2017/09/17

『フクシマ6年後 消されゆく被害――歪められたチェルノブイリ・データ』/日野行介 尾松亮

440924115X フクシマ6年後 消されゆく被害――歪められたチェルノブイリ・データ
日野行介 尾松亮
人文書院  2017-02-20


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 筆者が問いかけると、 「偏りも何も僕らは中立機関でも何でもない。僕らが支援をやるに当たって知りたいと思った情報、政府の施策推進に当たっ て参考になる情報を得るための出張だ。出張報告なんてすべて公表するルールはない」 菅原氏は新年7月、事務次官に昇任。 ついに位人臣を極めた。 これまで紹介したとおり、支援法は悲惨な末路をたどった。


 文字通り「愕然とする」記載だった。森友疑惑の渦中の佐川宣寿氏の国税庁長官栄転と同じことが、東日本大震災の支援活動の中でも起きていたのだ。それも国の負担を減らすための改悪の方向で。アベノミクスが続いてほしい財界が安倍政権が倒れないように佐川氏を支援し、同じく政権が倒れてほしくない財界と原子力技術者の国外流出の防止を建前に振り回す財界が菅原氏を支援する。

 国際科学技術センター(ISTC)が核技術者・関係者の立場の保護と、核技術者の非核保有国への流出を防ぐため、原子力利用が下火にならないように、フクシマの被害を過小評価するキャンペーンを張った。政府はそれに乗った。東芝がメモリではなく原発事業を守らなければいけないのもたぶんここに通底するのだろう。

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2017/02/05

『ホワット・ア・うーまんめいど ある映像作家の自伝』/出光真子

4000021087 ホワット・ア・うーまんめいど ある映像作家の自伝
出光 真子
岩波書店  2003-06-28


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  • 『海賊と呼ばれた男』が例によってもてはやされそうなので、そんな人物ではないというのを見聞したことがあって、その参考書籍で挙げられていた実子の著書をちゃんと読んでみようと手に取った。「そんな人物ではない」の実例としては、「社会党委員長の浅沼稲次郎が、演壇で右翼の一少年山口二矢に刺殺された事件について、父は犯人の山口二矢をほめたたえた」と「父の口癖、「女、子どもには分からない」」の二箇所を挙げれば十分だと思う。
  • かつてのアメリカが、かつての日本なみに妻が夫のホスト役だったこと。毎度毎度だが、「アメリカ的な」「日本的な」の無意味さを思う。
  • そして、著者が女性の権利に執着しているように見えるのも、実は女性に特有のことでもないし、日本に特有のことでもないよ、と逆説的に思えてくる。
  • ただ、最終章のストーカーまがいの輩に対する徹底抗戦の姿勢は絶対的に肯定されるべきものと思う。
  • それにしても、一定以上の社会的地位と言うか経済環境と言うか、そういう層に暮らす人達の家庭感というか性観念というかはなんでこんなに常軌を逸してるんだろう。

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2015/09/06

『ロジ・コミックス ラッセルとめぐる論理哲学入門』/アポストロス・ドクシアディス,クリストス・パパディミトリウ,アレコス・パパダトス,アニー・ディ・ドンナ

448084306X ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 (単行本)
アポストロス ドクシアディス クリストス パパディミトリウ アレコス パパダトス アニー ディ・ドンナ 高村 夏輝
筑摩書房  2015-07-23


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 「論理で世界を理解することはできないかもしれない。それでも論理は人間が世界と向き合うための、最も強力な道具である」。ラッセルが科学という論理に一度絶望しているからこそ、この言葉に力強さが籠るのだと思う。ラッセルはラッセルのパラドックスによってフレーゲに対して、そのラッセル(直接にはフォン・ノイマン)はゲーデルの不完全性定理によって、そして弟子のウィトゲンシュタインは戦場という極限状態によって、論理に絶望する。とりわけ不完全性定理と、ウィトゲンシュタインが戦場で至った境地ー「世界の意味は、世界の内にしか存在しない」の共通性は、こうやって書くだけで自分も絶望の淵に成すすべなく落ちてしまいそう。もちろんここにはラッセルのパラドックスも連想させるものもある。

 どんな体系をもってしても、必然的に不完全であり、解答不可能な問題が必ず存在する。日常の生活に照らし合わせてみればこんな当たり前のことはないのに、論理の上での話になるとこれほど絶望を感じるのは、人は論理にそれほどまでの力を期待してやまないということなのか。しかし、既に「解答不可能な問題が必ず存在する」とすでに発見された後の世界に住んでいる我々は、「それでも論理は人間が世界に向き合うための、最も強力な道具である」という言葉を忘れずに生きていかないといけない。

 もう一つ、本著で学べたことが、アメリカの「孤立主義」。1939年、アメリカ国民は世界大戦への参戦に反対する国民が大多数だったということ。本著での言葉ではあるけれど、国民が持つプラカードのひとつに、「やるべきことは国内にある」「国外で死ぬのはごめんだ」と書かれている。この姿勢は、現代日本で安保法案に反対する姿勢と、類似すると見ることもできる。

 現実にはアメリカは参戦し、戦後は世界の警察の役割を自任するようになり、その役割から降りようとしているのが現在言われていること。本著ではアメリカ国民が「孤立主義」であったその当時、ラッセルが公演において、ナチと戦うためにアメリカに参戦を呼びかけるような演説をしたと描かれている。

だがこれだけは申し上げておきたい、この部屋にいる皆さんと同様、私も懸命に平和主義者でいようと努めています。しかし、ヒトラーとスターリンに欧州を支配されるのは、どうしても耐え難い!

 現代において、ヒトラーとスターリンに匹敵するような脅威が存在している、または出現する可能性があるということで、積極的に海外に軍事力を展開可能とする、ということを、本著のラッセルの演説から導けるのか?本著はこれに対してラッセルにこう答えさせている:

あなたの答えは?

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2015/05/31

『遠いつぶやき』/池上哲司

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奈良県立図書情報館乾さん が、『不可思議な日常』を真面目に読んでくれたので、ということで、特別に送ってくださった『遠いつぶやき』。乾さんが編集を担当されたということで、正直「編集」という作業がどういう作業なのか未だに実感できていないけれども、これは初回はまず一気に読んで全体的な感想を持って、それからひとつひとつを丁寧に読みたいなと思い、頂戴したのがGW連休前だったので、まず連休中に時間を取って一気に読み終えました。

読後感で頭に残されているもので一番大きなものは、「道筋立てることの虚しさ」みたいなもの。私はシステムエンジニアとしてお客様に提案をする仕事をしているので、原則ロジカルに筋道を立てた説明が必ず必要となる仕事をしています。池上さんの書かれたものというのは、『不可思議な日常』を読んだときも感じたことで、他の哲学者の書かれたものに比べて、筋道の積み上げ型が丁寧で細かくて強固に感じます。他の哲学者(特に海外のーそれは翻訳でしか読めないからかも知れませんが)のは、生み出したこれまでにない新しい「概念」に寄りかかるというか、誰でもわかる言葉で積み上げた結果、説明しうる一つの結論に辿り着く、という印象に薄いのです。池上さんの文章は、およそ誰でも理解できる言葉とロジックをこつこつ積み上げる思索を追うことができるのですが、そういうスタイルというかプロセスというか、それを最近の世の中があまり聞く耳を持とうとしないように感じていることを逆に思いださせて虚しさを覚えるのでした。私の仕事でも決してロジカルであることでお客様が受け入れてくれる訳ではないですが、その程度が年々ひどくなってきている気がします。何か「飛び道具」を求めているというか、いつの間にか日常語になってしまった「サプライズ」がないといけないというか。それも確かに認めないといけないのですが、そこもバランスと程度があると思うのです。そしてシステム提案についてだけでなく、日常生活においても、筋が通っていることを許容しようとしない空気が蔓延しています。どれだけ感情的に受け入れづらくても、筋が通っている以上いったん腹に落とさなければいけない、という、「大人の姿勢」というのはどんどん忘れられていっているように思います。池上さんの書かれた文章の背景は、そういうものを浮き彫りにします。

この読後感を大事にしながら、今度はひとつひとつをじっくり読んで考えてみようと思います。

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2015/03/07

『沈黙』/遠藤周作

4101123152 沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社  1981-10-19

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フェレイラの棄教の理由について。直接的には拷問を受ける信者が、自分が棄教しなければ助からないという状況において、神に祈ったものの沈黙を通されたので棄教したと言っている。その一方、フェレイラは日本人の基督信仰において神は教会の神ではなく、日本人の都合のいいように屈折させられた別物の神であり、日本には基督教は根付かなかったし根付きようがないと言っている。しかし、信者およびフェレイラが拷問を受けるような状況に陥ったのは日本人が基督教を正しく理解しなかったからというよりは、日本の権力側政治側の都合の問題で、信者がどのように信じていようとも起きた拷問だったと言える。そう考えると、フェレイラの棄教に至る心境のプロセスは認めがたい。日本の信者の基督教が協会の基督教と異なると言い切るのであれば、信者の拷問に呵責を覚える必要はない。拷問を受けているのが信者であろうとなかろうと自分のせいであるならば救わなければならないというのであれば、棄教を選ぶことに躊躇いはないはず。フェレイラの日本における基督教の屈折化の説明は、とてもいい訳じみて聞こえる。

確かに、日本人は命を賭してまで守らなければいけない「信条」といったものをあまり持たない国民ではないかとは思う。ロドリゴは最後まで殉教について悩んだけれど、それは神が絶対だからであって、「神に祈る」という言葉の重さ自体、基督教信者と私との間ではとんでもなく大きく開いている。それでも、命を賭してまで守るものがあることが是か非かというのはとても注意して考えなければいけないことだと思う。それによって自分の命も他人の命も粗末にすることが、誰かの幸福につながることが決してないと思うから。

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2015/01/11

『新・戦争論』/池上彰・佐藤優

4166610007 新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)
池上 彰 佐藤 優
文藝春秋  2014-11-20

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 池上彰氏と佐藤勝氏の書籍は、衆院選前にどの書店に行っても目立つところに置かれていて、選挙前に読みたかったのだけれど果たせず、ようやく読めた第一冊目。

 民族・宗教の基礎知識に始まり、欧州・中東・朝鮮・中国・アメリカの現在の問題の読み解き方を対話形式で解説。情報の密度が高いので頭に入れるのに苦労しますが読みやすい文章なので読み進めるのに苦労することはありません。一歩踏み込んだ、戦略的な読み解き方をする技法をガイダンスしてくれるような内容です。

 最も印象に残ったのは第2章「まず民族と宗教を勉強しよう」の中で、佐藤氏が、イスラエルのネタニヤフの官房長を努めた知人の話を紹介しているところ。「国際情勢を見るときは、金持ちの動きを見る」という話。金持ちは、その時代その時代で、自分の資産を保全するための最善の策を模索し打っている。現代は、直接社会に還元するパイプを作ってしまっているので、再分配が偏るし国家も介在できない。この話は、ピケティの『資本論』に照らして考えられそう。もう一つ、ナショナリズムは社会的に持たざるものの上昇回路、という話は、富が集中し格差が拡大・固定した結果、社会的に持たざるものがナショナリズムによって先鋭化する、としても、今の日本の政治状況はナショナリズムが、格差拡大を志向する現政権を支える結果になっている、このメカニズムを考えるのも面白そう。

もう一つ、ピケティの解説書『トマ・ピケティ『21世紀の資本論』を30分で理解する!』でも、本著のあとがきでも、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は間違いだった、と断定されているところに、日経新聞でフランシス・フクヤマがインタビューされていた。ちゃんと突き合せて考えてみよう。

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2014/08/31

『野望の憑依者』/伊藤潤

4198638225 野望の憑依者 (文芸書)
伊東 潤
徳間書店  2014-07-09

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 期を同じくして目に入った「悪を描く」という書評二冊、『弾正星』と本著。私は所謂「ピカレスク・ロマン」というジャンルはあまり好みではないけれど、同時期に類似の作品が紹介されるということは、世間の流れがこういうものを求めているということと思い、その「ピカレスク」の趣向を知るべく読んでみることにしました。

 本著は主人公が高師直、足利尊氏の側近として謀略を尽くして尊氏を押し上げ成り上がっていく極悪人というのが一般的な師直像。天皇も南北朝に、武家も幕府と反幕府に、おまけに足利家も兄弟で、と敵味方が入り乱れる南北朝の乱戦を背景に、師直が非情に成り上がっていく筋は飽きずに読み進められるのですが、「悪の中の悪」というストーリーかと言うと、どちらかと言うとステレオタイプなストーリーではないかと思いました。年を取るうちに、女性と出会ううちに、だんだん角が取れて丸くなって、それが仇となって・・・というような。おまけにその仇の張本人の顛末のオチもステレオタイプというか。「こんな悪いヤツいるんか!!」という、心底怖くなるというタイプのストーリーではなかったです。

 本著と『弾正星』、「悪の中の悪」と謳っているけれども人物造形は既視感のするもので、時代モノなので当然なのかも知れませんが斬新さはあまりありませんのでぞくぞくする怖さみたいなものはありません。それより、この二冊に共通するのは、「悪の中の悪」ではなく、「誰かを裏で操る者」というところ。この二冊が同時期に注目されているのは、悪を求めるということよりも、「表に出ずに、安全なところから好き勝手したい」というのが世の気分ということを示しているのかもと思いました。

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2014/08/15

『ITビジネスの原理』/尾原和啓

4140816244 ITビジネスの原理
尾原 和啓
NHK出版  2014-01-28


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 「そしてインターネットは、人を幸せにする装置へ」-こんなことを書く本というのはだいたい著者が関わる何かへの利益誘導を目的としたもの。それもタイトルとは無関係な。そういう意味では本著はその典型的なもので、「ITビジネスの原理」という、ITビジネスの構造と利益源泉が読めば分かるような期待を抱かせておいて、その実、内容は著者が転職した楽天が、amazonとは違うショッピング体験を追求してるんだよ、楽天のショッピング体験のほうが優れているといえるのはこういうことを考えてるからなんだよ、と、「ハイコンテクスト」で洗脳しようとして終わる、という内容です。しかも、途中にgoogle glassを噛ませて、ちょっと間違いかもと疑わせる囮を仕掛けておいて視点をずらすという念の入れよう。IT関係者にとっては読む必要はあまりないと思います。

 特に問題があると思った2点:

  • クラウドソーシングに関して、ネット時代は時間が細切れになるので、その細切れな時間を有効活用しなければいけない、有効活用できるクラウドソーシングが有用だというロジックは分かるのですが、議事録の例えで優れた仕事をやる人の単価は上がっていくとありますが実際はそうはならない。なぜなら、その優れた仕事をやるクラウドソーシング上のマーケットも当然存在するからで、その人はそのマーケットの価格と戦わなければならないから。今のところ、クラウドソーシングマーケットというのは工数単価に落とし込めるようになったワークがたどり着くところ。
  • グローバル企業は英語よりも非言語化を志向しているので、言語を介さないほうが、ハイコンテクストなコミュニケーションが楽しめるのではないか、とあるが、これは完全に矛盾していると思う。非言語化されたところにコンテクストはない。1枚の写真がどれだけ芳醇な意味を提示しうるとしても、そのためには言語が必要になる。

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2014/06/07

『日本の論点』/大前研一

4833420627 日本の論点
大前 研一
プレジデント社  2013-10-10


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最近少し、時事問題に関して発散的というか散発的というか、ニュースで見て場当たり的に考えてそれで済ましてを日々繰り返して、「中長期的に何を考え続けないといけないんだろう?」という思考能力がやや低下していたので、論点整理された書物を纏めて読んでみたいと思いまずピックアップしたのがこれ。文藝春秋の『日本の論点』でも良かったんだけど、まずは少なめの量のものを。

頭に残ったポイントは2点:

  • 税制改革。所得減・人口減の社会では、金融資産・不動産などの資産課税が有効。フローではなくストックに課税する。
  • p185「今、除染の限界線量はどんどん下がり、逆に除染費用はうなぎ上りに上昇している。こうなると巨大な除染産業が勃興してきて、かつての自民党政治時代の砂防会館に象徴される「砂防ダム」のように、ホットスポットを見つけてきては予算を分捕る「利権化」が起きてくる。その利権の強い味方になっているのは、乳飲み子を抱えた母親であり、「校庭で遊べない子どもが可哀そう」などと騒ぐ親へのインタビューを得意とするマスメディアである」
資産課税に関しては、本著の03で書かれている「お金は使うべき」という論旨とも整合していた。どうしてもお金を使うことを推奨するスタンスに躊躇はあるけれど、やはり要は「使い方」なので、お金を貯めこむ層によって日本経済が歪んでいるとすれば、お金を使う方向に誘導するために資産課税を強化するのはよいと思う。

除染利権化に関しては、まず線量に関していったい何が正しいのかはずっと見続けないと分からないことなので簡単なことは言えないけれど、この文章を読んで真実だなと思ったのは、情緒的であることが社会を悪くすることは少なくないということ。過ぎたるはなお及ばざるが如しという諺もある。誰も反論できないような訴え方をする言説というのは大抵の場合害悪だと思ったほうがいい。

その他に考え続けたいと思ったポイントは:
  • 「安倍自民党政権がうまくいっているように見えるのは、中央の役人を上手に使っているからで、改革にはほど遠い。中央省庁を解体するか、すべての利権と権限を剥奪するくらいのことをしなければ、無血革命にはならない。中央集権を是としてきた自民党政権にそんなことできるわけがない。安倍政権にできるのは、せいぜい中央省庁の利権を奪わない程度に分け与えるお目こぼし「特区」くらいのものだ。したがって安部首相は改革者にはなれない」
  • 国民医療費の問題
  • 憲法96条について

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2013/12/08

『41歳からの哲学』/池田晶子

4104001066 41歳からの哲学
池田 晶子
新潮社  2004-07-17


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41歳の今、どういう訳か中途半端な「41歳」からの哲学、というタイトルを見つけて即借り。2004年の本なのでちょうど10年前。取り扱っている出来事も『バカの壁』や年金法案、デジタル放送や北海道地震等々並んでいて近過去を振り返るいい材料でもありました。特に北海道地震に際しての下りについては、東日本大震災を経た今、著者がどんなことを地震に対して言うのかとても興味があるし、たぶん深刻な被災者ではないと思われるので、本当に東京に大地震が起きて被災した際に何を言うのかにも興味があるが、それ以上に「北海道地震のときよりも東京での大地震の実感が高まった」のかどうかとそれについてどう言うのかに興味があります。

さて本著については頷けるところと頷けないところがはっきり別れ、しかも頷けるところも頷けないところも非常に大きいのが印象的でした。しかも頷けるところは主に「生死」に関するところ、頷けないのが「テクノロジー」に関するところ、というのが面白い。
  • 死は観念でしかない。自分の死は体験できないのだから、動物には死は存在しないし、死を恐れてもいない、人間は観念として自分の死を所有している。この説明は、今までいろんなところで触れているはずなものの、最もすとんと頭に入ってきた説明だった。
  • 「おそらくそれは、大学紛争のせいである」大学がなぜ愚者の楽園になったのか、そして大学では学問を教えるのではなく商売の仕方を教える、または商売そのものをしろというようになったのか、その原因を「大学紛争のせい」と断定している。これはその通りだと感じる。その通りだと感じる理由は本章で続けて書かれている通り、「反体制と金もうけとが、どんなふうにアウフヘーベンされたものか、一度きっちりと自己批判して頂きたい」ということに尽きる。自分たちで学問を破壊しておいてその反省もないから大学は愚者の楽園になるより他になかったし、学問を破壊するような、学問の価値を分からない人間だからこそ大学に対して「役に立つこと、つまり金もうけに直結することをやれ」としか言わない。
  • デジタル放送にしろケータイにしろ電子メールにしろおよそ新しいテクノロジを「不要」「人を馬鹿にするだけのもの」と切って捨てているが、私はこの手の言い分は間違いだと思う。それならば書物だって不要だとされた時代があったのだ。言葉は人の口から出てくるものだけが言葉そのものであって、書き残す言葉というのは何事か、と。それにテクノロジが不要だというなら人間の歴史の中で火ですら、無かった時期と使い出す時期の境目はあり、そこでは火の使用に対する抵抗があったはずだ。自分たちが生きる時代に新しく生まれたテクノロジにのみ要・不要を向けるこの手の言い分は間違っていると思う。
  • この本の一番の問題点は「言葉は交換価値ではなく価値そのもの」という部分。これは記号論から学んだ知識と激しく対立する。敢えて記号論を持ちださなくとも「言葉は言葉自身で価値を持つ」という言い回しそのものに危ういものを感じずにおれない。あるものがあるものそのもので価値を持つという考え方は、言葉に対しても当てはめるべきではないと私は思うので、その理由付けを記号論関連書籍を再読しながら考えたい。

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2013/05/08

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「渦巻き猫の死」
本著で初めて、「なぜ著者はこの話を書いたのだろうか?」と思った。この話が必要なのか?という意味ではなくて、話としては胸の奥底に触れてくるものがあって、いい話を読んだと思ったのだけど、含意が読み取れない、という感じ。こういう、ぼんやりとした、切ない空気を感じるだけでよい話なのか。なぜ渦巻き猫が中心だったのか。

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2013/05/07

『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』/翁 百合 西沢 和彦 山田 久 湯元 健治

4532355435 北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか
翁 百合 西沢 和彦 山田 久 湯元 健治
日本経済新聞出版社  2012-11-16


