重要、ということなんですが、そして、これを実現させるために、住む場所も変えてしまって生活コストを下げれば実現できる、という訳ですが、日本で考えれば、じゃあ逆に無暗に都市部の生活コストが高すぎるから、そういうふうに「仕事」ができない、そういう社会構造になっちゃってるっていうことだよね?と思います。なぜ、だれが、そんな高コストな社会にして喜ぶのか?儲かっているのか?

 もう一つ、僕はこの「仕事」の考え方と対局の会社に勤めています。この「仕事」の考え方は「独創性」が出発点になりますが、僕の勤めている会社は、徹底的に汎用製品化して売り抜くことで、省労力で高利益を上げようというスタンスです。生きていくためにお金が必要なら、いかにそれを簡単に短時間で集められるか、という哲学で貫かれているようです。それは確かに一つの考え方です。必要十分なお金があって、仕事以外に使える時間がたくさんあるなら、人間として無気力になることはなさそうです。でも、このスタンスはなんか違和感を感じないか?-そこがすべての出発点だと思います。
お金がなかったら辛いか?幸せじゃないか?お金として形になってないものは価値がないのか?意味がないのか?今よりずっと貧しかったはずの昭和30年代とやらを、「古き良き日本」とかいって引っ張りだすのはなぜなんだ?だったら、お金として形にならない「何か」をもっと大事にしていいんだ、と言い切る強い思想が必要なんじゃないか?そしてそれをみんなが言い続けていくような土壌が。お金はあくまで単位であり交換するための道具。その大切さを粗末にするつもりは全然ない、全然ないうえで、「金は要るだろ」式のリアリズムを超える理想を語れるようにならないといけない。

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2010/12/30

『妻の超然』/絲山秋子

4104669040 妻の超然
絲山 秋子
新潮社  2010-09

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 文麿は他の女のところに出かけていっているようである。理津子は確認はしていないがそれを事実としていて、だからと言って事を動かそうとは思わない。曰く、「超然としている」。

 理津子は文麿の行動そのものに対して直接的に文麿に何かを言ったりはしない。それを以て理津子は自分を「超然」だとしていた訳だけど、それは「見て見ぬ振り」とそう変わらないものだった。それに、理津子は文麿の「行動」に対しては目を向けていたけれど、文麿の「考え」には全然目を向けていなかった。彼が何を考えているのか、考えたことがあるのか。あるとき理津子はそう自問する。そして、自分がやっていたことは「超然」ではなく「怠慢」だと気づくのだ。
 その過程には、「よその女の家に行ってしまうのは、そっちの方が楽だからではないだろうか。」という一節がある。そして理津子は、「そんなこと、断じて認めるわけにはいかないが。」とここだけは「超然」としていない。やっぱり理津子は、文麿にはまず理津子という図式が必要なのだ。だから「私はまだ一度も文麿を捨てたことがない」のだ。
 だから、捨ててしまえる人は偉いと思う。それは自分の変化を受けいれていることだと思うから。でも偉さはそこまでなら半分で、相手の変化にもちゃんと目をこらしていたのだろうか?それを受け入れているのだろうか?そこから逃げるように、自分も変化しただけではないのだろうか?それでは結局、「見て見ぬ振り」と同じなのではないか?自分が「超然」のようが「怠惰」に陥ってしまった理由は、実は自分が作り出していたものではないのか?

 僕はこの話を、二つの読み方をほとんどオートマチックにしてしまっていて、ひとつは文麿の立場、ひとつは理津子の立場。文麿の立場というのは、「誰かの許しに甘えて生きている自分」、理津子の立場というのは、「怠慢な自分」だ。どちらの自分もいることは認めざるを得ないと思う。もちろん、そういう自分を出さないように日々努力はしているつもりだけど、どうしても文麿だったり理津子だったりしてしまう、それもどうしようもなくてそうなってしまう毎日が続くときも、言い訳ではなくて実際にある。そんなとき、理津子が忘年会から酔っぱらって帰ってきて、眠れているのに眠れないといって傍で寝れば眠れるということを知ってて寝かせてあげて「文麿がしあわせで嬉しかった」と感じる、その心ひとつに救われるし救えるのだ。それこそが「超然」なんじゃないだろうか。そういう「超然」を身につけることができたり、救われたりすることが、僕にもあるだろうか?

 途中、理津子のストーカーの話が出てくる。親友ののーちゃんに相談すると、「この手紙をそのストーカーに渡せ」と封された封筒を渡される。理津子は言われる通り、ストーカーにその手紙を手渡すと、それきりストーカーは現れなくなる。中身がどんなものだったのかは最後まで明かされなくて、僕はその内容をうまく想像することができない。のーちゃんは「人間扱いしてやっただけ」と言っていて、これはたぶん、「見て見ぬ振り」をしていた理津子の文麿に対する態度と遂になっているのだとは思う。 

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『聖☆おにいさん』/中村光

4063729621 聖☆おにいさん(6) (モーニングKC)
中村 光
講談社  2010-12-24

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楽しみにしてた新刊!さっそくジュンクで買ってきて読みました。
相変わらずおもしろいけど、読み終えた直後の感想は「ちょっとパワー不足かな~」。

なんでかな?ともっかいパラパラめくってみたら、全部で7話なんだけど、そのうち、「アスリート達の蹉跌」というよくわからない天部独特のスポーツ(ハリポタのアレみたいな)の話、「コミックスで大わらわ」という漫画界の話という、日常的じゃない話が2つ入ってるからかな。聖☆おにいさんのおもろいのって、立川っていうなんかふつうっぽいとこでふつうじゃない二人がふつうのことしてるってとこなんで、特殊な舞台に行かれると、特殊に追いつくのに頭がいっぱいになっちゃう。漫画界の話は漫画好きの人にとってはふつうのことなんだろうけどね。

「いたいけビーチボーイズ」の愛子ちゃんのぶっちぎりっぷりがいちばんおもしろい!  

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2010/12/25

『BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]』

B004ETEOGO BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]
マガジンハウス  2010-12-15

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今、僕は完全に自分の生き方に迷っている。悩んでいる。狭くは勤めている会社でのロールについて、いったいどこまで研鑽するべきなんだろうかという問題点から、広くはこの先この職業のままでいいのだろうか?大丈夫なんだろうか?という問題点。身につけた価値観は容易に消し去ることができず、他人と比べては見劣りするとか馬鹿にされていそうだとかいう感情の周りをぐるぐる回っている。金を稼がなければならない、出世しなければならない、ステータスを身につけなければならない。そんなの大切なことじゃないという人も、少し気を緩めると、身につけている時計や乗っている車でこちらのことを判断しようとしたりする。それらの物差しを全く気にすることなく、自分が心血を注ぎたいということにピントを絞ることなんて、できるのだろうか?

