2017/08/19

『みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く/村上春樹語る―』/川上未映子 村上春樹

B071D3TBYT みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く/村上春樹語る―
川上未映子 村上春樹
新潮社  2017-04-27


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  • 「無意識」と「意識」という言葉の使い方が、混乱しているというか揺れているというか、そういう場面がいくつかあって、そこがいちばん印象に残った。p159の「そういう無意識中心の世界で、人々は個人ではなくむしろ集合的に判断を行って生きていた」のところなんかは、『道徳性の起源』で、社会的な判断は人間に特有ではなく、また、「知性」によってもたらされるものではなくある種の動物(たち)には元来備わっている「本能」だ、という説を知った直後だったので、無意識中心の世界で「善き」判断が行われるのが「集合的」に行われる、というところは詳しく考えたいなと思った。
  • 近代的自我を取り扱うのに興味がない、というのは、「実は僕はほんとはこんな悪い人間なんです」みたいなのを仰々しく開陳することに何の意味もない、みたいに解釈した。
  • p248の問答は、かなり苦しく感じた。たまたま、というのは無理があるんじゃないかなあ。それに、ここの「無意識」がかなり象徴的。
  • 神話や歴史の重みそれ自体が無効になってないか、という問いかけは凄いなあと思った。そしてそれが無効になっているのではと感じてしまう状況になっているのは、言葉を使う側になったときの言葉を使う姿勢にそれぞれみんな課題があるのだと思った。

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2017/02/12

『政治が危ない』/御厨貴 芹川洋一

政治が危ない
政治が危ない 御厨 貴 芹川 洋一

日本経済新聞出版社  2016-11-25
売り上げランキング : 9866


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  • 自民党の憲法改正第二次草案の第24条の話。家族条項は、社会統制・思想統制的な怖さとは別に、社会保障を国民側に押し付けて、社会保障の崩壊の責任から免れようとする勢力が加担していることを忘れてはならない。なまじ「綺麗事」なので表層だけで受け入れる層が満遍なく現れてしまう。
  • 日本は明治維新からテロ続発の国だった。
  • 政党は特定の集団の利益代表なので、国という視点を持ち出されると倒されやすいというのは目から鱗だった。
  • 安倍が後継者を考えていない、「やってる感」でしかない、2020年以降はどうでもいい、というのも目から鱗。
  • 格差の問題。

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2015/12/06

『服従』/ミシェル・ウェルベック

4309206786 服従
ミシェル ウエルベック 佐藤優
河出書房新社  2015-09-11

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今年の始め、「今年は宗教について読まなければいけない」と思い、大して読めないまま、今年最後の読書になるかもしれないと思う『服従』が強烈に宗教(と政治)を考えさせる一冊だった。

2017年(以降?)のフランスで、イスラーム同胞党が与党となり、フランスがイスラームの国へと変容する。そこに至るのは、極右政党国民戦線が得票率首位の中、UMP・民主独立連合・社会党が「拡大共和戦線」を立ち上げ、イスラーム同胞党を支持し、イスラーム同胞党が大統領を輩出する、という流れ。つまり、極右とイスラーム、どちらを「否定」すべきか、という問いの答えとして、「イスラーム」が選ばれたのだ。イスラームの政策主張は一点、教育に関してだった。

男尊女卑、一夫多妻、貧富の差拡大、家族主義。そして何より大学はイスラーム信者でなければならない。みないわゆる「前近代的」なイメージがするのに、登場人物はみなそのイスラーム化したフランスに不都合を感じているようではない。これでいいではないか、と言わんばかり。もちろん世界にはイスラームの教えに則って運営されている国があり、その国の国民が文字通り「不自由」で不幸な生活なのかと言うとけしてそうとばかりは言えず、豊かとは言えずとも心満ち足りた生活を送っていることだってあり得るだろう。であれば、フランスだってイスラームを選択しても何らおかしくはない、ということ。そこには「貧富の差が拡大」するという、為政者がそうだと認める事象があるけれども、行ってみれば人間中心主義の近代ヨーロッパにしても、芸術文化の力を開花させることができたのはそのシステムの中での著しい富の集中だった。であれば、貧富の差が拡大する社会の中にあっても、貧困層が不満を感じないシステムのほうがより優れたシステムではないのか。

しかしそれは「服従」が可能にするシステムだ。「服従」はなんら問題を孕まない姿勢なのか。それはかつての極右の変形を新たに生産することはないのだろうか。11/13の日経ビジネスオンラインの「ア・ピース・オブ・警句」の「安倍政権支持率回復の理由」で、”具体的には、「自分でない誰か」に決断を丸投げにしたい欲望を抱いたということだ。”という一文を読んだところだった。

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2015/10/12

『ビジネスモデル全史』/三谷宏治

4799315633 ビジネスモデル全史 (ディスカヴァー・レボリューションズ)
三谷宏治
ディスカヴァー・トゥエンティワン  2014-09-18


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  • 金融。両替商が為替業の元祖、くらいの理解しかできていなかった。直接決済の時間差決済というビジネスモデル、ということを認識したが、完全には理解できていない。
  • 「神の御技である芸術家を支援すること」ジョバンニ・ディ・ヴィッチ。社会的地位をあげるための有効な手段がパトロネージュ。パトロンの理解。芸術を愛しているからではない。
  • A&P、百貨店、GMS、CVS、大規模店の「売り方」ビジネスモデルの変遷が難しい!チェーンと百貨店くらいまでは直感的に理解できるけれど、GMSと大規模店は自分の言葉で説明できない。
  • 行動主義』を読んだ際、「今年は去年と、来年は今年と異なる洋服を纏いたいと思うものだ」と、変化したい欲望を自然なものと断定していたけど、それはGMが開発したビジネスモデルと知り、消費資本主義という言葉がようやく理解できたと思う。
  • オークネットとリンカーズ。恥ずかしながら日本の革新的ビジネスモデル開発企業を知りませんでした。もう少し調べて知識を増やしておきたいです。
  • 「そのヒマこそがわれわれヒトの本質なのです」ここにも暇倫

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2015/09/24

『職業としての小説家』/村上春樹

4884184432 職業としての小説家 (Switch library)
村上春樹
スイッチパブリッシング  2015-09-10


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紀伊国屋が買い占めたことで話題になった本著。私は迷わずamazonで買いました。発売日翌日には手元にありました。

タイトル通り、著者が「職業として」小説家をどのように遂行しているかをかなり詳細に記述してくれています。通常、ある職業の人が自分の職業について解説すると、とりわけ小説家が解説すると、それ以降の仕事の内容が、小説家で言うと小説の言葉が「痩せる」ように何とはなしに思っているのですが、著者に関して言うとそれはないように思いました。何故かというと、そういう危険性について言及していて、すでに予測した上で思考されているからです。

「職業としての」小説家という切り口で一番印象に残ったのは、「ダイナミックな経験がなくても小説は書ける」というくだりです。これが日本だけのことなのか、世界的にもそうなのかわからないけれど(きっと世界的にもそうなのだと思う、ヘミングウェイの例を引いていたから)、無頼派という言葉もあるように、小説家は何か世間の常識から外れたような生活をしていなければいけないという思い込みがあるように思います。もう少し言うと、そういう時代があったようです。これは小説家だけじゃなくて、プロ野球選手なんかでもそういう類の武勇伝が語られることが多々ありますし(前の晩朝まで深酒してても翌日ホームランを打ったとかそういう類)、そういうスタイルがそれなりの結果を出すことができる特殊な職業と社会状況だった時代があったということなんでしょう。

いや、スポーツ選手や芸術家だけでなく、実はサラリーマンもそうなのかも知れません。私が就職してサラリーマンを始めた1995年でも、まだそういう「豪放」な文化というのは残っていた気がしますし、私にもなんとなくそういうものを楽し気というか、心を浮つかせるものに感じる気風はかすかに残されています。けれども、成果を出すスタンスとしてのそれは今や主流ではなくなりつつあります。そういう意味では、現代は真摯に追及することが成果に結びつけられる時代に近づいているのかも知れません。

その一方で、オレオレ詐欺のような、労力の割りに見返りの大きい不正や、不正でなくとも簡単に高収入を得られるような誘い文句の乱舞ぶりはより酷いものになっているように思います。そういった、破壊力の大きい暴力によって、真摯さが壊されることが現代の最大の脅威ではないかと思います。それに対しても、著者は答えを二つ提示してくれていると私は思ってます。

p157「「時間によって勝ち得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じているからです」

p212「「効率」という、短絡した危険な価値観に対抗できる、自由な思考と発想の軸を、個人の中に打ち立てなくてはなりません。そしてその軸を、共同体=コミュニティーへと伸ばしていかなくてはなりません

この二点。時間をどのように使っていくのか。どのようにペースを刻むのか。この点をしっかり意識して感が続けたいと思います。

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2015/02/14

『時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?』/松岡真宏

479422088X 時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?
松岡 真宏
草思社  2014-11-20


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ITの浸透と進化によって、従来大きな価値を持ちえなかった「すきま時間」が価値を持てるようになった結果、今後、「時間」の価値がこれまで以上に大きくなる、それを「時間資本主義」と呼んで議論を展開しているのが本著。

「時間資本主義」という視点は薄々問題意識として持っていて、考えを深めることができていいタイミングで読めた。一方、このタイプの日本の書籍は大体、「サプライサイドの視点」-ビジネスを行う側が、時流をどう捉えれば今後自分たちは稼いでいけるのか、という視点で書かれていて、そういう時流となった結果、どのようなスタンスを取れば「社会」がより良くなるか、という視点がなく、本著も(時間資本主義で個人はどうふるまうべきかは書かれてはいるものの)あまりその視点はないところが残念。そのあたり、やはり先日読んだ『つながりっぱなしの日常を生きる』などは違うと改めて思う。

時間の使い方について、「効率化」という視点ではなく、「どれだけ自分が使いたいものに使える時間があるか」という視点。なので、従来からの富裕層はともかく、ホワイトカラーの高給層は今後そのポジションの維持のために「すきま時間」もすべて注ぎ込むことになり、「自分が使いたいもの」に使えないため生活の満足度は低下し、一方、現在のところ低所得者層と言われている層は、収入は少ないかも知れないが、「自分が使いたいもの」に使える時間は多いため満足度は高くなる。大雑把に言うと自分の理解はこのように纏まる。

問題意識は2点:

  • 公平性に関して。p97「銀行や市役所の窓口だって同じではないだろうか。あるいは病院の窓口も同様かもしれない。」「時間ごとにこの重要なパラメーターを合理的にいじることで、個々人の満足度を引き上げ、ひいては社会全体の厚生を引き上げることが可能になる」とあるが、特に福祉に関しては「格差」について慎重にならなければならないと思う。時間は再配分できないので、支払う額によって窓口対応のレスポンスに差をつけるというのは賛成できない。
  • ユニクロとバーニーズが引き合いに出され、富裕層は時間の重要性を理解しているので、定番品については選択する時間を極小化するために間違いのないユニクロを購入しているし、そのように決してユニクロは格差の象徴ではないと書かれているが(p114)、ユニクロとバーニーズ双方を楽しむ富裕層はいても、バーニーズを楽しむ低所得者層はいないので、この推論には問題がある。ただ、低所得者層でも月額1万円近く通信費に出費したり、高級ブランドに出費したりすることは確かになるので、そういう意味では格差が二極という捉え方が間違っているのかもしれない。低所得者層の中でも格差がある。

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2014/05/03

『女のいない男たち』/村上春樹

4163900748 女のいない男たち
村上 春樹
文藝春秋  2014-04-18

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断トツに深い印象を残したのは『木野』。その都度その都度の出来事に対して本気の感情を出さない姿勢の顛末を描いていると思うけど、「しかし正しからざることをしないでいるだけでは足りないことも、この世界にはある」という一文をめいっぱい拡大解釈したくなる物語でした。黙って見過ごすことがより大きな罪であり災いを引き起こすのが現代社会だと思う。

タイトルどおり、女に「見捨てられる」男が主人公の短編集で、これまではそういった男が市民権を得ることはなかったと思う。むしろそれが特殊だから話になる、という扱いだったと思うけれど、本作はそれが普通のことになった、つまり女も男も捨てるものであり捨てられるものになったんだということを象徴しているよう。

目についたのが、「病気」といった言い回しが出てくること。もうどうしようもないことが世の中にはあって、それは「病気のようなもの」という片付け方を何度かしているように思う。それは突き詰め方が甘いというよりも、「なんでもかんでも原因分析してきりきりしていくばかりがいい結果にならない。病気だってあるんだ」という姿勢が現代は結構重要なんじゃないか、という視点を僕に改めてくれた。

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2014/04/20

『地図と領土』/ミシェル・ウェルベック

地図と領土 (単行本)
地図と領土 (単行本) ミシェル ウエルベック Michel Houellebecq

筑摩書房  2013-11-25
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あまりの要素の多さに頭が全く追い付きませんでしたが追い付けなくても大興奮のおもしろさでした。サムソンとかコマツとか固有名詞を挙げ、しかもマニュアルか新聞記事かと思うくらいの細かさでの描写も、リアリティの追求ではなくて消費社会・市場主義社会の批判がダイレクト。ただ物語の筋が消費社会・市場主義社会の批判ひとつだけではなくていわば複々線的なので文字通り息をつく隙がない。シナリオがメインとサブというのではなくて全部が並び立っている小説は日本の小説だとあまりない気がします。

感想にどのエピソードを取り上げればいいのか迷うんですが、そうは言ってもやはり「消費社会・資本主義社会の批判」というのが私にとっては最重要。ジェドがアートの世界で成功を収めたのも、あの凶悪な犯罪者の動機も、僻地-と呼ぶのがはばかられるなら田舎または郷土-の復権も、大学で学問を熱心に学ぶ女性学生も、そしてジェドの父親さえも、皆結局は市場主義の仕組みとルールを理解し、それに則っているだけだという結論に収斂されていきます。タイトルの『地図と領土』、領土は現実のもので地図はそれを模したもの、そしてジェドは終盤「<世界>を説明したい」という言葉を呟きます。著者の市場主義の様々な事象を具に記憶する観察眼と、そこから齎される「諦念」が徹底しているので、「市場主義社会というひどい世界に今我々は住んでいる」というような読後感を残すものではないのですが、かと言って(小説というのはもちろんそんな役割を受け持つものではないと思いますが)「現代の市場主義社会のその先」を発想するところはないので、深く考えこむとその点に少し物足りなさ・寂しさを覚えるところです。

