2012/05/05

『反哲学入門』/木田元

4101320810 反哲学入門 (新潮文庫)
木田 元
新潮社  2010-05-28

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解説で三浦雅士氏が「若い時期にこの本に出会える人がまったく羨ましい限りです」と書いているが本当に心底そう思う。「哲学」という「ものの考え方」がどんな道のりを歩んできたのか、その要諦を余さず教わることができる凄い一冊だと思います。それだけではなく、これまで日本で流布してきた哲学にまつわる様々な言葉や解釈の誤りを、鮮やかな切り口で正してくれるので、僕のように趣味で哲学書を読んで理解を深めようとしている人にとっても必読だと思います。

「反哲学」というのは、「哲学なんかクソくらえだ!」というスタンスを指しているのではなく、「それまで哲学と呼ばれていたものに対して、それを根底から転覆する」ことを企てている哲学、という意味で、具体的にはニーチェ以前と以後は、同じ「哲学」と呼びならわすのはおかしい、ニーチェ以降は「反哲学」だ、ということで、その説明が非常に理解しやすい。それと共に、これまで読んできた哲学書の言葉の難解さ具合とか、「なんで”脱”構築なんだ?」とか、そういうところがみな理解できるよう、用語のレベルは落とさずに、分かりやすく解説してくれてます。

哲学というのは非常に馴染みが悪いですし、直接的に何かの役に立つようなものでは決してないし、生半可にかじられて「あの高名なナントカがこんなふうに言っているのだ」的に使われることほど害悪なことはないのだけれど、ニーチェが最終的に「美」をもち出しているところだとか、哲学ということは経済に限らず芸術の領域だったり、実は生活全般に深く浸透してくる「考え方」なので、少しでも触れておくことは悪くないと思います。

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2012/04/22

『サウスポイント』/よしもとばなな

4122054621 サウスポイント (中公文庫)
よしもと ばなな
中央公論新社  2011-04-23

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過ぎたるはなお及ばざるが如し。なぜかわからないけど、そんなことを読後、思った。

あと、幸彦さんが実は珠彦だった、じゃなくて、幸彦のままでどんな展開になったか読みたかったなあ、というのはちょっと低俗な趣味かな。

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『偶然とは何か-北欧神話で読む現代数学理論全6章』/イーヴァル エクランド

4422400193 偶然とは何か―北欧神話で読む現代数学理論全6章
イーヴァル エクランド Ivar Ekeland
創元社  2006-02

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「圧縮不可能でなければならない」と、原子力発電所の炉心融解のリスクと、ビッグ・データ。IT業界の今と密接に関連する事柄を知れる好著だった。もちろん、タイトル通り、「偶然とは何か」という問いを、数学的な切り口と、哲学的な切り口で迫ってくれるおもしろさにも満ちている。

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2012/03/21

『バートルビー/ベニト・セレノ』/ハーマン・メルヴィル

4990481127 バートルビー/ベニト・セレノ
ハーマン・メルヴィル 留守晴夫
圭書房  2011-01-10

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 「その気になる」「ならない」ということと、「そうしない気になる」というのは全く異なること。「その気にならない」というのはただの否定だけど、「そうしない気になる」というのは否定の肯定だ。この「そうしない気になる」ということに、いろんな哲学者が可能性を見出したらしい。それを眺めているだけで興味津々。

 「代書人」という職業も気になる。郵便配達人にしても、代書人にしても、ある意味、国家から仕事を貰う立場のように思う(今の日本は郵政は民営化されているけど)。そういう、国家から与えられる仕事には、嫌気が指すということなんだろうか?それはともかく、どちらも言葉を扱う仕事であるところが奥深い。

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2012/03/20

『春を恨んだりはしない-震災をめぐって考えたこと』/池澤夏樹

4120042618 春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
池澤 夏樹 鷲尾 和彦
中央公論新社  2011-09-08

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 池澤夏樹氏も理系の学問(物理学)を修めていたということを初めて知った。優れた文学者の多くが理系にも関わっている気がする。「移ろうものを扱うのなら文学」と本著にあるけれど、移ろうものを文学で扱うために、前提として静的な分析をするための姿勢・方法論として、理系の思考回路が必要ということのような気がする。

 組織機能について記載されているところがむず痒かった。確かにゆるい結びつきのネットワーク型組織が、非常事態で有効に機能することはわかる。けれど、これにもデメリットがあるからピラミッド型を志向する訳で、それがなんなのかは明確に言葉にしないといけないなと思った。

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2012/03/18

『乳と卵』/川上未映子

4163270108 乳と卵
川上 未映子
文藝春秋  2008-02-22

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 豊胸手術をもくろむ母・緑子と、自分の性を受け入れられない娘・緑子。緑子は言葉を話さず、日記には精子と卵子と乳。世の中の辛いこと悲しいことは生まれてくるからだから、自分は子どもは絶対産まない。お母さんは私を産んだから大変でも当然だと思ったけれどそんなお母さんも自分で生まれた訳じゃないんだからそれもお母さんのせいではないというところまで突き詰める緑子。そんな緑子は声を発さず筆談し、言葉で表せない言葉はないのか、言葉を言葉で表すと一周するんじゃないのかと電子辞書を繰る…。

 生命の輪廻と言葉の輪廻。ほんとのことはどこかにあるのかないのか。そんな根源的な話題をぎっしり詰め込みながら、母と娘が遂にぶつかり合うクライマックスでお互いではなく自分にぶつけあうのは生卵。もう徹底していて清々しい!

 この事の重大さは、「ほんとのとこ」は女性でないとわからないのだろうなと思ってはいますが、それを見透かしてか「言葉」という要素を哲学的に入れ込んでいるあたりがあざといくらい見事で、最後まで面白かったです。

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2012/03/10

『Sunny』/松本大洋

4091885578 Sunny 第1集 (IKKI COMIX)
松本 大洋
小学館  2011-08-30

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 松本大洋の作品について感想を書くのはとてもとても難しい。僕は松本大洋作品は大好きで、『ピンポン』も『鉄コン筋クリート』ももちろん大好きで、松本大洋作品のこの「ベタ」な感覚が大好きなんだけど、世間で松本大洋作品が人気があり好きだという人が多いのが、この「ベタ」な感覚のところなのかそうじゃないのか、そこがどうもよく分からないからです。僕にとっては松本大洋作品はかなり「どストレート」なシナリオで、初めて触れたときから、こういう率直に人の魂を揺さぶるようなストーリーが、そんなに世間で受けるもんなのか、どうにも腑に落ちなかったからです。これはやっぱり、高校生という青春時代をバブル期に過ごし、大学生になった途端バブルが弾けたこの世代独特の「捻くれた」感覚なのかなと思います。

 だから、アツく語れと言われればいくらでもアツく語れるくらい、松本大洋作品は大好きで、この『サニー』も、手にして帰った電車の中で一気に読んでしまったくらいです。作者の来歴は何も知らなかったのですが、ウェブの記事を読んで、作者自身も、この『サニー』が取り上げている「施設」で過ごした経験があると知って、やっぱりそういう体験がないとここまで鮮やかに描けないよな、と納得しました。「施設」で過ごす子どもたちの日々を描いた作品というものは、漫画だけでなく小説やTVドラマや映画やとたくさんありますが、そういういろんな形態で展開されてきた「施設物語」のパターンがすべて投げ込まれ反復されているだけのようで、全然違ったものとして胸に迫ってくるのはやっぱり松本大洋という作家の画風と演出の力だと思います。少し何かを振り返ってみたい気持ちのときに読んでみると、自分にはそういう過酷な経験がないと思っていても、何かシンクロするものがきっとあると思います。それは、松本大洋自身がウェブの記事で語ってましたが、施設の経験がない人間が、施設を過酷と思ってても、そこで過ごしている子どもたちは「意外としたたかにやっている」からかも、知れません。

感想もう一つ。http://tatsumi.posterous.com/sunny

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2012/02/26

『小さなチーム、大きな仕事 完全版』/ジェイソン・フリード デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン

415209267X 小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則
ジェイソン・フリード デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン 黒沢 健二
早川書房  2012-01-11


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  「完全版」の出版予定があるのを知って、知ったその日にamazonで予約をして、読める日を心待ちにしてた。昨日、やっと読めた。これは素晴らしい本だ。掛け値なしに素晴らしい。実行するのがとんでもなく難しいことは何も書かれていない。インターネットが「普通の」存在になったことで、小さなチームで大きな仕事がほんとうにできるようになったんだということに納得できる内容で、それはテクノロジーに精通していなければいけないということではなく、普段の仕事の進め方如何だということを分からせてくれる。例えばこの一文:

「仕事依存症患者は、ほどよい時間しか働いていないという理由で、遅くまで居残らない人たちを能力に欠けているとみなす。これは罪悪感と士気の低下 をはびこらせる。さらには実際には生産的でないのに、義務感から遅くまで居残るような「座っていればいい」というメンダリティを生み出してしまう」

 まるで日本の悪しき習慣について書かれているようだが、本著は紛れもなくアメリカで書かれたものだ。こういうことは、日本だけで起きてるのではなくて、世界のどこでも起きるのだ。合理主義が徹底されていると言われ、能力主義で給料が決まると言われ、残業なんか誰がするのかと言われているようなアメリカですら、起きるのだ。

 そしてこうしたことは、外資系でも起きている。僕たち日本社会において生産性向上の足を引っ張っているのは実は「和」の精神だ。これは何も、小異を、マイノリティを切り捨てろ、と言っているのではない。いちいち仲の良さを確認しなければ仕事ができないメンタリティの問題なのだ。

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2012/02/12

『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』/西岡常一

4532194644 宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み (日経ビジネス人文庫 オレンジ に 2-1)
西岡 常一
日本経済新聞出版社  2008-09

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 率直に言って、この本からは仕事に関わるほぼ「すべて」のことを感じることができる。「書かれている」のではなくて、読み手が西岡氏の言葉から、ほぼ「すべて」を感じることができるのだ。外資系に勤める僕が長らく思い悩んできた「収益と社会への貢献」という問題も、軽々とその問題の考え方が伝わってくる。職人というからには丁寧に仕事をしろということかと思えば、「拙速を尊ぶという言葉がある」と、ザッカーバーグ顔負け(Done is better than perfect)の説教をしているし、宮大工としての正論を叫んでいるのかと思えば「施主には勝てない」という現実感あふれる性がある。
 「仕事」に関して、その意義に思い悩むことは決して無駄なことだとは言わない。けれど、その思い悩みが必要なステージと不必要なステージは、人それぞれに存在する。今の僕には「仕事」についての思い悩みはもはや存在しない。大切なのはまず魂だ。西岡氏もいうように、知識は必要不可欠なものだし、スキルも絶対必要なものだし、現代で言えば資格のようなものも必要だしそれを取得していることは認められるべき。ただ、それもこれもみな、まっとうな「魂」があって初めて輝くものだ。魂もないのに、美辞麗句を並べられるような、誰にも嫌われないような言葉をうまく並べられるような、口のうまい奴にロクなヤツはいないし、そういう奴に流されるようなヤツにも要はなくなった。必要なのはまず魂だ。この精神を汚す人とは付き合わない。

 口のうまいヤツと、しりあいの多いヤツは信用してはいけない。これは、富本憲吉も、志賀直哉も、そして五味さんも教えてくれたことだ。

 そして、頑固であることを回避する必要はないと教えられた。もちろん、その道は非常に険しいが、折れることが頑固を回避していることにはならないことも教えられた。

 何が現代日本を堕落させたのか?そういうと、誰もが、多数決による「数」の暴力、大量生産主義、迎合主義、そういうものを上げるというのに、いまだにただ徒に「つながる」ことへの礼賛はやまない。よく考えないままつながることが、自分の意志の一票を投じることが、他ならぬ身近な誰かを苦しめ、その生活を困難なものにしているかも知れないという想像力が、相変わらず欠如している、そんな人たちとは関わらない。それが進むべき道だと、西岡氏は教えてくれた。

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2012/01/31

『経営の教科書-社長が押さえておくべき30の基礎科目』/新将命

4478002258 経営の教科書―社長が押さえておくべき30の基礎科目
新 将命
ダイヤモンド社  2009-12-11

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 私は社長ではないけれど、経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思い書店に向かったら、本著と、小宮一慶氏の『社長の教科書』が並んでいた。手に取って内容を少し読んでみたところ、『社長の教科書』は箇条書き的にフレーズとその解説文が並び読みやすそうだったのだけど、『経営の教科書』の文章の力に引き寄せられてこちらを選んだ。本著のいちばんの魅力は外連味の無さだと思う。現実性・納得性と普遍性の両立を心がけたと後書にあるが、その通りに伝わってくる。

 誰もが誰も、経営者的になる必要はないと思う。経営者と社員の役割分担はある。だからこそ私は経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思った。書かれていることは8割が当たり前のことだけれども、その当たり前のことを得心させてくれる素晴らしい書物だと思う。

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2011/12/31

『あたまの底のさびしい歌』/宮沢賢治・川原真由美

488008347X あたまの底のさびしい歌
宮沢 賢治 川原 真由美
港の人  2005-12-01

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 自分の死後、手紙というものが公にされるのって、どんな気持ちなんだろうか?と少し胸が苦しくなる。自分だったら相当厭なことだなあと思うけれど、本著は敬愛する宮沢賢治の、作品から知る人物像ではない、作品を作らんとする人間である宮沢賢治を知れて、作家とは作品だけで向き合うのがよいのか、作家という人間全体を知ろうと様々な資料に当たるほうがよいのか、考えは巡る。けれどとにかく、この本を手にしたことは最高によいアクションだったと思う。

 幾つかの手紙で、賢治は相反する概念を並列にする。「恋してもよいかも知れない。また悪いかもしれない。」「だまって殺されるなり生きているなりしよう。」「すべては善にあらず悪にあらず」等々。こういう賢治の言い回しでわかるのは、世の中のどんなことも一義的ではないと肝に銘じる賢治の意志の強さ。どう考えたってそれは善いことでしょう(または悪いことでしょう)という行為でも、それは悪いことだ(もしくは正義だ)と訴える、それも自分にとっての都合・利得で言うのではなくそう信じて訴える人がいて然るべきなのだということを、賢治は強く肝に銘じようと努めていたのだと思う。もしくは、善とか悪とかを決めるのは、自分でもなければ誰か別の人でもない。そういう価値判断は、人間が下すべきものではない、と。
 そうやって、諸々様々の視点が入り乱れることを賢治は許容し、その結果当然に混濁させてしまうことになる世界の中で、「しっかりやりましょう。」とただひたすらに繰り返す手紙を賢治は書く。この「しっかりやりましょう」の反復に、僕は胸を打たれる。すべてを認めてしまったら、後は「しっかりやりましょう」とお互いに声を掛け合うのみなのだ。

 賢治が生きた時代は日本にも資本主義が定着していく明治後半~昭和初期なので、どれだけ賢治が崇高な理念を持っていてそれを語れたとしても、勤労に励むことが社会の通念に沿っている時代で、賢治自身も「働いていない自分、こんなんじゃダメだ」と苦悩したことが、手紙の端々から読み取れる。最近、仕事に関する書籍を二冊読み、その歴史、経済の仕組に応じたことが倫理観となって普及させられていくことを学んだところなので、その重さを痛感する。作家の側面を知るということの意義は、こういうことなのだと思う。

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『いま、働くということ』/橘木俊詔

4623061094 いま、働くということ
橘木 俊詔
ミネルヴァ書房  2011-09-01


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 先日、『日本人はどのように仕事をしてきたか』を読んだのですが、あちらが日本人の仕事の歴史を、戦中あたりから、主に経営における人事管理の視線を中心にまとまっていたのに対して、本著は正に「いま」、現代の仕事の捉え方・意義・価値観といったものを、古今東西の哲学、あるいは仕事に対置させうる「余暇」や「無職」の分析によってより深く理解する本です。この2冊を併せて読んだのはちょうど良かったと思います。どちらも非常に簡明な文章で、仕事を考えるための基礎知識を纏めて把握するのに役立ちます。

 印象に残ったこと、考える課題となったことを3点:

  • 「仏教的労働観」の「知識」の説明に感動。「知識」は「情報」ではないのだ。ソーシャルとかコラボレーションとかコワークとかなんだかんだいろいろな新しくて手垢のついていない呼び名で、その自分たちの活動の理想性を表して、他の何かと線を引こうと躍起になっている様をしょっちゅう目にするけれど、僕は今後、「知識」という言葉を自分の行動に活用していこうと思う。
  • 日本人はどのように仕事をしてきたか』でも学んだことで、「勤労」の価値観というのは、その時代の経済のカタチ(日本で言えば高度経済成長)に最も効果のある価値観だから、是とされただけで、普遍的根源的な価値がある訳ではない。資本主義の発展のために、キリスト教が有効に作用した歴史を認識する。同じように、今の日本では「やりたいことをやる」のがいちばんという価値観が広がりつつあるが、この価値観はどんな経済のカタチにとって都合がいいから広がっているのかを考えてみる。
  • 僕がフェミニズムをどうにも好きになれないのは、それが問題の原因を常に「外部」に求めるスタンスだからだ。

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2011/12/30

『これ、いなかからのお裾分けです。』/福田安武

4862020372 これ、いなかからのお裾分けです。
福田安武
南の風社  2010-07-07

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 僕は生粋のど田舎育ちなので、「いなか」を持ち上げる言葉とか話とかがどうも好きになれません。「田舎暮らし」とか、一生田舎で暮らすなんて子どもは絶対嫌がるよ。せめてときどき都会に出れる環境だから、田舎暮らしもいいかな、なんて言えるんだよ。自分の子どもの頃の感覚からそう思ってるんだけど、日本には僕が住んでたような、電車で1時間半で都会に出ようと思えば出れるような環境じゃない田舎もたくさんあって、そういう地域の子ども達は、都会に出たいとより強く思うのかそうじゃないのか、もちろん個人によりけりだろうけど、そういうことを思う。
 この『これ、いなかからのお裾分けです。』の著者は、生半可な田舎ファンじゃなくて、田舎に生まれ育ち田舎を心から愛している「田舎人」なので、その生き方にただただ感服してしまう。僕は田舎で育ったとは言え、引っ越してきたサラリーマン家庭なので、農業を体験する訳でもなく、著者のようなディープな田舎知識は身についてなくて、同じ田舎で生きてもこうも差のつくものなのかと、引いては日々の過ごし方が大きな差になるんだよなと、当たり前のことを改めて反省したり。そして著者が、漁師に憧れたり、漁師になるために大学を選んだり、そこで漁業の現実を知り将来に迷ったりする姿は、真摯過ぎて圧倒。ここまで筋を通して生きていくことはなかなかできない。田舎暮らしのディティールよりも、その筋の通し方に、誰しも感じるところの多い本だと思います。

 田舎で暮らしていくことは、都会で暮らしていくことに較べて、金銭的な豊かさはたいてい劣ることを覚悟しないといけない。「心から喜んでくれる人がいるから、お金儲けにならなくてもいいんだと言うおじいさん」の話が登場するが、これはとても象徴的だと思う、というのは、お金儲けにならなくても暮らしていける要求水準の「おじいさん」ならそういうスタンスで(理想の)生活をやっていけるかも知れないけど、これからいろいろな人生のイベントのある著者が、そういうスタンスで続けていけるのかどうか、そこを指し示すことこそが、現在ではこういう本には必要なことかな、と思う。「はじめてみよう」と誘い出す本はあまた溢れていて、そういうことを言う役割は、もう本では終わったのかな、と。

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2011/12/18

『レインツリーの国』/有川浩

4101276315 レインツリーの国 (新潮文庫)
有川 浩
新潮社  2009-06-27

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 この物語は、もちろん、聴覚障害者の苦しみと、若い頃の父親の喪失という苦しみについて、読み取る物語ではない。その苦しみの「理解できなさ」を読み取る物語でもない。人にはそれぞれ苦しみがあって、その苦しみは聴覚障害や父親の喪失のような特別・特殊なものでなくともその人にとっては苦しみであり、人には理解されることがないのが苦しみなのだ、と読み解くべき物語。教科書的には。それはわかるんだけど、僕は敢えて「聴覚障害者」の部分を、一般化せずにそのまま読みを深めようと思わされた。
 聾と中途失聴の違いは、第一言語が手話か日本語かという違いになる。そして、中途失聴者は、第一言語は日本語で、自分からの伝達は第一言語で行えるのに、自分が受け取る伝達が第一言語だと困難を伴う。この「言語」の分離は、手話のみとなる聾者よりも困難と言える側面があると思う。
 自分と相手は同じ言語を使っているはずなのに、相手の考えていることが完全には理解できない。これは、中途失聴者だけの苦しみではないかもしれない。もし、「相手の考えていることが完全には理解できない」という状況があったとすれば、それは、中途失聴者の状況と同じ状況に置かれていることになる。「同じ言語を使っているのに、相手の考えていることが完全には理解できない」という状況は、中途失聴者のケースを持ちだすことによって理解しやすくなるが、これは、僕たち誰にでも起こりうること、起こっていることだと思う。そして、その苦しみを誰にもわかってもらえないとぼやきがちになるが、それが中途失聴者に限らない以上、主客を入れ替えれば、僕が第一言語である日本語を使って行っている伝達行為が、相手にとってみれば、僕の考えていることが完全には理解できない、という状況に陥っている可能性だってもちろんある。つまり、「誰にもわかってもらえない」苦しみなんかじゃないのだ。この物語は、同じ言語を用いているのに違う発話になる、つまり、ラングとパロールの物語だったのだ。

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『どうでも良くないどうでもいいこと』/フラン・レボウィッツ

4794959788 どうでも良くないどうでもいいこと
フラン・レボウィッツ 小沢 瑞穂
晶文社  1983-03


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 例えて言うならマツコ・デラックスとかそういうこと?著者は皮肉多目のユーモアで人気を博したそうです。それにこのタイトルに期待大で読み始めてみたのですが、ちょっと日本人の我々が感じる「どうでも良くないどうでもいいこと」というのとずれてはいます。英語の原文で読めたら「ほほう」とニヤッとできるところが、もっと多いんだろうなあ~と思うのですが、残念ながら’10年代の日本に暮らしている僕は、’80年代のアメリカの、若干アイロニカルなノリは半分以下しかわかってないと思います。

 そんな中で胸に飛び込んでくる文章というのは、物凄い破壊力です。壮絶な破壊力だったポイントが3点あります。この3点に抉られた人には間違いなく「買い」の本です。

  1. p112「愛読書は「ザ・ホール・アース・カタログ」とかいうもので、着るものはこれを見て注文する」
  2. p183「近代社会の特徴として、一般市民は便利なシステムに頼りたがり、地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値を忘れる傾向がある」
  3. p200「貧乏人に税金を課すのだ。それも重税を。金持ちのテーブルからのおこぼれを与える考え方が間違っている」

 1.は「世界市民」とか「地球人(アースマン)」とかを自称する胡散臭さに唾棄してる章の一節で、この文章の前は、「地球人(アースマン)は友情のしるしと称する青い葉のある野菜を食することで知られる。熱心に食べるのみで食物連鎖についてあまり考えず、再生説を信じる。」とある。僕は何にせよ、「センスがある」と自他共に認められているそうな人達の、自他共に認められていることのためのシンボル、アイコン、免罪符、あるいはバイブルとしての存在が何かにつけて嫌いで、『ザ・ホール・アース・カタログ』はよくは知らないものの、初めて耳にしたときから嫌いの最右翼だった。それを口にする人たちの、その盲目的な感じが何につけ怖いのだ。なぜ、みんな怖くないのかが分からなくて、怖いのだ。

 2.は、’80年代のアメリカで、こういうことが書かれていたことにちょっと感動。「地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値」って何だ?この30年間、「それってなんだかんだ言って結局カネで表さないと意味ないだろう?」というところで諦めて手を打って突き進んできたんだと思う。確かに、生活するに不足のないカネを得られなければ、その地道で苦しい労力を続けることはできないし、単に「喜びや価値」で食っていけはしない。その最低限の循環をどうやって作るか?を考え始めているところ。蛇足だけれど、こういうことを言っている著者も、結局のところは「企業初期にひたすら低コストで蓄財し、損益分岐点を越えるところで大きく越えることで一気に安定軌道に乗せる」という、古典的な資本主義の作法に則って成功したところが食い足りない。

 3.は超難問。基本的に僕は、この字面通りの意味には賛成だ。消費税を増税して、低所得者層には還付するとか、根本的に間違っていると思う。還付するためのコストを考えてみたら、還付しなくてもいい程度の税率にするほうがよっぽどマシだ。
 それに、ここからがもしかしたら著者が言おうとしていることと重なるかも知れないけれど、これはあくまで「相対性」の問題だと思う。お金が足りないのは、結局、低所得者も高所得者も同じ。高所得者が、「税金で50%も持って行かれると思うと、やる気をなくす」と言ってるのは、そのまま低所得者にも当てはまるのではないか。なんかこの辺にヒントがあるような気がする。

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2011/12/04

『わたしのはたらき 自分の仕事を考える3日間Ⅲ』/西村佳哲with奈良県立図書情報館

4335551509 わたしのはたらき
西村 佳哲 nakaban
弘文堂  2011-11-30

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 一読して最も強く思いに残っているのは「健康」。健康とはたらきとの関係。

 僕は子どもの頃相当に体が弱く、しょっちゅう病院のお世話になっていた。母親も虚弱体質で、父親に至ってはいわゆる「不治の病」で、一家揃って不健康。だから、健康であることが当たり前だと思っているような人とはどうしても打ち解けられないし、健康について気を使えない人を信用することもできない。

 今は子どもの頃に較べれば随分丈夫になったものの、何かに取り組もうとして一生懸命になると覿面に体調を崩すところがある。なにか勉強を始めようと睡眠時間を削り始めたらひどいヘルペスに冒されるとか、ロードバイクも半年くらい続けていよいよというときに他の要因も重なったけどひどい扁桃腺炎になってしまうとか。
 その度に僕は「頑張ろうとすれば必ず体に足を引っ張られる」と恨めしく思ってきた。軌道に乗りそうになる度に体が音を上げ、一週間二週間とブランクを置かざるを得なくなり、結果、それまでやってきたことがゼロにクリアされる。
 と思ってきたんだけど、ここ最近、そんなことないなと思えるようになってきた。ゼロに戻っているようで、ゼロには戻っていない。三歩進んで二歩下がるでいいんだ、と。

 そういうことを思い起こさせる内容が、「わたしのはたらき」にはいくつも出てきた。

 とりわけ、川口有美子さんのALS-TLSの記述は堪らない。僕の父親はALSでもTLSでもないが、働くには相当辛い病を患っている。それにも関わらず、発症してからも家族の為に働き続けて僕と妹を独立させ、その後も働き続け、患って27年、定年まで勤め上げた。これをはたらくということのすべてだと思いはしないけれど、はたらくということの非常に大切なことがここにはあると確認している。

 「仕事」でも「働く」でもいいけれど、それは「感謝する」ためにあることだ。間違えたくない。仕事や働きは、誰かに「感謝してもらう」ためにするものではなくて、仕事や働きをすることは、それによって誰かに「感謝する」ことなのだ。「感謝させて頂く」と言ったほうが判りやすいかもしれない。それを自分が仕事や働きとして選び取っている以上、それをやり切るのは「当たり前」のことで、感謝してもらえないからやる気にならないというのは筋が違うと僕は思っている。そして、仕事や働きをやればやるほど、いろんな人たちの力が重なって自分の生活が営めているということが判るし、そういうのではない、うまく言葉にできないところで、仕事や働きというのは「感謝する」ことなのだと思う。

 坂口さんの「啓蒙」に関する熱い語り口とか、僕は「啓蒙」は大嫌いな概念なのでちょっと鼻白んだこととか、そういう思いも普通なら書きたいんだけど、この『「自分の仕事」を考える三日間』とそれを収めたこの本については、そんなことどうでもいいくらい満ちてくる思いというのがある。図書情報館の乾さんを直撃して、お話を聞かせて頂き、今も交流を持たせて頂いているのもそのエネルギーがくれたものだと思う。あれから約一年、チェックポイントを設けたい。

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2011/11/29

『スウィート・ヒアアフター』/よしもとばなな

4344020936 スウィート・ヒアアフター
よしもと ばなな
幻冬舎  2011-11-23


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 これは、関西に住んでいる僕のような、東日本大震災で直接的な被害に遭っていない人こそ読むべき物語だと思います。絶対に読むべきです。

 帯に「この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたものです。」とあって、「そうなんだ」と思って読んで、読み終えて「そうかなあ?」と思って、今これを書き始めて「その通りだ」と思ったのです。

 この物語の中には、大震災は出てきません。そこまで直接的な物語ではなく、帯に「小夜子は鉄の棒がお腹にささり、一度死んで、生き返った。」と書いているほど、オカルティックな物語でもありません。確かに鉄の棒がお腹にささるんだけど、「一度死んだ」はどちらかと言うと、比喩的です。
 でもこの物語は、確かに大震災を経験した人々に向けて書かれているということは、読めば実感できると思います。「とてもとてもわかりにくいとは思いますが」と書かれてますがけしてそんなことはなくて、恋人を喪失し、自身も生死の淵を彷徨い、そこから回復していく様は、変わらぬばなな節であり、大震災を経験した人々への祈りであることもストレートに読み取れると思います。

 でも、僕は読中も読後も、いくつも胸に迫るシーンがあったりしつつも、何か読み足りない気持ちが残りました。うーん…と思ったのですが、あとがきを読んでわかりました。

 もしもこれがなぜかぴったり来て、やっと少しのあいだ息ができたよ、そういう人がひとりでもいたら、私はいいのです。

 この物語の「重さ」は、やはり、あの大震災の被災者の方にきっちりと伝わるのだと思います。あとがきでばなな自身が「どんなに書いても軽く思えて、一時期は、とにかく重さを出すために、被災地にこの足でボランティアに行こうかとさえ思いました。しかし考えれば考えるほど、ここにとどまり、この不安な日々の中で書くべきだ、と思いました。」と書いている通り、被災を真剣に受け止めている人に伝わる「重さ」なんです。そして、その「重さ」を、頭でわかっても心には感じ切れなかった僕は、やはり、大震災を自分のこととして捉えていないのだと思います。
 だからこそ、東日本大震災で直接的な被害にあっていない、西日本の人々に読んでほしい、如何に自分が東日本大震災を自分のこととして捉えていないかがきっとわかるから。だから、冒頭で引用したように、「この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたもの」という言葉に深く納得したのです。あらゆる場所。

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2011/11/27

『ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス』/ポール・キメイジ

4915841863 ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス
ポール・キメイジ 大坪 真子
未知谷  1999-05

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 今、日本は空前の自転車ブーム。ほぼ連日のようにニュースでは自転車に関するニュース(それはたいていピストの暴走とかのあまりよくないニュース)が取り上げられる。エコな移動手段、健康的、クリーンなイメージと共にある自転車。でも自転車がブームになったのは今が初めてじゃない。1960年代にも大流行したことがあるらしく、当然だけどその歴史は古い。

 本著が取り上げているのはそれよりはまだ新しく、1980年代後半のツール・ド・フランスを中心に語られる。1980年代と言えば日本は高度成長期からバブルに向かおうとする、正に現代に通じる発展を遂げてきた時代で、世界ももちろんそう変わらない。にも関わらず、登場するエピソードはいったいいつの時代の話なんですか?と繰り返し聞きたくなるくらいに泥臭く闇の世界的なある行為が語られる。ドーピングだ。
 自転車競技は1980年代、薬物に汚染される道をひた走っていたらしい。ドーピング自体は禁止行為だったが、バレなければ構わない。というよりも、バレずに済むことが判っていれば使用する者が当然のように現れ、使用しない者は使用する者にどうやっても勝てないとすれば、これも当然のように誰も彼も使用するようになる。正に悪化は良貨を駆逐する。そこまでして勝たなければいけない最大の理由はスポンサーだ。つまり、1980年代のロードレース界は、金によって薬にズブズブと使ってしまっていたのだ。

 著者のポール・キメイジは本著のサブタイトルに「アベレージレーサー」とある通り、華々しい戦績を挙げた選手ではない。であるが故に、ドーピングの告発を込めたこの本も、その発言も、「ぱっとしない選手がああいうことよく言うんですよね」式に片づけられそうになったらしい。ルールを破ることが成功するための唯一の道で、その中でルールを守ることを貫き通す勇気を、この本から学ぶことには意味がある。どんな世界でも、常にルールと倫理を厳しく守り通して競い合うとは限らない。むしろ逆で、ルールの抜け道を探し出すことが勝利に大きく貢献したりする。それでも、自分はそのようなことはしないというスタンスを貫く勇気と、そういうルールを補正し続けて行こうという持続力の大切さを知ることのできる良書。

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2011/11/20

『震災のためにデザインは何が可能か』/hakuhodo+design studio-L

4757142196 震災のためにデザインは何が可能か
hakuhodo+design studio-L
エヌティティ出版  2009-05-29

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 この本は、hakuhodo+designと山崎亮氏のstudio-Lが2008年に実施したプロジェクト「震災+design」をまとめたもの。東日本大震災を経験したこの2011年、果たしてこのプロジェクトの活動およびアウトプットで実際的に役立ったものがあったのか、その「活動」を役立てた「活動」があったのか、そういうところに興味が向くものの、読中は「システムをデザインしている立場として、”デザイン”とはどういうことかを異なった分野のデザインから学ぶ」つもりで読みました。

 震災のためのデザイン、ということで、当然強く印象に残るのは「社会的デザイン」という考え方です。商業的デザインと社会的デザインの違いは本著を一読することで理解できるものの、「社会的デザイン」という新しい視座を、自分の領域である「システムデザイン」にどう絡めるかというのは難しい。「システムデザイン」というのは原則必ず商業的デザインであるから、という次元の捉え方ではなくて、「商業的デザイン」ではなく「社会的デザイン」を行うときの、対象の把握の仕方、前提の整理の仕方、デザイン中の進め方、出来上がるデザインの完成を図る物差しとしての価値観、等々を、システムデザインにも反映できるはず。これを反映することは、システムデザインの手法だけではなく、自身の「働き方」そのものにも影響を与えることになるので、丁寧に時間をかけて整理してみたい。

 「システムデザイン」そのものの文献も、再度当たってみないといけない。

 もうひとつは、例え社会的デザインであっても、デザインは「正しさ」「楽しさ」「美しさ」を持つものだ、と定義されていて、ここでいちばん引っかかるのは「美しさ」。「美しさ」の基準を考え直すため、『言語にとって美とは何か』を再読しようと思った。

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2011/11/08

『ユリイカ 特集=宮沢賢治、東北、大地と祈り』

4791702255 ユリイカ2011年7月号 特集=宮沢賢治 東北、大地と祈り
吉本 隆明 池内 紀 奈良 美智 大庭 賢哉 桑島 法子 天沢 退二郎
青土社  2011-06-27

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宮沢賢治と吉本隆明は、僕の読書体質に大きな影響をくれた二大文筆家なので、もちろん読まないわけにはいきません。

東日本大震災に遭って、吉本隆明が宮沢賢治ならどう考えただろうか、という推測が語られます。ひとつは、宮沢賢治は両眼的かつ包括的な物の見方をする。だから、津波に関しても、一面的な分析はしなかっただろう、ということ。もうひとつは、東日本大震災で日本の気候の何かが変わってしまったのではなく、ここ十数年の間にじわじわと気候変化が起きていて、その結果のひとつとして東日本大震災が発生したのだと捉え、今後はこのような気候であることを前提として、社会の仕組や建築建造などを考えていったほうがよい、という話で、このふたつが印象に残っています。

より変化に強い、というよりも突発的な破壊に強い、そういう社会や建築建造を志向するのは、最近、目にする度に収集している「メタボリズム」の思想に関連したり、ここ1、2年の間、聞こえることが増えてきているような気がする「”所有”に対する疑問」にも通じるようでおもしろい。

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2011/11/06

『スクウォッター-建築x本xアート』/大島哲蔵

4761523182 スクウォッター―建築×本×アート
大島 哲蔵 大島哲蔵アーカイブ
学芸出版社  2003-06

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【ノート】
p92「ポトラッチ」・・・太平洋岸北西部インディアンの重要な固有文化。彼らの社会的地位は所有の量ではなく、贈与の量で決まる。
「ヴァルネラビリティ」・・・攻撃誘発性。
「ボルシェヴィズム」・・・ボルシェビキの思想を実践する流派。
※「プチブル」のコンテクスト。

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2011/11/05

『食う寝る坐る 永平寺修行記』/野々村馨

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)
食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫) 野々村 馨

新潮社  2001-07
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 デザイン事務所勤務の著者が30歳の時、突然出家し一年間永平寺にて修行生活を送ったノンフィクション。

 まず、お寺と何の関係もない一般の人が、突然思いついて出家するなんてことが許されるんだという驚きと、おまけに一年で帰って来れるんだという驚き。僕は出家と言うと、もうそのまま一生、仏の道を歩まなければいけないものだと思っていたので、「一年間」という区切りのある永平寺の修行というのがまず驚きだった。
 ただ、僕にとってこの本を読み終える目的と言うのは、アマゾンのユーザーレビューの中にあった、「強制力を持って成し遂げて得られた達成感というのは、一時的なもので人間的成長にほとんど有用でない」という意味のレビュー、その内容の真偽を確かめたい、というものになっていた。

 と言うのも、僕も概ね、スパルタ方式とか徒弟制とかに懐疑的だから。僕たちの世代というのは、親の世代=団塊の世代以上に、徒弟制のようなものに懐疑的で、大学生の頃から年功序列を敵視し、実力主義を尊ぶような思想に染まって育ってきた世代だし、ちょっと話は逸れるけどダウンタウンのような「ノーブランド漫才」=師匠が存在しない、という仕組=主従・徒弟ではなく、職能教育を施す仕組が本格的になっていきそうな時代に育ったので、スパルタ式や徒弟制に疑問を持ち続けてきた。人間扱いされていないような言われようが我慢できない、という程度のこともあるし、世の中にはそれが本当に人間の尊厳を損なうところまで突き進んでしまっていることもある。

 だから、徹底的に強制的で、暴力的と言ってもいいくらい厳しい永平寺の修行を通して、著者がどんな満足感を得たのかというのが知りたかった。

 読んでいて感じたのは、まず、著者にはそういう視点がないのだろうということだった。ある一つの思想に、哲学に、その方法論に、良し悪しを問わずまるごとどっぷりと浸かること、そのことを批判的に評価する視点はなかったのだろうと思う。もちろん宗教というのはそういうもの。だから、著者はつべこべ言わず、永平寺の流儀を丸ごと飲み込んだ。そして、その結果辿り着いた地点に、十分な達成感と満足感を得て下山した。
 僕は、この、「どっぷり浸かる」というやり方が、最も効率的であるということは知っている。右も左もわからない世界では、まずどっぷり浸かるのが最短距離。例えば数学において公理公式を丸ごと暗記するように。でも、その一方で、例えば某企業において、まるで軍隊と見紛うまでの徹底教育が成され、その結果業界でも群を抜いた業績を収めるというトピックがあるけれど、それは、要は社員を徹底的により安くより多くを産みだすように訓練しているに過ぎない。

 という訳で、資本主義体制の欠点の視点からも、僕はスパルタ式・徒弟制というのはよくないことだと思っていたのだけれど、反対に、なんでもかんでも理屈や理由がないと行動できない現代人というのもどうかなと疑問に思ってて、例えば電話対応を誤ると自社の悪い評判が口コミであっと言う間に広がり、それを回復するコストが高くつくので正しくやりましょう、とか、そんなもん理屈以前にやれて当たり前だろう、と常々思っている。その「当たり前だろうと常々思っている」部分、かつては「常識」と言えたのに、多様性とか個性を尊重とかが行き過ぎて「常識」と軽々しく言ってはいけない風潮が間違った方向に進んでるところを、「常識だろ」と言えるような、そういう強制力はやっぱり必要じゃないのかな、そんな風に読み終えて思ったのでした。

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2011/11/03

『オートバイ・ライフ』/斎藤純

4166600486 オートバイ・ライフ (文春新書 (048))
斎藤 純
文藝春秋  1999-06

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オートバイ好きの作家による、オートバイの愉しみ方。
僕はオートバイには乗らないので、オートバイに直接関わる情報についてはそれほど役に立つ訳ではないけれど、「愉しみ方」という観点はとても面白かった。僕はロードバイクに乗っているが、ロードバイクもオートバイと同じで、パーツやウェアに拘りだすと切りがないものの、それが「愉しみ方」とは思えないし、欲しいものは出てくるものの、それを愉しみとはできない自分がいて、なぜそれが「愉しみ」ではないのかを、本著は明確に語ってくれる。

オートバイの本と言いながら、映画やクラシックの話題も絡められ、オートバイに乗るということが、ひとつの文化と言えるようになっている。オートバイが文化を形作ってる側面。こういう本に触れるにつけ、自分が若い頃からあまりにも映画やクラシックに興味を持たな過ぎてきたことを後悔する。

特に面白かったのは、エコロジーに対する「感傷」という批判。「牛肉を食べている人間に自然保護を語る資格はない」式の言い分に対して、「子供っぽい感傷」と一刀両断にしている。そして、「知ること。行動すること。」というロジックを展開している。ここで言う「感傷」と言うのは、言うなれば「思考停止」ということだろう。僕は感傷そのものは否定しない。何も生み出さない感情の美学というのは確かにあるから。それを、文学とか音楽とか、アートだけの特権にしておく必要はないと思う。けれど、感傷を持ちながらも知り、行動する手立てはある。そこまで考えた上で、「アンドレ・マルローが1930年代に、悲観的かつ行動的な者たちは、ファシストであり、将来ファシストになるだろうと述べている」という一文が、重い。

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2011/10/11

『来たるべき蜂起』/不可視委員会

4779114802 来たるべき蜂起
不可視委員会 『来たるべき蜂起』翻訳委員会
彩流社  2010-05


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 『来たるべき蜂起』はフランスで2007年に刊行されたもの。本書は2009年の『焦点を合わせる』が所収された増補版の訳書。僕にとってのポイントは3つ:

1.これは基本的には「目には目を」の思想である。
2.「蜂起」は比喩ではない。
3.フランスの思想に触れるときはいつも、相対するように見えるものがそれぞれお互いの一部であり、あるものはあるものの一部であり、それが一つのものに見えるように見えて実は既に異なるものに変わってしまっている、ということが詳らかにされる。そうやって常に出口を切り開いてきたが、遂に出口などないということが語られている。

 コミューンとは何か。コミュニティとは何か。コミューンであれコミュニティであれ、何かひとつの集団を形成するとき、形成する成員につきまとうあの選民感情、特権意識、優越感。たとえそれが「自由」を標榜するコミュニティとしても、コミュニテイである以上はコミュニティの内と外を造り出してしまうことに、気づかない。本著ではこう記される。

そうしたものをネットワークと呼んだところで、それらは結局のところひとつの界(ミリュー)として固着してしまう。そこではコード以外何も共有されず、アイデンティティの絶え間ない再構築が行われるだけである。

 労働を憎む。労働こそが、この資本主義社会を維持してしまう装置になっている。もちろんこれを額面通り受け止めて自らの行動に直結させることはできないが、誰もが薄々感じていながら口に出さなかった多くのことの一つとして、現在を考える上で認識しておかなければならないことのひとつ。

これからも消費するために消費を減らし、これからも生産するためにオーガニック商品を生産し、これからも規制するために自己規制すべきであると。

 「タルナック事件」が明らかにした、国家によるテロリズム、「いずれ犯行に及ぶに違いないという憶測で」逮捕されたこの事件。それを可能にしたのは、人民の恐怖心なのだろうか。

 いずれのテーマも、どこかに引かれる線-”界(ミリュー)”が問題になっている。自分が何者かを語ろうとするとき、自明のように「個人」の概念が用いられるが、「個人というあのフィクションは、それが現実化したのと同じ速さで崩壊してしまった。メトロポリスの子供としてわれわれは断言できるが、剥奪状態が極まったときにこそ、つねに暗黙のうちに企てられてきたコミュニズムの可能性がひらかれる」。

 問題は、いつも境界だ。”界(ミリュー)”だ。どれだけ崇高な志から形成されたコミュニティでも、必ず”界”を準備する。そうして個人も”界”がなければ個人として成立できない。そのことに自覚的であり敏感であるコミュニティにお目にかかることは滅多にない。コミュニティを形成じた時点で、自分達のその崇高な志と相反するものを敵とするだけでなく、自分達以外のすべてを”界”の外側として敵に回しているということに自覚的でない。

 それでもコミュニティが生き残り、コミュニティの生成が止まないのは、人間の生の循環が止まないからではない。人間の根源的な弱さ-それも無自覚的な弱さの故だと思う。都合のいいところだけを味わって、生きていきたいのが人間なのだ。そのご都合主義が、新たな「社会問題」を生み出し、それによって繰り返し疎外され、それをまた「社会問題」と定義づけられその解消に励むように誘導されてしまっているというのに。

 コミューンの拡張にさいしてそれぞれが配慮すべきは、これ以上拡張すれば自分を見失い、ほぼ不可避的に支配階層ができてしまう規模を越えないということである。そうなったときコミューンは不幸な結果を察知しつつ分裂し、また広がっていくことを選ぶだろう。

 カリスマとコミューンは矛盾する。コミュニティも然り。コミュニティにヒエラルキーは不要なのだ。某かの秩序を持ったコミュニティは、偽物のコミュニティだ。擬制なのだ。しかし、それには誰もが目を瞑ろうとする。

集合の欲求は人類にとって普遍であるが、決定を下す必要はめったにない。

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2011/10/01

『行動主義-レム・コールハースドキュメント』/瀧口範子

行動主義―レム・コールハースドキュメント
行動主義―レム・コールハースドキュメント 瀧口 範子

TOTO出版  2004-03-15
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 レム・コールハースは、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+ホウ・ハンルゥ というサイトで偶然知った。ハンス・ウルリッヒ・オブリストもホウ・ハンルゥも知らなくて、このサイトを知ったところから本当に偶然。このサイトを見るきっかけになったのは日経朝刊最終面に、森美術館で開催中の「メタボリズムの未来都市展」と関連づけて、メタボリズムが取り上げられていて、「メタボリズムとはなんだろう」と検索してみたところから始まった。そこでレム・コールハースを知り、レム・コールハースが『プロジェクト・ジャパン』という本を出すということを知り、そうしてこの本に辿り着いた。