直前に読んだ『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』でBRUTUSの記事をさんざん馬鹿にした文章があり、BRUTUSそのものを「底の浅い雑誌」と決めつけそうになったけど、これは買ってよかったし読んでよかった。とりあえず読んだのは「正義と個人」「お金と幸福」「現代と仏教」「マネジメント」「今読む哲学」「つながり」だけど、どの章にも現れてくるのが、「短時間で得ようとすることの否定的な面」だ。お金を儲けるにしても、どれだけ効率的かということしか考慮されない。儲ける行為自体には何の価値判断もおかれない。その状況に対して「それは当然おかしいだろう」と声を出せるようになったことが、これまでと劇的に違うところだと思う。ほんのすこし前まで、それらはすべて「本人のやる気の問題」に還元されていた。

あれほど「余計なことはしすぎるほうがいい」と思っていても、結局僕も効率化の波に巻き込まれていた。自分の今の苦境は、効率性至上主義に自分を合わせ過ぎた当然の帰結だと思う。じゃあ非効率であれやりたいと思ったことをどうやってやればいいのか?その問題を考える前に、「とにかく効率性至上主義ではダメだ」とはっきり声を出す人が増えたこと。それがいちばん大きなことだと思う。

【承認】。世界が有限で、やったぶんだけ(と自分が納得できるくらいの)「お金」が入ることが期待できないような世界で、どうすれば落ち込まずに生き生きといきていけるのか?本来、人は他者からの「承認」がなければ満足感が得られないし、そのためにはまず他者を「承認」できなければならない、という話。ここは「つながり」にもつながるし、『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』の江弘毅の話にも繋がる。お金で表現できなければ価値として見做せないという価値観からどう抜け出していけるか?実際に、お金がなければ生きてはいけないのだ、という鉄壁のリアリズムの上に、新たな自分なりの哲学を構築していく作業なのかなと、思う。

みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
p175「消費される記号やなくて、経験やコミュニケーションの有りよう、関係性でしか書けない。」
p178「おばちゃんのそれは経済軸のものではなくて、もっと贈与的
p178「経済軸の判断は、どんどんプロセスを省略する方へいく。効率のいい方へ仕事の中身がショートカットされていって、その極端な形が「お金をお金で買う」ビジネス」

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2010/12/24

『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』/西村佳哲

4335551428 みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
西村佳哲
弘文堂  2010-12-01

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2010/1/9-11の3日間、奈良県立図書情報館で行われた「自分の仕事を考える3日間Ⅱ」にゲストとして登場した8人の方へのインタビュー。

来月1月の「自分の仕事を考える3日間Ⅲ」に参加するので、予習と思って購入。

予想以上に凄まじい影響力を持ってる本でした。今、というかここしばらく、僕は自分の仕事やキャリアや人生に逡巡していて、ただ漫然と過ごしているだけではダメだし、だからといって何を目指して何をすればいいのか決めきれないという優柔不断の中で、何かのヒントを貰いたくて「自分の仕事を考える3日間Ⅲ」に申し込んだんだけど、この本自体も強烈なインパクトを持って自分の旨に迫ってくる。だいたい、仕事で一方ならぬ実績を上げている人のインタビューというのは、「こんな大変な苦労しました」というものか、「特別凄い能力を持ってる訳ではありません、日々こつこつ努力するのが大事です」というものかなんだけど、この本のゲスト8名はみな一様に、「自分の存在が許される理由ってなんなのか」を徹底的に考えた経験があると述べている。やっぱりそこを徹底的に考えることから逃れられないんだな、と腹を括る。それぞれのゲストの言葉も、「仕事から生きるエネルギーを貰わない」とか、一見、「働いて生きてゆく」という問いにあわないような言葉もあり、ぐいぐいひきつけられて一気に読んでしまう。

僕はどうしても仕事を経済軸で考えてしまうところがある。自分の充実感で、仕事を計れないところがある。それは、言い訳というか、経済軸でも成功を収める、一定以上の稼ぎを得ることが他人から認められることであって、それを抜きにして自分の充実感も何もないと考えているところがある。でも、この考え方からは早く脱皮しないといけない。この考え方は、長いものに巻かれて生きようとする、青二才の現実主義の考え方だ。若いうちはそれもアリかもしれないし、経済力で自分の虚栄心を満たすこともできるかもしれない。でもまず、自分の見栄を捨て去ることが必要だ。それがない限り、年齢相応の成長を遂げることもできないと思う。

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友廣裕一
p16  お金ってけっこう関係性を切るんじゃないかって
 →正解かどうかは問題でない 視点の問題
三島邦弘
p53 「そのままの自分でいい」なんて思わない
馬場正尊
p67 状況が必要としているものを考えて、その中で自分にできることを素直にやればいいんだ
土屋春代
p95 自分を好きでいたい。嫌いになりたくない。
 →これは僕には一生無理だと思う
p96 「”いつか”はいつまでも来ないんだ」
向谷地生良
p113 困難な状況を変革してゆくのは、他でもない当事者
p118 精神障害というのは~
p121 「弱さ」を公開しあうことを、大切にしています
p128 この時に大事なのは、その仕事自体からエネルギーをもらわないこと
p132 自分が自立していく足場を持っているのは必要なことなんじゃないかな
江弘毅
p169 「しゃあない」という言葉は、あきらめとかそういうことではないです。一つの価値軸では判断しきれない時に、仲間と一緒に考え抜こうかっていう。折り合いの付け方のテクニカルタームやと思う」
p170 責任っていうのは、取るもんではなくて、全うするもんです
p175 高度情報化社会っていうのは、・・・容易に記号化したり、数値化できるものばかりを集めた社会のことだと思う
p178 結果さえ手に入れば、プロセスは要らなくなる
p181 BRUTUS特別編集2006
松木正
p200 自分の感情にあまり意識を向けていなかった
枝國栄一
p225 そこはもう、耐えましたよね
p226 一度でも妥協したらそこで気持ちが折れてしまう
p232 最悪なスタートやったけど、だから真似しかできなかった

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2010/12/23

『傭兵代理店』/渡辺裕之

4396333595 傭兵代理店 (祥伝社文庫)
渡辺 裕之
祥伝社  2007-06

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 昔から推理モノやサスペンスモノやSFモノは手を出さないので、読んでみたらと貸してくれる人がいるのはありがたいです。傭兵代理店というモノが日本に存在してるという突飛さ加減が目新しくて面白かったです。アクションものの映画を観ているよう。「傭兵」とはどういう存在なのかの知識を知れたのもよかった。
 海外モノだと、こういった突飛な話の中にも、核となるテーマは国際問題だったりするけど、日本モノだと、道具立てとしては出てくるけどどっちかっていうと主人公の心情に焦点があたることが多いとはよく言われている通りかな。

p199「恐怖を克服できると思うのは、間違いだ。それができると思う奴は早死する」
p254「疑惑というものは一旦意識すると、まるで意志を持っているかのように成長し、所有者を底知れぬ苦悩の渦に埋もれさせる」
p396「おまえたちは、ベトナム、アフガニスタン、イラクと介入を続け、世界中に紛争を蔓延させた。」
p454「ここで焦って動いた方が先に死ぬ」

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2010/12/07

『クーデタ』/ジョン・アップダイク

4309709575 クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)
ジョン・アップダイク 池澤 夏樹
河出書房新社  2009-07-11

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アップダイクは初めて。村上春樹関連で名前が出てきたので読んでみようと。その名前が出てきた記事では、あんまり評価されてなかったんだけど。