私個人は、市場主義社会が持つ歪に対抗できる単位は「時間」ではないかと思っています。何に時間をかけているのか。でもこれは「かけた時間が価値なのか」「価値の創出には効率性の観点でかける時間が少なければ少ないほどよい」という2つの概念が堂々巡りで戦うことになります。

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2014/04/15

『里山資本主義』/藻谷浩介

4041105129 里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
藻谷 浩介 NHK広島取材班
角川書店  2013-07-10

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この本は詰まるところ、地方の閉じた経済圏内で、資源を有効活用して収支安定を計るという施策の「実行可能性」と、「収入を増やすことよりも、支出を減らすことを考えましょう」ということの2つに自分の中では尽きました。

「支出を減らすことを考える」際、今までは年金をカットするとか、高齢者の医療費負担を上げるとかが主だったと思いますが、「エネルギーを自作することで、エネルギー費用を縮小する」という方策は新鮮でした。ある程度実現可能性もある。だから、本当にそんなことができるのか?という気にかかり方ではなく、気になったのは「これまで地域の外に支払っていたお金が地域に残る」という発想でした。そして、周防大島の瀬戸内ジャムズガーデンのように、地域の外から人を呼びこむことによってお金を稼ぐ、という発想、これは正に「外貨を稼ぐ」発想と近いように感じます。もちろん通過は同じ国で円なので外貨を稼ぐ訳ではないですが、日本の中でラインを引いて、自分たちの領域内から外に出るお金をなるべく減らし、領域外の人が使うお金を増やすことが望ましい方向ということだとすると、やはりそこには「成長」がないと格差が開いていくだけなのではないか、と考えてしまいます。

少し話がそれますが、ふるさと納税もこれに近い違和感を感じるひとつです。どうして他都道府県の人がお金を使ってくれたら、それに対して特産品とかの特典をつけなければならないんだろう。その地域に住んでいて、真面目に住民税を払っている住民に対してこそ、まず何か特典があって然るべきじゃないのか?住民が支払う住民税は土台であってベースであっていわば当たり前のお金なのでそれに対してお礼は全然考えません、でも非住民の方がくださるお金は上積みなので、インセンティブを出してどんどん追加がくるようにしましょう、ということだと思うんだけど、これって正直者がバカを見ると言ってるに等しくて、でもそれによって助かる地域の生産者がいたりする訳で、結局「経済最優先」になってしまっている。健全な社会に生まれ変わらせるなら、こういうところは正していかなければならないと思う。

ちょうどこの本を読み終わるくらいの頃、藻谷氏がニュースステーションに出ていて、里山資本主義というのは何も大仰に「電気使うのやめましょう」と言っている訳ではなくて、できるところからやればいいということと言っていたのを聞いた。領域外に流れるお金を減らす策を突き詰めるとすれば、節約できたお金が向かう先が領域内になるのかどうかがこの話の決めてじゃないかなと思います。

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2014/01/01

『ペテロの葬列』/宮部みゆき

ペテロの葬列
ペテロの葬列 宮部 みゆき

集英社  2013-12-20
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久し振りのミステリーでしたが、帯の『”悪”は伝染する』に惹かれて、ドロドロした性悪な人間性の応酬みたいのを期待していたもののそれはそこまでではなかったです。本筋の事件での顛末よりも、主人公の杉村夫婦の動静に最も心を持って行かれます。

「世直し」という言葉を頻繁に使う、という会社社長が登場するのだけれど、時流を捉えた言葉というのは、その背景に目を瞑らせるというか気にさせなくするというか、詳しい説明を省略させるだけの力を持ってしまうという怖い事実を改めて思いました。よい意味ではそれが「信用」なのだけれど、背景や裏付けを全く聞かず、バズワードとか流行の三文字略語とか、その単語だけを振り回してしまうことの怖さ。でも世の中時間がないから、それだけで事が進んでしまう怖さ。それは、「言葉そのものが価値を持つ」という考えを無意識に支持しているから起きてしまうことで、やはり先日読んだ池田晶子の中の「言葉は交換価値ではなく価値そのもの」という定義は否定されなければならない、と強く思いました。それは、「とりわけ、多くの人たちがもてはやしているという理由だけで流行っているものには」という杉村の台詞からも感じます。

もうひとつ、会社にせよ軍隊にせよ、抗えない環境が構築されそこに囚われたとき、人間はどうなってしまうのか、どう行動するのが正しいのか、ということを考えさせられます。「この理念こそが正しいのだ」という思想的な動機であっても、「こうすることが儲かるのだ」という金銭的な動機であっても、受ける傷はそう変わりません。もっと悲劇的なのは、タイトルにあるペテロのように、途中で良心の呵責か何かでその道を引き返そうとしたとき、そこで行いの罪が現前してしまうことで、引き返そうとしなければそんな罪もそれに対する罰も受けずに済んだのにーということです。これに対して本著がどういう答えを導いてくれているのかは、ひとつではないので、この答えを考えながら読んでみるのがオススメです。

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2013/12/22

『イエスタデイ』(文藝春秋2014年01月号)/村上春樹

B00GUP6QYS 文藝春秋 2014年 01月号 [雑誌]
文藝春秋  2013-12-10


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村上春樹を読むとき、僕はいつも「自分がわからないことはどれか」と探しながら読んでいる。ストーリーももちろん楽しめるのが村上作品だけれども、ストーリーの姿を借りて伝えようとしていること-より正確に言うと直接表現するのではなくてストーリーの姿を借りることでしか伝えられないこと-をできるだけ見つけられるようにと思いながら読んでいる。自分がわからないこと、つまり自分は知らないことなのにそれに気づくことができるというのは矛盾だけれども、それができてしまうところが読書の面白さであり凄さでありありがたさと思っている。
そういう意味で言うと本作は、書き下ろし新刊と違って、それほど村上春樹に熱心ではないような人、もっというと普段小説なんてあまり読まない人が読む可能性をよく計算に入れた小説だったと思う。比較的、「読んで分かった」気になりやすい構成になっていると思う。東京生まれの関西弁使いと、関西生まれの標準語使い。お互い、田園調布と芦屋という、世間的には裕福な世帯と受け取られる土地ながら実のところそれほどでもなく至って普通の所帯、という設定が何を言わんとしているかは比較的容易に頭に浮かぶし、栗谷えりかとの奇妙な、というよりは主人公の友人で栗谷えりかと「つきあっていることになっている」木樽の作為的な三角関係とその顛末で指し示そうとしていることもすんなり頭に浮かぶ。
僕はこの物語を、何が普通で何が普通でないのかの基準云々を考えることについての契機としてではなく、昨日は二度と帰ってはこない、けれど昨日を思い出せることは人生に不可欠なことであるという教示を得るものでもなく、明日のことは誰にもわからないのだから今を大事に生きるべきなのだという気概を読み取るのでもなく、やっぱり「言葉」についての単純な一言に引っかかったまま読み終えた。

「大事なときに適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。住む場所が変わっても、話す言語が変わっても、こういう根本的な問題はなかなか解決しない」

だから、谷村が「語気がいくらか荒くなって」言ったことが、谷村にとって大事なときの適切な言葉だったのかどうかは、わからない。

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2013/10/10

『恋しくて』/村上春樹

■「テレサ」デヴィッド・クレーンズ

二作続けて学生時代の恋愛が描かれた作品だったことが少し意外だった。村上春樹がチョイスすると聞いて、学生時代の恋愛をイメージしていなかったから。でも考えてみればノルウェイも学生時代だし、そんな変なことではないか。学生時代の恋愛というといくつかの定型パターンがあって、そういう「すぐイメージできるパターン」を読みたくないから、あまりイメージしていなかったのかもしれない。
この話はとても短くて、かつ、状況が日本ではイメージしにくい(けれどもかの国では誰もがイメージできるような)状況がポイントになっているので、具体的な状況のひとつひとつが胸に迫ってくるわけではなかったけれど、アンジェロの「大人」になっていく様が胸に迫ってくる。いつから自分はこういう伸びしろがないとあきらめてしまったんだろう、と。
4120045358 恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES
村上 春樹
中央公論新社  2013-09-07

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2013/10/08

『恋しくて』/村上春樹

『恋しくて』は村上春樹選の9篇の海外の短編恋愛小説と、村上春樹の描き下ろし短編の10篇。一日一篇読んでいこうかな。しかしやっぱり現代モノは読みやすい。

■「愛し合う二人に代わって」マイリー・メロイ

村上春樹氏解題にも触れられているけど、物凄くオーソドックスでストレートな恋愛小説。若干冴えない目の男子ウィリアムと派手に見えるところがあって誘いの手にも慣れている女子ブライディーという片田舎?の幼馴染の高校生の、大学生から社会人生活を経る恋愛小説。いったいどこでどんな突き落としが?と思いながら読むとなんと最後に。というストレートさ。
このストレートさを以てして著者が言おうとした最も大きなテーマはここだと思う。
p22”ドイツ語ならきっと、世界的な大事件が個人の私生活に波及することを意味する長い複合語があるに違いないとウィリアムは思った”
この物語には9・11、イラク侵攻、アブグレイブと、まだ記憶に新しい「現在」が取り込まれている。その「現在」を青春時代に通過しているウィリアムとブライディーが存在していることにすこしくらくらする感覚を味わうと共に、「歴史が個人に及ぼす不可避的な影響」を思い起こさせる。我々日本人にとって最も身近なのは戦時中の独裁体制だけれども、東日本大震災や福島第一原発も同じく「世界的な大事件が個人の私生活に波及する」ことだ。これを「しょうがないこと」で語りもせず片づけようとするところに、文学の誕生はないように思う。
4120045358 恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES
村上 春樹
中央公論新社  2013-09-07

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2013/04/21

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』/村上春樹

4163821104 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹
文藝春秋  2013-04-12

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 村上春樹の作品に対する感想は、常に自分自身だけの個人的な感想にならざるを得ないのだけど、本作は、これまでの村上春樹作品と違って、これ以上ないくらい判りやすいつくりになっていたと思う。深く読み取らないと作者の意図が判らないとか、そういうことが極力ないように書かれたような印象を持った。もちろん深く読もうと思ったら読める深さは持ち合わせていると思うけれど、ストレートに読んでも、そのままで物語の意図がちゃんと読者に伝わるような書き方がされていると思った。

 村上春樹作品のメインテーマとして「予め失われたもの」があるが、本作は珍しく、喪失感の強調だけを感じて終わらなかった物語だった。軽い言い方だけど、救いがある。これまでは徹底的に「予め失われたもの」を感じさせられ、その救いの無さを感じる中から、自分なりの立ち向かい方を模索するような読み方になっていたのが、本作はきちんと救いが書かれている。多崎つくるが失ってしまったものは、無くなってしまったのではないということが、きちんと語られる。ここが僕個人はいちばん感動したところだった。

 その上で、たくさん登場するテーマの中で僕が強く惹かれたテーマは二つ。ひとつは、「だとすれば人間の自由意思というのは、いったいどれほどの価値を持つのだろう?」という問い。先日の『不可思議な日常』の読みでも、ディスクールを思い出さされる一篇に出くわした。表面的には、この問いに対する答えは本作では書かれない。この問いには生涯をかけてでも向き合わなくてはならない。

 もう一つは、「そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ」。村上春樹はけしてサリン事件を忘れない。そして、世の中の安定が奇跡的だと言いながらその奇跡の度合いを実感できず、何かとんでもないことが起きないとありがたみが判らないとでも言いたげな現代(人)に対して、「あっただろう、つい最近」と突き出して見せている。そして何故そんなことが起きるのかと言えば、「我々が暮らしている社会がどの程度不幸であるのか、あるいは不幸ではないのか、人それぞれに判断すればいいことだ」ときちんと言い放ってくれる。

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2012/12/30

『驚きの介護民俗学』/六車由美

4260015494 驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)
六車 由実
医学書院  2012-03-07

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 「民俗博物館」等で「民俗」という言葉を知っているだけで、「民俗」とは何か、考えたことがなかったので、「民俗学」というのも、判らないとは思わないけれどそれは何かと言われると答えられない、そういうものでした。図書情報館の乾さんのお勧めで購入。この本の面白さは、介護の現場での「聞き書き」で得られた話そのものの面白さと、「聞き書き」という行為そのものを巡る考察の面白さ、そして「介護」に対する社会制度も踏まえた上での主張、この三点。このうち、後者二点について。

 著者は、「聞き書き」は「回想法」とは異なると明言します。「回想法」は、介護において、利用者(要介護者)の心の安定や、コミュニケーション能力の維持・向上を目的として行われるものです。利用者の能力向上という「目的」があり、それを実現する手段として生まれたのが「回想法」です。それに対して、介護民俗学の「聞き書き」は、まず、聞き手である民俗学者=介護者が、民俗情報を求めている立場であり、それを得る行為の結果として、利用者の心の安定や能力維持・向上になるという順序です。「利用者の心の安定・コミュニケーション能力の維持・向上」という成果は結果的に同じでも、その順序の違いは重要で決定的なものである、ということを著者はいろんな言葉で繰り返し語ります。例えば、「ケアする者とされる者は非対称である」という言葉。ケアは相互作用だけれども、ケアする者はケアに対して出入り自由であるのに対して、される者は出入りの自由はない。されなければ生命が脅かされるのだから。「回想法」の発想は、この非対称性に準拠しており、更に非対称性を強化する(要は、介護する方が「してやっている」立場で、介護される側は「してもらってるのだからおとなしく感謝しなさい」という立場)のに対して、「聞き書き」を旨とする介護民俗学の場合、聞き書きの時間はケアする者とされる者の関係性が逆転する(要は、介護する側が「教えて頂く」という立場になる)、これによって、「介護」の相互行為性が回復され、結果、「利用者の心の安定・コミュニケーション能力の維持・向上」がより成果が上がるものになる、と解釈できます。
 この「双方向性」と「非対称性の解消」は、人間関係性での一つの「理想」だと思っていて異論はないのですが、これを実現するための困難さも容易に浮かびます。その一つ、「実際に、介護の現場で「聞き書き」をすることの時間的・精神的余裕の無さ」についても、本著では実践の過程が詳しく書かれています。
 介護者としての実践だけでなく、介護者という個人の活動(と限界)を規定する社会制度面についても主張をきちんと書き込まれているところが本著の行き届いたところだと思います。掻い摘んでしまうと、「時間的・精神的余裕の無さ」の根本は、介護者の低賃金であり、介護者の低賃金を生んでいるのは、国民の意識が介護をその程度に低く見ているからだという問題認識です。著者は介護者として、介護の社会的評価を上げる努力をしなければならないという反省を書きつつ、「介護予防」という厚生行政の考え方を批判します。著者は「介護予防」ではなく、介護は必ず必要になるものだとして「介護準備」という考え方を示し、金銭面の準備もしていくべきだとします。この点は、財政面も含めて考えなければならないところだと思います。