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  • 最も印象に残ったのは、今までやってきたことをいかに止めるか、その止めやすさの醸成がカギだということ。
  • TV番組で、フィンランドの子どもたちの「将来どんな仕事をしたいか」の第三位が「なにもしたくない」だったというのを聞いたから、世代によって柔軟に変更していかないといけないということだろうか。

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2013/05/06

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「高遠の桜と下町の祭り」
桜や祭りと言った、楽し気な事柄が辛く悲しいことを連想させるとしても、その連想によって誰かと繋がっているという考え方はとても心持を落ち着けてくれる。自分がどのような時間を歩んできたかは、自分の胸の中にしかほんとうはない。だから、何かのきっかけで誰かを思い出すのだとしたら、そのきっかけは大切にしたほうがいいと思った。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「一瞬の映像」
ここ最近、落車や事故が重なっている。それでふと、何かあった時の瞬間ってこういう感じだろうか、と想像してみることがある。特に先日事故にあった瞬間は動画で記録していたこともあり、繰り返し見て想像している。そうこうするうちに慣れていくので、落車や事故は痛いものだけれども役に立つところもあったと思う。その一方で、転倒したりするときは映像がゆっくりになるとよく言うが、最近、あまりそうでもなくなり、記憶もそれほど明瞭ではなくなってきた。これはたぶん、あまりによく転倒して珍しいことではなくなってきたので、緊急感が薄れて、潜在的な視力が引き出されないようになったんじゃないかなと勝手に思っている。何でも慣れればよいというものでもないらしい。

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2013/05/05

『地図になかった世界』/エドワード・P・ジョーンズ

456009019X 地図になかった世界 (エクス・リブリス)
エドワード P ジョーンズ 小澤 英実
白水社  2011-12-21

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 奴隷制度が存在している南北戦争以前のヴァージニア州マンチェスター群が舞台ということで、奴隷制度の不条理や非人間性に焦点が当てられているのかと思いきや、読んでいると奴隷制度への抵抗が荒々しく胸に燃え上がるような感じではなく、逆に、登場人物たちがみなあまりにも「奴隷制度」を当たり前のものとして生きているので、その制度枠の中でどうやって生きていくのか、という視点で読み進めることになる。奴隷制度に対する批判といった、お説教なところはほとんどない。悪事を働いた人物がストレートに懲らしめられるような展開でもない。でも、奴隷制度下の親子世代に渡る長いタイムスパンが、大河ドラマのように展開していく。
 いちばん印象に残るのは、何度も「法律」が登場するところ。奴隷制度が登場人物にとって当然なのは、法律がそう定めているからだ。だから「法律」は絶対で、登場人物はみな「法律」の順守に強い意識がある。日本はこういう感覚が凄く薄い気がする。法律であっても、皆であつまって決めたことでも、簡単に破る傾向にあると思う。「決め事」に対するこの感覚の違いは、日本式のほうが分が悪いと思う。
 後半で自由黒人の奴隷であるモーゼズが「自由」に対して執着するところが、奴隷制度への不条理感を炙り出す。それでも、それも世界の一コマ、という描かれ方が貫かれるところが、この小説のスケールの大きさだと思う。

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2013/04/24

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「桜餅」
見返りを当て込んでの行い程、みっともないものはないと思う。自分がやるのも嫌だし、少ないにしてもやられるのも嫌なものだ。どのような人間関係においても、損得が頭の中にあって為される行いは、致し方のない面は認めつつも、それによって好悪が著しく変わることのないように気を付けている。ビジネスにおいても、特に「日本的」と言われる、売れる・売れないに関わらない長期的な関係によって信用を図るという慣習があり、外資系の風習としては、利益の上がらない長い期間を過ごすよりも、その間にわずかでも利益の上がる関係を優先するという思考がある。それはあくまでビジネスの上の話だからという言い方もできるけれど、人間の生活というのは基本的にはビジネスの上と差はないと思う。だからこそ、見返りを念頭にしないという行動様式が意味を持つ。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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『ハイラム君乾杯』
形を残すということに、プラスの評価を与えるか、マイナスの評価を与えるか。形を残すことに拘ったり、有形のものを有難がったりすることを良しとしない考え方も理解できるけれど、残された何かによって勇気づけられたり励まされたりする純粋な気持ちも事実存在する。そういう形は、残されることを欲したり望んだりしていない記録なのだと思うし、パッと見てその空気を見抜ける目を持ち続けたい。

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2013/04/07

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「辛い決断」
自分がどういう状況に置かれるかはほとんど偶然的だけど、その状況にどのように対応するかには自分の意思が関与する。この、「運命」という言葉と近似値の「状況」に対して、「どのように対峙するか」という意思だけは自分で選びうるからそこに意味はある、というのが生きることへの原動力だったのだが、僕の中のこの価値観に決定的な一撃を加えたのは「ディスクール」だった。今、ふたたびこのテーマを考えるときが来たように思う。

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2013/04/06

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「老いの効用」
若く活動的だったころには無意味と思えたことに取り組める。それが老いの効用だと説く。確かに若い頃には拘ってきたことが、歳を取るとどうでもよくなったり、逆に若い頃はどちらでもよかったようなことが、執着してみたくなったりすることはある。その時々の自分のセンサーに自覚的であることが必要だと思った。

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2013/03/25

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ペットロス症候群」
「独りで生まれ、独りで死んでいく。その束の間の生を我々は他の人、犬、猫と共に生きているのである」。他人との関わり方は考えれば考えるほど難しい。自分の胸のうちが求めるがままでもよくないし、距離を置き過ぎてもまたよくない。流れに任せるだけでもよくない。そういった諸々を考えつくしながら、最終的には何も考えなくても理想の振る舞いになるように鍛錬する道はいばらの道だけど、選びたい道でもある。

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2013/03/24

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「日めくり」
生死を、時間を自分個人のスケールだけで考えると恐怖心から抜け出せなくて、著者が「生命の時間」と呼ぶ、大きなスケールの時間で考えることができればひとつ死生観を脱皮させることができることは頭では理解できているものの、それを頭で考えなくても使いこなせるようになるには相当の時間を要すると思われる。

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2013/03/17

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ヤ行上二段」
老ゆ悔ゆ報ゆ。これからの自分の戒律にしたいくらいの連語だと思う。老いたものは家族の負担となるが、その負担を乗り越えるための発想は、自分もこの先老いるから、という発想ではなくて、老いを丸ごと受け入れ肯定するのだ、という著者の訴えは全くその通りだと思う。これは似ているようで全く違う。単なる思考の省略のように一見見えて全然違う。何かの役に立つことだけが存在価値なのか、という問いに対しても著者は答えを述べている。常に何かの役に立つことを求められるような企業という存在や、社会起業なんて言葉が市民権を得るくらい「有用」を求めてくる社会に住んでいるとそれはなかなか難しいことだけど、僕は、自分に当てはめられる価値観を、他人には強制しない、というところまでいかないといけないと思っている。

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2013/03/13

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「友人の死」
自分の死を突き詰めて考えることはあっても、身の周りの人の死を突き詰めて考えることは恐くてなかなかできない。よくやっても、いつかはお別れするのだから後悔しないように、というところで止まってしまう。やってきたその時にその時をただ自然と受け入れればそれでよいのかもしれないが、準備を整えるというのではなく、そのことそのものをできれば考えるような日常を生きたい。

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2013/03/12

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「百年後」
”自己の死は他者の死によって形づくられる” 自分の死は経験することができない、他者の死の経験から想像するしかないと言われるが、僕はその「自分の死の一秒前の自分」を想像して恐怖に怯える瞬間が度々やってくる。この時間軸のとらえ方の延長線上に、百年後千年後一万年後のこのあたりや日本や地球を想う感覚や、百年前千年前もっと前の自分のご先祖はいったいどんなことをやってどんなことに泣いてどんなことに笑って生きていたのだろうと想像する感覚が含まれている。

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2013/03/09

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「閉じ込められた時間」
三つ子の魂百まで、をどうやって乗り越えるかを長い間自分の課題としてきたが、それは自分が非常に意地汚い性分なので、如何に自分を改善し成長するかに焦点を置いてきたから。そういった改善すべき人間性を改善することはもちろん続けなければいけないものの、そればかりに意識を向けることによって、自分の持つよいところを伸ばす、という意識が足りなくなることもあるというのが、この年になって判ったことでもある。そういう意味で、自分のなかの閉じ込められた時間を、単に懐かしんだり、それに捉われるのではなく、大事に扱う方法というものを覚えていきたい。

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2013/03/06

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「一月後れのエール」
"人の生は絶対的に孤独である。しかし孤独な生を生きるということにおいて、われわれは仲間である" 私はこの言葉の意味を理解できていると思う。

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2013/03/05

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「トラーの納得」
自分も生家を売るという経験をしているので、著者の次女さんの気持ちが判る。自分は既に25,6歳になっていて、家を出て独立していたのだけど、寂しい気持ちがあった。小学5年生くらいまでの、たった5,6年の間、年にそう何回も来た訳ではない離れていた祖母とのその生家での思い出を思い浮かべていたのだ。父母はもともとその地の生まれではなく、念願かなって故郷に引っ越せるとあって喜び一辺倒に見えたのが自分の寂しさに拍車をかけていたのだと思う。我慢に我慢をしたが我慢しきれずその思いを述べたときの両親の態度に自分も納得することができた。
余談だが、あれはトラーじゃなくてティガーだと思うのだが、日本語版ではトラーというのだろうか?だとすると、ピグレットはなんて言うんだろう??

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『CIOのITマネジメント』/NTTデータ経営研究所情報未来叢書

4757122098 CIOのITマネジメント (NTTデータ経営研究所情報未来叢書 1)
NTTデータ経営研究所
エヌティティ出版  2007-12-25

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この種類の書籍を読むのが難しくなったと感じた。内容的にはタイトル通り、CIOのITマネジメントについて網羅的に語られていて、タイトルを見て知り得ると思った内容は読めるけれど、これからCIOになるという訳ではなく、CIOがどのような業務を遂行しているのか、知識を増やし定着する目的で読もうとすると、あまり頭に残らない。それを、「実体験していないことは所詮定着しない」と実地主義で片づけるのは簡単だけどそれでは成長に限界がある。

もう社会人2、3年目くらいからずっと感じていることだけど、自分がコンタクトする相手との距離が、近すぎるか遠すぎるかのどちらかで、ちょうどよいということがない。極端に言うと、CIOと担当者、という二階層の組織に、世間がどんどん進行していったような感じがする。そこでCIOと会話をするためにはCIOを知らなければいけない、ということでこういった書籍を読むのだけど、確かにある程度知識は増えるが会話を伸ばす部分は微小。薄っぺらい知識で会話できるCIOにコンタクトすればビジネス上はある程度の成功を取れるかもしれないが、そういったことは目指すべきではないな、とこの種類の本を読むといつも自戒する。

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2013/03/04

『情報調査力のプロフェッショナル』/上野佳恵

4478490538 情報調査力のプロフェッショナル―ビジネスの質を高める「調べる力」
上野 佳恵
ダイヤモンド社  2009-03-13


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 プロのリサーチャーである著者が、「情報調査力」の磨き方について、物語風の表現を交えながら解説。マッキンゼーでコンサルタント相手にリサーチャーとして相対した経験が、一般的な情報調査力の解説書よりも話が深くなっている所以だと思います。

  • リサーチにはプランニングが必須。何のために調べるのか、ということと、どういう段取りで調べるのか。
  • 具体的にどういう情報源があるのかを挙げてくれているのがよい。
  • 調査は誰かに伝えて初めて意味があるもので、伝えるまでには取捨選択があり、それは「編集」に他ならない。

 「常に問題意識を持って」ということの意味が、一つ深く理解できたと思います。

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2013/02/18

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「台風の夜」
自分の立場や責任を自覚するタイミングを、クリアに覚えていることは稀なのではないだろうか。自分自身はなかなかそういうタイミングの記憶がない。もしあっても忘れているだけかもしれないが、忘れるということはやはりそれほど重要ではないと思っているということだろう。唯一、転勤を命じられそうになった昨年の出来事で、自分にとって何が大事か考え抜いたということが、少しだけ自分を変えたと思っている。

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2013/02/12

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「さまざまな二月」
場所や土地が呼び起こす記憶は多いのに対して、多々の記憶を呼び起こす特定の日時はあまり思い当たらないことに気付く。毎年必ず大きく体調を崩す月として心に留めている三月くらいかも知れない。この日はこの場所に必ず立つ、という習慣をもし持って十数年生きてきていたら、ずいぶん面白かったのかもしれない。

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2013/02/07

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「新年の朝」
どういう記憶を取捨選択するのかにフォーカスするのではなくて、残った記憶から自分がどういう人間かを見つめ直すほうが前向きというのは感銘を受けた。なるほど。自分もどちらかと言うとうまく行かなかったことばかりが記憶に残っていて、減点思考の人間なんだなと、悪いこととは思わないがいい気分でもなかったが、そこに色をつけるのではなく、フラットに使えばよいということに気付いた。

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2013/02/06

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「においの記憶」
においが記憶を引き出すというのは、結構多くの人が同感することなんじゃないかと思う。記憶がにおいを呼び起こすというのも。においは目に見えるものよりも耳に聞こえるものよりも、はるかに存在感の大きいものだと思う。日本はデオドラント文化と言われるが、出る杭は打たれる風潮と繋ぎ合わせて考えてみると、においを殺そうとする習性に深く納得してしまう。

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2013/01/31

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「セーターと沈黙」
モノを大切にすることの意味や核となる考え方が、今まで通りではやっていけなくなっていくのではと思っていたところに、この章は大きなヒントをくれた。それにしてもタイトルに「沈黙」をピックアップされるところが憎い。

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2013/01/29

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「家の時間」
自分にとってのくつろぎの時間は、誰かにとっての緊迫の時間かも知れない。時間だけに限らず、この視点はどれだけ気を付けていてもついつい忘れそうになる。忘れさせる最大の影響は、そういうことに無頓着な他人の影響だ。自分のことが蔑ろにされても、人に同じ気持ちを味あわせないように振る舞うのが「分」というものだと思う。

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2013/01/27

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「親不孝者の反省」
自分に無関係だと思われるものは記憶から切り捨てる、というところは自分にも思い当たるところがある。その事柄をなぜ無関係と判断するのか、というところで、冷たい人間だと思われる。この章ではそれは過去のことだから、という切り口で語っているけれど、自分の場合、必ずしもそうではない気がする。無意識にはできないことなら、意識してやるしかないと思う。

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2013/01/22

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「夜の散歩」
ないものはない。本著の中ではちょっと異端と言ってもいいくらい、筋書の巧みな章。その上素晴らしいと思うのは、事実描写のみで筆が感傷に流れておらず、かと言ってその事実をとらまえて説教を垂れる風でもないこと。なくなったものは、建物などの「モノ」ではない。かつては見ることのなかった光景-ホームレスや50過ぎの客引き-は、何かをなくしたから現れたものなのだ、と言っているのがわかる。

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2013/01/20

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「過ぎ去った時間」
共時と言われるとすぐに共時性と通時性を思い出してしまう。共時性と通時性の文脈で言うと、人はどちらかというと共時性のほうをより強く意識しているように感じる。これまでの積み重ね・蓄積を軽んじているように感じる。この齟齬はどこから来るのだろう?

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2013/01/14

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「チロと元ちゃ」
親戚に失踪してしまった人なんて普通にいるものか、と驚いたものの、自分の身の周りにもいろんな出来事はあり、大したことないとか大したものだとか、そういうことは自分の目線と他人の目線の狭間で常に移ろいでいるもので、固定的なものではないのだ。そうはっきり認識すること。これは佇まいを正すために身に取り込まなければならない考え方。

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『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「クラス会」
クラス会に出席してみようと思うことの意味を、普通はここまで徹底して考えるのは恐くてできません。今は交流の無い、昔の仲間と会うことにどれほどの意味があるというのか、薄らと判ってはいるものだから。そこを考え抜いて、ただ振り返るのではなく、今を起点にしてさらに未来を見ればいいというところまで発展してくれるところがありがたいです。

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2013/01/08

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「写真の不思議」
この文章が真宗の出版社から出ている本に掲載されているということを考えると奥が深い。人が人を認識するのは意味づける力による。だから、既にこの世に存在しない人のことを、思い起こせるというのは、意味づける力によるに相違ない。なぜなら存在しないものについて、語ることができるからである。だから、写真も写っている「その人」を想起させるからその人そのものということになる、と語っていて、ここが奥深い。

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2013/01/06

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「住所録」
紙の住所録は過去の住所も二重線で消されるだけで記録が残るが、パソコンの住所録は上書きされて過去の住所は消されてしまう、という点はITでの情報管理での基本的な考慮点で、現代では過去データも含めて要約せずにひたすら保存していく技術と環境も浸透しつつある。この章での指摘とは逆に、何もかも永遠に保存可能となったら、紙の住所録よりも優れていると言えるのか。この問いの立て方にどう答えるかによって、価値判断の本質を知ることができる。

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2013/01/04

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「自分の言葉」
言葉は必ず他人から与えられたもの。一方、流行語がなぜ発生するかというと、本質的に他人-自分よりも前の時代の人びとが引き継ぎで来た言葉言葉の意味形成が、同時代的に短期間で一気に形成されたというだけであって、他人から与えられる「言葉」の本質から何も外れていないとも言える。だから、流行語の意味・ニュアンスを、耳にしただけで的確に掴み取って的確に使えるほうが、言語に対する理解が深いということもできると思う。だから批判されるべきは、流行語を使うことではなくて、やはり、自分が何を考えたのか、考えているのかという、自分内部の言語と言語活動を持たないことだろう。

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2013/01/03

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「沈黙ということ」
ここで書かれていることに全面的に賛成しようと思った時に、自分の中で「待った」をかける主義主張として、国際化社会の常識という形で言われる「説明責任」というもの。つまり、「言葉で表さなければ理解してもらうことはできない。沈黙に意味はない。」という考え方。この罠は、ひとつはビジネスにおける言葉と生活における言葉は実は違うのだということ、もうひとつは諸外国では「黙って頷けば判る」というようなコミュニケーションが存在しないということはないという、文学の実例があること、この二つが分かっていれば回避できる。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「突然の電話」
電話の感覚はこれはもう世代の違いでどうしようもない。手紙が出来始めた頃だって、「手紙をよこすなんて横着せずに、会って話に来い」という人もいたはずだ。コミュニケーション手段というのは、時代と共に確実に変わる。ただ、どんなコミュニケーション手段であれ、相手の立場を慮る姿勢がなければ、そもそもコミュニケーションとして成り立たない。慮らなくてもよい相手なのかどうかを見極める力も必要である。

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2012/12/31

『あたらしい書斎』/いしたにまさき

年末年始休暇のタイミングで、部屋の組み換えを考えていて、本棚をどうしようか、というより本棚の存在そのものを考えていたところだったので、タイムリー。主な内容は、書斎とは何か、IKEA製品を使った書斎づくりの実践、デジタルの活用の3つ。概ね、誰もが薄々は分かっている内容だけど、形にして纏まっていることで書斎づくりに活かしやすくなっている。自分にとっては「書斎とは何か」という、「書斎の位置付け」が最も有用でした。

p30「モバイル」や「ノマド」で細切れにされる時間と思考
p48「貼雑年譜」
p55「イギリスでは論文を書くにあたって引用元を記載しないと法律で罰せられる」
p73「LERBERGシェルフユニット」
p96「自分の感覚では近いジャンルだと思っている本を、数冊から10冊ぐらいのグループにして並べていく」
p122「デジタル化した情報は、検索性が向上する一方で、一覧性はアナログのときよりも落ちてしまう」
p128「Pogoplug」
p132「フロー情報を編集し、ストック情報にしておく」
p146「まずは自分が楽しめることや、興味を持って学び、考え続けられることを、こつこつと続けていくことが大切です」
p162「図書館は情報を交換し、イノベーションを生む場である」
p165「林信行」「電子書籍には『ジャケ買い』を誘うようなセレンディピティは期待できない」
p174「クランプ」

4844332783 あたらしい書斎
いしたにまさき
インプレスジャパン  2012-09-21

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2012/12/30

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「式嫌い」
僕も形式的なもの、形式的が過ぎて形骸化しているものというのは子供の頃から苦手なほうだった。著者のように、それをただの苦手で済まさず、大切なものを大切にできなくなると考え、行動に移すところまでは徹底できなかったのが悔やまれる。そこまでラディカルになることが、よりよい結果に繋がるとまでは信じ切れなかったのだ。清濁併せのむ、というスタンスのほうが、よりよい結果に繋がると考えていたと言えば言い過ぎだけど、妥協というのはそういう側面もあると思う。ただ、今になって思うのは、今行動に移せば、青春時代のエネルギーを取り戻せるのではないかということ。また、今の自分は、昔ほど形式的を嫌っていない。それは、ビジネスの世界でも、判り切っていることを言葉にしなければならない意義を理解しているから。それが判り切ったことであっても、それを言葉にするという時間を使うことが、相手との相互理解のために必要なことということを理解しているからだ。

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2012/12/26

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「娘の作文」
作文と言えば、「こういう趣旨で書きなさいよ」というのを如何に汲み取るか、というものだと思い込んでいる。例に挙げられていた「税について」だと、子供でさえ、「税金は納めないといけないものです」という趣旨をくみ取って、それにそったストーリーを書こうとする。自分の考えを書く、という訓練になっていない。作文という体を使って、洗脳しているのと同じ。自分の思ったことを思ったように話せない呪縛は、こんなところから始まっている。なぜ、作文をそんなふうに扱うのか?大人側が、子供が思っても見ないことを言ったときの対処能力を身に付けないまま大人になってしまうからだ。