まず読んでいてずっと思ったのは、エルレー大統領の親ソ加減。著されたのは1978年。その当時は、アメリカにも親ソの空気があったってことなんだろうか?日本の北朝鮮への集団移住は1959年。ヒッピーブームは1960年代~1970年代。ヒッピーと共産圏は関係ないようだけど、1972年生まれの僕にはイメージとしてどうしてもつながってしまう。「みんないっしょにしあわせに」という物事の考え方が根底にあるものは、形はなんであれ似通ってしまうんじゃないかと思うのだ。

文体がかなり慣れなかった。超絶技巧な文体で、説明は多く、ディティールも細やかで読んでて面白いのは間違いなんだけど、読み進めている途中で事態がぽつんと語られることが多くて、「え?いつのまにそうなってたの?」と巻戻って読むことが何度か。かなり集中力要します、僕のような頭の悪い人間には。

それと、解説を読んで、この『クーデター』はアップダイクの作品の中ではレアなケースというのを知ってまたびっくり。アップダイクの得意な分野は、エルレーが妻四人愛人一人との間で落ちぶれていく、ああいう様をメインに持ってきた小説らしく、もっと読んでみようと思った。

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2010/11/20

『ノルウェイの森』/村上春樹

4062748681 ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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406274869X ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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映画を観る前に再読しておこうと思っていて、本屋に入った際それを思い出したので文庫本を買った。『ノルウェイの森』は何かの折に(何か節目になるような出来事があった際や特にそういうことがなくて単に思いついた際)再読しているけど、毎回、「こんな話だったっけ?」という印象を抱いている気がする。それにしても今回は、僕の読書におけるグッドラックを、自分で思い込んでる気に入った言い方でいうとセレンディピティを、一生分とは言わないけれど数年分は注ぎ込んだようなタイミングで読めたんじゃないかと思う。なにしろ、本屋で買って読み始め、端役も端役だけど全然記憶になかったけど「奈良」が登場し、iTSでビートルズがダウンロード可能となる日が訪れ、そして読み終えた。僕個人的にはこれでもう十分。十分、『ノルウェイの森』は僕に生きる力をくれた。実際、会社の人がお土産にくれたラーメンを食べ過ぎ胃を壊した翌日から、微熱が続き何も食べられなくなりみるみるおかしくなって精神的にも完全におかしくなってしまった僕をたった10時間足らずの読書が引っ張り上げてしまったのだ。

「こんな話だったっけ?」という印象以外で、今回抱いた印象で最も大きかったのは、「こんなにわかりやすい小説だったっけ?」というもの。これは、僕が村上春樹の作品を読み続けてきて慣らされてきたからなのか、僕の読書の能力が向上したからなのか、物語を注意深く受け取る感覚が失われ、通り一遍の筋書しか頭に入らなくなったからなのか、その辺は自分自身ではわからない。けれど、自分自身としてはとてもよく理解できる小説に感じられた。例えば「全てが終ったあとで僕はどうしてキズキと寝なかったのかと訊いてみた。でもそんなことは訊くべきではなかったのだ。」の部分。そりゃもちろん聞くべきではないよ。今の僕はそう思うし、その理由もパッパッと頭の中にひらめくけれど、若い頃にこれを読んだときは全然違うこを考えていたと思う。できないことの理由を問うことから始まる問答を。「訊くべきではない」というのは、単に「どうして寝なかったのか」という原因を訊くだけが対象じゃない。「寝る」ことに関わる様々な意味が、そう簡単に説明できるようなものではそもそもないから。そんなところに考えを飛ばしていたはずだ。でも今の僕はもうちょっとクリアに「なぜ訊くべきではなかった」のか、思いを巡らすことができる。

なぜ38歳の僕がこの本を今、それも再読の再読で読んで、精神的に立ち直ることができたのかはよくわからない。普通に仕事はできるものの、仕事に行きたくないとまで思うくらい、ちょっと崖っぷちだった状況から、なんとか戻ってこれたのは、この本の力が多少はあると思ってる。確かに、この本を読んでる最中、自分を覆っている時間の殻のようなもの、どうしてもそこに留まることはできないのに少しの希望の欠片みたいのを見つけては留まれるような気になっている自分の殻のようなものが、二つに割れて自分から剥がれ落ち、残念だけれどそれは剥ぎ取って前に進むしかない、そういう感覚が現れたのだ。

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2010/11/14

『真綿荘の住人たち』/島本理生

4163289402 真綿荘の住人たち
島本 理生
文藝春秋  2010-02

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北海道の善良な少年・大和君が大学生になり上京してレトロな下宿・真綿荘に。その真綿荘に暮らす大家と下宿人の一筋縄じゃない恋愛と生活。

ラスト、読み終えて、「なぜ結婚じゃだめだったんだ?」と考え込んだ。ほんと、すぐには理解できなかった。「君には、対等じゃあ、ダメなんだろう」この晴雨の言葉が、結婚ではだめなんだということはわかるものの、なんでその代わりに、養子縁組をしないといけないのか。そんなものなくても、今まで通り内縁でいいじゃないか。まったく理解できないものを突然1ページで見せられて、ぽーんと放り投げられたような気分だった。

じっと考えてみて、ああなるほど、親子か、とようやく分かった。このラストがすぐには飲み込めなかった僕は、ほんとうに幸せで満たされた子供時代を過ごせたんだと思える。千鶴は、水商売を生業とし、男に寄りかかって生きている母親の自分への愛情が、それほど深いものではないということを、生まれたときから知っていたような人生。だから、16歳のとき、何も言わずまったくの自分の責任だけで自分を抱きにかかった晴雨に、それ以来一度も抱こうとはしない晴雨に、捉えられ続けてきたのだ。同じように高校時代に強姦された経験を持ち、直接的にはその強姦ではなく、それ以降の経験から、男と付き合えなくなった椿に、「自分を強姦した相手と何事もないように住み続けるなんて気持ちが悪い」と詰られようと、千鶴が動じない理由がそこにある。千鶴にとっては、晴雨はそういう存在だったのだ。晴雨自身も、自分のすべてを自分のものにしようとした母親の呪縛に悩まされ不能で生きてきて、その母親が病に倒れ晴雨のこともわからない状態を見て、「俺はもう誰の子供でもない」と呪縛から解かれる。この小説は、恋愛の動きそのものよりも、千鶴、晴雨、あと、同じ真綿荘の住人である鯨ちゃんと付き合うことになる同じ大学の荒野、この3人の生い立ち、親との関わりあいの過去を通じて、人が大人になるための、周りの大人の、「親」という存在の重要さを感じれるものだった。

もうひとつ、まったくもってまともな大和君が、振り回されるように恋に落ちる相手、絵麻の恋愛。彼女に言い放つまともな大和君の言葉が、使い古された言葉だけどとても気が利いている。絵麻の相手は言わば高踏だけど、そんな生き方をして「結果」がよくても仕方がないよな、と思った。

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『文藝春秋2010年12月号』

B0049B6FE6 文藝春秋 2010年 12月号 [雑誌]
文藝春秋  2010-11-10

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電車の吊り広告に「吉本隆明」の名前があったので、読んでみた。1960年安保の際、警察に逮捕された顛末が書かれてたんだけど、目を見開いたのはその説明の最後、「もうこれで書くところがなくなるだろうと思い、ものを書く場所を確保していた。それが『試行』」という下り。『試行』は読んだことはないけどもちろん知っていて、吉本隆明が仲間と、仲間だけですべての制作作業を行って刊行していたいわゆる「同人誌」と認識してたけど、単に自分達だけで独立して言論出来る場をつくったというだけでなく、「ものを言う場所がなくなるだろう」と予期して、「確保しておかなければ」とそれを準備したというところに、自分はなんて先のこと先のことを考えずにやってきたんだろうと情けなくなった。本気で先を先を見て考えないと。 