 「聞き書き」して纏められる「思い出の記」は、民俗学的見地からも、話をしてくれた要介護者の方の思い出としても、非常に意義深いものだと思う。個人的には、発話されたものが書き言葉になることで再び生まれる「気配」というものの他に、やはり、発話そのものの「気配」も記録し再現できることにも意義が感じられるように思いました。

 「聞き書き」のモチベーションは「驚き」であり、常に「驚く」ためには好奇心と矜持が必要だという下りは、少し前なら、そんな精神論的なものでは維持できない、と考えたような気がする。しかし、この無形のモチベーションというのは、実は大事にしなければいけないという思いが強くなっている。
 そして、「回想法は誰でもそれを活用できるように方法論化が進んでしまった」というのは、誰でもできるようにマニュアル化することによって魂が抜け落ちるという悲劇を改めて認識するとともに、IT化というのは基本的にモデル化でありマニュアル化であり、誰もができるようにする手伝いであるということにこれもまた再び思いを馳せてしまう。

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2012/07/30

『極北』/マーセル・セロー

4120043649 極北
マーセル・セロー 村上 春樹
中央公論新社  2012-04-07

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 「なにか」が起きて、ほとんど破滅したような地球の極北に住む生き残り、メイクピースが主人公。メイクピースの一家はアメリカから極北への入植者。メイクピースの父親は、豊かになり過ぎた社会に疑問を抱き、それを「極北への入植」という形で行動に移した。厳しい自然、何もない環境を「理想郷」とする、現代の矛盾。そこで試される「理想」の形。

 温暖化や原子力発電、更に地球規模の格差問題を絡ませ、それらが地球を破滅させたイメージを思い起こさせる。その文脈も、特に3・11があった以降の僕達には考えることがたくさんあるけれど、僕は「正義」を巡る考察にとても興味を引かれた。メイクピースが暮らす世界では、理念優先の正義は役に立たない、とメイクピースは言い切る。確かに、生きることさえ困難な、荒廃した地球で、理念優先の正義は何の役にも立たないことは想像に難くない。
 けれど、正義が一面的でないことは、なにも、荒廃した地球だけで成立しうることではなく、まだ「破滅」していない現代に暮らす僕達の地球でも同じことが言えると思う。『極北』の世界が示す正義の多様性は、極限で起きることを言ってるのではなくて、どこにでも起こり得ることなのだと語っていると思いたい。「我こそは正義」と声高に叫ぶ意志こそが、最も正義から遠いことが多いのだ。なぜなら正義はある一面で絶対的な否定を孕んでいることに気づいていないからだ。

 だから、メイクピースが後半、「怖いのは絶滅だ」と語るところで肝が冷える。環境によって、時代によって、正義がいかようにも姿を変えるのだとしたら、正義とは単なる「価値観」の一形態であって不変で普遍なものではないとしたら、それは絶滅を避けるための多様性の確保なのではないか、とまで思えるからだ。物事がうまく行ってない例えである「ゴー・サウス」を、メイクピースの父親は自分独特の言い回しとして「ゴー・ウエスト」と言い、正義を北になぞらえ、北の極限まで進んでしまうと正しさを示すコンパスは役に立たなくなるという。ここで唯一出てきていない「東」には何があるのか?その極東の地で3・11に遭遇した僕達が考えるべきことはあまりに多い。

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2012/06/03

『青春の終焉』/三浦雅士

この、圧倒的に打ちのめされる感じが、評論の醍醐味。

「青春の終焉」というタイトルだけで、もうビッと来た。何が書いてあるかはすぐわかったし、読んでみたいと思った。この本を書店で見つける数日前に、別の書店で買った『反哲学入門』の帯で見た名前が著者だというのも、この本は読まなければいけないというサインだと思った。そして、期待通りの面白さだった。最初の1ページから最後の1ページまで、ずっとおもしろいおもしろいと思いながら読み続けられた評論は久し振り。原本は2001年刊行、なんで見つけられなかったんだろうと思うくらい。「青春の終焉」というテーマについて、「そもそも青春とはあったのか?あったとすれば、それはいつからあったのか?」という問いの設定からおもしろくて、1972年生まれの僕にとって物心ついた頃からずっと胡散臭かった「青春」について、余すところなく徹底的に解剖してくれる。

僕にとって「青春の終焉」以上に大きなインパクトだったのは、「連歌」の話。連歌は15世紀に宗祇が完成させた知的遊戯だが、僕は連歌のことを単なる「知的遊戯」だと思っていた。その当時の知的階級=特権階級が、どれだけの知識量を持っているかを背景に戦う知的遊戯。事細かに規則が決められ、その規則を知らないことが野暮扱いされ、元は「おもしろさ」を保つためだった規則に雁字搦めになって芸術性を保てなくなる詩歌の類同様に下火になったというような理解をしていた。

しかし、連歌を考えるときに大切なのは、「座」だった。連歌というのは複数でその場に集って句を読み合うので、必然的に「その場所に集まれる」人達とのつながりが大切になる。というか、その地理的なつながりがないとできない遊びだ。そうして、連歌は前の人の句を受けて読む訳だから、どうしても何か共通の「おもしろい」と思える感覚が必要になる。それは土地に根付いたものなのかどうなのか、かくしてその「おもしろさ」のための規則が生まれたりしたようだけど、僕にとっては、この、「座」という場所は、当たり前のように「共通の言語」を持たなければならないという事実に、改めてインパクトを受けたのだった。

僕はコミュニティが特権意識を持つことがとても嫌いで、コミュニティが特権意識を持つために「共通言語」が必ず生まれると思っていた。言語だけではなくて知識もそうだけど、先にコミュニティに入っている人は後から入る人よりも当然たくさんのコミュニティ内で必要な言葉や知識を持っていて、それをオープンにするかクローズにするか、というようなところで嫌悪感をよく抱いていた。しかし「座」にとってはそれは当たり前のことで、さらに重要だったのは、それを「座」だけのものにしておこう、という姿勢もあった、ということだ。それを「座」だけのものにしておくことで、徒に句としての高尚さを競ったり、難渋な解釈を覚えたりすることを避けることが出来、「座」の一同は、いつも楽しくおもしろく連歌を愉しむことができる。それを担保しているのは、共通言語であり共通知識なのだ、と。

その分岐点となるのが、口語か文語か。「座」というその場限りの口語で留めておくのか、後に残すために「文語」を選ぶのか。「文語」を選んだ途端、「おもしろさ」を犠牲にせざるを得ない。なぜなら、「文語」は「座」の存在する土地を離れてしまうから。何が「共通」するかわからない地点に飛んで行ってしまうから。「文語」を選んだ途端に、「笑い」を失っていく文学。

何かが一斉に流行することは昔からあったけど、これだけ「個性」「個性」と言われるなかで、あれは「森ガール」が端緒だったのか「沼ガール」が端緒だったのか、「ある程度」の固まりが出来るような流行がときどき発生し続けているのは、個人社会になって細分化された社会のなかで、やっぱり「座」が欲しいと叫んでいる証左なのかも知れないと思った。流行歌のない時代は寂しい、というようなことを登場人物が言ったのは重松清作品だったと思うけど、やっぱり人は「座」が欲しいのだ。

4062921049 青春の終焉 (講談社学術文庫)
三浦 雅士
講談社  2012-04-11

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2012/03/10

『Sunny』/松本大洋

4091885578 Sunny 第1集 (IKKI COMIX)
松本 大洋
小学館  2011-08-30

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 松本大洋の作品について感想を書くのはとてもとても難しい。僕は松本大洋作品は大好きで、『ピンポン』も『鉄コン筋クリート』ももちろん大好きで、松本大洋作品のこの「ベタ」な感覚が大好きなんだけど、世間で松本大洋作品が人気があり好きだという人が多いのが、この「ベタ」な感覚のところなのかそうじゃないのか、そこがどうもよく分からないからです。僕にとっては松本大洋作品はかなり「どストレート」なシナリオで、初めて触れたときから、こういう率直に人の魂を揺さぶるようなストーリーが、そんなに世間で受けるもんなのか、どうにも腑に落ちなかったからです。これはやっぱり、高校生という青春時代をバブル期に過ごし、大学生になった途端バブルが弾けたこの世代独特の「捻くれた」感覚なのかなと思います。

 だから、アツく語れと言われればいくらでもアツく語れるくらい、松本大洋作品は大好きで、この『サニー』も、手にして帰った電車の中で一気に読んでしまったくらいです。作者の来歴は何も知らなかったのですが、ウェブの記事を読んで、作者自身も、この『サニー』が取り上げている「施設」で過ごした経験があると知って、やっぱりそういう体験がないとここまで鮮やかに描けないよな、と納得しました。「施設」で過ごす子どもたちの日々を描いた作品というものは、漫画だけでなく小説やTVドラマや映画やとたくさんありますが、そういういろんな形態で展開されてきた「施設物語」のパターンがすべて投げ込まれ反復されているだけのようで、全然違ったものとして胸に迫ってくるのはやっぱり松本大洋という作家の画風と演出の力だと思います。少し何かを振り返ってみたい気持ちのときに読んでみると、自分にはそういう過酷な経験がないと思っていても、何かシンクロするものがきっとあると思います。それは、松本大洋自身がウェブの記事で語ってましたが、施設の経験がない人間が、施設を過酷と思ってても、そこで過ごしている子どもたちは「意外としたたかにやっている」からかも、知れません。

感想もう一つ。http://tatsumi.posterous.com/sunny

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2011/12/31

『あたまの底のさびしい歌』/宮沢賢治・川原真由美

488008347X あたまの底のさびしい歌
宮沢 賢治 川原 真由美
港の人  2005-12-01

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 自分の死後、手紙というものが公にされるのって、どんな気持ちなんだろうか?と少し胸が苦しくなる。自分だったら相当厭なことだなあと思うけれど、本著は敬愛する宮沢賢治の、作品から知る人物像ではない、作品を作らんとする人間である宮沢賢治を知れて、作家とは作品だけで向き合うのがよいのか、作家という人間全体を知ろうと様々な資料に当たるほうがよいのか、考えは巡る。けれどとにかく、この本を手にしたことは最高によいアクションだったと思う。

 幾つかの手紙で、賢治は相反する概念を並列にする。「恋してもよいかも知れない。また悪いかもしれない。」「だまって殺されるなり生きているなりしよう。」「すべては善にあらず悪にあらず」等々。こういう賢治の言い回しでわかるのは、世の中のどんなことも一義的ではないと肝に銘じる賢治の意志の強さ。どう考えたってそれは善いことでしょう(または悪いことでしょう)という行為でも、それは悪いことだ(もしくは正義だ)と訴える、それも自分にとっての都合・利得で言うのではなくそう信じて訴える人がいて然るべきなのだということを、賢治は強く肝に銘じようと努めていたのだと思う。もしくは、善とか悪とかを決めるのは、自分でもなければ誰か別の人でもない。そういう価値判断は、人間が下すべきものではない、と。
 そうやって、諸々様々の視点が入り乱れることを賢治は許容し、その結果当然に混濁させてしまうことになる世界の中で、「しっかりやりましょう。」とただひたすらに繰り返す手紙を賢治は書く。この「しっかりやりましょう」の反復に、僕は胸を打たれる。すべてを認めてしまったら、後は「しっかりやりましょう」とお互いに声を掛け合うのみなのだ。

 賢治が生きた時代は日本にも資本主義が定着していく明治後半~昭和初期なので、どれだけ賢治が崇高な理念を持っていてそれを語れたとしても、勤労に励むことが社会の通念に沿っている時代で、賢治自身も「働いていない自分、こんなんじゃダメだ」と苦悩したことが、手紙の端々から読み取れる。最近、仕事に関する書籍を二冊読み、その歴史、経済の仕組に応じたことが倫理観となって普及させられていくことを学んだところなので、その重さを痛感する。作家の側面を知るということの意義は、こういうことなのだと思う。

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2011/08/17

『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』/マルジャン・サトラピ

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る
ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る マルジャン・サトラピ 園田 恵子

バジリコ  2005-06-13
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僕はたいていの自分の悩みというのはしょうもない、取るに足らないものだと考えていて、自分の悩みだけでなく、周りの人の悩みも、たいていは取るに足らないものだと考える。なぜ取るに足らないかというと更に他人との比較論で取るに足らないものと考える訳で、その比較対象というのはこの『ペルセポリス』のマルジ、のような存在だ。もちろん、「わたし」から「あなた」の悩みを見て上だの下だの言ってはいけないと肝に銘じているものの、ワールドワイドクラスで考えると、途端にその物差しの目盛が変わるのだ。

マルジはイランの少女で、両親の計らいでオーストリア・ウィーンに留学している。この『ペルセポリスⅡ』では、留学先ウィーンでの4年間の人生と、テヘランに戻り学生結婚し破局するまでの過程が描かれている。そこにはイラン・イラク戦争、イラクのクェート侵攻、イランの凋落と体制主義などが淡々と、しかしくっきりと描かれる。自由を求めてウィーンに渡ったのに、どうしようもない流れに飲み込まれてテヘランに戻りたいと切実に思うその経緯は、自分の悩みをしょうもないことだと言うに十分だと思う。

読書体験というのは、実体験では補いきれないものを補ってくれる。それは確かに実体験ではないし、テレビモニタで見るような実際の映像つきでも音声つきでもない。でも確かに文学は実体験を補ってくれることができる。それは映像や音楽とは根本的に質の違うもの。本著は、その根本理由を説明できなくても、そう信じさせてくれる良い「漫画」だと思う。