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2012/12/24

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「知識よりも思考を」
学びの楽しさを知らないから学生が学問する気を持たないというのはその通りと思う。僕も学びの楽しさを知らないのでとても同感できる。でも、就職面接で「クラブ活動に打ち込んできました」とか、学問以外のことをアピールするのは、企業側が大学での学問活動など取るに足らないと重視していなかったからのように思う。それともそれは僕がレベルの低いところで活動していたということなのか。それと、知識よりも思考を、というのはよくわかるし、思考こそが学問の楽しみの核だということもわかるけれど、それよりも問題は、思考のためには知識が必要なのだという、その必要性を理解させられていないことだと思う。

4004121418 自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)
池田 潔
岩波書店  1963-06

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『ことり』/小川洋子

4022510226 ことり
小川 洋子
朝日新聞出版  2012-11-07

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 小川洋子の物語と日本語は、何も不安になるところがない。最近では新聞でさえ「ひとつの事実」として読むことすら危ういと心して掛からねばならない状況の中で、安心して読める物語と日本語の紡ぎ手には感謝の念を覚えます。

 自分にとって『ことり』の有難かったところは、これが数十年という長いスパンの物語だったこと。今年40歳になり、後方に積み上がった時間の思った以上の長さと、前方に残った時間の思った以上に見通しがよいことに戸惑っているので、長いスパンの語りは自分の戸惑いの扱い方を少し指南してくれるようでした。

 小父さんは若干偏執症の気があると思う。そういう言葉しかないので偏執症と表すけれど、実際には小父さんは病の域ではないと思うし、それを言えば、自分にしかわからない言語を語るお兄さんも、それを「病」と言っていいのかどうかも判らない。ただ、「昨日と同じ一日を過ごすこと」が最重要の日々を送りたいというのは、日々が決まっていないと不安になる、「拘り」の気質があるのだと思う。そんな小父さんが大切に維持に努め守ってきた鳥小屋もゲストハウスも、「長い」スパンの中で踏み荒らされてゆく。最後には「ことり」さえも。
 でも、踏み荒らされても踏み荒らされても、小父さんは独り自分のペースを変えようとはせず、力んで立ち向かったりしようとせず、日々を過ごす。この小父さんの孤独は、果たして不幸な一生だったのだろうか。目的の地に着いたとき、ひどく疲労しているという渡り鳥と同じく、疲れ果てて最後を迎えたのだろうか。

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『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「本は楽しく」
緊張と緩和。入ることと出ること。本を楽しむ読むための心得として語られた内容は、いささか堅苦しくはあるけれど、ただ「おもしろく」読むという次元ではなく、「楽しく」読む域に達するために、常に心掛けないといけないポイントと素直に想います。

4004121418 自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)
池田 潔
岩波書店  1963-06

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2012/12/14

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「顔を持つために」
小学生が「ルール」であることを振りかざして、「ルール」をはみ出した者を徹底攻撃する。そういう心性が、閉じた社会をつくる。盲目的に「ルール」に従う社会をつくる。だから、「ルール」であっても、「ルール」だからと「正義」として振りかざすのではなく、それは本当に「正義」と言える「ルール」なのかを考える姿勢を身に付ける必要がある。

と、このロジックは「日本に」いると、非常に当たり前のように聞こえるのだけど、先日、某所で立ち読みした『自由と規律』で、イギリスでは学生時代に、徹底的に規律を守ることを叩きこまれる、という章を読んで、深く悩みに落ちた。

4004121418 自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)
池田 潔
岩波書店  1963-06

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2012/12/09

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「話すということ」
電話をかけたときの緊張感や苦手意識のところは共感したけれど、電話は会話ではないというのは若干違和感が残った。話し言葉が「話す」なのか、書き言葉が「話す」なのか、伝達なのかコミュニケーションなのか、手話は「話す」ではないのか、よくあるテーマと切り口がずらずらと頭に並ぶところだけど、ツールを間に挟むコミュニケーションということに話を限定すれば、電話やメール、さらに言えば「手紙」などを使ったコミュニケーションを「話すではない」と断定してしまうのは行き過ぎだと思う。確かにface to faceよりも情報量は落ちるかもしれないが、それを指摘する人には見えていないメリットというのもあり、一概に劣っているとは言えないはずだ。

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2012/12/08

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「願いのとき」
ここ最近、若かった頃、特に学生時代の景色を思い出しては胸が苦しくなる思いが日に何度もやってきていたので、この章はひとつの解決策を示してくれた。無暗に前を向くと言うよりも、平穏無事であることに感謝する。年齢を経た人間には、若い人間と違う前の向き方というものがある。平穏無事に感謝するだけでは現状満足で終わるかと言えばそうではない、歳を取った人間のやり方を模索し続ければ道は開けるはずだ。

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2012/11/29

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「老犬の昼寝」
「ある」と「なる」と「する」。自らが何かを「する」ことが、自分の存在意義であり存在価値だと思えているうちは幸せだということがよくわかる。「幸せだ」というのは反語的に。自分が自分として存在していることも、自分の選択ではなく、与えられたものを受け取っているだけ、ということ。だからと言って、「する」ことをおろそかにすることは許されない。

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2012/11/28

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「生命へのおそれ」
最後の一文で十分です。ここまで読んだ中で一番おもしろい章でした。

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2012/11/27

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「花を見る」
毎年、毎日、見ていたものに今日初めて心を動かされたといって、それまでの自分の眼を怠惰だと責める必要はない、なぜなら毎年毎日同じように見えているものであっても、その時々の自分の状況によってまったく違うものであるからだ。この考え方は「常に新鮮な目で世の中を見る」という一種の美徳的な価値観と相容れないので躊躇うけれど、自分の置かれている状況はすべて自分で切り開けると考えるほうが傲慢であり、与えられたその状況を受け止めることが肝要という意味で、この考え方を厳然たる現実として受け止めるほうが人間的成長に繋がると思える。

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2012/11/18

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「私のもの」
いわゆる疎外論だと理解した上で、自分の「行動の結果」についても同じことが言えるかどうか、ということを考えてみる。マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』でも、大学入試の公平性についての追求で同じテーマが出てきたが、どんな綺麗事を並べても、生まれた環境や育った環境で、有利不利は存在するのだ。今、自分が持っている「有利」は、自分の力だけで成せたものだと言えるのか?これは絶対にそうは言えないのだ。だから、自分の「行動の結果」も、自分のものだとは言えない。そこから、私は私のものでもない、という結論も引ける。このことが理解できない人は、自分と相手の立場をひっくり返すことが出来ず、自分側の立場に知らず知らず固執し続けている。どれだけ、相手の立場を調査して考え抜き、それに対する内容を提示したとしても、結局、それは「自分側」から発したもので、けして「相手側」から発したものではない。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「その後のポチ」
売上をあげるのは容易いこと、と簡単に言われたくない気持ちあるものの、そういう気持ちこそが、生き物に寄り添うことの意味が分かっていない気持ちなのかなと思う。この章はその終わり方も含めて、結論のない厳しい問いを投げかけてくる。

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2012/11/11

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「小さな旅」
この章に出てくる「上の子」の健気さが、なぜ自分には身につかなかったのだろうと恥ずかしく情けなくやるせなくなるが、誰かがやらなければならないがやっても何の得にもならない役回りが割と多く回ってくるところはやはり「上の子」の空気なのか、そして、責任はそれを負えるだけの人間のところにしか行こうとしないという言い回しを思いだして自分をなだめる。

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2012/11/08

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「それぞれの人生」
ふと思い立って何年か振りに電話できるような、若い頃からの友達がいてる境遇というのが羨ましい。それと、二次会と誰も言いださず解散、という下りが淋しい。淋しいけれど、いい関係だなあと羨ましくなる。この年になって、今更迷うこともないのかも知れない。

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2012/11/06

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「捨てるということ」
若い頃の方が捨てることに躊躇がなかったか、今の方が躊躇がないか、ちょっと判断に迷うところがあった。昔の方が何でもため込んでいたような気もするし、この章でかかれていたように今の方が過去に縋る気持ちが大きい気もする。過去を大切にしながら今を生きることはとても難しいことはよく判っているつもり。

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2012/11/04

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ゴキブリ捕獲の作法」
戦争が直接的な戦いから、湾岸戦争のようなスクリーン上での戦いになり、戦っている実感を伴わないようになったことを「進歩」とは決して言わない、というところから想起したのは、企業に勤めることの不条理だった。巨大企業であればあるほど、自分達がやっていることと自分達の成果報酬とに直接的な実感を持てない。それに、厚生年金基金問題のように、自分のやっていることに問題がなくても、基金破綻で割りを食ってしまうこともあれば、自分の会社には何の問題もないのに、厚生年金で補填すると言いだされ、割りを食ってしまうこともある。もはや、自分の手の届かない範囲で割りを食うことが多過ぎる世の中になり国になっているけれど、それが社会だと言われると何も言い返せないような気がする。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ポチの場合」
目の届く範囲にいること。とれも重要なことだと思う。目の届くとこにいなければ思い続けることができないと考えるとそれは切なく感じてしまうけれども、それは現実として受け入れなければならないことだと思う。一方で、目に届くところにいられなくなるどうしようもない事情も多い現代社会で、SNS等のツールでコンタクトを取り合えることが「目の届く」範囲なのか、というところもよく考えなければならない。SNSを活用できている関係の人もいると思うから、一面的なことは言えないものだ。

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2012/11/02

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「生まれつき」
持って生まれたものを受け入れる。嘆いても歯軋りしても構わないけれど、受け入れない限り前には進まない。

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2012/11/01

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「子供から大人へ」
「祝祭」の話なんだけど、書かれていることはよく理解できる一方で、現在では日常のあらゆるところに常に祝祭が偏在しているのが理想形みたいに言われているところもあって、ほんとうに「大人になる」ということの意味・意義をどう定義づけすればいいのか難しい。「大人買い」みたいなことが起きる土壌もこの辺なのかもと思った。それはもはや「大人」ではないけれど。

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2012/10/30

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「末っ子の疑問」
上の兄弟に較べて写真が少ないというのは、確かに不公平な思いを抱くだろうなあと、もちろん思う。話はそれだけではなく、自分が存在する前後の時空の話に広がるところが面白い。自分がいなくなった後の世界、誰かがいなくなった世界を想像することはあっても、自分が存在する前の世界を想像することは、私は長男なので、確かにあまりなかったように思う。

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2012/10/28

『メモリー・ウォール』/アンソニー・ドーア

4105900927 メモリー・ウォール (新潮クレスト・ブックス)
アンソニー ドーア Anthony Doerr
新潮社  2011-10

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『メモリー・ウォール』
 認知症と化石の対比がとても鮮やか。リタイアした後、元来の化石発掘に熱中したハロルドは、妻アルマに「この世で唯一変わらないことは、変化するということ」「別のものに変わらないのはとても珍しいこと」と、化石の魅力を語る。その夫ハロルドを亡くした妻アルマは認知症を発症し、その進行を遅らせるべく、遠隔記憶刺激装置を処置される。記憶を、カートリッジに取り出して保存し、好きな時にカートリッジを挿入してその記憶を参照できる。

僕は人よりもたぶん、記憶力がよくないと思っている。自分では別に、憶えることをさぼっているつもりはない。覚えなければと言う意識が低いつもりもない。それでも、固有名詞を覚えるのが特に苦手だし、昨日食べたご飯を覚えていなかったりする。それは、できれば覚えていたくない出来事が多かった時代があって、なるべく忘れようとする志向を脳が持ってしまったんだと勝手に自分で解釈している。

アルマにとって最も辛い記憶-ハロルドを亡くしたときの記憶-が、巡り巡ってアルマの使用人だったフェコとその子供を救う。もし、その記憶が、アルマにとってだけのものだったなら。それはカートリッジで他人の記憶を見ることもできないのだから、と様々な推測をしてしまうが、それよりも、認知症によって、アルマは最後、一緒に暮らす男がいたのだけれど、男は私をここ(施設)にひとりぼっちでおいていった、としか思い出せなくなりつつ、そういうふうに思い出すに留まっているところ。カートリッジという化石を、それが何なのかさえ思い出せなくなったことが、アルマにとって幸福なのだと信じたい。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「パンダの自己意識」
自己意識、自己嫌悪、自己反省。動物は、鏡を見てそれが自分であるという「自己意識」まではあるとしても、過去の自分を振り返ってそれを反省する力はないだろうとは言える。しかし、その自己反省の能力を持ったが故に、罠を仕掛けることを覚え、ひいては戦争を起こし、そしてその戦争について自己反省できないのが人類ということになる。それならいっそ、自己反省などできず、その場その場で起きたことにだけ対応して生きているほうが、平和な世の中なのではないか?この問いに対して、自己反省のメリットとデメリットを並べて、これだけのメリットも享受している、という形で対応するのは、経済優先主義に冒された愚の骨頂なのだろう。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「芙蓉の花」
自分以外に、自分の存在を認めてくれる人がいることは大きい。自分の存在を必要とするとまでいかなくても、存在を認めてくれるということは大きい。これは仕事においても生活においても大切なことだが、これを真面目に考えれば考えるほど、人生は生きにくくなることも確か。こんなことを考えること自体、生き物として弱すぎるということだろうか?

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2012/10/26

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「こころの不思議」
一読したときは、亡くなる少し手前で思い出すのではなく、亡くなった事実が思い出させたということだ、と理解したけれど、改めてもう一度読むとそう単純なことを言いたかったわけじゃないと気づいた。

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2012/10/25

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「不思議な経験」
僕は、説明のつかないことは極力排除することで、自分がそう言っているだけではなく、他人から見てもそう言えることである、という考えをとるように心掛けてきたけれど、不思議なことを不思議なこと受け止めることについては普通の人よりも自然にできると思っている。自然にできるから、安易にそちらに走らないよう、説明のつかないことを極力排除するよう努めてきたけれど、もう十分、そうしなくても自然なバランスで振る舞えるよう訓練できたと感じた。それよりも何もよりもこの章を読めたことは自分にとって大きな意味を持つ点がひとつあり、そこはこれまで以上に、この本を紹介してくださった乾さんに感謝したい。

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2012/10/24

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「進歩のない」
ここで例に挙げられている免疫学同様、僕が働いているIT業界も進歩の速い業界ではあるが、進歩の速い業界というのはそれだけまだ未熟な思考レベルということなのかなと思った。伸びしろが少なくなってからが勝負。そういう考え方と、伸びないものを伸ばしてもしょうがない、という考え方。ある意味、前者はただの意固地だとも言える。ただそれでも、本章のラスト、「文部省のように、急におもいつきだけでこころの教育を言ったところで、何の役にも立ちはしない」のところは胸を刺される。こころの教育だけでなく、急におもいつきでやることは、やらないよりはましとよく言われるけれども実は意外とそうではないことも多い。

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2012/10/23

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「直列型と並列型」
「この返すことのできない債務は担い続けるしかない」この言葉の迫力に圧倒された。死ぬまで担い続けるしかないこと。僕にもあるはずだ。集中力と持続力の必要性には何の異存もない。改めて認識を強くするのみ。

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2012/10/22

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ジャムパンの怨み」
「何か失礼なことをしましたか」と一言聞くことの、なんと難しいことか。いつもいつも思い悩むことである。その一言を発して、真実を聞けば解消できることなのに、その一言を発するくらいならこのまま有耶無耶にして関係さえないことにしてしまえばと、なぜ思ってしまうのだろう。どれだけ信頼関係を築いていても、簡単に口に出せる言葉ではない。それは、大事な関係になればなるほど、その一言が最後の引き金を引く言葉になると、身を以て経験していくことになるからだろう。

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2012/10/08

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「一家に一台」
「ものは悪、こころは善というふうに単純に言いたくなる。が、この主張は、ものを絶対視してきた発想の裏返しでしかない」。この一文を読んだとき、いったいこのエッセイの初出はいつだったのだろうと思わず裏表紙から捲った。僕もまったくその通りだと思う。何も何も、一面的な決めつけほど危うくて不要なものはないのだ。そして、「在る」と「成る」にちょっとだけ通じる、後半の話。所有ではなく、存在を願うということを、発想の中心に置き続けるよう心掛けてみる。

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2012/10/05

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「睡魔との戦い」
睡魔との戦いは年々ひどくなっているので、これを読んですこしほっとした。興味がないから睡魔が襲ってくることは分かっているし、だからといって興味がないものからは目を逸らしていればいいという訳にもいかない。いろいろ工夫するにも限度がある。どのようなことにもなるべく興味を持てるようにするという努力と、興味を持てないことは持てないと諦めて、その上で少しでも眠くないように工夫するという努力、この両面からの努力の姿勢は、自分の人生の方針に重なる。

 

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2012/10/04

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「6月嫌い」
初めて、これと言った結論めいたものが思いつかない賞に出くわした。6月が嫌いな理由が滔々の並べられて、最後に奥さんの誕生日が6月だった、と来る。それが意味してるものはなんだろう?と思っても、唸ってしまうのが事実。深読みしようと思ったけれど、たまにはそんな話が混じるのも当然だ、ということで。

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2012/10/03

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「息子の朝帰り」
ウチは著者の家庭のような、「電話ぐらいしろよ」と一言諭すというような家庭ではなかったものの、非常な愛情を持って躾けてくれたということは身に染みて感じている。それも、べたべたとしたものではなく、両親が合わさると適度なドライさを伴っていて自分のバランス感覚の礎になっていると感謝している。それにしても、ここに書かれている「子離れ」の話、「子離れできてこそ親の完成」であり、感謝の要求に繋がるようなことは望ましくないというスタンス、大学生の就職活動にまで親がしゃしゃりでる世の中になってしまったことを激しく憂うものである。本当に、一億総子どもになってしまう。

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2012/10/02

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「中年になって」
こころとの不一致を感じたとき、我々が成すべき努力は、その劣化を遅らせることだという結論は、なんか消極的努力のように聞こえて(せめて「維持」と言ってほしい)少しさびしい気もしたのだけれど、考えてみれば維持することは、老いは一秒ごとに進んでいる以上土台無理な話で、少しでも劣化を遅らせるというスタンスこそが最も望ましく美しいものだろうなと納得した。そこを理解できず、抗うように維持に、ややもすると若返りに邁進するようなスタンスが、現に若い人々の領域を押しつぶすような軋轢を生んでいて見苦しいのかも知れない。

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2012/09/30

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「中庸ということ」
長い間、次の一章を読めずにいた理由が、読んで立ちどころに分かった気がする。この一章は正に今の僕に必要な一章だった。「中庸」という言葉を誤解していた。そして自分が大切にしていることが「中庸」であることもわかった。「中庸」を重んじることを、誰にも共感してもらえなくとも、それが皆から見て面白くないヤツと見える原因になったとしても、僕は自分の極端に振れることのできる能力を十二分に活かして、「中庸」をこれからも目指していこうと思う。

・自明でないことを自明であるかのように語る、ここから数多くの欺瞞が生じる。

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2012/09/23

『ラジオ深夜便 隠居大学 第一集』/NHKサービスセンター

4871081117 ステラMOOK ラジオ深夜便 隠居大学 第一集
NHKサービスセンター
NHKサービスセンター  2012-07-18


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こういう、年配の方の発言集とかインタビュー集、おもしろくて好きで結構読むんだけど、毎回、「自分が年をとってもこうなれてないよなあ、きっと」と思うのはなんでだろう?とそれこそ毎回思う。自分があまりにも若い頃から成長がなく、歳相応の分別というものを身につけてないままだからだろうか?と思ったりしたけど、やっぱりいちばんは経済的なところだと思う。本著でも出てくるように、「お金のあるなしなんて関係ない」と、ご老人は言うし、実際、ほんとに蓄財のなくても隠居を楽しんでいる人もたくさんいるんだろうけど、それは、人脈とか、知識とか、社会資本とかインフラとか、ぜんぶひっくるめて、日本国にある高度成長時代の「貯金」がまだ効いているからできることなんじゃないかと思う。その点をクリアに意識したご老人の発言というのは、亡くなった吉本隆明氏以外に見たことがない。

  • 小沢昭一氏の「お前が知らないから面白くないだけだ」というところ、話し手と聞き手の立場を考える自分のテーマにハマる。「サロン」への違和感に対するアンチテーゼとしても。
  • 山田太一氏の「世の中に個人で抵抗する」。これは『シゴトとヒトの間を考える』で考えたことにハマる。そういう人の数が大多数になれば社会を変えられる、けれど政治はそれでは変えられないように見える。

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2012/09/20

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「続・人を好きになるということ」

ほどんどできそうにもない課題に対して唯一できること、それは逃げ出さないことだ。逃げ出さないことは、寄り添うことと同じ。結論としてはそんなところだけど、ちょっとおさまりが良過ぎるかなと。ここでも部分と全体の包含の話が出てくるけど、部分でもって全体に対して評価するというのは、「クリティカルポイント以外は目を瞑ろう」式の考え方ではないことは、記しておこう。

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2012/09/17

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「人を好きになるということ」

この「人」という言葉は難しい。カッコで括った「人」は、人間を指す「人」と区別するために用いられていると思うけど、「人が悪い」というときの「人」は、いっそ「人間」と同じ「人」だとしてしまったほうが僕にとっては通りが良い。なぜなら書かれている通り、「人が悪い」というときの「人」は、性質という一面的なものではなく、言動なんかも含めたその人「全体」で成り立っているからだ。でも確かに言葉としては「人間」だと書き換えただけということになる。「人間」にも二つ(以上)の意味が包含されていることになって、書き表しにくいので始末に悪い。