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2010/11/08

『寝ても覚めても』/柴崎友香

4309020054 寝ても覚めても
柴崎 友香
河出書房新社  2010-09-17

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すこし前、遠出した際、一冊買おうと思ってうろうろして、そう言えば日経か何かの書評見て読みたいと思ってたなと買ってみた。柴崎友香は好みで、結構読んでる。変にテンションを上げていかない、無暗な盛り上がりを作らないところが好きなのだ。

1999年22歳の朝子に始まった恋の、10年間の来歴が語られる恋愛小説。柴崎友香は3,4年振りだと思うんだけど、その昔は読んでいて脳裡にバシバシと響いた、「言葉にならない」感覚というのが、さすがに僕も歳を取ったのか、あまり響かなかったように思う。女の子の、人を好きになる不思議な感性というのが描かれていることは明確にわかるんだけど、気持ちに入っていかない。でもそれは、僕が歳を取って感性が鈍ったということだけではなく、本著の焦点が、単に恋愛だけではないということにもあったのかもしれない。読むとすぐ気づくのが、本著は、頻繁に、2,3行の点描が挟まれる。その2,3行の点描は、そこまでの筋とあんまり関係がないようなあるような。その点描も含めて、「目に見えるもの」を観察し、書き落としていくことに、力点が注がれてる。それが、本著の「読む楽しさ」だと思う。

ストーリーは、全体の2/3くらいまで、かなり緩やかに進むと思う。2/3過ぎから猛チャージが掛かって、胸を抉られるような現場を見せられて、終わる。どの書評も「驚きの結末」みたいなことが書かれてて、2/3過ぎくらいからある程度予想はつくのに、更にそれを裏切るような展開が待っている。この展開は、女の子の恋愛には確かによくあることかも知れない。でも、作者にとってはこの「恋愛」の筋というのは、今回はそれほど重要じゃなかったのかも知れない。

読み終えてまず最初に僕が思ったのは、僕に似てる人が現れてはほしくない、ということだった。僕に似てる人が、僕を知ってる人の前に現れたりしないでほしい、ということだった。遠出した場所で買ってくる本としては最善の選択肢だったんじゃないかと、思う。 

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2010/10/25

『「悪」と戦う」/高橋源一郎

4309019803 「悪」と戦う
高橋 源一郎
河出書房新社  2010-05-17

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なんて可愛くないと言い切られるミアちゃんが登場し、ミアちゃんのお母さんが”私は「悪」と戦っているのです!”と言い、そして大声で”わ!””た!””し!””は!””ミ!””ア!””を!””あ!””い!””し!””て!””る!”と叫ぶところまではわくわくしながら一気に読み進めた。そこから、ランちゃん(男の子)が「悪」と戦う夢とも現実ともつかない複数の戦いの話は、予想の範囲内というかなんというか。「何が”悪”なのか」を申し渡すことは自分以外の誰にもできない。だから自分の頭で考え抜いて生きていくしかない。そういう”説教の結論”じみたカンジは微塵もないけれど、だからと言って大人向けかと言われると違う気もするし、でも「使用済みのコンドームが」とかいう表現があるから、児童向けとはとても言えない。

僕はどうしても「言葉」「言語」に関するところで興味が膨らむので、「悪」と「言葉」がもうちょっと引っ張られてたら、頭の中をかき回されるような快感にもうちょっと長く浸れたのかな?この本を読みながら頭の中で歌っていたのはもちろんイエモンの『JAM』:

”あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
みんな昔子供だってね”
(『JAM』/THE YELLOW MONKEY)

「あ、これで十分じゃん」なんて言うほど、僕ももう子どもではありません。

p33「キイちゃんにいうみたいに、パパにもいって」
p105「下駄をはかせてもらった」
p111「ヴァルネラビリティ」
p112「じゃあ、みんな、『隙間』に落っこちたって、気づいてないんだ」
p176「シロクマが立っていた」
p199「(ランちゃん、あなたの仕事をするのよ!それが、どんな仕事だとしても。イッツ・ショー・タイム!)」
p279「わすれものって・・・いみわかんない・・・ぱぱ」

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2010/10/18

『ウェブ人間論』/梅田望夫・平野啓一郎

4106101939 ウェブ人間論 (新潮新書)
梅田 望夫 平野 啓一郎
新潮社  2006-12-14

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 発言からうかがえる平野啓一郎の感覚が、自分の感覚に近いものなのが何より驚きだった。もう少し、線を引いた考え方をする人という印象を持っていたので、昔気質と言っていい感覚を持ってることに驚いた。
 「おわりに」に書かれている、”平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である””私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるがゆえ、変化とは不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える”というところと、「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うよ うになりました」との組み合わせが、僕にとってこの本の要諦だった。もちろん、平野啓一郎により共感している。どうしようもないからとそこから一歩退いて、楽に生きられて居心地のいい場所を見つけて、それを「いろんなやり方を身につけられた」と世界を広げたふうに言うのはクレバーではあっても成長はない。そこにある苦難を避けて通るための理由づけは、どんなに聞こえが良くっても言い訳にしかならない。ダメでもやってみるところにしか、幸せはやってこないのだ。

p24「80年代に活躍したいわゆるニューアカ世代の一部の人たちには、今でも、あらゆる情報に網羅的に通暁して、それを処理することが出来るというふうな幻想が垣間見える」
p39「ブログを書くことで、知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感」
p52「ハンナ・アレント」
p53「そういうナイーヴな、一種の功利主義的な人間観は、若い世代の、とりわけエリート層にはますます広まりつつあるんでしょう」
p77「アレントの分析(公的領域)」
p78「私的なことを公の場所に持ち込まないという日本人の古い美徳は、今や単に社会全体の効率的な経済活動から、個人の思いだとか、思想だとかを排除するための、都合の良い理由づけになってしまっている」
p86「スラヴォイ・ジジェクというスロベニアの哲学者が、『存在の耐えられない軽さ』で有名なミラン・クンデラというチェコ出身の作家を批判している」
p145「世代的な感覚でいうと、『スター・ウォーズ』に熱中してるって、ちょっと珍しい気がしますね。」
p163「言葉による自己類型化には、安堵感と窮屈さとの両方がある。」
p170「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うようになりました」
p177「確率的に存在する」
p179「フランスの哲学者のピエール・ブルデュー」

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2010/09/27

『存在の耐えられない軽さ』/ミラン・クンデラ

4087603512 存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)
ミラン・クンデラ 千野 栄一
集英社  1998-11-20

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 もちろん本著の名前は知っていたし、著者が「プラハの春」以降、全著作を発禁されたというようなことも知っていた。でも本著のことは、結構なエロ小説であり、「存在の耐えられない」というのは、要は正式に付き合っていないので相手の心には存在しているのかどうかわからない、程度の意味合いに受け止め、しかも本著は傑作と呼ばれていることも予備知識としてあったので、その恋愛の心理描写が相当詳細で綿密なんだろうな、という具合な印象を持って、読んではいなかった。そこに来て、3年前に読んだ『放浪の天才数学者エルデシュ』以来の東欧への興味が重なって、文庫本で見つけたので買って読んでみた。

