2012/02/04

『アルビン・トフラー「生産消費者」の時代』/アルビン・トフラー 田中直毅

4140812184 アルビン・トフラー―「生産消費者」の時代 (NHK未来への提言)
アルビン トフラー 田中 直毅 Alvin Toffler
日本放送出版協会  2007-07

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 一方でより安いものを、より安くていいものを、効率的な運営を、と要求を叫びながら、一方でより多くの賃金を、より多くの雇用を、より多くの有給休暇を、という要求も叫ぶ、この現状に違和感を感じ続けて数年が経つ。モノが安くなるということは、単純に言って誰かの給料が安くなるか、誰かの仕事がなくなるか、どちらかによって成立しているはずだ。どうして、自分の立場だけが、高い給料をもらい続けられて、モノをより安く買えることを実現できると思いこめているのだろう?僕はこの答えは、個人から、生産者と消費者が分離してしまったからだと思っている。社会が工業化したときの、労働者は自分のところで作っている製品が買えないというようなパラドックスはよく言われるけれど、それでも労働者はまだ生産者でありかつ消費者であったと思う。現代は、その役割が個人の中で完全に分離されてしまっている。生産と消費は循環運動でなければならないのに、個人の中ではその循環を断ち切らされてしまっている。だから、消費者として、生産者として、全く矛盾する要求を同時並行で掲げることができ、循環を断ち切られているが故に結局状況を悪化させることになっているとは気づけない。

 そんなふうに思っているので、アルビン・トフラーの言葉である「生産消費者」というのがどうもしっくりきてなくて、理解するために本書を選んだ。『富の未来』では、「産業の経済」と「知識の経済」の対立が紐解かれているが、「食うに困らない」ことが既に所与で前提の社会になっているという考え方に問題意識を持っていて躊躇いがあるものの、「生産消費者」というのが大枠では「D.I.Y.」を志向する人ということは理解できた。「金銭を使わずに、無償の労働を行い」、その結果のアウトプットが「生み出された富」という考え方。

 自分たちで行うことでの満足感が金銭に取って変わるというのは、あまりにもナイーヴな考え方に感じるけれど、自分たちで行うという姿勢が主流になっていくというのは、圧倒的な情報量の社会で起こる現象としてとても納得できる。そしてこれは、工業化が究極に達しようとする社会で見られるようになった、「何事も専門家に任せればよい」という、徹底した「分業化」による効率性の追求から人間性を取り戻す確かな理論でもあると思う。
 一方で、出来る限りすべてを消費者である自分たちが自分たち自身で行わなければならない社会というのは、相当に自己責任を負う社会ということでもあり、相当に厳しい社会でもある。そしてある種の回帰でもある。工業化前の時代の働き方に回帰する面が存在するが、果たしてそんなにうまくいくのだろうか? 

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2012/01/31

『経営の教科書-社長が押さえておくべき30の基礎科目』/新将命

4478002258 経営の教科書―社長が押さえておくべき30の基礎科目
新 将命
ダイヤモンド社  2009-12-11

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 私は社長ではないけれど、経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思い書店に向かったら、本著と、小宮一慶氏の『社長の教科書』が並んでいた。手に取って内容を少し読んでみたところ、『社長の教科書』は箇条書き的にフレーズとその解説文が並び読みやすそうだったのだけど、『経営の教科書』の文章の力に引き寄せられてこちらを選んだ。本著のいちばんの魅力は外連味の無さだと思う。現実性・納得性と普遍性の両立を心がけたと後書にあるが、その通りに伝わってくる。

 誰もが誰も、経営者的になる必要はないと思う。経営者と社員の役割分担はある。だからこそ私は経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思った。書かれていることは8割が当たり前のことだけれども、その当たり前のことを得心させてくれる素晴らしい書物だと思う。

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2011/12/31

『いま、働くということ』/橘木俊詔

4623061094 いま、働くということ
橘木 俊詔
ミネルヴァ書房  2011-09-01


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 先日、『日本人はどのように仕事をしてきたか』を読んだのですが、あちらが日本人の仕事の歴史を、戦中あたりから、主に経営における人事管理の視線を中心にまとまっていたのに対して、本著は正に「いま」、現代の仕事の捉え方・意義・価値観といったものを、古今東西の哲学、あるいは仕事に対置させうる「余暇」や「無職」の分析によってより深く理解する本です。この2冊を併せて読んだのはちょうど良かったと思います。どちらも非常に簡明な文章で、仕事を考えるための基礎知識を纏めて把握するのに役立ちます。

 印象に残ったこと、考える課題となったことを3点:

  • 「仏教的労働観」の「知識」の説明に感動。「知識」は「情報」ではないのだ。ソーシャルとかコラボレーションとかコワークとかなんだかんだいろいろな新しくて手垢のついていない呼び名で、その自分たちの活動の理想性を表して、他の何かと線を引こうと躍起になっている様をしょっちゅう目にするけれど、僕は今後、「知識」という言葉を自分の行動に活用していこうと思う。
  • 日本人はどのように仕事をしてきたか』でも学んだことで、「勤労」の価値観というのは、その時代の経済のカタチ(日本で言えば高度経済成長)に最も効果のある価値観だから、是とされただけで、普遍的根源的な価値がある訳ではない。資本主義の発展のために、キリスト教が有効に作用した歴史を認識する。同じように、今の日本では「やりたいことをやる」のがいちばんという価値観が広がりつつあるが、この価値観はどんな経済のカタチにとって都合がいいから広がっているのかを考えてみる。
  • 僕がフェミニズムをどうにも好きになれないのは、それが問題の原因を常に「外部」に求めるスタンスだからだ。

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2011/11/27

『ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス』/ポール・キメイジ

4915841863 ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス
ポール・キメイジ 大坪 真子
未知谷  1999-05

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 今、日本は空前の自転車ブーム。ほぼ連日のようにニュースでは自転車に関するニュース(それはたいていピストの暴走とかのあまりよくないニュース)が取り上げられる。エコな移動手段、健康的、クリーンなイメージと共にある自転車。でも自転車がブームになったのは今が初めてじゃない。1960年代にも大流行したことがあるらしく、当然だけどその歴史は古い。

 本著が取り上げているのはそれよりはまだ新しく、1980年代後半のツール・ド・フランスを中心に語られる。1980年代と言えば日本は高度成長期からバブルに向かおうとする、正に現代に通じる発展を遂げてきた時代で、世界ももちろんそう変わらない。にも関わらず、登場するエピソードはいったいいつの時代の話なんですか?と繰り返し聞きたくなるくらいに泥臭く闇の世界的なある行為が語られる。ドーピングだ。
 自転車競技は1980年代、薬物に汚染される道をひた走っていたらしい。ドーピング自体は禁止行為だったが、バレなければ構わない。というよりも、バレずに済むことが判っていれば使用する者が当然のように現れ、使用しない者は使用する者にどうやっても勝てないとすれば、これも当然のように誰も彼も使用するようになる。正に悪化は良貨を駆逐する。そこまでして勝たなければいけない最大の理由はスポンサーだ。つまり、1980年代のロードレース界は、金によって薬にズブズブと使ってしまっていたのだ。

 著者のポール・キメイジは本著のサブタイトルに「アベレージレーサー」とある通り、華々しい戦績を挙げた選手ではない。であるが故に、ドーピングの告発を込めたこの本も、その発言も、「ぱっとしない選手がああいうことよく言うんですよね」式に片づけられそうになったらしい。ルールを破ることが成功するための唯一の道で、その中でルールを守ることを貫き通す勇気を、この本から学ぶことには意味がある。どんな世界でも、常にルールと倫理を厳しく守り通して競い合うとは限らない。むしろ逆で、ルールの抜け道を探し出すことが勝利に大きく貢献したりする。それでも、自分はそのようなことはしないというスタンスを貫く勇気と、そういうルールを補正し続けて行こうという持続力の大切さを知ることのできる良書。

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2011/11/20

『震災のためにデザインは何が可能か』/hakuhodo+design studio-L

4757142196 震災のためにデザインは何が可能か
hakuhodo+design studio-L
エヌティティ出版  2009-05-29

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 この本は、hakuhodo+designと山崎亮氏のstudio-Lが2008年に実施したプロジェクト「震災+design」をまとめたもの。東日本大震災を経験したこの2011年、果たしてこのプロジェクトの活動およびアウトプットで実際的に役立ったものがあったのか、その「活動」を役立てた「活動」があったのか、そういうところに興味が向くものの、読中は「システムをデザインしている立場として、”デザイン”とはどういうことかを異なった分野のデザインから学ぶ」つもりで読みました。

 震災のためのデザイン、ということで、当然強く印象に残るのは「社会的デザイン」という考え方です。商業的デザインと社会的デザインの違いは本著を一読することで理解できるものの、「社会的デザイン」という新しい視座を、自分の領域である「システムデザイン」にどう絡めるかというのは難しい。「システムデザイン」というのは原則必ず商業的デザインであるから、という次元の捉え方ではなくて、「商業的デザイン」ではなく「社会的デザイン」を行うときの、対象の把握の仕方、前提の整理の仕方、デザイン中の進め方、出来上がるデザインの完成を図る物差しとしての価値観、等々を、システムデザインにも反映できるはず。これを反映することは、システムデザインの手法だけではなく、自身の「働き方」そのものにも影響を与えることになるので、丁寧に時間をかけて整理してみたい。

 「システムデザイン」そのものの文献も、再度当たってみないといけない。

 もうひとつは、例え社会的デザインであっても、デザインは「正しさ」「楽しさ」「美しさ」を持つものだ、と定義されていて、ここでいちばん引っかかるのは「美しさ」。「美しさ」の基準を考え直すため、『言語にとって美とは何か』を再読しようと思った。

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2011/07/31

『楽園への道』/マリオ・バルガス=リョサ

4309709427 楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社  2008-01-10


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ポール・ゴーギャンと、その祖母で、女性解放と労働者の権利獲得のための活動に一生を捧げたフローラ・トリスタン。実在の二人の人物を用いた物語は、奇数章がフローラ、偶数章がゴーギャンの物語として交互に語られる。村上春樹の作品で慣れ親しんだこの構成は、「フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法」であり、「二が一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法」であること、また本作は「直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられている」が、これは「騎士道小説の語りの手法を取り入れたもの」ということを、解説で学んだ。

ヨーロッパ的なるもの、偽善、性、読み込みたいよく知ったテーマが詰め込まれているけれど、物語の最終版、それらを押しのけるように衝撃的に登場した言葉があった。「日本」だ。

洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。

戦後、日本人として日本の教育を受けてきた身にとっては、とても表面的で、とても要約された日本観に見えてしまう。19世紀と言えば日本はまだ徳川の世で、「日本の版画家たちよりこれをうまくやったものはいなかった」と書かれている通り、ゴーギャンが影響を受けたと言われている浮世絵師達が活躍した時代。僕の頭にはこれまた表面的で短絡的に「士農工商」という身分制度が思い出され、年貢によって貧困に喘ぐ「被搾取者」農家が、芸術家として生きるなんて考えられもしない。それでも、「ヨーロッパ的なるもの」を考えるとき、「芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった」というのは頭に入れておかないといけないのかも知れない、と思った。なぜかと言うと、戦後から現代の間に、正にそれが起き、そしてそれが現代社会として当然の姿と思っている僕たちのような意識が存在するから。

芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

自分にとって「仕事」とは生きるためのものであり、生きることにとって芸術は必須のものではなく、芸術は自分の仕事の領域には含まれないし取り扱うこともできない、と考えてきた僕にとって、この一文は、-特に「技術(ワザ)を取得し、」の下り-新しいエリアへのきっかけになる力強い一文だった。

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2011/03/13

『NO FUTURE-イタリア・アウトノミア運動史』/フランコ ベラルティ

4903127125 NO FUTURE―イタリア・アウトノミア運動史
フランコ ベラルディ(ビフォ) Franco Berardi(Bifo)
洛北出版  2010-12

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現代史や社会運動は知らないこと・聞いたことのないことがまだまだたくさんあって、イタリア・アウトノミア運動も最近初めて知った。1977年から始まるこの社会運動を学ぶため本書にあたる。
【20110313】
・リゾーム … 伝統的西洋形而上学のツリー状の思考形態に対する、特定の中心を持たず始まりも終わりも持たない根茎(リゾーム)の思考形式。体系に組み込めないものを排除する西洋的思考に対する批判。
・実存 … 存在可能性としての「本質」に対する、現実の存在。「本質」を至上とするが故に虐げられるものの救済としての概念として扱うべき。
・ディスクール … 記述されたものはすべて権力や制度を内包あるいは反映している、という考え方。

■日本の読者へ
p246「西洋の文化的アクティヴィスムと日本の文化的アクティヴィズム」「日本は何ひとつ独自の貢献をすることなく、西洋に由来するイノベーションをただ受動的に受け取っているに違いないという偏見」
p252「粉川哲夫」
p254「「自発的でいなさい」という命令は、この逆説命令のもっとも知られていて」
p256「フラクタル化し組み換え可能な情報-労働の絶えざるフロー」
p261「社会関係が精神病理」
p264「「無垢」という言葉が意味するのは、たとえ悪のただなかで生きていても「罪がない」ということ、悪の性質を帯びていないということ」
p266「それはもう過去のことなのです」

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2011/02/25

『先端で、さすわさされるわそらええわ』/川上未映子

4791763890 先端で、さすわさされるわそらええわ
川上 未映子
青土社  2007-12

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 川上未映子は先日の『ヘヴン』が初読みで、関西人の人はたぶん同じように思った人多いような気がするんだけど、川上未映子が芥川賞取って紹介されて、その紹介文で引用されてる彼女の独特突飛な文章が関西弁混じりなのを見て、「あ、なんか予想つくな」と思って手を伸ばすのを躊躇ってました。特にこの『先端で、さすわさされるわそらええわ』なんかは、もう、スピード感とか支離滅裂感とか、たぶん、関西弁ネイティブじゃない人が感じるソレとは絶対違う、「アンダスタンダブル?な支離滅裂感」って言えばいいのか、そんなカンジだろうなと思ってた訳です。それにしても、「先端ってたぶんアレのことだろうなアレ、まさかアレ」と思ってたらほんとにアレだったのでニンマリ。ニンマリ?違うな。

 貼った付箋んとこをメモに取る前に返却期限が来ちゃって(正確には過ぎちゃって)返却したので引用しながら書けないんだけど、読み取りが難しい章と分かりやすい章がはっきり分かれた本でした。「先端で、さすわさされるわそらええわ」がやっぱりいちばんしっくりきた。スピード感も支離滅裂感も完全シンクロ。すいすい読めました。後は『彼女は四時の性交にうっとり、うっとりよ』と『告白室の保存』がすいすい。なんだエロい系ばっかりか。

 一方でたまらんかったのが『ちょっきん、なー』で、難しい以上に生理的にかなり気持ち悪かった。グロいことを書いてる訳でもなんでもないんだけど、なんというか血が流れるということのリアルに感じられるさ加減というか、おんなじことを描写したとしても、読んでて「かんべんしてー」と思うようなことになる人とならない人がいる。『ちょっきん、なー』は、もう一行一行からこっち側に体をいじくってくるような気持ち悪さがあって、あれはやっぱり女性ならではなカンジなんだろうか? 