 レム・コールハースは、こういった風に書籍に取り上げられる他の著名人と同じで、天才であり超人だ。だから、このタイプの書籍を読むときにはいつも「鵜呑みにしてはいけない。自分の頭で考えて取りこむように」と意識している。それでも、レム・コールハースのスタイルには惹きつけられ、鼓舞されるようなところがある。

 最も印象に残っているのは、「コールハースの仕事ぶりについて、彼をいくらかでも知っている人に尋ねると、「レムは編集者だ」という言葉がよく返ってくる」というくだり。「編集とは何か?」というのは、今年ずっと付きまとっている命題なんだけど、ここでは、コールハースの建築家としての活動の、世界と世界の"変化"を受け止め掘り下げその社会的な問題に深く関与していくというスタンスとイメージが重なりあう。コールハースはプラダ・プロジェクトに携わることで商業主義に堕落したという批判を受けるが、現代世界にショッピングが大きなウェイトを占めていることから目を逸らしても意味がない、という。

 同様に、世界は常に変化を続け、好むと好まざるに関わらず、というよりも、ほとんどの人は変化を好み、その結果、今年は去年と、来年は今年と異なる洋服を纏いたいと思うものだ。そういった「欲望」からの変化への圧力と、世界が複雑になったが故に変化しなければならないという「必然性」からの変化への圧力によって、世界だけではなく個人も常に変化の圧力にさらされる。このような世界では、「未来永劫維持できる」建築や品物を創ることは到底不可能なのだ。住居ですら、一生モノではない世界なのだ。その住居の内部に存在させる品々を一生モノにしたところで、何の意味があるというのか?一生モノを謳える製品は確かにそれだけの耐久性とクオリティを保有しているかもしれない。しかし、もはや「一生モノ」を一生保有し続けることなど、「欲望」と「必然性」のどちらの観点からも能わない世の中で、「一生モノを保有すること・選択すること」に優越性を覚えさせるような価値観を流布することは、どちらかと言えば犯罪的だろう。不必要となる時間分の、余剰の金額を払わせてそれを自らの利潤としているのだ。

 変化は受け入れるべきなのだ。変化が存在する以上、一生モノを選ぶモノと選ばないモノの、選ぶときと選ばないときの、その「選択の自由」を尊ぶような価値観でなければ現代には存在する意味がない。これが、僕がコールハースによって自信を与えられた僕の考えだ。そうして僕の興味はここから民藝活動にジャンプする。それはこの一節からだ。

 ”あえて何が僕の本当の審美感かというと、アルテ・ポーベラ(貧しい芸術)が最も深く僕をかたどっている。そのために用意されたのではないオブジェ、日常的でないものの美しさ、ランダムさ。現在の文明には、多くのランダムさと分裂が起こっている。その分裂を見出して美しさに転換すると、妥当なオブジェが生まれる。”

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2011/09/10

『そこへ行くな』/井上荒野

4087713989 そこへ行くな
井上 荒野
集英社  2011-06-24

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 僕は小学五年生の冬、祖母を亡くした。

 小説では、多感な幼少時代、肉親を亡くすような出来事に遭遇した子は、周りの子の呑気さ加減に違和感を覚え距離を覚えるようによく描かれるが、僕はどうだったのだろうか?そんな感情を覚えた記憶はない。ただただ悲しかった。祖母は一年近く入院しての闘病生活の末に亡くなった。気持ちの優しく、人情にも厚く義理堅くもある父母は僕と妹を連れて、毎週必ず車で片道1時間強の病院に見舞いに行った。半年以上が過ぎた頃、土日に満足に友達と遊びに行けないことを不満に思った僕は、父母に「もういい加減にしてくれ」というようなことを言った。今覚えば、そんなことを言えば間違いなく僕を殴り飛ばしたに違いない父に殴り飛ばされた記憶はない。相当に困り果てた空気が流れたのを覚えている。

 祖母は入院していた病気ではなく、直接的には風邪で発熱し体調を崩してそうして亡くなった。その数週間前、まだ発熱もなかった頃、祖母がベッドに腰掛ける傍で風邪気味の僕がふざけてベッドに寝っころがっていたりして、風邪をうつしたのは自分だと思った。本当にそうなのかどうかはわからないまま、そう思わなければいけないような気がして、でも母も父も当然それを否定するし、そんな状況でそう思わなければならないと思ってそう思うこと自体が厭らしいことではないのかという非難にも苛まれた。苛まれたというほど自分を追い込めてはいないという思いも苦しかった。「もういい加減にしてくれ」という気持ちを抱いてしまったことの罪悪感も、同じだった。

 本著『病院』の龍は、母親が「よくない病気」で「消えていく様子」をつぶさに感じている。しかし龍は、自分が置かれたその境遇から、周りの子が「ひどく幼く見える」と感じる、などとは描かれない。事実、龍はひどく幼い。いじめに遭い、階段から転げ落ちて骨折し、母と同じ病院に入院している泉と微かに心を通わせても、泉と病院で親しくしていたことを同級生に知られて同じようにいじめられることを恐れ、泉がもしそんなことを言っても全部否定してかかろうと考える。

 ところがそんなことを考えていたとき、父と話しながら手に取った母の料理本に気付いてしまう。常にさばさばとした振る舞いのように見えた母の本心を。

ボールペンは、レシピを記した文章の中の文字の幾つかを丸く囲んでいた。マルとマルとは線で繋ぎ合わされ、辿っていくとひとつの言葉があらわれる。し、に、た、く、な、い。

 僕はいつも、自分から見た祖母しか考えたことがなかった。自分が考える、祖母がどう考えていたのかだけを追い求めて、あの病床で祖母は何を考えていたのかということを、30年近く思い至らそうと考えたことがなかった。堪えきれなくなりそうだったがここで泣く訳にはいかなかった。感情というのは、なんだって発露すればよいというものではないのだ。発露して消化してそれで済ませてしまうようなところが感情にはある。感情には、そういうふうに使ってはいけない種類の感情が、確かにあるのだ。

 『そこへ行くな』のタイトルの意味、短編ごとの意義、全編通してのメッセージ、そういうことを読み解くことは、僕にとっては今回はしなくてもよいことのように思える。これだけでよいのだ。

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2011/08/29

『災害がほんとうに襲った時-阪神淡路大震災50日間の記録』/中井久夫

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録 中井 久夫

みすず書房  2011-04-21
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 『歴史の中に見る親鸞』同様、これまた奈良県立図書情報館の乾さんのオススメで読みました。オススメというか、某日、乾さんとサシでお話させて頂く機会を得た際に、話題に挙がった一冊。乾さんがこの一冊を僕に教えてくれた理由のその一節は、

ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない

ここだと思うのだけど、どうでしょう?

 「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」、これはいろんな状況で、いろんな意味で当てはまる言葉だと思う。例えば通常の仕事の場面で。この言葉が引用された、阪神淡路大震災発生直後のような、大緊急事態の際、何事かを決定して次々実行に移さなければいけない場面、そういう場面では、通常は少しでも相手方とのコミュニケーションが、できればフェイスツーフェイスのコミュニケーションが望ましいけれど、「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」。これを演繹していって、例えば、一般の会社でいちいちいちいち会議を開かなければならないのは、間違いのない意思疎通確認を重要視しているともいえるし、お互いが信用ならないからということもできる。もちろん、お互いは黙っていては信用ならないという真摯な態度で意思疎通確認を重要視しているとも言えるけど。
 更にこの言葉をもっと広く取って、旧知の仲なんかに当てはめることもできる。いちいち、同窓会とかなんとか会とかを持って維持しなければいけないのは、それだけ信頼できてないからで、ほんとうに信頼できる人間は「会う必要がない」。もう相当なピンチのときにだけ、声をかけるか、思い出すかくらいでいい。そんな関係は、確かにある。

 p22の「デブリーフィング」。ブリーフィングの反対なのだけど、日本でももちろん「反省会」というような形式で存在する。設定するスパンの問題でもあるが、「回復」をプロセスの中に組み込む思想があるかないかが大きい違いだと思う。

 p92「なかったことは事実である。そのことをわざわざ記するのは、何年か後になって、今「ユダヤ人絶滅計画はなかった」「南京大虐殺はなかった」と言い出す者がいるように、「神戸の平静は神話だった-掠奪、放火、暴行、暴利があった」と書き出す者がいるかもしれないからである」

 p94「ふだんの神戸人はどうであったか。」「あまりヤイヤイ言うな」というのが、基本的なモットー

 p95「世界的に有名な暴力組織がまっさきに救援行動を起こしたということは、とくにイギリスのジャーナリズムを面白がらせたそうだが、神戸は彼らの居住地域であり、住人として子どもを学校に通わせ、ゴルフやテニスのクラブに加入しているからには、そういうことがあっても、まあ不思議ではない」

 p97「共同体感情」

 p128「ところが、以上の悪夢は二月十三日夜、セパゾン(クロキサゾラム)二ミリを使うことによって即日消滅した」

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2011/08/21

『歴史のなかに見る親鸞』/平雅行

4831860611 歴史のなかに見る親鸞
平 雅行
法藏館  2011-04

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奈良県立図書情報館の乾さんのオススメで読みました。親鸞については通り一遍のことはもちろん知っていて、「行き着くところまで行き着いた」形の思想として「悪人正機」を捉えていたのですが、「悪人正機」が親鸞のものだとする定説がそもそも誤りでありなおかつ大変な問題を孕んだ誤りであること、そして、親鸞の「行き着くところまで行き着いた」思想は、「自然法爾消息」に、「義なきを義とする、その義すら放棄せよ」とある、その思想の到達に涙。「義なきを義とする、その義すら放棄せよ」は、言葉としては誰でも言える。誰でも書ける。だけど、その言葉にどのように到達したかが、その言葉の「生」となる。同じ言葉でも、同じ音を持って響いても、「誰」が「どのように到達したか」で全く別の言葉になる。僕たちがそれを黙読しても声に出して読んでも、親鸞の思想には届かない。そしてこの「絶対他力」を、「思想の発展と見るか、それとも挫折と考えるか」、それは読者にゆだねましょう、という著者のスタンスが、最も親鸞の到達点を深く理解している言葉だと思う。

その他、親鸞を現在の親鸞の地位に押し上げたのは覚如であるが、その著作『親鸞伝絵』は教団としての成功を意図して作為的に作り上げられた話を含むという指摘が、戦略性の重要性と、成功のために本質さえもすり替えることが古くから存在するということに興味。 

この本については書いても書いても書き足りない気がするので、都度都度、引用文とともにエントリを書きたそうと思う。

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2011/08/17

『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』/マルジャン・サトラピ

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る
ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る マルジャン・サトラピ 園田 恵子

バジリコ  2005-06-13
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僕はたいていの自分の悩みというのはしょうもない、取るに足らないものだと考えていて、自分の悩みだけでなく、周りの人の悩みも、たいていは取るに足らないものだと考える。なぜ取るに足らないかというと更に他人との比較論で取るに足らないものと考える訳で、その比較対象というのはこの『ペルセポリス』のマルジ、のような存在だ。もちろん、「わたし」から「あなた」の悩みを見て上だの下だの言ってはいけないと肝に銘じているものの、ワールドワイドクラスで考えると、途端にその物差しの目盛が変わるのだ。

マルジはイランの少女で、両親の計らいでオーストリア・ウィーンに留学している。この『ペルセポリスⅡ』では、留学先ウィーンでの4年間の人生と、テヘランに戻り学生結婚し破局するまでの過程が描かれている。そこにはイラン・イラク戦争、イラクのクェート侵攻、イランの凋落と体制主義などが淡々と、しかしくっきりと描かれる。自由を求めてウィーンに渡ったのに、どうしようもない流れに飲み込まれてテヘランに戻りたいと切実に思うその経緯は、自分の悩みをしょうもないことだと言うに十分だと思う。

読書体験というのは、実体験では補いきれないものを補ってくれる。それは確かに実体験ではないし、テレビモニタで見るような実際の映像つきでも音声つきでもない。でも確かに文学は実体験を補ってくれることができる。それは映像や音楽とは根本的に質の違うもの。本著は、その根本理由を説明できなくても、そう信じさせてくれる良い「漫画」だと思う。

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2011/08/10

産経新聞2011年08月08日朝刊「Karoshi 過労死の国・日本」

文京学院大学特別招聘教授で、ILO事務局長補などを歴任した堀内光子(67)は意外な理由を明かす。「日本は労働時間の規制に関するILO条約を一本も批准していない。批准しない政府には、監視も改善勧告もできない」

こういう情報は、感覚的にだけど、日経を読んでいても絶対に出てこない気がする。日経は基本的に経営よりの発想思想で記述された記事が並び、日本ではビジネスマンとしては日経を読んでいなければならない、という空気で、誰もが経営よりのロジックを「これが現実」と取りこまされてきている気がする。最近の原発再開に対するスタンスなんかはその典型。でもよく考えてみたら、紙名に「経済」と、経済だけの1カテゴリを関している新聞がメインになるような状況は単純に考えておかしいと思い始めた。社会は経済が中心で成り立っている訳ではない。

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2011/07/31

『楽園への道』/マリオ・バルガス=リョサ

4309709427 楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社  2008-01-10


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ポール・ゴーギャンと、その祖母で、女性解放と労働者の権利獲得のための活動に一生を捧げたフローラ・トリスタン。実在の二人の人物を用いた物語は、奇数章がフローラ、偶数章がゴーギャンの物語として交互に語られる。村上春樹の作品で慣れ親しんだこの構成は、「フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法」であり、「二が一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法」であること、また本作は「直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられている」が、これは「騎士道小説の語りの手法を取り入れたもの」ということを、解説で学んだ。

ヨーロッパ的なるもの、偽善、性、読み込みたいよく知ったテーマが詰め込まれているけれど、物語の最終版、それらを押しのけるように衝撃的に登場した言葉があった。「日本」だ。

洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。

戦後、日本人として日本の教育を受けてきた身にとっては、とても表面的で、とても要約された日本観に見えてしまう。19世紀と言えば日本はまだ徳川の世で、「日本の版画家たちよりこれをうまくやったものはいなかった」と書かれている通り、ゴーギャンが影響を受けたと言われている浮世絵師達が活躍した時代。僕の頭にはこれまた表面的で短絡的に「士農工商」という身分制度が思い出され、年貢によって貧困に喘ぐ「被搾取者」農家が、芸術家として生きるなんて考えられもしない。それでも、「ヨーロッパ的なるもの」を考えるとき、「芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった」というのは頭に入れておかないといけないのかも知れない、と思った。なぜかと言うと、戦後から現代の間に、正にそれが起き、そしてそれが現代社会として当然の姿と思っている僕たちのような意識が存在するから。

芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

自分にとって「仕事」とは生きるためのものであり、生きることにとって芸術は必須のものではなく、芸術は自分の仕事の領域には含まれないし取り扱うこともできない、と考えてきた僕にとって、この一文は、-特に「技術(ワザ)を取得し、」の下り-新しいエリアへのきっかけになる力強い一文だった。

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2011/05/12

『ポータブル文学小史』/エンリーケ・ビラ=マタス

4582834450 ポータブル文学小史
エンリーケ・ビラ=マタス 木村 榮一
平凡社  2011-02-15

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 エンリーケ・ビラ=マタスは、何にも知らなかった。ただ、本屋をうろうろしてたら、現代海外文学コーナーにこの『ポータブル文学小史』があって、「なんだそれ」と思って手に取ったのだ。その、2か月くらい前のときは買わなかったけれど、ずっと気になっていたのでとうとう買ってみた。立ち読みしたときは「文学小史」の「ポータブル」ということか、と思ってたけど、実際は、「ポータブル文学」の「小史」だったのだ。

 『ポータブル文学小史』には、カフカやサリンジャー、デュシャン、ピカビア、ジャック・リゴー、ジョージア・オキーフ、ヴァルター・ベンヤミン等々、数多くの実在した芸術家・文学者が登場する、多くが秘密結社「シャンディ」のメンバーとして、「シャンディ」にとっていちばん大事なことは、「人生を重いものにしてはいけない」。「シャンデイ」のメンバーとして挙げられる数々の芸術家・文学者たちが、既成の概念やルールを破壊し、”新しい”芸術を目指したモダニストの面々であることを考えると、そのシャンディのいちばん大切なことが言わんとしていることはわかる。必要以上に深刻であってはいけない、身軽でなければならない。だから、「ポータブル文学」なのだ。

 このスタンスは、青春手前にパンクを通り抜けてきた僕たちの世代にはよくわかる。世俗の柵から解き放たれること、「責任」という卑怯な面を下げて人々を束縛するだけの常識から解き放たれること。そして人間性を回復する。
 しかし、その「解放」に、野放図なだけの奔放さを求める、人間の勝手な心性を見てとってしまうことも少なくない、”人生を重いものにしてはいけない”それが目指すところを、都合よく利用してしまう人間の性。それならば、「責任」を軽くも重くもなく「責任」として取り扱えるようになることが、本当に束縛から解き放たれることになるのではないか?どうしても、「束縛からの解放」というだけでは、何か新しいものが生み出せるとは思えない、僕には。自分自身の身勝手さ、都合よさ、なぜ身勝手になりたいのかを見つめることなしには。

 秘密結社は、自ずから崩壊に向かって進むしかない宿命を予感させる。シャンディもその例に違わず、裏切者によって秘密が秘密ではなくなる。この崩壊は、”人生を重いものにしてはいけない”という教条そのものが、”人生”に当てはめきれないことを暗示してるみたいでもあるけれど、そもそもその裏切者として登場するアレイスター・クローリーとは何者だろう?と調べてみたら、秘密結社から独立した神秘主義者だった。

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2011/05/03

『編集進化論 editするのは誰か?』/仲俣暁生+編集部

編集進化論 ─editするのは誰か? (Next Creator Book)
編集進化論 ─editするのは誰か? (Next Creator Book) 仲俣暁生

フィルムアート社  2010-09-22
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 4/23に開催されたビブリオバトルmeets奈良県立図書情報館#01で、『自分の仕事』を考える3日間お世話になった(なっている)図書情報館の乾さんが紹介されていた本。乾さんが紹介で仰っていた「日常と非日常」とかそのあたりは今までもよく馴染んできたテーマだし、面白そうなので早速手に取ってみました。

 まずそもそも、編集って何だ?編集とかディレクションとかプロジェクトとかデザインとか、対置されているのかセットなのか関連語なのかよくわからないまま「当たり前でしょ」と使われている文章にしか当たったことがなくて、編集がそもそもなんなのか分からない。それこそ当たり前、「編集」が関わってくるような職業に就いたことがないし。でも、ものの「編集」に書いている本は、これまた当たり前のように「編集」という行為の領域を、凡人の思う「書籍の編集」という、本に関わる領域からどんどんはみ出させ拡大(解釈)させてくる。だったら、「編集」って、何よ!?

 本著の中では、「編集」について、こう定義されてる:

”編集とは、一定の方針に従って素材を整理し、取捨選択し、構成し、書物などにまとめることを指します”

 なるほどね。キモは「一定の方針」。でも僕はITに携わっていて、「情報」の取り扱い方という観点で言えば、僕は「ローデータ」信者だ。raw data。生データ。ITの世界では、技術の進化(ハードディスクが3TBになったとか、ネットワークが10Gbpsになったとか)によるキャパシティの増大にあわせて、データの集約について揺れたり戻したりが続いている。データを本来のデータのまま保存すればデータ=情報の欠損はないが、莫大なキャパシティを必要とする。だから集約=サマリーして保存する。でもサマリーすると欠損する。そこにキャパシティ増大が起きる。再び、生データのまま全て保存という「無限の夢」が持ち上がる。そしてまたキャパシティを食いつぶす…。
 「編集」というのは、僕たちITの人間の領域で言う、この「サマリー」の部分が近いと思う。「一定の方針」に従って「整理・取捨選択・構成」し、「まとめる」。まさに。DWHなんかも言わば会社中のraw dataを使った経営情報への「編集」だ。

 ここでITの人間として「編集」に対する疑問が立ち上がる。「編集」は、必要か?raw dataさえ渡してくれれば、それで事足りるんじゃないのか?

 例えば新聞。行き着くところまで行っちゃったようなエッジの効いた人なんかは、判で押したように「新聞は読まない。ニュースリソースは違うところから得る」という。そこまで行かない場合、「新聞は日経+2紙読んでる」という。これはたぶん同じようなことを言っていて、つまり、「どんなフィルターかを見抜き、フィルターを外し、raw dataになるべく近づく」ということを。つまり、各新聞の「一定の方針」が邪魔であって、raw dataが欲しい、ということだ。raw dataさえあれば、後の「編集」はこっちでやりますよ、と。

 誰もが自分で編集できる訳ではないから「編集」が必要なんだ、というのは一理ありそうだけど、本著も書くように、「一億総編集者」の時代だと思う。本著がタイトルに掲げるように、「editするのは誰か?」ということになる。ここに来て、「編集者が大袈裟に”編集”と言っているけれど、”編集”ってそんなに概念的なこと?」という疑問が生まれる。
 逆に、raw dataが存在するというのがそもそも幻想だと、どんなデータもすべては誰かのフィルターを通って出てきたデータであってrawであることなどコンピュータの世界ではあっても現実の世界ではあり得ないんだよ、それは確かにそうだと思う、でももしそれを認めるなら現実の世界のすべてのデータは”編集”されていることになり、”編集”は普遍的なことになる、だったら作業としての”編集”を取りたてて”編集”として特別扱いする理由は?その”編集”をした”編集者”の力量で、区別される?

 新聞の例え、いやそれは”情報”にだけあてはまるのであって、世の中には”情報”ではない編集対象の素材もあるよ、そう言われるのはわかる。確かに、イメージとしては”編集”の本質はそこにありそうな気がする。”情報”と”データ”をイコールで結んだのは乱暴だったけれど、自分の中で整理したかったのは”加工前”と”加工後”の違い。僕たちは常に、「真実を知りたければ現場でその目で見ろ、その耳で聞け」と言われる。つまり、加工された”情報”は役に立たない、ということだ。raw dataを自分で見て、自分で”編集”しろ、と言われる。この意味で、僕たちは皆、一個の”編集者”にならなくてはならない、ということだ。

 そうしてまた一周する。「編集って何だ?」

 もう一つ。日常と非日常の線引きがあったけれど、僕は、日常と非日常の線引きが見える人というのは、日々に感謝の気持ちを失っている人に違いないと思っている。

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2011/04/23

『話の終わり』/リディア・デイヴィス

話の終わり
話の終わり リディア・デイヴィス 岸本 佐知子

作品社  2010-11-30
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『話の終わり』は、筋自体は非常にシンプルな小説。三十代半ばの女性が、アメリカ西部のとある大学に教師として赴任し、その大学の学生である12歳年下の男性と出会ったその日に恋人関係になる。その恋人と終わってしまった大学教師の女性が、その数か月の出来事を小説にしようとする。

この小説をビブリオバトル@奈良県立図書情報館で紹介しようと思ったのは(実際には参加者が定員集まったので、僕は裏方に回りました)、テーマが「次・NEXT」だったんですが、この小説は主人公の女性が、ひとつの恋愛の「話の終わり」を見つけることで、「次」に進む物語だから。「次」に進むためには、自分自身の手でひとつの「終わり」を書き綴らないといけない、そんな小説だったから。

僕たちは、自分自身の言葉は自分自身のもので、自由に話し書き表していると思っている。どのくらい自由かと言えば、福島第一原発問題で、「”想定外””想定外”なんて後から言うなんて信じられませんよねえー”想定外”なんてあったらいけないことなんですからー」なんて、反原発集会に参加した後、連れだってそう話すおばちゃんが、その一方で国民年金の第3号被保険者救済問題に関しては、「あんなん、お役所がゆってくれな気ぃつく訳ないやんねえ、私らのせいとちゃうわ、ややこしいからあかんねん」って言ってしまうくらい、自由だ。

ところが、言葉-言説は、全然自由でもなんでもなく、権力によって支配続けられているという考え方や、言葉-言説は、全然自由でもなんでもなく、オリジナルのものなど何一つ存在しない、という考え方がある。権力によって支配続けられているというのは、言葉は知識であり、知識の伝達には指令がついて回る。そして言葉を使うとき、僕たちはその権力に従っている。だから、言説をつくるということは、その権力を維持することに、僕たちから進んで加担しているだということになる。その権力は、何を表現するかだけではなく、何かを排除し、何かを抑圧することを内包している。だから、言説をつくるというのは、それだけで、排除と抑圧を行う権力をより強固にする参加者になっているのだと。正確ではないけれど、フーコーが「ディスクール」という言葉でこういうことを言っている。

もうひとつ、オリジナルのものなど何一つ存在しない、というのは、僕たちが言葉を使うときは必ず誰かから「学んだ」言葉であって、自分の中で生み出した言葉などない、ということは、その言葉から成り立つ言説も同じことが言え、どのような考え方も言説も、まったくのオリジナルなど存在しないということになる。僕たちが言葉を使ってやっているのは、誰かに「伝える」ということですらなく、誰かから受け取ったものを違う誰かに「パス」しているだけ。自分というフィルターを通して変容させている、というところに意味を付けるのさえ戸惑うくらい。これまた正確ではないけれど、デリダが「エクリチュール」という言葉あたりでこういうことを言っている。

そして『話の終わり』に話を戻すと、主人公の女性は、彼との経緯を、さまざまな手法で思い起こし、書き記そうと試みる。書き進めてはこれでよかったのか?という彼女自身が現れたりしながら、物語が進む。そして実際、彼女は、「ディスクール」で言われるところのように、自分の小説の執筆自体が、自分の意志とは無関係に、進む方向が決まっているかのような、まるで自分の使う言葉はある「権力」によって決められているような、何を捨てるか何を省略するかも決められているかのような、そんな述懐をする:

p221「じっさい小説は、当初思っていたのとは違ったものになりつつある。いったいこれを書くうえ で、私の意思はどれくらい反映されているのだろうか。最初のうちは、どんなことも一つひとつ自分で決定していかなければならないのだと思い、あまりにも決 めることが多そうで恐れをなしていた。ところが、いざいくつかの選択肢を試してみると、他ではどうしてもうまくいかず、けっきょく一つしか選択の余地がな かった。書きたいと思ったことが書かれたがっていなかったり、たった一つの書き方だけを要請してくることもたびたびあった。」

僕たちは何かを選び、何かを選ばず、そうして決めた事柄を自分の意志で発信していると思いこんでいる。けれど、実は言葉には権力が内包されていて、そんな<自由意志の取捨選択>は思い上がりだ。そして、そこにはオリジナリティはない。そこまで考えるともう救いようがない。

だけど、主人公は、記憶や、ノートや、メモや、さまざまなものを動員しながら、彼との経緯を書き記し、小説を編み上げていく。その中で、過ぎ去ったことだからどれが正確なことなのかはわからないし、正確に書く必要があるのかもわからないし、誰かにとってはまったく違う事柄として見えてしまうかもしれないし、という葛藤を繰り返して彼女が浮き彫りにするのは、今は不在の彼、彼の不在そのもの。何を書くか、何を書かないか、何をどう書くか書かないか、というひとつひとつの判断の積み重ねが、彼女を『話の終わり』に導いていく。つまり、僕たちにはやっぱり自分自身での取捨選択という行為は残され判断があって、その判断の積み重ねが「終わり」と「次」を導いてくれる。この取捨選択という行為の中に思い違いや誤りがあるなら、それこそがオリジナルだし意味を生み出す。そうして積み上げた自分だけの思い違い、自分だけの誤りの中に真実が立ち上り、「終わり」と「次」が見えてくる。

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2011/04/20

日本経済新聞2011年04月20日朝刊 『大震災日本を立て直す 4』

野中郁次郎 一橋大学名誉教授
「日本には社会全体として傍観者的に発言することが知的であるという風潮がある。しかし、これほど『反知的』であることはない」
「中国共産党にもイデオロギーだけでなく、徹底した現実主義の側面があることを忘れてはいけない」
「現場よりも分析を重んじる米国型の経営が勢いづく中で、現実を知り抜いた人が日本企業の組織の中心に少なくなっていた」

  • 金は浮遊?
  • 自分の問題に引き付けて考えられるか、ということと、視野狭窄に陥らないようにする丁寧な慎重さの両立の実践

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2011/03/13

『NO FUTURE-イタリア・アウトノミア運動史』/フランコ ベラルティ

4903127125 NO FUTURE―イタリア・アウトノミア運動史
フランコ ベラルディ(ビフォ) Franco Berardi(Bifo)
洛北出版  2010-12

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現代史や社会運動は知らないこと・聞いたことのないことがまだまだたくさんあって、イタリア・アウトノミア運動も最近初めて知った。1977年から始まるこの社会運動を学ぶため本書にあたる。
【20110313】
・リゾーム … 伝統的西洋形而上学のツリー状の思考形態に対する、特定の中心を持たず始まりも終わりも持たない根茎(リゾーム)の思考形式。体系に組み込めないものを排除する西洋的思考に対する批判。
・実存 … 存在可能性としての「本質」に対する、現実の存在。「本質」を至上とするが故に虐げられるものの救済としての概念として扱うべき。
・ディスクール … 記述されたものはすべて権力や制度を内包あるいは反映している、という考え方。

■日本の読者へ
p246「西洋の文化的アクティヴィスムと日本の文化的アクティヴィズム」「日本は何ひとつ独自の貢献をすることなく、西洋に由来するイノベーションをただ受動的に受け取っているに違いないという偏見」
p252「粉川哲夫」
p254「「自発的でいなさい」という命令は、この逆説命令のもっとも知られていて」
p256「フラクタル化し組み換え可能な情報-労働の絶えざるフロー」
p261「社会関係が精神病理」
p264「「無垢」という言葉が意味するのは、たとえ悪のただなかで生きていても「罪がない」ということ、悪の性質を帯びていないということ」
p266「それはもう過去のことなのです」

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2011/02/27

『99人の小さな転機のつくりかた』/「ビッグイシュー日本版」編集部

4479793062 99人の小さな転機のつくりかた
「ビッグイシュー日本版」編集部 香山 リカ マツコ•デラックス 佐藤 可士和 上野 千鶴子 姜尚中 角田 光代
大和書房  2010-12-16

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 『ビッグイシュー日本版』編集部・編ということで反射的に購入。『ビッグイシュー』に連載されている「私の分岐点」を99人分一冊にまとめたもの。『ビッグイシュー』はときどき買っているので読んだことのある人のもあるけれど、この企画は、登場した人が次に登場する人を紹介する「テレフォンショッキング方式」なので、ひと続きの流れで読むと、続いている人が類似した考え方を話してる部分があるのに、3,4人読み進めるだけで真逆の人生観を語っていたりして、そこが楽しい。
 僕はそこそこの齢を重ねているので、それぞれの方がおっしゃっていることを一旦咀嚼して、自分の中に取り込むことができるけど、これを全部ダイレクトに自分の核となるところに流し込んじゃって、大混乱してしまう人もいそうな気がする。大混乱はしんどいことだと思うけど、そういうふうに大混乱できるのは羨ましいなと、ちょっと思ったりもする。

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2011/02/25

『先端で、さすわさされるわそらええわ』/川上未映子

4791763890 先端で、さすわさされるわそらええわ
川上 未映子
青土社  2007-12

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 川上未映子は先日の『ヘヴン』が初読みで、関西人の人はたぶん同じように思った人多いような気がするんだけど、川上未映子が芥川賞取って紹介されて、その紹介文で引用されてる彼女の独特突飛な文章が関西弁混じりなのを見て、「あ、なんか予想つくな」と思って手を伸ばすのを躊躇ってました。特にこの『先端で、さすわさされるわそらええわ』なんかは、もう、スピード感とか支離滅裂感とか、たぶん、関西弁ネイティブじゃない人が感じるソレとは絶対違う、「アンダスタンダブル?な支離滅裂感」って言えばいいのか、そんなカンジだろうなと思ってた訳です。それにしても、「先端ってたぶんアレのことだろうなアレ、まさかアレ」と思ってたらほんとにアレだったのでニンマリ。ニンマリ?違うな。

 貼った付箋んとこをメモに取る前に返却期限が来ちゃって(正確には過ぎちゃって)返却したので引用しながら書けないんだけど、読み取りが難しい章と分かりやすい章がはっきり分かれた本でした。「先端で、さすわさされるわそらええわ」がやっぱりいちばんしっくりきた。スピード感も支離滅裂感も完全シンクロ。すいすい読めました。後は『彼女は四時の性交にうっとり、うっとりよ』と『告白室の保存』がすいすい。なんだエロい系ばっかりか。

 一方でたまらんかったのが『ちょっきん、なー』で、難しい以上に生理的にかなり気持ち悪かった。グロいことを書いてる訳でもなんでもないんだけど、なんというか血が流れるということのリアルに感じられるさ加減というか、おんなじことを描写したとしても、読んでて「かんべんしてー」と思うようなことになる人とならない人がいる。『ちょっきん、なー』は、もう一行一行からこっち側に体をいじくってくるような気持ち悪さがあって、あれはやっぱり女性ならではなカンジなんだろうか? 

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2011/02/12

『きことわ』/朝吹真理子

4103284625 きことわ
朝吹 真理子
新潮社  2011-01-26

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 貴子が小学三年生で八歳、永遠子が高校一年生で十五歳。最後に会った一九八四年以来、二十五年振りに二人は再会する。二人がそれまで一緒に遊ぶ契機となっていた、葉山の別荘に買い手がつき解体される運びとなり。貴子は別荘の持ち主である春子の子、永遠子はその別荘の管理人の職を得た淑子の子。体の弱かった春子が急逝して以来、貴子の家の別荘住まいも途絶える。永遠子の母が管理人として働き始めたのは、他にいい人ができて外出する口実をつくるためと淑子は永遠子に不意に打ち明ける。淑子は二人目を身籠っていたが生活を考え産まない選択肢を取ったという。それは夫との子に間違いないと言い、もし生まれていれば貴子と同い年だったと言う…。

 二十五年という時間は僕ももちろん経験している。初めて二十五年を経験したときのこともわずかばかり覚えている。会社の同僚が「私らもう半世紀も行きてんでーどう思うこれ?」というメールを送ってきて、「オマエもう五十歳か!それを言うなら四半世紀やろ!!」と散々コケにした思い出があるが、「そうは言っても、半世紀も四半世紀もさして変わらないような気がするのはなぜだろう…単に言葉に慣れてないせいだろうか?経験したのが四半世紀だけで、半世紀を経験してないからだろうか?メルクマールとして認識するものは、二十五年だろうが五十年だろうが、それこそ二十歳だろうが六十歳だろうが、長短を問わずいっしょくたになるのだろうか?」と少し逡巡したことを、本著を読んで思い出した。あの時は逡巡して終わってしまったけど、そしてまだ僕は半世紀を経験してはいないけれど、四半世紀も半世紀も一緒だというつもりはないけれどもしかしたら四半世紀で半世紀を経験していたかもしれないし、僕の記憶に今残っているあの二十五歳までの人生というのは、ほんとうの僕の二十五年の時系列事象とは別物って可能性のほうが高い。今も粛々といろんな出来事が現れ、粛々といろんな人が現れ、僕の気持ちを千々に乱れさせて過ぎていく。それは二十五年で見たことのあるようなことかもしれないし、これからの一年間は予め見たことのあるような一年間かも知れない。この一か月がまるで一年間のようだと今は感じていても、二十五年後に振り返れば一秒も思い出せないかも知れない。できることならこの今の一分一秒を、大切にしたいと思える時間の一分一秒の現在をくまなく大事にしようと過ごしてきた三十九年間だったけれど、知らず知らずのうちに伸び縮みする時間を堆積を、きちんとした寂しさを抱えて抱いてあげることができるようになったんだなと思う。ただできることなら、その「うまくやれるようになった自分」をまた再び打ち砕く程の衝撃を与えてくれないかな、とは思う。

 驚いたのはラストで、永遠子が「今度遊びましょう」と、具体的な候補日を挙げて貴子にメールをしていたこと。確かに古い友人とは言え二十五年振りの人。世間では誘うときというのは、そんなにも早いタイミングで具体的な候補日を挙げるものなのかと驚いたのだ。そして逆に僕は、単なる儀礼としてその言葉を投げかけているのだという印象を与え続けてきたことが多少なりともあるのだと。

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2011/02/06

『わたしたちに許された特別な時間の終わり』/岡田利規

4103040513 わたしたちに許された特別な時間の終わり
岡田 利規
新潮社  2007-02-24

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 この文体が、もちろんこんなにうまく書けるという訳ではなくて、なんだか自分が書いているような感じで驚いた。あんまりこういう文体を見かけたことがない。語り手である人物が今いてる場所の詳細をうねうねと書きつけていく感じ。

 渋谷のラブホで四泊五日した行きずりの男女の、男性側の語りと女性側の語りだけど、僕は、それがイラク空爆のときで、二人が示し合わせてテレビを全く見ず、ことの経過を待ったたく知ろうとせず、世間と隔絶された時間を過ごそうとしたということよりも、女性側の語りで語られる、「今感じているこの渋谷-知ってるのに知らない街-みたいなモード」の感覚のために四泊五日があったというのに感じ入る。そして、女性は「まだ離れたくなかった。でももう少しだけだと決めてもいた」というところに、とてつもなく女性らしさを感じる。僕たちは例えば旅行で非日常感覚を味わうけど、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わおうと思うとどうしているだろう?僕の場合、例えば東京出張のような気がする。例えば、休日に勤務先近辺を歩くことのような気がする。僕が味わっている感覚は、本著が説明している感覚とは重要度が根本的に違うかもしれない。僕が味わっているのはほんとに「知ってるのに知らない」だけだけど、本著の二人は「戦争が起こっている」というより重要なときなのだ。それでも、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚を味わいたい、という欲望は理解することができる。そして、本著ではそれは四泊五日という長さの時間だけれど、それが一年や二年や五年や、という長さになることもあるだろう。何年もの長さをかけて、「知ってるのに知らない街」みたいな感覚に溺れたくなることだって、現実の人生には起こるのだ。  

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2011/01/30

『君が降る日』/島本理生

4344016564 君が降る日
島本 理生
幻冬舎  2009-03

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暗示的。まったく相変わらず自分の「本を選び取る才能」に惚れ惚れしてしまう。

ここ最近読んだ本の「暗示」は、過去の出来事の意味や扱い方の暗示で、この『君が降る日』は今これからの暗示だった。明確な節目なんてある訳ではなく、今が節目付近という訳でもなくてとうに過ぎ去っているのだけど、この暗示を受け取るタイミングとしてはベストだったと思う。

僕が今まで「やってみるんだ」と決めたことは、何一つとしてやり遂げることができなかった。「やるべきことなんだ」と認識したことは、ちゃんと結果を出してきたと思うけど、「これは難しいこと。でもやってみるんだ」とチャレンジを決めたことは、やっぱり難しくて、やり遂げることができたことはない。そしてまた今、僕は「やってみるんだ」と思えたことが胸にある。今までやり遂げられなかった数々は、だからと言って無駄になんかなっていない。無口な情熱として僕の中に折り重なって宿り、それが今度の「やってみるんだ」を後押しする。大事にしたい分だけ、不安の種をいくつも見つけ出してしまえるけれど、それでも「やってみるんだ」と思っている。

表題の『君が降る日』は、恋人を亡くすというモチーフ。『もしもし下北沢』は父親を亡くすというモチーフだったけど、この二作はそこから回復するためには「道のり」が必要、と言ってる点で共通してる。言うまでもないことなんだけど、意外と忘れがちになる。特にせっかちな僕は。いつかは必ず回復することが分かっていても、回復してない間はそんなこと信じることができない。ただ、その間、自分がやりたいと思ったことや、流れが生み出してくれた行動が、いったいどういう意味なのか、本当のところはいつも後から判る。でもそれでよいのだと思う。

でも今回暗示的だったのは『君が降る日』ではなく、『野ばら』。表題作ではなくて、いちばん最後に収録されている作品に痺れてしまうこのパターン、『袋小路の男』と同じで奇妙でなんなんだろう?ほんと。暗示的というか、自分が挑もうとしている道の険しさを再認識させられるような。でも、こう書いちゃうとあまりにシリアスだけど、そんなにシリアスじゃないし、シリアスじゃ余計ダメだよね、というのもちゃんとわかっている。願わくば、そこに誤解が生まれないように、自分自身ではどうにも解決しようのない類の誤解が生まれないように。

もう一作、『冬の動物園』は、主人公の美穂のお母さんの最後の一言、母親らしさでもあると思うけど、本気でそう言ってるようでもあって、本気でそう言ってるようなところが、僕の母親にそっくりで思わず笑ってしまった。 

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2011/01/23

『ヘヴン』/川上未映子

4062157721 ヘヴン
川上 未映子
講談社  2009-09-02

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初「川上未映子」。

どうして女性というのは、自分は忘れられたくないのだろう。自分のことを覚えていてほしいのだろう。一般的には男のほうが、いつまでも過去を覚えていると非難めいて言われるのに。でもその疑問の答えは常に出ている。女性は、自分以外はすべて他人なのだ。

読み終えて思ったのは、主人公の「僕」と、コジマを入れ替えて書いてほしかったなということ。入れ替えるってのは、主人公を女の子で、コジマを男の子で書いてほしかった。コジマを主人公にするって意味じゃなくて。川上未映子が女性であるだけに、主人公を男性ではなく女性にしてほしかった。

読み終えてなんでそんなことを思ったかというと、途中でひとつだけ違和感を覚えたところがあったから。それは、「僕」が斜視は手術で簡単に治るんだということを話した際のコジマの振る舞いに始まる。男性はどうだとか女性はどうだとかの決めつけはあんまり褒められたものではないけれど、「しるし」を大事にするコジマの気持ちというのは僕にはとても分かりやすく「女性」だった。シンボルに拘る、シンボルを大事にする女性。それに対して「僕」はそこには本質はないと感じていて、だからラストで、「誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない、それはただの美しさだった」と嘆息する。でも「僕」のその本質感を、彼を苛めていた百瀬の「斜視が理由なんかじゃないんだよ」という嘯きが補強している面もあり、それがコジマに微かに伝わってしまっている感もある。

だから、主人公を「私」で書いてほしかった。主人公が「私」だったとき、こういう普遍的なラストを作り上げることができただろうか?コジマはくっきりと強く、自分自身の理論を持って、そして「しるし」に縋りながら、強烈な力を発揮する。それが、男の子に出来ただろうか?自分以外はすべて他人、お互いの立場を入れ替えることなど露程も頭になく、あなたはあなたわたしはわたしを貫き通す女の子と、より一般化しようとする男の子。このループを揺り動かすような構造を見てみたかった気がする。

コジマは言う。「わたしが、お母さんをぜったいに許せないのは」「お父さんを」「最後まで、可哀想だって思い続けなかったことよ」。女性は、続かないことを許さない。男性は、そこに孤独が横たわるとしても前に進もうとする。誰とも分かり合えない悲しみを、あらかじめ胸に抱いている。  

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p87「太陽のおまじない」
p115「僕はそのふちに立たされてしまうといつも絶望的な気持ちになった」
p136「自分の手だけは汚れていないって思い込んでるかもしれないけど、」
p151「自殺という言葉が連れてくるのは「どこかの、知らない誰かの死にかた」以上のものではなかった。けれど」
p170「意味なんてなにもないよ。みんなただ、したいことをやってるだけなんじゃないの」
p175「『自分がされたらいやなことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ」
p193「自分がなにについてどう考えてゆくのが正しい筋なのかがわからなくなっていった。」
p203「最後まで、可哀想だって思いつづけなかったことよ」
p210「返事がないのに手紙をつづけて書いてそれをだすのはこわいことだった」
p224「僕がしつこく手紙を書いたりしたから、こんなことが起きてしまったのだ」
p234「わたしたちは従ってるんじゃないの。受け入れてるんだよ」
p235「想像力もなにも必要じゃない、ただここにある事実なのよ」
p241「僕は自分の本当の母親のことも話した」
p248「そしてどこにも立っていなかった。音をたてて涙はこぼれつづけていた」

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2011/01/22

『もしもし下北沢』/よしもとばなな

4620107573 もしもし下北沢
よしもと ばなな
毎日新聞社  2010-09-25

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ほんと「さすが」としか言いようがありません。ここしばらく女性作家の恋愛ものを大量に浴びるように読みたいというテンションが続いてて、先週あたりにジュンク堂ヒルトンプラザ店行って目についたものを買い込んだんですが、その時、「最後に『もしもし下北沢』を読む。たぶん、これ一冊読んだらそれで済んじゃうけど、それもなんなので、いろんなのを読んで、それからこれを読む。」と、そういう方針だった。で、実際そうだった。あまりにメジャーであまりに当たり前に良い作品だけ読むことになっちゃって凝り固まるのはいけないんだろうなあと思っていたんだけど、これだけでいいんだからしょうがないじゃないか、読み終えてそう思った。やっぱりよしもとばななの小説はしっくり来る。なのになんで本作を今まで読んでなかったのか?というと、地名の印象で引っ張るっていうのがあんまり好きじゃないから(笑)。「そんな、下北沢なんかに住めりゃそりゃいいじゃん!そんなんで差異をつくんのって、ずるい!」と思う訳です(笑)。でも、いたずらに下北沢という地名のイメージで押してくるような内容では全然なかった。そこも「さすが」でした。