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2011/07/31

『楽園への道』/マリオ・バルガス=リョサ

4309709427 楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社  2008-01-10


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ポール・ゴーギャンと、その祖母で、女性解放と労働者の権利獲得のための活動に一生を捧げたフローラ・トリスタン。実在の二人の人物を用いた物語は、奇数章がフローラ、偶数章がゴーギャンの物語として交互に語られる。村上春樹の作品で慣れ親しんだこの構成は、「フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法」であり、「二が一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法」であること、また本作は「直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられている」が、これは「騎士道小説の語りの手法を取り入れたもの」ということを、解説で学んだ。

ヨーロッパ的なるもの、偽善、性、読み込みたいよく知ったテーマが詰め込まれているけれど、物語の最終版、それらを押しのけるように衝撃的に登場した言葉があった。「日本」だ。

洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。

戦後、日本人として日本の教育を受けてきた身にとっては、とても表面的で、とても要約された日本観に見えてしまう。19世紀と言えば日本はまだ徳川の世で、「日本の版画家たちよりこれをうまくやったものはいなかった」と書かれている通り、ゴーギャンが影響を受けたと言われている浮世絵師達が活躍した時代。僕の頭にはこれまた表面的で短絡的に「士農工商」という身分制度が思い出され、年貢によって貧困に喘ぐ「被搾取者」農家が、芸術家として生きるなんて考えられもしない。それでも、「ヨーロッパ的なるもの」を考えるとき、「芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった」というのは頭に入れておかないといけないのかも知れない、と思った。なぜかと言うと、戦後から現代の間に、正にそれが起き、そしてそれが現代社会として当然の姿と思っている僕たちのような意識が存在するから。

芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

自分にとって「仕事」とは生きるためのものであり、生きることにとって芸術は必須のものではなく、芸術は自分の仕事の領域には含まれないし取り扱うこともできない、と考えてきた僕にとって、この一文は、-特に「技術(ワザ)を取得し、」の下り-新しいエリアへのきっかけになる力強い一文だった。

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2010/12/25

『BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]』

B004ETEOGO BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]
マガジンハウス  2010-12-15

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今、僕は完全に自分の生き方に迷っている。悩んでいる。狭くは勤めている会社でのロールについて、いったいどこまで研鑽するべきなんだろうかという問題点から、広くはこの先この職業のままでいいのだろうか?大丈夫なんだろうか?という問題点。身につけた価値観は容易に消し去ることができず、他人と比べては見劣りするとか馬鹿にされていそうだとかいう感情の周りをぐるぐる回っている。金を稼がなければならない、出世しなければならない、ステータスを身につけなければならない。そんなの大切なことじゃないという人も、少し気を緩めると、身につけている時計や乗っている車でこちらのことを判断しようとしたりする。それらの物差しを全く気にすることなく、自分が心血を注ぎたいということにピントを絞ることなんて、できるのだろうか?

直前に読んだ『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』でBRUTUSの記事をさんざん馬鹿にした文章があり、BRUTUSそのものを「底の浅い雑誌」と決めつけそうになったけど、これは買ってよかったし読んでよかった。とりあえず読んだのは「正義と個人」「お金と幸福」「現代と仏教」「マネジメント」「今読む哲学」「つながり」だけど、どの章にも現れてくるのが、「短時間で得ようとすることの否定的な面」だ。お金を儲けるにしても、どれだけ効率的かということしか考慮されない。儲ける行為自体には何の価値判断もおかれない。その状況に対して「それは当然おかしいだろう」と声を出せるようになったことが、これまでと劇的に違うところだと思う。ほんのすこし前まで、それらはすべて「本人のやる気の問題」に還元されていた。

あれほど「余計なことはしすぎるほうがいい」と思っていても、結局僕も効率化の波に巻き込まれていた。自分の今の苦境は、効率性至上主義に自分を合わせ過ぎた当然の帰結だと思う。じゃあ非効率であれやりたいと思ったことをどうやってやればいいのか?その問題を考える前に、「とにかく効率性至上主義ではダメだ」とはっきり声を出す人が増えたこと。それがいちばん大きなことだと思う。

【承認】。世界が有限で、やったぶんだけ(と自分が納得できるくらいの)「お金」が入ることが期待できないような世界で、どうすれば落ち込まずに生き生きといきていけるのか?本来、人は他者からの「承認」がなければ満足感が得られないし、そのためにはまず他者を「承認」できなければならない、という話。ここは「つながり」にもつながるし、『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』の江弘毅の話にも繋がる。お金で表現できなければ価値として見做せないという価値観からどう抜け出していけるか?実際に、お金がなければ生きてはいけないのだ、という鉄壁のリアリズムの上に、新たな自分なりの哲学を構築していく作業なのかなと、思う。

みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
p175「消費される記号やなくて、経験やコミュニケーションの有りよう、関係性でしか書けない。」
p178「おばちゃんのそれは経済軸のものではなくて、もっと贈与的
p178「経済軸の判断は、どんどんプロセスを省略する方へいく。効率のいい方へ仕事の中身がショートカットされていって、その極端な形が「お金をお金で買う」ビジネス」

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2010/11/20

『ノルウェイの森』/村上春樹

4062748681 ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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406274869X ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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映画を観る前に再読しておこうと思っていて、本屋に入った際それを思い出したので文庫本を買った。『ノルウェイの森』は何かの折に(何か節目になるような出来事があった際や特にそういうことがなくて単に思いついた際)再読しているけど、毎回、「こんな話だったっけ?」という印象を抱いている気がする。それにしても今回は、僕の読書におけるグッドラックを、自分で思い込んでる気に入った言い方でいうとセレンディピティを、一生分とは言わないけれど数年分は注ぎ込んだようなタイミングで読めたんじゃないかと思う。なにしろ、本屋で買って読み始め、端役も端役だけど全然記憶になかったけど「奈良」が登場し、iTSでビートルズがダウンロード可能となる日が訪れ、そして読み終えた。僕個人的にはこれでもう十分。十分、『ノルウェイの森』は僕に生きる力をくれた。実際、会社の人がお土産にくれたラーメンを食べ過ぎ胃を壊した翌日から、微熱が続き何も食べられなくなりみるみるおかしくなって精神的にも完全におかしくなってしまった僕をたった10時間足らずの読書が引っ張り上げてしまったのだ。

「こんな話だったっけ?」という印象以外で、今回抱いた印象で最も大きかったのは、「こんなにわかりやすい小説だったっけ?」というもの。これは、僕が村上春樹の作品を読み続けてきて慣らされてきたからなのか、僕の読書の能力が向上したからなのか、物語を注意深く受け取る感覚が失われ、通り一遍の筋書しか頭に入らなくなったからなのか、その辺は自分自身ではわからない。けれど、自分自身としてはとてもよく理解できる小説に感じられた。例えば「全てが終ったあとで僕はどうしてキズキと寝なかったのかと訊いてみた。でもそんなことは訊くべきではなかったのだ。」の部分。そりゃもちろん聞くべきではないよ。今の僕はそう思うし、その理由もパッパッと頭の中にひらめくけれど、若い頃にこれを読んだときは全然違うこを考えていたと思う。できないことの理由を問うことから始まる問答を。「訊くべきではない」というのは、単に「どうして寝なかったのか」という原因を訊くだけが対象じゃない。「寝る」ことに関わる様々な意味が、そう簡単に説明できるようなものではそもそもないから。そんなところに考えを飛ばしていたはずだ。でも今の僕はもうちょっとクリアに「なぜ訊くべきではなかった」のか、思いを巡らすことができる。

なぜ38歳の僕がこの本を今、それも再読の再読で読んで、精神的に立ち直ることができたのかはよくわからない。普通に仕事はできるものの、仕事に行きたくないとまで思うくらい、ちょっと崖っぷちだった状況から、なんとか戻ってこれたのは、この本の力が多少はあると思ってる。確かに、この本を読んでる最中、自分を覆っている時間の殻のようなもの、どうしてもそこに留まることはできないのに少しの希望の欠片みたいのを見つけては留まれるような気になっている自分の殻のようなものが、二つに割れて自分から剥がれ落ち、残念だけれどそれは剥ぎ取って前に進むしかない、そういう感覚が現れたのだ。

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2010/09/27

『存在の耐えられない軽さ』/ミラン・クンデラ

4087603512 存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)
ミラン・クンデラ 千野 栄一
集英社  1998-11-20

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 もちろん本著の名前は知っていたし、著者が「プラハの春」以降、全著作を発禁されたというようなことも知っていた。でも本著のことは、結構なエロ小説であり、「存在の耐えられない」というのは、要は正式に付き合っていないので相手の心には存在しているのかどうかわからない、程度の意味合いに受け止め、しかも本著は傑作と呼ばれていることも予備知識としてあったので、その恋愛の心理描写が相当詳細で綿密なんだろうな、という具合な印象を持って、読んではいなかった。そこに来て、3年前に読んだ『放浪の天才数学者エルデシュ』以来の東欧への興味が重なって、文庫本で見つけたので買って読んでみた。

 もう全然認識違いで情けなかったし恥ずかしかった。ただひたすらおもしろいという感想しか出てこない。恋愛の軸と社会情勢の軸、そして哲学の軸。読んでいて頭が刺激されるし、その底辺に流れる考え方みたいなものは頷けるけどひとつひとつの表現-タイトルの「存在の耐えられない軽さ」とか-を、自分なりに噛み砕いて話せない。言葉にできるところまで理解できない。これはあと2回くらい読まないとダメな小説。

 そんな中、頭に浮かんだテーマをメモ:

  • 第Ⅵ部「大行進」で語られる「俗悪=キッチュなるもの」の概念と説明の言葉。自分が常日頃抱いている感情にぴったりとあてはまる。しかしそこから押し広げて気づいたのは、例えば「平和」をうたい文句にした野外フェスに、その理念に賛同したと言って参加する人々。これはイコールなのか?イコールではないと、言い切れるか?また逆に、そのうたい文句は一切無視して、単にその「呼び寄せ」をアテに参加する、この姿勢もまたイコールではないと、言い切れるか?
  • 難解で、興味深くて、思考の好材料になる様々な対立が挙げられるけど、それらはみな二項対立。二択の提示は、時代の現れか。

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2010/09/23

『松浦弥太郎の仕事術』/松浦弥太郎

402330493X 松浦弥太郎の仕事術
松浦 弥太郎
朝日新聞出版  2010-03-05

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とりあえずメモ。

三級波高くして魚龍と化す

p30「「おろしたての新品は格好悪い」というイギリス独特の美意識かもしれません」
p37「ヘンリー・ディヴィッド・ソローの『ソロー語録』」
p38「スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ」
p52「規則正しい生活が、何よりも大切」
p66「責任感、達成力といった面ではよいことでもありますが、反面、「自分以外の誰も信用していない」」
p83「相手の手がほかのボールでふさがっているときに投げたのでは、しっかり受け止めてもらえる可能性は低い」
p96「好奇心がなければ学べない、発想も広がらない」
p126「準備の威力はもっと大きい」
p147「新聞は、・・・「自分が知らない、わからないこと」を見つけ出すきっかけづくり」
p153「「短い時間で成果を出したい」「手間をかけず、面倒なことは省略したい」こういった焦りモードの仕事の何よりあやうい点は、チャレンジできなくなること」
p163「たとえ何があろうと、自分の理念を守り続ける」
p170「お金を使うことでかろうじて埋め合わせている「何か」を見極め、そのものを満たす努力をすることで、無駄な出費は自然と抑えられるはず」 

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2010/07/10

『これからの「正義」の話をしよう-いまを生き延びるための哲学』/マイケル・サンデル

4152091312 これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍
早川書房  2010-05-22

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断片的に語りすぎる。それは世界中どこでも共通の言論の癖なのかも知れないけど、この日本では間違いなくそれが当てはまっていると思う。例えば、本著のp231、「実力主義の社会につきものの独善的な前提、すまり成功は美徳がもたらす栄誉であり、金持ちが金持ちなのは貧乏人よりもそれに値するからだという前提を くつがえす」「職やチャンスを得るのは、それに値する人だけだという信念・・・は社会の 連帯を妨げる・・・成功を自分の手柄と考えるようになると、遅れを取った人びとに責任を感じなくなるからだ」あたりを日本の保守支持層や高齢層あたりが読めば、「だから過去の日本に存在していた、過度の成果主義を抑えた社会に回帰すべきだ」と言い募るに違いない。けれど、本著がここで語っているのはそういう文脈ではない。「道徳的功績」を巡る考察があって初めて理解できる文脈だ。過去に非成果主義的な社会があり、そこに成果主義を持ち込んだ現状で、単に非成果主義的社会の長所と見える側面だけを求めて回帰するだけでは、そこにもまた嫌気がさして逆戻りするだけだ。

本著で語られているように、日本では「正義」という概念は、避けて通ってきていたと思われる。もしくは、「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚か、または「天皇が判断するもの」「将軍様が判断するもの」という、ある種の特権が、一般人に下ろしてくる判断という、トップダウンの思想だ。「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚は、もしかすると本著で述べられている正義に対する第3の考え方に似ているのかも知れない。ただ違うのは、アメリカでは正義と政治は切り離せないものとして考えられていることだ。日本では仮に正義が第3の考え方的なものだったとしても、それを政治に繋げる発想には縁遠いような気がしてならない。そして、正義や道徳から切り離して、まったくもって「リベラル」な環境下で、”競争していればいいものが生まれる”というあまりに純粋無垢な幼稚な考え方でここまでやってきたのかというのがよくわかる。”それで何の文句がある?”という言説に明快にカウンターを打てないというだけでずるずるここまで来てしまった罪は、いたるところで引き受けられなければいけないと思う。