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2011/02/06

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』/岡田利規

4103040513 わたしたちに許された特別な時間の終わり
岡田 利規
新潮社  2007-02-24

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 この文体が、もちろんこんなにうまく書けるという訳ではなくて、なんだか自分が書いているような感じで驚いた。あんまりこういう文体を見かけたことがない。語り手である人物が今いてる場所の詳細をうねうねと書きつけていく感じ。

 渋谷のラブホで四泊五日した行きずりの男女の、男性側の語りと女性側の語りだけど、僕は、それがイラク空爆のときで、二人が示し合わせてテレビを全く見ず、ことの経過を待ったたく知ろうとせず、世間と隔絶された時間を過ごそうとしたということよりも、女性側の語りで語られる、「今感じているこの渋谷-知ってるのに知らない街-みたいなモード」の感覚のために四泊五日があったというのに感じ入る。そして、女性は「まだ離れたくなかった。でももう少しだけだと決めてもいた」というところに、とてつもなく女性らしさを感じる。僕たちは例えば旅行で非日常感覚を味わうけど、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わおうと思うとどうしているだろう?僕の場合、例えば東京出張のような気がする。例えば、休日に勤務先近辺を歩くことのような気がする。僕が味わっている感覚は、本著が説明している感覚とは重要度が根本的に違うかもしれない。僕が味わっているのはほんとに「知ってるのに知らない」だけだけど、本著の二人は「戦争が起こっている」というより重要なときなのだ。それでも、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わいたい、という欲望は理解することができる。そして、本著ではそれは四泊五日という長さの時間だけれど、それが一年や二年や五年や、という長さになることもあるだろう。何年もの長さをかけて、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚に溺れたくなることだって、現実の人生には起こるのだ。  

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2010/11/14

『真綿荘の住人たち』/島本理生

4163289402 真綿荘の住人たち
島本 理生
文藝春秋  2010-02

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北海道の善良な少年・大和君が大学生になり上京してレトロな下宿・真綿荘に。その真綿荘に暮らす大家と下宿人の一筋縄じゃない恋愛と生活。

ラスト、読み終えて、「なぜ結婚じゃだめだったんだ?」と考え込んだ。ほんと、すぐには理解できなかった。「君には、対等じゃあ、ダメなんだろう」この晴雨の言葉が、結婚ではだめなんだということはわかるものの、なんでその代わりに、養子縁組をしないといけないのか。そんなものなくても、今まで通り内縁でいいじゃないか。まったく理解できないものを突然1ページで見せられて、ぽーんと放り投げられたような気分だった。

じっと考えてみて、ああなるほど、親子か、とようやく分かった。このラストがすぐには飲み込めなかった僕は、ほんとうに幸せで満たされた子供時代を過ごせたんだと思える。千鶴は、水商売を生業とし、男に寄りかかって生きている母親の自分への愛情が、それほど深いものではないということを、生まれたときから知っていたような人生。だから、16歳のとき、何も言わずまったくの自分の責任だけで自分を抱きにかかった晴雨に、それ以来一度も抱こうとはしない晴雨に、捉えられ続けてきたのだ。同じように高校時代に強姦された経験を持ち、直接的にはその強姦ではなく、それ以降の経験から、男と付き合えなくなった椿に、「自分を強姦した相手と何事もないように住み続けるなんて気持ちが悪い」と詰られようと、千鶴が動じない理由がそこにある。千鶴にとっては、晴雨はそういう存在だったのだ。晴雨自身も、自分のすべてを自分のものにしようとした母親の呪縛に悩まされ不能で生きてきて、その母親が病に倒れ晴雨のこともわからない状態を見て、「俺はもう誰の子供でもない」と呪縛から解かれる。この小説は、恋愛の動きそのものよりも、千鶴、晴雨、あと、同じ真綿荘の住人である鯨ちゃんと付き合うことになる同じ大学の荒野、この3人の生い立ち、親との関わりあいの過去を通じて、人が大人になるための、周りの大人の、「親」という存在の重要さを感じれるものだった。

もうひとつ、まったくもってまともな大和君が、振り回されるように恋に落ちる相手、絵麻の恋愛。彼女に言い放つまともな大和君の言葉が、使い古された言葉だけどとても気が利いている。絵麻の相手は言わば高踏だけど、そんな生き方をして「結果」がよくても仕方がないよな、と思った。

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2010/10/25

『「悪」と戦う」/高橋源一郎

4309019803 「悪」と戦う
高橋 源一郎
河出書房新社  2010-05-17

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なんて可愛くないと言い切られるミアちゃんが登場し、ミアちゃんのお母さんが”私は「悪」と戦っているのです!”と言い、そして大声で”わ!””た!””し!””は!””ミ!””ア!””を!””あ!””い!””し!””て!””る!”と叫ぶところまではわくわくしながら一気に読み進めた。そこから、ランちゃん(男の子)が「悪」と戦う夢とも現実ともつかない複数の戦いの話は、予想の範囲内というかなんというか。「何が”悪”なのか」を申し渡すことは自分以外の誰にもできない。だから自分の頭で考え抜いて生きていくしかない。そういう”説教の結論”じみたカンジは微塵もないけれど、だからと言って大人向けかと言われると違う気もするし、でも「使用済みのコンドームが」とかいう表現があるから、児童向けとはとても言えない。

僕はどうしても「言葉」「言語」に関するところで興味が膨らむので、「悪」と「言葉」がもうちょっと引っ張られてたら、頭の中をかき回されるような快感にもうちょっと長く浸れたのかな?この本を読みながら頭の中で歌っていたのはもちろんイエモンの『JAM』:

”あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
みんな昔子供だってね”
(『JAM』/THE YELLOW MONKEY)

「あ、これで十分じゃん」なんて言うほど、僕ももう子どもではありません。

p33「キイちゃんにいうみたいに、パパにもいって」
p105「下駄をはかせてもらった」
p111「ヴァルネラビリティ」
p112「じゃあ、みんな、『隙間』に落っこちたって、気づいてないんだ」
p176「シロクマが立っていた」
p199「(ランちゃん、あなたの仕事をするのよ!それが、どんな仕事だとしても。イッツ・ショー・タイム!)」
p279「わすれものって・・・いみわかんない・・・ぱぱ」

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2010/10/18

『ウェブ人間論』/梅田望夫・平野啓一郎

4106101939 ウェブ人間論 (新潮新書)
梅田 望夫 平野 啓一郎
新潮社  2006-12-14

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 発言からうかがえる平野啓一郎の感覚が、自分の感覚に近いものなのが何より驚きだった。もう少し、線を引いた考え方をする人という印象を持っていたので、昔気質と言っていい感覚を持ってることに驚いた。
 「おわりに」に書かれている、”平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である””私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるがゆえ、変化とは不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える”というところと、「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うよ うになりました」との組み合わせが、僕にとってこの本の要諦だった。もちろん、平野啓一郎により共感している。どうしようもないからとそこから一歩退いて、楽に生きられて居心地のいい場所を見つけて、それを「いろんなやり方を身につけられた」と世界を広げたふうに言うのはクレバーではあっても成長はない。そこにある苦難を避けて通るための理由づけは、どんなに聞こえが良くっても言い訳にしかならない。ダメでもやってみるところにしか、幸せはやってこないのだ。

p24「80年代に活躍したいわゆるニューアカ世代の一部の人たちには、今でも、あらゆる情報に網羅的に通暁して、それを処理することが出来るというふうな幻想が垣間見える」
p39「ブログを書くことで、知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感」
p52「ハンナ・アレント」
p53「そういうナイーヴな、一種の功利主義的な人間観は、若い世代の、とりわけエリート層にはますます広まりつつあるんでしょう」
p77「アレントの分析(公的領域)」
p78「私的なことを公の場所に持ち込まないという日本人の古い美徳は、今や単に社会全体の効率的な経済活動から、個人の思いだとか、思想だとかを排除するための、都合の良い理由づけになってしまっている」
p86「スラヴォイ・ジジェクというスロベニアの哲学者が、『存在の耐えられない軽さ』で有名なミラン・クンデラというチェコ出身の作家を批判している」
p145「世代的な感覚でいうと、『スター・ウォーズ』に熱中してるって、ちょっと珍しい気がしますね。」
p163「言葉による自己類型化には、安堵感と窮屈さとの両方がある。」
p170「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うようになりました」
p177「確率的に存在する」
p179「フランスの哲学者のピエール・ブルデュー」

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2010/09/23

『松浦弥太郎の仕事術』/松浦弥太郎

402330493X 松浦弥太郎の仕事術
松浦 弥太郎
朝日新聞出版  2010-03-05

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とりあえずメモ。

三級波高くして魚龍と化す

p30「「おろしたての新品は格好悪い」というイギリス独特の美意識かもしれません」
p37「ヘンリー・ディヴィッド・ソローの『ソロー語録』」
p38「スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ」
p52「規則正しい生活が、何よりも大切」
p66「責任感、達成力といった面ではよいことでもありますが、反面、「自分以外の誰も信用していない」」
p83「相手の手がほかのボールでふさがっているときに投げたのでは、しっかり受け止めてもらえる可能性は低い」
p96「好奇心がなければ学べない、発想も広がらない」
p126「準備の威力はもっと大きい」
p147「新聞は、・・・「自分が知らない、わからないこと」を見つけ出すきっかけづくり」
p153「「短い時間で成果を出したい」「手間をかけず、面倒なことは省略したい」こういった焦りモードの仕事の何よりあやうい点は、チャレンジできなくなること」
p163「たとえ何があろうと、自分の理念を守り続ける」
p170「お金を使うことでかろうじて埋め合わせている「何か」を見極め、そのものを満たす努力をすることで、無駄な出費は自然と抑えられるはず」 

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2010/07/19

『ミーツへの道』/江弘毅

4860112059 ミーツへの道 「街的雑誌」の時代
江 弘毅
本の雑誌社  2010-06-02

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 『ミーツ』が神戸新聞社生まれということも知りませんでした。僕は1995年に大阪に出てきたんですが、『ミーツ』が市民権を得だしたのは1990年代からと判って、意外と最近のことなんだなあと思いました。自分が大阪に来た時既にあったものは、大阪の人なら誰でも知っているものだという思いこみがあったので、『ミーツ』に関しては、「大阪のちょっと感度の高い人なら誰でも知ってる雑誌」と思ってたのが、実はまさに浸透現在進行形の時代に自分もいたんだなあと思った。歴史は正しく知らなければほんとにわからない。
 その『ミーツ』と神戸新聞社との確執が赤裸々に語られて興味がぐいぐいそっちに引っ張られるけれど、敢えて言えば、子会社である以上当たり前のことのような気もする。とは言え、あの『ミーツ』の編集長としての感性を残したまま、財務諸表や費用対効果やキャッシュフローやと行った会議に出られるというのはかなりのキャパシティだと僕でもわかるし、そういう懐を持った仕事のできる男になりたいと思う。

 『ミーツ』を知ってる人なら誰が読んでも絶対に面白いと思う。読んで損はないし、自分の仕事のスタンスに少なからず影響を与える。『ミーツ』を知らない人にも読んでほしいなと思うし、「あの『ミーツ』の」という関西人特有の権威付けから自由に読める人がどんな感想を持つのかにも興味があるのでぜひ関西人ではない人の感想を読んでみたいです。

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『そしてカバたちはタンクで茹で死に』/ジャック・ケルアック&ウィリアム・バロウズ

