『「待つ」ということ』/鷲田清一
実際には「待つ」の取り扱いのスコープが、自分の考えていた「待つ」ことで引き起こされる意義というよりも「待つ」そのものの意義だったので、②を考察するのにぴったりではなかったけれど、考えることはより多くなった。
- 最も印象に残ったのは”「よろしくない」加減がまだ生ぬるい”という話。老人の援助介助において、援助者が援助をしてもよい結果にならない段階の「よろしくない」段階がある、という話で、援助者は援助をしたくても、それにふさわしい「よろしくない」ところまで至るのを「待」たなければならない、という話。これに対して我々の業界で支配的な考え方は、課題があったらそれに対して必ずアクションを取り、それに対するリアクションで次の手をまた考える、というもので、この違い。
- ”「わたしのあんた」という意識を脱落させること”
- ”「礼拝」という儀式をめぐるアランのこんな記述”
- ”アパテイア(無感覚)”
- ”この本はケアについてはじめて考えた『「聴く」ことの力』の続編とでも言うべきもの”
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