 

p13「われわれは幸福と経済的繁栄を同一視しがちだが、幸福とは社会的福利の非経済的な面をも含むより幅の広い概念である」
p27「2008年と2009年の壊滅的な損失の原因が圧倒的な経済の力にあるとすれば、それ以前の莫大な利益もそうした力のおかげだと言えるのではないだろうか」
p28「アメリカの一流企業のCEOが平均して年間1330万ドルを手にしている・・・ヨーロッパのCEOは660万ドル、日本のCEOは150万ドル」「こうした格差は、経営者が仕事に向ける努力や能力とは無関係な要因を反映しているのだろうか」
p29「価値あるものの分配にアプローチする三つの観点…幸福、自由、美徳」「これらの理念はそれぞろ、正義について異なる考え方を示している」
p56「オメラスから歩み去る人々」
p71「ある快楽がほかの快楽より質が高いとか、価値があるとか、高貴だとか、いったい誰に言えるだろうか?」
p126「利益という目的がこの取引の主たる要素であり、取引全体を覆い、最終的には取引を支配している」
p129「アンダーソンの議論の中心にあるのは、ものには種類があるという考え方」「金銭で買うべきものではないものがあることの説明がつく」
p134「代理母になるのを選ぶ経済的利点は明らかだが、われわれがこれを自由と呼んでいいのかどうかははっきりしない。「貧しい国々の計算ずくの政策としての-世界規模での商業的な代理出産産業の出現は、女性の体と生殖能力を道具扱いすることによって、代理出産が女性を貶めているという思いをさらに強くさせる」
p136「イマヌエル・カント(1724-1804)」
p144「自由に行動するというのは、…目的そのものを目的そのもののために選択することだ」
p150「他者を助けるという行為の動機と、義務の動機を区別している」
p153

  1. (道徳) 義務 対 傾向性
  2. (自由) 自律 対 他律
  3. (理性) 定言命法 対 仮言命法

p163「定言命法の観点からすれば、母親の気持ちを気遣って嘘をつくのは、母親を理性的な存在として尊重しているのではなく、心の安らぎのための手段として使っていることになる」
p172「合意されあれば何をしてもよいという倫理的価値観と、自律と人間の尊厳を尊重する倫理的価値観の違いを浮き彫りにしている」
…「合意」を閾値にする事件を思い起こすと、その種の裁判のやり方の倫理的背景の底が如何に浅いかが判る
p173「私の弁明はカントのものとは異なるが、彼の哲学の精神に則したもの」
p178「念入りに拵えた言い逃れは、真実を告げるという義務に敬意を払っている。だが真っ赤な嘘は違う。単純な嘘をつけば用が足りるのに、わざわざ誤解は招くが厳密には嘘ではない表現を使う人は、遠回しではあっても、道徳法則に敬意を示しているのだ」
p183「平等をめぐる議論-ジョン・ロールズ」
p191「18世紀のスコットランドの道徳哲学者デイヴィッド・ヒュームが直面したものだ」
p207「人間には努力と勤勉さの対価を得る資格があるという主張は、ほかの理由からも疑わしい」「われわれの貢献度は、少なくともある程度は…自分の功績とは言えないものできまるのである」
p208「道徳的功績を否定する」
p216「ロールズの正義論はアメリカの政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している」
p226「重要なのは、道徳的功績ではないのだ」
p231「分配の正義のよりどころを道徳的功績に求めないという考え方は、道徳的には魅力的だが、人びとを不安にさせる。この考えが魅力的なのは、それが実力主義の社会につきものの独善的な前提、すまり成功は美徳がもたらす栄誉であり、金持ちが金持ちなのは貧乏人よりもそれに値するからだという前提をくつがえすからだ」「職やチャンスを得るのは、それに値する人だけだという信念は根深い」「このような信念は、よく言っても一長一短、度がすぎれば社会の連帯を妨げる・・・成功を自分の手柄と考えるようになると、遅れを取った人びとに責任を感じなくなるからだ
p237「資金を確保することが入学選考に影響を及ぼすほど優先されるようになれば、大学は道を踏み外し、その存在意義である学術的・公民的善から大きく外れることになるだろう」
p250「あらゆる都市国家は、・・・善の促進という目的に邁進しなければならない」
p255「美徳を身につける第一歩は、実行することだ。それは技能を身につけるのと同じことである」
p257「絶えず道徳的に行動に励むことによって、道徳的に行動する傾向が身につく」
p260「カントからロールズに至るリベラル派の正義論の悩みの種は、目的論的構想と自由が相容れないことだ。リベラル派の正義論では、正義は適正ではなく選択にかかわる。」「人びとにみずからの役割を選ばせることだ」
p280「異議を唱えるのは、善についての考え方から正しさを導き出す正義論に対してである」「カントとロールズは…正しさは善に優先すると主張する」
p284「選択の自由は-公平な条件の下での選択の自由でさえ-正しい社会に適した基盤ではない。」「中立的な正義の原理を見つけようとする試みは、方向を誤っているように私には思える」「道徳にまつわる本質的な問いを避けて人間の権利と義務を定義するのは、つねに可能だとは限らない」
p286「アラスデア・マッキンタイア『美徳なき時代』」
p287「道徳的熟考とは、みずからの意思を実現することではなく、みずからの人生の物語を解釈することだ」「そこには選択が含まれるが、選択とはそうした解釈から生まれるもので、意思が支配する行為ではない」
p291「道徳的責任の3つのカテゴリー:

  1. 自然的義務:普遍的。合意を必要としない。
  2. 自発的義務:個別的。合意を必要とする。
  3. 連帯の義務:個別的。合意を必要としない。

p297「同類を優遇する偏見にすぎないのだろうか?そもそも国境の持つ道徳的意義はなんだろうか?」
p307「人格者であるとは、みずからの(ときにはたがいに対立する)重荷を認識して生きるということなのだ」
p311「われわれを拘束する唯一の道徳的責務をつくったのはわれわれ自身であるという契約論的な考えに対抗するための幅広い例だ」
p312「この自由の構想には欠陥があることを示そうとしている」「もう一つの争点は、正義についてどう考えるかだ」
p313「私の善について考えるには、私のアイデンティティが結び付いたコミュニティの善について考える必要があるとすれば、中立性を求めるのは間違っているかもしれない」
p314「国民の権利と義務をいかに定義するかを決めるにあたり、善良な生活をめぐって対立する考え方を度外視することはできない」「本質的道徳問題に関与しない政治をすれば、市民生活は貧弱になってしまう」
「正義をめぐる論争によって、道徳をめぐる本質的な問いに否応なく巻き込まれるとすれば、その議論をどう進めていくかが問われている。宗教戦争に移行せずに善について公に論じるのは可能だろうか?道徳により深く関与した公的言説はどんなものになるだろうか?そして、それはわれわれが慣れている種類の政治論争とどう違うだろうか?」
p321「ジョン・F・ケネディが支持し、オバマが拒否したリベラルな中立性の理想」
p323「正義と権利の議論を善良な生活の議論から切り離すのは、二つの理由で間違っている。第一に、本質的な道徳的問題を解決せずに正義と権利の問題に答えを出すのは、つねに可能だとはかぎらない。第二に、たとえそれが可能なときでも、望ましくないかもしれない」
p331「同性婚論争の真の争点は選択の自由ではなく、同性婚が名誉とコミュニティの承認に値するかどうか-つまり、結婚という社会制度の目的を果たせるかどうか」
p334「われわれは正義に対する3つの考え方を探ってきた」
p335「公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはないけない」
p337「アメリカのGNPはいまや年間8000億ドルを超えている。・・・GNPはアメリカのすべてをわれわれに教えるが、アメリカ人であることを誇りに思う理由だけは、教えてくれない」
p340「市場の道徳的限界」
p344「公共の言説の貧困化」

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2010/05/09

『1Q84 BOOK3』/村上春樹

4103534257 1Q84 BOOK 3
新潮社  2010-04-16

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 まず何よりもびっくりしたのは、「青豆と天吾のラブストーリーがどうなるか」を楽しみにBOOK3を読んだ人が結構いるってことだった。ネットで感想をいろいろ漁ってみると、BOOK2で青豆が死んでしまったのかどうか、そしてBOOK3で青豆と天吾が無事再会できるのかどうか、そこに興味のほとんどを集中させて読み、その顛末にやきもきあれこれ書いている人が少なからずいたことにびっくりした。はっきり言って、青豆と天吾がどうなるのかなんて、BOOK2を読み終えた時点で、もしBOOK3が出るとしたらこうなるしかないってストーリーだったし、この二人の「ラブストーリー」的なところには全然ウエイトがおかれない。もちろん、青豆と天吾が主役なんだから、そのストーリーは大事に違いない。でも、青豆と天吾の力を借りて、語りたかったことが他にもいっぱいあると考えるのが普通はとても自然だ。

 BOOK3では、「さきがけ」のような、宗教に纏わる問題や、日本の現代社会を取り巻く精神的な諸問題を解き明かすことは、作者は「お断りを入れて放棄している」と解釈している文章もいくつか目にしたけれど、僕はそうは思わない。なぜなら、「比較的」複雑な事情を持たされて物語に登場したのが青豆と天吾なのだから、その諸問題について語ることを「放棄した」BOOK3なんて考えたくもないからだ。そして、その諸問題にどう対面していけばいいのか?それについては、単に諸問題を詳らかに記載するのみで対面の姿勢は書き記されないことは考えられるけど、BOOK3はちゃんと姿勢も指し示してくれているような気がする。そのキーポイントは何だろう?BOOK1&2では指し示してなくて、BOOK3で指し示してくれたような「気がする」キーポイントは何だろう?と考えると、やっぱり、BOOK3で突然、章を受け持つことになった牛河の動静と、その牛河の死(殺され方)にあるんじゃないかと思う。自分が知らず知らず青豆と天吾をひきつける役割を果たしていて、なおかつ、客観的な第三者的な視点の役割を担っていて、そうして最後に知ってることを洗いざらい話させられ突然殺される。そして青豆と天吾が残る。僕には、あの、偶然に偶然が重なって、牛河の前に天吾と青豆が現れずに済んだシーンがとても美しく心に残っている。

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2009/10/18

『山椒大夫・高瀬舟』/森鷗外

4101020051 山椒大夫・高瀬舟    新潮文庫
新潮社  1968-05

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 自分で自分のことを割と近代文学好きだと思ってるんだけど、森鷗外はあまり読んでいなくて、その理由はやっぱり教科書で読んだ『舞姫』だと思う。ちっとも面白くなかったのだ。今読めばたぶん面白いと思うんだけど、教科書で読む『舞姫』というのは、ここに踏み込まないと面白くない!というところに踏み込まないので当然面白くない。『蛍』が受験問題集で読んでどっぷりはまったのとは雲泥の差。

 『プレジデント』で森鷗外の紹介があって、伝記を読むといいと書かれてたんだけど、買いに出かけたジュンク堂では見つからず、代わりにこの『山椒大夫・高瀬舟』を購入。

 『高瀬舟』は安楽死がテーマだ。何よりも驚いたのは、『高瀬舟』が安楽死がテーマの小説だったことであり、この時代から安楽死の問題意識があったことだ。あるいは、もっと昔から当然のようにあったものかも知れない。逆に、苦しんでいる者がいれば安楽死させることが当然であって問題にならない頃もあったのかも知れない。
 喜助は不治の病に苦しむ弟が自害するのを手助けした。字面で書けばそういうことになる。弟は自分の手で剃刀を喉に突き刺したが死にきれず、喜助がその刺さった剃刀を抜いてやることで果てたのだ。喜助は抜かずに医者にかけてやればよかったのか?一命を取り留めたところで不治の病に苦しむ日々が待ち構えているだけだ。喜助に負担をかけているという気の病みとともに。そう思った喜助は、どう振舞うのが正しかったというのだろうか?そしてこれを書いているのが医師でもある鷗外というところに妙があり、縁起まで記されているところが奥深い。
 安楽死を求めるような苦しみが身体に及ぶ苦しみだけなのか、精神的な苦しみは値しないのか?精神的な苦しみによる自害の場合、どちらかと言えば「自害」という行為に至るまで周囲がその苦しみの大きさを測れなかったところに悲しみがあることが多いように思う。安楽死の問題は、それを他人が介助することによる、介助する側の悲しみも問題にあがる。最初に思ったのは、安楽死というのは現代特有のテーマでは全然なかったのだということで、他のたくさんの社会問題と同じく、現代特有だとしたり顔になればなるほど解決から遠ざかってしまっているような遣る瀬無い気持ちである。

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2009/09/21

『いいことが起こり続ける数字の習慣』/望月実

4862801692 いいことが起こり続ける数字の習慣
総合法令出版  2009-08-25

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 ジュンク堂難波店で立ち読みしたとき、ダイエットの項目にストレッチのような整体のような、何かよさそうなことが書いてあったなーでも思い出せない、と再度ジュンク堂に行って、そのまま弾みで購入。「ゴールまでの時間を逆算してタイムスケジュールに落としていくという発想は、私が外資で学んだ仕事術と全く同じ」とのくだりで、これはちょっと読んでみようと。同じく外資系に勤めていて、「数字」のうるささというのは重々実感しているし、また反対にそれは当然のことであって、否定的に捉えずポジティブに捉えるべきであると思っていたから。

 この本は、「時間」「ダイエット」「お金」「人間関係」をうまく実現するために、どういうふうに「数字」を活用すればいいかを、平易かつ具体的に説明しています。ダイエットの項では、エゴスキューという、僕が知りたかった体の歪みを治すエクササイズなども紹介しながら、続ける秘訣は「続けられる環境を作ること=目に見える階段を数字で設定すること」と説明します。

 もちろん数字の重要性を説いてますが、全体を通じて「いかにストレスを感じないように日々過ごすか」ということを説いています。ストレスを感じることのないように、「数字」を使って事前準備していく、そういう考え方です。この考え方は非常に共感。しかしながら、実際仕事をする上で最大のネックは、自分以外の人間に効率を追求する考え方がない場合。これはずいぶん長い間感じているテーマなので、解決策をきちんと考えないといけない。

  • 睡眠は大事。

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2009/08/16

『風に舞いあがるビニールシート』/森絵都

4167741032 風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)
文藝春秋  2009-04-10

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 短編集と知らず、最初の一編『器を探して』を読み終え、これはなかなか面白い、と次の『犬の散歩』に差し掛かって、登場人物が全く違うことに気づき、「あ、もしかして短編集?」と初めて気づいたのでした。そこで慌てて『風に舞いあがるビニールシート』を先に読んでみた。そのタイトルに強く惹かれていたので。