 もう全然認識違いで情けなかったし恥ずかしかった。ただひたすらおもしろいという感想しか出てこない。恋愛の軸と社会情勢の軸、そして哲学の軸。読んでいて頭が刺激されるし、その底辺に流れる考え方みたいなものは頷けるけどひとつひとつの表現-タイトルの「存在の耐えられない軽さ」とか-を、自分なりに噛み砕いて話せない。言葉にできるところまで理解できない。これはあと2回くらい読まないとダメな小説。

 そんな中、頭に浮かんだテーマをメモ:

  • 第Ⅵ部「大行進」で語られる「俗悪=キッチュなるもの」の概念と説明の言葉。自分が常日頃抱いている感情にぴったりとあてはまる。しかしそこから押し広げて気づいたのは、例えば「平和」をうたい文句にした野外フェスに、その理念に賛同したと言って参加する人々。これはイコールなのか?イコールではないと、言い切れるか?また逆に、そのうたい文句は一切無視して、単にその「呼び寄せ」をアテに参加する、この姿勢もまたイコールではないと、言い切れるか?
  • 難解で、興味深くて、思考の好材料になる様々な対立が挙げられるけど、それらはみな二項対立。二択の提示は、時代の現れか。

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『虐殺器官』/伊藤計劃

4150309841 虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房  2010-02-10

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巷で評判の『虐殺器官』の文庫本が並んでたので購入。僕はSFはどうも苦手と言うか、空想の凄さや思いつかなさに驚嘆しながらページを捲れるタイプの読書家ではないので、突飛な感じのSFは遠慮してたんだけど、『虐殺器官』はどうやらそういう手合いではなくて、背後に社会的な背骨が通ってる雰囲気があったので思い切って手に取ってみた。文庫本の装丁はシンプルで”ソリッド”でとてもカッコいいと思うのだけど、僕はブックカバーをしないので、通勤電車でこの背表紙を見た人々にはやっぱり気味悪がられたのかな。

本当に偶然と言うのかセレンディピティと言うのか世間がそういうふうに回っているのか、マイケル・サンデルを読んで、『ドーン』を読んで、そしてこの『虐殺器官』と来た。改めて、9・11というのが以下に現代の人類に、社会に、政治に、衝撃と困難な課題をつきつけたのかを実感。『虐殺器官』は、アメリカ情報軍特殊検索群i分遺隊という、「暗殺」を請け負う唯一の部隊に所属するクラヴィス・シェパードが、後進諸国で続々と発生する内乱や大量虐殺の陰に必ず存在すると言われるジョン・ポールという男を追う物語だが、テロとの戦いにおける管理体制と国家関係を縦軸、自分の母親の生命維持装置を停止させたことと自分が遂行している暗殺との違い(あるいは同一性)にうち苦しむシェパードの姿を横軸に展開する。

テロとの戦いの部分は、ジョン・ポールと二度目の遭遇をした時点で、たぶん概ね筋が理解できてしまうと思う。悪人と思われる人にもそれなりの事情があって…という、ヒトラーの物語を借景したような筋書と、「必要悪」を是認せざるを得ないと主張しがちな国家の事情をミックスさせながら、「虐殺の器官」の正体を知ったシェパードが選択するラスト。このあたりは、ストーリーを楽しむところではなくて、それぞれが「自分の立場」でモノを考えるときに、正しく進めないと陥ってしまう悲劇の1パターンとして肝に銘じながら、自分の考えを練り上げる材料にすればいいのかな、と読みながら思った。政治の過程をよりリアルに描いていた『ドーン』のほうが、より実際的に考える材料になるし、『虐殺器官』はそういう意味では戒めというか、昔話のような効果を持つかなと思う。

どちらかと言うと、僕は「意識がなくなればそれは死か?」という、母親の生命維持装置を停止させる下りが印象に残っている。SFという力を借りて、現在における脳死状態等から更に一歩進めて、「脳の何が残っていればそれを意識と言えるか答えが出せない」という医者の見解を、脳の一部を操作すれば、「痛み」を受けたことは分かるけれども「痛み」は感じない、という芸当ができるほど技術が進んだ時代でも、意識に関してはそうなんだと語らせることが深みに感じられる。意識とは何なのか?それは、「何だから自分なのか?」というところに行き着く問い。

言葉についての軸は、読んでるときは面白いと思ってたけはずだけど、感想を書くときには全然意識に上らなかった。書くべきことを忘れてないか、付箋のつけたところをパラパラと捲ってみて、ああそういうテーマもあったな、と思い出したくらい。

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2010/09/23

『松浦弥太郎の仕事術』/松浦弥太郎

402330493X 松浦弥太郎の仕事術
松浦 弥太郎
朝日新聞出版  2010-03-05

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とりあえずメモ。

三級波高くして魚龍と化す

p30「「おろしたての新品は格好悪い」というイギリス独特の美意識かもしれません」
p37「ヘンリー・ディヴィッド・ソローの『ソロー語録』」
p38「スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ」
p52「規則正しい生活が、何よりも大切」
p66「責任感、達成力といった面ではよいことでもありますが、反面、「自分以外の誰も信用していない」」
p83「相手の手がほかのボールでふさがっているときに投げたのでは、しっかり受け止めてもらえる可能性は低い」
p96「好奇心がなければ学べない、発想も広がらない」
p126「準備の威力はもっと大きい」
p147「新聞は、・・・「自分が知らない、わからないこと」を見つけ出すきっかけづくり」
p153「「短い時間で成果を出したい」「手間をかけず、面倒なことは省略したい」こういった焦りモードの仕事の何よりあやうい点は、チャレンジできなくなること」
p163「たとえ何があろうと、自分の理念を守り続ける」
p170「お金を使うことでかろうじて埋め合わせている「何か」を見極め、そのものを満たす努力をすることで、無駄な出費は自然と抑えられるはず」 

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2010/09/20

『ドーン』/平野啓一郎

4062155109 ドーン (100周年書き下ろし)
平野 啓一郎
講談社  2009-07-10

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 人類初の有人火星探査のクルーの一員となった佐野明日人とその妻・今日子、東京大震災で亡くなった二人の子供である太陽を取り巻く物語と、有人火星探査で起きた事件とアメリカ大統領選での「テロ」に対する在り方を問う選挙戦の物語が絡み合いながら進行していく近未来小説。

 民主党候補ネイラーと共和党候補キッチンズの選挙戦は、小説の後半に大きな盛り上がりを見せる。ここで戦わされる「対テロ」をメインにした議論を読む前に、マイケル・サンデルを読んでおいてよかったなと思う。キッチンズの議論の攻め方は、非常にキャッチーで触れているその部分には否定できるところがなく、ある種の強制力を持って聞き手に踏み込んでくる論法だけど、単にひとつひとつを詳細にして覆していく手法では、良くてイーブン、普通はあと一歩のところまでしか追い込めず、ひっくり返すには至らない。ひっくり返すには従来通りではない「正義」の骨格が必要で、マイケル・サンデルを読んでいたことでここの部分の理解を進めることができたと思う。うまく連鎖してくれた。