何が違うって、頭に残る映像が違う。映像というかイメージというか。たいていの作品は、「目に見える」景色がイメージとして描写されていたり、目に見えないものを何かの雰囲気や形を借りて描写したりしている訳だけど、読んでるときは作者が表そうとしてるものが喚起できても、読後にそのイメージはほとんど残ってなくて、粗筋だけが残る。でも、自分が好きだと思う作家の小説は決まって「作者が作品の中で言おうとしたこと」が、(それを僕が正しく読み取れたかどうかは別問題として)イメージとして頭の中に胸の中に心の中に残るのだ。よしもとばななは正にそう。どんな粗筋だったかももちろん残るけど、小説の中に宿っているよしもとばななの人生におけるフィロソフィーとか想いとかそういうのが「イメージ」としてくっきり残るんです。それは言葉にはできないけれど、自分の胸の中では「ああ、あれはこういうイメージの小説だったなあ」というのが、引出の中に大切にストックされる。そういうイメージとともにストックされた作品がたくさんあって、今の自分が、今の自分の考え方や哲学や日々生きるための知恵や工夫やスタンスや強さみたいなのが出来てるんだと思う。

最初に書いておくと、ラストの山崎さんとの下りは、中年男性の僕にとっては、ありきたりの展開過ぎて、つまらなかったというか、なんか予想外の展開で驚かせてほしかったというか、そういう不満はあります。「”品行方正”という意味で正しいということが何か、大人として何かはちゃんとわかっております、判っているということを事前にお伝えしておいて、それでもそれを破ってでも僕はこうしたいんです」式の口説き方に、とりわけ若い女性が弱いということは悔しいくらいわかる訳で、(もちろん山崎さんとよっちゃんの間柄はそんなちゃちいもんではないけれど)その筋に乗っかっちゃったのが少々残念なとこではあります。でもそれを差し引いても、この小説が持つ「切迫感」みたいなのは痛切で痛烈で、切迫感を息切れさせないまま、きちんとある方向に誘ってくれる。そこが「さすが」と賛辞したくなる所以。

「お父さんが知らない女性と心中してしまった」という帯の粗筋だけでは、それがどういうことなのかは半分も書けてないけど、とにかくとんでもなく重たい辛い悲しい出来事があって、残された妻・娘がどんなふうに生きていくかが、基本的に娘・よっちゃんの視点で書かれてる。よっちゃんはひどく丁寧に物事を考え、考え抜いて、行ったり戻ったりを繰り返す。そして、何度も何度も「今はそのときではない」というスタンスが出てくる。「今はそのときではない」。このスタンスは、よしもとばななの小説では結構見かける気がするし、よしもとばななの小説以外ではあんまり見かけないような気がする。「今はそのときではない」。この考え方、哲学、はものすごい重要だと思ってる。今までの自分は常に獣のような、「やれるんなら今やろう」的な生き方をしてきたように錯覚してたけど、「今はそのときではない」こう考えて自重できる哲学をとても大事にして生きてきてたんだなと思う。焦らない、焦らない。いずれ時が来る。そのときはそのときちゃんとわかる。それまでちゃんと待つんだ。自分の周りの環境がそれを待ってくれなかったらそれはそれまでのことなんだ。『もしもし下北沢』が改めて僕に提示してくれたのはそういうことだった。とんでもなく重たい辛い悲しい出来事があったとき、よっちゃんのように行きつ戻りつ、かかるだけの時間をかけて立ち戻っていくのが自然なんだよと。

その人の言葉の、どこに真実があって、どこかに嘘があるのか?誰の言ってる親切が、優しさが、本当の気持ちなのか?欲の裏返しではないのか?自分の弱さが、その裏返しに絡め取られてすり減らしてしまっていないか?間違えたりはしない。

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p4「うすうすわかっていることをだれかがはっきりと言葉にしてくれると、心はこんなに安らぐんだ、そう思った」ばななさん、あなただよそれは!
p15「私も意味がないことをしたい。若いときに戻れるとは思わないけど」
p20「『大人になったら、きちんとしていればなんとかなる』っていう教えを私にたたきこんだこの世の全てに、今はただひたすらに反抗したい」
p59「でもこういう割り切れない時期があるのって、大事なことかもね」
p60「精神的な飢えが根底にあるのに、他のことでその瞬間だけ取り繕っているんだから」
p68「前向きすぎず、後ろ向きすぎないその態度を見て、なんといい女だろうと思ったのだ」
p91「まだ言うな、そして言わないことは裏切りではない」
p106「なにもなかったように暮らしていけたら、それはおかしいよ。だからもし僕がよっちゃんだっ たら、同じように思うと思うんだ。なにかしたい、なにかしなくちゃって。でも、パパが帰ってくるわけじゃないからなあ。そういう気持ちを持ったまま、じっ と今にも腐りそうな荒れた気持ちで、生きていくしかないんじゃないかなあ」
p115「光だけじゃだめなの?日常の温かさだけじゃ生きていけないの?」
p139「そうか・・・時間はたっているんだ」
p156「失っていく、もう戻らない。/そのかわりに、私はこれまで知らなかった、雨の茶沢通りの匂いを知っている」
p158「私が彼を見る目はちょうど、奥さんがいて、でも大好きな見た目の若い彼女を見る男のような、奇妙に切ないものだった」
p169「諏方神社だよ。有名なおせんべいやさんの近くの・・・」
p188「そう、こわいことは、お父さんがさまよっていることだけではなかった。お母さんが心の中でお父さんを完全に捨ててしまうこと、それがいちばんこわかったのだ」
p193「多分もう会うことのない人、でも生涯わかちがたく結ばれてしまった人」
p202「この膜があるままに行動すると、後で必ずしっぺ返しが来ると、私の本能は語っていた。どうしてなんだろう、でもそうだったのだ。」
p208「これが若さというものなのだと実感もしていた。経験していなことをひとつひとつクリアしていく歓び」
p211「さよなら、私のごまかしの恋。今でなかったらきっとほんとうに夢中になれた恋」
p212「数をこなして慣れているから、女性はこういうとき追いつめないほうがいいとわかっているだ。/くすんだような、悔しいような、それは決して嬉しい気持ちではなかった」
p219「よっちゃんの好きにするといいよ、それはいやではないし、反対しない。ただ、私は全然行きたくない」これが”社会”では通じない
p219「こんなふうに捨てられるってどういうことかわかる?世間体を考えてもすごくみじめだけれど、そんなことじゃない」
p228「さすがお母さん、どうして「探偵物語」を観ていたのだろう」
p245「実らないものには実らないものだけが持つ良さがあった」
p252「空っぽにしてあげたい、そう思わずにいられない」
p259「でも新谷くんと行けるところはどこにもない、気持ちよさの果てで行き止まりだ」

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2011/01/15

『窓の魚』/西加奈子

4101349568 窓の魚 (新潮文庫)
西 加奈子
新潮社  2010-12

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 ナツ、トウヤマ、ハルナ、アキオの男二人女二人が温泉旅行に出かける。そこでの四者四様の胸の内と、翌朝残される一体の死体。

 西加奈子は『さくら』を読んで以来、ちょくちょく読んでる。ここ最近、女性作家の恋愛小説を固め読みしようと、ジュンク堂ヒルトンプラザウェストで目に留まった文庫本を買ってきたんだけど、僕のイメージしてた西加奈子とはだいぶ違ってた。実際、それまでの作風とは違う境地を拓こうとしたもの、らしい。

 四人の男女の気持ちが交錯して描かれる中に、ちょっとオカルトな要素が入ってて、そのあたりが「恋」の不可思議さの空気とつながると思うんだけど、今の僕にはちょっと入ってこなかった。空気感で「恋」を語られるものよりは、みっしり真正面から描かれるものを望んでるみたい。前に読んだ絲山秋子のほうが今の好みかな。西加奈子なら、やっぱり『さくら』のような暖かみがほしい。 

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2011/01/07

『袋小路の男』/絲山秋子

袋小路の男 (講談社文庫)
袋小路の男 (講談社文庫) 絲山 秋子

講談社  2007-11-15
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 『妻の超然』に続いて絲山秋子。文庫が出ていると知って早速買ってみた。「袋小路」と言われると『デッドエンドの想い出』、足掛け10年の恋と言われると最近読んだ『寝ても覚めても』を思い出す。日向子が袋小路の家に住む小田切と出会ったのは高校一年。それから12年、指一本触れることないまま、二人は連絡を取り合い、時に会ったりする。どうして小田切は日向子に対して踏み込まないのか?それを小田切側の視点も踏まえて三人称で描かれる『小田切孝の言い分』。小田切がどうして日向子に手を出そうとしないのか、関係を前に進めようとしないのか、男の僕にはわかるようなわからないような、醍醐味ともいえるもどかしさが続く。けれども、「袋小路」の言葉の持つ甘美さは『デッドエンドの想い出』の方が染み渡っていたし、足掛け10年の恋の見えていないさ加減(または見ている加減)は『寝 ても覚めても』のほうが鮮烈で味わい深かった。

 しかし出会いはいつでも思わぬところから飛び出してくる。僕に取っては三作目の『アーリオ オーリオ』がこの上なかった。釘づけになって一気読みしたといって差し支えない。

 38歳の哲と、14歳の姪美由。ケータイメールではなく、リアルタイムではない手紙でのやりとり。哲の過去の恋愛と、14歳の美由にさえ悟られた自分の性分。それは自分が聞く耳を持たないことと、未来について話したがらないこと。見たいのは光っている天体ではなくダークマター。哲とのやり取りのなかで美由は自分だけの新しい世界を作り始め、哲はそれを見ても自分の変わらなさ変えられなさを変えられるなんて思いもしない、諦めている。

 なぜか?終わりを心底怖がっているからに決まっているじゃないか。なぜそれがわからないんだ。終わりと睨めっこして明日を乗り越えるなんて芸当、到底出来ない。だから未来を語らない。若い美由には掃いて捨てるほどの先があり未来があり当人はそれを未来だと思っていない、高校受験と同じくらいの扱いだ。けれども哲は既にほっそりとした恋人と一度その「未来」を潜ってきていて絶望している。
 いや、それは年の問題ではなかった。小田切も、たかが2歳の歳の差でも未来を語らなかったじゃないか。

 なぜか?終わりを心底怖がっているからに決まっているじゃないか。なぜそれがわからないんだ。

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2011/01/05

『現代思想2011年1月号 特集=Googleの思想』/青土社

4791712218 現代思想2011年1月号 特集=Googleの思想
青土社  2010-12-27

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 とりあえずメモ。日本人とフランス人だとこんなに切れ味がやっぱり違うのか。同じ清濁併せ飲むスタンスでも、フランス人はかなりフラットだけど、日本人は「ほんとはキライだけど無理してフラットしてます」という空気漂う。

 最も興味あったのはグーグルのデザイン責任者ダグ・ボウマンの退社の話。
 Googleは、「例えば検索結果のページに使われている水色は、~考えうる限りの微妙に異なる水色のパターンを用意しておき、ユーザーに対してランダムに表示する。~表示した色の違いによってリンクのクリックが多かったのか少なかったのかといった変化を統計的に算出することができます。そして、最終的にクリック率が高かった色が自動的に採用されるメカニズム」になっていて、ボウマンは「これはデザインじゃない」とブログに書いたという話。ここから「デザイン」を突き詰める展開にしてほしかった。

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p55「「非物質的なもの」の汚名を着せられた者たち~一つの言明、一つの野心~それは二つの信仰表明であり、その色合いはまさしくきわめて「アメリカ人」的
p67「よりうまく自分自身のイメージにわれわれを送付するという目的ゆえに、おそらくは怠惰から」
p58「Googleは、各人の財布よりもはるかに各人の生きた知識と自発的改訂(クリティーク)に胡坐を書いた貢献型経済の権化の数々の中で、最もブリリアントなそれである」
p66「ボウマンがブログで吐露したのは、「こういったモノの作り方を実現できるエンジニア集団と仕事ができたことは本当の素晴らしかったが、これは私にとってのデザインではない」」
p70「セマンティック・ウェブ」
p78「アンカリング」
p82「新書マップ http://shinshomap.info/」

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2011/01/03

『経済ってそういうことだったのか会議』/佐藤雅彦 竹中平蔵

4532191424 経済ってそういうことだったのか会議 (日経ビジネス人文庫)
佐藤 雅彦 竹中 平蔵
日本経済新聞社  2002-09

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佐藤雅彦氏が意外にも?普通の人が「聞きたくても聞けない」ようなとても基本的で根本的な経済に関する疑問を、竹中平蔵氏にぶつける対談集。だいたいのことろは理解できているような内容でも、それを肌感覚で実感させてくれるいい本だと思います。

ここしばらく「自分の仕事を考える3日間」にあわせて、「仕事」に関する視点で読んでいるので、本書もその視点で読んだ部分もあった。その問題意識で読むと、「雇用」に興味の中心が来る。これまで読んできた「自分の仕事を考える3日間」に関する本の趣旨は、多くが「やりたい仕事を、やりたいように、納得できるようにやるためには、少人数のチームが適している」という結論を導いている。組織が大きくなれば維持費用も高額になるし、意思決定のために大きな時間と労力を使う、等々、大きな組織には「いい仕事」をするための弊害が多い、という。

しかし本書を読むと、起業の最も評価される点は「雇用の創出」ではないかなと思う。自分の雇用は自分で作ればいい=起業ということになるかもしれないが、もちろん誰しも起業に向くわけではないので、被雇用者として生きる道を取らざるを得ない人も出てくる。そうなると、より多くの雇用を創出できる企業が、最も評価される企業ではないのか?という疑問が出てくる。そもそも、なぜ分業制を引くのかと言えば、分業することでより大きなアウトプットを残せるからだ。より大きな規模の仕事を成そうとすると、分業制は必須になる。分業制を引くことによって、雇用を創出することができる。起業することで自分の雇用は自分で確保しろというのが21世紀の日本の姿として妥当なのかどうかは、まだわからない。

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p54「みんな居心地がいいようにだけして、会社そのものが利益を上げる革新の力を弱めてしまった」
p56「「わが社」っていう意識なんですよ」
p60「実はアメリカで、その中でもデラウェア州の影響」
p63「ブリッシュかベアリッシュか」
p74「(増資とは)資本金を増やすこと」
p98「民主主義の社会において、複雑な制度は悪い制度」
p102「98年に経済が悪くなってきて、政府は景気刺激のためにさらに所得税減税をやりたくなった。ところが税金を払ってない人には減税のしようがない。だからこの前の地域振興券というのは商品券減税になるんです」
p114「オーストラリアの肉のほうがアメリカよりずいぶん安いから」
p125「ロバート・ライシュ」「フー・イズ・アス?」
p131「連邦主義、フェデラリズム」
p140「限界革命」
p160「大量生産・大量消費というのがアメリカですが、大量廃棄は日本の減少」
p186「最初にドルのばらまきをやった」
p188「どっかのODAなんかクルマに化けてて、官僚が使ってたとか言われると、ガッカリしちゃう」
p201「経常収支の赤字は通過引下げ圧力」
p208「タイは・・・よく言えばすごく自由。悪く言うとすごく無節操」
p214「ハンチントンの『文明の衝突』」
p253「住宅投資というのはGDPの7%ぐらい」
p270「アクアライン・・・は半分トンネルで半分橋という妙なつくりになってますけど、あれはセメント会社と鉄鋼会社が半分ずつお金を出したからだ」
p279「いくら有益なことでも知識のように目に見えないものならば、それを取得することは消費」
p284「えっ。起業したって」
p293「電通の「アドバタイジング」」
p300「この(ジレットの)会長にはビジネスの取捨選択には四つの基準」
p304「たとえばNECなんか、昔は要するに電電公社の御用達メーカー」
p305「かつての優良な利益をもたらす商品が、そうでなくなってくる」
p306「一般の人には、10対10の会社に見えてしまう」
p309「マハティールがクリントンを名指しで、いちゃもん付けてました」
p319「カスタマーズ・サティスファクション」
p319「寺田千代乃さんが作ったアート引越センター」
p323「企業とエグジットストラテジー」
p355「シュンペーター」「経済の実感を持ってる人に非常に受け入れられる」
p355「どの仕事にもたくさんの課題があるように、広告も一つのCMを作るのにいくつもの問題を抱えます」
p362「oikosは小さい共同体」
p367「金融システムはその典型」
p371「コンペティティブとコンピタント」
p394「地元もマクドナルドが来ることを望んでいてね」
p397「新しいものをどんどん欲しがっていて、でもなくしたものに対して、あれもあったらいいのにと思っている」
p400「もっと、あざとく言えば、マックの戦略に乗せられる人と戦略を作る人の二つ」

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2010/12/31

『自分の仕事をつくる』/西村佳哲

4480425578 自分の仕事をつくる (ちくま文庫)
西村 佳哲
筑摩書房  2009-02

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関心空間ユーイチローさんのKWで文庫本が出ていることを知って、早速本屋へ。

 基本的には、独立している方や、企業の中で全体を見れるポジションにいる方がインタビューの対象なので、一介のサラリーマンとしては読み方が難しいところもあります。「サラリーマンという働き方は、会社に自分の時間を引き渡している」と、はっきり書かれているところもあります。しかし、「文庫版あとがき」で、とある編集者の読者の方からのメールと、それに対する著者の返信が掲載されていて、それを読めば、サラリーマンであってもこの本に書かれている「心」が、自分の働き方を考える役に立つと分かると思います。

 この本で訴えられていることのひとつに、「自分の時間をいかに仕事に注ぎ込むか」というのがあると思います。それは、24時間仕事に注ぎ込まなければいい仕事はできない、というような表現もあるし、狭義の「仕事」に割いている時間は極力減らして、仕事に有用なはずの私的な時間を多く持つことで仕事のクオリティを上げられる、というような表現もあります。いずれにしても、「仕事」というのは「この程度でいいか」で済ませていいものではない、だから、どれだけ仕事に手間暇かけられるかが重要、ということなんですが、そして、これを実現させるために、住む場所も変えてしまって生活コストを下げれば実現できる、という訳ですが、日本で考えれば、じゃあ逆に無暗に都市部の生活コストが高すぎるから、そういうふうに「仕事」ができない、そういう社会構造になっちゃってるっていうことだよね?と思います。なぜ、だれが、そんな高コストな社会にして喜ぶのか?儲かっているのか?

 もう一つ、僕はこの「仕事」の考え方と対局の会社に勤めています。この「仕事」の考え方は「独創性」が出発点になりますが、僕の勤めている会社は、徹底的に汎用製品化して売り抜くことで、省労力で高利益を上げようというスタンスです。生きていくためにお金が必要なら、いかにそれを簡単に短時間で集められるか、という哲学で貫かれているようです。それは確かに一つの考え方です。必要十分なお金があって、仕事以外に使える時間がたくさんあるなら、人間として無気力になることはなさそうです。でも、このスタンスはなんか違和感を感じないか?-そこがすべての出発点だと思います。
お金がなかったら辛いか?幸せじゃないか?お金として形になってないものは価値がないのか?意味がないのか?今よりずっと貧しかったはずの昭和30年代とやらを、「古き良き日本」とかいって引っ張りだすのはなぜなんだ?だったら、お金として形にならない「何か」をもっと大事にしていいんだ、と言い切る強い思想が必要なんじゃないか?そしてそれをみんなが言い続けていくような土壌が。お金はあくまで単位であり交換するための道具。その大切さを粗末にするつもりは全然ない、全然ないうえで、「金は要るだろ」式のリアリズムを超える理想を語れるようにならないといけない。

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2010/12/30

『妻の超然』/絲山秋子

4104669040 妻の超然
絲山 秋子
新潮社  2010-09

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 文麿は他の女のところに出かけていっているようである。理津子は確認はしていないがそれを事実としていて、だからと言って事を動かそうとは思わない。曰く、「超然としている」。

 理津子は文麿の行動そのものに対して直接的に文麿に何かを言ったりはしない。それを以て理津子は自分を「超然」だとしていた訳だけど、それは「見て見ぬ振り」とそう変わらないものだった。それに、理津子は文麿の「行動」に対しては目を向けていたけれど、文麿の「考え」には全然目を向けていなかった。彼が何を考えているのか、考えたことがあるのか。あるとき理津子はそう自問する。そして、自分がやっていたことは「超然」ではなく「怠慢」だと気づくのだ。
 その過程には、「よその女の家に行ってしまうのは、そっちの方が楽だからではないだろうか。」という一節がある。そして理津子は、「そんなこと、断じて認めるわけにはいかないが。」とここだけは「超然」としていない。やっぱり理津子は、文麿にはまず理津子という図式が必要なのだ。だから「私はまだ一度も文麿を捨てたことがない」のだ。
 だから、捨ててしまえる人は偉いと思う。それは自分の変化を受けいれていることだと思うから。でも偉さはそこまでなら半分で、相手の変化にもちゃんと目をこらしていたのだろうか?それを受け入れているのだろうか?そこから逃げるように、自分も変化しただけではないのだろうか?それでは結局、「見て見ぬ振り」と同じなのではないか?自分が「超然」のようが「怠惰」に陥ってしまった理由は、実は自分が作り出していたものではないのか?

 僕はこの話を、二つの読み方をほとんどオートマチックにしてしまっていて、ひとつは文麿の立場、ひとつは理津子の立場。文麿の立場というのは、「誰かの許しに甘えて生きている自分」、理津子の立場というのは、「怠慢な自分」だ。どちらの自分もいることは認めざるを得ないと思う。もちろん、そういう自分を出さないように日々努力はしているつもりだけど、どうしても文麿だったり理津子だったりしてしまう、それもどうしようもなくてそうなってしまう毎日が続くときも、言い訳ではなくて実際にある。そんなとき、理津子が忘年会から酔っぱらって帰ってきて、眠れているのに眠れないといって傍で寝れば眠れるということを知ってて寝かせてあげて「文麿がしあわせで嬉しかった」と感じる、その心ひとつに救われるし救えるのだ。それこそが「超然」なんじゃないだろうか。そういう「超然」を身につけることができたり、救われたりすることが、僕にもあるだろうか?

 途中、理津子のストーカーの話が出てくる。親友ののーちゃんに相談すると、「この手紙をそのストーカーに渡せ」と封された封筒を渡される。理津子は言われる通り、ストーカーにその手紙を手渡すと、それきりストーカーは現れなくなる。中身がどんなものだったのかは最後まで明かされなくて、僕はその内容をうまく想像することができない。のーちゃんは「人間扱いしてやっただけ」と言っていて、これはたぶん、「見て見ぬ振り」をしていた理津子の文麿に対する態度と遂になっているのだとは思う。 

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『聖☆おにいさん』/中村光

4063729621 聖☆おにいさん(6) (モーニングKC)
中村 光
講談社  2010-12-24

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楽しみにしてた新刊!さっそくジュンクで買ってきて読みました。
相変わらずおもしろいけど、読み終えた直後の感想は「ちょっとパワー不足かな~」。

なんでかな?ともっかいパラパラめくってみたら、全部で7話なんだけど、そのうち、「アスリート達の蹉跌」というよくわからない天部独特のスポーツ(ハリポタのアレみたいな)の話、「コミックスで大わらわ」という漫画界の話という、日常的じゃない話が2つ入ってるからかな。聖☆おにいさんのおもろいのって、立川っていうなんかふつうっぽいとこでふつうじゃない二人がふつうのことしてるってとこなんで、特殊な舞台に行かれると、特殊に追いつくのに頭がいっぱいになっちゃう。漫画界の話は漫画好きの人にとってはふつうのことなんだろうけどね。

「いたいけビーチボーイズ」の愛子ちゃんのぶっちぎりっぷりがいちばんおもしろい!  

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2010/12/25

『BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]』

B004ETEOGO BRUTUS (ブルータス) 2011年 1/15号 [雑誌]
マガジンハウス  2010-12-15

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今、僕は完全に自分の生き方に迷っている。悩んでいる。狭くは勤めている会社でのロールについて、いったいどこまで研鑽するべきなんだろうかという問題点から、広くはこの先この職業のままでいいのだろうか?大丈夫なんだろうか?という問題点。身につけた価値観は容易に消し去ることができず、他人と比べては見劣りするとか馬鹿にされていそうだとかいう感情の周りをぐるぐる回っている。金を稼がなければならない、出世しなければならない、ステータスを身につけなければならない。そんなの大切なことじゃないという人も、少し気を緩めると、身につけている時計や乗っている車でこちらのことを判断しようとしたりする。それらの物差しを全く気にすることなく、自分が心血を注ぎたいということにピントを絞ることなんて、できるのだろうか?

直前に読んだ『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』でBRUTUSの記事をさんざん馬鹿にした文章があり、BRUTUSそのものを「底の浅い雑誌」と決めつけそうになったけど、これは買ってよかったし読んでよかった。とりあえず読んだのは「正義と個人」「お金と幸福」「現代と仏教」「マネジメント」「今読む哲学」「つながり」だけど、どの章にも現れてくるのが、「短時間で得ようとすることの否定的な面」だ。お金を儲けるにしても、どれだけ効率的かということしか考慮されない。儲ける行為自体には何の価値判断もおかれない。その状況に対して「それは当然おかしいだろう」と声を出せるようになったことが、これまでと劇的に違うところだと思う。ほんのすこし前まで、それらはすべて「本人のやる気の問題」に還元されていた。

あれほど「余計なことはしすぎるほうがいい」と思っていても、結局僕も効率化の波に巻き込まれていた。自分の今の苦境は、効率性至上主義に自分を合わせ過ぎた当然の帰結だと思う。じゃあ非効率であれやりたいと思ったことをどうやってやればいいのか?その問題を考える前に、「とにかく効率性至上主義ではダメだ」とはっきり声を出す人が増えたこと。それがいちばん大きなことだと思う。

【承認】。世界が有限で、やったぶんだけ(と自分が納得できるくらいの)「お金」が入ることが期待できないような世界で、どうすれば落ち込まずに生き生きといきていけるのか?本来、人は他者からの「承認」がなければ満足感が得られないし、そのためにはまず他者を「承認」できなければならない、という話。ここは「つながり」にもつながるし、『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』の江弘毅の話にも繋がる。お金で表現できなければ価値として見做せないという価値観からどう抜け出していけるか?実際に、お金がなければ生きてはいけないのだ、という鉄壁のリアリズムの上に、新たな自分なりの哲学を構築していく作業なのかなと、思う。

みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
p175「消費される記号やなくて、経験やコミュニケーションの有りよう、関係性でしか書けない。」
p178「おばちゃんのそれは経済軸のものではなくて、もっと贈与的
p178「経済軸の判断は、どんどんプロセスを省略する方へいく。効率のいい方へ仕事の中身がショートカットされていって、その極端な形が「お金をお金で買う」ビジネス」

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2010/12/24

『みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?』/西村佳哲

4335551428 みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
西村佳哲
弘文堂  2010-12-01

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2010/1/9-11の3日間、奈良県立図書情報館で行われた「自分の仕事を考える3日間Ⅱ」にゲストとして登場した8人の方へのインタビュー。

来月1月の「自分の仕事を考える3日間Ⅲ」に参加するので、予習と思って購入。

予想以上に凄まじい影響力を持ってる本でした。今、というかここしばらく、僕は自分の仕事やキャリアや人生に逡巡していて、ただ漫然と過ごしているだけではダメだし、だからといって何を目指して何をすればいいのか決めきれないという優柔不断の中で、何かのヒントを貰いたくて「自分の仕事を考える3日間Ⅲ」に申し込んだんだけど、この本自体も強烈なインパクトを持って自分の旨に迫ってくる。だいたい、仕事で一方ならぬ実績を上げている人のインタビューというのは、「こんな大変な苦労しました」というものか、「特別凄い能力を持ってる訳ではありません、日々こつこつ努力するのが大事です」というものかなんだけど、この本のゲスト8名はみな一様に、「自分の存在が許される理由ってなんなのか」を徹底的に考えた経験があると述べている。やっぱりそこを徹底的に考えることから逃れられないんだな、と腹を括る。それぞれのゲストの言葉も、「仕事から生きるエネルギーを貰わない」とか、一見、「働いて生きてゆく」という問いにあわないような言葉もあり、ぐいぐいひきつけられて一気に読んでしまう。

僕はどうしても仕事を経済軸で考えてしまうところがある。自分の充実感で、仕事を計れないところがある。それは、言い訳というか、経済軸でも成功を収める、一定以上の稼ぎを得ることが他人から認められることであって、それを抜きにして自分の充実感も何もないと考えているところがある。でも、この考え方からは早く脱皮しないといけない。この考え方は、長いものに巻かれて生きようとする、青二才の現実主義の考え方だ。若いうちはそれもアリかもしれないし、経済力で自分の虚栄心を満たすこともできるかもしれない。でもまず、自分の見栄を捨て去ることが必要だ。それがない限り、年齢相応の成長を遂げることもできないと思う。

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友廣裕一
p16  お金ってけっこう関係性を切るんじゃないかって
 →正解かどうかは問題でない 視点の問題
三島邦弘
p53 「そのままの自分でいい」なんて思わない
馬場正尊
p67 状況が必要としているものを考えて、その中で自分にできることを素直にやればいいんだ
土屋春代
p95 自分を好きでいたい。嫌いになりたくない。
 →これは僕には一生無理だと思う
p96 「”いつか”はいつまでも来ないんだ」
向谷地生良
p113 困難な状況を変革してゆくのは、他でもない当事者
p118 精神障害というのは~
p121 「弱さ」を公開しあうことを、大切にしています
p128 この時に大事なのは、その仕事自体からエネルギーをもらわないこと
p132 自分が自立していく足場を持っているのは必要なことなんじゃないかな
江弘毅
p169 「しゃあない」という言葉は、あきらめとかそういうことではないです。一つの価値軸では判断しきれない時に、仲間と一緒に考え抜こうかっていう。折り合いの付け方のテクニカルタームやと思う」
p170 責任っていうのは、取るもんではなくて、全うするもんです
p175 高度情報化社会っていうのは、・・・容易に記号化したり、数値化できるものばかりを集めた社会のことだと思う
p178 結果さえ手に入れば、プロセスは要らなくなる
p181 BRUTUS特別編集2006
松木正
p200 自分の感情にあまり意識を向けていなかった
枝國栄一
p225 そこはもう、耐えましたよね
p226 一度でも妥協したらそこで気持ちが折れてしまう
p232 最悪なスタートやったけど、だから真似しかできなかった

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2010/12/23

『傭兵代理店』/渡辺裕之

4396333595 傭兵代理店 (祥伝社文庫)
渡辺 裕之
祥伝社  2007-06

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 昔から推理モノやサスペンスモノやSFモノは手を出さないので、読んでみたらと貸してくれる人がいるのはありがたいです。傭兵代理店というモノが日本に存在してるという突飛さ加減が目新しくて面白かったです。アクションものの映画を観ているよう。「傭兵」とはどういう存在なのかの知識を知れたのもよかった。
 海外モノだと、こういった突飛な話の中にも、核となるテーマは国際問題だったりするけど、日本モノだと、道具立てとしては出てくるけどどっちかっていうと主人公の心情に焦点があたることが多いとはよく言われている通りかな。

p199「恐怖を克服できると思うのは、間違いだ。それができると思う奴は早死する」
p254「疑惑というものは一旦意識すると、まるで意志を持っているかのように成長し、所有者を底知れぬ苦悩の渦に埋もれさせる」
p396「おまえたちは、ベトナム、アフガニスタン、イラクと介入を続け、世界中に紛争を蔓延させた。」
p454「ここで焦って動いた方が先に死ぬ」

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2010/12/07

『クーデタ』/ジョン・アップダイク

4309709575 クーデタ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-5)
ジョン・アップダイク 池澤 夏樹
河出書房新社  2009-07-11

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アップダイクは初めて。村上春樹関連で名前が出てきたので読んでみようと。その名前が出てきた記事では、あんまり評価されてなかったんだけど。

まず読んでいてずっと思ったのは、エルレー大統領の親ソ加減。著されたのは1978年。その当時は、アメリカにも親ソの空気があったってことなんだろうか?日本の北朝鮮への集団移住は1959年。ヒッピーブームは1960年代~1970年代。ヒッピーと共産圏は関係ないようだけど、1972年生まれの僕にはイメージとしてどうしてもつながってしまう。「みんないっしょにしあわせに」という物事の考え方が根底にあるものは、形はなんであれ似通ってしまうんじゃないかと思うのだ。

文体がかなり慣れなかった。超絶技巧な文体で、説明は多く、ディティールも細やかで読んでて面白いのは間違いなんだけど、読み進めている途中で事態がぽつんと語られることが多くて、「え?いつのまにそうなってたの?」と巻戻って読むことが何度か。かなり集中力要します、僕のような頭の悪い人間には。

それと、解説を読んで、この『クーデター』はアップダイクの作品の中ではレアなケースというのを知ってまたびっくり。アップダイクの得意な分野は、エルレーが妻四人愛人一人との間で落ちぶれていく、ああいう様をメインに持ってきた小説らしく、もっと読んでみようと思った。

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2010/11/20

『ノルウェイの森』/村上春樹

4062748681 ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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406274869X ノルウェイの森 下 (講談社文庫)
村上 春樹
講談社  2004-09-15

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映画を観る前に再読しておこうと思っていて、本屋に入った際それを思い出したので文庫本を買った。『ノルウェイの森』は何かの折に(何か節目になるような出来事があった際や特にそういうことがなくて単に思いついた際)再読しているけど、毎回、「こんな話だったっけ?」という印象を抱いている気がする。それにしても今回は、僕の読書におけるグッドラックを、自分で思い込んでる気に入った言い方でいうとセレンディピティを、一生分とは言わないけれど数年分は注ぎ込んだようなタイミングで読めたんじゃないかと思う。なにしろ、本屋で買って読み始め、端役も端役だけど全然記憶になかったけど「奈良」が登場し、iTSでビートルズがダウンロード可能となる日が訪れ、そして読み終えた。僕個人的にはこれでもう十分。十分、『ノルウェイの森』は僕に生きる力をくれた。実際、会社の人がお土産にくれたラーメンを食べ過ぎ胃を壊した翌日から、微熱が続き何も食べられなくなりみるみるおかしくなって精神的にも完全におかしくなってしまった僕をたった10時間足らずの読書が引っ張り上げてしまったのだ。

「こんな話だったっけ?」という印象以外で、今回抱いた印象で最も大きかったのは、「こんなにわかりやすい小説だったっけ?」というもの。これは、僕が村上春樹の作品を読み続けてきて慣らされてきたからなのか、僕の読書の能力が向上したからなのか、物語を注意深く受け取る感覚が失われ、通り一遍の筋書しか頭に入らなくなったからなのか、その辺は自分自身ではわからない。けれど、自分自身としてはとてもよく理解できる小説に感じられた。例えば「全てが終ったあとで僕はどうしてキズキと寝なかったのかと訊いてみた。でもそんなことは訊くべきではなかったのだ。」の部分。そりゃもちろん聞くべきではないよ。今の僕はそう思うし、その理由もパッパッと頭の中にひらめくけれど、若い頃にこれを読んだときは全然違うこを考えていたと思う。できないことの理由を問うことから始まる問答を。「訊くべきではない」というのは、単に「どうして寝なかったのか」という原因を訊くだけが対象じゃない。「寝る」ことに関わる様々な意味が、そう簡単に説明できるようなものではそもそもないから。そんなところに考えを飛ばしていたはずだ。でも今の僕はもうちょっとクリアに「なぜ訊くべきではなかった」のか、思いを巡らすことができる。

なぜ38歳の僕がこの本を今、それも再読の再読で読んで、精神的に立ち直ることができたのかはよくわからない。普通に仕事はできるものの、仕事に行きたくないとまで思うくらい、ちょっと崖っぷちだった状況から、なんとか戻ってこれたのは、この本の力が多少はあると思ってる。確かに、この本を読んでる最中、自分を覆っている時間の殻のようなもの、どうしてもそこに留まることはできないのに少しの希望の欠片みたいのを見つけては留まれるような気になっている自分の殻のようなものが、二つに割れて自分から剥がれ落ち、残念だけれどそれは剥ぎ取って前に進むしかない、そういう感覚が現れたのだ。

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2010/11/14

『真綿荘の住人たち』/島本理生

4163289402 真綿荘の住人たち
島本 理生
文藝春秋  2010-02

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北海道の善良な少年・大和君が大学生になり上京してレトロな下宿・真綿荘に。その真綿荘に暮らす大家と下宿人の一筋縄じゃない恋愛と生活。

ラスト、読み終えて、「なぜ結婚じゃだめだったんだ?」と考え込んだ。ほんと、すぐには理解できなかった。「君には、対等じゃあ、ダメなんだろう」この晴雨の言葉が、結婚ではだめなんだということはわかるものの、なんでその代わりに、養子縁組をしないといけないのか。そんなものなくても、今まで通り内縁でいいじゃないか。まったく理解できないものを突然1ページで見せられて、ぽーんと放り投げられたような気分だった。

じっと考えてみて、ああなるほど、親子か、とようやく分かった。このラストがすぐには飲み込めなかった僕は、ほんとうに幸せで満たされた子供時代を過ごせたんだと思える。千鶴は、水商売を生業とし、男に寄りかかって生きている母親の自分への愛情が、それほど深いものではないということを、生まれたときから知っていたような人生。だから、16歳のとき、何も言わずまったくの自分の責任だけで自分を抱きにかかった晴雨に、それ以来一度も抱こうとはしない晴雨に、捉えられ続けてきたのだ。同じように高校時代に強姦された経験を持ち、直接的にはその強姦ではなく、それ以降の経験から、男と付き合えなくなった椿に、「自分を強姦した相手と何事もないように住み続けるなんて気持ちが悪い」と詰られようと、千鶴が動じない理由がそこにある。千鶴にとっては、晴雨はそういう存在だったのだ。晴雨自身も、自分のすべてを自分のものにしようとした母親の呪縛に悩まされ不能で生きてきて、その母親が病に倒れ晴雨のこともわからない状態を見て、「俺はもう誰の子供でもない」と呪縛から解かれる。この小説は、恋愛の動きそのものよりも、千鶴、晴雨、あと、同じ真綿荘の住人である鯨ちゃんと付き合うことになる同じ大学の荒野、この3人の生い立ち、親との関わりあいの過去を通じて、人が大人になるための、周りの大人の、「親」という存在の重要さを感じれるものだった。

もうひとつ、まったくもってまともな大和君が、振り回されるように恋に落ちる相手、絵麻の恋愛。彼女に言い放つまともな大和君の言葉が、使い古された言葉だけどとても気が利いている。絵麻の相手は言わば高踏だけど、そんな生き方をして「結果」がよくても仕方がないよな、と思った。

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日本経済新聞2010年11月14日朝刊

「日本語の散歩道」外山滋比古
「英文のパラグラフはレンガ、日本語の段落はトウフのようなもの」

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『文藝春秋2010年12月号』

B0049B6FE6 文藝春秋 2010年 12月号 [雑誌]
文藝春秋  2010-11-10

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電車の吊り広告に「吉本隆明」の名前があったので、読んでみた。1960年安保の際、警察に逮捕された顛末が書かれてたんだけど、目を見開いたのはその説明の最後、「もうこれで書くところがなくなるだろうと思い、ものを書く場所を確保していた。それが『試行』」という下り。『試行』は読んだことはないけどもちろん知っていて、吉本隆明が仲間と、仲間だけですべての制作作業を行って刊行していたいわゆる「同人誌」と認識してたけど、単に自分達だけで独立して言論出来る場をつくったというだけでなく、「ものを言う場所がなくなるだろう」と予期して、「確保しておかなければ」とそれを準備したというところに、自分はなんて先のこと先のことを考えずにやってきたんだろうと情けなくなった。本気で先を先を見て考えないと。 

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2010/11/08

『寝ても覚めても』/柴崎友香

4309020054 寝ても覚めても
柴崎 友香
河出書房新社  2010-09-17

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すこし前、遠出した際、一冊買おうと思ってうろうろして、そう言えば日経か何かの書評見て読みたいと思ってたなと買ってみた。柴崎友香は好みで、結構読んでる。変にテンションを上げていかない、無暗な盛り上がりを作らないところが好きなのだ。

1999年22歳の朝子に始まった恋の、10年間の来歴が語られる恋愛小説。柴崎友香は3,4年振りだと思うんだけど、その昔は読んでいて脳裡にバシバシと響いた、「言葉にならない」感覚というのが、さすがに僕も歳を取ったのか、あまり響かなかったように思う。女の子の、人を好きになる不思議な感性というのが描かれていることは明確にわかるんだけど、気持ちに入っていかない。でもそれは、僕が歳を取って感性が鈍ったということだけではなく、本著の焦点が、単に恋愛だけではないということにもあったのかもしれない。読むとすぐ気づくのが、本著は、頻繁に、2,3行の点描が挟まれる。その2,3行の点描は、そこまでの筋とあんまり関係がないようなあるような。その点描も含めて、「目に見えるもの」を観察し、書き落としていくことに、力点が注がれてる。それが、本著の「読む楽しさ」だと思う。

ストーリーは、全体の2/3くらいまで、かなり緩やかに進むと思う。2/3過ぎから猛チャージが掛かって、胸を抉られるような現場を見せられて、終わる。どの書評も「驚きの結末」みたいなことが書かれてて、2/3過ぎくらいからある程度予想はつくのに、更にそれを裏切るような展開が待っている。この展開は、女の子の恋愛には確かによくあることかも知れない。でも、作者にとってはこの「恋愛」の筋というのは、今回はそれほど重要じゃなかったのかも知れない。

読み終えてまず最初に僕が思ったのは、僕に似てる人が現れてはほしくない、ということだった。僕に似てる人が、僕を知ってる人の前に現れたりしないでほしい、ということだった。遠出した場所で買ってくる本としては最善の選択肢だったんじゃないかと、思う。 

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2010/10/25

『「悪」と戦う」/高橋源一郎

4309019803 「悪」と戦う
高橋 源一郎
河出書房新社  2010-05-17

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なんて可愛くないと言い切られるミアちゃんが登場し、ミアちゃんのお母さんが”私は「悪」と戦っているのです!”と言い、そして大声で”わ!””た!””し!””は!””ミ!””ア!””を!””あ!””い!””し!””て!””る!”と叫ぶところまではわくわくしながら一気に読み進めた。そこから、ランちゃん(男の子)が「悪」と戦う夢とも現実ともつかない複数の戦いの話は、予想の範囲内というかなんというか。「何が”悪”なのか」を申し渡すことは自分以外の誰にもできない。だから自分の頭で考え抜いて生きていくしかない。そういう”説教の結論”じみたカンジは微塵もないけれど、だからと言って大人向けかと言われると違う気もするし、でも「使用済みのコンドームが」とかいう表現があるから、児童向けとはとても言えない。

僕はどうしても「言葉」「言語」に関するところで興味が膨らむので、「悪」と「言葉」がもうちょっと引っ張られてたら、頭の中をかき回されるような快感にもうちょっと長く浸れたのかな?この本を読みながら頭の中で歌っていたのはもちろんイエモンの『JAM』:

”あの偉い発明家も 凶悪な犯罪者も
みんな昔子供だってね”
(『JAM』/THE YELLOW MONKEY)

「あ、これで十分じゃん」なんて言うほど、僕ももう子どもではありません。

p33「キイちゃんにいうみたいに、パパにもいって」
p105「下駄をはかせてもらった」
p111「ヴァルネラビリティ」
p112「じゃあ、みんな、『隙間』に落っこちたって、気づいてないんだ」
p176「シロクマが立っていた」
p199「(ランちゃん、あなたの仕事をするのよ!それが、どんな仕事だとしても。イッツ・ショー・タイム!)」
p279「わすれものって・・・いみわかんない・・・ぱぱ」

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2010/10/18

『ウェブ人間論』/梅田望夫・平野啓一郎

4106101939 ウェブ人間論 (新潮新書)
梅田 望夫 平野 啓一郎
新潮社  2006-12-14

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 発言からうかがえる平野啓一郎の感覚が、自分の感覚に近いものなのが何より驚きだった。もう少し、線を引いた考え方をする人という印象を持っていたので、昔気質と言っていい感覚を持ってることに驚いた。
 「おわりに」に書かれている、”平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である””私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるがゆえ、変化とは不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える”というところと、「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うよ うになりました」との組み合わせが、僕にとってこの本の要諦だった。もちろん、平野啓一郎により共感している。どうしようもないからとそこから一歩退いて、楽に生きられて居心地のいい場所を見つけて、それを「いろんなやり方を身につけられた」と世界を広げたふうに言うのはクレバーではあっても成長はない。そこにある苦難を避けて通るための理由づけは、どんなに聞こえが良くっても言い訳にしかならない。ダメでもやってみるところにしか、幸せはやってこないのだ。

p24「80年代に活躍したいわゆるニューアカ世代の一部の人たちには、今でも、あらゆる情報に網羅的に通暁して、それを処理することが出来るというふうな幻想が垣間見える」
p39「ブログを書くことで、知の創出がなされたこと以上に、自分が人間として成長できたという実感」
p52「ハンナ・アレント」
p53「そういうナイーヴな、一種の功利主義的な人間観は、若い世代の、とりわけエリート層にはますます広まりつつあるんでしょう」
p77「アレントの分析(公的領域)」
p78「私的なことを公の場所に持ち込まないという日本人の古い美徳は、今や単に社会全体の効率的な経済活動から、個人の思いだとか、思想だとかを排除するための、都合の良い理由づけになってしまっている」
p86「スラヴォイ・ジジェクというスロベニアの哲学者が、『存在の耐えられない軽さ』で有名なミラン・クンデラというチェコ出身の作家を批判している」
p145「世代的な感覚でいうと、『スター・ウォーズ』に熱中してるって、ちょっと珍しい気がしますね。」
p163「言葉による自己類型化には、安堵感と窮屈さとの両方がある。」
p170「そうでない他者との軋轢ある関わりって、確かに自分を成長させる部分があるけど、でも嫌なことでストレスをためてしまうよりは、避けていきたいと思うようになりました」
p177「確率的に存在する」
p179「フランスの哲学者のピエール・ブルデュー」

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2010/09/27

『存在の耐えられない軽さ』/ミラン・クンデラ

4087603512 存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)
ミラン・クンデラ 千野 栄一
集英社  1998-11-20