 まずUNHCRが舞台の話だなんて、全く予想してなかった。もうちょっと、普通のOLのほのぼのとした日常とか、ほのぼのしてるかどうかは別として、柴崎友香のような話をイメージしてた。先に読んだ『器を探して』が、プロフェッショナリズムを強く打ち出した話とは言え、ケーキショップに勤める女性の話と、まだ身近な感じがしただけに、UNHCRまですっ飛ばれてしまうととても意外だった。

 UNHCRに勤めたエドと里佳は、どれくらいの年棒を貰っていたのだろう?実際、エドはアフガンで命を落としたくらい、危険な業務に従事している彼らの年棒はどれくらいなのだろう?そういうふうに考える自分が、いかに成果主義に毒されているか、思い知らされた。成果主義の最も恐ろしいところは、「何が仕事であるのか」がだんだん二の次になっていくところ。自分が関わっている製品やサービスや仕事内容というのは、あくまで「金銭」につながる「成果」を得るための手段でしか、なくなるのだ。その思想は、別の形であれば、ひとつのプロフェッショナリズムに繋がるものだけど、「成果主義」と結びつくと、簡単に拝金主義に姿を変える。そうして、「これくらいのお金を貰わないと、そんな仕事やってられないよなあ」という発想が生まれるのだ。命を賭して働く彼らの年棒って?同じような疑問を抱く人はたくさんいると思うけど、成果主義に毒された僕のこの疑問は、あまりにいやらしい。そして、それほどの稼ぎにならないのに、苦労の多い仕事を進んで嬉々と情熱を傾けて取り組む人の気持ちが理解できなくなってしまうのだ。

 でも一方で、単に「仕事」「お金」と並べるだけの労働経験しかない、思いに深みのない人とは違う、という自負はある。少なくとも、なぜそれだけのお金を追いかけないといけないのか、という明確な意識はあって、それはただだらだらと働いてお金を貰っている人のそれとは著しく異なるし、どれだけいやらしくてもひとつのプロフェッショナリズムを持っていることに変わりはないからだ。本書には6編のプロフェッショナリズムが描かれていて、僕みたいにとても偏狭であれ胸を張ってプロフェッショナリズムを唱えられる人にとっては、刺激的な話ばかりだと思う。 

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2009/08/03

『1Q84』/村上春樹

4103534222 1Q84 BOOK 1
新潮社  2009-05-29

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4103534230 1Q84 BOOK 2
新潮社  2009-05-29

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 読み終えて唸って考え込んで10日余り過ぎた今、『1Q84』を思い起こしてみると頭に浮かび上がってくるのは、誰かの思いとか考えとか悩みとかのどれが「くだらない」と言えるのかなんて誰にも決められないし、反対に、自分の思いとか考えとか悩みとかを誰かに「くだらない」と言われる由もないけれども誰かに「くだらない」と言われてしまってもそれはしょうがないことなんだ、という諦念。さらに逆に、誰かの思いとか考えとか悩みを「くだらない」と言ってしまう権利も誰にでもあるけれど、そう言ってしまうためにどれだけの覚悟が必要か、きちんと意識していたいなという気持ち。「くだらない」という言葉に、少しでも優劣の色が混じるなら、今まで通り僕はそれを許さない。その許さないやり方は、『1Q84』の中にも何種類も出てくる。噛んで含めるように伝えるようなやり方もあるにはあるけれど、僕は今まで通り徹底的に打って出るやり方で行くだろう。

 テーマに『宗教』があるのは間違いない。だけど、『リトルピープル』は文字通り『ちいさい人間』、つまり人間の弱いところであり凶暴性で、それは宗教を引き起こすこともあるし宗教を暴走させることもあるし、宗教という形を取らず暴走することもある。その『リトルピープル』の輪廻が、少し考えただけだと辻褄があわないことだらけで読み取りに悩んでしまう。そして、BOOK2の後半でのこのあたりの説明的描写は、読書が好きな人じゃないとたぶんキツくて面白いとは思わないんじゃないか。それでも、僕は読み応えたっぷりでいい物語だと思う。

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2009/06/28

『レキシントンの幽霊』/村上春樹

4167502038 レキシントンの幽霊 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋  1999-10

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 『1Q84』の品切れ状態のときに、買えるようになるまでの間、未読のものを読んでおこうと購入。これは、吉井和哉のライブで向かった琵琶湖湖畔の石場から歩いた大津パルコのスターバックスで、早く到着したので待ち時間の間の小一時間くらいで読破。「レキシントンってそもそもどこだ?」(正解は、本作のはマサチューセッツ州)とか考えつつ、出先なのでノートPCを触るのも結構手間なのが好都合。読むことに集中。

 『レキシントンの幽霊』『緑色の獣』『沈黙』『氷男』『トニー滝谷』『七番目の男』『めくらやなぎと、眠る女』の7編。『めくらやなぎと、眠る女』は聞き覚えがある、と思っていたら、ちゃんと<めくらやなぎのためのイントロダクション>という小解説が載っていて、10年ぶりに手を入れたものと書かれてた。『蛍』と対になったもので、かつ、『ノルウェイの森』とのあいだにはストーリー上の直接的な関連性はありません、と解説されてる。これは結構、親切。

 この短編集の7編は、村上春樹独特の「奇怪」な構成と雰囲気はあるけれど、「言わんとするところ」は、どちらかと言うと、分かりやすく書かれている部類じゃないかなと思う(もちろん、表面的にはそれに見えるけれど、ほんとうはもっと奥底に隠れているんだよ、ということがあって、僕が気づけていないとは思う)。そんな中でいちばんびっくりしたのは『沈黙』。大沢さんが過去の話として語りだすイヤや人間・青木は、僕が村上春樹の人間像のひとつとして抱いていたものにそっくりだったからだ。僕は、作家の履歴とか性格をいろいろ調べたりするほどは文学好きではないので、単なるイメージだけをずっと抱いてきたんだけど、青木をあんなふうに書くと言うことは、村上春樹はあんなタイプではないということか、それとも、自分の嫌な部分でも冷静に平たく書けるというのが小説家といったところか、思わず考え込んだ。

 しかしながら、『沈黙』と『七番目の男』が提示した、「最も怖いことは何か」というテーマに対するひとつの解は、僕は頷けるものだった。村上春樹を好きだというひとがこれだけいるのに、なぜ社会は少しずつでもこういう方向に進まないのか、それが不思議で怖くてならなかった。 

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2009/06/21

『ザ・タートル 投資家たちの士官学校』/マイケル・コベル

4822246302 ザ・タートル 投資家たちの士官学校
遠坂 淳一 秦 由紀子
日経BP社  2009-02-11

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 考えたことは大きく2つ。

  • 経営やマネジメントは、それ専門のスキル「だけ」を持てば業種・事業内容問わず勤まるというのは、やはり時代遅れの発想だ。
  • 勝つためにルーチン化されてひたすら遂行するのであって、独創性は不要どころか許されない。これは、産業革命から変わらない。

 ここから更に大きく引っ張り出されるのは、「何のために働くのか?」という根源的な問い。仮に必勝パターンがあるとして、その必勝パターンを繰り返せば無限に勝ち続けられるとして、それで豊かな人生と感じられるだろうか?
 ビジネスマンとして学ぶべきは、やはり数字の重要性だ。そこに到達するためには、どれくらいの距離があって、何歩歩けば何分でつくのか?それがわかっていなければビジネスにならない。

 もうひとつ、これは数年前から翻訳物を読むたび常々思うことだけど、アメリカ型・日本型という紋切型の無意味さ。

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2009/06/07

『良い広告とは何か』/百瀬伸夫

4904336283 良い広告とは何か
百瀬伸夫
ファーストプレス  2009-04-11

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 「マーケティング」と「広告」が、表裏一体で語られている。「広告」がなければ「マーケティング」ではない、という思想と言っていいと思う。いかに広告宣伝費を削減するか、更に進めていかに広告宣伝しないか、というセールス活動に触れてきたので、違和感を感じるけれど、納得できる。「マーケティング」とは売れる製品開発のための「市場分析」であって、広告やCMやセミナーでの露出を捻り回すことではない、という感覚でいたが、「良い広告とは何か」という問いに対し、「広告主の業績向上に繋がる広告だ」という定義で応える本書の思想は、根底で共感できる。

 全般を通じて最も感じたのは、自社がいかに「上っ面」でしか、ビジネスをしていないか、ということ。様々な手法や戦略や言葉が社内外を通じて踊るが、すべて、どこかの会社の「成功事例」と言われるものを安易に借りてきただけだ。それに対して、適当に統計値を出して有効であった、と結論付ける。「成功事例」から学ぶべきはその本質であって、やり方ではない。これは、「ベスト・プラクティス」を謳って横展開で楽に稼ぐことを旨とするIT業界全体の体質なのかも知れない。

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2009/05/04

『村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける』/村上憲郎

447800580X 村上式シンプル英語勉強法―使える英語を、本気で身につける
村上 憲郎
ダイヤモンド社  2008-08-01

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本気でシンプル。でも、「すぐできる」とか書いてない。本当に身になるやり方というのは、シンプルでひたすらやり続けることに間違いない、と励ましてくれる。

p107「書く」 Docstoc.com
p51「読む」英文の出だし

  1. 前置詞:イントロ
  2. The, A :主語
  3. Whenで始まりカンマがある:イントロ
  4. 名詞:ほぼ主語
  5. It~ならIt~thatかIt~toとなり、だいたい仮主語
  6. To~ならイントロ カンマがなければ主語
  7. Thereなら、There+V+Sで「Sがある」
  8. Ving~なら、イントロ カンマがなければ主語
  9. Ved by~なら、イントロ
  10. What~なら、文末が?でなければ主語
  11. ~lyやBut なら、イントロ
  12. それ以外の特殊なケース

p117「話す」

  1. Could you please~
  2. Can I~
  3. I'd like to~
  4. I will~
  5. Would you like to~
  6. Shall I~

『これで話せる英会話の基本文型87』(上野絵理/ベレ出版)

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2009/04/19

『35歳から仕事で大切にしたいこと」/村井勉

4860630947 35歳から仕事で大切にしたいこと―これからさき、成長していくために
村井 勉
あさ出版  2005-03

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p7「最近の本はあまりに親切すぎて」
p7「ミドルクラスというのは、己の頑張りだけではどうにもならぬ、と悟ることなのだ」
p30「ミドルクラスになるとどうしても”事なかれ主義”になりやすい」
p49「彼のアイデアが素晴らしいのは自動車学校に目をつけたことだ」
p52「同じ人物をいい面から見てみると必ず別の能力が発見できると思う」
p57「社員のやる気を失わせる要因として「甘え」「見栄」「ずるさ」「臆病」「寄りかかり根性」「知恵なし」…「会社に甘えた上司」「見栄をはる上司」…」
p59「会社の数字はトータルでは黒字だが実際の本業では赤字なんだ」
p93「アメリカは経営者と労働者は契約で結ばれていて、それを安易にかき回すと、組織の統制がとれなくなってぐちゃぐちゃになってしまうから」
p111「ミスの処理がうまい人というのは、オールラウンドな能力をもった人」
p116「「それは絶対に売れるのか?」「感覚だけでものを言ってもだめだ」「それが売れるという根拠は?」「データを示せ」「類似商品の前例はないのか?」これらのセリフはある意味禁句  
p127「ゆとりとけじめが必要」
p130「しかし限度には自分で責任を持つというのが無執」
p144「プロデュース能力というのは表に名前がなかなか出るものではないが、これからの時代ミドルクラスにもっとも必要な能力」
p156「それは値下げを納入業者にお願いすること」
p159「アメリカでは信用機関の仕組みが非常に発達」
p167「「自分が望んだものを手に入れられないことは不幸だ」と決め付けている」
p175「踊り場で学んだことは次のステージに活用しなければ意味がない」

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『光』/三浦しをん

4087712729
三浦 しをん
集英社  2008-11-26

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 津波で全滅した美浜島で生き残った信之・実花・輔の三人の少年少女。その天災の最中の秘密が、二十年後再会した彼らを動かしていく。

 家庭を持つ信之が、家を捨てる覚悟で行動を起こした後の展開の消化不良がいちばん印象に残る。津波という避けようのない災難、父親の暴力という逃れようのない災難、そういったものを纏いながら生きてきた信之と輔が行き着いた後の描写としては物足りない。二週間も家を空けて、捜索願も出して、周囲にも気づかれて、そこまでの騒ぎの後、信之の妻の南海子が帰ってきた信之を受け入れた過程は、この本のテーマとは違うから簡略でよいのかもしれないけれど物足りない。夫の不在時の南海子の動揺は詳細に描かれているのに、不在が解消された後の心の動きが省略されているのは妙だと思う。

 この本の大きなテーマは「理不尽」だと思う。人生にはたくさんの理不尽な出来事があって、それをどう解釈すれば生きていけるのか、というテーマだと思う。津波で島と愛する実花を失った信之が、「究極的には、自分を空腹に追いやったものを探して殺して食って飢えを満たすか、空腹を受け入れて死を待つか、どちらかしかないはずだ。」と語り、行き着くところまで言ってしまう。人は誰でも、極論すればこの信之の言葉の通りだけれどこういうふうに極論してはいけない、ということだけはわかっている。なぜこういうふうに極論してはいけないのか、こういうふうに極論せずに、どういうふうな考えを持つべきなのか、そこを考えるのが重要なのだろうが、『光』ではそこには余り触れられない。行き着くところまでいった信之が、その行き着くところまでいこうと思った「理由」に、うっすらわかってはいたけれど裏切られ、根底を否定されて、家に帰る。そこで何をどう考えたかは触れられない。だから、最初に書いたように、物足りなく感じるのだと思う。

 それと、嫌になるくらいいろんなところで登場して、嫌になるくらいその度書き留めるんだけど、南海子の「夫は本当に、私がなにを求めているのかわからなかったんだ。愛し、頼りにする相手と、ただ話しあいたい。」という台詞に代表されるような女性の感情。こういう感情を女性が持つもんだというのは否定しないけれど、男性は男性で、「だからどうするのか?」という具体性を大事にする生き物だ。「共感」の重要性だけを押し付けるような人は、違う立場の考えを慮れないという意味で、人間的に成長はないと思う。

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2009/03/14

『四畳半神話大系』/森見登美彦

404387801X 四畳半神話大系 (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店  2008-03-25