 もうひとつ、物語を通して出てくるのが「ディビジュアル」という概念。これは、それぞれの個人(インデビジュアル)は、対面する相手によって人格的なものを使い分けている、そのそれぞれの場面での「自分」を指す言葉(ディビジュアル=分人)というような意味だと理解して読んだ。確かに、現代社会に暮らす人々は、それぞれの場面でそれぞれにふさわしい振る舞いを当然ながらに求められるし、必ずしもそれがどこでも首尾一貫してる必要もない。ちょっと窮屈だな、と感じる社会の根っこはディビジュアルを認めないような厳格さにあるような気もするし、逆にそれぞれの場面に求められる振る舞い-マナーとかもそうだろう-を身につけられない、身につけることを拒否するようなスタンス、そういうのが自分たちに結局跳ね返ってきて社会を窮屈にしてる気もする。

 平野啓一郎は『決壊』に続いて読んだんだけど、細部まで神経が行き届いているしテーマの膨らみも読んでて面白いし何も文句はないんだけど、どうも登場人物がみな「頭が良すぎる」ところだけがちょっとなあと思う。なんか、物語自体が全体的に「浮世離れ」しちゃってるように感じる。せっかく誰にも考えてほしいテーマを書いてくれてるのに、なんか違う上流世界向けの小説というか、自分の頭の良さを感じさせないでは済ませられないかのようなところがあって、そこはちょっと損してると思う。

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2010/09/05

『アメリカの鱒釣り』/リチャード・ブローティガン

4102147020 アメリカの鱒釣り (新潮文庫)
リチャード ブローティガン Richard Brautigan
新潮社  2005-07

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 『考える人』の村上春樹ロングインタビューで出てきたので、とりあえず読んでみようと買ってみた。予備知識として「不思議な小説」ということは知っていたので、それは頭に置いて読んでみたんだけど、そういうのは慣れてるつもりだったんだけど、最初の10篇くらいは正直言って全然ついていけなかった。「これ、このまま読んでて面白くなるのか?」とほんとに訝った。もちろん、いろんな人が面白いと言ってるし、傑作だ傑作だと言われてるんだから面白いには違いないんだろうけど、どうしても糸口がつかめない、スイッチがはいらない…。

 その「スイッチ」は、どの章もこの章も「アメリカの鱒釣り」(という言葉)を芯に据えて展開してるんだ、というとこに気がついてするする解消されていったけれど、読み終えての感想は、「意味を完全になくすなんてできっこないよね」というもんだった。意味なんてどうでもいいみたいに言われるけど、「アメリカの鱒釣り」は、当たり前だけど意味を完全に消せてないし、何か予備知識がないと面白さがわからないところがいっぱいある。

 なんかこういうノリは確かに現代作品、とくにマンガとかアニメとかでたくさん見たことがある気がする。そのくだらなさの中に死や終焉を忍ばせる感受性、ということなのかもしれないけど、僕は生真面目に立ち向かうほうがやっぱり人生においてはサマになると思う。

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2010/08/15

『考える人 2010年8月号』/新潮社

B003T0LLEW 考える人 2010年 08月号 [雑誌]
新潮社  2010-07-03

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 箱根二泊三日のロングインタビュー。聞き手:松家仁之。「ロングインタビュー」と表紙に書かれていたのでどんなもんだろう?と手に取ってみたら、ほんとに長くて、読み終えるのに4,5時間かかったと思う。『1Q84』に関する話題をメインにしながら、「作家」という仕事をどうやって生きているのか、そういうことも語られていてどこも何も読み飛ばすことができないインタビュー。

 読み終えてみて、自分の中に残った印象や、これからものを考えるのにテーマとして記憶しておくべきと思ったことが5つ:

・仕事の仕方
・女性の描かれ方
・自我と自己
・善悪の基準と神話
・自由とは物語を自分のこととして捉えることができる能力

 「仕事の仕方」は、このインタビューを読んで誰しも印象深く感じるところだと思うんだけど、「ペースを守る」というよりは、「自分の仕事を最善の形でやり遂げるためには、どういうやり方がよいのかをよく考え、それを継続的に実行する」というふうに捉えるべきだろうと思う。これはサラリーマンである僕にとっては、「やればできる」と言われても、心理的負担は大きいしそう簡単なことではないんだけど、これまでも常に意識してやってきたことだし、これからもそうやっていけばいいと再確認できた。

 「女性の描かれ方」-これは、『1Q84』の感想や書評をいろんなところで読んでいると、特に一般の人で女性と思われる人のブログなんかに、「村上春樹もようやく女性がわかってきたんじゃない?」と書かれているのをよく目にして、どうしてそういうことを思うのかいまひとつピンと来なかったんだけど、このインタビューで少し分かった気がした。僕は、男性がどういうふうに描かれていようが女性がどういうふうに描かれていようが、それが勝手な「決めつけ」でなければ、大切なのは小説という「物語」全体を表すことなので、登場人物がどんな扱われようであってもそれはそういう役割だ、と思ってたんだけど、女性自身の立ち位置の変化が確かにあるんだな、と思った。「こうなりたい」と思うところに、潮流として少しずつでも近づいているから、描かれ方も受け取られ方も変わってくるんだなと少し納得。

 いちばんよく理解できていないのが「自我と自己」。僕は今まで、「自我」という言葉を深く考えたことがなかったように思う。本好きを自認してるなら「近代的自我」とかよく理解していないといけないはずなのに、なんとなくで済ませてしまっていた。ほんとうになんとなく、自分は自我が肥大した人間だと、それこそ思春期から悩んでいて、そしてそれはよろしくないことなので自我は極力抑えられるように鍛錬していこう、とそんなふうに考えて二十年以上生きてきたけれど、じゃあ「自我」ってなんなの?ということを深くは考えてこなかった。
 人の言ってることや書いてるものでその人となりを想像するとき、どうも毛嫌いしてしまうのはこの「自我」の肥大した人なんだろうなあという漠然とした感覚はあったものの、「自我」がなんなのかちゃんとわかってないから、それが正しいのかもどうかもわからない。僕にとって当面の読書の課題はここにしてみようかと思った。幸い、このインタビューで、自我(の描写・無描写)を考えるにあたってのたくさんの「入口」となる作家が提示されているし。

 「善悪の基準と神話」は、まさに『1Q84』を読みながら考えていたことで、何が善で何が悪なのか、何が正しくて何が間違いなのかは、自分自身で考えない訳にはいかない。価値観の変化とかいうことではなくて、「誰かが何が善で何が悪かを取り決めている」という感覚から抜け出すことが現代には特に大事だと思う。もちろん、それは、個々人が好き勝手に好きなことをやってればいいんだということにはつながらない。この辺は、『これからの正義の話をしよう』を読んだタイミングでちょうどよかった。あと、少し話が離れるように見えるかも知れないけど、最近自分がロードバイクを始めたのは、この辺の話を突き詰めたときに出てくる課題を、感覚的に無意識に気づいて始めたような気がする。