4309205399 そしてカバたちはタンクで茹で死に
ジャック・ケルアック ウィリアム・バロウズ 山形 浩生
河出書房新社  2010-05-15

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 ジャック・ケルアックは『オン・ザ・ロード』を、ウィリアム・バロウズは『裸のランチ』を、それぞれ1冊読んだことがあるだけで、二人がビートジェネレーションであり熱狂的に支持された作家という程度の知識しか持ってないまま読んでみた。『オン・ザ・ロード』も『裸のランチ』も面白かったのは面白かったんだけど、僕は「破滅的な何かを漂わせる魅力ってそんなに魅力か?」と文句をつけたがる性分になっていたので、掘り下げて何冊か読んでみようとはしなかった。ドラッグにせよ精神異常性にせよセックスにせよ、生まれたときから多少なりとも命に関わる病気持って生まれた生い立ちの人間に言わせてもらうと「バカバカしい」ということになっちゃう(もっとも、両親がうまくやってくれたおかげで早くに治り本人は病気で不自由した記憶はないけれど)。精神異常性も自分で好き好んで破滅的な生活に追い込んで陥る分はとくに「バカバカしい」と思ってた。1972年生まれでバブルを越えて青春を1990年代前半に過ごした僕は、問答無用の無茶苦茶さならもっと酷いものを見てきたし、そういう無茶苦茶さに与してもほんとにバカバカしいだけで何にもならんというのも実感的に判ってて、ビートジェネレーションも「今更何なん?」と思っていた。
 本著の後書を読んで、ビートジェネレーションが狭い人間関係の中にあって、その引き金となった事件がカー・カマラー事件ということを学んだ。ルシアン・カーが、デビット・イームス・カマラーを殺害した事件で、本著はその事件をベースにして、知人であるケルアックとバロウズが章ごとに書き繋いだ作品だ。カマラーはゲイで、25歳のときに知り合った11歳のルシアンに入れあげる。そして8年間の末、ルシアンに殺される。性的関係はなかったとされる。僕はゲイではないのでその点だけはわからないけれど、カマラーのことを「煩わしいが利用したい部分もあり頼らざるを得ない部分もある」と見なさざるを得ないルシアンの困惑はちょっと判らないでもない。そこにゲイという要素が絡めば一層ややこしくなるのは自明だろう。でも、これって、言ってみれば普通、自分の親に対して誰しもが抱く感情だと思う。その依存の対象が自分の親ではなく、性的に倒錯した男性だったところに、ルシアンの中でも無理が溜まっていったんだと思う。そして、ビート・ジェネレーションの一味は、バイセクシャルが珍しいことではない-というより、「それがどうしたの?こんなの普通のことだよ」と言いたがってるように見える。
 1972年に生まれて現代を生きている僕にしたら、「そんなに壊れたいんならさっさと壊れてしまえばいいじゃん」と唾を吐きかけたくなる。その倒錯した破滅的な魅力というのはもちろん判らなくはないんだけど、壊れたがってるくせにうじうじ生きているようなヤツが僕はいちばんしょうもないと思うのだ。何かを壊したいと思ってるならまだいいけど。後書にも書かれていたけれど、この本の一番の無理は、「ストーリーの起点がカー・カマラー事件」であることだ。始まりを終わりに持って来ざるを得ないプロット。それって何のための始まりなの?とプロットにさえ突っ込みたくなる。
 僕は既に、雰囲気だけで耽美できるような時代も頃合も年齢も通り過ぎて今を生きているので、このビートジェネレーションの時代の魅力を今更学んで耽ることはできないと思う。自分が実際に生きてきた時代の懐古なら出来ると思うけど、その魅力の根本が全く自分の性に合わない時代の魅力にはもはや理解を示せない。『そしてカバたちはタンクで茹で死に』というタイトルの元になった場面が作中に出てくるけれど、「カバたちってのはつまりビートジェネレーションの仲間全体だろう?」と邪推しても、「ただのラジオ放送からおもしろいと思って引っ張っただけ」と言い返すくらいだろうし。

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2010/06/09

『ヒューマンエラーは裁けるか』/シドニー・デッカー

4130530178 ヒューマンエラーは裁けるか―安全で公正な文化を築くには
芳賀 繁
東京大学出版会  2009-10-29

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 タイトル通り、「裁けるか」に焦点が当たっていて、「防げるか」が第一の論点ではない。「裁判が、ヒューマンエラーの再発の防止に役立つか?」という議論は展開される。そして、多くの場合、役に立たない方向に進むことが明快に記される。体裁が論文であり、最後段のまとめに実践方法があるものの、ツールが提供される類の書物ではない。自分の「ヒューマンエラー」に対する認識と思考を強化するために読む書物。

※処罰感情

piii「ヒューマンエラーの古い視点は、…インシデントの原因と考える。・・・新しい、システム的な視点は、・・・原因ではなく、症状と考える」
p26「マックス・ウェーバーが・・・警告したように、過度な合理主義は、対極の効果をもたらす・・・。合理的な制度はしばしば不合理な結果をもたらす。それは極めて自然にかつ必然的に生じる。」
p36「あるいは、様々な観点や利害、義務、そして代替案を考慮に入れて問題の評価を行うことが「公正」なのか?」
p45「モラール」「組織コミットメント」「仕事満足感」「役割外のちょっとした余分な仕事をする意欲」
p67「私たちの社会は、裁判に持ち込まれる事例を増やせば増やすほど、お互いの意見を気兼ねなく伝え合うのがますます難しくなる風土を作りだす」
p83「情報開示と報告の違い」「報告とは、上司、管理組織あるいはその他の関係機関への情報提供」「情報開示とは、顧客・患者・家族への情報の提供」
p114「後知恵バイアス」
p124「後知恵と有責性」
p132「普通の基準」とは何か?
p157「司法が関与することによって、より公正になることもあれば、より安全になることもない。」
p170「「偶然の事故」や「ヒューマンエラー」といった用語を排除する方法。法律にはそのような概念がないからやむを得ない」
p171「インシデントを裁判にかけると、人々はインシデントを報告しなくなる」
p184「誰かを投獄しても彼らが失ったものが戻ってくることはない。」
p188「取り調べてから数カ月も後に作成された…被疑者が言いたかったこと、裁判官もしくは陪審員が記録から読み取ったものとの隔たりは極めて大きくなる」
p202「組織や社会において、許容できる行動と許容できない行動との間の線引を誰がするのか?」
p225「某氏が責任を取って、辞職した」
p236「調停の席で話されたことは法的に秘密扱いにされる。」

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2010/05/24

『誰でもカンタン!電動アシスト自転車メンテナンス』/スタジオタッククリエイティブ

4883933652 誰でもカンタン!電動アシスト自転車メンテナンス―オールカラー
スタジオタッククリエイティブ  2009-12

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Real Streamを買ってから思ってた以上に気に入って乗りまわしてるので、ロードバイクの知識やメンテナンスの知識を増やしたいなと思い、まずは電動アシスト自転車のメンテナンスを調べてみようと思い探してみたらぴったりの本が。幸い、図書館にあったので早速借りてみました。

「電動アシスト」特有のメンテナンスというのはそれほど多くなくて、通常の自転車メンテナンスがやっぱり大事なんだとわかる構成でした。いちばん驚いたのは、電動アシスト自転車専門の店が東京にはあって、カスタムなんかも手掛けてるということ。やっぱり東京は凄いなあ。

気に入ったのでこれは買います! 

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2010/03/22

『決壊』/平野啓一郎

410426007X 決壊 上巻
新潮社  2008-06-26

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4104260088 決壊 下巻
新潮社  2008-06-26

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 何を、どこで語るべきなのか?伝えるための「言葉」が伝わらないという問題。そもそも何かを伝えようとしているのかという問題。自分が言いたいことを言いたいように言っているだけで、聞いている相手のことなど考えてもいない「言葉」の氾濫。一人称、二人称、三人称だけじゃなくて、四人称とか作ればいいのに、と思う。  良介は、ネットに匿名のサイトを作って、そこで日常の大なり小なりの不服を書き連ねていたが、妻の佳枝がそれを見てしまうことになり、それがうねりうねって、ネットを利用した殺人者によって殺されてしまう。良介は、不服を吐き出す場所を間違えたのか?やはり、言いたいことは言いたい相手に直接言うべきなのか?それは正論だし間違ってはいない。ネットを利用した殺人者は、拉致した良介に対し、オマエはネットで自分は不幸だと書いてたじゃないか、さあ僕は不幸ですと言え、言えば助けてやる、幸せだというなら今ここで殺す、とけしかけ、良介は(当然に)僕は幸せだ、家族を馬鹿にするな、と叫び殺される。  その兄・崇は、頭脳明晰で、弟の良介から見れば、いつも「言いたいことを言えている」ようだったが、崇自身は相手の求めるように言葉を繰り出せるだけで、自分が本当に言いたいことって何なのか、という煩悶を抱えている。この小説に登場する人物は、現実の誰もがそうだけど、伝えたい相手に届く言葉を持ち得ないまま問題を起こし拗らせていく。使うべき言葉や手段を間違えているケースもあるし、自分の言葉に酔っているだけというケースもある。でも、もうひとつ、「受け手」としての姿勢の問題もあると思う。  少し本筋とはそれるが、中学生で殺人を犯した友哉の母親が、勤め先で若者二人に恫喝されるシーンがある。「なんで人を殺して少年だからって保護されて、家族ものうのうと生きてるんだ。許せない。俺たちはどこまでもあんたを追い回すからな。」心情としては理解できないではないと思う人は多いと思うし、実際、被害者家族の立場になったら、大した罰も社会的制裁も受けたと思えないままでは許せないと思うから、第三者としても許しがたく思ってしまうけど、この行動には少し納得がいかない。納得がいかない理由を突き詰めてみると、こういうことを加害者に言っていいのはやはり当事者である被害者だけだと思う。同じ社会を構成している人間として、無関心でいてはいけないが、それを当事者に対して言うのはお為ごかしに陥る危険性が大だと思う。あくまで社会に対して発言すれば十分だと思う。

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2009/10/18

『集中講義!日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』/仲正昌樹

4140910720 集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)
日本放送出版協会  2006-11

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 放っておけば偏ってしまうから意図的に近寄ることを堪えているもの、ひとつが近代文学でもうひとつが思想・哲学系。なんも考えなかったら延々この二つのジャンルばかり読んでしまう。なのでなるべく避けてたんだけど、最近、どうしても抑えが利かなくなってて数冊読んでおり、今回手に取ったのがこれ。構造主義、ポスト構造主義をちゃんと整理したくなったのと、日本の現代思想について、現代に至る少し手前、安保あたりから整理したくなったのがきっかけ。

 大枠で印象に残ったのは3点。ひとつは「無限」をどう扱うか、という手法の問題。ひとつは「過去の自分をどう否定あるいは清算するべきなのか?」という問題。もうひとつは、やはり現代は「歴史」を求めてるのではないか?という問題。

 最初の”「無限」をどう扱うか?”は、構造主義の「メタ構造」、つまり「ポスト構造主義」の発端についての理解。ポスト構造主義に触れたときの印象はいつも「バラバラになっていく」という感覚で、「私はあなたと違う」式のモノの言い方をする人に対して「ああそうですか。で?」と言ってしまう心情を強化する感覚。なぜ差異が欲しくなるのか、差異があるからなんだっていうのか、別に思想や哲学に触れていなくても、自分の本性に誠実であろうとすれば見えてくるものがある。そこに誠実であろうとしない人に対して、ポスト構造主義の考え方を当てはめてみたくなってしまう。

 次の「過去の自分をどう否定あるいは清算するべきなのか?」は、文字通り転向や転回の問題。日本は特に、戦後の転向を簡単に許した歴史に始まり、あっけなく昨日までの思想・信条を捨ててしまうことに否定的でない。立場が変われば、もっと言えば気が変われば、簡単に思想・信条を変えて構わない。その時々の状況の責任にすることができる。逆に言えば、その時々の自分は「何も考えていなかった」と言える、ということ。ここでも、「わたしはあなたとは違う」式のものを言う人に何か一言言いたくなる。「自分のことを自分のこととしてだけ、表現することはできないのですか?」と。自分のことを表すために誰かを引き合いにだして誰かを貶めて、挙句に後になって「あれは本位じゃない」では引き合いに出されたほうはたまったもんじゃない。僕のものの考え方はこの「胡散臭さ」を突き止め、自分はそれを乗り越えるところが出発点だ。 

 本著を読んで、改めて読みたいと思った書籍:

パサージュ論 (岩波現代文庫) パサージュ論 (岩波現代文庫)

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表徴の帝国 (ちくま学芸文庫) 表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)
Roland Barthes

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2009/07/22

『はじめての構造主義』/橋爪大三郎

4061488988 はじめての構造主義 (講談社現代新書)
橋爪 大三郎
講談社  1988-05

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 大学生の時、ご多分にもれずほとんど勉学に励んでなかったんだけど、哲学や思想を専攻してた訳でもないのになぜか思想には興味があって、面白そうと思った書物を読み散らかして、結果、構造主義に大きな衝撃を受けた。衝撃を受けたと言っても理解できた訳でもモノにできた訳でもないんだけど、自分が今まで持ってきた物の見方とまったく違う物の見方がある、しかもそれはそれまで絶対的に正しいと思われてきたようなものや、感覚的にそうだろうと思ってきたようなことまでひっくり返してしまう破壊力のあるものの考え方だった、という点で衝撃的だった。「自分の知らないところにいくらでも世界がある」そうすっかり思えることが大人になることだとしたら、僕を大人にしたひとつは構造主義だったと思う。
 本著は、かつてのめりこんだ構造主義の知識を整理したくて選んでみたんだけど、すごくよく纏まっていてわかりやすくていい本だった。構造主義がなぜモダニズムを打ち倒せたのか、それ以前にモダニズムとは何か、なぜモダニズムは強大な権威を持っていたのか、そういうところまできちんと理解させてくれる。レヴィ=ストロースの仕事では、やはり何度触れてもインセスト・タブーの解明は衝撃的で興奮する。何が優れていて何が優れていないのかなんて、誰にも断言できないのだ。

p18「マルクス主義は唯物論だから、革命の犠牲となっても霊魂だけは救われるぞよ、というような発想がないのだ」
p18「ヨーロッパ世界の人びとは、キリスト教を通過しているので、ひとりひとりの人格や個性や自由に大きな価値を置く。そこで、マルクス主義の言うことはもっともだけれども、そこでこの私の生きる意味はどうなるんだろう、という感想を持つ。サルトルの実存主義は、これにこう答える。彼は言う、われわれ人間の存在なんて、もともと理由のないこと(不条理)だったはずだ。」
p19「構造主義ははっきりノーと言ったのだ。構造主義と言ってもいろいろあるので、しばらくレヴィ=ストロースに話を限るが、彼の議論を煮詰めていくと、マルクス主義の言うような歴史など、錯覚にすぎないことになる。」
p22「それは、人びとが互いに対等な人間と認めあって、人類共同体を構成し、そのメンバーにふさわしく協力しあいましょう、という思想のはず。」
p26「ソシュールやその後継者たちの仕事は、直接・間接に、ずいぶんレヴィ=ストロースの養分になった。もうひとりは、フランスの人類学者で、デュルケーム学派のマルセル・モース」
p32「1955年、・・・『悲しき熱帯』」
p45「言語の機能を知るのに、その歴史を捨象する(わざと考えないようにする)ことができる」
p47「指示するものとのあいだに実質的なつながりがあって、恣意的でないから「有縁的」という」
p51「言語や記号のシステムのなかには、差異(の対立)しか存在しない、と言わなければならない」
p84「クラ交換」「モースは、『贈与論』」
p91「インセスト・タブー」
p95「限定交換」「一般交換」「両方交叉イトコ」「母方交叉イトコ」「父方交叉イトコ」「平行イトコ」
p99「コミュニケーションの一般理論」
p101「人間社会のあり方を「有機的連携」「機械的連携」の二種類」
p104「社会集団の構成原理」
p107「数学(遠近法)とのつながり」
p114「神話素」
p122「神話分析が、テキストを破壊してしまう無神論の学問だからだ」
p127「構造主義は、真理を”制度”だと考える。制度は、人間が勝手にこしらえたものだから、時代や文化によって別のものになるはずだ。つまり、唯一の真理、なんてどこにもない」
p130「数学は、長年をかけて、それ自身をつきつめていくうちに、とうとう自分がひとつの制度であることを発見した」
p134「ユークリッドの『幾何学原本』」
p146「双曲線幾何学」
p161「世界は、物体(=客体=客観)の集まりである。それ以外のもの(神や霊魂)は、どこにも見つからない(のではないか)。」
p169「射影幾何学」
p183「神話に<構造>があると考えるのと、神話はつぎつぎ変換されていくものだと考えるのとは、一緒のことなのだ。」
p184「まず、ある地域の神話の全体を、変換群とみなす。」
p225「”現代的なこと”に関心があるのはいいが、それを”最新のもの”と取り違えてしまう。」
p228「思想が体制を支えるにしても、批判するにしても、・・・思想たるもの、これまで幅を利かせていた思想に正面から戦いをいどみ、雌雄を決する覚悟でないと、とてもじゃないが自分の居場所を確保することすら覚つかないはずだ」 