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 殻を破れない引っ込み思案系の大学3回生の「私」が展開する、4つの並行世界での学生青春ストーリー。

 『夜は短し歩けよ乙女』が面白かったので、森見登美彦を読んでみようということで、まず文庫になっていたコレを買ってみた。初版は2004年で『夜は短し・・・』の2年前で、なんだか納得してしまった。『夜は短し…』のほうが、こなれてる。『四畳半神話体系』は、「私」の大学3回生が、「あのときこうしていたら・・・」形式で4話語られる物語で、1話目の印象を持って2話目、3話目、と読み進めていくと、「結局コレは出てくるのか~」「これはこっちの世界ではこうでてくるか~」という面白さはあるんだけど、「並行世界」という印象を強く残すためなのか、全く同じ文章が出てくる箇所があり、そこが、ちょっとスピード感を欠くときがある。森見作品独特の、時代錯誤近代文学的言い回し台詞回しも、同じフレーズが反復して出てくるので、小気味よさがちょっと足りなくて、読み進めるスピードがちょっともたつくのが残念。

 それでも『夜は短し…』とちょっと違うのは、最終話『八十日間四畳半一周』が、4話の中で最も荒唐無稽で有得ないシチュエーションなのに、少し胸震わせるものがあるのだ。この登場人物この話で胸震わされるのも情けないといえば情けないのだけど、日常少し忘れているような感覚をくっきり浮かび上がらせるのに、こういう荒唐無稽な仕掛けってやっぱり有効なんだなあと再認識した。

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2009/01/27

『夜は短し歩けよ乙女』/森見登美彦

4043878028 夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
森見 登美彦
角川グループパブリッシング  2008-12-25

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 妄想逞しく意気地果てしなくしょぼい「先輩」と、その先輩が想いを寄せる、天真爛漫が過ぎて天然全開の「黒髪の乙女」の恋愛ファンタジー。

 荒唐無稽な面白さ、なんと言ってもこの文体と洒脱な名詞の数々。「韋駄天コタツ」なんて、何度でも口の中で転がしたくなるゴロの良さ。思い切ったこの時代錯誤感が、「先輩」と「黒髪の乙女」のあまりの晩熟さにリアルを与えてる。あんなに晩稲な大学生、今どきいないだろう!と思いつつ、実は意外とごろごろしてるってのも知ってるんだけど、それを正面切って書くと古臭いウソ臭い感じになるところ、この明治の娯楽小説然とした文体で持ってワラカシにかかることで逆に胸を締め付けさせられます。

 煩悩の塊である男の性と、それをこっぱずかしく思う青春時代の甘酸っぱさが余すところなく描かれてます。自分にもあったそんな頃に思いを馳せてしまう名品です。

 

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2008/12/31

『おそろし 三島屋変調百物語事始』/宮部みゆき

4048738593 おそろし 三島屋変調百物語事始
宮部 みゆき
角川グループパブリッシング  2008-07-30

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 読了していて感想が書けてなかった本その2。

 宮部みゆきで怪談というからかなり期待して読んだんだけど、怪談話としての怖さはそれほどでもないです。人間の性(さが)とか、そういう方面での怖さはもちろん描かれてるけど、怪談としての怖さがミックスsれているかというとそれは薄いです。あくまで、怪談の体裁を借りている小説、と言えばいいか?
 三島屋に奉公に来たおちかが、主人の意向で、様々な人の怪談話を聞くことになる、という筋立てで、最終章ではその怪談話の一つに実際に巻き込まれる。その怪現象は、昔から歴々と続いてきたことであって、どうしようもなく止めようのない呪縛であるが故に誰かがまた犠牲となり、同じことが繰り返されるのだが、その同じことが繰り返されるなかで出てくる、 「誰もあんたが憎くてしたことじゃない。許せとは言いませんよ。ただ、勘弁してやってください。堪えてやってくださいよ。」という台詞がポイントだと思う。繰り返されることは、誰かがどこかで堪えないといけない。逆に言うと、堪えれば止められる。どうしようもないことなら、誰かを責めてもしようがない。許せとは言わない。勘弁するのだ。堪えるのだ。

 これで思い出したのが、「現代用語の基礎知識2009」に書かれていた「だれでもよかった」の項(p1237)。

社会学では近年、意味不明の殺人に対して「幼稚な全能感の発露」という言葉を与えてきた。原初的な幼稚とは、自己と他者の区別がつかないこと。全能とは「神」である。怒りをだれでもいい他者に向けることは親に向かってだだをこねる幼児と同じだが、幼児は親のおかげで何でもでき、全能である。

 『おそろし』の繰り返しは、その人が被害に遭ってしまう因果関係はなくとも、「勘弁する」「堪える」というのがまだ成り立つが、「だれでもよかった」という事件は、「勘弁する」「堪える」ということさえままならない。自分と他人・社会の区別がつかないことと、何でもやめようと思えばすぐにやめてしまいやすくなった社会というのは、密接に関係してるような気がする。

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2008/10/19

『ピンクペッパー 1』/南Q太

439676443X ピンクペッパー 1 (1) (Feelコミックス) (Feelコミックス)
南 Q太
祥伝社  2008-10-08

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 できちゃった結婚した40代カップルの育児、仕事、日々。

 南Q太は『さよならみどりちゃん』で知って大好きになって、結構コレクションしてます。新刊が出たというのでamazonで買ってみたら、今まで見たことのない作風・テーマでこれまた感動。
 できちゃった結婚ってなんでそうなるんだろう?と思ってたら「えー!こんなことほんとにするんか!」という驚きもあったし、南Q太らしい生々しいタッチももちろんあるんだけど、同じ生々しさでも、子供をもったことによる日々の心持の違いを、陳腐なようで陳腐にならない表現で描いててどんどん読み進む。

 「40過ぎてやっとわかることってあるんだね」というセリフがあって、もしこれを20代の頃読んでたら、絶対今のオレでわかってやるって意地になってたと思う。でも、今は、40にならないとわからないこともあるんだろうなあと思うし、オレが今不安に思ってるコレは、実は人より少し早く気づいちゃったことで、まだそのキャパシティを持てない年齢だったから余計不安になっているので、もう少し落ち着いたほうがいいとか、逆に20代に気づいておくべきことを、今頃気づいちゃったよ情けないなあとか、いろいろちぐはぐな自分をちょっと落ち着いて見つめるきっかけにすることができる。これは大きなことじゃないかなあと思う。

 「欲しいと思ったものをすぐに欲しがる 子どものようだ」と主人公のしょう子が思う場面。欲しいと思う、こうなりたいと思う、こうなってほしいと思う、それ自体は悪いことじゃないと思うけど、思い通りにならない間や思い通りにならなかったときに次にどうするのかで、その人が決まるのだと思う。南Q太の漫画に出てくる人物は、みんな、出くわした場面に対していっこいっこ正面からぶつかっていこうとする。その姿勢を見習わないとなあと思う。

 やっぱり、しょう子と両親との関係のあたりが泣けてくる。お母さんとのジェネレーションギャップは大変なものだけど、当然思いやりとか優しさとかはおんなじで、そういうのが愛だよねと泣けてくる。

 

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2008/08/17

『鹿男あをによし』/万城目学

434401314X 鹿男あをによし
万城目 学
幻冬舎  2007-04

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 最近ドラマのDVD-BOXを買って、そう言えばこの本については書いてなかったなと思い出した。僕は自他ともに認める大の奈良贔屓の奈良県人ですが、正直言ってこの小説が持つ雰囲気は正に奈良そのもので本当に驚いたし感動した。抑制の利いたテンポと表現、多少アイロニカルでネガティブな姿勢の垣間見える主人公、鄙びた風景、どれを取っても正に奈良。そんな、大げさを嫌うちょっと引き気味のスタンスだからこそ、「やる前からあきらめるな」とか「おれは世界を守りたい」とかの台詞がストレートに響く。僕はファンタジー小説があまり好きではなかったんだけど、この物語は日本を舞台にしたファンタジーと言えるし、ファンタジーの魅力を改めて教えてもらったように思う。

 「本当に大事なことは、文字にしてはいけない」-少なくとも社会に出るまでは、僕は無条件にそう信じていたと思う。いや、信じる信じないという選択もないくらい、自然なこととしてそう思っていた。でも少しずつ少しずつ文字に書き表せないものはないのと同じという感覚がしみ込んできて今に至っている。書き残すことと書き残さないことの狭間で揺れる。それは、書き残さなかったが故に喪失してしまった想いへの寂しさも交る。こればかりは揺れ続けていくことなんだろう。

 それにしても、先生は少しアムロ・レイに似てると思う。

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2008/05/06

『社長になる力』/丸山学

4569696872 社長になる力 (PHPビジネス新書 51)
丸山 学
PHP研究所  2008-02-19

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 企業を志してる訳でも社長を目指してる訳でもないけれど、「社長」の視点を持つことはビジネスマンとして必要だと常々思っているので、こういう本を積極的に読むようにしてる。

  1. 会社とは何かを理解していますか?
  2. 資金はどのように調達しますか?
  3. 必要な数字を抑えていますか?
  4. 事業計画書は3パターン必要だという意味は分かりますか?
  5. 会社に起きるトラブルを予防できますか?
  6. 会社法のポイントは何ですか?
  7. なぜ、会社が必要なのですか?

 「必要な数字を抑えていますか?」がいちばん頭に残ってないので、要再読。ここがいちばん必要な知識だと思うのに。
 トラブル予防の章、「合意が重要」に納得するものの、それでもトラブルが堪えない理由はスピード化の影響。時間が足りないのだ。時間が足りない以上、更なる効率化を図ることを真剣に考えなければならない。効率化以前に、業務知識の記憶量が不足している点も否めない。業務手続きの定型化も進める。それのための時間を確保することを考える。
 融資と投資の違いは、常に意識して経済情報やニュースやビジネスを行うことが有用。
 固有名詞の意識。丁寧に抑える。

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2008/01/26

『プロジェクトは、なぜ円滑に進まないのか』/メアリー・グレース・ダフィー

490324167X プロジェクトは、なぜ円滑に進まないのか (ハーバード・ポケットブック・シリーズ 1) (ハーバード・ポケットブック・シリーズ 1) (ハーバード・ポケットブック・シリーズ 1) (ハーバード・ポケットブック・シリーズ 1)
メアリー・グレース・ダフィー 大上 二三雄 松村 哲哉
ファーストプレス  2007-12-06

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  ツールが充実しているので早速活用できる点がこの「ハーバード・ポケットブック・シリーズ」のよいところ。

  • プロジェクト定義シート
  • WBS
  • プロジェクト進捗レポート
  • スケジュールソフト評価表
  • プロジェクト終了段階の分析と教訓

 主に学んだ点は3つ。1つは、プロジェクト管理者は細部まで把握する必要があるということ。1つは、問題に対してフォーカスすること。非難するのではなく解決法を考えること。反復して発生するなら反復を解決するよう考えること。1つは、リソース全般への意識。今の自分の業務では、プロジェクト管理で意識するのは進捗つまり期日だけだが、本来は人・金・時間、そしてクオリティすべてに意識を向けなければならない。

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2007/08/15

『17歳のための世界と日本の見方』/松岡正剛

4393332652 17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義
松岡 正剛
春秋社  2006-12

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 著者が帝塚山学院大学で1998年から2004年までの6年間に行った「人間と文化」講義の内容を収めた一冊。文明と文化の歴史の知識がぜんぜんないことを反省していたので、まず基礎固めのつもりで読みました。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教・道教の成り立ちや特色を軸に、「洋の東西」の生命観・自然観の手ほどきを受けることができます。また、「関係を見出すこと=編集」という著者の視点を取り込むことが出来、思索の手段を自分の中に増やすことができ、知識と方法の両方を学ぶことのできる良書だと思います。

p19「エドワード・ホール 『隠れた次元』 プロクセミックス」
p32「ひとつには関係性を察知するための「軟らかいセンサー」を失っているからかもしれません。」
p35「言葉を使えばいつもちゃんとコミュニケーションができると思いすぎることは、じつはたいへん危険なことです。」
p46「「ゼア」の交信を「ヒア」にしすぎると、とんでもないことが犯されることだってありうるんです。」
p71「ジョセフ・キャンベルというアメリカの神話学者」
p79「ある意味で、人間の欲望や煩悩が、それまでとはちがう現実味をもって人間社会をおびやかしはじめ、それが臨海値に達してきていた。そこで、それをコントロールしていく新しい技術や方法が求められていたのかもしれません。」←紀元前6世紀~5世紀 ゾロアスター・老子・孔子・ブッダ・ピタゴラス
p82「このように、光と闇で世界を分けるような見方を二分法」←ゾロアスター(ツァラトゥストラ)
p88「バール信仰」
p98「苦しみを知るだけの修行をしていては足りない。人間には、苦しみの次に解放がなければいけないのだ」ブッダ
p100「こういう方法的なめざめを、「縁起」といいます。」←ブッダの悟り 一切皆苦 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静
p141「最初の十人をまず作るべきなんです。そしてそのコア・メンバーとともに五年を集中するべきです。」
p112「道教」
p166「回心(コンヴァージョン)
p210「ツクヨミ 『ルナティックス』(作品社・中央公庫)
p223「唯仏是真・世間虚仮」聖徳太子
p238「東には薬師如来のいる瑠璃光浄土、西には阿弥陀如来のいる極楽浄土、北には弥勒菩薩の管理する浄土、南には釈迦如来の浄土が想定されていた。」
p244「ところが西行は、この歌枕を実際に歩いてまわったわけです。」
p255「そこで武士たちは、まあ、自分自身が浄土になっていくということをした。」
p262「神仏習合が進んでいって、神社で女性の穢れを不浄とする見方がまちがって仏教側に拡大解釈されたのでしょう。神社での穢れは一時的なものなのに、仏教ではそれが全面化してしまった。」
p269「冷えさび すさび」
p273「そこに水の流れや大きな世界を観じていこうというものですね。こういう見方を禅の言葉で「止観」といいます。」
p275「何もないにもかかわらず、わざわざ「花ももみじもない」と言ってみせることで、それを聞いた人の頭の中には、満開の桜や紅葉の盛りが浮かんできてしまうという、おそるべき歌です。」
p279「花伝書」
p300「グーテンベルクの活版印刷以降、だんだん黙って本を読むようになったんです。つまり黙読が始まった。」「梵我一如」
p322「侘び茶」「やつし」