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 もちろん本著の名前は知っていたし、著者が「プラハの春」以降、全著作を発禁されたというようなことも知っていた。でも本著のことは、結構なエロ小説であり、「存在の耐えられない」というのは、要は正式に付き合っていないので相手の心には存在しているのかどうかわからない、程度の意味合いに受け止め、しかも本著は傑作と呼ばれていることも予備知識としてあったので、その恋愛の心理描写が相当詳細で綿密なんだろうな、という具合な印象を持って、読んではいなかった。そこに来て、3年前に読んだ『放浪の天才数学者エルデシュ』以来の東欧への興味が重なって、文庫本で見つけたので買って読んでみた。

 もう全然認識違いで情けなかったし恥ずかしかった。ただひたすらおもしろいという感想しか出てこない。恋愛の軸と社会情勢の軸、そして哲学の軸。読んでいて頭が刺激されるし、その底辺に流れる考え方みたいなものは頷けるけどひとつひとつの表現-タイトルの「存在の耐えられない軽さ」とか-を、自分なりに噛み砕いて話せない。言葉にできるところまで理解できない。これはあと2回くらい読まないとダメな小説。

 そんな中、頭に浮かんだテーマをメモ:

  • 第Ⅵ部「大行進」で語られる「俗悪=キッチュなるもの」の概念と説明の言葉。自分が常日頃抱いている感情にぴったりとあてはまる。しかしそこから押し広げて気づいたのは、例えば「平和」をうたい文句にした野外フェスに、その理念に賛同したと言って参加する人々。これはイコールなのか?イコールではないと、言い切れるか?また逆に、そのうたい文句は一切無視して、単にその「呼び寄せ」をアテに参加する、この姿勢もまたイコールではないと、言い切れるか?
  • 難解で、興味深くて、思考の好材料になる様々な対立が挙げられるけど、それらはみな二項対立。二択の提示は、時代の現れか。

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『虐殺器官』/伊藤計劃

4150309841 虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房  2010-02-10

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巷で評判の『虐殺器官』の文庫本が並んでたので購入。僕はSFはどうも苦手と言うか、空想の凄さや思いつかなさに驚嘆しながらページを捲れるタイプの読書家ではないので、突飛な感じのSFは遠慮してたんだけど、『虐殺器官』はどうやらそういう手合いではなくて、背後に社会的な背骨が通ってる雰囲気があったので思い切って手に取ってみた。文庫本の装丁はシンプルで”ソリッド”でとてもカッコいいと思うのだけど、僕はブックカバーをしないので、通勤電車でこの背表紙を見た人々にはやっぱり気味悪がられたのかな。

本当に偶然と言うのかセレンディピティと言うのか世間がそういうふうに回っているのか、マイケル・サンデルを読んで、『ドーン』を読んで、そしてこの『虐殺器官』と来た。改めて、9・11というのが以下に現代の人類に、社会に、政治に、衝撃と困難な課題をつきつけたのかを実感。『虐殺器官』は、アメリカ情報軍特殊検索群i分遺隊という、「暗殺」を請け負う唯一の部隊に所属するクラヴィス・シェパードが、後進諸国で続々と発生する内乱や大量虐殺の陰に必ず存在すると言われるジョン・ポールという男を追う物語だが、テロとの戦いにおける管理体制と国家関係を縦軸、自分の母親の生命維持装置を停止させたことと自分が遂行している暗殺との違い(あるいは同一性)にうち苦しむシェパードの姿を横軸に展開する。

テロとの戦いの部分は、ジョン・ポールと二度目の遭遇をした時点で、たぶん概ね筋が理解できてしまうと思う。悪人と思われる人にもそれなりの事情があって…という、ヒトラーの物語を借景したような筋書と、「必要悪」を是認せざるを得ないと主張しがちな国家の事情をミックスさせながら、「虐殺の器官」の正体を知ったシェパードが選択するラスト。このあたりは、ストーリーを楽しむところではなくて、それぞれが「自分の立場」でモノを考えるときに、正しく進めないと陥ってしまう悲劇の1パターンとして肝に銘じながら、自分の考えを練り上げる材料にすればいいのかな、と読みながら思った。政治の過程をよりリアルに描いていた『ドーン』のほうが、より実際的に考える材料になるし、『虐殺器官』はそういう意味では戒めというか、昔話のような効果を持つかなと思う。

どちらかと言うと、僕は「意識がなくなればそれは死か?」という、母親の生命維持装置を停止させる下りが印象に残っている。SFという力を借りて、現在における脳死状態等から更に一歩進めて、「脳の何が残っていればそれを意識と言えるか答えが出せない」という医者の見解を、脳の一部を操作すれば、「痛み」を受けたことは分かるけれども「痛み」は感じない、という芸当ができるほど技術が進んだ時代でも、意識に関してはそうなんだと語らせることが深みに感じられる。意識とは何なのか?それは、「何だから自分なのか?」というところに行き着く問い。

言葉についての軸は、読んでるときは面白いと思ってたけはずだけど、感想を書くときには全然意識に上らなかった。書くべきことを忘れてないか、付箋のつけたところをパラパラと捲ってみて、ああそういうテーマもあったな、と思い出したくらい。

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2010/09/23

『松浦弥太郎の仕事術』/松浦弥太郎

402330493X 松浦弥太郎の仕事術
松浦 弥太郎
朝日新聞出版  2010-03-05

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とりあえずメモ。

三級波高くして魚龍と化す

p30「「おろしたての新品は格好悪い」というイギリス独特の美意識かもしれません」
p37「ヘンリー・ディヴィッド・ソローの『ソロー語録』」
p38「スティーブ・ジョブズがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチ」
p52「規則正しい生活が、何よりも大切」
p66「責任感、達成力といった面ではよいことでもありますが、反面、「自分以外の誰も信用していない」」
p83「相手の手がほかのボールでふさがっているときに投げたのでは、しっかり受け止めてもらえる可能性は低い」
p96「好奇心がなければ学べない、発想も広がらない」
p126「準備の威力はもっと大きい」
p147「新聞は、・・・「自分が知らない、わからないこと」を見つけ出すきっかけづくり」
p153「「短い時間で成果を出したい」「手間をかけず、面倒なことは省略したい」こういった焦りモードの仕事の何よりあやうい点は、チャレンジできなくなること」
p163「たとえ何があろうと、自分の理念を守り続ける」
p170「お金を使うことでかろうじて埋め合わせている「何か」を見極め、そのものを満たす努力をすることで、無駄な出費は自然と抑えられるはず」 

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2010/09/20

『ドーン』/平野啓一郎

4062155109 ドーン (100周年書き下ろし)
平野 啓一郎
講談社  2009-07-10

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 人類初の有人火星探査のクルーの一員となった佐野明日人とその妻・今日子、東京大震災で亡くなった二人の子供である太陽を取り巻く物語と、有人火星探査で起きた事件とアメリカ大統領選での「テロ」に対する在り方を問う選挙戦の物語が絡み合いながら進行していく近未来小説。

 民主党候補ネイラーと共和党候補キッチンズの選挙戦は、小説の後半に大きな盛り上がりを見せる。ここで戦わされる「対テロ」をメインにした議論を読む前に、マイケル・サンデルを読んでおいてよかったなと思う。キッチンズの議論の攻め方は、非常にキャッチーで触れているその部分には否定できるところがなく、ある種の強制力を持って聞き手に踏み込んでくる論法だけど、単にひとつひとつを詳細にして覆していく手法では、良くてイーブン、普通はあと一歩のところまでしか追い込めず、ひっくり返すには至らない。ひっくり返すには従来通りではない「正義」の骨格が必要で、マイケル・サンデルを読んでいたことでここの部分の理解を進めることができたと思う。うまく連鎖してくれた。

 もうひとつ、物語を通して出てくるのが「ディビジュアル」という概念。これは、それぞれの個人(インデビジュアル)は、対面する相手によって人格的なものを使い分けている、そのそれぞれの場面での「自分」を指す言葉(ディビジュアル=分人)というような意味だと理解して読んだ。確かに、現代社会に暮らす人々は、それぞれの場面でそれぞれにふさわしい振る舞いを当然ながらに求められるし、必ずしもそれがどこでも首尾一貫してる必要もない。ちょっと窮屈だな、と感じる社会の根っこはディビジュアルを認めないような厳格さにあるような気もするし、逆にそれぞれの場面に求められる振る舞い-マナーとかもそうだろう-を身につけられない、身につけることを拒否するようなスタンス、そういうのが自分たちに結局跳ね返ってきて社会を窮屈にしてる気もする。

 平野啓一郎は『決壊』に続いて読んだんだけど、細部まで神経が行き届いているしテーマの膨らみも読んでて面白いし何も文句はないんだけど、どうも登場人物がみな「頭が良すぎる」ところだけがちょっとなあと思う。なんか、物語自体が全体的に「浮世離れ」しちゃってるように感じる。せっかく誰にも考えてほしいテーマを書いてくれてるのに、なんか違う上流世界向けの小説というか、自分の頭の良さを感じさせないでは済ませられないかのようなところがあって、そこはちょっと損してると思う。

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2010/09/05

『アメリカの鱒釣り』/リチャード・ブローティガン

4102147020 アメリカの鱒釣り (新潮文庫)
リチャード ブローティガン Richard Brautigan
新潮社  2005-07

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 『考える人』の村上春樹ロングインタビューで出てきたので、とりあえず読んでみようと買ってみた。予備知識として「不思議な小説」ということは知っていたので、それは頭に置いて読んでみたんだけど、そういうのは慣れてるつもりだったんだけど、最初の10篇くらいは正直言って全然ついていけなかった。「これ、このまま読んでて面白くなるのか?」とほんとに訝った。もちろん、いろんな人が面白いと言ってるし、傑作だ傑作だと言われてるんだから面白いには違いないんだろうけど、どうしても糸口がつかめない、スイッチがはいらない…。

 その「スイッチ」は、どの章もこの章も「アメリカの鱒釣り」(という言葉)を芯に据えて展開してるんだ、というとこに気がついてするする解消されていったけれど、読み終えての感想は、「意味を完全になくすなんてできっこないよね」というもんだった。意味なんてどうでもいいみたいに言われるけど、「アメリカの鱒釣り」は、当たり前だけど意味を完全に消せてないし、何か予備知識がないと面白さがわからないところがいっぱいある。

 なんかこういうノリは確かに現代作品、とくにマンガとかアニメとかでたくさん見たことがある気がする。そのくだらなさの中に死や終焉を忍ばせる感受性、ということなのかもしれないけど、僕は生真面目に立ち向かうほうがやっぱり人生においてはサマになると思う。

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2010/08/15

『考える人 2010年8月号』/新潮社

B003T0LLEW 考える人 2010年 08月号 [雑誌]
新潮社  2010-07-03

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 箱根二泊三日のロングインタビュー。聞き手:松家仁之。「ロングインタビュー」と表紙に書かれていたのでどんなもんだろう?と手に取ってみたら、ほんとに長くて、読み終えるのに4,5時間かかったと思う。『1Q84』に関する話題をメインにしながら、「作家」という仕事をどうやって生きているのか、そういうことも語られていてどこも何も読み飛ばすことができないインタビュー。

 読み終えてみて、自分の中に残った印象や、これからものを考えるのにテーマとして記憶しておくべきと思ったことが5つ:

・仕事の仕方
・女性の描かれ方
・自我と自己
・善悪の基準と神話
・自由とは物語を自分のこととして捉えることができる能力

 「仕事の仕方」は、このインタビューを読んで誰しも印象深く感じるところだと思うんだけど、「ペースを守る」というよりは、「自分の仕事を最善の形でやり遂げるためには、どういうやり方がよいのかをよく考え、それを継続的に実行する」というふうに捉えるべきだろうと思う。これはサラリーマンである僕にとっては、「やればできる」と言われても、心理的負担は大きいしそう簡単なことではないんだけど、これまでも常に意識してやってきたことだし、これからもそうやっていけばいいと再確認できた。

 「女性の描かれ方」-これは、『1Q84』の感想や書評をいろんなところで読んでいると、特に一般の人で女性と思われる人のブログなんかに、「村上春樹もようやく女性がわかってきたんじゃない?」と書かれているのをよく目にして、どうしてそういうことを思うのかいまひとつピンと来なかったんだけど、このインタビューで少し分かった気がした。僕は、男性がどういうふうに描かれていようが女性がどういうふうに描かれていようが、それが勝手な「決めつけ」でなければ、大切なのは小説という「物語」全体を表すことなので、登場人物がどんな扱われようであってもそれはそういう役割だ、と思ってたんだけど、女性自身の立ち位置の変化が確かにあるんだな、と思った。「こうなりたい」と思うところに、潮流として少しずつでも近づいているから、描かれ方も受け取られ方も変わってくるんだなと少し納得。

 いちばんよく理解できていないのが「自我と自己」。僕は今まで、「自我」という言葉を深く考えたことがなかったように思う。本好きを自認してるなら「近代的自我」とかよく理解していないといけないはずなのに、なんとなくで済ませてしまっていた。ほんとうになんとなく、自分は自我が肥大した人間だと、それこそ思春期から悩んでいて、そしてそれはよろしくないことなので自我は極力抑えられるように鍛錬していこう、とそんなふうに考えて二十年以上生きてきたけれど、じゃあ「自我」ってなんなの?ということを深くは考えてこなかった。
 人の言ってることや書いてるものでその人となりを想像するとき、どうも毛嫌いしてしまうのはこの「自我」の肥大した人なんだろうなあという漠然とした感覚はあったものの、「自我」がなんなのかちゃんとわかってないから、それが正しいのかもどうかもわからない。僕にとって当面の読書の課題はここにしてみようかと思った。幸い、このインタビューで、自我(の描写・無描写)を考えるにあたってのたくさんの「入口」となる作家が提示されているし。

 「善悪の基準と神話」は、まさに『1Q84』を読みながら考えていたことで、何が善で何が悪なのか、何が正しくて何が間違いなのかは、自分自身で考えない訳にはいかない。価値観の変化とかいうことではなくて、「誰かが何が善で何が悪かを取り決めている」という感覚から抜け出すことが現代には特に大事だと思う。もちろん、それは、個々人が好き勝手に好きなことをやってればいいんだということにはつながらない。この辺は、『これからの正義の話をしよう』を読んだタイミングでちょうどよかった。あと、少し話が離れるように見えるかも知れないけど、最近自分がロードバイクを始めたのは、この辺の話を突き詰めたときに出てくる課題を、感覚的に無意識に気づいて始めたような気がする。

 最後に、このインタビューを読んで、自分の村上春樹作品への向き合い方というか、どういうふうに読んできたかというのが、それほど間違ってないんだということを、インタビューの端々の言葉や文から感じることがあって、よかったと思うしそれ自体誤解かもしれないなとも思うんだけど、「自分のこととして捉えて読まないと意味がない」ということを言ってる部分は、これは間違いなく僕が常々思ってることとぴったり一致してると思う。これは大変嬉しかった。自分の今までの読書が、より強固なものになったように感じる。

p26「ノモンハンの暴力の風さえ、その壁を抜けてこちらに吹き込んでくるということ」
p30「これは言うなればインターネット世界のあり方です。ものごとの善悪よりは、情報の精度が優先順位の尺度になっている」→マイケル・サンデルの正義論につなげられる
p35「その二人が、『1Q84』という世界をそれぞれにどのように生き抜いていくか。システムの中で個人を貫くという、孤独きわまりない厳しい作業に耐えながら、どのようにして心の連帯をいま一度手に入れるか、『1Q84』は、結局はそういう流れの話だと思うんです。」
p37「ノウハウを引き渡すということは、ある意味でサーキットを閉鎖していくことなんです」
p41「『昔話と日本人の心』河合 四位一体説」
p42「『真景累ヶ淵』
p43「はっきりとした意思を持ち、自律的に動く女性」
p54「おれの言うことが聞こえたのか」「聞こえたよ」というのではとまってしまう。「おれの言うことが聞こえたのか」ときたら「つんぼじゃねえや」と返すのが会話です(ゴーリキーの『どん底』)
p58「だいじなのは、そのころの二十代の青少年は基本的に未来を信じていた」
p66「リチャード・ブローティガン」「カート・ヴォネガット」
p67「当時の日本は今よりもはるかに、そういうセキュリティ(大きな会社に勤めていたり、家庭を持っていたり)に対する信頼が強かった」
p69「本質的な要因以外のところで、本が売れる理由を見出そうとする人が、とくにメディア関係に多いような気がします」
p69「でもいちばん大事なのはおそらく、信頼関係ですね」
p75「とにかく自我とはあまり関係がないものです」
p77「「神話の再創成」みたいなことがあるいはキーワードになるんじゃないかと」→これもマイケル・サンデルにつなげられる
p89「マルケスの小説って、考えてみればほとんど自我を描いていない」
p97「大きい声で言う人が勝つという感じが強まっているような気がします。言うだけ言って、その責任をとらない。

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2010/08/05

『乙女の密告』/赤染晶子

4103276614 乙女の密告
赤染 晶子
新潮社  2010-07

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 京都の外国語大学の、『ヘト アハテルハイス』をテキストに用いるゼミに参加している「乙女」であるみか子。バッハマン教授から明日までに1944年4月9日をスピーチコンテスト暗唱の部の課題テクストとして、明日までに暗唱してくるようにと乙女達に課題が突きつけられる…。

 乙女と真実と自己と他者。『ヘト アハテルハイス』(アンネの日記)の暗唱を通じて、認識の問題が掘り下げられていく。自分が「自己」であるとはどういうことか。「他者」でないとはどういうことか。そして、自己が何者かを、ほんとうに自分は知っているのか?そもそも、その「真実」を知りたいと、思っているのだろうか?みか子は言う。「乙女は真実を必要としない」。そう、本著では「乙女」は「直視しないもの。目を逸らすもの。」の代名詞だ。

 アンネは1944年4月9日の日記で「オランダ人になりたい」と、「他者になりたい」と宣言している、そのことの意味をみか子は暗唱の中で掘り下げていく。この、掘り下げていく過程の描写が、ものすごく小気味がいい。とても短い文章がリズミカルに畳み掛けられてくる。いや、「リズミカル」というのとはちょっと違うかも知れない。頭の中で音読するに淀みがないような流麗な長い文章がうねうねと続くようなものではなく、とにかく一文は一個の事物しか表わさない、といった短文で語りが続き、乙女と真実と自己と他者という概念的な何かを頭に描かずにおれなくなるのだ。

 クライマックスでみか子がアンネの名前を「血を吐いて」語るように、本著にとって一番大切なテーマは乙女と真実と自己と他者なのは間違いないと思う。けれど、僕にとっていちばん印象に残ったシーンは、バッハマンが乙女達を2つのグループに分けるときの、「あなたはいちご大福とウィスキーではどちらが好きですか」というシーン。乙女達はいちご大福が好きかウィスキーが好きかという条件だけで2つに分けられ、それだけの条件なのに分けられた2つのグループは驚くほどの団結を見せる。あたかも「他者」とは全く違うと断言するある「グループ」を形作っているものは、この「いちご大福かウィスキーか」という分け方と、それほど違うのだろうか?「自己と他者」というテーマを構えながら、そこにもう一つ、「そうまでして他者と線を引きたい自己の、自己を自己たらしめているものって、実は”いちご大福かウィスキーか”と同じくらい、意味なんてないことなのかも知れないよ」と言われている気がした。

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2010/07/19

『ミーツへの道』/江弘毅

4860112059 ミーツへの道 「街的雑誌」の時代
江 弘毅
本の雑誌社  2010-06-02

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 『ミーツ』が神戸新聞社生まれということも知りませんでした。僕は1995年に大阪に出てきたんですが、『ミーツ』が市民権を得だしたのは1990年代からと判って、意外と最近のことなんだなあと思いました。自分が大阪に来た時既にあったものは、大阪の人なら誰でも知っているものだという思いこみがあったので、『ミーツ』に関しては、「大阪のちょっと感度の高い人なら誰でも知ってる雑誌」と思ってたのが、実はまさに浸透現在進行形の時代に自分もいたんだなあと思った。歴史は正しく知らなければほんとにわからない。
 その『ミーツ』と神戸新聞社との確執が赤裸々に語られて興味がぐいぐいそっちに引っ張られるけれど、敢えて言えば、子会社である以上当たり前のことのような気もする。とは言え、あの『ミーツ』の編集長としての感性を残したまま、財務諸表や費用対効果やキャッシュフローやと行った会議に出られるというのはかなりのキャパシティだと僕でもわかるし、そういう懐を持った仕事のできる男になりたいと思う。

 『ミーツ』を知ってる人なら誰が読んでも絶対に面白いと思う。読んで損はないし、自分の仕事のスタンスに少なからず影響を与える。『ミーツ』を知らない人にも読んでほしいなと思うし、「あの『ミーツ』の」という関西人特有の権威付けから自由に読める人がどんな感想を持つのかにも興味があるのでぜひ関西人ではない人の感想を読んでみたいです。

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『そしてカバたちはタンクで茹で死に』/ジャック・ケルアック&ウィリアム・バロウズ

4309205399 そしてカバたちはタンクで茹で死に
ジャック・ケルアック ウィリアム・バロウズ 山形 浩生
河出書房新社  2010-05-15

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 ジャック・ケルアックは『オン・ザ・ロード』を、ウィリアム・バロウズは『裸のランチ』を、それぞれ1冊読んだことがあるだけで、二人がビートジェネレーションであり熱狂的に支持された作家という程度の知識しか持ってないまま読んでみた。『オン・ザ・ロード』も『裸のランチ』も面白かったのは面白かったんだけど、僕は「破滅的な何かを漂わせる魅力ってそんなに魅力か?」と文句をつけたがる性分になっていたので、掘り下げて何冊か読んでみようとはしなかった。ドラッグにせよ精神異常性にせよセックスにせよ、生まれたときから多少なりとも命に関わる病気持って生まれた生い立ちの人間に言わせてもらうと「バカバカしい」ということになっちゃう(もっとも、両親がうまくやってくれたおかげで早くに治り本人は病気で不自由した記憶はないけれど)。精神異常性も自分で好き好んで破滅的な生活に追い込んで陥る分はとくに「バカバカしい」と思ってた。1972年生まれでバブルを越えて青春を1990年代前半に過ごした僕は、問答無用の無茶苦茶さならもっと酷いものを見てきたし、そういう無茶苦茶さに与してもほんとにバカバカしいだけで何にもならんというのも実感的に判ってて、ビートジェネレーションも「今更何なん?」と思っていた。
 本著の後書を読んで、ビートジェネレーションが狭い人間関係の中にあって、その引き金となった事件がカー・カマラー事件ということを学んだ。ルシアン・カーが、デビット・イームス・カマラーを殺害した事件で、本著はその事件をベースにして、知人であるケルアックとバロウズが章ごとに書き繋いだ作品だ。カマラーはゲイで、25歳のときに知り合った11歳のルシアンに入れあげる。そして8年間の末、ルシアンに殺される。性的関係はなかったとされる。僕はゲイではないのでその点だけはわからないけれど、カマラーのことを「煩わしいが利用したい部分もあり頼らざるを得ない部分もある」と見なさざるを得ないルシアンの困惑はちょっと判らないでもない。そこにゲイという要素が絡めば一層ややこしくなるのは自明だろう。でも、これって、言ってみれば普通、自分の親に対して誰しもが抱く感情だと思う。その依存の対象が自分の親ではなく、性的に倒錯した男性だったところに、ルシアンの中でも無理が溜まっていったんだと思う。そして、ビート・ジェネレーションの一味は、バイセクシャルが珍しいことではない-というより、「それがどうしたの?こんなの普通のことだよ」と言いたがってるように見える。
 1972年に生まれて現代を生きている僕にしたら、「そんなに壊れたいんならさっさと壊れてしまえばいいじゃん」と唾を吐きかけたくなる。その倒錯した破滅的な魅力というのはもちろん判らなくはないんだけど、壊れたがってるくせにうじうじ生きているようなヤツが僕はいちばんしょうもないと思うのだ。何かを壊したいと思ってるならまだいいけど。後書にも書かれていたけれど、この本の一番の無理は、「ストーリーの起点がカー・カマラー事件」であることだ。始まりを終わりに持って来ざるを得ないプロット。それって何のための始まりなの?とプロットにさえ突っ込みたくなる。
 僕は既に、雰囲気だけで耽美できるような時代も頃合も年齢も通り過ぎて今を生きているので、このビートジェネレーションの時代の魅力を今更学んで耽ることはできないと思う。自分が実際に生きてきた時代の懐古なら出来ると思うけど、その魅力の根本が全く自分の性に合わない時代の魅力にはもはや理解を示せない。『そしてカバたちはタンクで茹で死に』というタイトルの元になった場面が作中に出てくるけれど、「カバたちってのはつまりビートジェネレーションの仲間全体だろう?」と邪推しても、「ただのラジオ放送からおもしろいと思って引っ張っただけ」と言い返すくらいだろうし。

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2010/07/10

『これからの「正義」の話をしよう-いまを生き延びるための哲学』/マイケル・サンデル

4152091312 これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍
早川書房  2010-05-22

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断片的に語りすぎる。それは世界中どこでも共通の言論の癖なのかも知れないけど、この日本では間違いなくそれが当てはまっていると思う。例えば、本著のp231、「実力主義の社会につきものの独善的な前提、すまり成功は美徳がもたらす栄誉であり、金持ちが金持ちなのは貧乏人よりもそれに値するからだという前提を くつがえす」「職やチャンスを得るのは、それに値する人だけだという信念・・・は社会の 連帯を妨げる・・・成功を自分の手柄と考えるようになると、遅れを取った人びとに責任を感じなくなるからだ」あたりを日本の保守支持層や高齢層あたりが読めば、「だから過去の日本に存在していた、過度の成果主義を抑えた社会に回帰すべきだ」と言い募るに違いない。けれど、本著がここで語っているのはそういう文脈ではない。「道徳的功績」を巡る考察があって初めて理解できる文脈だ。過去に非成果主義的な社会があり、そこに成果主義を持ち込んだ現状で、単に非成果主義的社会の長所と見える側面だけを求めて回帰するだけでは、そこにもまた嫌気がさして逆戻りするだけだ。

本著で語られているように、日本では「正義」という概念は、避けて通ってきていたと思われる。もしくは、「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚か、または「天皇が判断するもの」「将軍様が判断するもの」という、ある種の特権が、一般人に下ろしてくる判断という、トップダウンの思想だ。「すべてから超越してどこかに存在しているもの」という感覚は、もしかすると本著で述べられている正義に対する第3の考え方に似ているのかも知れない。ただ違うのは、アメリカでは正義と政治は切り離せないものとして考えられていることだ。日本では仮に正義が第3の考え方的なものだったとしても、それを政治に繋げる発想には縁遠いような気がしてならない。そして、正義や道徳から切り離して、まったくもって「リベラル」な環境下で、”競争していればいいものが生まれる”というあまりに純粋無垢な幼稚な考え方でここまでやってきたのかというのがよくわかる。”それで何の文句がある?”という言説に明快にカウンターを打てないというだけでずるずるここまで来てしまった罪は、いたるところで引き受けられなければいけないと思う。

 

p13「われわれは幸福と経済的繁栄を同一視しがちだが、幸福とは社会的福利の非経済的な面をも含むより幅の広い概念である」
p27「2008年と2009年の壊滅的な損失の原因が圧倒的な経済の力にあるとすれば、それ以前の莫大な利益もそうした力のおかげだと言えるのではないだろうか」
p28「アメリカの一流企業のCEOが平均して年間1330万ドルを手にしている・・・ヨーロッパのCEOは660万ドル、日本のCEOは150万ドル」「こうした格差は、経営者が仕事に向ける努力や能力とは無関係な要因を反映しているのだろうか」
p29「価値あるものの分配にアプローチする三つの観点…幸福、自由、美徳」「これらの理念はそれぞろ、正義について異なる考え方を示している」
p56「オメラスから歩み去る人々」
p71「ある快楽がほかの快楽より質が高いとか、価値があるとか、高貴だとか、いったい誰に言えるだろうか?」
p126「利益という目的がこの取引の主たる要素であり、取引全体を覆い、最終的には取引を支配している」
p129「アンダーソンの議論の中心にあるのは、ものには種類があるという考え方」「金銭で買うべきものではないものがあることの説明がつく」
p134「代理母になるのを選ぶ経済的利点は明らかだが、われわれがこれを自由と呼んでいいのかどうかははっきりしない。「貧しい国々の計算ずくの政策としての-世界規模での商業的な代理出産産業の出現は、女性の体と生殖能力を道具扱いすることによって、代理出産が女性を貶めているという思いをさらに強くさせる」
p136「イマヌエル・カント(1724-1804)」
p144「自由に行動するというのは、…目的そのものを目的そのもののために選択することだ」
p150「他者を助けるという行為の動機と、義務の動機を区別している」
p153

  1. (道徳) 義務 対 傾向性
  2. (自由) 自律 対 他律
  3. (理性) 定言命法 対 仮言命法

p163「定言命法の観点からすれば、母親の気持ちを気遣って嘘をつくのは、母親を理性的な存在として尊重しているのではなく、心の安らぎのための手段として使っていることになる」
p172「合意されあれば何をしてもよいという倫理的価値観と、自律と人間の尊厳を尊重する倫理的価値観の違いを浮き彫りにしている」
…「合意」を閾値にする事件を思い起こすと、その種の裁判のやり方の倫理的背景の底が如何に浅いかが判る
p173「私の弁明はカントのものとは異なるが、彼の哲学の精神に則したもの」
p178「念入りに拵えた言い逃れは、真実を告げるという義務に敬意を払っている。だが真っ赤な嘘は違う。単純な嘘をつけば用が足りるのに、わざわざ誤解は招くが厳密には嘘ではない表現を使う人は、遠回しではあっても、道徳法則に敬意を示しているのだ」
p183「平等をめぐる議論-ジョン・ロールズ」
p191「18世紀のスコットランドの道徳哲学者デイヴィッド・ヒュームが直面したものだ」
p207「人間には努力と勤勉さの対価を得る資格があるという主張は、ほかの理由からも疑わしい」「われわれの貢献度は、少なくともある程度は…自分の功績とは言えないものできまるのである」
p208「道徳的功績を否定する」
p216「ロールズの正義論はアメリカの政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している」
p226「重要なのは、道徳的功績ではないのだ」
p231「分配の正義のよりどころを道徳的功績に求めないという考え方は、道徳的には魅力的だが、人びとを不安にさせる。この考えが魅力的なのは、それが実力主義の社会につきものの独善的な前提、すまり成功は美徳がもたらす栄誉であり、金持ちが金持ちなのは貧乏人よりもそれに値するからだという前提をくつがえすからだ」「職やチャンスを得るのは、それに値する人だけだという信念は根深い」「このような信念は、よく言っても一長一短、度がすぎれば社会の連帯を妨げる・・・成功を自分の手柄と考えるようになると、遅れを取った人びとに責任を感じなくなるからだ
p237「資金を確保することが入学選考に影響を及ぼすほど優先されるようになれば、大学は道を踏み外し、その存在意義である学術的・公民的善から大きく外れることになるだろう」
p250「あらゆる都市国家は、・・・善の促進という目的に邁進しなければならない」
p255「美徳を身につける第一歩は、実行することだ。それは技能を身につけるのと同じことである」
p257「絶えず道徳的に行動に励むことによって、道徳的に行動する傾向が身につく」
p260「カントからロールズに至るリベラル派の正義論の悩みの種は、目的論的構想と自由が相容れないことだ。リベラル派の正義論では、正義は適正ではなく選択にかかわる。」「人びとにみずからの役割を選ばせることだ」
p280「異議を唱えるのは、善についての考え方から正しさを導き出す正義論に対してである」「カントとロールズは…正しさは善に優先すると主張する」
p284「選択の自由は-公平な条件の下での選択の自由でさえ-正しい社会に適した基盤ではない。」「中立的な正義の原理を見つけようとする試みは、方向を誤っているように私には思える」「道徳にまつわる本質的な問いを避けて人間の権利と義務を定義するのは、つねに可能だとは限らない」
p286「アラスデア・マッキンタイア『美徳なき時代』」
p287「道徳的熟考とは、みずからの意思を実現することではなく、みずからの人生の物語を解釈することだ」「そこには選択が含まれるが、選択とはそうした解釈から生まれるもので、意思が支配する行為ではない」
p291「道徳的責任の3つのカテゴリー:

  1. 自然的義務:普遍的。合意を必要としない。
  2. 自発的義務:個別的。合意を必要とする。
  3. 連帯の義務:個別的。合意を必要としない。

p297「同類を優遇する偏見にすぎないのだろうか?そもそも国境の持つ道徳的意義はなんだろうか?」
p307「人格者であるとは、みずからの(ときにはたがいに対立する)重荷を認識して生きるということなのだ」
p311「われわれを拘束する唯一の道徳的責務をつくったのはわれわれ自身であるという契約論的な考えに対抗するための幅広い例だ」
p312「この自由の構想には欠陥があることを示そうとしている」「もう一つの争点は、正義についてどう考えるかだ」
p313「私の善について考えるには、私のアイデンティティが結び付いたコミュニティの善について考える必要があるとすれば、中立性を求めるのは間違っているかもしれない」
p314「国民の権利と義務をいかに定義するかを決めるにあたり、善良な生活をめぐって対立する考え方を度外視することはできない」「本質的道徳問題に関与しない政治をすれば、市民生活は貧弱になってしまう」
「正義をめぐる論争によって、道徳をめぐる本質的な問いに否応なく巻き込まれるとすれば、その議論をどう進めていくかが問われている。宗教戦争に移行せずに善について公に論じるのは可能だろうか?道徳により深く関与した公的言説はどんなものになるだろうか?そして、それはわれわれが慣れている種類の政治論争とどう違うだろうか?」
p321「ジョン・F・ケネディが支持し、オバマが拒否したリベラルな中立性の理想」
p323「正義と権利の議論を善良な生活の議論から切り離すのは、二つの理由で間違っている。第一に、本質的な道徳的問題を解決せずに正義と権利の問題に答えを出すのは、つねに可能だとはかぎらない。第二に、たとえそれが可能なときでも、望ましくないかもしれない」
p331「同性婚論争の真の争点は選択の自由ではなく、同性婚が名誉とコミュニティの承認に値するかどうか-つまり、結婚という社会制度の目的を果たせるかどうか」
p334「われわれは正義に対する3つの考え方を探ってきた」
p335「公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保障したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれがともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなくてはないけない」
p337「アメリカのGNPはいまや年間8000億ドルを超えている。・・・GNPはアメリカのすべてをわれわれに教えるが、アメリカ人であることを誇りに思う理由だけは、教えてくれない」
p340「市場の道徳的限界」
p344「公共の言説の貧困化」

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2010/06/27

日本経済新聞 2010年6月27日 朝刊 『春秋』

「告白」の主な観客は若い世代だ。品田さんの読み通り、若者の閉塞感が変化の底流にあるとしたら、年長者も無関心では済まない。

 ちょっと暗いタッチの作品が流行したら、日経のコラムでさえこの有り様でがっかり。「告白」のヒットが「前向きに考えてもうまくいくわけではない」という空気の表れだと捉えて、何故それを「それでも現実を受け止め、ひとつずつ進んでいこう」という方向を語ることができないのだろう。確かに「告白」はそういうテーマになっていないかも知れない。でも、それを補うことは自由じゃないか。単純な時代の気分の読取と、それに対して紋切り型の嘆きだけで終わらせて、朝刊のコラムも何もあったもんじゃないと思う。

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2010/06/13

『下流の宴』/林真理子

4620107530 下流の宴
毎日新聞社  2010-03-25

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 絵に描いたような中の上家庭を築いた福原健治と由美子の息子・翔は、高校を中退してバイト暮らしをし、取るに足らない親子喧嘩の末に家を飛び出したと思ったら、20歳の折、22歳の珠緒を連れ、「結婚する」と言いだす。自分は漫画喫茶のバイトの身、相手の珠緒も同じバイトの身と言うのに…。

 医者の家庭に生まれ育ち、プライド高く育てられたおかげで、「自分たちの生きる世界は、あんたたちとは違うのよ」という意識丸出しの由美子に見下された悔しさから、「医者になる。そのために医学部に入る。」と一大決心をし、2年かけて見事合格を果たす珠緒の物語が主軸で、立身出世伝としては至って普通なんだけど、通信教育のやり取りとか、ディティールが効いてて珠緒を素直に応援しながら読めるし、こういう「やってやるんだ」という意思が大切なんだと感じれる。
 けれど一方で、ふがいないとバカにしながらも、翔のスタンスを全否定はできない自分がいる。翔は言う。「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ」。親にうるさく言われた子どもが「わかってるよ!」という、そんな心性から全然成長していない。していないけど、自分もおんなじじゃないか?と寒々としてしまう。そんなに先のことも考えてないような気がするし、難しい局面からは常に逃げようとするところも同じなような気がする。そして、珠緒の合格を見届けた翔は、「努力する人って、重苦しいんだ。」と言い放つ。それも、穏やかに、大人びた微笑を浮かべて。

 これはどういうことなんだろう。努力する人って重苦しい、というのは、かすかに理解できてしまう。言ってみれば「キリがない」のだ。努力して上に登り上に登り、一体いつまでやればいいんだ?というのが見えない世の中だから、最初から諦めてしまうのだ。それこそ健治や由美子の世代の世界には、「あがり」があった。上る途中で失敗し、そこで停滞してしまっても、あくまで「停滞」であり「停止」であって、「転落」はない。けど、現在は、健治と由美子のもうひとりの子どもである可奈の夫・北沢がうつ病になり解雇されるように、失敗は「停滞」では許されない。「喪失」に繋がるのだ。努力して上に登っても、資本主義の成長と破壊よろしく、「喪失」してしまうところまで上に登る努力をせざるを得ず、その努力を怠ることは許されない。つまり「キリがない」。そして、翔のような人間が生まれてしまう。それを見抜いていたのは健治だけのような気がする。つまり、「おそらく奮起、なんてことと一生無縁に暮らしていくんだろう」。

 こういう人間を生み出してしまうのは、由美子のような偏った価値観だ、と断罪するのは簡単だけど、どうも座りが悪い。林真理子の作品を読むのは初めてだったんだけど、優れて現代小説で面白かった。

 

p38「自分たちは競争激しくて、受験勉強大変だったから、子どもたちにそんな苦労はさせたくないからって、個性だとか、自分の好きな道を、なんてやってたら、子どもはみんなニート、ニートなのよ。」
p49「社会人となれば、学生時代よりも1ランク、2ランク上の相手が見つかるに違いない」
p100「OLとの差は、こうしたちょっとした小物で決まるのだ」
p115「何かの調査によると、今の二十代の四割が、親の水準以上の生活はおくれないという」
p118「お金と縁のないくせに、お金を追っかけると品が悪くなる」
p139「将来のこと考えろとかさ、そんなこととっくにわかってるよ。わかってるからイヤな気分になるんだ。そういうこと」
p232「それは社会から受ける信用と尊厳というものだ。」
p304「人のやること見て、励ますなんて、マラソンの沿道で旗ふってるだけの人だよ。自分で走らなきゃ、何の価値もない。だけどもうじき、あんたにも走ってもらうかもしれない。」
p346「どうせみじめな老後が待ってるんだったら、何をしても同じだね、なんていうのはさ、まるっきり違うと思うよ」
p412「あなたっていつも、他人ごとのように言うのよね」

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2010/05/30

『聖☆おにいさん(5)』/中村光

4063729060 聖☆おにいさん(5) (モーニングKC)
講談社  2010-05-24

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楽しみにしていた第5巻!amazonから届いて一気に読みました。

イエスとブッダが普通に立川で節約生活を営んでるというナンセンスな空気の中に漂うほのぼの感が凄くいいです。イエスは1,2巻あたりは妙にネットとかPCとかゲームとかにハマってる現代っ子感でギャップができててそこが面白かったりしたけど、5巻はあんまりそういう印象はないかな~。イエスとブッダの仲の良さが伝わってきて余計に面白い!

5巻の中ではカンタカがいちばんいい味出してて印象的。ちょっと涙ぐんでしまいそう(笑)。聖☆おにいさんは何巻から読んでもおもしろいのでオススメです。 

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『ストロベリー・ナイト』/誉田哲也

4334744710 ストロベリーナイト (光文社文庫)
光文社  2008-09-09

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 ストーリーテリングは抜群にうまいと思う。隠された何かがもうすぐ出てくる期待で先へ先へと引っ張るうまさ。例えば玲子の過去、17歳の夏に何があったのか。語られそうで語られないまま先に進み、イライラしない程度のよいタイミングで語られる。飽きずに読み進められる抜群のテンポなんだけど、僕が小説で読みたいと思う肝心のところはなかったし、こういう「ドキドキハラハラ」みたいなのでストーリーを追うものは、僕にとってはわざわざ小説で読む必要はないと思ってる。テレビドラマとか漫画とか、他にいくらでもそれを楽しませてくれるものはある。小説は小説ならではのアレが欲しいんであって、活字を追っていくのが苦痛だから、ストーリーの起伏でぐいぐい引っ張りましょう、その「ぐいぐい引っ張りましょう」だけがあるような小説は読まなくても別にいいと思ってる。

 主人公の玲子の感情、過去の事件を思い出したときの心情や、警察官になろうという動機、捜査での競争に面した際のメンタリティ、それらはさすがに記述がたくさん出てくるけれど、この小説に出てくる「玲子」独自のものはほとんどないように思う。玲子に起きた過去の事件がきっかけで起きる心情の変化も、何かのドラマとかで散々見たような話だと思うし、ましてや犯人の心情については、「なんかおかしなヤツがいました」くらいの扱いだと思う。犯人は複数いて、それぞれ過去や生い立ちに確かに不幸なものがあると描かれてはいるけれど、それが殺人につながるところまで追い込んで書かれてはいないから、「なんかおかしなヤツがいました」くらいの印象しか残らない。小説はそうではなくて、納得させたいなら納得せざるを得ないくらいこちらを追いこんで悩ませてほしいし、理解不能なものなのなら徹底的に理解不能加減を描いてほしいのだ。

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2010/05/09

『1Q84 BOOK3』/村上春樹

4103534257 1Q84 BOOK 3
新潮社  2010-04-16

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 まず何よりもびっくりしたのは、「青豆と天吾のラブストーリーがどうなるか」を楽しみにBOOK3を読んだ人が結構いるってことだった。ネットで感想をいろいろ漁ってみると、BOOK2で青豆が死んでしまったのかどうか、そしてBOOK3で青豆と天吾が無事再会できるのかどうか、そこに興味のほとんどを集中させて読み、その顛末にやきもきあれこれ書いている人が少なからずいたことにびっくりした。はっきり言って、青豆と天吾がどうなるのかなんて、BOOK2を読み終えた時点で、もしBOOK3が出るとしたらこうなるしかないってストーリーだったし、この二人の「ラブストーリー」的なところには全然ウエイトがおかれない。もちろん、青豆と天吾が主役なんだから、そのストーリーは大事に違いない。でも、青豆と天吾の力を借りて、語りたかったことが他にもいっぱいあると考えるのが普通はとても自然だ。

 BOOK3では、「さきがけ」のような、宗教に纏わる問題や、日本の現代社会を取り巻く精神的な諸問題を解き明かすことは、作者は「お断りを入れて放棄している」と解釈している文章もいくつか目にしたけれど、僕はそうは思わない。なぜなら、「比較的」複雑な事情を持たされて物語に登場したのが青豆と天吾なのだから、その諸問題について語ることを「放棄した」BOOK3なんて考えたくもないからだ。そして、その諸問題にどう対面していけばいいのか?それについては、単に諸問題を詳らかに記載するのみで対面の姿勢は書き記されないことは考えられるけど、BOOK3はちゃんと姿勢も指し示してくれているような気がする。そのキーポイントは何だろう?BOOK1&2では指し示してなくて、BOOK3で指し示してくれたような「気がする」キーポイントは何だろう?と考えると、やっぱり、BOOK3で突然、章を受け持つことになった牛河の動静と、その牛河の死(殺され方)にあるんじゃないかと思う。自分が知らず知らず青豆と天吾をひきつける役割を果たしていて、なおかつ、客観的な第三者的な視点の役割を担っていて、そうして最後に知ってることを洗いざらい話させられ突然殺される。そして青豆と天吾が残る。僕には、あの、偶然に偶然が重なって、牛河の前に天吾と青豆が現れずに済んだシーンがとても美しく心に残っている。

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『オー!ファーザー』/伊坂幸太郎

4104596043 オー!ファーザー
新潮社  2010-03

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 四人の父親がいる高校生・由紀夫が、徐々に徐々に事件に巻き込まれて・・・というか絡んでいく。

 小気味よい台詞回しと、重層的なストーリー展開。好きな人間なら誰しも「これが伊坂ワールド」と納得する構成なんだけど、僕は「なんかもうひとつスムースじゃないなあ…」と思いながら読んでたら、後書で本作が新聞連載だったと知って、それはそれで納得。そしてもうひとつ、「これが第一期伊坂幸太郎最後の作品」と書かれていて、それもそれで納得。

 随所に張り巡らされた複線、ちょっとだけ斜に構えてるがゆえに本音の温かい部分を受け入れやすいキャラクター達、何が起きているのか簡単には掴ませられないミステリー部分、娯楽小説としては確かに「第一期終幕」を飾るに相応しいと思います。ただ、「伊坂幸太郎を読みたいんだけど何から読めばいいかな?」と誰かに聞かれたら、僕は本作はオススメしないです。そう考えると、これはやっぱりファン向きなのかなーと思いました。 

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2010/04/03

『聖☆おにいさん』/中村光

4063726622 聖☆おにいさん(1) (モーニング KC)
講談社  2008-01-23

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4063727203 聖☆おにいさん (2) (モーニングKC)
講談社  2008-07-23

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406372784X 聖☆おにいさん(3) (モーニング KC)
講談社  2009-03-23

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4063728420 聖☆おにいさん(4) (モーニング KC)
講談社  2009-10-23

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 前々からウワサに聞いてた『聖☆おにいさん』、読みました!めっちゃおもろい!!