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2012/09/14

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「待つ」

これは結構長い間悩んでるテーマ。現代は基本的には説明責任の時代だと思う。その根本的かつ最大の理由は、グローバル・ボーダレスだと思う。人間、根本的なところは世界中どこでも変わらないとは言え、やっぱり基本的には言わなければわからない。その上、都市部では急速な産業の高次化と情報技術の進展で、もはや肉親間でさえ、言葉不要の信頼関係というのがなくなってしまった。こんな状況で、考えが出てくるまで「待つ」ことの重要さを語るのは、ある種のノスタルジーであり、ほんとは変わらなければいけないことではないのか?これには直感的に反発したくなるものの、実はきちんとした反論を組み立てられていない。

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2012/09/12

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「小さな思い出」

「忘れないで」という願いの意味が長らく理解できなかったことを思い出した。小説やドラマでもしょっちゅう登場する普遍的な願いだが、離れてしまうのに覚えられていてそれがいったい何の足しになるのか、と僕には常に疑問だった。この「小さな思い出」の冒頭の学生のような、自分が墓に入っても誰も参ってくれないのは辛い、というような感覚は持たないが、自分はできる限り感謝をもって人を忘れないようでいようと思う。

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2012/09/10

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
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「海のものとも山のものとも」

ここまで読んだ中で最も強い衝撃を受けた章。自分が何者であるかということを理解してもらう努力をかなり怠っていたし、そもそも理解してもらうというのがどういうことなのか、その重大性を自覚していなかったのだと痛烈に思い知らされた。なんとなく、空気で、自分が何者なのかを感じてもらうようなやり方を意識的に改めていかなければいけない。同じ趣旨の話を、たまたま日経夕刊で読んだ。意思疎通が必須になる民族同士で、無言は死を意味するのだ。

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2012/09/09

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
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「家族の眼」

家族に限らず、よく知れば知る程、決めつけが過ぎることがあるし、知りはしなくても話す回数が増えたりすることで、詳しくは知らないままに、概要を掴めてしまうこともある。「家族の眼」は、自分が見られる側での、自分への戒めの話だったけれど、僕は自分が見る側に回った時の自分の戒めを想像した。

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『再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理』/ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ

4880592366 再帰的近代化―近現代における政治、伝統、美的原理
ウルリッヒ ベック スコット ラッシュ アンソニー ギデンズ Ulrich Beck
而立書房  1997-07

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「サブ政治」の下り、昨今の日本の大きな<政治的>課題-原子力発電の継続をめぐる、産業界と個人と原発建設地住民との対立や、オスプレイ配備問題での対立に思いが巡る。正にひとつの方向に収斂させることが限りなく困難な課題であり、工業化進展の途上=単純的近代化の過程であれば是是非非のうちに方向性を決められたものが、大局的に方向性を決めることが出来ない状況というのが、正に「再帰的近代化」なのだろうか?と思う。

専門家システムの機能の変遷も印象に残っている。「諮問」が意味を失うのが再帰的近代化の過程であり、多くの個人が共同体の中で何らかの「専門家システム」を担うことになるという説明は、現状をうまく把握する手助けになった。情報コミュニケーション構造の進展と、「格差固定」の問題も、現状認識をより強固にした。その上で、ほぼ粉砕されてしまった地域共同体のその先と、粉砕に加担した情報技術と情報社会の歴史的意味づけを考えてみなければならない。

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『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「カラコルムの杏」

「国と民族と宗教そして言語」「これらの要因を考えなくてよいとされてきたわれわれ日本人」とあるが、よく引き合いに出されるけれど日本にもアイヌなど少数民族はある。それを「ごく少数」だから「単一民族と言ってよいほどのごく少数なので無視できる」と確率論的に言って言い訳はないが、丁寧に断り書きを書くのも煩雑なことで、しかし煩雑だからといってなかったことには絶対にできない。この「ごく少数」の捉え方・扱い方というのは、現代におけるものの考え方のヒントになるのではないかとふと思った。

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2012/09/05

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「見えない境界線」

トランシーバーと携帯電話の話は、ちょっと頷けないところがあって、それはトランシーバーの登場がそう言った時代だったからであって、「トランシーバー」と「携帯電話」の形態には依ってないから、もしトランシーバーが今、こなれた価格で登場したら、同じことは起きると思う。これは手紙のフォーマットをメールに強要したり、移動手段が徒歩しかなく、そうそう対面できない時代の挨拶儀礼のやり方を現代に強要するのと同じようなことだと思う。
境界線を「官」に求める、という指摘は、少なくとも日本ではその通りだと思う。境界線を、誰かに決めてほしい、誰かが決めて当たり前、という思考回路が、日本人の思考能力を弱めているような気がしているが、境界線を自分で考える際のポイントが「はた迷惑」というのは、いかにも日本的だけど、僕はこれもあまり頷けない。なぜなら自分の境界線の主語はやはり自分であるべきだと思うからだ。

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2012/08/31

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「坊さんが屁をこいた」

理解できないものに遭遇したとき、それをより詳しく知ろうと思うかどうか。単に違いの内容を認めるだけでなく、違いが生まれた原因・理由にまで思いを飛ばせるかどうか。どちらも、成果を中心に、究極目標とする場合、どちらでもいいと隅に追いやられる思考である。しかしながら、どんなものでも「違い」があるところから価値が生まれる。

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2012/08/30

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「今とここ」

目が覚めたとき「今」がいつかわからない、という所在の無さとはちょっと違うけど、僕は眠りに落ちそうなときと、眠りから覚めそうなときに、急に自分が死を間近に控えた年齢になった実感を得ることがある。もちろん、普通に目を覚ましているときでも、70歳になった自分、80歳になった自分を想像するとそれはそれで怖いんだけど、寝入りばな・寝起き中のときに思い浮かべたときの恐怖感は比べ物にならない。あれは、眠りと覚醒が入り混じっている状態で、「今」とうまく切り離されていく状況だから、感じられる恐怖なのかなと思った。

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2012/08/28

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「書かれた名前」

ちょうど今日の日中、「長嶋終身名誉監督」のことを思い出していた。社内にいかにも肩書で仕事をしているような、肩書が人間の値打ちと思っているような人がいて、その人の話題になったからだけど、もっと若い頃のほうが、「肩書がどうした」と言う勢いが強かった気がする。「長嶋終身名誉監督」というのを聞いたときも、「なんだその”終身”って!」とせせら笑った気がするんだけど、今は若干ながら”終身”を付ける気持ちというか、無暗に長い肩書にしようという感じとか、「退かなくてもいいようなことが判る名前にしないと」という理屈っぽいところとか、そういうのに理解を示せてしまう自分がいる。これは、自分が何者かを証明することに楽をしよう楽をしようと慣れていってしまっている現れに違いない。自分で自分が何者かを証明することはできない。だからといって、客観性を突き詰め続けていく果ては「肩書」になる。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「遠い記憶」

過去と過去の記憶は別物。自分のだけではない過去の記憶を連ねて交差させればさせるほど、過去の記憶によって過去に近づくことができる。これを、実際に人々と会話したりすることなく、自分の意識の中でどれだけやることができるか。それは、自分は過去の記憶を持つ大勢のうちの一である、という認識がなければできない。そして、過去は固定されたものではなく、現在の自分による「判断」によって過去は動的なものとなる。このことは、「過去は動かせない」という絶望に対するひとつの救いと成り得る。

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2012/08/27

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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 図書情報館の乾さんに、40歳の記念にお勧め頂いた『不可思議な日常』。「ゆっくり読むのがお勧めですよ」と仰られていたので、読んでいた本と慌ただしく落ち着かなかった日々がある程度落ち着いた今、一日一章ずつ読んでいこうと思います。

「鈴の音」
鈴をつけていない僕自身も、鈴同様に自分自身でコントロールすることはできない。自分が何者かは、相対する者にも依存している。相対する者がいない世界では、僕自身は何者でもないということになるのだろうか?鈴の音をどんなに鳴り響かせても、何者にも成れないだろうか?仮にそうだとしても、僕自身がいなければ相対する者もおれないから、僕自身を僕自身はどう受け止めているかを平生よく考えておくことは無駄ではない。

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2012/04/22

『絵で見てわかるOS/ストレージ/ネットワーク』/小田圭二

479811703X 絵で見てわかるOS/ストレージ/ネットワーク データベースはこう使っている (DB Magazine SELECTION)
小田 圭二
翔泳社  2008-04-22

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『偶然とは何か-北欧神話で読む現代数学理論全6章』/イーヴァル エクランド

4422400193 偶然とは何か―北欧神話で読む現代数学理論全6章
イーヴァル エクランド Ivar Ekeland
創元社  2006-02

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「圧縮不可能でなければならない」と、原子力発電所の炉心融解のリスクと、ビッグ・データ。IT業界の今と密接に関連する事柄を知れる好著だった。もちろん、タイトル通り、「偶然とは何か」という問いを、数学的な切り口と、哲学的な切り口で迫ってくれるおもしろさにも満ちている。

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2012/03/20

『春を恨んだりはしない-震災をめぐって考えたこと』/池澤夏樹

4120042618 春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
池澤 夏樹 鷲尾 和彦
中央公論新社  2011-09-08

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 池澤夏樹氏も理系の学問(物理学)を修めていたということを初めて知った。優れた文学者の多くが理系にも関わっている気がする。「移ろうものを扱うのなら文学」と本著にあるけれど、移ろうものを文学で扱うために、前提として静的な分析をするための姿勢・方法論として、理系の思考回路が必要ということのような気がする。

 組織機能について記載されているところがむず痒かった。確かにゆるい結びつきのネットワーク型組織が、非常事態で有効に機能することはわかる。けれど、これにもデメリットがあるからピラミッド型を志向する訳で、それがなんなのかは明確に言葉にしないといけないなと思った。

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2012/02/04

『アルビン・トフラー「生産消費者」の時代』/アルビン・トフラー 田中直毅

4140812184 アルビン・トフラー―「生産消費者」の時代 (NHK未来への提言)
アルビン トフラー 田中 直毅 Alvin Toffler
日本放送出版協会  2007-07

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 一方でより安いものを、より安くていいものを、効率的な運営を、と要求を叫びながら、一方でより多くの賃金を、より多くの雇用を、より多くの有給休暇を、という要求も叫ぶ、この現状に違和感を感じ続けて数年が経つ。モノが安くなるということは、単純に言って誰かの給料が安くなるか、誰かの仕事がなくなるか、どちらかによって成立しているはずだ。どうして、自分の立場だけが、高い給料をもらい続けられて、モノをより安く買えることを実現できると思いこめているのだろう?僕はこの答えは、個人から、生産者と消費者が分離してしまったからだと思っている。社会が工業化したときの、労働者は自分のところで作っている製品が買えないというようなパラドックスはよく言われるけれど、それでも労働者はまだ生産者でありかつ消費者であったと思う。現代は、その役割が個人の中で完全に分離されてしまっている。生産と消費は循環運動でなければならないのに、個人の中ではその循環を断ち切らされてしまっている。だから、消費者として、生産者として、全く矛盾する要求を同時並行で掲げることができ、循環を断ち切られているが故に結局状況を悪化させることになっているとは気づけない。

 そんなふうに思っているので、アルビン・トフラーの言葉である「生産消費者」というのがどうもしっくりきてなくて、理解するために本書を選んだ。『富の未来』では、「産業の経済」と「知識の経済」の対立が紐解かれているが、「食うに困らない」ことが既に所与で前提の社会になっているという考え方に問題意識を持っていて躊躇いがあるものの、「生産消費者」というのが大枠では「D.I.Y.」を志向する人ということは理解できた。「金銭を使わずに、無償の労働を行い」、その結果のアウトプットが「生み出された富」という考え方。

 自分たちで行うことでの満足感が金銭に取って変わるというのは、あまりにもナイーヴな考え方に感じるけれど、自分たちで行うという姿勢が主流になっていくというのは、圧倒的な情報量の社会で起こる現象としてとても納得できる。そしてこれは、工業化が究極に達しようとする社会で見られるようになった、「何事も専門家に任せればよい」という、徹底した「分業化」による効率性の追求から人間性を取り戻す確かな理論でもあると思う。
 一方で、出来る限りすべてを消費者である自分たちが自分たち自身で行わなければならない社会というのは、相当に自己責任を負う社会ということでもあり、相当に厳しい社会でもある。そしてある種の回帰でもある。工業化前の時代の働き方に回帰する面が存在するが、果たしてそんなにうまくいくのだろうか? 

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2012/01/31

『経営の教科書-社長が押さえておくべき30の基礎科目』/新将命

4478002258 経営の教科書―社長が押さえておくべき30の基礎科目
新 将命
ダイヤモンド社  2009-12-11

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 私は社長ではないけれど、経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思い書店に向かったら、本著と、小宮一慶氏の『社長の教科書』が並んでいた。手に取って内容を少し読んでみたところ、『社長の教科書』は箇条書き的にフレーズとその解説文が並び読みやすそうだったのだけど、『経営の教科書』の文章の力に引き寄せられてこちらを選んだ。本著のいちばんの魅力は外連味の無さだと思う。現実性・納得性と普遍性の両立を心がけたと後書にあるが、その通りに伝わってくる。

 誰もが誰も、経営者的になる必要はないと思う。経営者と社員の役割分担はある。だからこそ私は経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思った。書かれていることは8割が当たり前のことだけれども、その当たり前のことを得心させてくれる素晴らしい書物だと思う。

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2011/12/24

『日本人はどのように仕事をしてきたか』/海老原嗣生・荻野進介

412150402X 日本人はどのように仕事をしてきたか (中公新書ラクレ)
海老原 嗣生/荻野 進介
中央公論新社  2011-11-09


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 1月の3連休に、”「自分の仕事」を考える3日間”に参加して以来、「仕事」「働く」ということが常に頭の中にあった1年。その1年の締めくくりに、”日本における「仕事」の歴史”を学んでおこうと思い、本著を手に取りました。

 僕はこと仕事に関する話に限らず、「今、アメリカで起きているのは…」「今、ヨーロッパで主流なのは…」という言説がとても嫌いで、また、「これは日本人特有の…」「これが日本独特の…」という言説も常に疑ってかかる。前者は、もちろん同時代で先進的な国の同行は常に学ばなければならないものの、この言葉が述べられるときのスタンスが多くが盲目的で安易であることと、先行者を追いかけるというやり方はいつまで経っても自らが先行者にはなれないことを認めてしまってるから。後者は、本当に日本独自のことなのかどうなのかという客観的な見極めがないのもあるし、「なぜ、それは日本では成り立つのに、諸外国では成り立たないのか?」ということを考えもしないから。

 本著は戦中~戦後から2000年までの約70年の、日本人の仕事の仕方を、雇用・労働・企業人事の観点で整理しています。構成は、「働き方」「企業のマネジメント」に大きな影響を与えた13冊を紹介し、その著者との往復書簡形式になっています。2010年の今、その著作の内容を振り返っている書簡もあり、単なる「言いっぱなし」ではないおもしろさがあります。例えば『新しい労働社会』の濱口桂一郎氏と、「ワーキング・プア問題」における非正規社員の捉え方と解決策について、2009年に著した内容を照らしながら意見交換されています。

 自分の理解のために大雑把にKWを整理すると:

■戦中…差別的・大格差の社内階級が存在(この時点で、「家族的経営」が日本の風土から来るものという通説が覆る) 
■戦後動乱期…労使協調→「終身雇用・年功序列」
■高度経済成長期…職務給への対抗→能力主義の誕生・職能制度
■第一次オイルショック後(80年代)…職能の熟練・人本主義
 ・ブルーカラー中心の産業構造=猛烈な経営効率化・生産拡大が国際競争力に繋がる時代
 p97「日本の人件費は先進国の中では圧倒的に安い部類」「もっと人件費の安い途上国といえば、こちらはまだ教育水準・技術力が低いため競争相手にはならず、さらに、社会主義国は冷戦最中で、こちらも国際競争には参加してこられない。」「日本が、まだまだ国際的に優位に立てて当たり前」
■プラザ合意後(85年~)…無策だった時期
■1990年代前半…p152「95年には、50代前半の会社員の年収が20代前半の若年社員の2・88倍」また弥縫策しか手を打たない時代
 ・終身雇用・年功賃金は高度経済成長期に最適なシステムであっただけ
 ・集団的・暗黙的な技術・知識より、個人単位の創造的能力
■1990年代後半…下方硬直では経営ができない時代/職能←→コンピテンシー
 ・就職氷河期
 ・1971年ハーバード大学マクレランド教授「コンピテンシー」
■2000年以降…「人で給与が決まる」をより透明で客観的に/非対人折衝業務の極端な現象(製造・建設・農業・自営業) 定年破壊、雇用改革

 本筋から離れたところで、興味を掻き立てられたポイントが2つ:

p110「世の中の声を聞き、現場の生の資料を集め、公的データと見比べているときに、もう「話の筋」が見えてくるものなのだ」

 この後、「筋が見えない人は、高等数学を使って「答え」をなんとか作り出す」と続く。この、「筋」と「高等(数学)」の部分、来年いよいよメインストリームに現れるだろう「ビッグデータ」への懸念に近い。今のところは、解析したい「筋」を持つ人によって、ビッグデータ処理が使われているものの、明確な「筋」を持たずに「なんとなく凄い」ということでビッグデータ処理を手にする人たちが増えだしたとき、かつてのDWHのときのような大混乱が起きるのではないか。そして本当に問題なのは、売る側としては「なんとなくすごい」もののほうが、売れてしまうことである。

p191「西洋人は「情報処理機構としての組織」という組織間を信じて疑わないそうですから。組織で行われるのはもっぱら情報処理にとどまり、知識の創造という考え方がないのです。その伝でいけば、個人はいつでも取り換えの利く、機械の部品に過ぎない」

 革新的で創造的なITは、多くが西洋から今のところやってくる。それは位相の違う問題だととりあえず納得しておいて、ソーシャルメディアの流行に併せて日本世間に増えつつある、情報を交換を増やすことで、某かの成果があがるような、コラボレーションやソーシャルやコワークと言われるものがどの程度のものであるのか、よく考えてみたい。そもそも、特にアメリカでソーシャルメディアが勃興したのには社会的な理由がある。「ネットワーク」という考え方も、心の満足度ということを考えたとき、今のままでいいのか。編集の思想、エクリチュール、そういうこともひっくるめてよく考えてみる必要がある。

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2011/12/18

『レインツリーの国』/有川浩

4101276315 レインツリーの国 (新潮文庫)
有川 浩
新潮社  2009-06-27

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 この物語は、もちろん、聴覚障害者の苦しみと、若い頃の父親の喪失という苦しみについて、読み取る物語ではない。その苦しみの「理解できなさ」を読み取る物語でもない。人にはそれぞれ苦しみがあって、その苦しみは聴覚障害や父親の喪失のような特別・特殊なものでなくともその人にとっては苦しみであり、人には理解されることがないのが苦しみなのだ、と読み解くべき物語。教科書的には。それはわかるんだけど、僕は敢えて「聴覚障害者」の部分を、一般化せずにそのまま読みを深めようと思わされた。
 聾と中途失聴の違いは、第一言語が手話か日本語かという違いになる。そして、中途失聴者は、第一言語は日本語で、自分からの伝達は第一言語で行えるのに、自分が受け取る伝達が第一言語だと困難を伴う。この「言語」の分離は、手話のみとなる聾者よりも困難と言える側面があると思う。
 自分と相手は同じ言語を使っているはずなのに、相手の考えていることが完全には理解できない。これは、中途失聴者だけの苦しみではないかもしれない。もし、「相手の考えていることが完全には理解できない」という状況があったとすれば、それは、中途失聴者の状況と同じ状況に置かれていることになる。「同じ言語を使っているのに、相手の考えていることが完全には理解できない」という状況は、中途失聴者のケースを持ちだすことによって理解しやすくなるが、これは、僕たち誰にでも起こりうること、起こっていることだと思う。そして、その苦しみを誰にもわかってもらえないとぼやきがちになるが、それが中途失聴者に限らない以上、主客を入れ替えれば、僕が第一言語である日本語を使って行っている伝達行為が、相手にとってみれば、僕の考えていることが完全には理解できない、という状況に陥っている可能性だってもちろんある。つまり、「誰にもわかってもらえない」苦しみなんかじゃないのだ。この物語は、同じ言語を用いているのに違う発話になる、つまり、ラングとパロールの物語だったのだ。

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2011/11/06

『スクウォッター-建築x本xアート』/大島哲蔵

4761523182 スクウォッター―建築×本×アート
大島 哲蔵 大島哲蔵アーカイブ
学芸出版社  2003-06

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【ノート】
p92「ポトラッチ」・・・太平洋岸北西部インディアンの重要な固有文化。彼らの社会的地位は所有の量ではなく、贈与の量で決まる。
「ヴァルネラビリティ」・・・攻撃誘発性。
「ボルシェヴィズム」・・・ボルシェビキの思想を実践する流派。
※「プチブル」のコンテクスト。