 最後に、このインタビューを読んで、自分の村上春樹作品への向き合い方というか、どういうふうに読んできたかというのが、それほど間違ってないんだということを、インタビューの端々の言葉や文から感じることがあって、よかったと思うしそれ自体誤解かもしれないなとも思うんだけど、「自分のこととして捉えて読まないと意味がない」ということを言ってる部分は、これは間違いなく僕が常々思ってることとぴったり一致してると思う。これは大変嬉しかった。自分の今までの読書が、より強固なものになったように感じる。

p26「ノモンハンの暴力の風さえ、その壁を抜けてこちらに吹き込んでくるということ」
p30「これは言うなればインターネット世界のあり方です。ものごとの善悪よりは、情報の精度が優先順位の尺度になっている」→マイケル・サンデルの正義論につなげられる
p35「その二人が、『1Q84』という世界をそれぞれにどのように生き抜いていくか。システムの中で個人を貫くという、孤独きわまりない厳しい作業に耐えながら、どのようにして心の連帯をいま一度手に入れるか、『1Q84』は、結局はそういう流れの話だと思うんです。」
p37「ノウハウを引き渡すということは、ある意味でサーキットを閉鎖していくことなんです」
p41「『昔話と日本人の心』河合 四位一体説」
p42「『真景累ヶ淵』
p43「はっきりとした意思を持ち、自律的に動く女性」
p54「おれの言うことが聞こえたのか」「聞こえたよ」というのではとまってしまう。「おれの言うことが聞こえたのか」ときたら「つんぼじゃねえや」と返すのが会話です(ゴーリキーの『どん底』)
p58「だいじなのは、そのころの二十代の青少年は基本的に未来を信じていた」
p66「リチャード・ブローティガン」「カート・ヴォネガット」
p67「当時の日本は今よりもはるかに、そういうセキュリティ(大きな会社に勤めていたり、家庭を持っていたり)に対する信頼が強かった」
p69「本質的な要因以外のところで、本が売れる理由を見出そうとする人が、とくにメディア関係に多いような気がします」
p69「でもいちばん大事なのはおそらく、信頼関係ですね」
p75「とにかく自我とはあまり関係がないものです」
p77「「神話の再創成」みたいなことがあるいはキーワードになるんじゃないかと」→これもマイケル・サンデルにつなげられる
p89「マルケスの小説って、考えてみればほとんど自我を描いていない」
p97「大きい声で言う人が勝つという感じが強まっているような気がします。言うだけ言って、その責任をとらない。

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2010/08/05

『乙女の密告』/赤染晶子

4103276614 乙女の密告
赤染 晶子
新潮社  2010-07

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 京都の外国語大学の、『ヘト アハテルハイス』をテキストに用いるゼミに参加している「乙女」であるみか子。バッハマン教授から明日までに1944年4月9日をスピーチコンテスト暗唱の部の課題テクストとして、明日までに暗唱してくるようにと乙女達に課題が突きつけられる…。

 乙女と真実と自己と他者。『ヘト アハテルハイス』(アンネの日記)の暗唱を通じて、認識の問題が掘り下げられていく。自分が「自己」であるとはどういうことか。「他者」でないとはどういうことか。そして、自己が何者かを、ほんとうに自分は知っているのか?そもそも、その「真実」を知りたいと、思っているのだろうか?みか子は言う。「乙女は真実を必要としない」。そう、本著では「乙女」は「直視しないもの。目を逸らすもの。」の代名詞だ。

 アンネは1944年4月9日の日記で「オランダ人になりたい」と、「他者になりたい」と宣言している、そのことの意味をみか子は暗唱の中で掘り下げていく。この、掘り下げていく過程の描写が、ものすごく小気味がいい。とても短い文章がリズミカルに畳み掛けられてくる。いや、「リズミカル」というのとはちょっと違うかも知れない。頭の中で音読するに淀みがないような流麗な長い文章がうねうねと続くようなものではなく、とにかく一文は一個の事物しか表わさない、といった短文で語りが続き、乙女と真実と自己と他者という概念的な何かを頭に描かずにおれなくなるのだ。

 クライマックスでみか子がアンネの名前を「血を吐いて」語るように、本著にとって一番大切なテーマは乙女と真実と自己と他者なのは間違いないと思う。けれど、僕にとっていちばん印象に残ったシーンは、バッハマンが乙女達を2つのグループに分けるときの、「あなたはいちご大福とウィスキーではどちらが好きですか」というシーン。乙女達はいちご大福が好きかウィスキーが好きかという条件だけで2つに分けられ、それだけの条件なのに分けられた2つのグループは驚くほどの団結を見せる。あたかも「他者」とは全く違うと断言するある「グループ」を形作っているものは、この「いちご大福かウィスキーか」という分け方と、それほど違うのだろうか?「自己と他者」というテーマを構えながら、そこにもう一つ、「そうまでして他者と線を引きたい自己の、自己を自己たらしめているものって、実は”いちご大福かウィスキーか”と同じくらい、意味なんてないことなのかも知れないよ」と言われている気がした。

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2010/07/19

『ミーツへの道』/江弘毅

4860112059 ミーツへの道 「街的雑誌」の時代
江 弘毅
本の雑誌社  2010-06-02

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 『ミーツ』が神戸新聞社生まれということも知りませんでした。僕は1995年に大阪に出てきたんですが、『ミーツ』が市民権を得だしたのは1990年代からと判って、意外と最近のことなんだなあと思いました。自分が大阪に来た時既にあったものは、大阪の人なら誰でも知っているものだという思いこみがあったので、『ミーツ』に関しては、「大阪のちょっと感度の高い人なら誰でも知ってる雑誌」と思ってたのが、実はまさに浸透現在進行形の時代に自分もいたんだなあと思った。歴史は正しく知らなければほんとにわからない。
 その『ミーツ』と神戸新聞社との確執が赤裸々に語られて興味がぐいぐいそっちに引っ張られるけれど、敢えて言えば、子会社である以上当たり前のことのような気もする。とは言え、あの『ミーツ』の編集長としての感性を残したまま、財務諸表や費用対効果やキャッシュフローやと行った会議に出られるというのはかなりのキャパシティだと僕でもわかるし、そういう懐を持った仕事のできる男になりたいと思う。

 『ミーツ』を知ってる人なら誰が読んでも絶対に面白いと思う。読んで損はないし、自分の仕事のスタンスに少なからず影響を与える。『ミーツ』を知らない人にも読んでほしいなと思うし、「あの『ミーツ』の」という関西人特有の権威付けから自由に読める人がどんな感想を持つのかにも興味があるのでぜひ関西人ではない人の感想を読んでみたいです。

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『そしてカバたちはタンクで茹で死に』/ジャック・ケルアック&ウィリアム・バロウズ