 下界バカンスを過ごすブッダとイエスの立川デイズ、とまとめると身も蓋もないカンジだけど(笑)、イエスの癖に妙にただの普通の今時の若者的なイエスと、ブッダのイメージそのままに人格者のブッダ、このちぐはぐ感がたまらない。いわゆる「不条理ギャグ」の延長線上にあると思うんだけど、イエスがブログをつけてるとか、料理に拘るブッダとか、細かいとこも笑えます。情報量がすごく多くて、ページ進むのに結構時間かかったりして。イエスもブッダもいいキャラしてるけど、僕はより人間離れしてるブッダのほうが好き(笑)。

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2010/03/22

『決壊』/平野啓一郎

410426007X 決壊 上巻
新潮社  2008-06-26

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4104260088 決壊 下巻
新潮社  2008-06-26

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 何を、どこで語るべきなのか?伝えるための「言葉」が伝わらないという問題。そもそも何かを伝えようとしているのかという問題。自分が言いたいことを言いたいように言っているだけで、聞いている相手のことなど考えてもいない「言葉」の氾濫。一人称、二人称、三人称だけじゃなくて、四人称とか作ればいいのに、と思う。  良介は、ネットに匿名のサイトを作って、そこで日常の大なり小なりの不服を書き連ねていたが、妻の佳枝がそれを見てしまうことになり、それがうねりうねって、ネットを利用した殺人者によって殺されてしまう。良介は、不服を吐き出す場所を間違えたのか?やはり、言いたいことは言いたい相手に直接言うべきなのか?それは正論だし間違ってはいない。ネットを利用した殺人者は、拉致した良介に対し、オマエはネットで自分は不幸だと書いてたじゃないか、さあ僕は不幸ですと言え、言えば助けてやる、幸せだというなら今ここで殺す、とけしかけ、良介は(当然に)僕は幸せだ、家族を馬鹿にするな、と叫び殺される。  その兄・崇は、頭脳明晰で、弟の良介から見れば、いつも「言いたいことを言えている」ようだったが、崇自身は相手の求めるように言葉を繰り出せるだけで、自分が本当に言いたいことって何なのか、という煩悶を抱えている。この小説に登場する人物は、現実の誰もがそうだけど、伝えたい相手に届く言葉を持ち得ないまま問題を起こし拗らせていく。使うべき言葉や手段を間違えているケースもあるし、自分の言葉に酔っているだけというケースもある。でも、もうひとつ、「受け手」としての姿勢の問題もあると思う。  少し本筋とはそれるが、中学生で殺人を犯した友哉の母親が、勤め先で若者二人に恫喝されるシーンがある。「なんで人を殺して少年だからって保護されて、家族ものうのうと生きてるんだ。許せない。俺たちはどこまでもあんたを追い回すからな。」心情としては理解できないではないと思う人は多いと思うし、実際、被害者家族の立場になったら、大した罰も社会的制裁も受けたと思えないままでは許せないと思うから、第三者としても許しがたく思ってしまうけど、この行動には少し納得がいかない。納得がいかない理由を突き詰めてみると、こういうことを加害者に言っていいのはやはり当事者である被害者だけだと思う。同じ社会を構成している人間として、無関心でいてはいけないが、それを当事者に対して言うのはお為ごかしに陥る危険性が大だと思う。あくまで社会に対して発言すれば十分だと思う。

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『マリさん』/矢寺圭太

4063728943 マリさん (モーニング KC)
講談社  2010-02-23

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 主人公で童貞のカトーくんは先輩の彼女であるマリさんに恋心を抱く。その思いは清純そのものだけど、マリさんは・・・。

 マリさんがどういう女性かというのは、まとめた言葉で書き表すのは非常に難しい。マリさんが言う「妄想」が、ほんとに「妄想」なのかそうじゃないのか、という難しい問いもある。書き表すのは非常に難しいけれど、マリさんのような女性がいて、それが特殊でもないし大袈裟に非難されるようなものじゃないということも、ある程度歳を食ってきた僕らにはもちろんわかる。

 わかるけど、わかるからここで起きてる話はとても紋切り型で取り上げるほどの中身もない、と思えるはずなんだけど、全然そんなふうに冷静に読めない。カトーくんの清純な思いは、ラスト1/3からの、それまでの「清純ラブコメディ」を大転換して突き進むストーリー上でも思い切り胸に響いてくる。なんかものすごいものを見てしまった、衝撃で呆けてしまうくらい。

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2010/03/06

『ローリングストーン日本版2009年12月号 誰も知らないB'z』

B002TRJBNE Rolling Stone ( ローリング・ストーン ) 日本版 2009年 12月号 [雑誌]
インターナショナル・ラグジュアリー・メディア  2009-11-10

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こんなの出てるって全く知らなくって、たまたま通りかかったブックファーストなんばウォーク店で見つけて即購入。12月号なんだけど。ドームでライブがあったから、それにあわせて表に出してあったのかな?細かい陳列による販促の好例(笑)。

一番印象に残ったのは、稲葉さんが結構、B'zがビッグバンドであることを率直に語ってるなってこと。松本さんは割と「売れてる」とかそういうことをはっきり口にするの見聞きしたことあるし、そういう人だしと思ってたんだけど、稲葉さんはあんまり「売れてる」ことに言及してなかったような。ところがこのインタビューでは、かなりはっきりとB'zはビッグバンドであると自覚してることが読み取れる。例えば、「いろんな邦楽アーティストが集まってもいいけど、じゃあ、誰がいるのかって。一緒にステージに立つアーティストの姿が想像できないというか」というところとか。「やるなら、海外からゲストを呼ぶしかないでしょ」という問いかけに、「なんかそっちのほうが、しっくりくるかもしれないですね」と答えてる。邦楽アーティストがスケールが小さいという訳じゃないけど、「国内だけでは対象が狭い」という点ではバンドのスケール感が大きいということを率直に述べてる。

実際B'zはそれくらい世界クラスのバンドに違いなくて、それに触れてる箇所も。インタビュアー(伊藤政則)が「(B'zは)ソングライティングにしてもプレイにしても、無意識のうちに世界基準というものができてくる。しかし、今のそのJポップっていわれている人たちは、別に世界基準という感覚はない。」「邦楽を聴いて邦楽をやりたいと思っているからね。」と語るのに対し、松本さんが「僕たちのスタート地点は憧れから始まっていますからね。」と答えている。

これはいつも考えるところで、僕はちょっと完全に頷けないところもあって。邦楽だけ聴いて邦楽だけ吸収して音楽をするというのは確かに知見が狭いし音楽性も狭くなるように思うけど、そもそも邦楽の守備範囲もかつての日本と段違いというのはあるかも知れない。日本の音楽マーケットも大きくなっていると思うし、B'zが登場した、「洋楽ロックを今より聴いていた」という時代以前に登場していたいわゆる「歌謡曲」でも、現代に生き残れるだけのオリジナリティを持っているものだってある。すべてはオリジナリティの問題?「世界基準」というのが規模を指しているとすれば、日本の音楽マーケットで通用している時点で今はある意味「世界基準」に届いているのかも知れないと思うし、逆に、日本ばかり見て活動するというのは、現代の若年世代の「内向き志向」と相通じるのかもと思うと、どんどん縮んでしまうようにも感じる。僕が高校生・大学生だった頃は、「なんだ何でもかんでも外国のものがいいようなこといって」という「舶来モノ至上主義」に反発があった。「なんで、外国のものだから無条件によくなるんだ?」という意識が、音楽だけでなく何もかもについて回った。それが、日本独自のものを伸ばす原動力だったようにも思うし、逆の意味での洋楽コンプレックスだったのかも知れないと思う。この辺はもはや主義主張の領域なのかも知れないな。

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2010/03/01

『ルパンの消息』/横山秀夫

4334745695 ルパンの消息 (光文社文庫)
光文社  2009-04-09

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 1985年作の著者処女作。最も印象に残るのはp436「あらゆる正論に耐性を身につけた化け物じみた犯罪者が次々と現れてくる」のくだり。確かに、僕が生まれ高校生までを過ごした昭和の後半というのは、融通が効かないというか効かせないというのか、明瞭なルールの下での公平を求めて、正論を正論として認めようという空気が少なくなかったのは事実だと思う。地域社会や家族のつながりさえも希薄になり、理解不足が進み、正論を押し通さなければならなくなった時代。それは「なあなあ」な「土着的」なもののネガティブな面を極端に毛嫌いした結果でもあると思うんだけど、その結果、本当に「融通」が全くない社会に突き進んでしまった感がある。すべてを正しいことで埋め尽くしてしまうのは間違いではもちろんないけれど、そうしようと思うのはなぜなのか何のためなのか、そういう視点を忘れてしまうから事態は悪化をたどるんだということに、いい加減気づかないといけない。 

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2010/02/14

『二人だけで生きたかった 老夫婦心中事件の周辺』/NHKスペシャル取材班

二人だけで生きたかった―老夫婦心中事件の周辺 (NHKアーカイブス特別編)
NHKスペシャル取材班
双葉社  2004-02

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 いつもは必ず感想と同時にアップすることにしてるんだけど、本書に限ってはすぐに整理して書けません。大学時代、この番組を授業で観て以来ずっとこころに残っている。 

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2010/02/13

『ドリーマーズ』/柴崎友香

4062156830 ドリーマーズ
講談社  2009-08-21

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 まず本筋にあんまり関係のないところから感想を書くと、『ドリーマーズ』で、赤の他人がふとしたきっかけで電車の中で会話するのが東京っぽいなあ、いいなあ、と思った。大阪ではあんまりこういうのない気がする。じっと考えてみて、東京はやっぱり、終わってもまたすぐ次が回ってくる、そんな環境だからじゃないかなと漠然と思った。

 柴崎友香は、おっとりのんびりした関西弁とちょっと胸を締め付けられるような筋書きが好みで、図書館の新着図書に本著があったので予約して借りてみたんだけど、ちょっと食い足りなかったかな。短編集なんだけど、一篇目の『ハイポジション』と最後の表題作『ドリーマーズ』が読んでて目が吸いつけられるし頭にぐいぐい入ってくるんだけど残りは若干印象が弱くて、「やっぱり年を取ると感性が弱まってくるというのもあるかも知れないけど、何より、自分が普段生活している世界と全然違う世界が描かれてると、ディティールにいちいち躓いてしまうしうまく頭の中で想像ができないので、感じ方が弱くなるのかな」と思いつつ読んでたけれど、読み終えて初出を見ると、『ハイポジション』と『ドリーマーズ』は「群像」で、それ以外は違ってて、やっぱり読者層というのを意識して書き分けてるってことかなあと凄く納得しました。

 タイトルは『寝ても覚めても』があんまりない感じで、これが良かったんじゃないの?と読んでるときは思ったけど、全部読み終えたらやっぱり『ドリーマーズ』だな、とこれまた納得。夢というか予感というか、そういうのが織り込まれるのが多い。「あれってこれの予兆だったんだ」と思うような夢や出来事は、後からわかったとしても日々のアクセントとして心の中で大切にしてあげてる人々。そこにもってちょっとだけ、死のイメージが絡んでくる。「またここでも死についてか!」とちょっとびっくりしたけれど、「もしかしたら自分はもう死んでるかも」というイメージを持つのは、とても悲しいことだけとは言い切れないなというのがもっとも新鮮でした。 

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2010/01/23

日経夕刊20100122p13 大企業チーム崩す地域力 社会人野球の大和高田クラブ

奈良にそんなに強いクラブチームがあるなんて知らなかった。こういうのは単純に嬉しい。企業がチームの受け皿でなくなる今、新しいチーム形態のさきがけにぜひなってほしいです。

快進撃を演じたのが大和高田クラブだった。初戦で競合のTDKに逆転勝ちし、同大会での初勝利を果たすと、2回戦の三菱重工神戸戦は延長10回にサヨナラ勝ち。クラブチームとしては、2000年のNTT九州クラブ以来となる8強入りを果たした。

「選手には野球だけじゃない、という気持ちになってほしい」と14選手を抱える大和ガスの中井隆男社長。

「今やスポーツ分野を切る決断ができる経営者が優秀だと言われる風潮ができつつある」

スポーツを支援することが、地域貢献の一環になると心得ている。

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2010/01/21

『GIRL』/タマキ・ジュリアン

4861139341 GIRL(ガール)
ジュリアン タマキ
サンクチュアリパブリッシング  2009-08

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日系女子高生スキムの16歳の日々。

この絵にピンときた人、もしくは、もしかしてこの読書百”篇”を見て、本の趣味が似てる、と思った人がいたら、絶対に読んでみてほしいくらい、オススメ。

「神は細部に宿る」ということを鮮烈に思い出させてくれた。青春真っ只中の感性と感情は、ディティールに凝らないと絶対に蘇ってこないとわかっているけれど、日々、以下にディティールを切り捨ててマスで見るようにサマリーするようにと求められる社会人生活を送ってると、毎日がほとんど同じだと思い込んでしまってて、何かの力を借りないとディティールを大切にできなくなってしまう。その「力」をものすごく秘めてた。

主人公は外国で女子高に通う日系人のスキム、彼女が日系人だからという独特のものがこの話の中にどれだけあるのかは正直僕にはよくわからない。ほとんどが16歳の女の子の世界特有のもののように思えるし、その中にもしかしたら日系人特有のものがあるのかも知れない。反対に、この話の舞台が日本でも全然違和感ないから、なんとなく日本特有の出来事と思ってるようなことが、意外と世界どこでもそうなんだ、と思えることのほうが大きいのかも知れない。

だから、いじめとか、同性愛とか、自殺とか、そういった出来事のいっこいっこに、ややこしくて濃密に共感するんだけど、僕がいちばん引き込まれたのは「疎外感」。アジア人だからとか、いじめのテーマに通じるところとか、青春時代特有の「自分は特別」感とか、いろいろあるけれどそれだけじゃなくて、周りに馴染めないというか馴染みたくないというか、周りと違うからじゃなくて、とにかく馴染みたくないんだ飛び込みたくないんだという、自分から生み出してしまう「疎外感」。スキムにはそれが滲み出てる。それはやっぱり日系人だからかも知れないし、単なる反抗期なのかも知れないし、性格の問題なのかも知れないけれど、何かを大切にしているから、何かを大切にできる人間だけが、味わうことのできる「疎外感」。そういうものを強く感じた。

スキムと、スキムとはいろいろありつつやってきた友人のリサは、巻末、それぞれが何かを「愛」だと信じて変わっていく。その「過程」がまた切ない。

イグナッツ賞というのも初めて知ったので、この賞を受賞した作品を調べて読んでみようかな。作者のタマキ・ジュリアンとタマキ・マリコはそれぞれイラストレーターと小説家という、漫画家ではない人が初めてコミックを作ったというその経緯も惹かれた。「つくりあげる」という感触がすごい出てる。

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2010/01/13

『PRESIDENT 2010年1/18号』

B0030EL2CS PRESIDENT (プレジデント) 2010年 1/18号 [雑誌]
プレジデント社  2009-12-28

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p45米倉誠一郎「常に新しい何かを生み出す「測定不能(アンメジャラブル)」な価値こそが重要視される時代が、すでに訪れているのです」

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2010/01/03

『グーグル時代の情報整理術』/ダグラス・C・メリル

4153200093 グーグル時代の情報整理術 (ハヤカワ新書juice)
Douglas C. Merrill
早川書房  2009-12

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 「この本の最大の要点は?」と聞かれたら、「整理ではなく検索する」ということになると思う。あるいは、「自分自身に最適なやり方を冷静に見極めろ」というメッセージ、ということになると思う。ただ、そこに辿り着くための説得力が半端じゃない。やっぱり、誰かの言葉に説得力を与えるのはコンテクスト。グーグルという時代の最先端で最高峰の会社のCIOを務めたキャリアが滲み出すものには心の底から敬服。

 何もかもが徹底的に理詰でかつ個人化が考え抜かれていて隅々まで役に立つんだけど、敢えてひとつだけ目から鱗だったことをあげるとすれば、ストレスに関する記述だ。本書のいろんなところで、ストレスがなぜ生まれて、それがなぜ人から気力を奪い、その結果どんな悪影響を及ぼすか、だからいかにストレスを生まないようにするべきか、というのが説明される。これは当たり前のことのようで僕には目から鱗だった。なぜなら、「ストレスなんかに負けない強靭な精神力を」「ストレスなんかに負けない体力づくりを」というような、ある意味日本的根性論主義精神主義のみで乗り切ろうとしていたからだ。僕はそういうのが大嫌いで、そういうのを否定してやってきたつもりだったのに、やっぱりそういうのにどっぷり使っていて、「極力ストレスを減らす」という発想ができていなかったのだ。「どうせがんばってもゼロにはできないんだから、負けない気力と体力を」みたいな発想になってた。間違ってはないけど、対処は他にもある。そう、「目標」を決めたら、方法はいくつも持っておこうと本書がいうように。 

 整理術としてだけでなく、「仕事にあたるスタンス」を学ぶ書として、あらゆる世代の人にお勧めできます。

p11「人間の短期記憶には、一度に五~九個の物事しか保持できない」
p16「自分自身を見つめなおしてみよう」
p36「物語を使って覚える場合は、情報を記憶する前に、そのデータをあとでどう利用するかを考えよう」
p48「産業革命は、一八世紀後半のイギリスに始まった」
p53「そのライフスタイルがすでに私たちの文化に深く刻み込まれているからだろう。これは「サティスファイス(満足化)の典型例)
p54「グローバル化は勤務時間を長引かせているだけだ」
p64「ところで、スキルと知識は別物だ」
p70「知識を独りで抱え込み、特別な知識があるのは自分だけだとまわりに見せ付けるために、がむしゃらに仕事をするよりも」
p89「恐怖こそ、何よりも無視すべき制約」
p93「病歴カードと医療委任状」
p127「ウェブのクローリング」
p136「site:」
p162「繰り返しの効果」
p177「忙しいときは、突然浮かんだアイデアや頭の片隅に引っかかっている疑問を紙に書き留めるようにしている」
p178「難しい物事を理解したりするときには、ポストイット・イーゼルパッドの巨大シートに書き出す」
p179「紙で作業することにより、コンピューター画面では見逃しがちな物事に気付くことができる」
 ・・・ペーパーレスだった某コンサルティング会社
p217「ラベル」
p253「文脈」
 ・・・ハイコンテクスト批判への批判
p284「文脈の変化を見越して、メモを取っておこう」
p297「つまるところ「仕事の時間を減らしたい」ということだ」
 ・・・ワークライフバランス
p300「ストレスがたまる原因のひとつは、九時から五時までだけではなく、それ以外の時間にも、仕事のメールへの返信など、何らかの作業をしているからだ。」
p308「私がロンドンで朝一番にするのは、メールの確認だ」
 …ネットネイティブの世代ではこうはいかないのでは?(当たり前すぎて効果薄では?)
p319「なぜだろう。思い付きもしなかったからだ」

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Goodreadsで蔵書録

Goodreads蔵書録はやっぱりちゃんと管理しようと思って、
検討の結果Goodreadsにしてみた。
やっぱりワールドワイドなほうがよいかなと。

驚いたのはimport機能!
特にそれ専用に整形したファイルを準備する必要はまったくなくて、
ISBNが記載されてそうなサイトURLを指定すれば、それを抽出して登録してくれる。
おかげで、読んだ本を登録してるサイトURLを何個か指定するだけでだいぶ自動的に登録できた。

ただ、蔵書管理ってなんのためにやるかというと、
「あの本持ってたよなー」という探し出しのためと思うんだけど、
ウェブサイトじゃあそれってほぼ無理なんじゃないかなと。
やっぱり物理的な本棚がいちばんかなと。
どうだろう?

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2010/01/01

『ほかならぬ人へ』白石一文

4396633289 ほかならぬ人へ
祥伝社  2009-10-27

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 白石一文で祥伝社。今まであったのかなかったのか調べてないけどそれだけで興味が沸く。

 帯に「愛するべき真の相手は、どこにいるのだろう?」とある通り、愛する気持ち、恋愛行為というものの本質が具に描かれた小説だけど、僕には読んでて「愛」よりも「死」が眼前に迫ってくるようだった。自分にとっての「死」がリアルに感じられるというんじゃなくて、どこにも普遍的にあるはずなのに、普段は忘れているような「死」という存在が、身近に感じられるというような。徒に恐れることなく、日常に存在しているものなんだから忘れずにいようよ、と言われているような感覚だった。

 明生は、親同士が決めた結婚相手だった幼馴染の渚に、「だからさ、人間の人生は、死ぬ前最後の一日でもいいから、そういうベストを見つけられたら成功なんだよ。言ってみれば宝探しとおんなじなんだ」と語る。それは、人に救いをもたらす言葉だけれど、もうそのベストを見つけたことがある、と思い当たる人にとっては、ひょっとしたら人生の残りの時間はただ…とより深い絶望に突き落とすような言葉でもある。明生にこう言われて「ほんの少しだけどすっきりした」と言った渚は、翌日事故で亡くなってしまう。渚は死の前日、この明生の言葉に触れて、「成功」だったと思っていいのだろうか?もしベストを見つけられたとしても、見つけられただけで、その人生は「成功」なんだろうか?渚は確かにベストを「見つけては」いた。

 やはり、生きていてこそ愛が輝くのだと思う。どんな形であれ、愛を輝かせるために生き抜いてみせるという力強さは、どんな時代にも必要なものだと思う。

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2009/12/31

『静人日記』/天童荒太

4163287205 静人日記
文藝春秋  2009-11-26


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 第140回直木賞受賞作『悼む人』を執筆するために、著者が主人公の静人となって三年間つけ続けた日記を元にした小説。

 『悼む人』は読んでないんだけど、なぜかこちらが先に気になって購入。『悼む人』を超える感動!と帯には書いてあるけど、読んでないので超えてるかどうかはわからない。わからないけど、日記形式というのが効果的でかなりずっしりと読ませられる小説だった。

 人は何のために生きるのか?とか、何が幸せなのか?とか、根源的な問いが頭を過ぎる。遣り切れない死を迎えた人の無念さは、残されたものが受け止めないといけない。近しい人は言うまでもなく受け止めさせらるし、受け止められないくらい受け止めさせられるので押しつぶされてしまうくらいだ。だから、その他の人が何を為すべきか?というのがこの世では大事になってくる。この世では、その他の人たちは、遣り切れない死を迎えた人の、生前の幸せな日々を自分の記憶の中に留めていつまでも生かしておくことが、その人の無念に対してできることではないか、そのように思い日々過ごすべきではないか、というのが静人が訴えかけてくることだと思う。そして、それには僕は全面的に賛成。

 その一方で、それは、「遣り切れない死」を迎えた人に対してだけなのか?という疑問が浮かぶ。本書の中では遣り切れない死に接することが多く、どちらかと言うと普通のことと思える老衰や病死があったかどうか、すぐに思い出せないのだけど、そういった多くの「普通」の亡くなり方に際しても、同じ姿勢であるべきではないのか。戦争で亡くなる方と、老衰で亡くなる方の間に、違いがあるのだろうか?あっていいのだろうか?この問題意識は、本書の中でも、ユーゴスラビアの大統領の話が引用されたりして深く掘り下げられ、静人は最後にひとつの結論に至る。

 「何をどう考えようと、人は自分の主観というものから逃れられないでしょう。であれば、自分なりの悼みを徹するように心がけたいと思いました。その代わり、自分以外の何ものかの欠落と結びついているかもしれないなどと、あやふやなことは申しません。自分のための悼みです。」

 自分のための悼み。この言葉を言い切るために費やされた時間。宣言すればそれが事実になる、というのではない言葉は、有限実行が褒め称えられるこの現代にも確かにあって、この言葉はその最たるものだと思う。ただひとつ静人の行動で同感できなかったのは遙香とのこと。『悼み』は自分のためであっても、まったくの個人に帰属させてしまっては、その悼みは悠久の時の流れの僅かな単発の出来事で終わってしまう。もっと時空を超える思想を描いてほしかった。そこまで拡張していくともはや宗教なのかも知れないけれど。

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2009/11/09

日本経済新聞2009/11/17 文化・日本スタイルで親近感 「洋もの」不振打開へ新手

「07年以降の洋楽市場は毎年100億円以上縮んでいる」

「SMJIの鈴木将人制作2部部長は「かつては音楽雑誌やレコードの解説など情報源が限られていた分、若者は洋楽へのあこがれや関心を募らせた。ネットですぐ情報を得られる今の若者は、その興味を失っている」」

「海外の文化に過度なあこがれを抱かず、信奉もしない。「洋もの」コンプレックスを持たない若者の志向は「よく解釈すれば足るを知る。・・・」と44年生まれの写真家、藤原信也氏は語る。」
「「日本を発展させたのは身の丈を知らない欲求だったのも事実。外に目を向けない保守化した世代の登場は、将来に希望が持てない閉塞した社会の表れでもあり、この先わくわくするような文化が生まれるかはわからない」」

僕は、僕らの世代に少なくない邦楽志向だけど、僕らの世代の邦楽志向と、ここで触れられている「若者」世代の邦楽志向は少し質が異なるようだ。

東宝の中川敬専務は、…「未知のものを見て、発見したいという欲求が若者の間で薄れているのを感じる」
対照的に、ドラマや人気漫画を原作にした邦画が当たるのは、物語や俳優の顔ぶれをよく知っているからだという。

しかし、かつての時代の、いわゆる1960年代~70年代の成長期の若者は、それ以前の若者は、本当にまったく先の見えない「未知」に対峙していたのだろうか?諸外国に追いつけばよいという、「先」があったから、安心して「未知」を追いかけられただけなのでは?経済は右肩上がりを信じて疑わずにすんだから、そこには予定調和があったから、安心して「未知」を追いかけられただけなのでは?

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2009/11/08

手を出さない

どうやら僕は、そのときどき、自分にないものを求めて、本を読んでいるらしい。

だから、手を出していないタイプの話というのは、そのときの僕には間に合っていることが書かれてる。

実際には読んでないわけだからほんとに間に合ってるかどうかはわからないけれど、
「こんな物語ですよ」と薄々わかる情報でもって、
「あ、それ間に合ってる」と思ったら手を出してない、ってことに気づいた。

ずっと自分では逆だと思ってた。
間に合ってないけど、自分ではそれは苦手だから手を出さない、と。
まさか間に合ってるから手を出してないとは思わなかった。

ふつう、人は未知に興味を持ち、未知をわかるために本を読んだりするから、全然変なことじゃない。

そうか、僕が手を出さないのは、間に合ってるからなんだ。

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2009/10/31

日本経済新聞2009/10/27 文化・レコード針 感動刻み続け/長岡秀樹

 吉井和哉が「ナガオカのイヤフォンがよい」と紹介している、というのを聴いて初めてナガオカを知り、もちろんiPod touchのイヤフォンはナガオカ製を愛用しているのですが、日経最終面にナガオカの社長が。

 現在、総売り上げに占めるレコード針の割合は10%程度にすぎない。
 それでも、人はナガオカを「レコード針の…」と言う。この事実を私たちは誇りに思う。

 レコードはいつか消えてしまうかも知れないものだけど、レコード針製造を事業として持ち続けるのは、看板としてただ残しているというのではない。「針は大本の技術の枝葉でしかないはずだ」という冷静な言葉も。数字に直ちに結びつくのではない事柄をどれだけ考え抜いているかで、その企業の自力が鍛えられているのだと思う。言い換えれば経営力が。

 まったくの偶然、最近、ドリコムがブログ事業を他社に譲渡することを知った。ネットバブルを通り抜けてきた僕らの世代にとっては、ドリコムと言えばブログというイメージがある。ドリコムにとってブログ事業は売上ですでに10%以下になっていたらしい。ナガオカとの比較に、何を思うべきか?

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2009/10/19

『ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ』/音楽と人

4903979113 ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ
音楽と人
USEN  2009-09-15

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 一昨日の夜中、さわおがインタビューされてる番組を二本立て続けに観て、その中でかの有名な「眉毛のない増子さんが待ち伏せしてた事件」を喋ってて、「あ、そういえばオレ、ハイブリ本の感想であのエピソード触れたっけ?」と思ったので改めて。

p40 山中さわお「で増子さんが言うんだ。『行ったほうがいい。絶対チャンスだし、ちゃんと東京でお前は成功するべきだよ』『俺だったら、メンバーに土下座しても絶対行くね』って」「でもね、後からわかるんだけど、増子さんはすごく察しのいい人でね。俺の言われたいことを言ってくれたんだよ。だからほんとは全然嘘で、増子さんは、もしひとりだけ誘われても絶対行かないタイプだよ。そこだけ嘘をついたの。僕のためにたぶん嘘をついたんだ。」
p89 増子直純「あの時、もうそっちに気持ちが傾いちゃってる自分を責めてたんだ、あいつは。「それは裏切りなんかじゃないし、自分を責めることじゃないぞ」「まあ、俺だったら絶対行くね」って言ったよ。本当は絶対行かないけどね。」「俺、そんなに音楽的な才能とか素養があるとは思ってないから。」

 増子直純は確かにいい男だ。でも僕はこういう男に憧れないし憧れちゃいけない。増子直純の気持ちに気づいた、さわおに憧れるしこういうふうになりたいなと思う。控えめに言っても僕は増子直純のようなスタンスは常に取れていると思うし「察し」はいいほうだ。けれど、増子直純が嘘をついたのは、詰まるところ自分が「土下座しても絶対行く」ようなタマじゃなかったからだ。そんなのに憧れてちゃいけない。そこそこんところで満足することに憧れるようではいかんともしがたいのだ。やっぱり僕はさわおのスタンスが好きだし、人の気持ちに気づける冒険者になりたいなと思う。

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2009/10/18

『山椒大夫・高瀬舟』/森鷗外

4101020051 山椒大夫・高瀬舟    新潮文庫
新潮社  1968-05

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 自分で自分のことを割と近代文学好きだと思ってるんだけど、森鷗外はあまり読んでいなくて、その理由はやっぱり教科書で読んだ『舞姫』だと思う。ちっとも面白くなかったのだ。今読めばたぶん面白いと思うんだけど、教科書で読む『舞姫』というのは、ここに踏み込まないと面白くない!というところに踏み込まないので当然面白くない。『蛍』が受験問題集で読んでどっぷりはまったのとは雲泥の差。

 『プレジデント』で森鷗外の紹介があって、伝記を読むといいと書かれてたんだけど、買いに出かけたジュンク堂では見つからず、代わりにこの『山椒大夫・高瀬舟』を購入。

 『高瀬舟』は安楽死がテーマだ。何よりも驚いたのは、『高瀬舟』が安楽死がテーマの小説だったことであり、この時代から安楽死の問題意識があったことだ。あるいは、もっと昔から当然のようにあったものかも知れない。逆に、苦しんでいる者がいれば安楽死させることが当然であって問題にならない頃もあったのかも知れない。
 喜助は不治の病に苦しむ弟が自害するのを手助けした。字面で書けばそういうことになる。弟は自分の手で剃刀を喉に突き刺したが死にきれず、喜助がその刺さった剃刀を抜いてやることで果てたのだ。喜助は抜かずに医者にかけてやればよかったのか?一命を取り留めたところで不治の病に苦しむ日々が待ち構えているだけだ。喜助に負担をかけているという気の病みとともに。そう思った喜助は、どう振舞うのが正しかったというのだろうか?そしてこれを書いているのが医師でもある鷗外というところに妙があり、縁起まで記されているところが奥深い。
 安楽死を求めるような苦しみが身体に及ぶ苦しみだけなのか、精神的な苦しみは値しないのか?精神的な苦しみによる自害の場合、どちらかと言えば「自害」という行為に至るまで周囲がその苦しみの大きさを測れなかったところに悲しみがあることが多いように思う。安楽死の問題は、それを他人が介助することによる、介助する側の悲しみも問題にあがる。最初に思ったのは、安楽死というのは現代特有のテーマでは全然なかったのだということで、他のたくさんの社会問題と同じく、現代特有だとしたり顔になればなるほど解決から遠ざかってしまっているような遣る瀬無い気持ちである。

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2009/10/12

『Talking Rock ! 2009年 11月号』

B002PN201C Talking Rock ! (トーキング・ロック) 2009年 11月号 [雑誌]
トーキングロック  2009-10-05

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読みたかったのはザ・クロマニヨンズ…ではなくて、ザ・ピロウズの916武道館レポ!

レポートもさすがトーキング・ロック!というか吉川氏というか、愛情たっぷりのレポートで、MCがかなり正確に再現されてたと思う。ああいうの、ライターの人とかはレコーダー持込できるもんなんかな?もうちょっとページ数があってもいいのになーと思うけどそりゃ贅沢ってもんか。916の前後にピロウズ本とかthe pillows castとか、分量たっぷりの本を読み漁ってるので、916のレポートもどーんと長いのを読んで楽しみたいな~思い出に浸りたいな~という気持ちがあるんだろうな。

写真がよくって、特に、確か「Please Mr.Lostman」のときのだと思うんだけど、スクリーンのあの木がめっちゃ綺麗で!あの写真は見るだけですべてを思い出してうるっときます。

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2009/10/05

『LIVE ROCKS! Vol.02』

4401633342 LIVE ROCKS! Vol.02 (シンコー・ミュージック・ムック) (シンコー・ミュージックMOOK)
シンコーミュージック・エンタテイメント  2009-08-27

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 吉井和哉@大阪城ホールとthe pillows@zepp Osakaが載ってる!ということで本屋に行ってみたんだけど、パラパラっと捲ってみて、「これ買うか…?」と躊躇。コレクターなら当然購入、だけど、僕はもういい歳だから、それほどコレクションする熱もないし、ビジュアルものを集めて眺めるようなんじゃないし、レポートは見開き2ページで終わっちゃうないようで写真メインだし、「これは立ち読みでいいだろう」ということでさっと目を通して終えました。写真がほしい人にはいいと思います。 

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2009/10/04

『完全保存版京阪神アートブック』/京阪神エルマガジン社

4874352936 L magazine art-京阪神アートブック 完全保存版―関西の美術館・アートスペース最新完全ガイド (えるまがMOOK)
京阪神Lマガジン  2009-04

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p34「京都国立近代美術館 学芸課長 河本信治」
p36
「美術館独自の文脈を作って、それに則ってのロックコンサートであると。」
「なぜ美術館のコンテンツにファッションを取り上げるのか。ファッションを通じて何を読んで何を伝えようとするか。そのプロセスがとても大事だと思います。これをはずしちゃうと、単なる展示施設になってしまう」

ひさしぶりに「文脈の大切さ」に自信を持たせてくれる文章に出会った。コンテクストの大切さ。即席のコンテクストは簡単に見破られ、二度と信用されることはない。どんな些細な決め事でも、そこまでにたどり着くコンテクストを準備しようとしたかどうかは重要だし、その準備の姿勢も問われる。通り一遍の儀礼的な会議で出てきたコンテクストに同意する人間はほとんどいない。コンテクストをコンセプトに変えても同じ。要は、「なぜ私はそう考えるか」を語ることに同じだから。自分の職場では、これを徹底できない。時間をかけて考えるくらいなら付け焼刃で十分、みたいなところがある。

もうひとつ、この文章に惹かれたのは、「これをはずしちゃうと」の一文があるところ。自分の問題としても、「はずしちゃうと」どうなるのかまで答えられないといけない。  

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2009/09/29

日本経済新聞2009/09/28 @関西「旅の途中」/多川俊英

「じっくり聴く側にまわったらタイヘンだ。饒舌にたたみかける方がダンゼン威勢がいいから、どうしても守勢に立たされる」
「私たちはここら辺りで一度立ちどまり、言葉の有効性や限界、その言葉を介する対話がすべてを解決しないことを、冷静に見定めるべきなのではあるまいか。」

 話すことが得意ではない僕は、いつも口数の多い人に追い込まれて苦労している。「どうしても守勢に立たされる」という辛さが嫌というほどわかる。そして、口数の多い人は必ず「対話が大事」だと唱える。けれど、その「対話」は、「対面して話す」意味しか含まれず、「聞く」時間がほとんど抜け落ちている。「聞く」時間が抜け落ちているのに、それは対話の相手の「話す」努力が足りないからだ、もっとガンガン話して前に出ないといけない、という。この辺りですでに、「対話」を振り翳す人が、実は相手を理解することを重視していない事実を炙り出している。相互に理解するのが対話ではなくて、相互に理解させようとするのが対話になっているのだ。

 なんとなく、話かけられると打ち解けたような気分になることも少なくない。「口を利かない」状態から「利く」状態になると、それだけで一歩関係が進んだようになるし、口を利く相手に面と向かって反対を唱えるのも体力がいるので、そうこうしているうちに「対話」主義者のオシに負けてしまう。聞き手に回ってしまう人間は、絶対的に受身なので対策が難しいが、言えない自分を言えないということだけで引っ込める理由はないということ、言われたら理解しないといけないなどと思わないこと、それを静かに保つことができれば、魂を大切にできる力になると思う。

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2009/09/27

『ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ』/音楽と人

4903979113 ザ・ピロウズ ハイブリッド レインボウ
音楽と人
USEN  2009-09-15

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 ピロウズの3人の他、岩田こうじ・増子直純・吉村秀樹・吉村由香・yoko・JIRO・ホリエアツシ・細見武士・上田健司・湊雅史・鈴木淳・RYOTA・大木温之・クハラカズユキのインタビューで構成されたヒストリー本。ピロウズの3人については、『音楽と人』2007年6月号掲載分を加筆訂正とあるので、厳密には20周年の今の声ではないけど、真鍋君、シンちゃんの過去に対する思いと現在の思いを読めるのは貴重。ピロウズの歴史をつぶさに知ろうと思えば、デビュー当初からほぼ毎年のインタビューが掲載されている「the pillows cast」のほうが圧倒的な情報量でオススメ、逆に比較的コンパクトに知りたいとか、ピロウズ3人の声を聞きたい(「the pillows cast」はほとんどがさわお単独のインタビュー)という場合は本書が向いていると思います。

 興味深かったのはデビュー以前の活動での繋がりかなあ。すごい有名どころのバンドのメンバーとかざくざく出てきて、やっぱりすごいところにすごい人が集まるのだなあと納得。よいものを作るためには、広い交流とレベルの高い人との付き合いが必要なんだなあ。 

 p9「バカをわからせるためには、ラジカセの前で弾き語りしてもダメだ。」

 何かを成し遂げるためには、その段取りを考える力が絶対必要。自分の独りよがりな努力ではなく、認められる努力。さわおの行動力には敬服。

 似たような音を出してないと「何をやりたいのかわからないバンドだ」と言う向きがあるけど、なんて年寄りくさい物言いだと思う。音が似てないと同一と判別できないような耄碌が、ジャンルなんてものをつくる。でも、意外と人は自分でジャンル作って「僕はここの所属しています」と言ってアイデンティティを確保したがる。さわおはそういうのに対してきっぱりバカらしいと言い放つ。彼はとにかく首尾一貫してて論理的ですごいと思う。

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2009/09/23

『the pillows cast [1989-2009]20th Anniversary Special Edtion』

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 半年に一度発売されるミュージシャンインタビュー誌『cast』が20年the pillowsを追いかけた軌跡をまとめた一冊。

 さすがに相当な分量で、読むのに相当時間がかかりました。916までに読み終えたかったんだけど間に合わなくて、今日ようやく終了。デビュー当初からほぼ毎年欠かさずインタビューをしている信頼感で、とても密度の濃い内容。20年の歴史をほんとにつぶさに感じることができます。ずっと一貫して変わらないスタンスでいるようで、少し年齢のことを出してみたり、当たり前なんだけどそういう変化みたいなものが、年齢が近い分しみじみわかるもんで、読んでてやっぱり励まされます。さわおは、「君の歌になってくれればいい」と、曲に関してそう言うんだけど、the pillowsの軌跡自体も、僕にとっては大事な羅針盤です。

 言葉になってるのを見て「そりゃそうだよなあ」と納得したんだけど、「もう、次はこれ以上いいものは書けないんじゃないか?」という不安は毎回感じる、とさわおは語っていて、どれだけ自信があっても、その恐怖心というのは乗り越えるべきものとして存在するんだなあとちょっと安心した。それから、2003年のツアーで、ライブ中にぼんやりしている瞬間があったという話、これも「あ、そうなんだ」と。自分にそういうことが起きたことがあるとか、短絡的に言うわけじゃなくて、長い活動の中でアップダウンを繰り返してるのは一緒なんだなーって、そういうのを感じるだけで自分も少し強くなれるもんだなとちょっと驚き。
 
 『the pillows cast』と『Talking Rock!』を読み終えて、じっと思い返して印象に湧き上がってくるのは『Thank you, my twilight』についてです。「折り返し地点を曲がったと思っているけれど、それに悲しんでる訳じゃなくて、サンキューと言える」ってくだり。『Thank you, my twilight』は2002年なので、今から7年前、さわおは33歳?今振り返ってみたら、確かに僕もそのくらいの年に、折り返し地点を曲がったと思ったな、と思う。でも僕はサンキューなんてとても言えなかった。言えないままここまで来ちゃったので、もっと無我夢中になろうと決意しました。

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2009/09/21

『まひるの月を追いかけて』/恩田陸

4167729016 まひるの月を追いかけて (文春文庫)
文藝春秋  2007-05

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 奈良を舞台にした小説ということで勧められて読んでみました。奈良の紹介具合は、結構住んでる人間の感覚に近くて違和感なかったです。主人公の静はもちろん奈良に何の縁もない訳だけど、その静の視点が、住んでる人間の視点に近くて、読んでいてシラけずにすみました。奈良が舞台というと、妙に神社仏閣の解説が加わったり、あやしい神話伝説が挿話されたりして、いやいやちょっと待ってくれよって思うので遠ざかっちゃうんですが、この小説は奈良市内や法隆寺だけでなくて明日香なんかも結構仔細に回るのに、その描き方が自然で良かった。ちなみに僕の実家は橿原神宮とはどうも相性が悪いと参拝を避けてきてたので、橿原神宮がそんなに新しい神社だとはこの本を読むまで知りませんでした。

 主人公・静の異母兄弟である研吾が奈良で消息を絶ったと恋人の優佳利から連絡があり、研吾を探しに奈良に誘われる。この捜索行が二転三転する訳ですが、研吾自身が割と早い段階で登場することもあり、話の中心は、捜索ミステリーじゃないということは早々に気づきます。その分、途中中弛みするような感覚もあったんですが、複雑な家庭環境や満ち足りない感触を補いあうことの危うさや貴重さや遣る瀬無さや儚さが、後半怒涛に溢れます。研吾の出した答えは、答えになっているのか?橘寺で待っているその人と組み合わせると、考え込んでしまいます。

 p248「ほとんど神話と地続きの時代よ。奈良は、ちょっとずつ場所をずらして、いろんな時代が点在しているの。そこが京都との違いよね。」
 p373「奈良を歩いていると、生きている人間も、死んでいる人間も、同じ場所で暮らしているという感じがする。」

 これは住んでる僕の感覚ととても近いんだけど、旅行で訪れる方もこう思うのでしょうか?一度聞いてみたいです。

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2009/09/19

日本経済新聞2009/09/13 文化・残暑好日、喫茶店のはしご/片岡義男

「人の感じが昔とまったく同じだね」と、店主は言った。これはいろんな人に言われる。変わるためにはそれなりのキャパシティが必要だ。僕にはそれがない、したがって変わりようがない。

 「変わらない」ということは我々くらいの年になるとどちらかというとマイナスだ。成長していないということだから。けれど「変わらない」というのがいい意味であることももちろんあって、それをサラリと書いていて羨ましい。嫌味な謙虚でも卑屈でもない、こんなふうな心の持ちように憧れる。

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2009/09/06

『Talking Rock ! (トーキング・ロック)2009ネン10ガツゴウゾウカン ザ・ピロウズ 2009年 10月号』

B002MQJDBC Talking Rock ! (トーキング・ロック)2009ネン10ガツゴウゾウカン ザ・ピロウズ 2009年 10月号 [雑誌]
トーキングロック  2009-09-05

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 『Lightning Runaway』を買い忘れ、失意の中『Talking Rock!』のブログを見てたらピロウズ特集号が出てることを(いまさら)知って慌てて購入。これも忘れてたら目も当てられん!

p10「自分に正直に曲を書いて、誰よりもピロウズが好きという人を今日もひとり、明日もひとりという感じで増やしてみせる!という気持ちがある。自分の能力と努力に見合った出会いをして行きたい そういう思いが今は強くあります。」

 いい言葉だなあ。「自分の能力と努力に見合った」これはすごくいい言葉だと思う。着実に前に進んでいくことが大事なんだと。

p20「なんでこれでOKテイクにしたんだろう?と思った瞬間があったりもして。その時に…すぐに合格点に達して満足しているベテランバンドって、実はヤバイ方向に行ってるんじゃないかなあと。」

 この自省の視点もすごいと思う。常にこうやって我が身を振り返り、おかしいと思ったところは修正していく。それと、仕事は徹底的にやるということ。僕も最近、時間がないことにかまけて、だいたいの及第点の提案書でお茶を濁すことが多い。自分が納得できる仕事をやらないと必ずしっぺ返しがくる。納得できる提案書を書くよう徹底的に時間を使おうと思う。

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『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2009年 9/17号 [雑誌] 文藝春秋 2009-09-03』

B002LYVM1Y Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2009年 9/17号 [雑誌]
文藝春秋  2009-09-03

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 僕は昔から「メモ魔」で、とにかくノートを取るタイプだった。ところが、どうもノートを取るという行為を否定されることが多く、ずっと迷いがあった。ノートの否定は大きく分けて2つ:

  • 時間が無駄である
  • 書かないと覚えられないというのは効率が悪い

 改めてこう書くと、レベルの低い迷いだなと思わなくもないけど、このNumberは、野村ノートを例に出すまでもなく、僕のノートを取る習性に勇気を与えてくれた。

p33「書くことで人は伸びる」
p40「書いて覚えることのたいせつさ」(遠山)
p36「問題意識を持って結果を性格に分析するために、書く」

 根本目標が大切。他人の話や言葉に流されてしまうのは、自分がどう仕事をしたいのか、どう生きたいのか、それに自信を持てていないから。他人の言葉に相槌を打っても、魂までは売らないという接し方もできるし、最終的には折れないという接し方もできる。根本目標を明確に打ちたて、向かうべきところへ向かう強固な意志を持つこと。