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2011/09/10

『そこへ行くな』/井上荒野

4087713989 そこへ行くな
井上 荒野
集英社  2011-06-24

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 僕は小学五年生の冬、祖母を亡くした。

 小説では、多感な幼少時代、肉親を亡くすような出来事に遭遇した子は、周りの子の呑気さ加減に違和感を覚え距離を覚えるようによく描かれるが、僕はどうだったのだろうか?そんな感情を覚えた記憶はない。ただただ悲しかった。祖母は一年近く入院しての闘病生活の末に亡くなった。気持ちの優しく、人情にも厚く義理堅くもある父母は僕と妹を連れて、毎週必ず車で片道1時間強の病院に見舞いに行った。半年以上が過ぎた頃、土日に満足に友達と遊びに行けないことを不満に思った僕は、父母に「もういい加減にしてくれ」というようなことを言った。今覚えば、そんなことを言えば間違いなく僕を殴り飛ばしたに違いない父に殴り飛ばされた記憶はない。相当に困り果てた空気が流れたのを覚えている。

 祖母は入院していた病気ではなく、直接的には風邪で発熱し体調を崩してそうして亡くなった。その数週間前、まだ発熱もなかった頃、祖母がベッドに腰掛ける傍で風邪気味の僕がふざけてベッドに寝っころがっていたりして、風邪をうつしたのは自分だと思った。本当にそうなのかどうかはわからないまま、そう思わなければいけないような気がして、でも母も父も当然それを否定するし、そんな状況でそう思わなければならないと思ってそう思うこと自体が厭らしいことではないのかという非難にも苛まれた。苛まれたというほど自分を追い込めてはいないという思いも苦しかった。「もういい加減にしてくれ」という気持ちを抱いてしまったことの罪悪感も、同じだった。

 本著『病院』の龍は、母親が「よくない病気」で「消えていく様子」をつぶさに感じている。しかし龍は、自分が置かれたその境遇から、周りの子が「ひどく幼く見える」と感じる、などとは描かれない。事実、龍はひどく幼い。いじめに遭い、階段から転げ落ちて骨折し、母と同じ病院に入院している泉と微かに心を通わせても、泉と病院で親しくしていたことを同級生に知られて同じようにいじめられることを恐れ、泉がもしそんなことを言っても全部否定してかかろうと考える。

 ところがそんなことを考えていたとき、父と話しながら手に取った母の料理本に気付いてしまう。常にさばさばとした振る舞いのように見えた母の本心を。

ボールペンは、レシピを記した文章の中の文字の幾つかを丸く囲んでいた。マルとマルとは線で繋ぎ合わされ、辿っていくとひとつの言葉があらわれる。し、に、た、く、な、い。

 僕はいつも、自分から見た祖母しか考えたことがなかった。自分が考える、祖母がどう考えていたのかだけを追い求めて、あの病床で祖母は何を考えていたのかということを、30年近く思い至らそうと考えたことがなかった。堪えきれなくなりそうだったがここで泣く訳にはいかなかった。感情というのは、なんだって発露すればよいというものではないのだ。発露して消化してそれで済ませてしまうようなところが感情にはある。感情には、そういうふうに使ってはいけない種類の感情が、確かにあるのだ。

 『そこへ行くな』のタイトルの意味、短編ごとの意義、全編通してのメッセージ、そういうことを読み解くことは、僕にとっては今回はしなくてもよいことのように思える。これだけでよいのだ。

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2011/05/12

『ポータブル文学小史』/エンリーケ・ビラ=マタス

4582834450 ポータブル文学小史
エンリーケ・ビラ=マタス 木村 榮一
平凡社  2011-02-15

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 エンリーケ・ビラ=マタスは、何にも知らなかった。ただ、本屋をうろうろしてたら、現代海外文学コーナーにこの『ポータブル文学小史』があって、「なんだそれ」と思って手に取ったのだ。その、2か月くらい前のときは買わなかったけれど、ずっと気になっていたのでとうとう買ってみた。立ち読みしたときは「文学小史」の「ポータブル」ということか、と思ってたけど、実際は、「ポータブル文学」の「小史」だったのだ。

 『ポータブル文学小史』には、カフカやサリンジャー、デュシャン、ピカビア、ジャック・リゴー、ジョージア・オキーフ、ヴァルター・ベンヤミン等々、数多くの実在した芸術家・文学者が登場する、多くが秘密結社「シャンディ」のメンバーとして、「シャンディ」にとっていちばん大事なことは、「人生を重いものにしてはいけない」。「シャンデイ」のメンバーとして挙げられる数々の芸術家・文学者たちが、既成の概念やルールを破壊し、”新しい”芸術を目指したモダニストの面々であることを考えると、そのシャンディのいちばん大切なことが言わんとしていることはわかる。必要以上に深刻であってはいけない、身軽でなければならない。だから、「ポータブル文学」なのだ。

 このスタンスは、青春手前にパンクを通り抜けてきた僕たちの世代にはよくわかる。世俗の柵から解き放たれること、「責任」という卑怯な面を下げて人々を束縛するだけの常識から解き放たれること。そして人間性を回復する。
 しかし、その「解放」に、野放図なだけの奔放さを求める、人間の勝手な心性を見てとってしまうことも少なくない、”人生を重いものにしてはいけない”それが目指すところを、都合よく利用してしまう人間の性。それならば、「責任」を軽くも重くもなく「責任」として取り扱えるようになることが、本当に束縛から解き放たれることになるのではないか?どうしても、「束縛からの解放」というだけでは、何か新しいものが生み出せるとは思えない、僕には。自分自身の身勝手さ、都合よさ、なぜ身勝手になりたいのかを見つめることなしには。

 秘密結社は、自ずから崩壊に向かって進むしかない宿命を予感させる。シャンディもその例に違わず、裏切者によって秘密が秘密ではなくなる。この崩壊は、”人生を重いものにしてはいけない”という教条そのものが、”人生”に当てはめきれないことを暗示してるみたいでもあるけれど、そもそもその裏切者として登場するアレイスター・クローリーとは何者だろう?と調べてみたら、秘密結社から独立した神秘主義者だった。

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2011/02/12

『きことわ』/朝吹真理子

4103284625 きことわ
朝吹 真理子
新潮社  2011-01-26

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 貴子が小学三年生で八歳、永遠子が高校一年生で十五歳。最後に会った一九八四年以来、二十五年振りに二人は再会する。二人がそれまで一緒に遊ぶ契機となっていた、葉山の別荘に買い手がつき解体される運びとなり。貴子は別荘の持ち主である春子の子、永遠子はその別荘の管理人の職を得た淑子の子。体の弱かった春子が急逝して以来、貴子の家の別荘住まいも途絶える。永遠子の母が管理人として働き始めたのは、他にいい人ができて外出する口実をつくるためと淑子は永遠子に不意に打ち明ける。淑子は二人目を身籠っていたが生活を考え産まない選択肢を取ったという。それは夫との子に間違いないと言い、もし生まれていれば貴子と同い年だったと言う…。

 二十五年という時間は僕ももちろん経験している。初めて二十五年を経験したときのこともわずかばかり覚えている。会社の同僚が「私らもう半世紀も行きてんでーどう思うこれ?」というメールを送ってきて、「オマエもう五十歳か!それを言うなら四半世紀やろ!!」と散々コケにした思い出があるが、「そうは言っても、半世紀も四半世紀もさして変わらないような気がするのはなぜだろう…単に言葉に慣れてないせいだろうか?経験したのが四半世紀だけで、半世紀を経験してないからだろうか?メルクマールとして認識するものは、二十五年だろうが五十年だろうが、それこそ二十歳だろうが六十歳だろうが、長短を問わずいっしょくたになるのだろうか?」と少し逡巡したことを、本著を読んで思い出した。あの時は逡巡して終わってしまったけど、そしてまだ僕は半世紀を経験してはいないけれど、四半世紀も半世紀も一緒だというつもりはないけれどもしかしたら四半世紀で半世紀を経験していたかもしれないし、僕の記憶に今残っているあの二十五歳までの人生というのは、ほんとうの僕の二十五年の時系列事象とは別物って可能性のほうが高い。今も粛々といろんな出来事が現れ、粛々といろんな人が現れ、僕の気持ちを千々に乱れさせて過ぎていく。それは二十五年で見たことのあるようなことかもしれないし、これからの一年間は予め見たことのあるような一年間かも知れない。この一か月がまるで一年間のようだと今は感じていても、二十五年後に振り返れば一秒も思い出せないかも知れない。できることならこの今の一分一秒を、大切にしたいと思える時間の一分一秒の現在をくまなく大事にしようと過ごしてきた三十九年間だったけれど、知らず知らずのうちに伸び縮みする時間を堆積を、きちんとした寂しさを抱えて抱いてあげることができるようになったんだなと思う。ただできることなら、その「うまくやれるようになった自分」をまた再び打ち砕く程の衝撃を与えてくれないかな、とは思う。

 驚いたのはラストで、永遠子が「今度遊びましょう」と、具体的な候補日を挙げて貴子にメールをしていたこと。確かに古い友人とは言え二十五年振りの人。世間では誘うときというのは、そんなにも早いタイミングで具体的な候補日を挙げるものなのかと驚いたのだ。そして逆に僕は、単なる儀礼としてその言葉を投げかけているのだという印象を与え続けてきたことが多少なりともあるのだと。

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2011/02/06

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』/岡田利規

4103040513 わたしたちに許された特別な時間の終わり
岡田 利規
新潮社  2007-02-24

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 この文体が、もちろんこんなにうまく書けるという訳ではなくて、なんだか自分が書いているような感じで驚いた。あんまりこういう文体を見かけたことがない。語り手である人物が今いてる場所の詳細をうねうねと書きつけていく感じ。

 渋谷のラブホで四泊五日した行きずりの男女の、男性側の語りと女性側の語りだけど、僕は、それがイラク空爆のときで、二人が示し合わせてテレビを全く見ず、ことの経過を待ったたく知ろうとせず、世間と隔絶された時間を過ごそうとしたということよりも、女性側の語りで語られる、「今感じているこの渋谷-知ってるのに知らない街-みたいなモード」の感覚のために四泊五日があったというのに感じ入る。そして、女性は「まだ離れたくなかった。でももう少しだけだと決めてもいた」というところに、とてつもなく女性らしさを感じる。僕たちは例えば旅行で非日常感覚を味わうけど、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わおうと思うとどうしているだろう?僕の場合、例えば東京出張のような気がする。例えば、休日に勤務先近辺を歩くことのような気がする。僕が味わっている感覚は、本著が説明している感覚とは重要度が根本的に違うかもしれない。僕が味わっているのはほんとに「知ってるのに知らない」だけだけど、本著の二人は「戦争が起こっている」というより重要なときなのだ。それでも、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わいたい、という欲望は理解することができる。そして、本著ではそれは四泊五日という長さの時間だけれど、それが一年や二年や五年や、という長さになることもあるだろう。何年もの長さをかけて、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚に溺れたくなることだって、現実の人生には起こるのだ。  

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2011/01/07

『袋小路の男』/絲山秋子

袋小路の男 (講談社文庫)
袋小路の男 (講談社文庫) 絲山 秋子

講談社  2007-11-15
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 『妻の超然』に続いて絲山秋子。文庫が出ていると知って早速買ってみた。「袋小路」と言われると『デッドエンドの想い出』、足掛け10年の恋と言われると最近読んだ『寝ても覚めても』を思い出す。日向子が袋小路の家に住む小田切と出会ったのは高校一年。それから12年、指一本触れることないまま、二人は連絡を取り合い、時に会ったりする。どうして小田切は日向子に対して踏み込まないのか?それを小田切側の視点も踏まえて三人称で描かれる『小田切孝の言い分』。小田切がどうして日向子に手を出そうとしないのか、関係を前に進めようとしないのか、男の僕にはわかるようなわからないような、醍醐味ともいえるもどかしさが続く。けれども、「袋小路」の言葉の持つ甘美さは『デッドエンドの想い出』の方が染み渡っていたし、足掛け10年の恋の見えていないさ加減(または見ている加減)は『寝 ても覚めても』のほうが鮮烈で味わい深かった。

 しかし出会いはいつでも思わぬところから飛び出してくる。僕に取っては三作目の『アーリオ オーリオ』がこの上なかった。釘づけになって一気読みしたといって差し支えない。

 38歳の哲と、14歳の姪美由。ケータイメールではなく、リアルタイムではない手紙でのやりとり。哲の過去の恋愛と、14歳の美由にさえ悟られた自分の性分。それは自分が聞く耳を持たないことと、未来について話したがらないこと。見たいのは光っている天体ではなくダークマター。哲とのやり取りのなかで美由は自分だけの新しい世界を作り始め、哲はそれを見ても自分の変わらなさ変えられなさを変えられるなんて思いもしない、諦めている。

 なぜか?終わりを心底怖がっているからに決まっているじゃないか。なぜそれがわからないんだ。終わりと睨めっこして明日を乗り越えるなんて芸当、到底出来ない。だから未来を語らない。若い美由には掃いて捨てるほどの先があり未来があり当人はそれを未来だと思っていない、高校受験と同じくらいの扱いだ。けれども哲は既にほっそりとした恋人と一度その「未来」を潜ってきていて絶望している。
 いや、それは年の問題ではなかった。小田切も、たかが2歳の歳の差でも未来を語らなかったじゃないか。

 なぜか?終わりを心底怖がっているからに決まっているじゃないか。なぜそれがわからないんだ。

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2010/12/30

『妻の超然』/絲山秋子

4104669040 妻の超然
絲山 秋子
新潮社  2010-09

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 文麿は他の女のところに出かけていっているようである。理津子は確認はしていないがそれを事実としていて、だからと言って事を動かそうとは思わない。曰く、「超然としている」。

 理津子は文麿の行動そのものに対して直接的に文麿に何かを言ったりはしない。それを以て理津子は自分を「超然」だとしていた訳だけど、それは「見て見ぬ振り」とそう変わらないものだった。それに、理津子は文麿の「行動」に対しては目を向けていたけれど、文麿の「考え」には全然目を向けていなかった。彼が何を考えているのか、考えたことがあるのか。あるとき理津子はそう自問する。そして、自分がやっていたことは「超然」ではなく「怠慢」だと気づくのだ。
 その過程には、「よその女の家に行ってしまうのは、そっちの方が楽だからではないだろうか。」という一節がある。そして理津子は、「そんなこと、断じて認めるわけにはいかないが。」とここだけは「超然」としていない。やっぱり理津子は、文麿にはまず理津子という図式が必要なのだ。だから「私はまだ一度も文麿を捨てたことがない」のだ。
 だから、捨ててしまえる人は偉いと思う。それは自分の変化を受けいれていることだと思うから。でも偉さはそこまでなら半分で、相手の変化にもちゃんと目をこらしていたのだろうか?それを受け入れているのだろうか?そこから逃げるように、自分も変化しただけではないのだろうか?それでは結局、「見て見ぬ振り」と同じなのではないか?自分が「超然」のようが「怠惰」に陥ってしまった理由は、実は自分が作り出していたものではないのか?

 僕はこの話を、二つの読み方をほとんどオートマチックにしてしまっていて、ひとつは文麿の立場、ひとつは理津子の立場。文麿の立場というのは、「誰かの許しに甘えて生きている自分」、理津子の立場というのは、「怠慢な自分」だ。どちらの自分もいることは認めざるを得ないと思う。もちろん、そういう自分を出さないように日々努力はしているつもりだけど、どうしても文麿だったり理津子だったりしてしまう、それもどうしようもなくてそうなってしまう毎日が続くときも、言い訳ではなくて実際にある。そんなとき、理津子が忘年会から酔っぱらって帰ってきて、眠れているのに眠れないといって傍で寝れば眠れるということを知ってて寝かせてあげて「文麿がしあわせで嬉しかった」と感じる、その心ひとつに救われるし救えるのだ。それこそが「超然」なんじゃないだろうか。そういう「超然」を身につけることができたり、救われたりすることが、僕にもあるだろうか?

 途中、理津子のストーカーの話が出てくる。親友ののーちゃんに相談すると、「この手紙をそのストーカーに渡せ」と封された封筒を渡される。理津子は言われる通り、ストーカーにその手紙を手渡すと、それきりストーカーは現れなくなる。中身がどんなものだったのかは最後まで明かされなくて、僕はその内容をうまく想像することができない。のーちゃんは「人間扱いしてやっただけ」と言っていて、これはたぶん、「見て見ぬ振り」をしていた理津子の文麿に対する態度と遂になっているのだとは思う。 

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2010/10/18

『ウェブ人間論』/梅田望夫・平野啓一郎

4106101939 ウェブ人間論 (新潮新書)
梅田 望夫 平野 啓一郎
新潮社  2006-12-14

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 発言からうかがえる平野啓一郎の感覚が、自分の感覚に近いものなのが何より驚きだった。もう少し、線を引いた考え方をする人という印象を持っていたので、昔気質と言っていい感覚を持ってることに驚いた。
 「おわりに」に書かれている、”平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である””私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるがゆえ、変化とは不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える”というところと、「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うよ うになりました」との組み合わせが、僕にとってこの本の要諦だった。もちろん、平野啓一郎により共感している。どうしようもないからとそこから一歩退いて、楽に生きられて居心地のいい場所を見つけて、それを「いろんなやり方を身につけられた」と世界を広げたふうに言うのはクレバーではあっても成長はない。そこにある苦難を避けて通るための理由づけは、どんなに聞こえが良くっても言い訳にしかならない。ダメでもやってみるところにしか、幸せはやってこないのだ。

p24「80年代に活躍したいわゆるニューアカ世代の一部の人たちには、今でも、あらゆる情報に網羅的に通暁して、それを処理することが出来るというふうな幻想が垣間見える」
p39「ブログを書くことで、知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感」
p52「ハンナ・アレント」
p53「そういうナイーヴな、一種の功利主義的な人間観は、若い世代の、とりわけエリート層にはますます広まりつつあるんでしょう」
p77「アレントの分析(公的領域)」
p78「私的なことを公の場所に持ち込まないという日本人の古い美徳は、今や単に社会全体の効率的な経済活動から、個人の思いだとか、思想だとかを排除するための、都合の良い理由づけになってしまっている」
p86「スラヴォイ・ジジェクというスロベニアの哲学者が、『存在の耐えられない軽さ』で有名なミラン・クンデラというチェコ出身の作家を批判している」
p145「世代的な感覚でいうと、『スター・ウォーズ』に熱中してるって、ちょっと珍しい気がしますね。」
p163「言葉による自己類型化には、安堵感と窮屈さとの両方がある。」
p170「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うようになりました」
p177「確率的に存在する」
p179「フランスの哲学者のピエール・ブルデュー」

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2010/09/27

『WEDGE 2010年8月20日号』

特集:『日本の森林「孤独死」寸前」

p27「問題は荒れた人工林」「人工林の手入れ不足」
p27「戦前や戦後すぐのころの写真を丹念に見ると、・・・いわゆる「はげ山」です」
p27「転機は昭和30年代」「国産材の需要は減りました」「人工林が1000万ヘクタール超 約4割」
p28「平準化作用」「蒸発作用」-「洪水緩和機能」「水源涵養機能」
p29「日本人が社長のダミー会社をかませていたら、実態を掴むことは不可能」「中国人が買いに来たことを役所に報告したことが漏れれば、中国人からの報復や嫌がらせがあるかもしれないから怖い」
p29「地租改正時に作図されたポンチ絵程度の「公図」」
p30「林業再生」「多野東部森林組合が進める集約化」
p31「日吉町森林組合」
p31「林野庁予算で約4000億円」「地方自治体を加えれば約1兆円の年間予算」
p32「集約化が難しい理由=原価計算の困難さ」「請負業務」

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『虐殺器官』/伊藤計劃

4150309841 虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房  2010-02-10

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巷で評判の『虐殺器官』の文庫本が並んでたので購入。僕はSFはどうも苦手と言うか、空想の凄さや思いつかなさに驚嘆しながらページを捲れるタイプの読書家ではないので、突飛な感じのSFは遠慮してたんだけど、『虐殺器官』はどうやらそういう手合いではなくて、背後に社会的な背骨が通ってる雰囲気があったので思い切って手に取ってみた。文庫本の装丁はシンプルで”ソリッド”でとてもカッコいいと思うのだけど、僕はブックカバーをしないので、通勤電車でこの背表紙を見た人々にはやっぱり気味悪がられたのかな。

本当に偶然と言うのかセレンディピティと言うのか世間がそういうふうに回っているのか、マイケル・サンデルを読んで、『ドーン』を読んで、そしてこの『虐殺器官』と来た。改めて、9・11というのが以下に現代の人類に、社会に、政治に、衝撃と困難な課題をつきつけたのかを実感。『虐殺器官』は、アメリカ情報軍特殊検索群i分遺隊という、「暗殺」を請け負う唯一の部隊に所属するクラヴィス・シェパードが、後進諸国で続々と発生する内乱や大量虐殺の陰に必ず存在すると言われるジョン・ポールという男を追う物語だが、テロとの戦いにおける管理体制と国家関係を縦軸、自分の母親の生命維持装置を停止させたことと自分が遂行している暗殺との違い(あるいは同一性)にうち苦しむシェパードの姿を横軸に展開する。

テロとの戦いの部分は、ジョン・ポールと二度目の遭遇をした時点で、たぶん概ね筋が理解できてしまうと思う。悪人と思われる人にもそれなりの事情があって…という、ヒトラーの物語を借景したような筋書と、「必要悪」を是認せざるを得ないと主張しがちな国家の事情をミックスさせながら、「虐殺の器官」の正体を知ったシェパードが選択するラスト。このあたりは、ストーリーを楽しむところではなくて、それぞれが「自分の立場」でモノを考えるときに、正しく進めないと陥ってしまう悲劇の1パターンとして肝に銘じながら、自分の考えを練り上げる材料にすればいいのかな、と読みながら思った。政治の過程をよりリアルに描いていた『ドーン』のほうが、より実際的に考える材料になるし、『虐殺器官』はそういう意味では戒めというか、昔話のような効果を持つかなと思う。