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2009/07/05

『一下級将校の見た帝国陸軍』/山本七平

4167306050 一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)
山本 七平
文藝春秋  1987-08

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現在、無闇に好戦的なのは一体何歳くらいの人間か。終戦を学徒で終えたとするなら、現在70歳~80歳くらいか。戦争の記憶があって、戦争に加われなかった世代だ。
この本の初版が1976年であることにも注意したい。

p16「学生に何とか執行委員長とかいった肩書がつくと一瞬にして教授への態度がかわる。ついで就職ともなれば、一瞬にしてまた変わる。社員になればまた一瞬にして変わる。」
p17「事大主義すなわち”大に事える主義”です。」
p27「以後何かあるたびに、「これは結局、二個大隊といわず、”連隊ただし一個大隊欠”と言いたがる精神構造」
p30「在学中に「現地教育」の名で戦地に送られている。最も不幸だったのはこの人たちで、その大部分は海没」
p44「そういう際に出てくるのが精神力」「強調に変わった」「なるほど、アッツはこうだったのか」
p46「下級指揮官を射殺して士気の末端を混乱させるのは確かに有効な方法」
p49「いわばナチ・モードで、そのムードに自ら酔っていたわけだが、ナチズムへの知識は、ナチの宣伝用演出写真とそれへの解説以上には出ず、またドイツ国防軍の総兵力・編成・装備・戦略・戦術に関する専門的具体的知識はもっていなかった」
p89「イタリア男の甘言に弱い日本娘」
p93「戦闘の体験はあっても、戦争の体験がなく、戦争の実体を何も知らなかった。そのくせ、何もかも知っていると思い込んでいた、ということであろう」
p94「「成規類聚」の権威東条首相にできることではなかったし、また形を変えた似た状況の場合、いまの政治家にできるかと問われれば、できないと思うと答えざるをえない。」
p97「そこを一時間で通過して、何やら説明を聞いて、何が戦跡ですか。」
p105「「現地で支給する」「現地で調達せよ」の空手形を濫発しておきながら、現地ではその殆ど全部が不渡り」
p110「「思考停止」、結局これが、はじめから終わりまで、帝国陸軍の下級幹部と兵の、常に変わらぬ最後の結論」
p113「それはむしろ発令者の心理的展開のはずであり、ある瞬間に急に、別の基準が出てくるにすぎない。」
p114「方向が右であれ左であれ、その覚悟ができているなら」
p130「狂うとは何であろうか」「それは自己の「見方」の絶対化・神聖化」「見方の違う者は排除し、自分の見方に同調する者としか口をきかなくなる」
p136「盗みさえ公然なのだから、それ以外のあらゆる不正は許される」
p145「それは、今、目の前にある小さな「仲間うちの摩擦」を避けることを最優先する、という精神状態であろう」
p149「そのことと、それが員数主義という形式主義に転化していくこととは、別のことであり、この主義の背後にあるものは、結局、入営したときに感じたこと」
p150「いまに日本は、国民の全部が社会保障をうけられますよ。ただそれが名目的に充実すればするだけインフレで内実がなくなりますからね。きっと全員が員数保障をうけながら、だれ一人実際は保障されていない、という状態になりますよ、きっと。」  
p157「現在では、この私物命令の発令者が、大本営派遣参謀辻政信中佐であったことが明らかである。」『戦争犯罪』(大谷敬二郎著)
p171「それは戦後日本の経済の二重構造の原型のような姿」
p202「フランクルの『愛と死』」
p209「「歴戦の臆病者」の世代は、いずれはこの世を去っていく。そして問題はその後の「戦争を”劇画的にしか知らない勇者”の暴走」にあり、その予兆は、平和を叫ぶ言葉の背後に、すでに現れているように思われる。
p242「案外、沈まないで持ちなおすんじゃないかといったような気がして」
p277「環境が変わると一瞬にして過去が消え、いまの自分の周囲に、」
p284「自暴自棄のバンザイ突撃に最後まで反対」「冷徹な専守持久作戦で米軍に出血を強い続けた沖縄軍の八原高級参謀」
p287「日本の将官、指導者に欠けていたのは何なのか、一言でいえば自己評価の能力と独創性・創造性の欠如」「事実認識の能力」
p294「自分たちで組織をつくり、秩序を立ててその中に住む」
p299「最終的には人脈的結合と暴力」
→人脈的結合は欧米のほうが強い傾向では?
p301「そしてこの嘆きを裏返したような、私的制裁を「しごき」ないしは「秩序維持の必要悪」として肯定する者が帝国陸軍にいたことは否定できない」
p303「陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、「言葉を奪った」こと」
p397「統帥権の独立」
p310「帝国陸軍が必死になって占領しようとしている国は実は日本国であった」
p313「明治人は明確な「戦費」という意識があった」
p314「戦費支出の戦争責任」
p316「戦時利得者は大小無数の”小佐野賢治型”人物であり」
p319「上官が下級者に心理的に依存して決定権を委ねれば」
p322「「モチ米ヤミ取引」で丸紅が法廷に立たされる」
p326「「ロッキード事件における丸紅」を見て、その組織内の原則は結局同じ」
p333「帝国陸軍は、「陛下のために死ぬ」こと、すなわち「生きながら自らを死者と規定する」ことにより、上記の「死者の特権」を手に入れ、それによって生者を絶対的に支配し得た集団であった」
p334「それは「死の哲学」であり、帝国陸軍とは、生きながら「みづくかばね、くさむすかばね」となって生者を支配する世界」
p340「アーネスト・ゴードン」

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2009/06/21

『ザ・タートル 投資家たちの士官学校』/マイケル・コベル

4822246302 ザ・タートル 投資家たちの士官学校
遠坂 淳一 秦 由紀子
日経BP社  2009-02-11

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 考えたことは大きく2つ。

  • 経営やマネジメントは、それ専門のスキル「だけ」を持てば業種・事業内容問わず勤まるというのは、やはり時代遅れの発想だ。
  • 勝つためにルーチン化されてひたすら遂行するのであって、独創性は不要どころか許されない。これは、産業革命から変わらない。

 ここから更に大きく引っ張り出されるのは、「何のために働くのか?」という根源的な問い。仮に必勝パターンがあるとして、その必勝パターンを繰り返せば無限に勝ち続けられるとして、それで豊かな人生と感じられるだろうか?
 ビジネスマンとして学ぶべきは、やはり数字の重要性だ。そこに到達するためには、どれくらいの距離があって、何歩歩けば何分でつくのか?それがわかっていなければビジネスにならない。

 もうひとつ、これは数年前から翻訳物を読むたび常々思うことだけど、アメリカ型・日本型という紋切型の無意味さ。

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2009/06/07

『良い広告とは何か』/百瀬伸夫

4904336283 良い広告とは何か
百瀬伸夫
ファーストプレス  2009-04-11

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 「マーケティング」と「広告」が、表裏一体で語られている。「広告」がなければ「マーケティング」ではない、という思想と言っていいと思う。いかに広告宣伝費を削減するか、更に進めていかに広告宣伝しないか、というセールス活動に触れてきたので、違和感を感じるけれど、納得できる。「マーケティング」とは売れる製品開発のための「市場分析」であって、広告やCMやセミナーでの露出を捻り回すことではない、という感覚でいたが、「良い広告とは何か」という問いに対し、「広告主の業績向上に繋がる広告だ」という定義で応える本書の思想は、根底で共感できる。

 全般を通じて最も感じたのは、自社がいかに「上っ面」でしか、ビジネスをしていないか、ということ。様々な手法や戦略や言葉が社内外を通じて踊るが、すべて、どこかの会社の「成功事例」と言われるものを安易に借りてきただけだ。それに対して、適当に統計値を出して有効であった、と結論付ける。「成功事例」から学ぶべきはその本質であって、やり方ではない。これは、「ベスト・プラクティス」を謳って横展開で楽に稼ぐことを旨とするIT業界全体の体質なのかも知れない。

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2009/06/03

『ばかもの』絲山秋子

4104669032 ばかもの
絲山 秋子
新潮社  2008-09

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 大学生のヒデがバイト先で知り合った額子。二人の「ばかもの」が、取り返しのつかない転落を続けていく。

 同じ失敗を繰り返すのが、いちばんの「ばかもの」だと思う。そして、その同じ失敗に自ら足を踏み入れる人間が、いちばんの「ばかもの」だと。僕は結構ラディカル(今となっては死語)な性質なので、それがよいことであれ堕落なことであれ、やるなら徹底的にやり切るのを旨としているが、他人を見ていて蔑みたくなるのは、それは失敗だと分かっていて、失敗だけども自分の本能や欲望に抗し切れず足を踏み入れているのに、そこそこの安全地帯で留まろうとする人、これが本当に最低の人間だと思う。

 そういう意味では、本書のヒデも額子も「ばかもの」ではない。行き着くところまで行ってしまう。ヒデはアルコール中毒に陥ったりする。そして、そのループを予め予想できるのに、止めることができない怖さも認識している。でも中途では止まらない。欲の任せるままに突っ走ってしまう。だからといって、ヒデは単にだらしない人間ではない。同級生が宗教に傾倒した様を目の当たりにした際、「死ぬ という言葉がちょっと気の利いた買い物のように発されるのを聞いて、面倒だなと」思うくらい、いわゆる思慮分別があるのだ。

 ヒデは頭でっかちだ。それも、割と謙虚な頭でっかちだ。淡々と人並みの人生を送れればよいと思いながら、なぜか転落を続けてしまう。こういう人が最も全うで、全うであるがゆえに弱くて、転落しやすいのかも知れない。けれど、「ばかもの」ではない、と思う。ヒデは、けして安全地帯に逃げ込んだりはしなかった。額子も然り。辻褄のあわないところは何もない。そういうヒデと額子の物語は読んでいて爽快だった。

 ひとつ、若干冷めたのは「デュアルプロセッサの搭載されたパソコン」の下り。デュアルプロセッサの搭載されたパソコンなんて、普通の人はそうそう持っていないと思う。デュアルコアのパソコンなら普通だけど。僕はこの業界にいてるので、ドラマや小説にIT関連が登場するたび、些細な違和感を感じるものだったが、小説はなぜいつもこんなに世界を何でも俯瞰できるのだろうと思ってたけど、デュアルプロセッサの如く、本当はどこも少しずつ破綻してるもんなんだろう、と。 

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2009/05/31

『顧客はサービスを買っている』/北城恪太郎  諏訪良武

4478006679 顧客はサービスを買っている―顧客満足向上の鍵を握る事前期待のマネジメント
北城 恪太郎
ダイヤモンド社  2009-01-17

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 北城恪太郎氏監修ということで期待して読んだが、概ね既知の内容だった。

  • サービスサイエンスの視点。モデル化。
  • ”事前期待”の可視化・顕在化と、マネジメント
  • マネジメントとは、「管理」ではない。

 このタイプの本を読むと、直に「自分はどう行動すればよいか?」という視点になる。そして、会社全体のことを考え、会社全体を改善するためにまず自分が働きかけられる部分はどこか、という発想になる。この思索には「マネジメント層」「フィールド」という2つの役割しかない。しかし、膨大なフィールド情報を読み込めるだけのスキルやシステムを持っているマネジメント層は稀で、フィルタリングするための役割が必要なはずである。それがない企業に勤めている間は、「自分はどう行動すればよいか?」と自分のフィールドの役割にあった行動を考えるのは無駄で、一足飛びに「マネジメント層」視点でモノを言うほうがよいのではないかと思う。

 オムロンフィールドエンジニアリング社の情報システムやコールセンター見学の話が、「サービスの見える化」として紹介されている。こういうのを見聞きして、自社のコールセンター見学ツアーなどを企画しているのだなあ、と初めて謎が解けた思いだった。もう何年も前から、「いくらシステムが素晴らしくても、それがお客様に価値を提供できているかどうかは別問題」という問題意識が、少なくとも僕の周りにはあった。それなのに、よく嬉々としてコールセンター見学ツアーなどやるもんだと思っていたが、こういう「古い成功事例」を追いかけていたのだ。オムロンフィールドエンジニアリング社のコールセンター見学が説得力を持ち(今でも)成功するのは、①先駆者であるから②当時はシステム自体が他にないものだったから に尽きると思う。今じゃどこにでもあるような二番煎じのシステムを見せて、感動するようなお客様はいないだろうし、そんなものを見てサービスが素晴らしいと納得されるお客様なら、実際に提供したあとにトラブルが起きるだろう。「納得」が大事なのだ。

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2009/05/05

『あなたの獣』/井上荒野

4048739018 あなたの獣
井上 荒野
角川グループパブリッシング  2008-11-29

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 櫻田哲生という男の生涯を描いた、10編の短編。

 構成が『ニシノユキヒコの恋と冒険』に似ている、と気づくほど読み進める前に、雰囲気が川上弘美に似ているな、と思って読み進めたら、途中、村上春樹か、と思わず突っ込みそうになった章があった。それはまあ、学生時代の話でカラダが奔放で仲間が死ぬから、というようなところの安易な連想かもしれないけど、このエピソードで登場する璃子が最終章まで引っ張られてるので、小さくない意義があるのだと思う。

 「あなたは、いつでも、どこにもいなかった。」というのは、男がよく女の人に言われる台詞のひとつだ。じゃあ、女の人は、どうであれば、一緒にいてると思うのだろう?このことを考えると、男の僕は息が詰まりそうになる。完全に言ったもん勝ちのロジックだからだ。その代わりに男という性の持っているアドバンテージはなんなのだろうか?そこを突き詰めていくと、こんなにしょうもない櫻田哲生が、これだけの女性の間を揺らぎながら生きてきた理由にちょっとだけ触れられるような気持ちになる。著者は女性だから、櫻田哲生に女の人が惹かれるところの描写は全部本当じゃないとしても、全部的外れではないだろう。

 金や地位といったもので好かれた女性は、金や地位が無くなったり、金や地位に飽きたりしたら、その男から離れていく。じゃあ、精神的なもので好かれた女性は、その精神に飽きたりしたら、その男から離れていく、ということだろうか?