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2009/09/05

『八州廻り桑山十兵衛』/佐藤雅美

4167627019 八州廻り桑山十兵衛 (文春文庫)
文藝春秋  1999-06

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 関八州(武蔵国相模国上総国下総国安房国上野国下野国常陸国)を巡回して悪党者を取り締まる関東取締役出役-通称”八州廻り”の桑山十兵衛が主人公の捕物帖。

 時代小説はあまり読んだことがないんだけど、これは滅法おもしろかった。読んだことがないから、地名とか職業名とか知識がないものが多くて読み進めるのにちょっと苦労したけどそんなの気にならないくらいおもしろかった。十兵衛が悪党者の正体を推理し、取調べを進め、追いかける、推理小説的な捕物帖のおもしろさを十二分に味わえた。

 桑山十兵衛は八州廻りという悪党者を捕まえる立場の人間なので、道案内や手下を使う立場。建前とは言え、上下関係はあれども同じ人間でありあまり露骨に偉そうな立場を取るべきではない、という時代に生まれている僕には、江戸時代の上下関係というのはさぞかし絶対的で窮屈なものだろうなと漠然と思っていた。でも、道案内や手下にきびきびと命令する十兵衛の態度は、全然不愉快なものじゃない。この好感というのは、己の仕事を追及するプロフェッショナリズムがあるからだなあ、と感じ入った。僕がこういうふうに、仕事上の相手に対して堂々と渡り合えないのは、自分ができるべきことをできてないから、負い目があるからだ。端的に言って甘いから、甘えがあるから。これは気持ちを入れなおさないといけないな。
 また、物の言い方進め方も大変参考になった。大体冷静に事を進めてるんだけど、怒りや憤りなんかで感情が乱れているときに、それをそのままこういうふうに言って進めればいいんだ、と感心したり。話言葉にしろ書き言葉にしろ、表現は多彩で精密であるべきだなあと自分を戒めた。

 時代小説や歴史物を読むとよく感じるのが、とても現代的な社会問題と思っていたことが、実は過去にもあった問題だということと、昔からこういうもんなんだろうと思っていたことが、実はごく最近の感覚なんだということの両方ある。前者は、例えば『怯える目』に出てくる下野の窮状。江戸時代でも過疎はあり、衰えた村からは人が逃散して廃村してしまう。「地方の疲弊は一極集中の弊害」などとよく言われる。確かに江戸時代は一極集中の極みだし理屈はあってるんだろうけど、まるで太古の昔からある古里が現代のこのタイミングで破壊されてしまうと言わんばかりの理屈は、どうも胡散臭いなと、『怯える目』のこの箇所を読んでるとき感じた。自力でやっていけなくなったらその村は潰れてしまうまでで、田舎なんて自力でやっていける訳ないんだから国がお金回してくれて当たり前でしょう、というのはやっぱりちょっと違うと思う。
 後者は、『密通女の高笑い』に出てくる、間男七両五分。もちろん、公事上は、密通したものは死罪と決まってるが、たいていは「ほとぼりが冷めるのを待って金で話をつける」らしい。「刃傷沙汰などめったにおきない」らしい。また、「昔は容易に無宿になどしなかった」という話も、現代の厳罰化論議に通じるものがあると思う。厳罰化すれば犯罪が減るのか?厳罰でない肝要な社会で犯罪が少ないというのは、人々の道徳常識が高かった過去の話だと言われ勝ちだけど、昔にも似たような感覚があったのだと思うと、本質はそこではないなと思う。

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『非属の才能』/山田玲司

4334034292 非属の才能 (光文社新書)
光文社  2007-12-13

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 みんなと同じではなく、みんなと違うことが、これからの時代に求められる。みんなと違うこと、それを「非属」でるという。これが本書の主張。

 僕は、本書が言うところの「群れのルール」に慣らされてきた人間なので、「非属」である人に大きな才能が隠されているという主張は理解はできるんだけど、じゃあそれ以外の人たちはどのように振舞えばいいのか?とすぐに思ってしまう。特段の才能のない多くの人たちが「群れのルール」を守ることで秩序ある「社会」という基盤があり、それがあるからこそ、みんなと違う「非属」の人たちの才能が生きるのではないか、と。でもこの発想は、「非属であること=自分勝手」という決めつけが前提になっている。人と違うこと=傍若無人、ではない。人がそれぞれ思い思いのことをやると大変なことになる、と感じてしまう皮膚感覚それこそが「群れのルール」が染み付いている証拠で、人と違う感覚を持つことと自分勝手であることはイコールではない。実際、「非属」を謳う本書の著者でも、「自分の感覚で決めるのは大いに結構なのだが、自分が常に正しいかどうかはわからないという自覚だけは必要だ。」と書いている。この部分が峻別できないところが、日本社会の未熟なところなのかも知れない。

 「何が嬉しくてそんなことするんだ?」という言い回しは関西弁ではよく使われるが、「その変わっている部分が誰を幸せにするのか?という視点が欠けてしまっている」という本書の言葉は深く考えてしまう。変わっている部分があったとして、それをどう活かせば幸せになれるのか?自分にとって幸せとは何なのか?群れで大過なく過ごすことだけ考える社会だと、そんなこと考える意味さえない。そういう意味でも、「非属」という考え方には大きなアドバンテージがあるように思う。

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2009/08/30

『the pillows cast [1989-2009]20th Anniversary Special Edtion』

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「大器晩成とか遅咲きって言葉をリアルに口にしていいバンドは、俺達だけだと思うな」。
(the pillows 山中さわお/本文より)

今年20周年を迎えるピロウズを、デビュー以来20年追いかけインタビューし続けてきた稀有な雑誌、「cast」のインタビュー完全保存版。ほんとに失礼だけど、一地方のローカル誌がこんなとてつもないことしてたなんて驚き。7月のZepp Osakaで配られたビラで存在を知って、通販で買いました。amazonでさえ手に入らないんだよ!タワレコ、HMVには置いてるらしいけど一般書店には置いてないとか。凄いよね、こんな凄い本をそんなふうに流通させてるなんて。

毎日少しずつ読んでます。
詳しくはjoyfultown.jpホームページにて。買いです。

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『CREA 2009年 09月号』

B002HESN9C CREA (クレア) 2009年 09月号 [雑誌]
文藝春秋  2009-08-07

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女性誌って女性にどんな本をどんな風にオススメしてるのかなーと興味ありで。

 
パイロットの妻 (新潮文庫) パイロットの妻 (新潮文庫)
Anita Shreve

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これ、読もうと思ってたんだ。思い出せてくれてありがとう。 

虎の城〈上〉乱世疾風編 (祥伝社文庫) 虎の城〈上〉乱世疾風編 (祥伝社文庫)

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育ちの地の武将なので、悪評があってもちょっと親近感があって、こういうきっかけで抵抗を捨てて手を出してみれる。いい方向。

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ジュンク堂 難波店

大阪市浪速区湊町1丁目2-3 マルイト難波ビルK995974208_3

写真は、同じビルの1Fのダイキしか写ってないけど。

難波店が出来て以来、結構行ってる。
近鉄ユーザで四つ橋線ユーザの僕には、とても利便性の高いロケーションだから。
でもGoogleマップだと、出てこないんだよね。
ややこしいけど、元あった「難波店」は「千日前店」に改称してて、
この新しい店舗はOCATの隣。
休みの日にジュンクに行きたいなと思ったら、
西梅田の両店に行くのと難波店とじゃ交通費が全然違うのだ。

この「難波店」も、売り場面積は文句なし。
うろうろ歩き回って本に出会う楽しみ十分。
ジャンル分けもそのジャンルの配置も馴染みあって直感的にわかる。
強いて言えば、検索機をエレベーター直ぐだけじゃなくて、文庫本のエリア近くにも置いてほしい。
ジュンクは作家順じゃなくて出版社別に分けてるんだから。

本日のお買い上げ:

村上春樹『1Q84』をどう読むか 村上春樹『1Q84』をどう読むか
河出書房新社編集部

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山椒大夫・高瀬舟    新潮文庫 山椒大夫・高瀬舟    新潮文庫

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スカイ・クロラ (中公文庫) スカイ・クロラ (中公文庫)

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赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫) 赤頭巾ちゃん気をつけて (中公文庫)

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2009/08/29

『キラークエスチョン』/山田玲司

4334035213 キラークエスチョン (光文社新書)
光文社  2009-08-18

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 日経新聞の欄外広告で『キラークエスチョン』という書名が目に飛び込んだとき、「これはいいこと言ってるな」というのと「なんかまた一芸タイトルみたいなのが出たな」というのと両方浮かんだんだけど、著者名を見て「これは買わねば」と。山田玲司だ。僕の大好きなマンガ『Bヴァージン』の作者であり、「バブル」と「バブル崩壊後」という「共通の時代感」ベースがあれほど必要なマンガを書いたのに、その後も消えることなく仕事を続けている「芯」を持ってる作家。おまけに、以前、本屋で山田玲司の新書を見かけておきながら購入せず、そのことも思い出した。これはいてもたってもいられない。

 『キラークエスチョン』は、「会話に重要なのは、”話す”ことではなく”聞く”ことだ」というシンプルなメッセージと、それを実践するための具体的な26のキラークエスチョンが掲載されている。このメッセージもキラークエスチョンも、全面的に大賛成な内容で、著者がほんとは人見知りで会話が苦手ということが心底よくわかる。僕も人見知りで会話が苦手だから。それでも人は会話する生き物だから何とかこの局面を打開しないといけない、そう日々悩んで編み出したのが、「相手のことを聞くこと」だったから。「編み出す」というほど大層なものではないかもしれないけど、もともと会話が苦手な人間というのはそういうところすらできないから苦手なんだし、本書が出版されるくらいだから、世間では僕と同じような会話が苦手な人が少なくないんだと思う。

 僕の感覚が少し違うところは、「誰も僕のことになんか興味を持っていない」というのがある。要は、人は自分のことは話したがるけれども、人のことはそれほど聞きたがらない、ということだ。だから、僕は自分のことは会話ではあまり話さないように気をつけていた。これはこれで、自分の評価を徒に落とさずにすむ方法ではあったけれど、今ひとつ相手との距離を縮められない原因でもあったと本書を読んで気づいた。キラークエスチョンは使いこなせていたけれど、それは相手をよく知ることと会話での空白をなくすためにしか使えていなくて、「お互いに」よく知り合って関係を深める方向には使えていなかった。これは、仕事上の役割と関係があるのかも知れない。そして、このスタンスで深まる人間関係に一定の傾向があるのも、考えてみるとそりゃそうか、と思わなくもない。

 心配なのは、「人は自分の話を聞いてもらいたいもの」こういう感覚さえ、実は失われていて、喋る一方がよしとされているんじゃないか、と感じるときがあること。世の中には、ひたすら喋り捲る人がいる。普通はそういう人は、煙たがられる。けれど、最近、そうやって押し切る人に対して、面倒くさいからかなんなのか、それを良しとするような風潮が芽生えてきているように思う。「自己主張」なんてもんじゃない。誰も彼もが、受身で楽しようとしているのだ。

 本書のもっとも太いメッセージは、「人はみんな違うものだ。だから聞くんだ。」というところ。日本は、均一化社会で、極力聞かなくていいような人間にみんななるようにシステム化してきた。個性だなんだといったところで、みんな自分と似たような個性を持つもので「ちっこい日本」を再生産する。そうじゃなくて、本当に個々人が個人として生きていける社会を目指すためには?それに対する答えのひとつとして、確実に『キラークエスチョン』は有効だと思う。

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2009/08/23

『炎の経営者』/高杉良

4167753723 炎の経営者 (文春文庫)
文藝春秋  2009-05-08

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 日本触媒の創業者、八谷泰造を描くノンフィクション。

 一時期、日本触媒担当として出入りさせてもらってたことがあって、ちょうどビルの建替え時期でもあり、これまでの歴史を受け継ぎながら新しい段階に入ろうとされている空気が満ちていたことが思い出される。当時は自分のなすべき業務に精一杯で、日本触媒のバックグラウンドを学ぶ余裕がなく、当時この小説を読んでいたらまた仕事にも違った面白さがあっただろうなと後悔。常に関連するものを調べ、知る意欲が大切。

 「炎の経営者」とは大仰なタイトル、と思ったものの、掛け値なしに「炎の経営者」だと思える。乗るであろう電車にあたりをつけて、財界重鎮の永野重雄に直談判して出資を得る冒頭のエピソードで、八谷のバイタリティに引き込まれる。
 ソ連に技術輸出するをするあたり、技術輸出というビジネスの成り立ちがよく知らないものの、ソ連との交渉のシーンなんかは、現代にもそのまま通じる。というよりも、世界が未知だった時代の人のほうが、世界に打って出る意欲や度胸があったようにいつも思う。世界が身近になった今は、なんというか、消極的になってしまう気がする。

 この10年余り、自社が行うビジネスの内容なんたるかよりも、数字を扱えることが経営者に最優先のスキル、という風潮だったと思う。確かに、数字を読めなければ会社を潰すだけだけど、これまで目を瞑ってこられた、経営者の「人間性」「人格」というものが、けして軽視できない時代に改めて入ってきたんじゃないか?と、『炎の経営者』を読んで痛感。八谷は、「技術屋」「事務屋」と呼び分けていたが、知識まで縦割りにしてはいなかった。

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2009/08/17

『プレジデント 50+ 2009年7/15号』

B002BB2GIK プレジデント 50 + (フィフティプラス) 2009年 7/15号 [雑誌]
プレジデント社  2009-06-15

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p64「福原義春(資生堂名誉会長)」

 ビジネスマンは実利を求めて本を読みがちですが、明日からすぐに役に立つという本は、三年経つとたいてい役に立たなくなるものです。もちろん、ビジネス書やハウツー本も読まなければ飯の種がなくなってしまうこともあります。しかし、たとえばリーダーがハウツー本に書かれてある通りに「わが社はかくあるべきだ」と話したら、たちまち部下はしらけてしまう。

思ったことが2つ。

  • 三年経って「あれはもう古い、時代遅れだ、今はこれだ」というのを繰り返している人のほうが、そういうことすら考えず読んでいる人よりもまだビジネス向きということか。しかし、そこには進化が残らない。積み重ねられるものもない。消費しているだけだ。
  • 昔勤めていた会社で、上層部がキックオフミーティングで、「やりがいをモチベーションとすることが大事(=金銭的な見返りで働くだけではダメ)」というようなことを語ったことがあり、当時確かに「やりがい論」が流行っていて、「バカな人だなあ」と思った記憶がある。そういう意味では、何でもかんでも「金」を対価とする方針の今の会社のほうがましということか。

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2009/08/16

『風に舞いあがるビニールシート』/森絵都

4167741032 風に舞いあがるビニールシート (文春文庫)
文藝春秋  2009-04-10

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 短編集と知らず、最初の一編『器を探して』を読み終え、これはなかなか面白い、と次の『犬の散歩』に差し掛かって、登場人物が全く違うことに気づき、「あ、もしかして短編集?」と初めて気づいたのでした。そこで慌てて『風に舞いあがるビニールシート』を先に読んでみた。そのタイトルに強く惹かれていたので。

 まずUNHCRが舞台の話だなんて、全く予想してなかった。もうちょっと、普通のOLのほのぼのとした日常とか、ほのぼのしてるかどうかは別として、柴崎友香のような話をイメージしてた。先に読んだ『器を探して』が、プロフェッショナリズムを強く打ち出した話とは言え、ケーキショップに勤める女性の話と、まだ身近な感じがしただけに、UNHCRまですっ飛ばれてしまうととても意外だった。

 UNHCRに勤めたエドと里佳は、どれくらいの年棒を貰っていたのだろう?実際、エドはアフガンで命を落としたくらい、危険な業務に従事している彼らの年棒はどれくらいなのだろう?そういうふうに考える自分が、いかに成果主義に毒されているか、思い知らされた。成果主義の最も恐ろしいところは、「何が仕事であるのか」がだんだん二の次になっていくところ。自分が関わっている製品やサービスや仕事内容というのは、あくまで「金銭」につながる「成果」を得るための手段でしか、なくなるのだ。その思想は、別の形であれば、ひとつのプロフェッショナリズムに繋がるものだけど、「成果主義」と結びつくと、簡単に拝金主義に姿を変える。そうして、「これくらいのお金を貰わないと、そんな仕事やってられないよなあ」という発想が生まれるのだ。命を賭して働く彼らの年棒って?同じような疑問を抱く人はたくさんいると思うけど、成果主義に毒された僕のこの疑問は、あまりにいやらしい。そして、それほどの稼ぎにならないのに、苦労の多い仕事を進んで嬉々と情熱を傾けて取り組む人の気持ちが理解できなくなってしまうのだ。

 でも一方で、単に「仕事」「お金」と並べるだけの労働経験しかない、思いに深みのない人とは違う、という自負はある。少なくとも、なぜそれだけのお金を追いかけないといけないのか、という明確な意識はあって、それはただだらだらと働いてお金を貰っている人のそれとは著しく異なるし、どれだけいやらしくてもひとつのプロフェッショナリズムを持っていることに変わりはないからだ。本書には6編のプロフェッショナリズムが描かれていて、僕みたいにとても偏狭であれ胸を張ってプロフェッショナリズムを唱えられる人にとっては、刺激的な話ばかりだと思う。 

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2009/08/15

『FRaU (フラウ) 2009年 09月号』

B002ISQL0A FRaU (フラウ) 2009年 09月号 [雑誌]
講談社  2009-08-11

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 女性向け雑誌ではどんな本が紹介されるのかな~と、軽い興味で買ってみたら、『1Q84』の一般読者?レビューが掲載されてたので読んでみた。男女3人ずつ、男女に分かれて討論するかたち。

 なによりもびっくりしたのが、「宗教」のテーマについて、ほとんど関心が払われていなかったこと。「また”宗教”を持ち出している」と、明らかに嫌忌したような発言もあった。神話の再構築といったような、どう読んでもそりゃ自明のことでは?という読みもあった。『1Q84』がベースとしている書籍の大半を読んでなくて、自分の教養不足を嘆いたところだったけど、人の振り見て我が振り直せ、と言ったろころ。めんどくさがるクセを直さないと。 

 どんな本が紹介されてるか?研究は、もうちょっと後で。

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2009/08/12

『Talking Rock ! (トーキング・ロック) 2009年 09月号』

B002ILO9RE Talking Rock ! (トーキング・ロック) 2009年 09月号 [雑誌]
トーキングロック  2009-08-05

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 お目当てはもちろん吉井和哉!びわ湖ホールと大阪城ホールのツアーレポがあるってことで。

 びわ湖ホールのあの衝撃のMCが完全?再現されてて爆笑。でも、あのMCのきっかけ自体は、思いつきのデマカセじゃなくて、知人の滋賀県人からそうだと聞かされたからだとか。
 いちばん印象に残ってたのは『恋の花』なんだけど、それはアレンジが違って新鮮だからとかじゃなくて、なんかとんでもないエネルギーが襲い掛かってくる感じだったから。で、インタビュー読んでみたら、やっぱり過去の曲もまるで生まれ変わったように自分でも感じると言ってた。

 写真が相変わらずどれもめっちゃかっこいい!!びわ湖ホールと大阪城ホールで満足してたけど、やっぱりZepp Osaka、いくべきだったな、と激しく後悔したのでした。

 次はバインのインタビュー読も。吉川尚宏氏って奈良県人なんですね。

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『IN/SECTS インセクツ 00号 2009 Spring』

4861521998 IN/SECTS インセクツ 00号 2009 Spring
LLCインセクツ
青幻舎  2009-05-15

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 9・11の後、教授はなにかあったときにマンハッタンを脱出するためにレンジローバーを買ったらしい。レンジローバーを買えるだけのお金があるかないかという話はとりあえず置いておいて、「どんな車だったら非常時にマンハッタンを脱出できるか?」と考えて実際に車を買うという行動までやってしまうところが凄いな、と思った。僕は考えても、実際そんなときに脱出なんて出来る訳がないとか、どんな車でも限度があるぞとか、そういう、できない方向ばかりどんどん出てきてしまう。とりあえずやってみるかみないか、ここんとこの差が大きな差になるんだな、というのを改めて感じる。

 あと、結構はっきり好き嫌いを言ってるとこも興味深い。あまり、好き・嫌いというのは言わないほうが幅が広がるものだと思ってたので。別の記事で坂本龍一が「東京の人はがんばらないよね。そこがかっこいい」と語ってたとあったけど、この言葉の解釈の仕方も勉強になる。 

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『のだめカンタービレ #22』/二ノ宮 知子

4063407497 のだめカンタービレ #22 (講談社コミックスキス)
講談社  2009-08-10

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泣けるなあ。天才故の袋小路。

逃げないで向き合ったんだからもういいでしょ、と吐露したとこを見て、何のために向き合ったの?と聞いてみたいけど、この心境を理解しきれないのはたぶん僕が何らかの欠陥を抱えているから。

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2009/08/08

『GOOD ROCKS! Vol.09』

4401633164 GOOD ROCKS! Vol.09 (シンコー・ミュージックMOOK)
シンコーミュージック  2009-06-24

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 吉井和哉のびわ湖ホール・大阪城ホールのライブレポがあるってことで『Talking Rock!』を買いにいったんだけど見つからず、探してるうちに『GOOD ROCKS!』が見つかってさわおが表紙だったので購入。インタビュー記事出てるって知らなかった(笑)。

 髭(HiGE)について喋ってるのが、Zepp OsakaのMC通りでおかしかった。そして、若いバンドがいいプレイすると頭に来るって言ってるのも、podcastでテナーのホリエが来たときに言ってたのと同じでおかしかった。もちろん、ほんとに頭に来たりとか潰しにかかったりするんじゃなくて、自分の中で「負けちゃられない」という情熱を掻き立ててるところを、きれいなふうに言うんじゃないとこがいいと思う。『1989』について語ってるとこなんかでもそれがよく分かる。

 武道館に向けて期待は高まるばかり。もうちょい近所のイベントとかライブとかがあったら、追加で行きたいくらいの勢い。 

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『IN/SECTS』vol.000

4861521998 IN/SECTS インセクツ 00号 2009 Spring
LLCインセクツ
青幻舎  2009-05-15

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表紙にデカデカと地元・生駒の文字が躍ってて思わず購入。

編集のLLCインセクツは、京阪神エルマガジン社の発行物の編集を手がけたりしている編集プロダクションだそうで、雑誌を発行するのはこの「IN/SECTS」が初とのこと。地元・生駒の特集はすごくおもしろかった。スチャダラパーを宝山寺に連れて行ってインタビューしたり、地元の名店の店主にインタビューしたりしてるんだけど、場所の力ってあるんだなーと思いました。すごく感覚が近くてしっくりくる。それは、奈良には大きな力があるってことなのかな?いや、違うな。どこの場所にもその場所その場所の大きな力があるんだろうな。

クオータリーマガジンということだけど、とにかく長く続けてほしいです。最低3年は続けてほしい。最初に生駒が特集されたっていう「よしみ」で、このおもしろさが続く限り手に取り続けたいなと思います。それって、これからの世の中結構大切なことじゃないかな、と思います。  

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2009/08/03

『1Q84』/村上春樹

4103534222 1Q84 BOOK 1
新潮社  2009-05-29

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4103534230 1Q84 BOOK 2
新潮社  2009-05-29

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 読み終えて唸って考え込んで10日余り過ぎた今、『1Q84』を思い起こしてみると頭に浮かび上がってくるのは、誰かの思いとか考えとか悩みとかのどれが「くだらない」と言えるのかなんて誰にも決められないし、反対に、自分の思いとか考えとか悩みとかを誰かに「くだらない」と言われる由もないけれども誰かに「くだらない」と言われてしまってもそれはしょうがないことなんだ、という諦念。さらに逆に、誰かの思いとか考えとか悩みを「くだらない」と言ってしまう権利も誰にでもあるけれど、そう言ってしまうためにどれだけの覚悟が必要か、きちんと意識していたいなという気持ち。「くだらない」という言葉に、少しでも優劣の色が混じるなら、今まで通り僕はそれを許さない。その許さないやり方は、『1Q84』の中にも何種類も出てくる。噛んで含めるように伝えるようなやり方もあるにはあるけれど、僕は今まで通り徹底的に打って出るやり方で行くだろう。

 テーマに『宗教』があるのは間違いない。だけど、『リトルピープル』は文字通り『ちいさい人間』、つまり人間の弱いところであり凶暴性で、それは宗教を引き起こすこともあるし宗教を暴走させることもあるし、宗教という形を取らず暴走することもある。その『リトルピープル』の輪廻が、少し考えただけだと辻褄があわないことだらけで読み取りに悩んでしまう。そして、BOOK2の後半でのこのあたりの説明的描写は、読書が好きな人じゃないとたぶんキツくて面白いとは思わないんじゃないか。それでも、僕は読み応えたっぷりでいい物語だと思う。

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2009/07/22

『はじめての構造主義』/橋爪大三郎

4061488988 はじめての構造主義 (講談社現代新書)
橋爪 大三郎
講談社  1988-05

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 大学生の時、ご多分にもれずほとんど勉学に励んでなかったんだけど、哲学や思想を専攻してた訳でもないのになぜか思想には興味があって、面白そうと思った書物を読み散らかして、結果、構造主義に大きな衝撃を受けた。衝撃を受けたと言っても理解できた訳でもモノにできた訳でもないんだけど、自分が今まで持ってきた物の見方とまったく違う物の見方がある、しかもそれはそれまで絶対的に正しいと思われてきたようなものや、感覚的にそうだろうと思ってきたようなことまでひっくり返してしまう破壊力のあるものの考え方だった、という点で衝撃的だった。「自分の知らないところにいくらでも世界がある」そうすっかり思えることが大人になることだとしたら、僕を大人にしたひとつは構造主義だったと思う。
 本著は、かつてのめりこんだ構造主義の知識を整理したくて選んでみたんだけど、すごくよく纏まっていてわかりやすくていい本だった。構造主義がなぜモダニズムを打ち倒せたのか、それ以前にモダニズムとは何か、なぜモダニズムは強大な権威を持っていたのか、そういうところまできちんと理解させてくれる。レヴィ=ストロースの仕事では、やはり何度触れてもインセスト・タブーの解明は衝撃的で興奮する。何が優れていて何が優れていないのかなんて、誰にも断言できないのだ。

p18「マルクス主義は唯物論だから、革命の犠牲となっても霊魂だけは救われるぞよ、というような発想がないのだ」
p18「ヨーロッパ世界の人びとは、キリスト教を通過しているので、ひとりひとりの人格や個性や自由に大きな価値を置く。そこで、マルクス主義の言うことはもっともだけれども、そこでこの私の生きる意味はどうなるんだろう、という感想を持つ。サルトルの実存主義は、これにこう答える。彼は言う、われわれ人間の存在なんて、もともと理由のないこと(不条理)だったはずだ。」
p19「構造主義ははっきりノーと言ったのだ。構造主義と言ってもいろいろあるので、しばらくレヴィ=ストロースに話を限るが、彼の議論を煮詰めていくと、マルクス主義の言うような歴史など、錯覚にすぎないことになる。」
p22「それは、人びとが互いに対等な人間と認めあって、人類共同体を構成し、そのメンバーにふさわしく協力しあいましょう、という思想のはず。」
p26「ソシュールやその後継者たちの仕事は、直接・間接に、ずいぶんレヴィ=ストロースの養分になった。もうひとりは、フランスの人類学者で、デュルケーム学派のマルセル・モース」
p32「1955年、・・・『悲しき熱帯』」
p45「言語の機能を知るのに、その歴史を捨象する(わざと考えないようにする)ことができる」
p47「指示するものとのあいだに実質的なつながりがあって、恣意的でないから「有縁的」という」
p51「言語や記号のシステムのなかには、差異(の対立)しか存在しない、と言わなければならない」
p84「クラ交換」「モースは、『贈与論』」
p91「インセスト・タブー」
p95「限定交換」「一般交換」「両方交叉イトコ」「母方交叉イトコ」「父方交叉イトコ」「平行イトコ」
p99「コミュニケーションの一般理論」
p101「人間社会のあり方を「有機的連携」「機械的連携」の二種類」
p104「社会集団の構成原理」
p107「数学(遠近法)とのつながり」
p114「神話素」
p122「神話分析が、テキストを破壊してしまう無神論の学問だからだ」
p127「構造主義は、真理を”制度”だと考える。制度は、人間が勝手にこしらえたものだから、時代や文化によって別のものになるはずだ。つまり、唯一の真理、なんてどこにもない」
p130「数学は、長年をかけて、それ自身をつきつめていくうちに、とうとう自分がひとつの制度であることを発見した」
p134「ユークリッドの『幾何学原本』」
p146「双曲線幾何学」
p161「世界は、物体(=客体=客観)の集まりである。それ以外のもの(神や霊魂)は、どこにも見つからない(のではないか)。」
p169「射影幾何学」
p183「神話に<構造>があると考えるのと、神話はつぎつぎ変換されていくものだと考えるのとは、一緒のことなのだ。」
p184「まず、ある地域の神話の全体を、変換群とみなす。」
p225「”現代的なこと”に関心があるのはいいが、それを”最新のもの”と取り違えてしまう。」
p228「思想が体制を支えるにしても、批判するにしても、・・・思想たるもの、これまで幅を利かせていた思想に正面から戦いをいどみ、雌雄を決する覚悟でないと、とてもじゃないが自分の居場所を確保することすら覚つかないはずだ」 

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2009/07/07

『スポートピア』日本経済新聞2009/07/07 水沼貴史

「耳をふさぐことがぶれないことだと勘違いしていたりする。」

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2009/06/28

『時を刻む砂の最後のひとつぶ』/小手鞠るい

4163282106 時を刻む砂の最後のひとつぶ
小手鞠 るい
文藝春秋  2009-05

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 惜しい感じ。「最後のひとつぶ」という通り、「残された時間」を意識しなければならない立場の人々が現れる連作短編集なんだけど、繋がっている感じがちょっとぎこちない。あれとこれが繋がってるんだよな、これはさっきのあれで出てきた人だよな、と印象はあるんだけど、うまく繋がらない感じ。なので、大事なテーマである、「残された時間」を意識しないといけない人の感情の起伏みたいなものが、短編それぞれで濃淡が違い過ぎてる。どうしても小手鞠るいというと激烈な感情の凄みを読ませてくれる、という期待感があるので、「ショックを受けていない私がいた」と、とてつもない出来事を前にしたときの放心状態を描かれても、文字通りで、切迫感みたいのがいまいちない。「残された時間」という、人生にとって重要なテーマを据えながら、教義めいてないストーリーでおもしろいだけに、ぎこちない感じだけがちょっと残念。
 あと、登場人物が作家というのも、個人的にはあんまり。作家が作家を登場させるというのは、どうにも好きになれない。 

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『レキシントンの幽霊』/村上春樹

4167502038 レキシントンの幽霊 (文春文庫)
村上 春樹
文藝春秋  1999-10

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 『1Q84』の品切れ状態のときに、買えるようになるまでの間、未読のものを読んでおこうと購入。これは、吉井和哉のライブで向かった琵琶湖湖畔の石場から歩いた大津パルコのスターバックスで、早く到着したので待ち時間の間の小一時間くらいで読破。「レキシントンってそもそもどこだ?」(正解は、本作のはマサチューセッツ州)とか考えつつ、出先なのでノートPCを触るのも結構手間なのが好都合。読むことに集中。

 『レキシントンの幽霊』『緑色の獣』『沈黙』『氷男』『トニー滝谷』『七番目の男』『めくらやなぎと、眠る女』の7編。『めくらやなぎと、眠る女』は聞き覚えがある、と思っていたら、ちゃんと<めくらやなぎのためのイントロダクション>という小解説が載っていて、10年ぶりに手を入れたものと書かれてた。『蛍』と対になったもので、かつ、『ノルウェイの森』とのあいだにはストーリー上の直接的な関連性はありません、と解説されてる。これは結構、親切。

 この短編集の7編は、村上春樹独特の「奇怪」な構成と雰囲気はあるけれど、「言わんとするところ」は、どちらかと言うと、分かりやすく書かれている部類じゃないかなと思う(もちろん、表面的にはそれに見えるけれど、ほんとうはもっと奥底に隠れているんだよ、ということがあって、僕が気づけていないとは思う)。そんな中でいちばんびっくりしたのは『沈黙』。大沢さんが過去の話として語りだすイヤや人間・青木は、僕が村上春樹の人間像のひとつとして抱いていたものにそっくりだったからだ。僕は、作家の履歴とか性格をいろいろ調べたりするほどは文学好きではないので、単なるイメージだけをずっと抱いてきたんだけど、青木をあんなふうに書くと言うことは、村上春樹はあんなタイプではないということか、それとも、自分の嫌な部分でも冷静に平たく書けるというのが小説家といったところか、思わず考え込んだ。

 しかしながら、『沈黙』と『七番目の男』が提示した、「最も怖いことは何か」というテーマに対するひとつの解は、僕は頷けるものだった。村上春樹を好きだというひとがこれだけいるのに、なぜ社会は少しずつでもこういう方向に進まないのか、それが不思議で怖くてならなかった。 

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2009/06/14

『THE BIG ISSUE JAPAN 120』

p3「私の分岐点」脚本家 両澤千晶さん

そうして生まれたのが『機動戦士ガンダムSEED』です。・・・子どもには理解できない、大人のための作品もたくさん出てきました。だからこそ、私は子どもにこだわり続けたい。

ああやっぱり、という納得。ガンダムSEEDを初めて観たとき、どうにも引き込まれはしなかったのだ。翌週もたまたま見かけて、やっぱり興味わかないな、と思った記憶がある。あれは、やっぱり敏感に、これは子どもに向けたものなんだ、と感じ取っていたからだ。大人が、子どもの気持ちになって面白がれるという類のものではない、と。

p22「毎日が音楽」

これからもきっとあらゆるかたちで話題を提供し、リリースも繰り返されるのだろう。そしてそのたびごとに、世代を超えてファンが増えていくことを期待している。

尾崎豊とhideのベストアルバムリリースについて。ちょうど数週間前、関心空間に『太陽の破片』について書いたこともあって、例によってセレンディピティ。でもこれはLISMOのCMのせい?違うな、キヨシローだよな。

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2009/06/03

『ばかもの』絲山秋子

4104669032 ばかもの
絲山 秋子
新潮社  2008-09

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 大学生のヒデがバイト先で知り合った額子。二人の「ばかもの」が、取り返しのつかない転落を続けていく。

 同じ失敗を繰り返すのが、いちばんの「ばかもの」だと思う。そして、その同じ失敗に自ら足を踏み入れる人間が、いちばんの「ばかもの」だと。僕は結構ラディカル(今となっては死語)な性質なので、それがよいことであれ堕落なことであれ、やるなら徹底的にやり切るのを旨としているが、他人を見ていて蔑みたくなるのは、それは失敗だと分かっていて、失敗だけども自分の本能や欲望に抗し切れず足を踏み入れているのに、そこそこの安全地帯で留まろうとする人、これが本当に最低の人間だと思う。

 そういう意味では、本書のヒデも額子も「ばかもの」ではない。行き着くところまで行ってしまう。ヒデはアルコール中毒に陥ったりする。そして、そのループを予め予想できるのに、止めることができない怖さも認識している。でも中途では止まらない。欲の任せるままに突っ走ってしまう。だからといって、ヒデは単にだらしない人間ではない。同級生が宗教に傾倒した様を目の当たりにした際、「死ぬ という言葉がちょっと気の利いた買い物のように発されるのを聞いて、面倒だなと」思うくらい、いわゆる思慮分別があるのだ。

 ヒデは頭でっかちだ。それも、割と謙虚な頭でっかちだ。淡々と人並みの人生を送れればよいと思いながら、なぜか転落を続けてしまう。こういう人が最も全うで、全うであるがゆえに弱くて、転落しやすいのかも知れない。けれど、「ばかもの」ではない、と思う。ヒデは、けして安全地帯に逃げ込んだりはしなかった。額子も然り。辻褄のあわないところは何もない。そういうヒデと額子の物語は読んでいて爽快だった。

 ひとつ、若干冷めたのは「デュアルプロセッサの搭載されたパソコン」の下り。デュアルプロセッサの搭載されたパソコンなんて、普通の人はそうそう持っていないと思う。デュアルコアのパソコンなら普通だけど。僕はこの業界にいてるので、ドラマや小説にIT関連が登場するたび、些細な違和感を感じるものだったが、小説はなぜいつもこんなに世界を何でも俯瞰できるのだろうと思ってたけど、デュアルプロセッサの如く、本当はどこも少しずつ破綻してるもんなんだろう、と。 

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2009/05/31

『沖で待つ』/絲山秋子

4167714027 沖で待つ (文春文庫)
絲山 秋子
文藝春秋  2009-02

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  第134回芥川賞受賞作『沖で待つ』他2編収録。

 『沖で待つ』は、小説を読む意義を再び僕に教えて与えてくれた小説だった。何のために小説を読むのか?小説から何を得るのか?そして、なぜその小説を読んだと表明するのか?その小説から何を得たと、人に伝えるのか?そういった悩みに一本筋を通してくれた。

 小説を読むということは、自分をひけらかすことではない。「こういうものがわかるのだ」と、自分の偉さをひけらかすことでは全くない。そんなエゴやプライドに塗れたコミュニケーションのために利用されるものじゃない。そう思ってきたけど、『沖で待つ』は、まあそんなことがあってもいいじゃないか、となぜか思わされたのだ。これは不思議な感覚だった。

 疲れた気分をぶちまけるような読み方があっても構わないし、そんな自分を戒めるような読み方があっても構わない。別に、明日からの日々の自分に反映するように読まなくったって構わない。自意識過剰はみっともないけれど、まあそれでも構わない。そんな感触が残った。

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2009/05/05

『あなたの獣』/井上荒野

4048739018 あなたの獣
井上 荒野
角川グループパブリッシング  2008-11-29

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 櫻田哲生という男の生涯を描いた、10編の短編。

 構成が『ニシノユキヒコの恋と冒険』に似ている、と気づくほど読み進める前に、雰囲気が川上弘美に似ているな、と思って読み進めたら、途中、村上春樹か、と思わず突っ込みそうになった章があった。それはまあ、学生時代の話でカラダが奔放で仲間が死ぬから、というようなところの安易な連想かもしれないけど、このエピソードで登場する璃子が最終章まで引っ張られてるので、小さくない意義があるのだと思う。

 「あなたは、いつでも、どこにもいなかった。」というのは、男がよく女の人に言われる台詞のひとつだ。じゃあ、女の人は、どうであれば、一緒にいてると思うのだろう?このことを考えると、男の僕は息が詰まりそうになる。完全に言ったもん勝ちのロジックだからだ。その代わりに男という性の持っているアドバンテージはなんなのだろうか?そこを突き詰めていくと、こんなにしょうもない櫻田哲生が、これだけの女性の間を揺らぎながら生きてきた理由にちょっとだけ触れられるような気持ちになる。著者は女性だから、櫻田哲生に女の人が惹かれるところの描写は全部本当じゃないとしても、全部的外れではないだろう。

 金や地位といったもので好かれた女性は、金や地位が無くなったり、金や地位に飽きたりしたら、その男から離れていく。じゃあ、精神的なもので好かれた女性は、その精神に飽きたりしたら、その男から離れていく、ということだろうか?

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2009/05/04

ダーリンコラム 1999-08-30-MON <忌野清志郎は好きなんだけど>

「関心空間」に書いた文章なんだけど、我ながらあまりにもうまく書けたと思ったので、転記転記。

---

僕は、実は「ほぼ日」はほとんどチェックしていない。糸井重里に、あまり染まりたくないからだ。
僕ぐらいの年代の人は、糸井重里とその作品に、多大な影響を受けている。
なので、いくらでも糸井重里テイストを好めるし、染まれる。
それがどうも好きじゃなくて、敢えて遠ざかってます。

翻って僕は、言うほど、忌野清志郎をリスペクトしたりもしてません。
どちらかと言うと、僕らくらいの世代っていうのは、既に、
忌野清志郎は、パンクで言う「破壊すべき体制・対象」の側になっちゃってたと思う。
「キヨシローがやってるんだから、オーケーだ」という「型(カタ)」が出来上がっちゃってた。

良し悪しを無視して、「既存」は遮二無二ぶっ壊しにかかるのが、僕らの時代のパンクだった。

でもって、確か高校三年か大学入りたてかの頃、
忌野清志郎のことを、育ちが良くて結局安全地帯から攻めてるだけでインテリゲンチャと変わらない、
というような記事を読んで、多少の共感を覚えたことを思い出し、
そういう文章はないかなあ、とネット検索してみたら見つかったのが、これだ。

驚くべきことに、糸井重里が、きちんと批判していた。
http://www.1101.com/darling_column/archive/1_0830.html

僕は、キヨシローが言う「ロック」の部分に関しては、
この糸井重里の批判が完膚なきまでの的確さだと思う。
1999年以降の、キヨシローの活動の詳細は良く知らなくて、
fm802キャンペーンの『Oh ! RADIO』は素直にいい作品だと思ったけれど。

ロックであれパンク(ロック)であれ、その魂とセンセーショナリズムとは全然違う。
「社会で生きていく」ことと「パンク」は両立しないかのような思い込みが僕らにはどうしてもあるが、
「既存」を遮二無二ぶっ壊しにかかるのは、
「パンク」がどうしてもやり遂げたいことをやり遂げるために、
それが最善だと思ったときに取りうる選択肢のひとつなだけであって、
やり方は他にいくらでもあるし、他のやり方でやったってそれはもちろん「パンク」なはずだ。
奇天烈なことをして唾を吐くのが「パンク」じゃない。
若い世代というのはいつだって柔軟で、
「メロコア」なんて、立派なパンクの一手段じゃないか。

僕は、糸井重里も忌野清志郎も信奉したりはしていない。
それぞれに、好きなところも好きじゃないところもある。
だから、「僕はこう思います」と言えることが大事だし、
誰にだってそういうことが大事だと思うのだ。
その意味で、やっぱり、糸井重里も忌野清志郎も大好きな人たちなのだ。

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『チョコレート・アンダーグラウンド』/アレックス・シアラー

4763004204 チョコレート・アンダーグラウンド
Alex Shearer 金原 瑞人
求龍堂  2004-05

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 選挙に勝利した「健全健康党」は、「りんごさくさく気分をどうぞ」を合言葉に、チョコレート禁止令を出した!町から甘いものがどんどん駆逐されていく。勇気ある少年、ハントリーとスマッジャーは、「健全健康党」に挑戦すべく、チョコレートの密造を始める!

 完全無欠の少年少女冒険活劇。なので、そこに込められている含意とか、解説を待たず読んだ人だれもがピンときて、納得できると思う。これだけ理想的な冒険ストーリーなのに、「水戸黄門」のような偉大なマンネリズムを観る安心感で読み進めるというのではなく、盛り上がりながら面白く読めるのは、健全健康党に立ち向かう手立てのディティールのリアルさと、それぞれの立場の人々の真理のリアルさだと思う。健全健康党に取り入りたいフランキー・クローリーのいやらしさとか、フランキーがそうしようとした理由、それにその理由を知っても用心してしまうスマッジャーの揺れとか、そんなスマッジャーなのにチョコバーを開催できて以降は有頂天になって油断してしまうところとか。どのタイミングでも、どちらか一方に簡単に事が流れない。ここが楽しめるポイントだと思う。

 『ノーと私』を読んだときにも思ったんだけど、イギリスやフランスの児童文学というのは、こんなに社会派なんだろうか?『ノーと私』は若いホームレスがテーマだったし、『チョコレート・アンダーグラウンド』ではアパシーなんかも取り上げられてて、「アパシー」という言葉までちゃんと出てくる。僕が小学生の頃読んだ児童文学で、社会問題を取り上げてたものってあっただろうか?現実の問題を取り上げたものというと、大抵が戦争ものだったように思う。「もう戦争はしてはいけません。こんなに悲惨なことになるのです」という。それ自体はとても意味のあることだと思うけど、それ以外は「夢と希望」みたいな感じだった気がする。もちろん人間にとって最も大切なのは「こころ」だけど、こころの外で何が起きているのかを見つめられないなら、それはただの根性論と同じじゃないか?引きこもりの問題はけして日本だけじゃないから、これと引きこもりを結びつける気はないけれど、こころの外を見つめられる根気というのが、今の空気全体に欠けているような気がした。

 この小説はスマッジャーがヒーローっぽいんだけど、読んでてずっと共感してたのはハントリー。主人公ってどっちかって言うとハントリーじゃないか?と思ってたら、人物紹介はハントリーが1番だった。スマッジャーとハントリーの親はどちらも果敢な親で、スマッジャーとハントリーに協力してくれるんだけど、こういうのを読むと「自分の親とは違うなあ」と一瞬思い、そのあと、いや待てよ、僕の両親も、僕のすることを止めたことなんて一度もなかったな、と、感謝の念がおきる。それだけで、ちょっと自分も成長できたかな、と思える。

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2009/04/27

『THE BIG ISSUE JAPAN 117』

 「毎日が音楽」という、浅井博章のCDレビューコラムを毎号楽しみにしてるんだけど、117号は上松秀美と加藤ミリヤが取り上げられてた。「心の闇と希望。閉塞感漂う今の時代のメッセージソング」というタイトル。上松秀美は、それこそ浅井博章もDJをつとめる802で耳にして「なんだこれは!?」とびっくりしたくらい、メッセージ色の強い、それでいて唄いが今っぽくない、異色のインパクトの曲だった。
 浅井は、彼ら世代を、「物心のついた頃からすでにバブルが崩壊していた人たち」で、「この国に何の希望も、何の誇りも、見出せないでいるのかもしれない」と、理解の目を向ける。そして自分たちは、「一度でも景気のよかった時代を経験している」から、「目標がもてるだけまだましだ」とする。
 その上で、こう結ぶ。「最近の曲を聴いていると、少なくとも自分がそういう年代だった頃の曲にはあまりなかったような、諦念まじりのメッセージが感じられて、空しくなることがある」。

 「浅井っていくつだっけ?」と、コラムの紹介欄を見て驚いた。同い年なのだ。

 僕は、僕らの世代というのは、ずっと諦めが混じった世代だと思っていた。若くして覚めてしまったというか、そういう世代だと思っていた。ところが浅井の話を聞く限り、そうでもないらしい。これは個人的なものだったのだろうか?今の20歳前後の人たちと同じ諦念とは言わないけど、僕らの世代というのも、十分、この先にそれほど楽しいことがあるとは思えない、と思わされて社会に出さされた世代だと思ってたのだ。

 このあたりは即物的だけどバブルとどうしても紐づくのは否めない。目標ももてないような時代に生まれた世代の子たちが、何に憧れを抱くのかはちょっとわからないけれど、それでもやっぱりお金に目が眩むのだろうか?