どちらかと言うと、僕は「意識がなくなればそれは死か?」という、母親の生命維持装置を停止させる下りが印象に残っている。SFという力を借りて、現在における脳死状態等から更に一歩進めて、「脳の何が残っていればそれを意識と言えるか答えが出せない」という医者の見解を、脳の一部を操作すれば、「痛み」を受けたことは分かるけれども「痛み」は感じない、という芸当ができるほど技術が進んだ時代でも、意識に関してはそうなんだと語らせることが深みに感じられる。意識とは何なのか?それは、「何だから自分なのか?」というところに行き着く問い。

言葉についての軸は、読んでるときは面白いと思ってたけはずだけど、感想を書くときには全然意識に上らなかった。書くべきことを忘れてないか、付箋のつけたところをパラパラと捲ってみて、ああそういうテーマもあったな、と思い出したくらい。

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2010/08/05

『乙女の密告』/赤染晶子

4103276614 乙女の密告
赤染 晶子
新潮社  2010-07

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 京都の外国語大学の、『ヘト アハテルハイス』をテキストに用いるゼミに参加している「乙女」であるみか子。バッハマン教授から明日までに1944年4月9日をスピーチコンテスト暗唱の部の課題テクストとして、明日までに暗唱してくるようにと乙女達に課題が突きつけられる…。

 乙女と真実と自己と他者。『ヘト アハテルハイス』(アンネの日記)の暗唱を通じて、認識の問題が掘り下げられていく。自分が「自己」であるとはどういうことか。「他者」でないとはどういうことか。そして、自己が何者かを、ほんとうに自分は知っているのか?そもそも、その「真実」を知りたいと、思っているのだろうか?みか子は言う。「乙女は真実を必要としない」。そう、本著では「乙女」は「直視しないもの。目を逸らすもの。」の代名詞だ。

 アンネは1944年4月9日の日記で「オランダ人になりたい」と、「他者になりたい」と宣言している、そのことの意味をみか子は暗唱の中で掘り下げていく。この、掘り下げていく過程の描写が、ものすごく小気味がいい。とても短い文章がリズミカルに畳み掛けられてくる。いや、「リズミカル」というのとはちょっと違うかも知れない。頭の中で音読するに淀みがないような流麗な長い文章がうねうねと続くようなものではなく、とにかく一文は一個の事物しか表わさない、といった短文で語りが続き、乙女と真実と自己と他者という概念的な何かを頭に描かずにおれなくなるのだ。

 クライマックスでみか子がアンネの名前を「血を吐いて」語るように、本著にとって一番大切なテーマは乙女と真実と自己と他者なのは間違いないと思う。けれど、僕にとっていちばん印象に残ったシーンは、バッハマンが乙女達を2つのグループに分けるときの、「あなたはいちご大福とウィスキーではどちらが好きですか」というシーン。乙女達はいちご大福が好きかウィスキーが好きかという条件だけで2つに分けられ、それだけの条件なのに分けられた2つのグループは驚くほどの団結を見せる。あたかも「他者」とは全く違うと断言するある「グループ」を形作っているものは、この「いちご大福かウィスキーか」という分け方と、それほど違うのだろうか?「自己と他者」というテーマを構えながら、そこにもう一つ、「そうまでして他者と線を引きたい自己の、自己を自己たらしめているものって、実は”いちご大福かウィスキーか”と同じくらい、意味なんてないことなのかも知れないよ」と言われている気がした。

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2010/07/19

『そしてカバたちはタンクで茹で死に』/ジャック・ケルアック&ウィリアム・バロウズ

4309205399 そしてカバたちはタンクで茹で死に
ジャック・ケルアック ウィリアム・バロウズ 山形 浩生
河出書房新社  2010-05-15

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 ジャック・ケルアックは『オン・ザ・ロード』を、ウィリアム・バロウズは『裸のランチ』を、それぞれ1冊読んだことがあるだけで、二人がビートジェネレーションであり熱狂的に支持された作家という程度の知識しか持ってないまま読んでみた。『オン・ザ・ロード』も『裸のランチ』も面白かったのは面白かったんだけど、僕は「破滅的な何かを漂わせる魅力ってそんなに魅力か?」と文句をつけたがる性分になっていたので、掘り下げて何冊か読んでみようとはしなかった。ドラッグにせよ精神異常性にせよセックスにせよ、生まれたときから多少なりとも命に関わる病気持って生まれた生い立ちの人間に言わせてもらうと「バカバカしい」ということになっちゃう(もっとも、両親がうまくやってくれたおかげで早くに治り本人は病気で不自由した記憶はないけれど)。精神異常性も自分で好き好んで破滅的な生活に追い込んで陥る分はとくに「バカバカしい」と思ってた。1972年生まれでバブルを越えて青春を1990年代前半に過ごした僕は、問答無用の無茶苦茶さならもっと酷いものを見てきたし、そういう無茶苦茶さに与してもほんとにバカバカしいだけで何にもならんというのも実感的に判ってて、ビートジェネレーションも「今更何なん?」と思っていた。
 本著の後書を読んで、ビートジェネレーションが狭い人間関係の中にあって、その引き金となった事件がカー・カマラー事件ということを学んだ。ルシアン・カーが、デビット・イームス・カマラーを殺害した事件で、本著はその事件をベースにして、知人であるケルアックとバロウズが章ごとに書き繋いだ作品だ。カマラーはゲイで、25歳のときに知り合った11歳のルシアンに入れあげる。そして8年間の末、ルシアンに殺される。性的関係はなかったとされる。僕はゲイではないのでその点だけはわからないけれど、カマラーのことを「煩わしいが利用したい部分もあり頼らざるを得ない部分もある」と見なさざるを得ないルシアンの困惑はちょっと判らないでもない。そこにゲイという要素が絡めば一層ややこしくなるのは自明だろう。でも、これって、言ってみれば普通、自分の親に対して誰しもが抱く感情だと思う。その依存の対象が自分の親ではなく、性的に倒錯した男性だったところに、ルシアンの中でも無理が溜まっていったんだと思う。そして、ビート・ジェネレーションの一味は、バイセクシャルが珍しいことではない-というより、「それがどうしたの?こんなの普通のことだよ」と言いたがってるように見える。
 1972年に生まれて現代を生きている僕にしたら、「そんなに壊れたいんならさっさと壊れてしまえばいいじゃん」と唾を吐きかけたくなる。その倒錯した破滅的な魅力というのはもちろん判らなくはないんだけど、壊れたがってるくせにうじうじ生きているようなヤツが僕はいちばんしょうもないと思うのだ。何かを壊したいと思ってるならまだいいけど。後書にも書かれていたけれど、この本の一番の無理は、「ストーリーの起点がカー・カマラー事件」であることだ。始まりを終わりに持って来ざるを得ないプロット。それって何のための始まりなの?とプロットにさえ突っ込みたくなる。
 僕は既に、雰囲気だけで耽美できるような時代も頃合も年齢も通り過ぎて今を生きているので、このビートジェネレーションの時代の魅力を今更学んで耽ることはできないと思う。自分が実際に生きてきた時代の懐古なら出来ると思うけど、その魅力の根本が全く自分の性に合わない時代の魅力にはもはや理解を示せない。『そしてカバたちはタンクで茹で死に』というタイトルの元になった場面が作中に出てくるけれど、「カバたちってのはつまりビートジェネレーションの仲間全体だろう?」と邪推しても、「ただのラジオ放送からおもしろいと思って引っ張っただけ」と言い返すくらいだろうし。

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2010/05/09

『オー!ファーザー』/伊坂幸太郎

4104596043 オー!ファーザー
新潮社  2010-03

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 四人の父親がいる高校生・由紀夫が、徐々に徐々に事件に巻き込まれて・・・というか絡んでいく。

 小気味よい台詞回しと、重層的なストーリー展開。好きな人間なら誰しも「これが伊坂ワールド」と納得する構成なんだけど、僕は「なんかもうひとつスムースじゃないなあ…」と思いながら読んでたら、後書で本作が新聞連載だったと知って、それはそれで納得。そしてもうひとつ、「これが第一期伊坂幸太郎最後の作品」と書かれていて、それもそれで納得。

 随所に張り巡らされた複線、ちょっとだけ斜に構えてるがゆえに本音の温かい部分を受け入れやすいキャラクター達、何が起きているのか簡単には掴ませられないミステリー部分、娯楽小説としては確かに「第一期終幕」を飾るに相応しいと思います。ただ、「伊坂幸太郎を読みたいんだけど何から読めばいいかな?」と誰かに聞かれたら、僕は本作はオススメしないです。そう考えると、これはやっぱりファン向きなのかなーと思いました。 

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2010/03/08

『雲の世界の向こうをつかむ クラウドの技術』

4048680641 雲の世界の向こうをつかむ クラウドの技術
アスキー・メディアワークス  2009-11-05

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  • 直接的には下記3章が有用。
  1. クラウドの技術的特長
  2. 変わりゆくデータセンターの役割とカタチ
  3. クラウドの可能性と課題
  • p9 「CAP定理」consistency,availability,partitionの2つしか同時に満たせない
  • p10 eventual consistency = ある期間のあとにはコンシステンシな状態に戻る
  • p11 「クラウドシステムでは、…クラウドシステムのOS自身が、フェイルオーバーの能力を持つ」
  • 「エンタープライズの基幹業務にはクラウドは向かない」…「スケーラブルでアベイラブルで、かつイベンチュアルコンシステントなシステムは可能である」
  • ”イベンチュアルコンシステント”とは、パフォーマンスに帰結しないか?
  • p11「BASE」basically available, soft state, eventually consistent
  • p13「2ギガのメモリのPCが1000台集まればメモリ容量は2テラバイト」

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2010/02/14

『二人だけで生きたかった 老夫婦心中事件の周辺』/NHKスペシャル取材班

二人だけで生きたかった―老夫婦心中事件の周辺 (NHKアーカイブス特別編)
NHKスペシャル取材班
双葉社  2004-02

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 いつもは必ず感想と同時にアップすることにしてるんだけど、本書に限ってはすぐに整理して書けません。大学時代、この番組を授業で観て以来ずっとこころに残っている。 

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2009/10/04

『完全保存版京阪神アートブック』/京阪神エルマガジン社

4874352936 L magazine art-京阪神アートブック 完全保存版―関西の美術館・アートスペース最新完全ガイド (えるまがMOOK)
京阪神Lマガジン  2009-04

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p34「京都国立近代美術館 学芸課長 河本信治」
p36
「美術館独自の文脈を作って、それに則ってのロックコンサートであると。」
「なぜ美術館のコンテンツにファッションを取り上げるのか。ファッションを通じて何を読んで何を伝えようとするか。そのプロセスがとても大事だと思います。これをはずしちゃうと、単なる展示施設になってしまう」

ひさしぶりに「文脈の大切さ」に自信を持たせてくれる文章に出会った。コンテクストの大切さ。即席のコンテクストは簡単に見破られ、二度と信用されることはない。どんな些細な決め事でも、そこまでにたどり着くコンテクストを準備しようとしたかどうかは重要だし、その準備の姿勢も問われる。通り一遍の儀礼的な会議で出てきたコンテクストに同意する人間はほとんどいない。コンテクストをコンセプトに変えても同じ。要は、「なぜ私はそう考えるか」を語ることに同じだから。自分の職場では、これを徹底できない。時間をかけて考えるくらいなら付け焼刃で十分、みたいなところがある。

もうひとつ、この文章に惹かれたのは、「これをはずしちゃうと」の一文があるところ。自分の問題としても、「はずしちゃうと」どうなるのかまで答えられないといけない。  

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2009/09/21

『まひるの月を追いかけて』/恩田陸

4167729016 まひるの月を追いかけて (文春文庫)
文藝春秋  2007-05

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 奈良を舞台にした小説ということで勧められて読んでみました。奈良の紹介具合は、結構住んでる人間の感覚に近くて違和感なかったです。主人公の静はもちろん奈良に何の縁もない訳だけど、その静の視点が、住んでる人間の視点に近くて、読んでいてシラけずにすみました。奈良が舞台というと、妙に神社仏閣の解説が加わったり、あやしい神話伝説が挿話されたりして、いやいやちょっと待ってくれよって思うので遠ざかっちゃうんですが、この小説は奈良市内や法隆寺だけでなくて明日香なんかも結構仔細に回るのに、その描き方が自然で良かった。ちなみに僕の実家は橿原神宮とはどうも相性が悪いと参拝を避けてきてたので、橿原神宮がそんなに新しい神社だとはこの本を読むまで知りませんでした。

 主人公・静の異母兄弟である研吾が奈良で消息を絶ったと恋人の優佳利から連絡があり、研吾を探しに奈良に誘われる。この捜索行が二転三転する訳ですが、研吾自身が割と早い段階で登場することもあり、話の中心は、捜索ミステリーじゃないということは早々に気づきます。その分、途中中弛みするような感覚もあったんですが、複雑な家庭環境や満ち足りない感触を補いあうことの危うさや貴重さや遣る瀬無さや儚さが、後半怒涛に溢れます。研吾の出した答えは、答えになっているのか?橘寺で待っているその人と組み合わせると、考え込んでしまいます。

 p248「ほとんど神話と地続きの時代よ。奈良は、ちょっとずつ場所をずらして、いろんな時代が点在しているの。そこが京都との違いよね。」
 p373「奈良を歩いていると、生きている人間も、死んでいる人間も、同じ場所で暮らしているという感じがする。」

 これは住んでる僕の感覚ととても近いんだけど、旅行で訪れる方もこう思うのでしょうか?一度聞いてみたいです。

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2009/08/12

『IN/SECTS インセクツ 00号 2009 Spring』

4861521998 IN/SECTS インセクツ 00号 2009 Spring
LLCインセクツ
青幻舎  2009-05-15

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 9・11の後、教授はなにかあったときにマンハッタンを脱出するためにレンジローバーを買ったらしい。レンジローバーを買えるだけのお金があるかないかという話はとりあえず置いておいて、「どんな車だったら非常時にマンハッタンを脱出できるか?」と考えて実際に車を買うという行動までやってしまうところが凄いな、と思った。僕は考えても、実際そんなときに脱出なんて出来る訳がないとか、どんな車でも限度があるぞとか、そういう、できない方向ばかりどんどん出てきてしまう。とりあえずやってみるかみないか、ここんとこの差が大きな差になるんだな、というのを改めて感じる。

 あと、結構はっきり好き嫌いを言ってるとこも興味深い。あまり、好き・嫌いというのは言わないほうが幅が広がるものだと思ってたので。別の記事で坂本龍一が「東京の人はがんばらないよね。そこがかっこいい」と語ってたとあったけど、この言葉の解釈の仕方も勉強になる。 

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2009/08/08

『IN/SECTS』vol.000

4861521998 IN/SECTS インセクツ 00号 2009 Spring
LLCインセクツ
青幻舎  2009-05-15

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表紙にデカデカと地元・生駒の文字が躍ってて思わず購入。

編集のLLCインセクツは、京阪神エルマガジン社の発行物の編集を手がけたりしている編集プロダクションだそうで、雑誌を発行するのはこの「IN/SECTS」が初とのこと。地元・生駒の特集はすごくおもしろかった。スチャダラパーを宝山寺に連れて行ってインタビューしたり、地元の名店の店主にインタビューしたりしてるんだけど、場所の力ってあるんだなーと思いました。すごく感覚が近くてしっくりくる。それは、奈良には大きな力があるってことなのかな?いや、違うな。どこの場所にもその場所その場所の大きな力があるんだろうな。

クオータリーマガジンということだけど、とにかく長く続けてほしいです。最低3年は続けてほしい。最初に生駒が特集されたっていう「よしみ」で、このおもしろさが続く限り手に取り続けたいなと思います。それって、これからの世の中結構大切なことじゃないかな、と思います。  

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2009/06/03

『ばかもの』絲山秋子

4104669032 ばかもの
絲山 秋子
新潮社  2008-09

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 大学生のヒデがバイト先で知り合った額子。二人の「ばかもの」が、取り返しのつかない転落を続けていく。

 同じ失敗を繰り返すのが、いちばんの「ばかもの」だと思う。そして、その同じ失敗に自ら足を踏み入れる人間が、いちばんの「ばかもの」だと。僕は結構ラディカル(今となっては死語)な性質なので、それがよいことであれ堕落なことであれ、やるなら徹底的にやり切るのを旨としているが、他人を見ていて蔑みたくなるのは、それは失敗だと分かっていて、失敗だけども自分の本能や欲望に抗し切れず足を踏み入れているのに、そこそこの安全地帯で留まろうとする人、これが本当に最低の人間だと思う。

 そういう意味では、本書のヒデも額子も「ばかもの」ではない。行き着くところまで行ってしまう。ヒデはアルコール中毒に陥ったりする。そして、そのループを予め予想できるのに、止めることができない怖さも認識している。でも中途では止まらない。欲の任せるままに突っ走ってしまう。だからといって、ヒデは単にだらしない人間ではない。同級生が宗教に傾倒した様を目の当たりにした際、「死ぬ という言葉がちょっと気の利いた買い物のように発されるのを聞いて、面倒だなと」思うくらい、いわゆる思慮分別があるのだ。

 ヒデは頭でっかちだ。それも、割と謙虚な頭でっかちだ。淡々と人並みの人生を送れればよいと思いながら、なぜか転落を続けてしまう。こういう人が最も全うで、全うであるがゆえに弱くて、転落しやすいのかも知れない。けれど、「ばかもの」ではない、と思う。ヒデは、けして安全地帯に逃げ込んだりはしなかった。額子も然り。辻褄のあわないところは何もない。そういうヒデと額子の物語は読んでいて爽快だった。

 ひとつ、若干冷めたのは「デュアルプロセッサの搭載されたパソコン」の下り。デュアルプロセッサの搭載されたパソコンなんて、普通の人はそうそう持っていないと思う。デュアルコアのパソコンなら普通だけど。僕はこの業界にいてるので、ドラマや小説にIT関連が登場するたび、些細な違和感を感じるものだったが、小説はなぜいつもこんなに世界を何でも俯瞰できるのだろうと思ってたけど、デュアルプロセッサの如く、本当はどこも少しずつ破綻してるもんなんだろう、と。 

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2009/05/31

『沖で待つ』/絲山秋子

4167714027 沖で待つ (文春文庫)
絲山 秋子
文藝春秋  2009-02

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  第134回芥川賞受賞作『沖で待つ』他2編収録。

 『沖で待つ』は、小説を読む意義を再び僕に教えて与えてくれた小説だった。何のために小説を読むのか?小説から何を得るのか?そして、なぜその小説を読んだと表明するのか?その小説から何を得たと、人に伝えるのか?そういった悩みに一本筋を通してくれた。

 小説を読むということは、自分をひけらかすことではない。「こういうものがわかるのだ」と、自分の偉さをひけらかすことでは全くない。そんなエゴやプライドに塗れたコミュニケーションのために利用されるものじゃない。そう思ってきたけど、『沖で待つ』は、まあそんなことがあってもいいじゃないか、となぜか思わされたのだ。これは不思議な感覚だった。

 疲れた気分をぶちまけるような読み方があっても構わないし、そんな自分を戒めるような読み方があっても構わない。別に、明日からの日々の自分に反映するように読まなくったって構わない。自意識過剰はみっともないけれど、まあそれでも構わない。そんな感触が残った。

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2009/05/05

井上荒野

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『あなたの獣』/井上荒野

4048739018 あなたの獣
井上 荒野
角川グループパブリッシング  2008-11-29

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 櫻田哲生という男の生涯を描いた、10編の短編。

 構成が『ニシノユキヒコの恋と冒険』に似ている、と気づくほど読み進める前に、雰囲気が川上弘美に似ているな、と思って読み進めたら、途中、村上春樹か、と思わず突っ込みそうになった章があった。それはまあ、学生時代の話でカラダが奔放で仲間が死ぬから、というようなところの安易な連想かもしれないけど、このエピソードで登場する璃子が最終章まで引っ張られてるので、小さくない意義があるのだと思う。

 「あなたは、いつでも、どこにもいなかった。」というのは、男がよく女の人に言われる台詞のひとつだ。じゃあ、女の人は、どうであれば、一緒にいてると思うのだろう?このことを考えると、男の僕は息が詰まりそうになる。完全に言ったもん勝ちのロジックだからだ。その代わりに男という性の持っているアドバンテージはなんなのだろうか?そこを突き詰めていくと、こんなにしょうもない櫻田哲生が、これだけの女性の間を揺らぎながら生きてきた理由にちょっとだけ触れられるような気持ちになる。著者は女性だから、櫻田哲生に女の人が惹かれるところの描写は全部本当じゃないとしても、全部的外れではないだろう。

 金や地位といったもので好かれた女性は、金や地位が無くなったり、金や地位に飽きたりしたら、その男から離れていく。じゃあ、精神的なもので好かれた女性は、その精神に飽きたりしたら、その男から離れていく、ということだろうか?