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『ベスト・オブ・谷根千-町のアーカイブズ』/谷根千工房

4750509019 ベスト・オブ・谷根千―町のアーカイヴス
谷根千工房
亜紀書房  2009-01

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 谷中・根津・千駄木の頭文字を取って名づけられた地域雑誌『谷根千』のアーカイヴ。

 一度だけ、出張のついでに谷根千を散策してみたことがある。そのときは、インターネットで何かを調べていてたまたまこの「谷根千」と呼ばれる地域のことを知り、たまたま出張先が近かったので立ち寄ってみた。確かに同じ山の手線内とは思えない風情を見たのを覚えてる。  

 結局、この『ベスト・オブ・谷根千』は、読みきれないまま返却期限を過ぎてしまい、慌てて返却した(ちなみに催促の電話をかけてきてくれた図書館職員の方は、留守電に吹き込む際、「ベスト・オブ」まで読んだところで次が分からず絶句してた)。返却前にパラパラと捲ってみたら、例によって、今関心を持ってる事柄に関連するページにドンピシャで出くわしたのでコピーしておいた。

p292「愛しの自筆広告 山﨑範子」
「雑誌は購読者と広告主が支えだから、「毎号欠かさず図書館で借りて読む」人より、「とりあえず出ると買っては親戚に送る」人に感激する。一万円の純利益を出すためにいったい何冊の『谷根千』を売ればいいの。その点、広告代をくださる方のありがたさ。すでになくなった店を広告でみると、その昔、婦女新聞の広告を眺めた時のことを思い出す。」

余りにもありてい。余りにもリアル。ここには「何のために雑誌やってるの?」という本質的な問いが付け入る隙はない。まず、創れてナンボ、なのだ。

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2009/05/04

『チョコレート・アンダーグラウンド』/アレックス・シアラー

4763004204 チョコレート・アンダーグラウンド
Alex Shearer 金原 瑞人
求龍堂  2004-05

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 選挙に勝利した「健全健康党」は、「りんごさくさく気分をどうぞ」を合言葉に、チョコレート禁止令を出した!町から甘いものがどんどん駆逐されていく。勇気ある少年、ハントリーとスマッジャーは、「健全健康党」に挑戦すべく、チョコレートの密造を始める!

 完全無欠の少年少女冒険活劇。なので、そこに込められている含意とか、解説を待たず読んだ人だれもがピンときて、納得できると思う。これだけ理想的な冒険ストーリーなのに、「水戸黄門」のような偉大なマンネリズムを観る安心感で読み進めるというのではなく、盛り上がりながら面白く読めるのは、健全健康党に立ち向かう手立てのディティールのリアルさと、それぞれの立場の人々の真理のリアルさだと思う。健全健康党に取り入りたいフランキー・クローリーのいやらしさとか、フランキーがそうしようとした理由、それにその理由を知っても用心してしまうスマッジャーの揺れとか、そんなスマッジャーなのにチョコバーを開催できて以降は有頂天になって油断してしまうところとか。どのタイミングでも、どちらか一方に簡単に事が流れない。ここが楽しめるポイントだと思う。

 『ノーと私』を読んだときにも思ったんだけど、イギリスやフランスの児童文学というのは、こんなに社会派なんだろうか?『ノーと私』は若いホームレスがテーマだったし、『チョコレート・アンダーグラウンド』ではアパシーなんかも取り上げられてて、「アパシー」という言葉までちゃんと出てくる。僕が小学生の頃読んだ児童文学で、社会問題を取り上げてたものってあっただろうか?現実の問題を取り上げたものというと、大抵が戦争ものだったように思う。「もう戦争はしてはいけません。こんなに悲惨なことになるのです」という。それ自体はとても意味のあることだと思うけど、それ以外は「夢と希望」みたいな感じだった気がする。もちろん人間にとって最も大切なのは「こころ」だけど、こころの外で何が起きているのかを見つめられないなら、それはただの根性論と同じじゃないか?引きこもりの問題はけして日本だけじゃないから、これと引きこもりを結びつける気はないけれど、こころの外を見つめられる根気というのが、今の空気全体に欠けているような気がした。

 この小説はスマッジャーがヒーローっぽいんだけど、読んでてずっと共感してたのはハントリー。主人公ってどっちかって言うとハントリーじゃないか?と思ってたら、人物紹介はハントリーが1番だった。スマッジャーとハントリーの親はどちらも果敢な親で、スマッジャーとハントリーに協力してくれるんだけど、こういうのを読むと「自分の親とは違うなあ」と一瞬思い、そのあと、いや待てよ、僕の両親も、僕のすることを止めたことなんて一度もなかったな、と、感謝の念がおきる。それだけで、ちょっと自分も成長できたかな、と思える。

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2009/03/15

『雲の果てに 秘録富士通・IBM訴訟』/伊集院丈

4532314283 雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟
伊集院 丈
日本経済新聞出版社  2008-12

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 どんなことにも、どんなものにも、歴史があるのだと教えてくれる一冊。

 まず、IT業界にいながら、何もわかっていなかった自分が恥ずかしい。OSは自明のものだと思っていた。違うのだ。OSは最初から存在したものではない。ハードウェアと、ソフトウェアしかない時代があったのだ。互換機ビジネスとスーパーセット戦略はそういう歴史の中から生まれたもので、単純にメインフレームの後続だった訳ではないのだ。そんなことすら知らなかった。そして、その中で知的財産と著作権が最大の焦点になったのだということも知らなかった。知的財産と著作権は、自明のものだと思っていた。最初にそれを作った人間が、それを独占的に使用する権利を持つ。それはソフトウェアについても当然そうだろう、という「感覚」を持って育ってきた。そこには争点があり、歴史がある。そういう認識に欠けたまま、来てしまったのだ。

 IT業界だけではない。今でこそ米国は著作権を当然のように振りかざす存在だが、かつてはコピー天国と言われ欧州に軽蔑されていたのだ。その米国が、歴史の中で、自分たちの権益を守るための方便として、著作権に目をつけ、それを振りかざすようになっていく。そんな、欧州から「幼稚だ」と言われる米国を日本は追い続け、その米国に屈し、果てに「この国は駄目になる」と言われる。そんな米国流の資本の論理が席巻した数年前、買収される側の日本企業の抵抗を、精神論でしかないと切ってすてるような論法が持てはやされたが、果たして米国でも1974年時点では、アムダールという会社は富士通に対して、金と技術の提供は受けるが経営に口出しされたくない、という署名活動を起こしているのだ。おまけに、僕は「日本は器用で技術力の高い国で、日本製品は高品質だ」と子供の頃から思い込んで生きてきたが、1980年代でも日本人は「そもそも日本人が先端技術に手を出すことが間違いだ。日本人にコンピュータを開発する能力なんてないんだ」などと言われるような存在だったのだ。

 すべて目から鱗だった。簡潔に纏めてしまえば、声のでかいものが勝つ、ということと、先を走ったものが勝つ、という、単純な結論しか出てこない。けれど、本書の終わりのも書かれている通り、米国流の金融資本主義は瓦解し、繰り返す歴史と新しい歴史が混沌としている時代に来ている。まさに多く歴史を学ばなければいけない時代であり、全てにおいて自分の目で先を見通し生きていかなければならない。この本に教えられるところは多い。

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2009/03/07

『ノーと私』/デルフィーヌ・ドゥ・ヴィガン

414005557X ノーと私
Delphine De Vigan 加藤 かおり
日本放送出版協会  2008-11

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 発表テーマに路上生活者を選んだ、飛び級で高校に通う13歳の「私」、ルーは同じ年くらいに見える路上生活者、ノーに声をかけた。

 まず僕は恥ずかしいことにフランスでホームレス問題がこんなに一般的なことだということを知らなかった。ヨーロッパの高失業率や若者の求職デモのニュースを見たことはあるものの、そしてホームレスの定義が野宿生活者だけではないという違いもあるものの、若い女性のホームレスがどうも珍しいことではない、という雰囲気が物語から読み取れ、驚くばかりだった。ホームレスの問題自体は、日本と類似しているところも多く、例えば「住所がなければ仕事もない」。戸籍制度の独自性などで、定住を社会的信用のひとつと見なすのは日本の特徴と勘違いしていたが、住所がなければ仕事もないのは欧州も同じのようだ。最近、BIG ISSUEを定期的に購入したりして、ホームレスという問題を知ってみようと努力していたところだけに(どちらかというと僕は少し前まで、ホームレスを努力不足の問題としか見れていなかった)、とてもいいタイミングでこの本に出会えた。

 でもこの本は、社会派小説などではない。ルーの「冒険譚」と言っていい、と思う。現代のハックルベリー・フィン。ルーは、ノーを家に連れて帰りたいと思い、両親を説得する。これが、フランスでなら有得ることなのかどうかは分からないけれど、日本ではおよそ考えられない。およそ考えられないところが、日本の問題の根深さでもある気がする。ルーは、自分の信念に従って行動する。夢を追い求める。そして、夢が現実に負けてしまう悲しみも経験する。フランスにおけるホームレス問題、という地域性とテーマを軸にしながら、少女が冒険の末に成長していく物語は、日本の物語でもおなじみの形式だ。

 ただ、物語の最後が大きく違う。一緒に家を出よう、一緒に船でアイルランドに行こう、と駅まで一緒に来たのに、ノーはルーを置き去りにする。その、(予感はしていた)悲しい別れのあと、独り家まで歩いて帰るルーは、俯かずこう思う。「私は成長していた。怖くはなかった」。そして、頑固で守旧的な教師の典型のように見えていたマラン先生は、ルーにこういうのだ。

 「あきらめるんじゃないぞ」

 最近の日本の物語は、何もかも「あるがまま」「自然がいい」と言わんばかりに、悲しい運命をただ情緒的に受け止めるばかりに流れていやしないだろうか?叙情は確かに素晴らしい日本の感性だけど、現実はもはやそれだけでは未来の情緒を失うところまで来てしまっている。「あるがまま」が「なすすべなく」とイコールになったとき、その先にあるのは退廃だろう。成長がなければ意味がないとは言わない。けれど、困難に流されるだけでなく乗り越えようとすることには意味があり、人間性の最も大事な何かであることは間違いないと思う。


 

 

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2009/02/07

『八月の路上に捨てる』/伊藤たかみ

4163254005 八月の路上に捨てる
伊藤 たかみ
文藝春秋  2006-08-26

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自販機補充業務をこなす傍ら、今日でお別れとなる先輩で同僚の女性・水城さんに、自分の離婚の顛末をとつとつと話す敦。第135回芥川賞受賞作。

伊藤たかみは、もちろん面識はないが高校の同窓生。いつか読もうと思いながら、今日まで読まなかったのは、親近感と近親憎悪の板挟みの現れだったに違いない。それで敢えて言うと、僕はこの小説はたまらなく好きだ。そうしてその好きの理由には、同じ土地で同じ時間を過ごした人間には共通のセンスが宿る、と信じさせるものがある。

話の内容はたわいもない。敦が千恵子と学生の頃に出会い、同棲し、結婚し、すれ違って離婚するまでを、似たような境遇の水城さんに仕事中に語って聞かせるだけだ。小説にストーリーを求める向きにはまったくもって勧められない。ただ、敦と千恵子のすれ違いぶり、「夢」の扱い方のすれ違いとか「金」に困窮してすれ違っていく様とか続くから言えないのであって終わるなら優しくなれるすれ違いとか、まさにガツガツと描写してくる。物語を読む楽しみというのは、起承転結とカタルシスの一種類だけではないと思う。そして、芥川賞というのはそういう楽しみとは違う楽しみを持つ小説に与えられる賞ではなかったか。amazonの読者レビューが軒並み「芥川賞はおもしろくない」という色で塗りつぶされていたのが悲しかった。近代文学の歴史の中で、大衆文学が芸術的な価値を持つ文学へと昇華されてきたのに、現代はインターネットという大衆の声を拡声する仕掛けによって、文学に対する視線が「大衆文学」だけになってしまっている。そして実際、どんな小説をもってしても、「大衆文学」以外の面白さがあるんだよ、ということを気付かせることができなくなっている。あたかも、大人になっても苦味のうまさに開眼しない大人のようだ。

この小説の言葉づかいやテンションは、ものすごく生理的なところで親近感が沸く。自分の知っている言葉だ、という感じがする。例えばタイトル。このリズム感とか、何を?というところとか、たぶん、「センス」と言われるようなところでやっぱり共通するのだなあと思った。