4309205399 そしてカバたちはタンクで茹で死に
ジャック・ケルアック ウィリアム・バロウズ 山形 浩生
河出書房新社  2010-05-15

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 ジャック・ケルアックは『オン・ザ・ロード』を、ウィリアム・バロウズは『裸のランチ』を、それぞれ1冊読んだことがあるだけで、二人がビートジェネレーションであり熱狂的に支持された作家という程度の知識しか持ってないまま読んでみた。『オン・ザ・ロード』も『裸のランチ』も面白かったのは面白かったんだけど、僕は「破滅的な何かを漂わせる魅力ってそんなに魅力か?」と文句をつけたがる性分になっていたので、掘り下げて何冊か読んでみようとはしなかった。ドラッグにせよ精神異常性にせよセックスにせよ、生まれたときから多少なりとも命に関わる病気持って生まれた生い立ちの人間に言わせてもらうと「バカバカしい」ということになっちゃう(もっとも、両親がうまくやってくれたおかげで早くに治り本人は病気で不自由した記憶はないけれど)。精神異常性も自分で好き好んで破滅的な生活に追い込んで陥る分はとくに「バカバカしい」と思ってた。1972年生まれでバブルを越えて青春を1990年代前半に過ごした僕は、問答無用の無茶苦茶さならもっと酷いものを見てきたし、そういう無茶苦茶さに与してもほんとにバカバカしいだけで何にもならんというのも実感的に判ってて、ビートジェネレーションも「今更何なん?」と思っていた。
 本著の後書を読んで、ビートジェネレーションが狭い人間関係の中にあって、その引き金となった事件がカー・カマラー事件ということを学んだ。ルシアン・カーが、デビット・イームス・カマラーを殺害した事件で、本著はその事件をベースにして、知人であるケルアックとバロウズが章ごとに書き繋いだ作品だ。カマラーはゲイで、25歳のときに知り合った11歳のルシアンに入れあげる。そして8年間の末、ルシアンに殺される。性的関係はなかったとされる。僕はゲイではないのでその点だけはわからないけれど、カマラーのことを「煩わしいが利用したい部分もあり頼らざるを得ない部分もある」と見なさざるを得ないルシアンの困惑はちょっと判らないでもない。そこにゲイという要素が絡めば一層ややこしくなるのは自明だろう。でも、これって、言ってみれば普通、自分の親に対して誰しもが抱く感情だと思う。その依存の対象が自分の親ではなく、性的に倒錯した男性だったところに、ルシアンの中でも無理が溜まっていったんだと思う。そして、ビート・ジェネレーションの一味は、バイセクシャルが珍しいことではない-というより、「それがどうしたの?こんなの普通のことだよ」と言いたがってるように見える。
 1972年に生まれて現代を生きている僕にしたら、「そんなに壊れたいんならさっさと壊れてしまえばいいじゃん」と唾を吐きかけたくなる。その倒錯した破滅的な魅力というのはもちろん判らなくはないんだけど、壊れたがってるくせにうじうじ生きているようなヤツが僕はいちばんしょうもないと思うのだ。何かを壊したいと思ってるならまだいいけど。後書にも書かれていたけれど、この本の一番の無理は、「ストーリーの起点がカー・カマラー事件」であることだ。始まりを終わりに持って来ざるを得ないプロット。それって何のための始まりなの?とプロットにさえ突っ込みたくなる。
 僕は既に、雰囲気だけで耽美できるような時代も頃合も年齢も通り過ぎて今を生きているので、このビートジェネレーションの時代の魅力を今更学んで耽ることはできないと思う。自分が実際に生きてきた時代の懐古なら出来ると思うけど、その魅力の根本が全く自分の性に合わない時代の魅力にはもはや理解を示せない。『そしてカバたちはタンクで茹で死に』というタイトルの元になった場面が作中に出てくるけれど、「カバたちってのはつまりビートジェネレーションの仲間全体だろう?」と邪推しても、「ただのラジオ放送からおもしろいと思って引っ張っただけ」と言い返すくらいだろうし。

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2010/06/13

『下流の宴』/林真理子

4620107530 下流の宴
毎日新聞社  2010-03-25

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 絵に描いたような中の上家庭を築いた福原健治と由美子の息子・翔は、高校を中退してバイト暮らしをし、取るに足らない親子喧嘩の末に家を飛び出したと思ったら、20歳の折、22歳の珠緒を連れ、「結婚する」と言いだす。自分は漫画喫茶のバイトの身、相手の珠緒も同じバイトの身と言うのに…。

 医者の家庭に生まれ育ち、プライド高く育てられたおかげで、「自分たちの生きる世界は、あんたたちとは違うのよ」という意識丸出しの由美子に見下された悔しさから、「医者になる。そのために医学部に入る。」と一大決心をし、2年かけて見事合格を果たす珠緒の物語が主軸で、立身出世伝としては至って普通なんだけど、通信教育のやり取りとか、ディティールが効いてて珠緒を素直に応援しながら読めるし、こういう「やってやるんだ」という意思が大切なんだと感じれる。
 けれど一方で、ふがいないとバカにしながらも、翔のスタンスを全否定はできない自分がいる。翔は言う。「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ」。親にうるさく言われた子どもが「わかってるよ!」という、そんな心性から全然成長していない。していないけど、自分もおんなじじゃないか?と寒々としてしまう。そんなに先のことも考えてないような気がするし、難しい局面からは常に逃げようとするところも同じなような気がする。そして、珠緒の合格を見届けた翔は、「努力する人って、重苦しいんだ。」と言い放つ。それも、穏やかに、大人びた微笑を浮かべて。

 これはどういうことなんだろう。努力する人って重苦しい、というのは、かすかに理解できてしまう。言ってみれば「キリがない」のだ。努力して上に登り上に登り、一体いつまでやればいいんだ?というのが見えない世の中だから、最初から諦めてしまうのだ。それこそ健治や由美子の世代の世界には、「あがり」があった。上る途中で失敗し、そこで停滞してしまっても、あくまで「停滞」であり「停止」であって、「転落」はない。けど、現在は、健治と由美子のもうひとりの子どもである可奈の夫・北沢がうつ病になり解雇されるように、失敗は「停滞」では許されない。「喪失」に繋がるのだ。努力して上に登っても、資本主義の成長と破壊よろしく、「喪失」してしまうところまで上に登る努力をせざるを得ず、その努力を怠ることは許されない。つまり「キリがない」。そして、翔のような人間が生まれてしまう。それを見抜いていたのは健治だけのような気がする。つまり、「おそらく奮起、なんてことと一生無縁に暮らしていくんだろう」。

 こういう人間を生み出してしまうのは、由美子のような偏った価値観だ、と断罪するのは簡単だけど、どうも座りが悪い。林真理子の作品を読むのは初めてだったんだけど、優れて現代小説で面白かった。

 

p38「自分たちは競争激しくて、受験勉強大変だったから、子どもたちにそんな苦労はさせたくないからって、個性だとか、自分の好きな道を、なんてやってたら、子どもはみんなニート、ニートなのよ。」
p49「社会人となれば、学生時代よりも1ランク、2ランク上の相手が見つかるに違いない」
p100「OLとの差は、こうしたちょっとした小物で決まるのだ」
p115「何かの調査によると、今の二十代の四割が、親の水準以上の生活はおくれないという」
p118「お金と縁のないくせに、お金を追っかけると品が悪くなる」
p139「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ。そういうこと」
p232「それは社会から受ける信用と尊厳というものだ。」
p304「人のやること見て、励ますなんて、マラソンの沿道で旗ふってるだけの人だよ。自分で走らなきゃ、何の価値もない。だけどもうじき、あんたにも走ってもらうかもしれない。」
p346「どうせみじめな老後が待ってるんだったら、何をしても同じだね、なんていうのはさ、まるっきり違うと思うよ」
p412「あなたっていつも、他人ごとのように言うのよね」

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