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2009/05/04

ダーリンコラム 1999-08-30-MON <忌野清志郎は好きなんだけど>

「関心空間」に書いた文章なんだけど、我ながらあまりにもうまく書けたと思ったので、転記転記。

---

僕は、実は「ほぼ日」はほとんどチェックしていない。糸井重里に、あまり染まりたくないからだ。
僕ぐらいの年代の人は、糸井重里とその作品に、多大な影響を受けている。
なので、いくらでも糸井重里テイストを好めるし、染まれる。
それがどうも好きじゃなくて、敢えて遠ざかってます。

翻って僕は、言うほど、忌野清志郎をリスペクトしたりもしてません。
どちらかと言うと、僕らくらいの世代っていうのは、既に、
忌野清志郎は、パンクで言う「破壊すべき体制・対象」の側になっちゃってたと思う。
「キヨシローがやってるんだから、オーケーだ」という「型(カタ)」が出来上がっちゃってた。

良し悪しを無視して、「既存」は遮二無二ぶっ壊しにかかるのが、僕らの時代のパンクだった。

でもって、確か高校三年か大学入りたてかの頃、
忌野清志郎のことを、育ちが良くて結局安全地帯から攻めてるだけでインテリゲンチャと変わらない、
というような記事を読んで、多少の共感を覚えたことを思い出し、
そういう文章はないかなあ、とネット検索してみたら見つかったのが、これだ。

驚くべきことに、糸井重里が、きちんと批判していた。
http://www.1101.com/darling_column/archive/1_0830.html

僕は、キヨシローが言う「ロック」の部分に関しては、
この糸井重里の批判が完膚なきまでの的確さだと思う。
1999年以降の、キヨシローの活動の詳細は良く知らなくて、
fm802キャンペーンの『Oh ! RADIO』は素直にいい作品だと思ったけれど。

ロックであれパンク(ロック)であれ、その魂とセンセーショナリズムとは全然違う。
「社会で生きていく」ことと「パンク」は両立しないかのような思い込みが僕らにはどうしてもあるが、
「既存」を遮二無二ぶっ壊しにかかるのは、
「パンク」がどうしてもやり遂げたいことをやり遂げるために、
それが最善だと思ったときに取りうる選択肢のひとつなだけであって、
やり方は他にいくらでもあるし、他のやり方でやったってそれはもちろん「パンク」なはずだ。
奇天烈なことをして唾を吐くのが「パンク」じゃない。
若い世代というのはいつだって柔軟で、
「メロコア」なんて、立派なパンクの一手段じゃないか。

僕は、糸井重里も忌野清志郎も信奉したりはしていない。
それぞれに、好きなところも好きじゃないところもある。
だから、「僕はこう思います」と言えることが大事だし、
誰にだってそういうことが大事だと思うのだ。
その意味で、やっぱり、糸井重里も忌野清志郎も大好きな人たちなのだ。

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『チョコレート・アンダーグラウンド』/アレックス・シアラー

4763004204 チョコレート・アンダーグラウンド
Alex Shearer 金原 瑞人
求龍堂  2004-05

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 選挙に勝利した「健全健康党」は、「りんごさくさく気分をどうぞ」を合言葉に、チョコレート禁止令を出した!町から甘いものがどんどん駆逐されていく。勇気ある少年、ハントリーとスマッジャーは、「健全健康党」に挑戦すべく、チョコレートの密造を始める!

 完全無欠の少年少女冒険活劇。なので、そこに込められている含意とか、解説を待たず読んだ人だれもがピンときて、納得できると思う。これだけ理想的な冒険ストーリーなのに、「水戸黄門」のような偉大なマンネリズムを観る安心感で読み進めるというのではなく、盛り上がりながら面白く読めるのは、健全健康党に立ち向かう手立てのディティールのリアルさと、それぞれの立場の人々の真理のリアルさだと思う。健全健康党に取り入りたいフランキー・クローリーのいやらしさとか、フランキーがそうしようとした理由、それにその理由を知っても用心してしまうスマッジャーの揺れとか、そんなスマッジャーなのにチョコバーを開催できて以降は有頂天になって油断してしまうところとか。どのタイミングでも、どちらか一方に簡単に事が流れない。ここが楽しめるポイントだと思う。

 『ノーと私』を読んだときにも思ったんだけど、イギリスやフランスの児童文学というのは、こんなに社会派なんだろうか?『ノーと私』は若いホームレスがテーマだったし、『チョコレート・アンダーグラウンド』ではアパシーなんかも取り上げられてて、「アパシー」という言葉までちゃんと出てくる。僕が小学生の頃読んだ児童文学で、社会問題を取り上げてたものってあっただろうか?現実の問題を取り上げたものというと、大抵が戦争ものだったように思う。「もう戦争はしてはいけません。こんなに悲惨なことになるのです」という。それ自体はとても意味のあることだと思うけど、それ以外は「夢と希望」みたいな感じだった気がする。もちろん人間にとって最も大切なのは「こころ」だけど、こころの外で何が起きているのかを見つめられないなら、それはただの根性論と同じじゃないか?引きこもりの問題はけして日本だけじゃないから、これと引きこもりを結びつける気はないけれど、こころの外を見つめられる根気というのが、今の空気全体に欠けているような気がした。

 この小説はスマッジャーがヒーローっぽいんだけど、読んでてずっと共感してたのはハントリー。主人公ってどっちかって言うとハントリーじゃないか?と思ってたら、人物紹介はハントリーが1番だった。スマッジャーとハントリーの親はどちらも果敢な親で、スマッジャーとハントリーに協力してくれるんだけど、こういうのを読むと「自分の親とは違うなあ」と一瞬思い、そのあと、いや待てよ、僕の両親も、僕のすることを止めたことなんて一度もなかったな、と、感謝の念がおきる。それだけで、ちょっと自分も成長できたかな、と思える。

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2009/03/21

『切羽へ』/井上荒野

4104731021 切羽へ
井上 荒野
新潮社  2008-05

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 離島の小学校の養護教諭をしているセイと、夫で島の幼なじみである陽介。セイの勤める小学校に、東京からイサワという不愛想な男が赴任してくるー。

 セイと、同僚の月江は完全に対称で、結婚して地に足をつけているセイに対し、月江はいかにもコケティッシュであり”本土”に住むから皆に”本土さん”と呼び習わされている男性の愛人である。”本土さん”は自営業で、月江に会うために月に一週間ほど渡ってくる。月江はそれを隠そうとせず、だから島の人間みな知っており大らかなものだ。
 それにしても苛立つのは女の心の揺れ様で、既婚ながら石和に興味を持つセイにしても、既婚者と関係を続ける月江にしても同じことで、その恋愛感情自体は有り得べきものだと思うし苛立ちもしないが、自分が完全に安全な場所に身を置いた上で揺れるのがたまらなく腹立たしい。安全な場所に身を置いていながら、さも安全ではないかのように思っている、それに苛立つのだ。

 まず目を引いたのはその島の大らかさで、これは”離島”という、狭く閉じたコミュニティに特有のものか、それともモデルとなったと思われる長崎・崎戸町に特有のものか。もしかしたら、世間というのは実はどこでもこれくらい鷹揚なもので、僕が異常に神経質なだけなのか。この小説のポイントがここにないのは明らかなのだけど、月江を巡る男性の諍いと、セイに何も「起こらない」ことの対比に、島の人々の鷹揚さがグラデーションをつけているように思える。

 セイは、あまり内面を出そうとしない頑なな男・石和(イサワ)に引っかかりを持って、小学校で仕事を共にしたりするうちに惹かれいく。しかしながら、いつも寸でのところで決定的な一歩を踏み出さずに済む。物語の終盤、夫である陽介を置いて、石和と丘の上の病院の残骸を目指すのは、限りなく決定的に近いが、結局何も起こらない。戻ってきたセイを、陽介はそのまま受け止める。陽介は、自分の”妻”という人であっても、窺い知れない内面があることを認めていて、それをもまるごと引き受けているのだろうか。それとも単に鈍感なだけなのだろうか。そして、外面的には結局何も起こらなかったからと言って、それで「何も起こらなかった」と片付けられるものなのだろうか。単にサイコロがそちらに転がったというだけで、自分の意思でない以上、起きたのと同じことではないのだろうか?

 物語は、そういうことを考えさせたいという表情は全く見せない。ただただ、セイを取り巻く三月から翌四月の出来事と心情をつぶさに描いてみせるだけだ。だからこそ逆に気になる。病院の残骸のある丘からトンネルを見ながらセイが持ち出した話、「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」という言葉が気になって仕方がない。セイの母は、切羽まで歩いて宝物となるような十字架を見つけてセイの父に送った。我々も、自分の人生は掘り続けているしかなく、掘り続けている間はいつも切羽に立て、宝物を見つけられるのではないか、と。そう考えても矛盾する、セイや月江の日々がフラッシュバックする。それこそがまた、人生なのか、と。 

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2009/03/15

『雲の果てに 秘録富士通・IBM訴訟』/伊集院丈

4532314283 雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟
伊集院 丈
日本経済新聞出版社  2008-12

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 どんなことにも、どんなものにも、歴史があるのだと教えてくれる一冊。

 まず、IT業界にいながら、何もわかっていなかった自分が恥ずかしい。OSは自明のものだと思っていた。違うのだ。OSは最初から存在したものではない。ハードウェアと、ソフトウェアしかない時代があったのだ。互換機ビジネスとスーパーセット戦略はそういう歴史の中から生まれたもので、単純にメインフレームの後続だった訳ではないのだ。そんなことすら知らなかった。そして、その中で知的財産と著作権が最大の焦点になったのだということも知らなかった。知的財産と著作権は、自明のものだと思っていた。最初にそれを作った人間が、それを独占的に使用する権利を持つ。それはソフトウェアについても当然そうだろう、という「感覚」を持って育ってきた。そこには争点があり、歴史がある。そういう認識に欠けたまま、来てしまったのだ。

 IT業界だけではない。今でこそ米国は著作権を当然のように振りかざす存在だが、かつてはコピー天国と言われ欧州に軽蔑されていたのだ。その米国が、歴史の中で、自分たちの権益を守るための方便として、著作権に目をつけ、それを振りかざすようになっていく。そんな、欧州から「幼稚だ」と言われる米国を日本は追い続け、その米国に屈し、果てに「この国は駄目になる」と言われる。そんな米国流の資本の論理が席巻した数年前、買収される側の日本企業の抵抗を、精神論でしかないと切ってすてるような論法が持てはやされたが、果たして米国でも1974年時点では、アムダールという会社は富士通に対して、金と技術の提供は受けるが経営に口出しされたくない、という署名活動を起こしているのだ。おまけに、僕は「日本は器用で技術力の高い国で、日本製品は高品質だ」と子供の頃から思い込んで生きてきたが、1980年代でも日本人は「そもそも日本人が先端技術に手を出すことが間違いだ。日本人にコンピュータを開発する能力なんてないんだ」などと言われるような存在だったのだ。

 すべて目から鱗だった。簡潔に纏めてしまえば、声のでかいものが勝つ、ということと、先を走ったものが勝つ、という、単純な結論しか出てこない。けれど、本書の終わりのも書かれている通り、米国流の金融資本主義は瓦解し、繰り返す歴史と新しい歴史が混沌としている時代に来ている。まさに多く歴史を学ばなければいけない時代であり、全てにおいて自分の目で先を見通し生きていかなければならない。この本に教えられるところは多い。

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2009/02/22

『世界は単純なものに違いない』/有吉玉青

4582833411 世界は単純なものに違いない
有吉 玉青
平凡社  2006-11-11

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新聞・雑誌に掲載されたエッセイを集めた一冊。  

書かれている内容は、ほとんどが「うんうん、そうだそうだ」と納得できる内容で、もっと言うと、今まで自分が世間の矛盾とかおかしいと思うこととかに対して自分なりに筋道たてて理解しようとした結果が、そこに書かれている感じ。再確認・再認識できる。こう書くとすごく傲慢になっちゃうけど、そうではなくて、何か自分の考えを言ってみると取り合えずの同調よりもすぐ反論を食らう僕としては、頭の中に立ち上った感覚や考えを、納得させることのできる言葉に落とせる力は凄いことだと思うのだ。そして、文章を書くということは、突飛なことを思いつく能力よりも、正しく言葉に落とし込む力があれば道が開けるのだということも。

もっとも印象に残るのは、表題にもなっている『世界は単純なものに違いない』。このエッセイは、『浮き雲』という映画にまつわる話なんだけど、著者は、いいことがおきても悪いことがおきても無表情に見える主人公から、世界はいいことか悪いことしか起こらない単純なおのだから、絶望する必要はない、という結論を得る。けれど、この映画の舞台はフィンランドで、フィンランド人は喜怒哀楽をあまり表に出さないということを知っている僕は、ちょっとその結論に疑問を持った。そしたら、(追記)という記載があり、「この映画のラストシーンの二人の表情は、希望にみちあふれていると見るのが正しいのだそうだ」と書かれていた。でも、著者は「映画の見方に正しいも正しくないもない」と続ける。まったくその通りだと思う。予備知識が多いことで、より深かったり正しかったりする読取ができるかも知れないが、決してそれがすべてではない。

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2009/02/07

『八月の路上に捨てる』/伊藤たかみ

4163254005 八月の路上に捨てる
伊藤 たかみ
文藝春秋  2006-08-26

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自販機補充業務をこなす傍ら、今日でお別れとなる先輩で同僚の女性・水城さんに、自分の離婚の顛末をとつとつと話す敦。第135回芥川賞受賞作。

伊藤たかみは、もちろん面識はないが高校の同窓生。いつか読もうと思いながら、今日まで読まなかったのは、親近感と近親憎悪の板挟みの現れだったに違いない。それで敢えて言うと、僕はこの小説はたまらなく好きだ。そうしてその好きの理由には、同じ土地で同じ時間を過ごした人間には共通のセンスが宿る、と信じさせるものがある。

話の内容はたわいもない。敦が千恵子と学生の頃に出会い、同棲し、結婚し、すれ違って離婚するまでを、似たような境遇の水城さんに仕事中に語って聞かせるだけだ。小説にストーリーを求める向きにはまったくもって勧められない。ただ、敦と千恵子のすれ違いぶり、「夢」の扱い方のすれ違いとか「金」に困窮してすれ違っていく様とか続くから言えないのであって終わるなら優しくなれるすれ違いとか、まさにガツガツと描写してくる。物語を読む楽しみというのは、起承転結とカタルシスの一種類だけではないと思う。そして、芥川賞というのはそういう楽しみとは違う楽しみを持つ小説に与えられる賞ではなかったか。amazonの読者レビューが軒並み「芥川賞はおもしろくない」という色で塗りつぶされていたのが悲しかった。近代文学の歴史の中で、大衆文学が芸術的な価値を持つ文学へと昇華されてきたのに、現代はインターネットという大衆の声を拡声する仕掛けによって、文学に対する視線が「大衆文学」だけになってしまっている。そして実際、どんな小説をもってしても、「大衆文学」以外の面白さがあるんだよ、ということを気付かせることができなくなっている。あたかも、大人になっても苦味のうまさに開眼しない大人のようだ。

この小説の言葉づかいやテンションは、ものすごく生理的なところで親近感が沸く。自分の知っている言葉だ、という感じがする。例えばタイトル。このリズム感とか、何を?というところとか、たぶん、「センス」と言われるようなところでやっぱり共通するのだなあと思った。

もう一つ、最後の最後に「俺は一時たりとも遊んでなんかいなかったぞ。」と簡単に締め括るために展開をもっていくところなんかも。  

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2009/01/08

『ジョルナダ』/小野塚カホリ

4396762879 ジョルナダ (Feelコミックス)
小野塚 カホリ
祥伝社  2002-10-08

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 amazonに勧められて買ってみた。オススメの理由は、観てないけど南Q太を買ってることに間違いないと思う。(手に取ったことはないけど)南Q太と同じFeelだし、似た空気感を持ってるだろうしおもしろいだろう、と思って何の気なしに買ってみた。そもそもFeelで知ってるというか読んだことがあるの、南Q太だけなのに雰囲気決めつけるのもどうかと思うな、今から考えると。

 "繁"は、グリム童話の「青髭」をモチーフにしたらしい、監禁の話。最初読んだとき、どう解釈したらいいのかさっぱり分からなかった。何を感じたかと言っても、監禁されたほうが喜んでる?ほんとうはそういうのを望んでいる?という域を出てこない。なんかそれだけじゃないな、ということはかすかにわかるのだけど。ずっと後で「あーそういうことか」というのがわかったんだけど、これで改めて男女の感覚の違いというのを感じた。僕を含めるだいたいの男は、"繁"を読んで、「女って本能では実は…」みたいなことしか想像しないと思う。本気でそう思うのか、一般的にそういう俗っぽい言われ方をしているだけで、それは違う、と認識しているかは別として。僕はもちろん、そんなこと思ってないけど、この作品を書いたのが女性というところがまた混乱させられた。性欲を人間の本能的な部分であり、通常は抑圧しているだけだ、だから開放することは圧倒的に絶対的に是なんだ、とすぐに考えるのが男な気がするけど、この話の結末は、女の人にとっては、セックスなんて生活上の他のことと同じくらいの重みのパーツの1つ、と思わされると同時に、とてつもなく大切なことである、という、矛盾する考え、それを両立させているのが女性なんだなあ、と、圧倒されてしまった。

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2008/12/30

『家日和』/奥田英朗

4087748529 家日和
奥田 英朗
集英社  2007-04

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 「家にいる人」が主人公の6編の短編集。

 取り扱ってるテーマが失業だったり別居だったり、結構ヘヴィだけど、読中シリアスになることはない。例えば勤め先が倒産した裕輔が主人公の『ここが青山』は、裕輔もあっけらかんとしていれば妻もあっけらかんとしたもので、主夫業に自然と滑り込んでいく様がテンポよく語られる。突然、妻から別居を言い出され家に残された夫が卒なく独り暮らしを楽しんでいく様が描かれる『家においでよ』も、妻が出て行った理由がいまいちピンと来ないという、典型的な鈍感夫が、あまり深刻になることもなく、独り暮らしを楽しむうちに事態が好転する、というような話。

 どの話も、主人公は飄々として淡々として、あまり物事に執着しない。そういうスタンスが物事をうまく運ばせる好例集、というふうにとらえることもできる。読んでて心地よいんだけど、いくらなんでもちょっと事態を軽く捉え過ぎじゃないか?と主人公に対して思うところもあって、そこが軽くて物足りない。なんでも深刻になり過ぎてもいい結果にならないよ、というのは頭では分かっていても、なかなかそうはいかないよ…というような悩みが描かれているのがやっぱり好み。『家日和』は、でてくる事件が重大事なだけに、肩透かしを食らったような気になるところが若干残念。

 

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2008/10/13

『葉桜の季節に君を想うということ』/歌野晶午

4167733013 葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫 う 20-1)
歌野 晶午
文藝春秋  2007-05

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 普段あまり読まないミステリーですが、この小説は、読み進めながら頭の裏側で少しずつ感じてる違和感がラストで一気に繋がっていくところが面白かったのと、主人公の成瀬将虎の切符のいい語り口が楽しくてすいすい読めました。成瀬は言葉もそうだけど、何か行動を起こすときのロジックが驚くほど筋の通ったもので、それが「筋を通すことの大切さ」を改めて思い起こさせてよかったです。

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2008/02/09

『ベーコン』/井上荒野

408774891X ベーコン
井上 荒野
集英社  2007-10

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 この本を読んだのは失敗だった。つまらなかった訳じゃない。ただ、小説を読むことに疑問を抱いてしまったのだ。

 本著は、料理や食材をアイテムに据えた9つの短編集。タイトルが、そのアイテムとなる料理や食材になっている。僕にとっての「それ」は、3編目の『アイリッシュ・シチュー』でやってきた。

 東京郊外で夫・娘・息子・猫と暮らす私。ある日、大雪が降り、宅配が来ず、猫がいなくなり、猫を探し回り、夫に電話をするが邪険にされ、無言電話が度々なり、これまで足を踏み入れなかった子供部屋に入り、猫は見つからず、近所で住宅を販売をしている若い営業マンと目が合い、家に招き入れ、たったまま性交した。

 それだけだ。夫も娘も息子も猫でさえ名前が探しやすいのにとことん名前の探せない「私」は、没個性の象徴なのだろう。ありふれた日常でも、言い表しようのない不安に揺さぶられ、日常の裂け目にはまってしまうけれど、またいつもの日常に帰っていく。そんなことを、今更聞かされてもしょうがないのだ。
 日常に不安はつきものだ。殊更に日常の中の非日常性を拡大してみせるのは、日常で努力不足な人の当然の顛末に過ぎない。そんな人の不安を拾い上げてもらっても、心はぜんぜん揺さぶられない。小説は正しいことを歌う訳でも時代の新しい問題だけを拾いあげる訳でもない。けれど、焼き直しの現状維持が量産されるのにはもううんざりなのだ。

 これではケータイ小説が流行るわけだ。僕は、これからいったい何のために読書をすればいいのだろうか?