もう一つ、最後の最後に「俺は一時たりとも遊んでなんかいなかったぞ。」と簡単に締め括るために展開をもっていくところなんかも。  

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2008/12/30

『家日和』/奥田英朗

4087748529 家日和
奥田 英朗
集英社  2007-04

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 「家にいる人」が主人公の6編の短編集。

 取り扱ってるテーマが失業だったり別居だったり、結構ヘヴィだけど、読中シリアスになることはない。例えば勤め先が倒産した裕輔が主人公の『ここが青山』は、裕輔もあっけらかんとしていれば妻もあっけらかんとしたもので、主夫業に自然と滑り込んでいく様がテンポよく語られる。突然、妻から別居を言い出され家に残された夫が卒なく独り暮らしを楽しんでいく様が描かれる『家においでよ』も、妻が出て行った理由がいまいちピンと来ないという、典型的な鈍感夫が、あまり深刻になることもなく、独り暮らしを楽しむうちに事態が好転する、というような話。

 どの話も、主人公は飄々として淡々として、あまり物事に執着しない。そういうスタンスが物事をうまく運ばせる好例集、というふうにとらえることもできる。読んでて心地よいんだけど、いくらなんでもちょっと事態を軽く捉え過ぎじゃないか?と主人公に対して思うところもあって、そこが軽くて物足りない。なんでも深刻になり過ぎてもいい結果にならないよ、というのは頭では分かっていても、なかなかそうはいかないよ…というような悩みが描かれているのがやっぱり好み。『家日和』は、でてくる事件が重大事なだけに、肩透かしを食らったような気になるところが若干残念。

 

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2008/12/21

『論理学』/野矢茂樹

4130120530 論理学
野矢 茂樹
東京大学出版会  1994-02

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p13「「命題論理」とは、<否定詞と接続詞の論理学>なのである」
p16「否定詞も接続詞も含まない命題を 原子命題 と呼び、原子命題をもとにして否定詞や接続詞を用いて構成された命題を 分子命題 と呼ぶ」
P17「原子命題の真偽x1,x2,…,xnから分子命題の真偽yへの関数を 真理関数 (truth function) と呼ぶ。」
p49「構文論的方法」
1 以下に規定するような仕方で構成される論理式を「定理」と呼ぶ。
2 出発点として無前提に定理として承認される論理式をいくつか定める。ここで承認された論理式は「公理」と呼ばれる。
3 ある定理ないし諸定理からさらにどのような定理を導いてよいかを規定した規則を定める。この規則は「導出規則」、あるいは「推論規則」と呼ばれる。
4 公理と導出規則を用いて、次々に論理式を構成していく。こうして構成された論理式は「定理」と呼ばれる。
このような構造をもった体系を「公理系」と呼ぶ。
p53「ヒルベルトというドイツの数学者」
p54「ユークリッドが図形表現に引きずられてしまったからだ」
p56「心理学者ピアジェの「発生的認識論」」
p56「記号の意味を考慮せず、記号相互の導出関係、記号変形の規則のみを考察する仕方、このようなアプローチの仕方が「構文論」(syntax)である。それに対して、前節で見たような、意味および真偽という観点から為されるアプローチが、「意味論」(semantics)にほかならない。」

述語論理
p75「ドイツの数学者・論理学者・哲学者であるフレーゲ」
p84「オルガノン」
p85「古代ギリシャ哲学にストア学派およびメガラ学派という学派があったんですが、」
p86「「4の倍数は偶数である」と「4の倍数ならば偶数である」」
p87「特定の個人ないし個物を表わす名前を「固有名」と言い、固有名によって表わされる特定の個人ないし個物を「個体」と言う」
p90「真理性は、明らかに、語のレベルで問われるのではなく、文のレベルで問われる」
p91「空欄の部分は 変項 と呼ばれ、…命題関数を構成する変項以外の要素「…は犬である」の部分は 述語 と呼ばれる」
p95
1 命題 審議を問題にできる文
2 命題関数 命題から個体を表わす表現を空欄にし、x,y,z,…で置き換えたもの
3 (個体)変項
4 述語
5 (個体)定項
6 量化
7 全称量化子と存在量化子
8 量化の範囲
9 自由変項と束縛変項
p100「述語論理において論理的心理とみなされる論理式を「妥当式」と呼ぶ。」
述語論理の意味論
p102「「トートロジー」という言葉は、そのもともとの意味合いである「同語反復」を漠然と意味する場合から、明確に「恒真関数」のみを意味する場合まで、多少の語法の揺らぎがある」
p104「妥当式」 「論理式Aが妥当である=Aはいかなる解釈のもとでも真」
p126「フレーゲの論理主義」
p126「フレーゲへの手紙 ラッセル、1902」
p127「命題関数と集合の同等性」

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2008/12/07

『まぼろしハワイ』/よしもとばなな

4344013859 まぼろしハワイ
よしもと ばなな
幻冬舎  2007-09-26

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 読んでいる最中、そして読み終わった後も感じたことが2つあって、ひとつは、「このストーリーはハワイでなければ起こり得ないようでいて実はどこでも起こり得ること、とかすかに感じさせるようなところがあるけど、もっとはっきりそう伝えてほしい」ということ、もうひとつは、「これは生の喜びを描いているようで実は”いかに死ぬか”を書いているのではないか」ということだった。

 オハナもコーちゃんもコホラも、(例によって)特殊な家族事情を抱えているが、それらを解き解くのが
ハワイの自然・生命の力のように描かれている。でも確かにハワイの気候や自然は特殊かも知れないけれど、そうじゃなきゃ何かがよくならないとしたら、それほど不幸なこともない。『まぼろしハワイ』は、ハワイならではのようで、ハワイならではない何かが詰まっている。でも、あまり目立ってない気がする。そこを目立たせるのかどうかは悩みどころだったのだと思う。

 もう一つの思ったことというのは、これはあとがきを読んで更に思いを強くした。『まぼろしハワイ』の「生の喜び」というのは、「今を生きる」というような、日々の日常生活をきちんとするといったことではなくて、「先を見据えている」芯の強さが滲んでいるし、あとがきには何度も別れについてかかれている。別れというのは恋人と別れるだけじゃない。「いつか終わる」ことを想像していないと何にも感謝できないというのは恥ずかしいことだけど、今に「やらないよりはマシ」という気持ちになってるのだろう。

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2008/09/15

『スイッチ』/さとうさくら

4796652477 スイッチ
さとう さくら
宝島社  2006-04-22

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 就職活動に失敗し、フリーター暮らしを続ける26歳の晴海苫子。彼女はうまくいかないことがあると、消えてほしい相手の襟足にスイッチを探すか、自分の襟足にスイッチを手探りする。存在を消してしまうスイッチをー。

 この小説は、「日本ラブストーリー大賞」に応募された作品で、「審査員絶賛賞」という賞を受賞した小説。苫子のあまりにうまくいかない社会人ぶりが目に付くけど、これは確かにラブストーリーだと思う。苫子がうまくいかないところは、社会人としてはあまりにレベルが低いところもあるけれど、うまくいかないから逃げ出してまたうまくいかなくて、というループは、社会生活だけじゃなくて生活のいろんな場面で存在していて、誰でも共感するところがあるんじゃないかと思う。例えば苫子の短大時代の友達で、仕事を器用に頑張っているように傍からは見える結衣だって、その体裁を取り繕うことの繰り返しに実はほとほと疲れきっている。
 うまくいかなくて逃げて、もしくはごまかして、そしてまたうまくいかなくて、という繰り返しは、誰にだってあるもので、そこを何とかするためには、遮二無二ぶつかっていくしかない。それで例えやっぱりうまくいかなかったとしても、逃げてループしてまたうまくいかないのとは絶対違う何かが起きる。サル男との別れ際の絶叫もそうだし、結衣との終盤の電話のやり取りもそう。面倒がらずにやれることをやってみるんだと腰をあげるしか道はないってことを一気に読ませてくれる、いい小説だと思いました。

 苫子がうまくいかない原因の根本として、「落ちる」という言葉が出てくる。「気持ちが落ちる」ということだけど、原因の追及がそこで止まってしまっているのは残念といえば残念。でもこれは恋愛小説なので、そういう気分のメカニズムについて深入りすると詰まらなくなる。敢えて言えば、サル男との話のなかで、「何でも気分次第」くらいの雰囲気を漂わせてほしかったかな。サル男とのくだりも、「上がった気持ちもすぐ落ちてもともこもない」で終わってる気がするから。

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2008/08/03

『田宮模型の仕事』/田宮俊作

4167257033 田宮模型の仕事 (文春文庫)
田宮 俊作
文藝春秋  2000-05

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 『蟹工船』なんかにハマるより、これを読むほうがよっぽど働くことにとって有意義じゃないかと思う。せっかくメモ用にした付箋を、入力して全部取った後で入力が飛んじゃってわからなくなってしまったけど、一か所焼きつくように覚えているのが、「商売になるから模型をやってるところと、模型が好きだからやっているところの違いを見せてやる」というくだり。好きなものを仕事にしている強さを見せつけられるし、もし好きなものを仕事にしていなくても、仕事に対してどう接するべきなのかを雄弁に物語ってくれる。

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2008/05/18

『貸し込み』/黒木亮

4048738070 貸し込み 上
黒木 亮
角川書店  2007-09-26

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4048738089 貸し込み 下
黒木 亮
角川書店  2007-09-26

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 銀行が酷い融資を平然とやっていることよりも、日本の裁判というのはなんて杜撰なものなんだという印象のほうが強く残る。繰り返し、米国のディスクロージャーについて触れられ、それと対比するように、日本では情報を出す出さないは銀行の都合で決められる実態が描写される。要は、どうしても出さざるを得なくなるまで出し渋ればいい訳で、こんなんじゃあ悪いことやったほうがいいに決まってるよなあと思う。悪いことを10やっても、そのうち5くらいしか罰せられなければ、しかも罰せられるにしても上限が悪事で儲けた金額ならば、悪いことやるほうがどう考えても経済的には正しい。なんでこの国はこんなに杜撰なんだ?
 あともうひとつ、原告の宮下治を見て、本当に付き合う相手というのは選ばなければならないなと思う次第。確かに、銀行に食い物にされた一面はあるものの、あまりに臆面もなく自分の都合でものを言える人間とは、深く関わっても利用されるだけで何もいいことがない。

 全般的には、銀行の「貸し込み」の手口を暴き、そこに至る銀行のどうしようもない内情を深く描写する、というよりは、裁判小説といったほうがよいと思う。

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2008/05/04

『COBIT入門 ITガバナンス・マネジメントガイド』/ハリー・ブーネン+コーエン・ブランド

4820118781 COBIT入門−ITガバナンス・マネジメントガイド
コーエン・ブランド ハリー・ブーネン 峯本 展夫
社会経済生産性本部  2007-12

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itSMF刊行。COBIT4.0反映。
COBITはISACFとISACAが開発。現在はITGI(ITガバナンス協会)に移管。

  • エンタープライズ・ガバナンス=適合性評価(conformance)+業績目標(performance)
  • コーポレートガバナンス・ビジネスガバナンス・ITガバナンス
  • ISO/IEC17799 → ISO/IEC27002に統合
  • COBITクイック・スタート を参照する
  • ISASA(www.isaca.org) ITガバナンス協会(www.itgi.org)
  • ezCOBIT (www.ezCOBIT.com)

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2008/04/26

『監査難民』/種村大基

4062820668 監査難民 (講談社BIZ)
種村 大基
講談社  2007-09-26

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 システム監査という分野を志しているので、『監査』に興味があり手に取った。最も興味深かったのは、 「『これだけの監査をやったのだから、粉飾を見抜けなくても当然です』と言い訳するための書類づくりに追われているだけじゃありませんか。」という会計士の発言の行だ。これは監査の世界だけではなく、現代の企業活動のあらゆるところで見られる症状だと思う。製造業でも、医療でも、はたまた行政でも、もちろん我々IT業界も。どうやって「自分たちの責任を回避するか」ということにばかり神経が行って、健全な創造的活動が減衰しているように感じる。如何に文書に残し、あるいは残さず、責任を回避するか。こんなことでは結局縮小均衡の道を辿るしかないと判っていながら、そうするしかないというジレンマに陥っている。
 もうひとつ我々IT業界で言えば、プロジェクトに関するリスクを極小化するためのPMOを設置する動きが広まったように、不正や不適切な活動を防止するためのシステムを組み入れているものの、その精神が健全に社内に浸透していないということだ。内部統制でも言われることだが、これらの取組が、営業現場にとっては「売上を阻害するようなくだらない規制」としか受け止められず、かたやPMO側は、急場しのぎで他業界から引き抜かれた法律専門家のような人間ばかりでIT知識やプロジェクト知識が不足しており、現場の実情が分からないまま業務を行うので、営業活動を遅延させ余計な業務を増やす要因となる。中央青山でいうところのRP業務の問題に近い。
 スピード化が進み、規模が拡大すれば、当然業務量が増え、それに押し潰される。勢い、より効率的に稼げる大企業のみと取引をするよう選別を進めるしかない。このジレンマを乗り越えるためには、従来以上の効率で業務を遂行できるような、技術の向上やITの導入を推進するしかないのだが、なぜか日本の現場ではこの当たり前の考え方が当たり前でないと決まっていることが多い。

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2008/02/11

『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』/竹中平蔵

4532352487 構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌
竹中 平蔵
日本経済新聞社  2006-12-21

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p13「大局判断を間違えないために細部を捨てる勇気は、まさにトップ・リーダーに求められる資質だ。真に腑に落ちたことだけを持ち帰る。」
p20「おそらく国民は、このような姿勢を直感的に感じ取り、小泉総理に対する大きな期待を形成していったのであろう。」
p60「「志を共有する専門家のネットワーク」(エピステミック・コミュニティ)」
p62「ここは、レトリックを巧みに駆使するしかない。私は「当面、不良債権処理に集中しなければならない。だからこの間、完全を期すためにペイオフ解禁を延期する」」
p64「権限の行使には厳格な規定があること、したがって、そのプロセス一つひとつを丁寧にクリアしていくことの必要性」
p68「大臣というのは病気になることが許されない。」
p75不良債権処理のポイント