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2009/04/19

『光』/三浦しをん

4087712729
三浦 しをん
集英社  2008-11-26

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 津波で全滅した美浜島で生き残った信之・実花・輔の三人の少年少女。その天災の最中の秘密が、二十年後再会した彼らを動かしていく。

 家庭を持つ信之が、家を捨てる覚悟で行動を起こした後の展開の消化不良がいちばん印象に残る。津波という避けようのない災難、父親の暴力という逃れようのない災難、そういったものを纏いながら生きてきた信之と輔が行き着いた後の描写としては物足りない。二週間も家を空けて、捜索願も出して、周囲にも気づかれて、そこまでの騒ぎの後、信之の妻の南海子が帰ってきた信之を受け入れた過程は、この本のテーマとは違うから簡略でよいのかもしれないけれど物足りない。夫の不在時の南海子の動揺は詳細に描かれているのに、不在が解消された後の心の動きが省略されているのは妙だと思う。

 この本の大きなテーマは「理不尽」だと思う。人生にはたくさんの理不尽な出来事があって、それをどう解釈すれば生きていけるのか、というテーマだと思う。津波で島と愛する実花を失った信之が、「究極的には、自分を空腹に追いやったものを探して殺して食って飢えを満たすか、空腹を受け入れて死を待つか、どちらかしかないはずだ。」と語り、行き着くところまで言ってしまう。人は誰でも、極論すればこの信之の言葉の通りだけれどこういうふうに極論してはいけない、ということだけはわかっている。なぜこういうふうに極論してはいけないのか、こういうふうに極論せずに、どういうふうな考えを持つべきなのか、そこを考えるのが重要なのだろうが、『光』ではそこには余り触れられない。行き着くところまでいった信之が、その行き着くところまでいこうと思った「理由」に、うっすらわかってはいたけれど裏切られ、根底を否定されて、家に帰る。そこで何をどう考えたかは触れられない。だから、最初に書いたように、物足りなく感じるのだと思う。

 それと、嫌になるくらいいろんなところで登場して、嫌になるくらいその度書き留めるんだけど、南海子の「夫は本当に、私がなにを求めているのかわからなかったんだ。愛し、頼りにする相手と、ただ話しあいたい。」という台詞に代表されるような女性の感情。こういう感情を女性が持つもんだというのは否定しないけれど、男性は男性で、「だからどうするのか?」という具体性を大事にする生き物だ。「共感」の重要性だけを押し付けるような人は、違う立場の考えを慮れないという意味で、人間的に成長はないと思う。

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2009/04/11

『別れのあと』/小手鞠るい

4104371041 別れのあと
小手鞠 るい
新潮社  2009-01

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 「別れ」がテーマとなった短編集。長編だと思って買ったら、『別れのあと』『静かな湖畔の森の影』『婚約指輪』『この河の向こう岸』『はなむけの言葉』の5編の短編集だった。

 『別れのあと』の浜田修司の男っぽい嫉妬深さというのもよく理解できるけれど、この本で最も体に(頭というよりも体に)取り込まれていったのは『婚約指輪』と『この河の向こう岸』だった。『静かな湖畔の森の影』にもその要素はあるのだけれど、途中から方向が微妙に変わってるので、それほど印象に残ってない。それに対して『婚約指輪』と『この河の向こう岸』は、はっきりと印象に残る。誰かに遠慮してはいけないしする必要もないのだということ、わかってもらえないのは自分が悪い訳ではないのだということ、そして何よりも、僕は先を急いだほうがいいのだということを、不意に悟らされるような内容だった。そういう方法があるのだ、と。別れのあとには何も残らないのか?何も残らないのが別れということなのか?そういうことを結論に性急にならず前に進んでいかないといけない。

 小手鞠るいの作品は、登場人物が外国を行き来する話が比較的多い。この短編集もそうだが、これもまた僕に先を急がせる奇妙なセレンディピティだったように思う。わかってもらえなければ、それでいいのだ。

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2009/04/05

『ROCKIN'ON JAPAN 2009年 04月号』

B001US5RDQ ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 2009年 04月号 [雑誌]
ロッキング・オン  2009-03-19

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 吉井和哉の『VOLT』全曲解説と細美武士ソロ第一声が読みたくて買ったんだけど、フィッシュマンズの『空中キャンプ』のレビューが素晴らしすぎた。あまりに素晴らしいので、ほんとに申し訳ないと思うしまずいことだとも思うんですが、全文引用したい。

●伝説ではなく事実のバンド
 佐藤伸治が亡くなって以降のフィッシュマンズの世の中での扱われ方になんとなくずっと違和感がある。どうもそこには、積極的にフィッシュマンズという伝説の灯を絶やさないようにする、フィッシュマンズ愛好家たちの連帯感のようなものが存在しているような気がしてならない。でもかつて僕が彼らの音楽から受け取っていたメッセージは、どうしてもそういうムードと馴染まないのである。
 僕の中で、フィッシュマンズは最も世の中の理屈を誰よりも毅然と、しかも非戦闘的に拒否したバンド。正確には、96年のアルバム『空中キャンプ』において、時計やカレンダーに区切られた時の流れから完全に「離脱」してそうなった。その前のアルバム『ORANGE』に満ちていた日差しをにらみ返すような刺々しさが消え、「君」の体温だけが感じられる永遠の夜を選び取ったのが『空中キャンプ』以降の彼らだった。今のフィッシュマンズの扱われ方に欠けていると思うのは、その「拒否」の姿勢。この音の中は優しくて暖かい。しかし、そこは集う場所ではなく、この世から消えるまで「君」とだけいる場所なのである。

 このレビューは心底感動した。僕は、そんなにフィッシュマンズに入れ込んだクチではない。どちらかというと遠ざけていたところがある。なぜ遠ざけていたかというと、このレビューで見事に言葉にされている、「拒否」の姿勢にある。僕は、自分の思っている感情を、その感情に一般的に似つかわしい表し方でしか表せない、そうしないと気持ち悪くなるタイプの人間だ。だから、フィッシュマンズのような「拒否」の仕方は、やりたくてもできないし、「ずるい」とさえ感じてしまう。けれど、そのやり方を「否定」しようと思ったことは一度もない。その点で、僕もフィッシュマンズのやり方と共通のものを抱いているに違いないと思う。
 そして、このレビューが、フィッシュマンズを正しく言い表しているかどうかはわからない。けれど、「集う卯場所ではなく、この世から消えるまで「君」とだけいる場所なのである」というこの「君」の概念。この「君」の概念が語られた文章を久し振りに目にして、目頭が熱くなったのだ。  

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2009/04/04

『CHICAライフ』/島本理生

4062147947 CHICAライフ
島本 理生
講談社  2008-06-27

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 島本理生が2003-2006年の間、『ViVi』に連載したエッセイを集約し加筆・訂正されたもの。

 この本については、失礼を承知で本音を書きたくてしょうがないので、書いてみる。島本理生は『ナラタージュ』でハマッて以来大好きな作家で、 結構読んでる。作家のエッセイにはあんまり興味のないほうというか、手を出さないようにしてたほうなんだけど、島本理生はエッセイも読んでみたいと思ったくらい、好きな作家なのです。それを前提で書くと、僕の中では島本理生って、若くして『ナラタージュ』のような、重層的な恋愛小説を書ける力量を持った凄い作家と認識してて、そういう作家というのは、天才というか、とんでもない文学的才能を持ち合わせて生まれてきて、とんでもなくアタマも良くて、高学歴で仕方がないんだろうなあというイメージがあった。僕は自分のことそんなにめちゃめちゃアタマが悪いとまでは思わないんだけど記憶力は悪いし論理的思考にも欠けるので(ってことはやっぱり悪いのか…)、なんだかんだ言ってやっぱりレベルの高い大学にいってる人の能力というのは高くて叶わないもんだ、と思ってる。そして、島本理生もそうだと信じて疑ってなかった。そんななかでも文学を志す人というのは、とても高尚に色気も纏まっていて早熟な恋愛に身を染めているか、文学オタクではないけれど、あんまり実恋愛と縁のない生活なのかどちらか、と思ってた。

 ところが、だ。『CHICAライフ』を読んで、ひっくり返った。ムチャクチャなのだ。母親が名を成している舞踏家・鍼灸師ということで、一般庶民と違う親交や情報の入り方の素地というのが子ども時代からあったと思われるけれど、それでも僕の中の「文学を志す人」の特殊なイメージとはかけ離れた一般人加減。高校時代の思い出の記述は、30代後半の僕の目線で、自分の高校生時代のことを思い出しながら読めば、君はヤンキーか?と思わずにはおれないむちゃくちゃ加減だし、なんとすれば一体どれだけのサイクルでつきあってるんだ?と疑問に思うくらいつきあってるし、すぐ同棲してるし、もう少し遡って中学生の頃は活字耳年間だったなんていってるし、おまけに大学に関して言えば、もちろんレベルの高い大学ではあるけれどもどちらかというと一般的な範疇に入る大学で、その上中退してる!更に言うと、もう結婚もしてた!

 とにかく、今まで、物事を決めつけで見てはいけない、と常々心がけながら生きてきたつもりだけど、こういう角度の「偏見」というのも存在するものなんだ、と気づかせてくれた一冊に違いない。島本理生は文学エリートではなくて、現代の無頼派だった。どんなやり方であれ、経験値はやっぱり多いに越したことはないのだ。その教訓を生かそうとしても、僕の年ではもう、あまりに無茶なことをやってはただの非常識になってしまうので、無茶なことのやり方も考えなくてはいけないけれど、なるだけやってみようと思う。

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2009/03/21

『切羽へ』/井上荒野

4104731021 切羽へ
井上 荒野
新潮社  2008-05

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 離島の小学校の養護教諭をしているセイと、夫で島の幼なじみである陽介。セイの勤める小学校に、東京からイサワという不愛想な男が赴任してくるー。

 セイと、同僚の月江は完全に対称で、結婚して地に足をつけているセイに対し、月江はいかにもコケティッシュであり”本土”に住むから皆に”本土さん”と呼び習わされている男性の愛人である。”本土さん”は自営業で、月江に会うために月に一週間ほど渡ってくる。月江はそれを隠そうとせず、だから島の人間みな知っており大らかなものだ。
 それにしても苛立つのは女の心の揺れ様で、既婚ながら石和に興味を持つセイにしても、既婚者と関係を続ける月江にしても同じことで、その恋愛感情自体は有り得べきものだと思うし苛立ちもしないが、自分が完全に安全な場所に身を置いた上で揺れるのがたまらなく腹立たしい。安全な場所に身を置いていながら、さも安全ではないかのように思っている、それに苛立つのだ。

 まず目を引いたのはその島の大らかさで、これは”離島”という、狭く閉じたコミュニティに特有のものか、それともモデルとなったと思われる長崎・崎戸町に特有のものか。もしかしたら、世間というのは実はどこでもこれくらい鷹揚なもので、僕が異常に神経質なだけなのか。この小説のポイントがここにないのは明らかなのだけど、月江を巡る男性の諍いと、セイに何も「起こらない」ことの対比に、島の人々の鷹揚さがグラデーションをつけているように思える。

 セイは、あまり内面を出そうとしない頑なな男・石和(イサワ)に引っかかりを持って、小学校で仕事を共にしたりするうちに惹かれいく。しかしながら、いつも寸でのところで決定的な一歩を踏み出さずに済む。物語の終盤、夫である陽介を置いて、石和と丘の上の病院の残骸を目指すのは、限りなく決定的に近いが、結局何も起こらない。戻ってきたセイを、陽介はそのまま受け止める。陽介は、自分の”妻”という人であっても、窺い知れない内面があることを認めていて、それをもまるごと引き受けているのだろうか。それとも単に鈍感なだけなのだろうか。そして、外面的には結局何も起こらなかったからと言って、それで「何も起こらなかった」と片付けられるものなのだろうか。単にサイコロがそちらに転がったというだけで、自分の意思でない以上、起きたのと同じことではないのだろうか?

 物語は、そういうことを考えさせたいという表情は全く見せない。ただただ、セイを取り巻く三月から翌四月の出来事と心情をつぶさに描いてみせるだけだ。だからこそ逆に気になる。病院の残骸のある丘からトンネルを見ながらセイが持ち出した話、「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」という言葉が気になって仕方がない。セイの母は、切羽まで歩いて宝物となるような十字架を見つけてセイの父に送った。我々も、自分の人生は掘り続けているしかなく、掘り続けている間はいつも切羽に立て、宝物を見つけられるのではないか、と。そう考えても矛盾する、セイや月江の日々がフラッシュバックする。それこそがまた、人生なのか、と。 

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2009/03/15

『GOOD ROCKS! Vol.08』

4401632990 GOOD ROCKS!(グッド・ロックス) Vol.8 (シンコー・ミュージックMOOK)
シンコーミュージック・エンタテイメント  2009-03-13

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しかし絵になる男だ、吉井和哉。40歳だぜ、40歳。

5th Album『VOLT』発売とツアーを控えて、プロモーション全開のおかげで、吉井和哉特集の本がどんどん出てくる。インタビューも、だいたい似たようなこと言うだろうな~と思うのに買ってしまうのはこの人の愛嬌のせい。それに絵姿がやっぱカッコいい!『Talking Rock!』も部屋に飾ってるし、この『GOOD ROCKS!』も部屋に飾ること間違いなし。表紙がカッコいいんだよ。読みやすいように、表紙をきっちり折り返すなんて、できません。

インタビューは、後半でかなり吉井和哉の関西滞在状況が引き出されてて釘付け。堀江って!!行きます行きます。琵琶湖ホール前後はもうあらゆるところでアンテナたてまくります(笑)。でも、吉井和哉って、ここまで具体的に書いても、ファンが群がって危険でしょうがなくなるってカンジがあまりしない。もちろんイエモンのときのような状況ではないけれど、今でも吉井ファンというのはかなりディープなもので、だから吉井和哉が特集された雑誌は結構売れる訳だし、だけど、琵琶湖に吉井和哉がいるかも、となっても、大混乱になったりはしない。ファンが大人だとか言いたい訳じゃなくて、このインタビューで吉井が語ってる、「40代になった時にやっぱり今まで日本に無かったタイプの・・・中年アーティスト?みたいなのになりたいな思っていて。」という、それが実現できる状況になってるなあと。吉井は、ソロになってから、いろいろ紆余曲折を作り乗り越え七転八倒してここに辿り着いた、ということに思いを巡らせられるインタビューでした。飄々としていてかつ真摯である、まさにロックスター。  

『GOOD ROCKS!』をamazonで検索してたら、同じシンコーミュージックムックで『ROCKS OFF』なんてのがあってそれも表紙が吉井和哉じゃないか!また買うものがひとつ増えた(笑)。

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『雲の果てに 秘録富士通・IBM訴訟』/伊集院丈

4532314283 雲の果てに―秘録 富士通・IBM訴訟
伊集院 丈
日本経済新聞出版社  2008-12

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 どんなことにも、どんなものにも、歴史があるのだと教えてくれる一冊。

 まず、IT業界にいながら、何もわかっていなかった自分が恥ずかしい。OSは自明のものだと思っていた。違うのだ。OSは最初から存在したものではない。ハードウェアと、ソフトウェアしかない時代があったのだ。互換機ビジネスとスーパーセット戦略はそういう歴史の中から生まれたもので、単純にメインフレームの後続だった訳ではないのだ。そんなことすら知らなかった。そして、その中で知的財産と著作権が最大の焦点になったのだということも知らなかった。知的財産と著作権は、自明のものだと思っていた。最初にそれを作った人間が、それを独占的に使用する権利を持つ。それはソフトウェアについても当然そうだろう、という「感覚」を持って育ってきた。そこには争点があり、歴史がある。そういう認識に欠けたまま、来てしまったのだ。

 IT業界だけではない。今でこそ米国は著作権を当然のように振りかざす存在だが、かつてはコピー天国と言われ欧州に軽蔑されていたのだ。その米国が、歴史の中で、自分たちの権益を守るための方便として、著作権に目をつけ、それを振りかざすようになっていく。そんな、欧州から「幼稚だ」と言われる米国を日本は追い続け、その米国に屈し、果てに「この国は駄目になる」と言われる。そんな米国流の資本の論理が席巻した数年前、買収される側の日本企業の抵抗を、精神論でしかないと切ってすてるような論法が持てはやされたが、果たして米国でも1974年時点では、アムダールという会社は富士通に対して、金と技術の提供は受けるが経営に口出しされたくない、という署名活動を起こしているのだ。おまけに、僕は「日本は器用で技術力の高い国で、日本製品は高品質だ」と子供の頃から思い込んで生きてきたが、1980年代でも日本人は「そもそも日本人が先端技術に手を出すことが間違いだ。日本人にコンピュータを開発する能力なんてないんだ」などと言われるような存在だったのだ。

 すべて目から鱗だった。簡潔に纏めてしまえば、声のでかいものが勝つ、ということと、先を走ったものが勝つ、という、単純な結論しか出てこない。けれど、本書の終わりのも書かれている通り、米国流の金融資本主義は瓦解し、繰り返す歴史と新しい歴史が混沌としている時代に来ている。まさに多く歴史を学ばなければいけない時代であり、全てにおいて自分の目で先を見通し生きていかなければならない。この本に教えられるところは多い。

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2009/03/14

『四畳半神話大系』/森見登美彦

404387801X 四畳半神話大系 (角川文庫)
森見 登美彦
角川書店  2008-03-25

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 殻を破れない引っ込み思案系の大学3回生の「私」が展開する、4つの並行世界での学生青春ストーリー。

 『夜は短し歩けよ乙女』が面白かったので、森見登美彦を読んでみようということで、まず文庫になっていたコレを買ってみた。初版は2004年で『夜は短し・・・』の2年前で、なんだか納得してしまった。『夜は短し…』のほうが、こなれてる。『四畳半神話体系』は、「私」の大学3回生が、「あのときこうしていたら・・・」形式で4話語られる物語で、1話目の印象を持って2話目、3話目、と読み進めていくと、「結局コレは出てくるのか~」「これはこっちの世界ではこうでてくるか~」という面白さはあるんだけど、「並行世界」という印象を強く残すためなのか、全く同じ文章が出てくる箇所があり、そこが、ちょっとスピード感を欠くときがある。森見作品独特の、時代錯誤近代文学的言い回し台詞回しも、同じフレーズが反復して出てくるので、小気味よさがちょっと足りなくて、読み進めるスピードがちょっともたつくのが残念。

 それでも『夜は短し…』とちょっと違うのは、最終話『八十日間四畳半一周』が、4話の中で最も荒唐無稽で有得ないシチュエーションなのに、少し胸震わせるものがあるのだ。この登場人物この話で胸震わされるのも情けないといえば情けないのだけど、日常少し忘れているような感覚をくっきり浮かび上がらせるのに、こういう荒唐無稽な仕掛けってやっぱり有効なんだなあと再認識した。

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2009/03/07

『ノーと私』/デルフィーヌ・ドゥ・ヴィガン

414005557X ノーと私
Delphine De Vigan 加藤 かおり
日本放送出版協会  2008-11

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 発表テーマに路上生活者を選んだ、飛び級で高校に通う13歳の「私」、ルーは同じ年くらいに見える路上生活者、ノーに声をかけた。

 まず僕は恥ずかしいことにフランスでホームレス問題がこんなに一般的なことだということを知らなかった。ヨーロッパの高失業率や若者の求職デモのニュースを見たことはあるものの、そしてホームレスの定義が野宿生活者だけではないという違いもあるものの、若い女性のホームレスがどうも珍しいことではない、という雰囲気が物語から読み取れ、驚くばかりだった。ホームレスの問題自体は、日本と類似しているところも多く、例えば「住所がなければ仕事もない」。戸籍制度の独自性などで、定住を社会的信用のひとつと見なすのは日本の特徴と勘違いしていたが、住所がなければ仕事もないのは欧州も同じのようだ。最近、BIG ISSUEを定期的に購入したりして、ホームレスという問題を知ってみようと努力していたところだけに(どちらかというと僕は少し前まで、ホームレスを努力不足の問題としか見れていなかった)、とてもいいタイミングでこの本に出会えた。

 でもこの本は、社会派小説などではない。ルーの「冒険譚」と言っていい、と思う。現代のハックルベリー・フィン。ルーは、ノーを家に連れて帰りたいと思い、両親を説得する。これが、フランスでなら有得ることなのかどうかは分からないけれど、日本ではおよそ考えられない。およそ考えられないところが、日本の問題の根深さでもある気がする。ルーは、自分の信念に従って行動する。夢を追い求める。そして、夢が現実に負けてしまう悲しみも経験する。フランスにおけるホームレス問題、という地域性とテーマを軸にしながら、少女が冒険の末に成長していく物語は、日本の物語でもおなじみの形式だ。

 ただ、物語の最後が大きく違う。一緒に家を出よう、一緒に船でアイルランドに行こう、と駅まで一緒に来たのに、ノーはルーを置き去りにする。その、(予感はしていた)悲しい別れのあと、独り家まで歩いて帰るルーは、俯かずこう思う。「私は成長していた。怖くはなかった」。そして、頑固で守旧的な教師の典型のように見えていたマラン先生は、ルーにこういうのだ。

 「あきらめるんじゃないぞ」

 最近の日本の物語は、何もかも「あるがまま」「自然がいい」と言わんばかりに、悲しい運命をただ情緒的に受け止めるばかりに流れていやしないだろうか?叙情は確かに素晴らしい日本の感性だけど、現実はもはやそれだけでは未来の情緒を失うところまで来てしまっている。「あるがまま」が「なすすべなく」とイコールになったとき、その先にあるのは退廃だろう。成長がなければ意味がないとは言わない。けれど、困難に流されるだけでなく乗り越えようとすることには意味があり、人間性の最も大事な何かであることは間違いないと思う。


 

 

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2009/02/22

『世界は単純なものに違いない』/有吉玉青

4582833411 世界は単純なものに違いない
有吉 玉青
平凡社  2006-11-11

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新聞・雑誌に掲載されたエッセイを集めた一冊。  

書かれている内容は、ほとんどが「うんうん、そうだそうだ」と納得できる内容で、もっと言うと、今まで自分が世間の矛盾とかおかしいと思うこととかに対して自分なりに筋道たてて理解しようとした結果が、そこに書かれている感じ。再確認・再認識できる。こう書くとすごく傲慢になっちゃうけど、そうではなくて、何か自分の考えを言ってみると取り合えずの同調よりもすぐ反論を食らう僕としては、頭の中に立ち上った感覚や考えを、納得させることのできる言葉に落とせる力は凄いことだと思うのだ。そして、文章を書くということは、突飛なことを思いつく能力よりも、正しく言葉に落とし込む力があれば道が開けるのだということも。

もっとも印象に残るのは、表題にもなっている『世界は単純なものに違いない』。このエッセイは、『浮き雲』という映画にまつわる話なんだけど、著者は、いいことがおきても悪いことがおきても無表情に見える主人公から、世界はいいことか悪いことしか起こらない単純なおのだから、絶望する必要はない、という結論を得る。けれど、この映画の舞台はフィンランドで、フィンランド人は喜怒哀楽をあまり表に出さないということを知っている僕は、ちょっとその結論に疑問を持った。そしたら、(追記)という記載があり、「この映画のラストシーンの二人の表情は、希望にみちあふれていると見るのが正しいのだそうだ」と書かれていた。でも、著者は「映画の見方に正しいも正しくないもない」と続ける。まったくその通りだと思う。予備知識が多いことで、より深かったり正しかったりする読取ができるかも知れないが、決してそれがすべてではない。

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2009/02/07

『八月の路上に捨てる』/伊藤たかみ

4163254005 八月の路上に捨てる
伊藤 たかみ
文藝春秋  2006-08-26

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自販機補充業務をこなす傍ら、今日でお別れとなる先輩で同僚の女性・水城さんに、自分の離婚の顛末をとつとつと話す敦。第135回芥川賞受賞作。

伊藤たかみは、もちろん面識はないが高校の同窓生。いつか読もうと思いながら、今日まで読まなかったのは、親近感と近親憎悪の板挟みの現れだったに違いない。それで敢えて言うと、僕はこの小説はたまらなく好きだ。そうしてその好きの理由には、同じ土地で同じ時間を過ごした人間には共通のセンスが宿る、と信じさせるものがある。

話の内容はたわいもない。敦が千恵子と学生の頃に出会い、同棲し、結婚し、すれ違って離婚するまでを、似たような境遇の水城さんに仕事中に語って聞かせるだけだ。小説にストーリーを求める向きにはまったくもって勧められない。ただ、敦と千恵子のすれ違いぶり、「夢」の扱い方のすれ違いとか「金」に困窮してすれ違っていく様とか続くから言えないのであって終わるなら優しくなれるすれ違いとか、まさにガツガツと描写してくる。物語を読む楽しみというのは、起承転結とカタルシスの一種類だけではないと思う。そして、芥川賞というのはそういう楽しみとは違う楽しみを持つ小説に与えられる賞ではなかったか。amazonの読者レビューが軒並み「芥川賞はおもしろくない」という色で塗りつぶされていたのが悲しかった。近代文学の歴史の中で、大衆文学が芸術的な価値を持つ文学へと昇華されてきたのに、現代はインターネットという大衆の声を拡声する仕掛けによって、文学に対する視線が「大衆文学」だけになってしまっている。そして実際、どんな小説をもってしても、「大衆文学」以外の面白さがあるんだよ、ということを気付かせることができなくなっている。あたかも、大人になっても苦味のうまさに開眼しない大人のようだ。

この小説の言葉づかいやテンションは、ものすごく生理的なところで親近感が沸く。自分の知っている言葉だ、という感じがする。例えばタイトル。このリズム感とか、何を?というところとか、たぶん、「センス」と言われるようなところでやっぱり共通するのだなあと思った。

もう一つ、最後の最後に「俺は一時たりとも遊んでなんかいなかったぞ。」と簡単に締め括るために展開をもっていくところなんかも。  

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2009/02/01

『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』/中川政七商店 十三代 中川淳

4822264564 奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。
日経デザイン
日経BP出版センター  2008-10-23

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奈良晒を扱う老舗「中川政七商店」の十三代、中川淳による、地方中小企業の経営実践録。

帯に「中小企業こそ、ブランディングが必要なのだ!!」とある通り、中小企業が生き残るためのブランディングの実践方法が記されている。実際に「遊中川」「粋更」というブランドを立ち上げた経緯で書かれているので、とても参考になる。一般的な「教科書」と決定的に違うのは、そういう実践録的な部分ともうひとつ、「売るべき素材」として確固たる伝統工芸品があったこと以外は、特にブランド確立に有利な条件が何かあった訳ではなく、ひとつひとつ問題解決した結果であるということ。こういう本は、読んでみて「なんだ、それならうまくいくに決まってるじゃんよ」と言いたくなることが多いが、この本は、特別なことは何もないところから、ひとつひとつ問題解決してやってきた道のりがよくわかるように書かれている。

もうひとつ出色なのは、「これはあくまで中小企業のやり方」「行動にはそれぞれ状況に応じたタイミングがある」というふうに書かれていること。この方法が、どんな状況にも当てはまるとは全然言っていない。当てはまりそうな中小企業に対してさえ、会社の成長のタイミングに応じたアクションがある、とはっきり書いている。こういう細かいところが積み重なって、これは単なる中小企業向けブランディング本ではなくて、ビジネスパーソン全般に対する心構えの書になっていると思う。当たり前のことが当たり前に書かれているだけのようだが、こういう本がもっともっと評価されてしかるべきだと思う。

実際、僕はあんまり突飛なことや、近道や、テクニックを駆使した稼ぎ方とかが苦手で、全うな業務を全うにやり遂げたいと思うタイプなのだが、そういう人にとって本書は大変な励ましになると思う。心のよりどころにできるような一冊。

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2009/01/27

『夜は短し歩けよ乙女』/森見登美彦

4043878028 夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)
森見 登美彦
角川グループパブリッシング  2008-12-25

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 妄想逞しく意気地果てしなくしょぼい「先輩」と、その先輩が想いを寄せる、天真爛漫が過ぎて天然全開の「黒髪の乙女」の恋愛ファンタジー。

 荒唐無稽な面白さ、なんと言ってもこの文体と洒脱な名詞の数々。「韋駄天コタツ」なんて、何度でも口の中で転がしたくなるゴロの良さ。思い切ったこの時代錯誤感が、「先輩」と「黒髪の乙女」のあまりの晩熟さにリアルを与えてる。あんなに晩稲な大学生、今どきいないだろう!と思いつつ、実は意外とごろごろしてるってのも知ってるんだけど、それを正面切って書くと古臭いウソ臭い感じになるところ、この明治の娯楽小説然とした文体で持ってワラカシにかかることで逆に胸を締め付けさせられます。

 煩悩の塊である男の性と、それをこっぱずかしく思う青春時代の甘酸っぱさが余すところなく描かれてます。自分にもあったそんな頃に思いを馳せてしまう名品です。

 

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2009/01/11

『わたしのマトカ』/片桐はいり

434401135X わたしのマトカ
片桐 はいり
幻冬舎  2006-03

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 『かもめ食堂』撮影のため滞在したフィンランドでの1カ月+αを綴った、片桐はいりのエッセイ。

 これが初分筆とは思えないおもしろさ。最初のほうで、片桐はいりが、父親が割とエリートでいいところの出身だということが簡潔ながら読みとれ、やはり幼少時代の経験と教育は大きいものだと改めて感じるが、それはさておき、やはり人生を豊かにするのは行動力だなあとほとほと痛感する。僕は、危ないとわかってる橋を敢えて渡って怪我するのは阿呆と思って生きてきたので、それなりに順調にはこれたけれどもその代りに厚みのない、誠に薄っぺらい経験しかない薄っぺらい人間になってしまった。今からでも遅くはないのかなあ、と、このエッセイは思わせてくれた。
 なんでフィンランド人はこんなに木訥なのか?フィンランドに2度訪問した僕も確かにそう思う。その理由を頭でいろいろ考えるほうに興味がわくか、木訥なフィンランド人と触れ合うことに楽しさを感じるか。僕はそのどちらも手を出すような、よくどしい生き方をしてみようと思う。

 エッセイの内容とは全然関係ないけれど、「外国の劇場に行くと、そこに集まる観客の年齢層や、人種の多様さに驚くことがままある」とあるが、B'zのライブに行くと同じようなことを思うことがある。規模が全然違うとは思うけれど、ある一定の歴史を積み重ねることでしか、そういう多様性を実現することはできないような気がする。無理に多様性を求める必要はないけれど、無理にセグメンテーションするやり方も、そろそろどうなんだろうか?と思ったりした。

 あと、なぜか途中まで作者がもたいまさこだと思ってた。それにしても幻冬舎はほんとにやり手。

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2009/01/08

『ジョルナダ』/小野塚カホリ

4396762879 ジョルナダ (Feelコミックス)
小野塚 カホリ
祥伝社  2002-10-08

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 amazonに勧められて買ってみた。オススメの理由は、観てないけど南Q太を買ってることに間違いないと思う。(手に取ったことはないけど)南Q太と同じFeelだし、似た空気感を持ってるだろうしおもしろいだろう、と思って何の気なしに買ってみた。そもそもFeelで知ってるというか読んだことがあるの、南Q太だけなのに雰囲気決めつけるのもどうかと思うな、今から考えると。

 "繁"は、グリム童話の「青髭」をモチーフにしたらしい、監禁の話。最初読んだとき、どう解釈したらいいのかさっぱり分からなかった。何を感じたかと言っても、監禁されたほうが喜んでる?ほんとうはそういうのを望んでいる?という域を出てこない。なんかそれだけじゃないな、ということはかすかにわかるのだけど。ずっと後で「あーそういうことか」というのがわかったんだけど、これで改めて男女の感覚の違いというのを感じた。僕を含めるだいたいの男は、"繁"を読んで、「女って本能では実は…」みたいなことしか想像しないと思う。本気でそう思うのか、一般的にそういう俗っぽい言われ方をしているだけで、それは違う、と認識しているかは別として。僕はもちろん、そんなこと思ってないけど、この作品を書いたのが女性というところがまた混乱させられた。性欲を人間の本能的な部分であり、通常は抑圧しているだけだ、だから開放することは圧倒的に絶対的に是なんだ、とすぐに考えるのが男な気がするけど、この話の結末は、女の人にとっては、セックスなんて生活上の他のことと同じくらいの重みのパーツの1つ、と思わされると同時に、とてつもなく大切なことである、という、矛盾する考え、それを両立させているのが女性なんだなあ、と、圧倒されてしまった。

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2009/01/02

『彼女について』/よしもとばなな

4163275800 彼女について
よしもと ばなな
文藝春秋  2008-11-13

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 特殊な生い立ちを持ったいとこ二人の、凄惨な過去を手繰る物語。

 「魔女」という設定がものすごく突飛だったけれど、読んでいて違和感はなかった。「魔女」なんてものを小説に持ち込んで、やたらとディティールを描かなくてもすんなり胸に落とし込んでくるところがよしもとばななの小説の凄いところ。一方で、読み終える最後までひっかかりが残ってしまったのが、主人公の由美子・昇一とも、何もしなくても生活に困らない、というようなことが、それなりの事情をくっつけて描かれるところ。ストーリー上は、確かにそういう暮らしができる人生を送れた二人なんだろうと納得できるんだけど、この事情がなんか取ってつけたようで、ずっと頭に引っかかった。別に、この説明はいらなかったと思う。どちらかというと、そういう「浮いた生活感」を持つ人物の話ではなくて、本当にシビアな生活を送っている人の苦悩にリアルを感じる。
 魔女であるがゆえに引き起こされた過去の惨劇は、こう書くと荒唐無稽だけど、ほんとうに世の中に起きていることのように感じられた。それは、魔女ではなくて、不穏な宗教とか、そういうものをすぐに連想できるからだと思う。そういった事柄で不幸な事情を背負い込まされてしまった子供たちが世の中には少なからずいるってことを思い起こさせられる。そして、どう向き合っていけばいいのか?それを考えながら読むのが僕にとってのテーマだった。

 「浮いた生活感」の他に、もうひとつ引っかかりを覚えたのは、-こっちの引っかかりは問題意識という引っかかりだけど-「私は、女性は実業にあまり向かないと思う。」という台詞。この台詞の簡単な意味はすぐわかるけど、それは、『海のふた』を読んだときに思ったことと矛盾するように思う。もう一度、『海のふた』を読んでみようと思うとともに、やはり、やれないことをなんとかしてやれるようにできるよう進んできた世の中を、その是非を含めて一度見直してみたほうがよいということなんだろうか?

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2008/12/31

『トゥルー・ストーリーズ』/Paul Auster

4102451102 トゥルー・ストーリーズ (新潮文庫)
Paul Auster 柴田 元幸
新潮社  2007-12

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 読了していて感想が書けてなかった本その3。

 この本に限らず、今年読んだ海外物で得たことはすべて共通していて、「今までアメリカ的と思いこんでいたことが必ずしもそうではなく、アメリカでも成功している企業や人は、少なからず、いわゆる”日本的”な価値観や行動規範で活動している」ということ。結局、真に素晴らしい価値観や行動規範というのは、洋の東西を問わず共通ではないのか?そういったものをめんどくさいと言わんばかりに、もっともらしい理屈をつけて軽視するのはやはり間違っているのだと自信が持てたこと。

 もうひとつ、この本から得たのは記憶力の大切さ。日々の暮らしを、どうでもいいと思い、何かにつけてイヤだダメだと言い募るような生き方をしていては、何も残らないということ。

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『おそろし 三島屋変調百物語事始』/宮部みゆき

4048738593 おそろし 三島屋変調百物語事始
宮部 みゆき
角川グループパブリッシング  2008-07-30

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 読了していて感想が書けてなかった本その2。

 宮部みゆきで怪談というからかなり期待して読んだんだけど、怪談話としての怖さはそれほどでもないです。人間の性(さが)とか、そういう方面での怖さはもちろん描かれてるけど、怪談としての怖さがミックスsれているかというとそれは薄いです。あくまで、怪談の体裁を借りている小説、と言えばいいか?
 三島屋に奉公に来たおちかが、主人の意向で、様々な人の怪談話を聞くことになる、という筋立てで、最終章ではその怪談話の一つに実際に巻き込まれる。その怪現象は、昔から歴々と続いてきたことであって、どうしようもなく止めようのない呪縛であるが故に誰かがまた犠牲となり、同じことが繰り返されるのだが、その同じことが繰り返されるなかで出てくる、 「誰もあんたが憎くてしたことじゃない。許せとは言いませんよ。ただ、勘弁してやってください。堪えてやってくださいよ。」という台詞がポイントだと思う。繰り返されることは、誰かがどこかで堪えないといけない。逆に言うと、堪えれば止められる。どうしようもないことなら、誰かを責めてもしようがない。許せとは言わない。勘弁するのだ。堪えるのだ。

 これで思い出したのが、「現代用語の基礎知識2009」に書かれていた「だれでもよかった」の項(p1237)。

社会学では近年、意味不明の殺人に対して「幼稚な全能感の発露」という言葉を与えてきた。原初的な幼稚とは、自己と他者の区別がつかないこと。全能とは「神」である。怒りをだれでもいい他者に向けることは親に向かってだだをこねる幼児と同じだが、幼児は親のおかげで何でもでき、全能である。

 『おそろし』の繰り返しは、その人が被害に遭ってしまう因果関係はなくとも、「勘弁する」「堪える」というのがまだ成り立つが、「だれでもよかった」という事件は、「勘弁する」「堪える」ということさえままならない。自分と他人・社会の区別がつかないことと、何でもやめようと思えばすぐにやめてしまいやすくなった社会というのは、密接に関係してるような気がする。

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『そうか、もう君はいないのか』/城山三郎

4103108177 そうか、もう君はいないのか
城山三郎
新潮社  2008-01-24

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 読了していて感想が書けてなかった本その1。年末休暇を利用して一気に書いてみよう。

 城山三郎は一冊も読んだことがない。それでいて、城山三郎はなんとなく知っていた。それでこの本を手に取ってみた。タイトルに代表されるような惜別の言葉は、ありふれている言葉なのに寒くならない。なぜだろう?もちろん、寒く感じる人もいるのだろう。城山三郎と同世代の人は寒く感じないのだろう(だから売れたのだろう)。でも、たいていの人には、ちゃんと伝わる言葉な気がする。なぜだろう?心底から吐き出せている言葉というのは、言葉遣いが同じでも、ちゃんと伝わる言葉になって出てくるんだろう。そこまで自分も思い詰めたいと焦ると同時に、言葉に希望を持つことのできる一冊だった。

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2008/12/30

『家日和』/奥田英朗

4087748529 家日和
奥田 英朗
集英社  2007-04

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 「家にいる人」が主人公の6編の短編集。

 取り扱ってるテーマが失業だったり別居だったり、結構ヘヴィだけど、読中シリアスになることはない。例えば勤め先が倒産した裕輔が主人公の『ここが青山』は、裕輔もあっけらかんとしていれば妻もあっけらかんとしたもので、主夫業に自然と滑り込んでいく様がテンポよく語られる。突然、妻から別居を言い出され家に残された夫が卒なく独り暮らしを楽しんでいく様が描かれる『家においでよ』も、妻が出て行った理由がいまいちピンと来ないという、典型的な鈍感夫が、あまり深刻になることもなく、独り暮らしを楽しむうちに事態が好転する、というような話。

 どの話も、主人公は飄々として淡々として、あまり物事に執着しない。そういうスタンスが物事をうまく運ばせる好例集、というふうにとらえることもできる。読んでて心地よいんだけど、いくらなんでもちょっと事態を軽く捉え過ぎじゃないか?と主人公に対して思うところもあって、そこが軽くて物足りない。なんでも深刻になり過ぎてもいい結果にならないよ、というのは頭では分かっていても、なかなかそうはいかないよ…というような悩みが描かれているのがやっぱり好み。『家日和』は、でてくる事件が重大事なだけに、肩透かしを食らったような気になるところが若干残念。

 

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2008/12/07

『まぼろしハワイ』/よしもとばなな

4344013859 まぼろしハワイ
よしもと ばなな
幻冬舎  2007-09-26

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 読んでいる最中、そして読み終わった後も感じたことが2つあって、ひとつは、「このストーリーはハワイでなければ起こり得ないようでいて実はどこでも起こり得ること、とかすかに感じさせるようなところがあるけど、もっとはっきりそう伝えてほしい」ということ、もうひとつは、「これは生の喜びを描いているようで実は”いかに死ぬか”を書いているのではないか」ということだった。

 オハナもコーちゃんもコホラも、(例によって)特殊な家族事情を抱えているが、それらを解き解くのが
ハワイの自然・生命の力のように描かれている。でも確かにハワイの気候や自然は特殊かも知れないけれど、そうじゃなきゃ何かがよくならないとしたら、それほど不幸なこともない。『まぼろしハワイ』は、ハワイならではのようで、ハワイならではない何かが詰まっている。でも、あまり目立ってない気がする。そこを目立たせるのかどうかは悩みどころだったのだと思う。

 もう一つの思ったことというのは、これはあとがきを読んで更に思いを強くした。『まぼろしハワイ』の「生の喜び」というのは、「今を生きる」というような、日々の日常生活をきちんとするといったことではなくて、「先を見据えている」芯の強さが滲んでいるし、あとがきには何度も別れについてかかれている。別れというのは恋人と別れるだけじゃない。「いつか終わる」ことを想像していないと何にも感謝できないというのは恥ずかしいことだけど、今に「やらないよりはマシ」という気持ちになってるのだろう。

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2008/11/09

『メモリー・キーパーの娘』/キム・エドワーズ

4140055375 メモリー・キーパーの娘
キム・エドワーズ
日本放送出版協会  2008-02-26

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 1964年。デイヴィッドとノラは男女の双子を授かるが、娘はダウン症だった。デイヴィッドはノラを悲しませないようにと思い、ノラには死産と偽り、施設に預けることにしたが…。1964年から1989年に至る、ディヴィッドとノラ、その家族と周囲の物語。

 デイヴィッドが娘フィービを施設に預けることにしたのには訳がある。ダウン症だったから、ダウン症は寿命が相対的に短いから、といった理由だけではない。しかし、もし自分がその立場だったら、死産と偽って施設に預けるという決断ができるだろうか?反対に、ダウン症で生まれてきた子どもを育てていくことに、なんら悲嘆や不安を感じずにいられるだろうか?あるいはダウン症をどれほどのことか把握できるだろうか?何もかもわからないことだらけだった。そして、そのわからないことだらけのまま人生を生きていかなければならないという命の重みを静かに味あわせてくれたのは、この小説が25年という年月を描き切っている長編であるからに他ならない。

 デイヴィッドは妻ノラと息子ポールに秘密を打ち明けることができず、その後起きる辛い出来事はすべて、自分のその決断の報いだとして絶えて生きていくことに徹する。その秘密を隠し通したことで、彼と家族のすれ違いは解かれないまま彼は生涯を終えてしまう。その秘密を打ち明けたほうが正しかったのかどうか?デイヴィッドがどこまでそのすれ違いに自覚的なのかは判らないけれど、自分の行いの報いだとしてそれを受け入れて生きていこうとする姿勢は、例えそれが独り善がりでも間違いでも、なぜか共感するところはある。

 ポールの「アメリカ人にはうんざりだ」や、ポールの恋人ミシェルの「犠牲を払うのはいつも女」など、しばしば「日本人の習性」といって嘲笑される行動や、欧米ではこんなに男女平等が進んでいるなどと取り上げられる知識が、いかに受け売りで胡散臭いものなのかを知らされる部分があった。一方で、会話で出てきた事柄を真実として前に進んでいくところ、これはやっぱり日本とアメリカで違うところなのかも知れないとこれも改めて思った。日本は、いくら会話をしたとしても、「本当のところはどこか違うところにある。隠されているものが真実である」という感覚を胸に持って生きている感じがどうしてもするから。 

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2008/11/03

『ゆれる』/西川美和

4591093034 ゆれる
西川 美和
ポプラ社  2006-06

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 しっかり読んだのに、メモを取る前に返却期限を過ぎてしまい、時間に余裕がなくてそのまま返しちゃったのが後悔。人間の感情の襞のイヤーなところを畳みかけてくるところがなかなか良かった。現代文学ではあんまりこういうモチーフの小説がないから。近代小説だとほとんどこういうモチーフなのにな。やはり、現代の問題意識というか興味というかは、人間性ではなくて欲望だからなんだろうかな?近代小説も、もちろん欲望がテーマになってるのもたくさんあるけど、人間性がテーマになってるのも、それと同じくらい存在する気がする。
 『ゆれる』は、人間性の問題というより、タイミングの問題なんじゃないかなこれって、と思うとこがない訳じゃなかったけど、妬んだり決めつけたりというネガティブな人間性でドラマが成り立ってて面白かった。最も認識に残ったのは、血のつながりがある関係であっても、あまりに繰り返すと、決め付けが固定してしまうんだなあという怖さ。我が子であっても、「こういうヤツだ」って決めつけてしまうくらい疲れてしまうんだなあと、その点は怖かった。