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2007/07/07

『デイト』/南Q太

439638033X デイト
南 Q太
祥伝社  2006-01

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 文庫本とは知らなかったので、書店で見かけて即購入。13の短編集。

 『彼女の体温はいくつ?』のいとおと歩美がかなり好きなカンジで、歩美の世間とのバリアの張り方とその奥のところか、いとおの力の抜け方とストレートさ加減とか、ちょっと古臭いカンジだけど温かみがあって好き。しかもラストに歩美が「あんたみたいに優しくなりたい」というセリフが強烈。いとおを「優しい」と思う女の人はすごくタイプな気がする。そういう人とは親しくなれそうな気がする。いい人だ!と決め付けてしまう。
 逆に、Q太作品を読むと必ず相変わらず判るような判らないような、歯がゆい女心と言われるようなものとひとつふたつ直面することがあって、ひとつは『ちび』の「17になったのッ」と叫ぶ場面。もうひとつが、『サッちゃん』の「大丈夫、あたしが守ってあげるから」。うーん。

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2007/05/27

『となり町戦争』/三崎亜紀

408746105X となり町戦争
三崎 亜記
集英社  2006-12

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 北原の住む舞坂町は、ある日[広報まいさか]で町民に、となり町と開戦することを知らせる。程なく北原の元に、「戦時特別偵察業務従事者の任命について」という通達が届く。

 町役場からの通達や役所仕事の描写とか、結構細部がリアルで、戦争ということはさておいても、いろいろな仕事の進め方や軋轢が面白いんだけど、「戦争」をどう捉えるべきか?価値観のぶつかりあいとか、ある価値観が別の場所ではまったく否定されてしまったりするような相対性とか、そういうことをまともに受け止めながら読んでいいのかな、と少し戸惑いがあった。そういうところに主題の重きをおいているのかどうか、自信を持てなかったから。北原が最後に…

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2007/02/04

『プロフェッショナル 仕事の流儀 6』/茂木健一郎&NHK「プロフェッショナル」製作班

4140811463 プロフェッショナル 仕事の流儀〈6〉
茂木 健一郎 NHK「プロフェッショナル」制作班
日本放送出版協会  2006-10

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 猿真似や短絡的に影響を受けるのが嫌いなので、あまりハウツーや事例本は読まないんですが、丁寧に取材された記事はとても参考になり刺激になるので大好きです。右でも左でもいいものなのにインパクトの強さでもってどちらかを「プロ」と言い切ってしまうような言説は好きではないですが、『プロ論』やこの『プロフェッショナル』は、取材手がつける注釈はともかく、取材された人が発した言葉をダイレクトに取り込むことで、自分の仕事に対する意識や情熱を高められました。

 自分が働く環境が、全うなルールや決め事や慣習を遵守して正々堂々と戦おうとしない集団なので苦しんでいるケースが昨今相当あるのではないかと思います。そういう環境に置かれている人にとっては、…

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2007/01/21

『こどものあそび』/南Q太

4396762992 こどものあそび
南 Q太
祥伝社  2003-04-25

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 南Q太の自伝的漫画。男の子と遊んでいた子ども時代から始まり、漫画を描くことに興味を持った小学生時代、少し性根の曲がったカンジの高校生時代、美術短大をほとんどうっちゃってバーのバイトにハマり客と不倫する短大時代…と描かれる。

 胃潰瘍で入院した病院を無断で退院し、不倫相手の伊勢崎と一緒にカレーを食べに行って突然伊勢崎の前から消えてしまうシーンがとても印象的。ときどき目の当たりにする女の人のよくわからないところ、決めたら振り返らないところ。村上に…

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2007/01/02

『グレート・ギャツビー』/スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳

4124035047 グレート・ギャツビー
スコット フィッツジェラルド Francis Scott Fitzgerald 村上 春樹
中央公論新社  2006-11

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 裕福な階級の娘デイジーに恋をした貧しい育ちのギャツビーが、戦争で離れ離れになった後デイジーを取り戻すためにあらんばかりの贅を尽くして彼女の前に現れようとする。

 ギャツビーのやっていることは滑稽としかいいようがなくて、好きな人のためにこんなにも一生懸命になれるなんて!と酔えるかどうかは人それぞれじゃないかと思います。何より、…

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2006/05/21

『さよならみどりちゃん』/南Q太

4396761678 さよならみどりちゃん
南 Q太
祥伝社  1997-07

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 地方出身の新人OLゆうこは、居酒屋店員で軽薄なユタカを好きになるが、ユタカにはみどりという恋人がいる。どうしようもなくだらしないユタカにずるずると引きずられる日々を送るが・・・。

 最後のシーン、ゆうこが「あんたがめちゃくちゃ好きなの」と叫ぶのにユタカは振り返らない、あれがすっごいよくわかる。たろーがゆうこに迫ってたとこに現れてゆうこを引き連 れて帰ったり、みどりちゃんのこととか優希のこととか「なんか なんでも話しちゃうんだよ おまえには」とベラベラ喋ったり、・・・

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2006/02/15

『告白』(町田康/中央公論新社)

4120036219 告白
町田 康
中央公論新社  2005-03-25

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 「人はなぜ人を殺すのか」ってそんなことはどうでもよくって、「思ってることを表現する言葉を持たない人間はどうなってしまうのか」というテーマに強く惹かれた。まして舞台が河内で使ってる言葉が河内弁。最近、常々「腹の中ではそんなこと言いたいとは思ってないのに、関西弁という言葉のせいでノリで調子いい方向に話が流れていってしまう」という軽い悩みがあったりして、正直に言って読むのが怖かった。
 思っていることを直接・・・

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2005/10/31

『東京奇譚集』(村上春樹/新潮社)

4103534184

東京奇譚集
村上 春樹

新潮社 2005-09-15
売り上げランキング : 7

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 前回書いたのが『哀愁的東京』と、東京で繋がっているのが僕にとっての奇譚だ。

 五篇からなる短編集だが、どれかが最も強く印象に残った、ということはなく、全体的に不思議な感覚の残る短編集だった。ひょっとしたらそんなこともあるかも、という、偶然と片付けるのを躊躇うような出来事から、明らかにある訳ない出来事だけれどもそうは感じられないような出来事まで、奇譚をいつも通り巧みに感じさせてくれる。

 それでも・・・

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2005/05/04

『権現の踊り子』(町田康/講談社)

権現の踊り子
町田 康

講談社 2003-03-26
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『銀河鉄道の夜』(宮沢賢治/角川文庫)

銀河鉄道の夜
宮沢 賢治

角川書店 1996-05
売り上げランキング : 258,409

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『海辺のカフカ 上/下』(村上春樹/新潮文庫)

海辺のカフカ〈上〉
村上 春樹

新潮社  2002-09-12
売り上げランキング : 35,063

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海辺のカフカ〈下〉
村上 春樹

新潮社  2002-09-12
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『老いてこそ ゆるやかな坂道の途上で』(Maurice Maschino/原書房)

老いてこそ―ゆるやかな坂道の途上で
モーリス マスキノ Maurice Maschino 高野 優

原書房 2002-04
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『e. 』(Matt Beaumont/小学館)

e
マット ボーモント 部谷 真奈実

小学館 2002-01-18
売り上げランキング : 139,515

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 ワールドワイドな広告代理店でやり取りされるeメールだけで構成された小説。ナレーションや説明は一切ナシ。全文、誰かが誰かに宛てたeメール。
 文体そのものが企画モノなのは、テキストサイトにおけるフォントいじりみたいなもので賛否両論あると思うけど、覗き見するような面白さがあるかなあと釣られて買ってみた。
 いい意味でも悪い意味でも、eメール「だけで」構成されてるってことは、そんなに強い印象はない。あるところで起きた事件の真実が、まったく無関係な人々のメールのやり取りの後突然現れたりして、そういうところはおもしろいかな。
 広告代理店で熾烈に繰り広げられる手柄獲得合戦ってカンジで、人の手柄を奪ったり失敗を押し付けたり上役に取り入ったりといったことがメールでガンガン繰り広げられる。同じサラリーマンとして、こういう状況ではこういう風に立ち回るのが世渡り上手ってことなんだな、と妙に納得するメールもあったりして。いかに仕事をせずに出世するか、そんな渡世術が至るところに散りばめられてる。
 真面目に読んだら、口がうまくないから世渡りもうまくない我が身に照らし合わせて、めいっぱい陰鬱な気分になる内容。でもこれは、笑い飛ばす言うなれば「マンガ」。日本人には判らないジョークもたくさんあるけれど、ウィットやメタファーや皮肉に満ちたイギリス人の「文学感」を、スマートに楽しめること間違いなし。

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『ねじまき鳥クロニクル』(村上春樹/新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル
村上 春樹

新潮社 1997-09
売り上げランキング : 2,992

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 久し振りに読み進めたくないという感覚を味わった。そして、言い表しようのないどんよりとした読後感も。この小説の主題は何か。出版されてそう月日が経ってないうちに読んだときは、ただなんとなく、第二次大戦を起点とした歴史の連続性みたいなものだと思って納得していた。生きている人間にはどうしても逃れることのできない運命のようなものが厳然としてあり、本人が自覚しているような運命を更に超えたところで、仮に自覚できたとしてもその自覚できる範疇よりもずっと前から決定付けられていてそれに抗することは無駄なことだと。今読み返してみると、そのときなぜそういう解釈を持ったのかよく判らない。そもそも、僕は本当にこの小説を読んだのだろうか?一巻から三巻まで、通して読み終えたのだろうか?少なくとも、登場人物の名前には心当たりがあった。おおよその物語の流れは「ああそうだったそうだった」と追認することができた。それでも本当に読んだのかどうかはっきりとしたことがわからない。たかだか4年前の話なのに、だ。
 今回再読してそんな印象を持った理由は、多分二つある。ひとつは、4年前出版された小説とは思えないほど「ふるい」タイプの小説だったこと。もうひとつは、思い出されたこの小説に対する以前の解釈とはまったく異なるタイプの解釈を抱いたこと。
 まったく異なるタイプの解釈とは、死に関することであり、世界に関することであり、つまり以前の解釈よりもずっと現実的な解釈だった。読中にはもちろん、クミコと兄・綿谷ノボルの(性的)関係やノモンハン事件の時代の人々やその時代から現代まで継続している人々との複雑な「つながり」や明らかな「孤独」に興味は向いているけれども、同時にそれはあまり重要でもないと考えている。 我々は過ごしている時間を紛れもない現実と 考え疑うことは普段あまり(めったに)ないが、はたして我々は現実をどれくらい正確にそしてどれくらいの質量を捉えているのだろうか。そういう認識論についてもあまり重要ではないと感じてくる。
 どのような血筋でもどのような因果でも、間違いなく人は死んでいく。「つながり」や「孤独」や「ほんとうの現実」や「認識論」はそれぞれ、そのときまでに起こる、あるいは本小説の言葉を借りるなら起こる「可能性のある」事象のひとつひとつに過ぎない。だからオカダ・トオルは待たなければいけない時宜はおとなしく待つことに徹し、進むべきときはよろめきつつも進んで妻・クミコを取り戻そうとしたのだ。一旦は宿命の暗澹たる落とし穴に抵抗しても無駄だと思い知らせるように見せかけ、さらに主人公にそれをも乗り越えさせる振りをさせて、この結末ではいったい何を考えればよいというのだ。繰り返しになるが、結末もプロットも、まして主題を考えることさえもあまり重要でないことは判っている。つまりはどうあれ人は死ぬまでの時間を生きていくだけだという以上の何かは意味がないということなのか。この本の後、いったいどんな本を読めばよいというのだろう。

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『モモ』(Michael Ende/岩波書店)

モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
大島 かおり ミヒャエル・エンデ

岩波書店 1976-09
売り上げランキング : 3,292

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 モモは初めて読んだ。読後思いを巡らせることについてはともかく、掛け値なしに面白い物語だった。1973年の作とあるので僕より一歳若い。そんなに最近書かれたものとは知らなかった。
 1973年作と聞いて意外に感じるくらい、僕にとっては古い物語だった。 産業革命後くらいに、機械化が進む未来を憂いて書かれたというふうに漠然と思っていた。「時間どろぼう」というテーマは、それくらい古くからあるテーマには違いない。
 ロボットにしろコンピュータにしろ携帯電話にしろ、一旦人間の至便性を高めたアイテムは、それを当たり前のことにする。それが至便である期間はごく短い。至便性が主に距離と時間の制約を乗り越えることだとすれば、至便性の追求を止めない限り、永久に「時間どろぼう」のいいカモであり続ける。しかし至便性の追求はすべての経済活動の根源であり、普遍的な欲求であると考えられるから、つまり人類は「時間どろぼう」から逃れる手立ては持ち合わせていないということになる。
 では「モモ」は、なぜみんなの時間を「時間どろぼう」から取り返してくれたのだろうか?無闇に便利さを求めるような欲を抑えて、つつましく生きていきましょうと言いたいのだろうか?それとも、最後まで突っ走るかドロップアウトするか、言い換えれば都会で家庭を顧みずビジネスマンとして走り続けるか、出世もそこそこに田舎暮らしをするか、二者択一しかもうないんだよと説法したかったのだろうか?
 この物語が1973年に書かれた意義はそこにあると思う。僕たちは至便性の追及を、いっとき無理に遅らせることはできても、止めてしまうことはできない。なら、単純に二元論で終わるのではなく、綿々とそして一秒後にも続いている至便性追求の連鎖の中で、新しい<時間>を、自分達の<時間>を見つけ出していこう、モモは類稀なる聞き上手の能力で、読者にそう口に出させる。

 本筋とは関係ないが、この物語はほんとうに童話なのか。大人向けの「童話」とかではなく、れっきとした児童文学だ。日本で童話や児童文学と言えば、構図もプロットも一本の、明瞭なお話をさす。そして、そういうお話を、「大人が読んでもおもしろい」と大人気になっている。かたや、「星の王子様」もそうだが、ドイツやフランスでは、こういった物語が「児童文学」なのだ。それこそ、日本はやはり「時間どろぼう」の餌食になった人間が多いのかも知れないが。

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