①資産査定の厳格化のため、市場価格による算定を徹底させる
②大口債務者の債務者区分を統一させる(横串)
③銀行による自己査定と検査による査定の差を公表し、自己査定をより健全なものにする
④必要があれば公的資金を活用する用意があることを明確にし、さらに新たな公的資金についても検討する
⑤繰り延べ税金資産の計上を適正にする
⑥経営健全化計画が未達成な銀行に対しては業務改善命令を出す

p82「参院幹事長(当時)の青木幹雄氏がきっぱりと言った。「これでは選挙は戦えない。選挙の前に株を下げないでもらいたい」」
p91「私は、事務方に協力を求めながら、しかし自分自身が積極的に細部の議論に関与するよう努めた。多くの政治家や評論家は、こうしたレベルの議論になると、ほとんど無関心・無理解になる。」
p101「株式会社日本総合研究所の資産である。それによれば、金融再生プログラムによって発生する離職者数は、78万人から165万人に達するというものだった。・・・「試算には大きなバイアスがかかっており、信頼できません。不良債権処理をいやがる銀行の子会社の試算ですから、やむをえないんじゃないでしょうか」」
p129「栃木県選出の森山真弓前法務大臣から、「いま、栃木選出の国会議員が集まっている。ここに来て、状況を説明してもらいたい」」
p137「ダイエー問題で前向きな議論を進める産業再生機構に対し、経済産業省から露骨な圧力がかかり、これに講義して再生機構の幹部が辞表を提出する騒ぎになっている」
p139金融改革の教訓

①「戦略は細部に宿る」
②無謬性にこだわる官僚マインドが、いかに改革を阻む岩盤になっているか
  民間のプロフェッショナルにも、無謬性の問題が存在していた
③日本ではいまだに過去の政策と行政の総括が十分に行われていない

p156「郵政のそれぞれの事業(郵便、銀行、保険など)が自立すること、そのために分社化が必要だという点だった」
p187「法文にどのような書き方をするか、まさに戦略は細部に宿るのである。これまでは官僚がまんまと政治家の目をごまかしてきた手法を、我々は逆手に取って、抵抗勢力の反対をかわしていった。」
p192「大臣、気合いの勝負です。こういうときは怖い顔をして、徹底的に正論で戦って下さい」
p222「各方面から様々な要望が寄せられる中で、その中身は法案の内容に一切影響を与えないものにしなければならなかった。」
p228「要するに、対案なく批判するのはかくも簡単なことだった。」→永遠の真理・レッテル
p250「「政府部門の民間への委譲」「頑張りがいのある税制」「年金の抜本改革」「画期的な人材再教育」「地方財政の見直し」「特定財源の見直し」」
p254「第一は、「この国を変えるのは並大抵のことではない。世界的に見て普通のことが本当にこの国では容易に通用しない」」
p276「私は政界のドンと言われる人の志の大きさと人間の奥深さを、様々な形で学ばせてもらった。(山中貞則元通産大臣)」
p284「塩川財務大臣は、「諮問会議は具体的なことではなく方向について議論すべきだ」
p288「歳出削減は主計局の問題、減税は主税局の問題」
p304「与謝野大臣は、こうした様子を一切伝えていないことがわかった。」
p310「与謝野大臣も、谷垣大臣もこうした「堅実な前提」という言葉を多用した。しかし、これはおかしなレトリックだった。堅実の反対は放漫である。」
p315「しかし議論の取りまとめ段階で、進行役の与謝野大臣はなおも次のように主張したのである。「成長率と金利の組み合わせをどう見るかで、必要とな る収支改善努力が変わってくる。財政健全化を確実なものにするためには、ほぼプライマリーバランス2%以上の黒字を目標にすることが必要だということは、 概ね共通の認識ではなかったかと思う。」
p320地方財政政策パッケージ

①国と地方の役割分担を明確にするための「分権一括法」を制定すること
②交付税の配分を、面積や人口などわかりやすい客観基準に基づいて行うこと(新型交付税)
③地方行革の新指針を作ること
④不交付団体を画期的に(例えば人口一定規模以上の都市の半分に)増やすこと。またそのための税源委譲を行うこと
⑤自治体の責任を明確化するために再生型の破綻法制を制定すること
⑥地方債の自由化を進めること

p322「とりわけ、NTTの影響力は聞きしに勝るものがあった。まさに、与党と野党双方にである。」
p339「難しい問題を難しい問題として、まず社会全体で認識し直すことの必要性を感じているのである。」
p342「しかし、10キロ先ではなく「1メートル前進しなさい」「次は10メートル前進しなさい」と言われたら、抵抗するのは容易でなくなる。

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2008/02/09

『ベーコン』/井上荒野

408774891X ベーコン
井上 荒野
集英社  2007-10

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 この本を読んだのは失敗だった。つまらなかった訳じゃない。ただ、小説を読むことに疑問を抱いてしまったのだ。

 本著は、料理や食材をアイテムに据えた9つの短編集。タイトルが、そのアイテムとなる料理や食材になっている。僕にとっての「それ」は、3編目の『アイリッシュ・シチュー』でやってきた。

 東京郊外で夫・娘・息子・猫と暮らす私。ある日、大雪が降り、宅配が来ず、猫がいなくなり、猫を探し回り、夫に電話をするが邪険にされ、無言電話が度々なり、これまで足を踏み入れなかった子供部屋に入り、猫は見つからず、近所で住宅を販売をしている若い営業マンと目が合い、家に招き入れ、たったまま性交した。

 それだけだ。夫も娘も息子も猫でさえ名前が探しやすいのにとことん名前の探せない「私」は、没個性の象徴なのだろう。ありふれた日常でも、言い表しようのない不安に揺さぶられ、日常の裂け目にはまってしまうけれど、またいつもの日常に帰っていく。そんなことを、今更聞かされてもしょうがないのだ。
 日常に不安はつきものだ。殊更に日常の中の非日常性を拡大してみせるのは、日常で努力不足な人の当然の顛末に過ぎない。そんな人の不安を拾い上げてもらっても、心はぜんぜん揺さぶられない。小説は正しいことを歌う訳でも時代の新しい問題だけを拾いあげる訳でもない。けれど、焼き直しの現状維持が量産されるのにはもううんざりなのだ。

 これではケータイ小説が流行るわけだ。僕は、これからいったい何のために読書をすればいいのだろうか?

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2008/01/27

『おめでとう』/川上弘美

4101292329 おめでとう (新潮文庫)
川上 弘美
新潮社  2003-06

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 恋のせつない気持ちがテーマの12の短編集。

 僕はどちらかというと人付き合いが苦手なほうで、だからといって人が嫌いという訳でもなく、人と交流したいけれども面倒と思う気持ちもあれば、交流自体が上手くできなくて苦手というところもある、矛盾だらけで勝手極まりない性格なんだけど、本著のような作品を読むと、世の中ではほんとにたやすく人と人とが触れ合っているもんなんだなあと軽く絶望してしまう。ちょっとしたきっかけで言葉を交わすなんて、僕は同じ会社の中でさえ、同じマンションでさえなかなか大変だというのに。それでいったい何故かと考えると、僕は世間話が大の苦手なのだ。どうでもいいことを話すことが苦手なのだ。目的があったり、有益な情報があったり、オチがあったりしないと上手く話せない。
 人と人との交流はたくさんあったほうがいい。だからそんなふうになりたいと思いつつそうなれないで来てしまったのは、結局待ってるだけで自分から話せないからだ。よりいっそう絶望的になるけれど、この期に及んで腹をくくることができたのは感謝だ。だから、『ぽたん』と『天上台風』が好きだ。

 そんなに人は正しく強くいなければならないのだろうか?と疑問が沸いてくる。正しくなかったり、強くなかったりすると、もちろんその結果たいへんな苦難を背負うことが多いには違いないけれど、そもそもどうやったって正しくも強くもなりきれない部分が残るのが人間で、自分が絶対正しいということも強いということもないのだ、とわかって努力をするのとしないのとではずいぶん感じられるところが変わってくるように思うし、年を取るごとに確信に変わってきている。

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2008/01/06

『カカオ80%の夏』/永井するみ

4652086040 カカオ80%の夏 (ミステリーYA!)
永井 するみ
理論社  2007-04

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 『ランチタイム・ブルー』を読んでおもしろかったので、永井するみの他の作品も読んでみようと思ったのには違いないんですが、「なんでこの作品を選択したんだろう?」と自分で疑問に思うくらい、この本は自分の趣味ではない(図書館でネット予約してあって、半年経って順番が回ってきた)。女子高生凪の友達雪絵が、自宅に「合宿のようなものに一週間くらい出るので心配しないでください」と書置きして姿を消してしまう。家出する気配も理由もまったく感じなかった友人なので、気になって凪は雪絵を探し始める…

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2008/01/02

『東京・地震・たんぽぽ』/豊島ミホ

4087753832 東京・地震・たんぽぽ
豊島 ミホ
集英社  2007-08

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 『檸檬のころ』より断然こちらがおもしろかったです。『檸檬のころ』はああいう空気というか雰囲気というかに共感できる経験がないとおもしろさ半減だとわかってるんですが、こちらは構成が抜群に練られてて面白いです。地震の混乱の中亡くなってしまうあきと純一の姉弟、子供と一緒に巻き込まれてしまう、育児に疲れ果てていた(でもブログは外面保ってマメに更新する)舞とその夫で仕事のできる(でも舞に困窮しきっている)康隆、その他いろんな立場の人々が大地震に遭って考えること・起きることが生生しく描かれます。
 地震の描写はそんなに多くないけれど、その瞬間その瞬間で人が何を思うのか?というところが丁寧に書かれていて一気に読んでしまいます。実際に阪神大震災やその他大地震に被災した方がどんなふうに読むのか感想を一度聞いてみたいです。

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『箱』ジ・アービンガー・インスティチュート

4890361383 箱―Getting Out Of The Box
ジ・アービンガー・インスティチュート The Arbinger Institute 冨永 星
文春ネスコ  2001-10

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 『”やぎっちょ”のベストブックde幸せ読書!!』さんで知った本です。「自己欺瞞」との向き合い方がテーマの本で、人にオススメできる良書だと思います。

 唯一心配な点をあげるとすれば、どちらかというと善良な人で行き詰っている人がこれを読むと、更に追い込まれるのではないかという点。そういう意味ではこれは「基本的に人はみんな悪いもんだ」という西欧的な人間観がベースにあってそれがほぼ通用するような社会で有効なのかも知れません。
 なので逆に言うと、日本的と言われる「思いやり」も、実は日本にしかないものではなく、世界中どこにでも存在できる可能性があると言えるし、日本では教育の一環として(これまでは)身につけられていたものが、アメリカではこんなふうに「自己欺瞞」を用いて解明し納得させてていかないと身につかないということもできる。いずれにしても「これは日本独自」「これはアメリカ独自」と決め付けず、良い点をどのように取り込んでいくかという視点が大切。

  • 騙す相手にはどう対処するか?→社内にも騙そうとしてくる相手はいる
  • ファンドと経営者の違い(もしくは同一性)
  • ”リソース”という考え方→自分が何が出来るか?
  • ”正しくない”相手に対する対処法

p30「ゼンメルヴァイス」
p31「我々が『人間関係の問題と呼んでいる、・・・これらを引き起こしているのは、たった一つの原因なんだ。」
p55「一番目の場合には、人は自分を他の人々に囲まれた一個人だと感じているのに対し、二番目の場合には、物に囲まれた一個人だと感じている。」
p58「トム、君と会ったときの相手の気持ちを想像してみてくれないか。」
p63「少なくともわたしの場合、相手の名前に関心がないということは、一人の人間として相手に関心がないということだ。」
p82「ローラ、どうしてそうなんでもかんでも、ややこしくしてしまうんだ。ただ、どうしてるかなと思って電話しただけなのに」
p100「これらはすべて自分への裏切りなの。人のために何かをすべきだと思いながら、それをしない」
p111「妻にはそういう欠点があったにも関わらず、わたしは起きて妻に力を貸してあげなくてはと感じていた。自分の感情に背くまで、妻の欠点はわたしが手を貸さない理由にはなっていなかったんだ。」
p134「自分が自己正当化イメージを持ち歩いているんじゃないかと疑ってみるのも無駄ではないと思う」
p137「そうなんだよ。自分は何でも知っているという自己正当化イメージを持っている場合、その人は、ほんとうにいろいろなことを知りたいと思っているんだろうか」
p151「その通り。こういったのよ。『あら、ぎりぎりだったわね』わかる?息子が責任ある行動をとっても、そのことを認めてあげられなかったっていうわけ」
p152「息子さんを責めている自分を正当化するには、相手が責めるに足る人間でなくてはなりません」
p164「箱の中に入っていると、どうしても自分に気持ちが向いてしまって、結果に集中しきれなくなるんです」
p191「この会社の社員は無能だという確信をいっそう深め、さらに細かく支持を与え、たくさんの方針や手順を作り上げていった。」
p206「だからなんだよ、技術分野以外で技能研修をやってもちっとも効果があがらないのは。さまざまなテクニックがいくら有益なものでも、箱の中で使っている限り、役には立たない。それどころか、相手を責めるさらに巧妙な手口になってしまうんだ。」
p220「箱の外に出た形での人間関係が一つでもあれば、いろいろなことができる」
p237「相手を責めることで、相手はよくなったかな?」

知っておくべきこと
・自分への裏切りは、自己欺瞞へ、さらには箱へとつながっていく。
・箱の中にいると、業績に気持ちを集中することができなくなる。
・自分が人にどのような影響を及ぼすか、成功できるかどうかは、すべて箱の外に出ているか否かにかかっている。
・他の人々に抵抗するのをやめたとき、箱の外に出ることができる。

知ったことに即して生きること
・完璧であろうと思うな。よりよりなろうと思え。
・すでにそのことを知っている人以外には、箱などの言葉を使うな。自分自身の生活にこの原則を活かせ。
・他の人々の箱を見つけようとするのではなく、自分の箱を探せ。
・箱の中に入っているといって他人を責めるな。自分自身が箱の外に留まるようにしろ。
・自分が箱の中にいることがわかっても、あきらめるな。努力を続けろ。
・自分が箱の中にいた場合、箱の中にいたということを否定するな。謝ったうえでで、さらに前に進め。これから先、もっと他の人の役に立つよう努力しろ。
・他の人が間違ったことをしているという点に注目するのではなく、どのような正しいことをすればその人に手を貸せるかを考えろ。
・他の人々が手を貸してくれるかどうか気に病むのはやめろ。自分が他の人に力を貸せているかどうかに気を配れ。