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2008/10/19

『ピンクペッパー 1』/南Q太

439676443X ピンクペッパー 1 (1) (Feelコミックス) (Feelコミックス)
南 Q太
祥伝社  2008-10-08

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 できちゃった結婚した40代カップルの育児、仕事、日々。

 南Q太は『さよならみどりちゃん』で知って大好きになって、結構コレクションしてます。新刊が出たというのでamazonで買ってみたら、今まで見たことのない作風・テーマでこれまた感動。
 できちゃった結婚ってなんでそうなるんだろう?と思ってたら「えー!こんなことほんとにするんか!」という驚きもあったし、南Q太らしい生々しいタッチももちろんあるんだけど、同じ生々しさでも、子供をもったことによる日々の心持の違いを、陳腐なようで陳腐にならない表現で描いててどんどん読み進む。

 「40過ぎてやっとわかることってあるんだね」というセリフがあって、もしこれを20代の頃読んでたら、絶対今のオレでわかってやるって意地になってたと思う。でも、今は、40にならないとわからないこともあるんだろうなあと思うし、オレが今不安に思ってるコレは、実は人より少し早く気づいちゃったことで、まだそのキャパシティを持てない年齢だったから余計不安になっているので、もう少し落ち着いたほうがいいとか、逆に20代に気づいておくべきことを、今頃気づいちゃったよ情けないなあとか、いろいろちぐはぐな自分をちょっと落ち着いて見つめるきっかけにすることができる。これは大きなことじゃないかなあと思う。

 「欲しいと思ったものをすぐに欲しがる 子どものようだ」と主人公のしょう子が思う場面。欲しいと思う、こうなりたいと思う、こうなってほしいと思う、それ自体は悪いことじゃないと思うけど、思い通りにならない間や思い通りにならなかったときに次にどうするのかで、その人が決まるのだと思う。南Q太の漫画に出てくる人物は、みんな、出くわした場面に対していっこいっこ正面からぶつかっていこうとする。その姿勢を見習わないとなあと思う。

 やっぱり、しょう子と両親との関係のあたりが泣けてくる。お母さんとのジェネレーションギャップは大変なものだけど、当然思いやりとか優しさとかはおんなじで、そういうのが愛だよねと泣けてくる。

 

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2008/10/13

『葉桜の季節に君を想うということ』/歌野晶午

4167733013 葉桜の季節に君を想うということ (文春文庫 う 20-1)
歌野 晶午
文藝春秋  2007-05

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 普段あまり読まないミステリーですが、この小説は、読み進めながら頭の裏側で少しずつ感じてる違和感がラストで一気に繋がっていくところが面白かったのと、主人公の成瀬将虎の切符のいい語り口が楽しくてすいすい読めました。成瀬は言葉もそうだけど、何か行動を起こすときのロジックが驚くほど筋の通ったもので、それが「筋を通すことの大切さ」を改めて思い起こさせてよかったです。

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2008/09/15

『スイッチ』/さとうさくら

4796652477 スイッチ
さとう さくら
宝島社  2006-04-22

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 就職活動に失敗し、フリーター暮らしを続ける26歳の晴海苫子。彼女はうまくいかないことがあると、消えてほしい相手の襟足にスイッチを探すか、自分の襟足にスイッチを手探りする。存在を消してしまうスイッチをー。

 この小説は、「日本ラブストーリー大賞」に応募された作品で、「審査員絶賛賞」という賞を受賞した小説。苫子のあまりにうまくいかない社会人ぶりが目に付くけど、これは確かにラブストーリーだと思う。苫子がうまくいかないところは、社会人としてはあまりにレベルが低いところもあるけれど、うまくいかないから逃げ出してまたうまくいかなくて、というループは、社会生活だけじゃなくて生活のいろんな場面で存在していて、誰でも共感するところがあるんじゃないかと思う。例えば苫子の短大時代の友達で、仕事を器用に頑張っているように傍からは見える結衣だって、その体裁を取り繕うことの繰り返しに実はほとほと疲れきっている。
 うまくいかなくて逃げて、もしくはごまかして、そしてまたうまくいかなくて、という繰り返しは、誰にだってあるもので、そこを何とかするためには、遮二無二ぶつかっていくしかない。それで例えやっぱりうまくいかなかったとしても、逃げてループしてまたうまくいかないのとは絶対違う何かが起きる。サル男との別れ際の絶叫もそうだし、結衣との終盤の電話のやり取りもそう。面倒がらずにやれることをやってみるんだと腰をあげるしか道はないってことを一気に読ませてくれる、いい小説だと思いました。

 苫子がうまくいかない原因の根本として、「落ちる」という言葉が出てくる。「気持ちが落ちる」ということだけど、原因の追及がそこで止まってしまっているのは残念といえば残念。でもこれは恋愛小説なので、そういう気分のメカニズムについて深入りすると詰まらなくなる。敢えて言えば、サル男との話のなかで、「何でも気分次第」くらいの雰囲気を漂わせてほしかったかな。サル男とのくだりも、「上がった気持ちもすぐ落ちてもともこもない」で終わってる気がするから。

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2008/08/31

『私を見つけて』/小手鞠るい

4344411692 私を見つけて (幻冬舎文庫 (こ-22-1))
小手鞠 るい
幻冬舎  2008-08

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 日本人とアメリカ人のカップルを主人公とした5篇の短編集。「アメリカ的」な価値観や「日本的」な価値観の、ステレオタイプなものがいいもの悪いものひっくるめてたくさん登場して、ありきたりな「イブンカコミュニケーション」的な話かといえばそんな安直なものではない。読めば読むほど、価値観にいいとか悪いとかがないってことを切々と感じる。
 腑に落ちないというか、わかるけれど完全にわかることはできないだろうと思ったのが『出口のない森』。そこまで思いつめないといけないことだったのだろうか?もちろん、真剣に考えれば考えるほど、ことはここまで突き詰めないといけないことだというのは頭ではわかるけれど、実際にそこまで行動に出てしまうものだろうか?ここに、男女間の違いが浮き彫りになってる気がする。

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2008/08/24

『堂島物語』/富樫倫太郎

4620107190 堂島物語
富樫 倫太郎
毎日新聞社  2007-12-15

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 埜登村という片田舎の生まれの少年・吉左が、大阪・堂島で大商人になるまでの立志伝。
 まず思うのは、歴史は繰り返されるということ。堂島の米市場を舞台に繰り広げられる商売や出来事は、そっくりそのまま現代でも起きていること。だから、やはり歴史を学ばなければならないのだと教えられた。商取引にはルールがあり規制があって、そのルールや規制が揺らいでいく流れは、歴史からいくらかは学ことができそうだ。
 しっかり舞台の書きこまれた時代小説だけど、それほど時代小説という印象はなくて、青少年向けの小説といってもいいと思う。商売には誠実さと聡明さが大切だということも、分かりやすく伝えてくれる。
 あと、堂島周辺の知名がたくさん出てくるので、普段自分が往来している場所がかつてどんなところだったのかが感じられて楽しい。土地にも隆盛はあるもので、やっぱりそういう歴史からの空気も持ってるんだなあと感動したりします。

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2008/08/17

『鹿男あをによし』/万城目学

434401314X 鹿男あをによし
万城目 学
幻冬舎  2007-04

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 最近ドラマのDVD-BOXを買って、そう言えばこの本については書いてなかったなと思い出した。僕は自他ともに認める大の奈良贔屓の奈良県人ですが、正直言ってこの小説が持つ雰囲気は正に奈良そのもので本当に驚いたし感動した。抑制の利いたテンポと表現、多少アイロニカルでネガティブな姿勢の垣間見える主人公、鄙びた風景、どれを取っても正に奈良。そんな、大げさを嫌うちょっと引き気味のスタンスだからこそ、「やる前からあきらめるな」とか「おれは世界を守りたい」とかの台詞がストレートに響く。僕はファンタジー小説があまり好きではなかったんだけど、この物語は日本を舞台にしたファンタジーと言えるし、ファンタジーの魅力を改めて教えてもらったように思う。

 「本当に大事なことは、文字にしてはいけない」-少なくとも社会に出るまでは、僕は無条件にそう信じていたと思う。いや、信じる信じないという選択もないくらい、自然なこととしてそう思っていた。でも少しずつ少しずつ文字に書き表せないものはないのと同じという感覚がしみ込んできて今に至っている。書き残すことと書き残さないことの狭間で揺れる。それは、書き残さなかったが故に喪失してしまった想いへの寂しさも交る。こればかりは揺れ続けていくことなんだろう。

 それにしても、先生は少しアムロ・レイに似てると思う。

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2008/08/03

『田宮模型の仕事』/田宮俊作

4167257033 田宮模型の仕事 (文春文庫)
田宮 俊作
文藝春秋  2000-05

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 『蟹工船』なんかにハマるより、これを読むほうがよっぽど働くことにとって有意義じゃないかと思う。せっかくメモ用にした付箋を、入力して全部取った後で入力が飛んじゃってわからなくなってしまったけど、一か所焼きつくように覚えているのが、「商売になるから模型をやってるところと、模型が好きだからやっているところの違いを見せてやる」というくだり。好きなものを仕事にしている強さを見せつけられるし、もし好きなものを仕事にしていなくても、仕事に対してどう接するべきなのかを雄弁に物語ってくれる。

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2008/05/18

『貸し込み』/黒木亮

4048738070 貸し込み 上
黒木 亮
角川書店  2007-09-26

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4048738089 貸し込み 下
黒木 亮
角川書店  2007-09-26

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 銀行が酷い融資を平然とやっていることよりも、日本の裁判というのはなんて杜撰なものなんだという印象のほうが強く残る。繰り返し、米国のディスクロージャーについて触れられ、それと対比するように、日本では情報を出す出さないは銀行の都合で決められる実態が描写される。要は、どうしても出さざるを得なくなるまで出し渋ればいい訳で、こんなんじゃあ悪いことやったほうがいいに決まってるよなあと思う。悪いことを10やっても、そのうち5くらいしか罰せられなければ、しかも罰せられるにしても上限が悪事で儲けた金額ならば、悪いことやるほうがどう考えても経済的には正しい。なんでこの国はこんなに杜撰なんだ?
 あともうひとつ、原告の宮下治を見て、本当に付き合う相手というのは選ばなければならないなと思う次第。確かに、銀行に食い物にされた一面はあるものの、あまりに臆面もなく自分の都合でものを言える人間とは、深く関わっても利用されるだけで何もいいことがない。

 全般的には、銀行の「貸し込み」の手口を暴き、そこに至る銀行のどうしようもない内情を深く描写する、というよりは、裁判小説といったほうがよいと思う。

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2008/05/11

『家庭の医学』/レベッカ ブラウン

4022643609 家庭の医学 (朝日文庫)
レベッカ ブラウン Rebecca Brown 柴田 元幸
朝日新聞社  2006-03

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 自分の母親が癌に冒されてから亡くなるまでを描いた一冊。こういうテーマは、死期を悟った老人が、取り乱したりせず力強く日々を過ごす、その覚悟の深さを歌うことが多いが、これは、もちろん著者の母親は実に深い覚悟を持っているのだけど、主軸は最後を看取る著者と家族の心情になっている。ここが、決定的に新しいと思う。単に、「近しい人が亡くなって悲しい」というだけの心情じゃないのだ。現代は昔と異なり「介護」がいかに当たり前のことになり、「介護」が文学になるかということを肌で実感できる。

 僕は自分の親を介護するとき、こんなふうに忍耐強く、心優しく介護することができるのだろうか?それには精神的なタフさも必要だし、慈愛の深さも必要だし、肉体の健康さも必要だ。正直言って僕にはそんな自信がないし、自分が死期を悟ったときにの覚悟にはもっと自信がない。けれど、この本を読むことで、いつまで経っても親に対しての態度や言葉を改められなかったのが、少しだけ変えられたような気がした。こういうのを少しずつなるべくたくさん積み重ねていくしかないのかもしれない。

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2008/05/06

人格

 読書の目的は、善良を求めることではないし、正義を求めることでもない。けれど、善良を求めても良いし、正義を求めても良い。読書をすることによって、自分の幅を狭めるようなことがあってはならないだけで、自分の幅を広げ、かつ、様々なことを許容できるようになるのであればそれでいい。そういうことを、人格を高めるとか人格を豊かにすると表現すると陳腐でかつ「善良」「正義」を求めることと大差がないように聞こえてしまう。しかしながらこれ以上の言い方が見当たらない。

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2008/04/30

『monkey business』/柴田元幸

4863320086 モンキー ビジネス2008 Spring vol.1 野球号
柴田元幸
ヴィレッジブックス  2008-04-18

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 『野球のダイヤモンド、小説の輪郭』という、柴田元幸と小川洋子の対談で、小川洋子が「人間が決めた掟の中心に立って大きな声で喋れる人はいいけれど、それがどうしてもできなくて、隅の方で、私はここでいいんですと佇んでいる人たちの、声にならない声を聴き取る」というのがとても良かった。印象深い。
 世の中がどんどん声がデカいもん勝ちみたいになってきてて、しかもそれがいいことなのか悪いことなのか振り返って考えてみようともしない、声出さないヤツが悪い、そんな風潮で、なんとなくそれはそうだなあと流されてきていたけれどやはりそれは何か間違っているという漠然とした感覚はある。それを、きちんと「それは間違いです」と言い切るだけの言葉を獲得していくのが、自分の読書をする理由だと思ってる。 

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2008/02/09

『ベーコン』/井上荒野

408774891X ベーコン
井上 荒野
集英社  2007-10

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 この本を読んだのは失敗だった。つまらなかった訳じゃない。ただ、小説を読むことに疑問を抱いてしまったのだ。

 本著は、料理や食材をアイテムに据えた9つの短編集。タイトルが、そのアイテムとなる料理や食材になっている。僕にとっての「それ」は、3編目の『アイリッシュ・シチュー』でやってきた。

 東京郊外で夫・娘・息子・猫と暮らす私。ある日、大雪が降り、宅配が来ず、猫がいなくなり、猫を探し回り、夫に電話をするが邪険にされ、無言電話が度々なり、これまで足を踏み入れなかった子供部屋に入り、猫は見つからず、近所で住宅を販売をしている若い営業マンと目が合い、家に招き入れ、たったまま性交した。

 それだけだ。夫も娘も息子も猫でさえ名前が探しやすいのにとことん名前の探せない「私」は、没個性の象徴なのだろう。ありふれた日常でも、言い表しようのない不安に揺さぶられ、日常の裂け目にはまってしまうけれど、またいつもの日常に帰っていく。そんなことを、今更聞かされてもしょうがないのだ。
 日常に不安はつきものだ。殊更に日常の中の非日常性を拡大してみせるのは、日常で努力不足な人の当然の顛末に過ぎない。そんな人の不安を拾い上げてもらっても、心はぜんぜん揺さぶられない。小説は正しいことを歌う訳でも時代の新しい問題だけを拾いあげる訳でもない。けれど、焼き直しの現状維持が量産されるのにはもううんざりなのだ。

 これではケータイ小説が流行るわけだ。僕は、これからいったい何のために読書をすればいいのだろうか?

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2008/01/27

『おめでとう』/川上弘美

4101292329 おめでとう (新潮文庫)
川上 弘美
新潮社  2003-06

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 恋のせつない気持ちがテーマの12の短編集。

 僕はどちらかというと人付き合いが苦手なほうで、だからといって人が嫌いという訳でもなく、人と交流したいけれども面倒と思う気持ちもあれば、交流自体が上手くできなくて苦手というところもある、矛盾だらけで勝手極まりない性格なんだけど、本著のような作品を読むと、世の中ではほんとにたやすく人と人とが触れ合っているもんなんだなあと軽く絶望してしまう。ちょっとしたきっかけで言葉を交わすなんて、僕は同じ会社の中でさえ、同じマンションでさえなかなか大変だというのに。それでいったい何故かと考えると、僕は世間話が大の苦手なのだ。どうでもいいことを話すことが苦手なのだ。目的があったり、有益な情報があったり、オチがあったりしないと上手く話せない。
 人と人との交流はたくさんあったほうがいい。だからそんなふうになりたいと思いつつそうなれないで来てしまったのは、結局待ってるだけで自分から話せないからだ。よりいっそう絶望的になるけれど、この期に及んで腹をくくることができたのは感謝だ。だから、『ぽたん』と『天上台風』が好きだ。

 そんなに人は正しく強くいなければならないのだろうか?と疑問が沸いてくる。正しくなかったり、強くなかったりすると、もちろんその結果たいへんな苦難を背負うことが多いには違いないけれど、そもそもどうやったって正しくも強くもなりきれない部分が残るのが人間で、自分が絶対正しいということも強いということもないのだ、とわかって努力をするのとしないのとではずいぶん感じられるところが変わってくるように思うし、年を取るごとに確信に変わってきている。

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2008/01/26

『失われた愛を求めて-吉井和哉自伝』/吉井和哉

4860520718 失われた愛を求めて―吉井和哉自伝
吉井 和哉
ロッキング オン  2007-12-22

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 もうとにかく共感の嵐!イエモンも結構早くから聴いてて折に触れインタビューとか読んでるから、共感できるところが多いのはわかってるんだけど、ほんとに共感できる人だなあと改めて思った。イエモンファンで吉井ファンの人は、かなり独特の感情が共通してる気がするから、ファンなら誰が読んでも僕と同じように共感の嵐になると思う!

 そんな中、ここが違うと思ったのは、青春時代の「やりたいことがない。やれることもない。自分になにがあるかわからない。」というくだり。青春時代、誰もが一度は思い悩むことのようだけど、振り返ってみたら僕はそういうことで悩んだ記憶がない。ただ進学して、ただコンピュータ業界で就職して、というカンジでそのルートに全然疑問を抱かなかったし、自分がそれができないとも全然思わなかった。この経験の欠落が、今の自分に大きく影響している気がする。最近、自分には何ができるんだろう?何をしてきたんだろう?という問いが時々浮かび上がる。そして残された時間は減っている…これは一度徹底的に悩まなければいけないことに違いない。
 もうひとつ違うのがその徹底ぶり。吉井和哉はこうすべきと思ったこととかこうしなければいけないということを徹底的にやっていることがこの自伝でわかる。それこそぶっ倒れるくらいやってる。こうしたいこうしようと思ったことは本気で徹底してやらないといけない。これも、自分の進む道をいい加減にしか考えなかったからその呪縛でこうなっている気がする。そういう、「全力でやることの尊さ」みたいなのが、この本全編から溢れ出てる。

 『SICKS』の後、バンドが下がり始めた、という記述が怖かった。これはなんとなくうっすらわかる。けれど、今の吉井和哉を見ていると、そういう山や谷があった後も、やっていける道は見つけられるんだよという希望も与えられる。

 少し不安になったのは、家庭事情が結構赤裸々に書いてあって、大変なんだろうなあと思うので、ここ最近のツアーラッシュやリリースラッシュやメディア露出ラッシュや出版ラッシュが金銭的問題を解決するためのものじゃないよなあまさか?ということかな。

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2008/01/06

『カカオ80%の夏』/永井するみ

4652086040 カカオ80%の夏 (ミステリーYA!)
永井 するみ
理論社  2007-04

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 『ランチタイム・ブルー』を読んでおもしろかったので、永井するみの他の作品も読んでみようと思ったのには違いないんですが、「なんでこの作品を選択したんだろう?」と自分で疑問に思うくらい、この本は自分の趣味ではない(図書館でネット予約してあって、半年経って順番が回ってきた)。女子高生凪の友達雪絵が、自宅に「合宿のようなものに一週間くらい出るので心配しないでください」と書置きして姿を消してしまう。家出する気配も理由もまったく感じなかった友人なので、気になって凪は雪絵を探し始める…

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2008/01/03

『佐藤可士和の超整理術』/佐藤可士和

4532165946 佐藤可士和の超整理術
佐藤 可士和
日本経済新聞出版社  2007-09-15

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 アートディレクター・クリエイティブディレクターの佐藤可士和の「整理」に関するハウツー本。”整理”というと物理的な整理をまず思い浮かべるが、本著は仕事全般に通じる”整理”を説いている。具体的には空間の整理・情報の整理・思考の整理の3つの切り口から、整理の仕方を紹介している。細かい方法を書いている訳ではないが、「整理を徹底することが仕事の効率や生産性を上げる最善の方法」という意見をきちんと理解できるように書かれている。
 徹底して整理をすることは仕事の精度を上げることに繋がると考えていたので、その考えの裏づけや補強をする材料がたくさん手に入り有益だった。

  • 人間関係の整理が課題。
  • 周囲の人間が整理に無理解な場合に、整理のスタンスを推し進めるためにかなりのストレスがかかる。これも課題。
  • ルールは変えてしまうことができる。そのために視点を複数持つべき。
  • 「問診」の考え方は取り入れられる。
  • 知識量も大事。

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2008/01/02

『東京・地震・たんぽぽ』/豊島ミホ

4087753832 東京・地震・たんぽぽ
豊島 ミホ
集英社  2007-08

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 『檸檬のころ』より断然こちらがおもしろかったです。『檸檬のころ』はああいう空気というか雰囲気というかに共感できる経験がないとおもしろさ半減だとわかってるんですが、こちらは構成が抜群に練られてて面白いです。地震の混乱の中亡くなってしまうあきと純一の姉弟、子供と一緒に巻き込まれてしまう、育児に疲れ果てていた(でもブログは外面保ってマメに更新する)舞とその夫で仕事のできる(でも舞に困窮しきっている)康隆、その他いろんな立場の人々が大地震に遭って考えること・起きることが生生しく描かれます。
 地震の描写はそんなに多くないけれど、その瞬間その瞬間で人が何を思うのか?というところが丁寧に書かれていて一気に読んでしまいます。実際に阪神大震災やその他大地震に被災した方がどんなふうに読むのか感想を一度聞いてみたいです。

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2007/12/09

『初恋温泉』/吉田修一

4087748154 初恋温泉
吉田 修一
集英社  2006-06

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 温泉を舞台にした5編の短編集。離婚が決まっている夫婦、結婚間もない夫婦、ダブル不倫の夫婦、夫が保険外交員の夫婦、そして高校生カップル。どれも「余韻」を漂わせる良品。

 『悪人』を読んだ次なので、情感の淡さが物足りなさと感じそうなところはあったけれど、もともと吉田修一の作品のどういうところが好きかというと、淡々としていて静かで取り分け特別な出来事を持ってきてる訳でもないのに、日々生まれる感情をくっきり表すところなので、この『初恋温泉』は読んでいておもしろかったです。不思議なことに、どんな話かひとつずつ思い出していって、最後にひとつ思い出せなかったのは、5編のなかで…

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2007/12/08

『パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義』/中島 岳志

4560031665 パール判事―東京裁判批判と絶対平和主義
中島 岳志
白水社  2007-07

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 東京裁判で多数意見に全面的に反対する個別意見書を出したパール判事の思想・生涯。

  • パール判事の意見は明瞭で、「日本の指導者たちは過ちを犯したが、検察が主張した”共同謀議”は存在せず、「平和に対する罪」「人道に対する罪」という事後法的性格の犯罪認定は不当である」というもの。また、日本の行った戦争が侵略戦争であるなら、植民地を持つ連合国の侵略は罪にあたらないのか、また、戦勝国の都合で侵略や「平和に対する罪」「人道に対する罪」を認定するのは不当である、というもの。
  • 絶対に誤解してはならないのは、パール判事は日本に罪はないとしているのではない点。「法の秩序」の原則に忠実であるのであり、日本の戦争行為は許されるものではないとしている。
  • 田中正明の引用には誤用・問題が多い。
  • 「プライド-運命の瞬間」の製作者は愚の骨頂である。
  • パール判事の意見はまったく持って非の打ち所のない筋論と思えるが、なぜこの筋論が通らないのかが大事だと思う。そして、本書はその点には踏み込まない。パール判事は繰り返し、ことあるごとに筋論を勇気を持って展開し、そのたびに圧倒的な支持を得ていたが、なぜそれが浸透していかないのか?そこを追求したい。
  • パール判事はガンディー主義を貫いていたとあるが、ちょうどNHK特集の”民主主義”で、ガンジーの塩の行進のルートを辿るドキュメンタリーを観たところだった。そのなかでは、現在は登場するインド人は誰もガンディーの精神を重んじていなかった。この点も気にかかる。

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2007/11/07

『放浪の天才数学者エルデシュ』/ポール ホフマン

4794209509 放浪の天才数学者エルデシュ
ポール ホフマン Paul Hoffman 平石 律子
草思社  2000-03

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 掛け値なしに面白い!!もちろんフェルマーの最終定理とかモンティ・ホール・ジレンマとか、数学の不思議な面白さがたくさん詰まってて、それらもけして難しいことを理解できなければ面白さがわからないような書き方じゃなく(取り上げられている題材のうちのいくつかは、実際に難しくてよく読まないと理解できないものもある)、けして端折ったり要約したりはしてないんだけどちゃんと分かり易く平易に書いてくれていて、数学を専門にやったことがなくてもその面白さに興奮できる。更に、エルデシュという、魅力溢れる天才数学家の行動や人となりがダイレクトに伝わってくる筆致で感動してしまう。おそらく、人生で読んだ伝記物のNo.1になるんじゃないかと思います。読んだ本としても五本の指に入ります。…

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2007/10/21

『武士道シックスティーン』/誉田哲也

4163261605 武士道シックスティーン
誉田 哲也
文藝春秋  2007-07

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 「戯言を。」なんて呟く、新免武蔵に心酔する磯山。日本舞踊の経験を生かしたくて中学から剣道部に入った西荻。まったく対照的な二人の剣道部女子高生の青春ドラマ。

 凄く新しいところもないし、今時だと感じさせるところもそれほどないスタンダードな物語で、しかも完全に武蔵入ってるマンガのキャラクターとしか思えないような磯山を主人公に据えていながら、結構…

 

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2007/10/20

『情報大爆発』/秋山隆平

4883351785 情報大爆発―コミュニケーション・デザインはどう変わるか
秋山 隆平
宣伝会議  2007-10-15

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 「情報大爆発」というタイトルに引き付けられて手にしたものの、「宣伝会議」に少し躊躇。読んでみた感想は、「『情報大爆発』というタイトルは適当ではない」。サブタイトルの「コミュニケーション・デザインはどう変わるか」が内容を表してる。インターネットが普及した時代に、マーケティングや宣伝の効果的なやり方はどういうものか、というのが本書の内容で、情報が過剰になった先に情報処理や社会や人々の意識がどのように変容していくのか、ということは論じられません。IT系の人間が「情報大爆発」と聞くとそういった内容を連想すると思うので、少し期待はずれ。
 そして、読み進めていくとどうもGoogle AdWordsやAdSenseのような、テクノロジーによる広告をいったん持ち上げておいて、最終的には「広告やマーケティングはクリエイティビティーだ」と、テクノロジーによる広告を低くしているところがある。広告がどうあるべきかというのはさて置いて、本書のいう「これからの時代は、消費者の欲しいものを作ってくれる生産者を選択する時代」というような、「消費者主権の時代」というのは、もう何十年も言い続けられていることだ。何か新しいテクノロジーやパラダイムが起きたとき、常にそれでもって「消費者主権の時代が来る」という言説が流布されながら、一向そんな時代が来ていないのはなぜだろう?
 同じことはITの世界でも言える。古くはMIS、現在ではBIと、手を変え品を変え、経営に有用な情報を提供するシステムとして持ち上げられながら、その理想はあまり実現していない例が多い。なぜ実現しないのか?「これは売り込める」と純粋に売り込むことだけを考えてきたIT業界のほうが、「これだけではどうにもならないのにね」とほんとのとこは判っていながら(十分な金を出さない相手には)まるで出来るかのように振舞ってきた広告業界のほうが、数段タチが悪いのではないかと思う。

---
選択可能情報量

マイクロチャンクを肯定するか?

何をよりどころとするのか?
よりどころをやっぱりほしいと思う人たちの症状
ほんとうはよりどころを根拠に商売していながら
よりどころなんていらないよと吹聴する輩

アテンションは何を言い換えているか?←成り立ちを考える

p39 mixiのリアルな会員数は?←チェーンビジネスのダミーユーザ

p53 ターク

p69 過剰の経済学では、常に探し回るためにやってみなければならない

p113 品質の安定-意思・権限の介在とやりがい

p115 21世紀型軍隊では、司令部の持つ情報の質がより重要になる

p162 グループ・ダイナミクス=オープン系 or スケールアウト

p173 AIDAモデルに帰る?

p180 フィルターの共有(アテンションの節約)=本を読むこと

p200 IT系の人が広告を語ると…

無理やり違いを捏造する産業だ

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2007/10/07

『悪人』/吉田修一

402250272X 悪人
吉田 修一
朝日新聞社出版局  2007-04

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 まず感じたのは、世の中の出来事や仕組みを自分は全然知らないし、見れてもないし、興味も持ててないのだなあという反省。被害者である桂乃が勤めていた業界である生命保険会社についての記述であるp66「社員を循環させることで新規の顧客を増やすこの手の業界」なんかは、自分も長い間社会人をやっているのだから書けそうな一文だけど、もし自分が生命保険会社を説明する文章を書こうとしたとき、この視点があったかと言われたら心許ない。そういった調子で、自分がいかに社会を見ていないかということを痛切に感じた。

 悪人探しをしても意味がないと思うし、誰もが悪人である可能性を持ってるという筋ではあるけれど、敢えて誰が本当の悪人か考えてみたい。それは…

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『カラ売り屋』/黒木亮

4062820374 カラ売り屋
黒木 亮
講談社  2007-02-21

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 「カラ売り」というと、もうそれだけで「株の売買操作だけで楽して儲けるけしからんヤツ」みたいなイメージが浮かんできてしまって、『カラ売り屋』というタイトルからは、そういうけしからんヤツが暗躍する、ダークであるがゆえにちょっと胸躍るカンジのストーリーか、はたまたそういうけしからんヤツが最後に人情に絆されて更正する、みたいな感動ストーリーか、と予想するんだけどそのどっちでもない。
 カラ売り屋は株が下がらないと儲からない訳だから、…

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2007/09/01

『強運の持ち主』/瀬尾まいこ

4163249001 強運の持ち主
瀬尾 まいこ
文芸春秋  2006-05

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 就職した会社を半年で辞め、収入のため占い師の仕事についてルイーズ吉田(本名吉田幸子)。訪れるお客の様々な問題に向き合うお話。短編連作集の形態なので、一話一話で内容は独立していて読み進めやすいです。TVの連続ドラマ的。

 ルイーズ吉田は占いについて、「お客さんに前向きになって帰ってもらうためのもの」というポリシーを持っていて、これが凄く高いプロ意識に見える。占いだからもちろんよくない内容が出ることもあるけれど、それをそのまま伝えるのではなくて、お客さんがどうしたいのかを見極めて、なるべくそちらに導いてあげることを旨としている。「それじゃ占いじゃないじゃないか」という声もあると思うけど、… 

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2007/08/15

『17歳のための世界と日本の見方』/松岡正剛

4393332652 17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義
松岡 正剛
春秋社  2006-12

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 著者が帝塚山学院大学で1998年から2004年までの6年間に行った「人間と文化」講義の内容を収めた一冊。文明と文化の歴史の知識がぜんぜんないことを反省していたので、まず基礎固めのつもりで読みました。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教・道教の成り立ちや特色を軸に、「洋の東西」の生命観・自然観の手ほどきを受けることができます。また、「関係を見出すこと=編集」という著者の視点を取り込むことが出来、思索の手段を自分の中に増やすことができ、知識と方法の両方を学ぶことのできる良書だと思います。

p19「エドワード・ホール 『隠れた次元』 プロクセミックス」
p32「ひとつには関係性を察知するための「軟らかいセンサー」を失っているからかもしれません。」
p35「言葉を使えばいつもちゃんとコミュニケーションができると思いすぎることは、じつはたいへん危険なことです。」
p46「「ゼア」の交信を「ヒア」にしすぎると、とんでもないことが犯されることだってありうるんです。」
p71「ジョセフ・キャンベルというアメリカの神話学者」
p79「ある意味で、人間の欲望や煩悩が、それまでとはちがう現実味をもって人間社会をおびやかしはじめ、それが臨海値に達してきていた。そこで、それをコントロールしていく新しい技術や方法が求められていたのかもしれません。」←紀元前6世紀~5世紀 ゾロアスター・老子・孔子・ブッダ・ピタゴラス
p82「このように、光と闇で世界を分けるような見方を二分法」←ゾロアスター(ツァラトゥストラ)
p88「バール信仰」
p98「苦しみを知るだけの修行をしていては足りない。人間には、苦しみの次に解放がなければいけないのだ」ブッダ
p100「こういう方法的なめざめを、「縁起」といいます。」←ブッダの悟り 一切皆苦 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静
p141「最初の十人をまず作るべきなんです。そしてそのコア・メンバーとともに五年を集中するべきです。」
p112「道教」
p166「回心(コンヴァージョン)
p210「ツクヨミ 『ルナティックス』(作品社・中央公庫)
p223「唯仏是真・世間虚仮」聖徳太子
p238「東には薬師如来のいる瑠璃光浄土、西には阿弥陀如来のいる極楽浄土、北には弥勒菩薩の管理する浄土、南には釈迦如来の浄土が想定されていた。」
p244「ところが西行は、この歌枕を実際に歩いてまわったわけです。」
p255「そこで武士たちは、まあ、自分自身が浄土になっていくということをした。」
p262「神仏習合が進んでいって、神社で女性の穢れを不浄とする見方がまちがって仏教側に拡大解釈されたのでしょう。神社での穢れは一時的なものなのに、仏教ではそれが全面化してしまった。」
p269「冷えさび すさび」
p273「そこに水の流れや大きな世界を観じていこうというものですね。こういう見方を禅の言葉で「止観」といいます。」
p275「何もないにもかかわらず、わざわざ「花ももみじもない」と言ってみせることで、それを聞いた人の頭の中には、満開の桜や紅葉の盛りが浮かんできてしまうという、おそるべき歌です。」
p279「花伝書」
p300「グーテンベルクの活版印刷以降、だんだん黙って本を読むようになったんです。つまり黙読が始まった。」「梵我一如」
p322「侘び茶」「やつし」


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2007/07/22

『好き、だからこそ』/小手鞠るい

4104371033 好き、だからこそ
小手鞠 るい
新潮社  2007-06

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 画廊の受付で働いていた19歳の風子が、高校から退学処分になった後独学で猛勉強しコックになった大岸豪介-ゴンちゃん-と出会う。『その時、心の中に浮かんだのは、そんな言葉だった。「まぶし過ぎて、痛い」』。

 小手鞠るいの小説は、時間軸の長いものが多いです。まず若い頃の危なっかしい恋愛があり、その主人公が年を取り分別を弁えて、そういった突っ走る感情をコントロールできるようになった頃にもう一度若かった頃の恋愛をなぞるような事件が起こる。そこで、長い時間をかけてこそ理解できる、人の心の優しさといったものに触れることになる。と、纏めたくなるくらい、この『好き、だからこそ』はそのパターンに嵌ってますが、今までと違うのは、時間軸を流れるのが2つではないこと。これまでは、主人公の若い頃と年を取った頃、とか、女性主人公と男性主人公、とか、軸が2つのことがほとんどだったと思うんですが、今回はかなり複数の軸が持ち込まれています。
 そのため、冷静に振り返ると、結構ご都合主義なストーリー展開にも思えるのですが、…

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2007/07/12

『日々是作文』/山本文緒

4167708035 日々是作文
山本 文緒
文藝春秋  2007-04

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 書いてあることの発想ひとつひとつもおもしろいんだけど、「よくもこんなに丁寧に頭の中に浮かんできたことを文字にできるなあ」というのが最大の感動。頭の中に浮かんできた思考って、書く前はよどみなく湧き上がってきてばっちりなのに、いざ書こうとしたら雲散霧消でどうしたらいいのか判らなくなることが多いし、書き出したら追いつかなくて最初だけ、みたいなことがしょっちゅうなのに、この本は読んでる限りそういう痕跡はない。そこがすごい。

 それから、この文章は、ものすごいバブルの匂いがする。強烈に消費を肯定しているところとか。そういうのって今時の人はどうなんだろう?と思うけど、この本が売れたということは、この「バブル時代のノリ」みたいなものが、案外今の若者たちにも受けるのかと思えて少し安心した。

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2007/07/07

『デイト』/南Q太

439638033X デイト
南 Q太
祥伝社  2006-01

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 文庫本とは知らなかったので、書店で見かけて即購入。13の短編集。

 『彼女の体温はいくつ?』のいとおと歩美がかなり好きなカンジで、歩美の世間とのバリアの張り方とその奥のところか、いとおの力の抜け方とストレートさ加減とか、ちょっと古臭いカンジだけど温かみがあって好き。しかもラストに歩美が「あんたみたいに優しくなりたい」というセリフが強烈。いとおを「優しい」と思う女の人はすごくタイプな気がする。そういう人とは親しくなれそうな気がする。いい人だ!と決め付けてしまう。
 逆に、Q太作品を読むと必ず相変わらず判るような判らないような、歯がゆい女心と言われるようなものとひとつふたつ直面することがあって、ひとつは『ちび』の「17になったのッ」と叫ぶ場面。もうひとつが、『サッちゃん』の「大丈夫、あたしが守ってあげるから」。うーん。

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2007/06/24

『ミステリアスセッティング』/阿部和重

4022502444 ミステリアスセッティング
阿部 和重
朝日新聞社  2006-11

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 歌い声は罵られ、泣き声は人を魅了する。そんな自分の持つ矛盾に気づかないまま、吟遊詩人として生きていくことを選んだシオリの誠実で薄幸な奇譚。

 これは早い!早いです。さすがケータイ小説。ケータイで読まれることをきちんと考慮すると、こういう文体になるだろうなあと納得できます。だいたいのストーリーの提示が、「xxだった。なぜなら・・・」という倒置になっていて、一度に目に入る文字量が制限されているケータイでも無理なくストーリーを頭に残しながら読み進めることができます。その分、大きな展開の少ない前半は、若干論文を読んでるような感覚もありました。

 前半はシオリとノゾミの姉妹の話が中心で、自分は幸福感に包まれていてその幸福感が湧き上がった結果歌が口から出て行くのに、その歌は…

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2007/06/17

『ナンバー9ドリーム』/デイヴィッド・ミッチェル

4105900595 ナンバー9ドリーム
デイヴィッド・ミッチェル 高吉 一郎
新潮社  2007-02-24

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 屋久島で育った詠爾が、まだ見ぬ父と会うため上京する。イギリス人作家が東京を舞台に書いた村上春樹的小説。

 話の筋があちらこちらに飛ぶし、語り口もトレインスポッティングみたいで洒脱でおもしろいんだけど、いかんせん長い!英語だと疾走感あるんだと思うんだけど、仮名漢字交じり日本語で見開き全部改行なしだと正直困惑する。本の厚さ以上に長く感じるし、名詞が重ねられて重厚な情報量であるところとか都会的なんだけど、ここってところでちょっと薄くなってしまってるところとかある。例えば、回天日記を素材とした章で、…

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2007/06/03

『ランチタイム・ブルー』/永井するみ

4087477886 ランチタイム・ブルー
永井 するみ
集英社  2005-02

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 柴崎友香が好きな人ならきっと面白いと思う。柴崎友香の、独特の日常感覚が仕事上に置き換わって描かれていると言っていいのかな?仕事上で起きる出来事がメインで、一話一話軽いナゾがあるので読み進めやすいです。

 最後の章で、奥さんが進めるリフォームに反対の老主人が、「私はね、今のあの家がいいんだ。長年住み慣れて、どこに段差があるのか、どこの壁紙が剥がれてるか、どこの立て付けが悪いか、全部、私の体が覚えている。暗闇の中でも平気で歩けるよ。家っていうのはそういうもんじゃないかね。」 というくだりがある。確かに主人公も言う通り、・・・

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2007/05/27

『となり町戦争』/三崎亜紀

408746105X となり町戦争
三崎 亜記
集英社  2006-12

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 北原の住む舞坂町は、ある日[広報まいさか]で町民に、となり町と開戦することを知らせる。程なく北原の元に、「戦時特別偵察業務従事者の任命について」という通達が届く。

 町役場からの通達や役所仕事の描写とか、結構細部がリアルで、戦争ということはさておいても、いろいろな仕事の進め方や軋轢が面白いんだけど、「戦争」をどう捉えるべきか?価値観のぶつかりあいとか、ある価値観が別の場所ではまったく否定されてしまったりするような相対性とか、そういうことをまともに受け止めながら読んでいいのかな、と少し戸惑いがあった。そういうところに主題の重きをおいているのかどうか、自信を持てなかったから。北原が最後に…

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2007/03/25

『ぬるい眠り』/江國香織

4101339236 ぬるい眠り
江國 香織
新潮社  2007-02

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 『きらきらひかる』の続編『ケイトウの赤、やなぎの緑』を含む短編集。著者が二十代前半に書いたものが中心。
 江國香織の小説は、奇抜だけれども緩やかな雰囲気が好きなんだけど、この短編集は痒いところに手が届いてるような届いてないような、正に隔靴掻痒の間を禁じえません。まだ若い頃に書かれた作品だからかなとも思いますが、多分、書いてるテーマが判らないからというよりも、判り過ぎるからだと思います。奇抜な設定で、奇抜な展開で、でも・・・

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2007/03/11

『プロジェクトはなぜ失敗するのか』/伊藤健太郎

4822281779 プロジェクトはなぜ失敗するのか―知っておきたいITプロジェクト成功の鍵
伊藤 健太郎
日経BP社  2003-10

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 プロジェクト・マネジメントの必要性を認識させてくれる一冊。プロジェクト・マネジメントの入門書。PMの考え方の骨格の部分を理解できます。特に、プロジェクトでは共通した知識と継続的な改善が必須であることを十分に理解できます。
 入門書であり教科書的なので、実践的に踏み込んではいません。なので、「企業にはPMOを設置するべきである」と言った、一般のプロマネやプロジェクトメンバーではどうしようもないような方策が前提になったり、現場では「前向きな意思を持って課題にあたることが大切」といった多少精神論的な面もあったりしますが、この一冊でまずプロジェクトマネジメントの「あるべき姿」を理解することができます。

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『恋愛小説』/川上弘美・小池真理子・篠田節子・乃南アサ・よしもとばなな

4101208069 恋愛小説
川上 弘美 新潮社
新潮社  2007-02

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 『天頂より少し下って』/川上弘美
 「あたしがこの世に生んじゃったせいで、あんたも恋愛とか失恋とかいろいろ厄介なことを始める羽目になったんだよね。ごめん。」この一文にびっくり。最近、『僕のなかの壊れていない部分』を読んで、「女性は、いずれ不幸になる運命を背負わせて新たな生を産むことに何の罪悪感も感じていない」というようなことが書かれているのを、「これは男でしか考えないことだろう」と思っていたから。

 『夏の吐息』/小池真理子
 「どちらか一つが本当のあなたで、もう一つはあなたという男の仮面をかぶった別の人間だったのではないか、などと考えてしまうのです。」これは反対に、女性でしか考えないことだろうなあ。人は辻褄のあうことばかりじゃない。特に男は。どうしていくつもの人間性を持つことをそのまま受け入れてはもらえないのだろう?

 『夜のジンファンデル』/篠田節子
 大人の物語、と言ってしまえばそれまでだけれど、踏み込まない切なさは上品。上品だけれど、その相手が俗物だったことに失望して、失望したのに…という展開がちょっとばたばたしてる気がします。そこはあんまり胸に響かなかった。

 『アンバランス』/乃南アサ
 このすれ違いはあるでしょう!あるある!!この手の話がハッピーエンドで終わることの是非はあると思うけれど、このすれ違いの苦々しさを感じるためだけでも読む価値あり。

 『アーティチョーク』/よしもとばなな
 よしもとばなならしい作品。前半、直接的な「恋愛」ではない物語-祖父への回顧-が面々と続き、途中から恋人との別れの話に展開する。そこに、今この一瞬は二度と戻ってはこないから一瞬を大切にしようというよしもとばななの哲学が入って、恋人との別れをどう決着するのかというラストシーンに流れ込む。これをハッピーエンドというのかどうか判らないけれど、恋愛の複雑で豊穣な余韻をいちばん残してくれると思います。

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2007/03/05

『欲しいのは、あなただけ』文庫版/小手鞠 るい

410130971X 欲しいのは、あなただけ
小手鞠 るい
新潮社  2007-02

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 超名作『欲しいのは、あなただけ』の文庫版が出ました!!

 現代作家の恋愛小説では五本の指に入ると思います!!

 文庫本でより多くの人に読んでほしい!!

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2007/03/04

『空と海のであう場所』/小手鞠るい

4591094375 空と海のであう場所
小手鞠 るい
ポプラ社  2006-10

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 中一の夏休みに施設で出会ったアラシと葉っぱの、別れと邂逅の物語。

 僕は『欲しいのは、あなただけ』で小手鞠るいにハマったので、この『空と海のであう場所』のようなタイプの作品は、温くてで少し食い足りない感じ。小説の中で作家や物語が扱われるのもあまり好きではなくて、少し冷めたりもしたんですが、そこはリアルな描写が持ち味で、この一節は痛かったです。

 …

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2006/09/30

『美しい国へ』/安倍晋三

4166605240 美しい国へ
安倍 晋三
文藝春秋  2006-07

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 「自明」「当然」「普通」と言った論法が多過ぎる。それが最も暴力的で差別的な可能性を持つことに、なぜ気づかない人がこんなにも多いのだろうか?「~なんだから」「~らしく」という決め付けに警戒心を持てる能力はもうないのだろうか?

 現代日本の諸問題に対して、安倍自身が含まれる「団塊直後の世代」が何をして『こなかった』のか、という反省が一切記されていない。現代日本の 諸問題は、…

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