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2007/10/20

『情報大爆発』/秋山隆平

4883351785 情報大爆発―コミュニケーション・デザインはどう変わるか
秋山 隆平
宣伝会議  2007-10-15

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 「情報大爆発」というタイトルに引き付けられて手にしたものの、「宣伝会議」に少し躊躇。読んでみた感想は、「『情報大爆発』というタイトルは適当ではない」。サブタイトルの「コミュニケーション・デザインはどう変わるか」が内容を表してる。インターネットが普及した時代に、マーケティングや宣伝の効果的なやり方はどういうものか、というのが本書の内容で、情報が過剰になった先に情報処理や社会や人々の意識がどのように変容していくのか、ということは論じられません。IT系の人間が「情報大爆発」と聞くとそういった内容を連想すると思うので、少し期待はずれ。
 そして、読み進めていくとどうもGoogle AdWordsやAdSenseのような、テクノロジーによる広告をいったん持ち上げておいて、最終的には「広告やマーケティングはクリエイティビティーだ」と、テクノロジーによる広告を低くしているところがある。広告がどうあるべきかというのはさて置いて、本書のいう「これからの時代は、消費者の欲しいものを作ってくれる生産者を選択する時代」というような、「消費者主権の時代」というのは、もう何十年も言い続けられていることだ。何か新しいテクノロジーやパラダイムが起きたとき、常にそれでもって「消費者主権の時代が来る」という言説が流布されながら、一向そんな時代が来ていないのはなぜだろう?
 同じことはITの世界でも言える。古くはMIS、現在ではBIと、手を変え品を変え、経営に有用な情報を提供するシステムとして持ち上げられながら、その理想はあまり実現していない例が多い。なぜ実現しないのか?「これは売り込める」と純粋に売り込むことだけを考えてきたIT業界のほうが、「これだけではどうにもならないのにね」とほんとのとこは判っていながら(十分な金を出さない相手には)まるで出来るかのように振舞ってきた広告業界のほうが、数段タチが悪いのではないかと思う。

---
選択可能情報量

マイクロチャンクを肯定するか?

何をよりどころとするのか?
よりどころをやっぱりほしいと思う人たちの症状
ほんとうはよりどころを根拠に商売していながら
よりどころなんていらないよと吹聴する輩

アテンションは何を言い換えているか?←成り立ちを考える

p39 mixiのリアルな会員数は?←チェーンビジネスのダミーユーザ

p53 ターク

p69 過剰の経済学では、常に探し回るためにやってみなければならない

p113 品質の安定-意思・権限の介在とやりがい

p115 21世紀型軍隊では、司令部の持つ情報の質がより重要になる

p162 グループ・ダイナミクス=オープン系 or スケールアウト

p173 AIDAモデルに帰る?

p180 フィルターの共有(アテンションの節約)=本を読むこと

p200 IT系の人が広告を語ると…

無理やり違いを捏造する産業だ

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2007/07/04

『外資系トップの仕事力』/ISSコンサルティング

4478733341 外資系トップの仕事力―経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか
ISSコンサルティング
ダイヤモンド社  2006-09-08

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 やはり同業界の新宅正明・日本オラクル代表取締役社長と、元同業界(SAP)の藤井清孝・LVグループ代表取締役社長の章がとりわけ面白かった。IT業界の歴史の中で、同じような経験をしているし、立ち上がりの会社がその成長の過程過程でどういったことが起きるか、というのも経験があって読んでいて実感を伴った。
 ほとんどの人の言葉の中に、「仕事を選ぶな」というメッセージがあって興味深かったし、勇気付けられた。もちろん、自分の目標を持って仕事をするというベクトルは必要だろうけど、楽な道など何一つないというメッセージが心強い。最終的に何を成果として得るのか?
 それから、やはりスピード重視の世の中になっているということも改めて感じられた。熟考よりもまず実践。丁寧に確実に沢山の仕事をこなしていくことが自分の力になる。

p19”今も気をつけているのは、「これはこう決まっているから」という発想に陥らないこと。”
p40”手間隙のかかるものについては「ROIが低い仕事はやりたくない」なんて言葉がでてくる。”
p48”上場していると何がいいのかというと、透明なんです。日本の社会にどれだけ貢献しているかも透明です。たとえば、税金。”
p56”どの企業でもそうだと思うけど、人を評価するとき、数字だけではないんです。では、何で評価するのかといえば、人間としてのポテンシャル。”
p85”SPIを簡単に言えば、まずお客様となる先生方の正しいターゲッティングをすること。製品ごとに、ポテンシャルの高い先生に営業をフォーカスすることです。”
p103”マッキンゼーは本当にノンヒエラルキーを徹底しています。よく言われるのは、「課題の前にヒエラルキーなし」。”
p136”よく言う人は全部事実のコメントだった。自分がよく知らないことには、人は批判的になりやすい。”
p147”私が入るまでは、その裾野を考えずに、SAPだけが儲かる仕組みをつくろうとしていた。”
p197”彼は、周囲から見られる評価やプライドみたいなものに束縛されていないんです。”
p217”70点でいいんです。ある程度勝てると思ったら、結論を出して一歩踏み出す。”

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2007/06/24

『ミステリアスセッティング』/阿部和重

4022502444 ミステリアスセッティング
阿部 和重
朝日新聞社  2006-11

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 歌い声は罵られ、泣き声は人を魅了する。そんな自分の持つ矛盾に気づかないまま、吟遊詩人として生きていくことを選んだシオリの誠実で薄幸な奇譚。

 これは早い!早いです。さすがケータイ小説。ケータイで読まれることをきちんと考慮すると、こういう文体になるだろうなあと納得できます。だいたいのストーリーの提示が、「xxだった。なぜなら・・・」という倒置になっていて、一度に目に入る文字量が制限されているケータイでも無理なくストーリーを頭に残しながら読み進めることができます。その分、大きな展開の少ない前半は、若干論文を読んでるような感覚もありました。

 前半はシオリとノゾミの姉妹の話が中心で、自分は幸福感に包まれていてその幸福感が湧き上がった結果歌が口から出て行くのに、その歌は…

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2007/03/25

『ぬるい眠り』/江國香織

4101339236 ぬるい眠り
江國 香織
新潮社  2007-02

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 『きらきらひかる』の続編『ケイトウの赤、やなぎの緑』を含む短編集。著者が二十代前半に書いたものが中心。
 江國香織の小説は、奇抜だけれども緩やかな雰囲気が好きなんだけど、この短編集は痒いところに手が届いてるような届いてないような、正に隔靴掻痒の間を禁じえません。まだ若い頃に書かれた作品だからかなとも思いますが、多分、書いてるテーマが判らないからというよりも、判り過ぎるからだと思います。奇抜な設定で、奇抜な展開で、でも・・・

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2007/03/11

『プロジェクトはなぜ失敗するのか』/伊藤健太郎

4822281779 プロジェクトはなぜ失敗するのか―知っておきたいITプロジェクト成功の鍵
伊藤 健太郎
日経BP社  2003-10

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 プロジェクト・マネジメントの必要性を認識させてくれる一冊。プロジェクト・マネジメントの入門書。PMの考え方の骨格の部分を理解できます。特に、プロジェクトでは共通した知識と継続的な改善が必須であることを十分に理解できます。
 入門書であり教科書的なので、実践的に踏み込んではいません。なので、「企業にはPMOを設置するべきである」と言った、一般のプロマネやプロジェクトメンバーではどうしようもないような方策が前提になったり、現場では「前向きな意思を持って課題にあたることが大切」といった多少精神論的な面もあったりしますが、この一冊でまずプロジェクトマネジメントの「あるべき姿」を理解することができます。

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2006/10/15

読みたくなった本:『外資系トップの仕事力―経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか』

4478733341 外資系トップの仕事力―経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか
ISSコンサルティング
ダイヤモンド社  2006-09-08

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 今勤めている会社が外資系3社目になる人間として、外資系トップの凄さというものも肌で感じているので興味がある。一方で、「外資系」でなくとも凄い仕事力のトップはたくさん存在すると思うので、この本で、ここが「外資系」だ、というものに出会えるのかも興味がある。

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2006/10/02

読みたくなった本:『心にナイフをしのばせて』/奥野修司

4163683607 心にナイフをしのばせて
奥野 修司
文藝春秋  2006-08

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 ある少年事件の被害者家族のその後を追ったルポタージュ。"SUNDAY NIKKEI 読書"の書評のここを読んで読みたくて仕方ない。

 本書で最も衝撃的なのは加害者少年の「その後」であろう。彼は弁護士になっていたというのだ。・・・(中略)・・・過ちを悔いて弁護士になったのではないようだ。父親の愛人の養子になることで名前を変え、過去を消し、被害者家族への償いもせずに地元の名士として生きている。

 これは重い。だから読んでおかないとなあ。

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2006/09/30

『美しい国へ』/安倍晋三

4166605240 美しい国へ
安倍 晋三
文藝春秋  2006-07

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 「自明」「当然」「普通」と言った論法が多過ぎる。それが最も暴力的で差別的な可能性を持つことに、なぜ気づかない人がこんなにも多いのだろうか?「~なんだから」「~らしく」という決め付けに警戒心を持てる能力はもうないのだろうか?

 現代日本の諸問題に対して、安倍自身が含まれる「団塊直後の世代」が何をして『こなかった』のか、という反省が一切記されていない。現代日本の 諸問題は、…

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2006/07/22

『号泣する準備はできていた』/江國香織

4101339228 号泣する準備はできていた
江國 香織
新潮社  2006-06

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 江國香織の小説を読むと、決まってうんざりすることが二つあって、ひとつは「女というのはなんでこんなに自意識過剰な生き物なんだろう」、もうひとつは「女というのはなんで繰り返しの日常がそんなに気に食わないのだろう」。この二つは結局同じことのようにも思うけれど、とにかく女の人がそういう生き物に見えてきてうんざり感を味わうのだ。・・・

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2006/05/17

『ヴァイブレータ』/赤坂真理

4062735806 ヴァイブレータ
赤坂 真理
講談社  2003-01

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 震えているのは、衝動からか、それとも恐怖からか?「ヴァイブレータ」で思い出すモノとかその語感とかから、なんとなく「初原的な衝動」をイメージして 読んでいたけど、これはそういうことだけじゃなかった、かつて「言葉」を失った主人公の、「言葉」を失ったときからずっと続いていた恐怖心、それも「ヴァ イブレータ」。

・・・

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2006/05/04

『エソラ vol.3』

エソラ vol.3 エソラ vol.3
絲山 秋子 伊坂 幸太郎 黒田 硫黄


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 正直に言って、Vol.1,Vol2からはパワーが落ちているように感じた。やっぱり伊坂幸太郎の作品がああいうのだったからか・・・。メタ小説というか、観念小説というか、ああいうのでもくっきりとした印象を残すところはさすがと思ったけど、期待している内容じゃなかった。『エソラ』のコンセプトとも少し外れてしまってるように思う。
 そんな中、・・・

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2006/04/22

『スローグッドバイ』/石田衣良

スローグッドバイ スローグッドバイ
石田 衣良


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 最初の2編を読んでつくづく思ったのは、「村上春樹ってやっぱり凄いなあ」ということだった。ただの本好きで、大して文学を学んでいない僕にでも、村上春樹の小説は何か深いものがあり、それが何か考えてみたいと思わせてくれる。けれどこの短編集は、少なくとも最初の2編は、そんなことは全く思わせてくれなかった。有体に言えば、少年向け週刊誌(今でもそんなものがあれば、だけど)に連載されるポルノ小説と何が違うのか全然判らなかった。・・・

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2006/04/20

『トリツカレ男』/いしいしんじ

トリツカレ男 トリツカレ男
いしい しんじ


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 語り口調で勝負あり。シナリオは至ってシンプルなラブストーリーで、安心して読み進められる定番モノだけど、豊富なサイドストーリーと独特の語り口調で楽しんで読めた。

 ジュゼッペのこの一言、

 「やるべきことがわかってるうちは、手を抜かずに、そいつをやりとおさなくちゃ」

・・・

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2006/04/02

『ヌルイコイ』/井上荒野

ヌルイコイ ヌルイコイ
井上 荒野


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 藤田香織の解説が、あまりに型通りな解説だけれども大きな役に立った解説だった。ここ暫く響く解説に出会わなかったが、この解説は役に立つことがあった。
  それは、どうしてなつ恵が浜見に呼び出されるだけの不倫を続け、しかもそれが惰性ではなくはっきり好きだというのかということだ。理不尽でも、一方的で も、セックスだけでも、・・・

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2006/04/01

『イン・ザ・プール』/奥田英朗

イン・ザ・プール イン・ザ・プール
奥田 英朗


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 面白かった。精神科医伊良部と看護婦マユミのキャラクターの設定が面白いし、病院という舞台設定も型が決まるので一話一話読みやすい。ちょうど、少年漫画を読むような感じで、すいすい読み進められた。伊良部のトンチンカンな言動に対する患者の反応が書かれるときのテンポなど、まるでコントを見ているように小気味良い。

 でも、僕は読書に少年漫画を求めている訳ではない。

 ・・・

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2006/03/29

『バッテリー』/あさのあつこ

バッテリー バッテリー
あさの あつこ


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 読中、顔から火が出るほど恥ずかしいという思いをした。巧の言動が、「ダメだなあ」と感じるのだけれども自分の言動とすごく似ているのだ。偉そうな物言いや、情のないところとか。巧は天才野球少年だからまだしも、・・・

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2005/05/04

『啄木全集 第十六巻 日記四』(石川啄木/岩波書店)

 なぜ啄木の全集を買ったかと言うと、『ローマ字日記』と呼ばれている明治42年の20日間の日記を読みたかったからだ。なぜ『ローマ字日記』を読みたい のに全集を買ったかといえば、『ローマ字日記』単体あるいはそこが含まれている出版物が軒並み絶版で手に入らないからだ。それをたまたま、近所の百貨店の 年末恒例の古本市で発見し、3,000円という価格もあって全集で買ったのだ。
 ではなぜ『ローマ字日記』を読みたいと思ったのか。・・・

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『チェンジ・ザ・ルール!』(Eliyahu M. Goldratt/ダイヤモンド社)

チェンジ・ザ・ルール!
エリヤフ・ゴールドラット 三本木 亮

ダイヤモンド社  2002-10-11
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『上海ベイビー』(衛慧/文芸春秋)

上海ベイビー
衛 慧 桑島 道夫

文芸春秋 2001-03
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『ガンダム「一年戦争」』(円道祥之/宝島社文庫)

ガンダム「一年戦争」
円道 祥之

宝島社 2002-07
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『パイロットフィッシュ』(大崎善生/角川書店)

パイロットフィッシュ
大崎 善生

角川書店 2001-10
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 主人公は小さい出版会社に勤める四十代の男、山崎。年齢を重ねていくことに漠然とした不安を抱いている僕には、それだけで十分読み進めたくなる。四十歳の人間は、どんなことを思い日々を生きるのか。しかしこの小説が描写するのは、「今」ではなくて「記憶」、つまり「過去」にフォーカスされている。
 山崎の学生時代の記憶、小出版会社に勤めてからの記憶と、四十代の山崎の現在の身辺とがクロスして描かれる。学生時代の恋人との思い出や過ちの記憶、社会人になったばかりの頃の意気揚々とした青い言動の記憶、若い時代の様々な記憶が、登場人物達を苦しめている。
 例えば、新人サラリーマンだった頃、オッサン達を時代遅れと笑い飛ばしてガンガンやってきた山崎の友人森本は、その勢いで得た成功が、年齢とともに衰える勢いと共に失われつつあることに怯えて暮らしている。彼を苦しめるのは、かつてオッサンを笑い飛ばした自分の言動という記憶。その記憶が今オッサンとなった自分を苦しめるのだ。
 こういったタイプの、「弱い」人々が登場するのだが、数年前の僕なら彼らを「弱い」と一刀両断にしたことだろう。しかし、二十代に別れを告げようとしている今、もちろんこの種の「弱さ」を弁護する気はないものの、だからといって×印をつけようとは思わなくなっていた。程度の差はあれ、人は本来弱いものだ。それを
是とする訳でもないし、それを克服するのがあるべき姿だというつもりもない。単に、本来弱いもんだってことを、受け入れるようになったというべきか。
 この小説は、「人は記憶からは逃れることができない」という視点に立つと、確かに悲観的な小説かもしれない。人生には取り消せないことのほうが遥かに多いし、ありえない無駄だと判りきってることばかりだったりもする。ただ主人公・山崎は、表面的には失ったり別れたりしたことでも、記憶から消し去ることはできないのだから、ずっと一緒にいるのと同じことなのだと言う。安っぽい慰めかも知れないが、そういうものが信じられなければ、人生の最期の最期に残るのはただ深い悲しみだけのような気がする。ちなみにパイロットフィッシュとは、後に水槽に入る本命の観賞魚のために水質を整える役割を与えられる(実際にうまく循環サイクルにのって整うかどうかはわからない、そして整わなければ通常その水槽の水質は二度と循環サイクルには乗らない)魚のことである。

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『アメリ』(イポリト ベルナール/リトル・モア)

アメリ
イポリト ベルナール Hipolito Bernard

リトルモア 2001-10
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 アメリって20歳超えてるんだよね?読んでて最初に引っかかったのはそこ。次に引っかかったのはイポリトさんって作者のことなのかってこと。イポリトさんはともかく、この人物(アメリ)が20歳(今手元に本がないので正確な年齢が調べられないんだけど)ってのはちょっと違和感があるかも。だっていくら空想好きなとこがかわいいとはいえ、ちょっと子供っぽすぎるでしょう!
 毎日の取るに足りない小さなひとつひとつの出来事が、愛すべきものなんだって読んでるとごく素直に思えるし、妻(アメリの母親)をなくしてふさぎ込み現実逃避気味の父親に対するエピソードなんかも、ひとつひとつが丁寧で、間延びせずリアルな時間が流れてる。それに、今自分が過ごしている毎日に、ごく自然に向き合うことの大切さが、アメリの恋を通じて伝わってくる。
 だから余計に、アメリが子供っぽくってしょうがない。何が子供っぽいかはいろいろ基準があると思うし、例えば言葉や外見や行動が大人っぽくしていても、その背伸びするとこが子供っぽいって思うこともあるから、アメリくらいストレートだとそれは逆に大人なのか?とも思うけど、これを読んで、そういうストレートな部分を「かわいい」とか「こんなふうに生きたい」って思った(特に)女の子は頂けないんじゃないかしら。小学生とか中学生の女の子なら別だけど。でも、トイレでヤり始めるシーンのあるようなストーリーを、小学生が読んではいけません。

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『十二番目の天使』(Og Mandino/求龍堂)

十二番目の天使
オグ マンディーノ Og Mandino 坂本 貢一

求龍堂 2001-04
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 すごく困難な何かに立ち向かう気力を奮い立たせるのが、物語の大切な役割だとしたら、この物語はその力を確かに持っている。写実的なわけでもなく、身近なわけでもなく、びっくりするほど意外な展開があるわけでもないが、迸る説得力を持っている。
 よくあるいい話だねと言ってしまえば簡単だけれど、気楽に読めば誰でも泣けてしまうシーンがあるのも事実。だから、この本がいろんな書評で取り上げられていたり、「泣ける」とオビが連呼していたり、本屋の売れ筋コーナーに陳列されていたり、そういう売り手側面はとりあえず忘れて、いろんな人がこの物語を気楽に読めるような時代になればいいのにと思う。
 この物語の不思議な説得力は、ひとえに簡潔な表現力が生み出してると思う。登場人物の死といった大きな事件を、半ページに満たない表現で片付けてしまう。かといって、本筋にさほど関係しないリトルリーグの戦況を必要以上にリアルに語ることもしない。抑制された文体で、ごくベーシックに書き上げられている。誠実にビジネス界を歩んで成功してきたジョン・ハーディングや、どんなに野球が下手でもまったく諦めないティモシー・ノーブルの姿以上に、この物語の形態そのものが人生に対峙する気力を、無言のうちに読み手に伝えてくる。

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『藪の中』(芥川龍之介/新潮文庫『地獄変・偸盗』に所有)

地獄変・偸盗
芥川 龍之介

新潮社 1968-11
売り上げランキング : 33,996

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 読書が多少なりとも人生観とやらを育てる手助けをしてくれるものなら、僕にとって『藪の中』は人生観を決定づけた小説のひとつに違いない。
 自由を奪った夫の目前でその妻を強姦する盗人、夫の目前で犯された妻、そして目前で妻を手篭めにされ殺される夫、たった一つのはずの事件が、それぞれの視点で語られる。事実は確かにあるはずなのに、当たり前のように食い違う。
 事実は、人によって違う。人それぞれの考え方感じ方の分だけ、事実がある。自分の都合のいいように歪めた記憶が事実。いくらでも絶望的な結論を読み取ることはできる。そうやって、深くまで読み込んだ気になっていたのが、高校生の頃だった。
  何時の間にか、簡単には誰かを咎めることはできないくらい、大小取り混ぜた過ちを犯してきた。馴れ合いを身に付けた訳じゃない。もう少し、人の気持ちを、例えばふられたくらいでベロンベロンに飲んだり、その想いに堪えきれないが故に恨んでしまったり、そういうのを判ってゆけるように。人生観は変わってゆくし、たまに広がりも見せる。苦しいながらも、前を向いてみようという題材になる小説だ、今の僕にとっては。

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『流しのしたの骨』(江國香織/新潮文庫)

流しのしたの骨
江國 香織

新潮社 1999-09
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 この本を買いに行ったときは、TVドラマのラブストーリーのような、平和で安心感のある小説が読みたかった頃で、背表紙のあらすじを片っ端から読み漁って、いちばん平和そうなヤツを買ったつもりだった。
 "そよちゃん"の離婚の理由がまったく語られない。語られないまま、両親も他の姉妹・弟も受け入れる。もちろん、この家族の中では、なんとなくかちゃんとか、判っているんだろう。僕は家族を、こんなふうにいつでも味方してくれると信頼してただろうか?どうも僕は身内に辛い。
 雑煮の作り方とか、朝食はパンかご飯かとか、100の家庭があれば100のルールがある。だから家族が何をやっても、家族は味方してくれる。その信頼は自分の胸のうちにある。"そよちゃん"を見ながら、そう自戒してみた。ああ、早く子供が欲しい。家庭が欲しい。

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