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2007/12/09

『初恋温泉』/吉田修一

4087748154 初恋温泉
吉田 修一
集英社  2006-06

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 温泉を舞台にした5編の短編集。離婚が決まっている夫婦、結婚間もない夫婦、ダブル不倫の夫婦、夫が保険外交員の夫婦、そして高校生カップル。どれも「余韻」を漂わせる良品。

 『悪人』を読んだ次なので、情感の淡さが物足りなさと感じそうなところはあったけれど、もともと吉田修一の作品のどういうところが好きかというと、淡々としていて静かで取り分け特別な出来事を持ってきてる訳でもないのに、日々生まれる感情をくっきり表すところなので、この『初恋温泉』は読んでいておもしろかったです。不思議なことに、どんな話かひとつずつ思い出していって、最後にひとつ思い出せなかったのは、5編のなかで…

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2007/12/08

『パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義』/中島 岳志

4560031665 パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義
中島 岳志
白水社  2007-07

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 東京裁判で多数意見に全面的に反対する個別意見書を出したパール判事の思想・生涯。

  • パール判事の意見は明瞭で、「日本の指導者たちは過ちを犯したが、検察が主張した”共同謀議”は存在せず、「平和に対する罪」「人道に対する罪」という事後法的性格の犯罪認定は不当である」というもの。また、日本の行った戦争が侵略戦争であるなら、植民地を持つ連合国の侵略は罪にあたらないのか、また、戦勝国の都合で侵略や「平和に対する罪」「人道に対する罪」を認定するのは不当である、というもの。
  • 絶対に誤解してはならないのは、パール判事は日本に罪はないとしているのではない点。「法の秩序」の原則に忠実であるのであり、日本の戦争行為は許されるものではないとしている。
  • 田中正明の引用には誤用・問題が多い。
  • 「プライド-運命の瞬間」の製作者は愚の骨頂である。
  • パール判事の意見はまったく持って非の打ち所のない筋論と思えるが、なぜこの筋論が通らないのかが大事だと思う。そして、本書はその点には踏み込まない。パール判事は繰り返し、ことあるごとに筋論を勇気を持って展開し、そのたびに圧倒的な支持を得ていたが、なぜそれが浸透していかないのか?そこを追求したい。
  • パール判事はガンディー主義を貫いていたとあるが、ちょうどNHK特集の”民主主義”で、ガンジーの塩の行進のルートを辿るドキュメンタリーを観たところだった。そのなかでは、現在は登場するインド人は誰もガンディーの精神を重んじていなかった。この点も気にかかる。

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2007/11/25

『改革断行 三重県知事北川正恭の挑戦』/ばばこういち

4883770893 改革断行―三重県知事北川正恭の挑戦
ばば こういち
ゼスト  1999-10

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 一般的に不可能のように思われる、事務事業評価表やマトリックス予算作成を実現できたのかを知るため読む。自分は勉強不足でまだスタートラインにも立てていないと反省。何度も繰り返してきているが、日々の業務に終われているだけでは何も成し遂げられない。

p13 「もう一つはNPOと接触する行政側の発言や言動が、組織によって裏打ちされているかどうかということ。」 …これは民間企業でも言える。窓口だけが熱心でも、組織の裏打ちがない活動は長続きしない。組織の管理側がそれを理解しているかどうかが重要。理解せず窓口に実行を強要するだけの管理者の組織は非効率になる。
p22 「かつて聖戦のために戦って死ねと私の先輩たちを戦場に送っていた母校の中学教師たちは、敗戦を辞することなく教科書に墨を塗らせ、日本は間違った戦争をした、君達はこれから民主主義を学ぶのだと私たち生徒に平然と教えた。」
p36 「知事が直接説得するだけでなく、客観的な外部の人々を通じて時代を感じさせようとしたのである。」
p40 「北川は行政のやる事業に何故評価がないのかとかねてから疑問に感じていた。」
p49 「県庁改革を旗印に当選した新しい知事としては、世論に迎合しても直ちに謝罪や処罰を発表するのが普通だと思われていたのに、北川は調べるからそれまで待ってくれと外部に言い続けた。」 …リーダーシップ手法取得の必要性。付き合いの長さだけで解決する問題ではない。
p83 「財政運営の基本は、将来に渡って財政が機動的、弾力的に対応できるように歳出構造の硬直化を回避することである」
p99 「その圧力がどれほどのものであったか北川は語らぬが、想像以上のものであったろう。」
p100 「期首に予算が決まって実施に入った後、担当部局の努力によって一億円の予算が八千万で実現された場合には、残りの二千万円の内半分は財務に戻すが、残りの半分の一千万円は担当部局への褒賞金として翌年その部局が自由に自分たちのやりたい事業に使えるようにした。」…最初から過大な予算を要求したりする危険はなかったのだろうか?
p103 「東京都知事になった石原さんは内部のことは知らないと思う。外部のコンサルタントを引っ張って来るだけでは内部の情報が掴めないから、改革に手をつけることは難しいと思う。」
p106 「ソ連参戦の噂をキャッチするや満鉄最後の特別列車を仕立て、軍人の家族だけは真っ先に逃がしてしまう姿を、章子は目の当たりにしたのである」
p108 「母親のこのくだりを読む度に北川は涙する」…言えない人の心情を忖度することも忘れてはならない
p124 「情報公開法成立の原動力になったのは、一つには世界の潮流であり、もう一つは全国各地のNPOから情報開示の強い要求を受けて、地方自治体が情報公開条例を相次いで制定したことが国へのプレッシャーになった。」
p132 「Y県の衛生部は県民の生命や健康を守る立場ではなく一貫して建て売り業者の利益代弁者のような姿勢であった」
p139 「政治記者でもない一評論家が足で調べた公開のデータから構造汚職の実態を明らかにした立花の著書は、権力とマスコミの癒着やクラブ記者たちの怠惰ぶりを示す象徴的な出来事であった」
p158 「出来る限り正確な財務状況を知るには発生主義会計が望ましいとは言われていたが、どこも手をつけようとはしていなかった。」
p165 「ニュー・ウイック議員フォーラム」
p190 「党内力学を顧慮する代表の菅直人は翻意せず」

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2007/11/18

『高校生のための論理思考トレーニング』/横山雅彦

4480063056 高校生のための論理思考トレーニング (ちくま新書)
横山 雅彦
筑摩書房  2006-06

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p100 論証責任の発生 ①相対的な形容詞②助動詞③Iを主語とする「主観」を表す動詞

p117 クレーム=論証責任、データ=事実、ワラント=データを挙げる根拠

データ:関西の西武の試合はたいてい観にいく。
ワラント:ファンだからこそ、観にいく。
クレーム:僕は西武ファンだ。

議論にはテクニックがある
”無数に存在する事実の中から、なぜわざわざ「イチローが見た」という事実を取り上げるのか-その「根拠」を述べるのがワラントである”

リサーチの方法を学ぶ必要がある

p133 ピューリタン

p142 反対の方法
①反駁(リバタル)…データ・ワラントの矛盾・虚偽を指摘する
②質疑…データ・ワラントに論証責任を求める
③反論(カウンターアーギュメント)…そうは思わないという三角ロジックを立てる

p21 「だってそう思うから」を英語でどう言えばいいかだった
p25 ゲティスバーグの演説-19世紀半ば、南北戦争でリンカーンが行った
p25 「私には夢がある」-20世紀半ば、黒人公民権運動を率い、黒人の自由の象徴ともなったマーティン・ルーサー・キング牧師
p35 日本語を文章化する前に、いったんアルファベットに置き換えているわけで、その思考が英語化するのは当然
p40 国語学者の山口明穂氏
p42 モノセイズム(monotheism)
p53 ロゴスにロゴスを重ね、言挙げに言挙げを重ねた上で言葉を超えていく、いわば弁証法
p60 命題知(コード) 実践知(モード)
p92 take and takeという理念不在、責任不在のきわめていびつな民主主義
p123 ロジャー・フィッシャー yes-able proposition

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2007/11/07

『放浪の天才数学者エルデシュ』/ポール ホフマン

4794209509 放浪の天才数学者エルデシュ
ポール ホフマン Paul Hoffman 平石 律子
草思社  2000-03

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 掛け値なしに面白い!!もちろんフェルマーの最終定理とかモンティ・ホール・ジレンマとか、数学の不思議な面白さがたくさん詰まってて、それらもけして難しいことを理解できなければ面白さがわからないような書き方じゃなく(取り上げられている題材のうちのいくつかは、実際に難しくてよく読まないと理解できないものもある)、けして端折ったり要約したりはしてないんだけどちゃんと分かり易く平易に書いてくれていて、数学を専門にやったことがなくてもその面白さに興奮できる。更に、エルデシュという、魅力溢れる天才数学家の行動や人となりがダイレクトに伝わってくる筆致で感動してしまう。おそらく、人生で読んだ伝記物のNo.1になるんじゃないかと思います。読んだ本としても五本の指に入ります。…

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2007/10/07

『カラ売り屋』/黒木亮

4062820374 カラ売り屋
黒木 亮
講談社  2007-02-21

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 「カラ売り」というと、もうそれだけで「株の売買操作だけで楽して儲けるけしからんヤツ」みたいなイメージが浮かんできてしまって、『カラ売り屋』というタイトルからは、そういうけしからんヤツが暗躍する、ダークであるがゆえにちょっと胸躍るカンジのストーリーか、はたまたそういうけしからんヤツが最後に人情に絆されて更正する、みたいな感動ストーリーか、と予想するんだけどそのどっちでもない。
 カラ売り屋は株が下がらないと儲からない訳だから、…

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2007/08/15

『17歳のための世界と日本の見方』/松岡正剛

4393332652 17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義
松岡 正剛
春秋社  2006-12

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 著者が帝塚山学院大学で1998年から2004年までの6年間に行った「人間と文化」講義の内容を収めた一冊。文明と文化の歴史の知識がぜんぜんないことを反省していたので、まず基礎固めのつもりで読みました。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教・道教の成り立ちや特色を軸に、「洋の東西」の生命観・自然観の手ほどきを受けることができます。また、「関係を見出すこと=編集」という著者の視点を取り込むことが出来、思索の手段を自分の中に増やすことができ、知識と方法の両方を学ぶことのできる良書だと思います。

p19「エドワード・ホール 『隠れた次元』 プロクセミックス」
p32「ひとつには関係性を察知するための「軟らかいセンサー」を失っているからかもしれません。」
p35「言葉を使えばいつもちゃんとコミュニケーションができると思いすぎることは、じつはたいへん危険なことです。」
p46「「ゼア」の交信を「ヒア」にしすぎると、とんでもないことが犯されることだってありうるんです。」
p71「ジョセフ・キャンベルというアメリカの神話学者」
p79「ある意味で、人間の欲望や煩悩が、それまでとはちがう現実味をもって人間社会をおびやかしはじめ、それが臨海値に達してきていた。そこで、それをコントロールしていく新しい技術や方法が求められていたのかもしれません。」←紀元前6世紀~5世紀 ゾロアスター・老子・孔子・ブッダ・ピタゴラス
p82「このように、光と闇で世界を分けるような見方を二分法」←ゾロアスター(ツァラトゥストラ)
p88「バール信仰」
p98「苦しみを知るだけの修行をしていては足りない。人間には、苦しみの次に解放がなければいけないのだ」ブッダ
p100「こういう方法的なめざめを、「縁起」といいます。」←ブッダの悟り 一切皆苦 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静
p141「最初の十人をまず作るべきなんです。そしてそのコア・メンバーとともに五年を集中するべきです。」
p112「道教」
p166「回心(コンヴァージョン)
p210「ツクヨミ 『ルナティックス』(作品社・中央公庫)
p223「唯仏是真・世間虚仮」聖徳太子
p238「東には薬師如来のいる瑠璃光浄土、西には阿弥陀如来のいる極楽浄土、北には弥勒菩薩の管理する浄土、南には釈迦如来の浄土が想定されていた。」
p244「ところが西行は、この歌枕を実際に歩いてまわったわけです。」
p255「そこで武士たちは、まあ、自分自身が浄土になっていくということをした。」
p262「神仏習合が進んでいって、神社で女性の穢れを不浄とする見方がまちがって仏教側に拡大解釈されたのでしょう。神社での穢れは一時的なものなのに、仏教ではそれが全面化してしまった。」
p269「冷えさび すさび」
p273「そこに水の流れや大きな世界を観じていこうというものですね。こういう見方を禅の言葉で「止観」といいます。」
p275「何もないにもかかわらず、わざわざ「花ももみじもない」と言ってみせることで、それを聞いた人の頭の中には、満開の桜や紅葉の盛りが浮かんできてしまうという、おそるべき歌です。」
p279「花伝書」
p300「グーテンベルクの活版印刷以降、だんだん黙って本を読むようになったんです。つまり黙読が始まった。」「梵我一如」
p322「侘び茶」「やつし」


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2007/07/22

『「コンサルティング・ファーム」の仕事』

4478311579 「コンサルティング・ファーム」の仕事
週刊ダイヤモンド編集部 ダイヤモンドハーバードビジネス編集部
ダイヤモンド社  1998-02

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 1998年の出版だが、現在のコンサルティングビジネスを理解する上でも歴史を知る上でも非常に有益だった。

p26「日本人はまず失敗を考える傾向を持つ」
p123「いまだに社内をインタビューして回って、それをまとめてトップにプレゼンするなんてことが起こる。そうするとどうなるか。トップに「なんだこれは。こんなことならわかっているよ」って言われてしまう。」
p126「最初からコンサルタントに憧れるということは、何か泥臭いことをやりたくないといった感情的な背景があるんじゃないですかね。」
p134「もちろん売り文句は「完全テーラーメイド」でした。」

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