2017/04/30

『データサイエンティストの秘密ノート 35の失敗事例と克服法』/高橋威知郎 白石卓也 清水景絵

4797389621 データサイエンティストの秘密ノート 35の失敗事例と克服法
高橋 威知郎 白石 卓也 清水 景絵
SBクリエイティブ  2016-11-12

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「データサイエンティスト」という職種に向けて書かれているけれど、これはほとんど「プリセールス」フェーズにそのまま適用可能、というかプリセールスそのもので、更に言うと「提案」活動全般にそのまま応用できる、非常に有用な本でした。わかっている(つもりの)ことも、クリアに文字化されて、より理解が深まります。もちろん、タイトル通りの「データサイエンティストにとってのアンチパターン本」として非常に読み応えがあります。これだけの失敗事例を取りまとめ、かつ、対策を明示しきった本は、データサイエンティスト向けにかぎらずなかなかないと思います。

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2017/02/12

『政治が危ない』/御厨貴 芹川洋一

政治が危ない
政治が危ない 御厨 貴 芹川 洋一

日本経済新聞出版社  2016-11-25
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  • 自民党の憲法改正第二次草案の第24条の話。家族条項は、社会統制・思想統制的な怖さとは別に、社会保障を国民側に押し付けて、社会保障の崩壊の責任から免れようとする勢力が加担していることを忘れてはならない。なまじ「綺麗事」なので表層だけで受け入れる層が満遍なく現れてしまう。
  • 日本は明治維新からテロ続発の国だった。
  • 政党は特定の集団の利益代表なので、国という視点を持ち出されると倒されやすいというのは目から鱗だった。
  • 安倍が後継者を考えていない、「やってる感」でしかない、2020年以降はどうでもいい、というのも目から鱗。
  • 格差の問題。

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2017/02/05

『ホワット・ア・うーまんめいど ある映像作家の自伝』/出光真子

4000021087 ホワット・ア・うーまんめいど ある映像作家の自伝
出光 真子
岩波書店  2003-06-28


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  • 『海賊と呼ばれた男』が例によってもてはやされそうなので、そんな人物ではないというのを見聞したことがあって、その参考書籍で挙げられていた実子の著書をちゃんと読んでみようと手に取った。「そんな人物ではない」の実例としては、「社会党委員長の浅沼稲次郎が、演壇で右翼の一少年山口二矢に刺殺された事件について、父は犯人の山口二矢をほめたたえた」と「父の口癖、「女、子どもには分からない」」の二箇所を挙げれば十分だと思う。
  • かつてのアメリカが、かつての日本なみに妻が夫のホスト役だったこと。毎度毎度だが、「アメリカ的な」「日本的な」の無意味さを思う。
  • そして、著者が女性の権利に執着しているように見えるのも、実は女性に特有のことでもないし、日本に特有のことでもないよ、と逆説的に思えてくる。
  • ただ、最終章のストーカーまがいの輩に対する徹底抗戦の姿勢は絶対的に肯定されるべきものと思う。
  • それにしても、一定以上の社会的地位と言うか経済環境と言うか、そういう層に暮らす人達の家庭感というか性観念というかはなんでこんなに常軌を逸してるんだろう。

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2017/02/04

『<インターネット>の次に来るものー未来を決める12の法則』/ケヴィン・ケリー

4140817046 〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則
ケヴィン・ケリー 服部 桂
NHK出版  2016-07-23


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  • 一番印象に残ったのは"FILTERING"。少し他の章と混同しているかもしれないけれど、情報は複製容易ということもあり今以上にどんどん流れるようになり、もはやストック仕切れないものとなり、今眼前に現れた情報だけが知覚の対象となるようになる。そうなると、何を選ぶかというより何を選ばないか(FILTER)が重要となり、そのフィルタが個人の個性そのものとして認識されるようになるだろう、という説。
  • ACCESSINGは、デジタル・トランスフォーメーションと業界で言われていることの具体的な理解ができるようになったと思う。
  • 情報が圧倒的な量になりその希少性がなくなったとき、価値があがるのが人間が注意を払っているという情報。
  • 答えの質量ともに飽和した世界では、質問の仕方ーQuestioningが最大のちからを持つ。

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2017/01/09

『YKK秘録』/山崎拓

4062202123 YKK秘録
山崎 拓
講談社  2016-07-20


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  • 1991年の政治改革関連法案、永田町を少しでもクリアにしようと政治家自らが議論している、とまでは思っていなかったが嫌々ながらも何か行動はするものなのだと理解していたが、「政治改革」という題目ですら国民のほうは全く見ていなかったんだなあと慨嘆する。
  • 何かあればしょっちゅう氏家齊一郎と渡辺恒雄と会っていて、政治家ってそんなもんなんだと薄々そう思ってはいることだけどこうもおおっぴらに書かれるとなんというか呆れることもできない。安倍政権が会食で云々と言われているが、その是非と程度がこれまでと比べてどうなのかわからないけれど、あそこまで表沙汰にされる分今までよりましなんじゃないかと思ってしまうくらい。
  • とにかくこれだけ会食してればそりゃカネもかかるだろう。これくらいのカネは当然と思っているところがやっぱり麻痺している。とにかく日本は内緒話をしないと進まないプロセスが多過ぎるのだと思う。山崎拓も結局はボンボンなのだ。
  • 『日本会議の研究』を読んでなければ、村上正邦って誰だろう?と思っていた。
  • 中曽根の「われわれの世代は戦争経験を持っている。国家が体中に入っている。だから責任感がある」という言葉に打ち勝てなければならない。
  • 1997年から、米国は日本の集団的自衛権行使実現に向けて行動していたということ。
  • ベーカー国務大使が山崎拓の選挙敗北を予想できた理由と予想しなければいけなかった理由。

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2017/01/08

『テロルの真犯人』/加藤紘一

4062137380 テロルの真犯人
加藤 紘一
講談社  2006-12-19

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改憲・安保法制に始まり日本会議周辺の読書を続ける中で知った一冊。2006年ということは10年前で、10年前の時点ですでにこんなにも状況は悪くなっていたということに驚くとともに自分の意識の低さを恥じる。

一番のポイントだったのは、2006年7月20日付けの日経新聞の昭和天皇発言メモに関する部分。これは私もよく覚えている。元宮内庁長官・富田朝彦氏のメモで、昭和天皇が東條英機らA級戦犯の靖国神社合祀に明確に不快感を示し、そのあとで、「それが私の心だ」と述べられたというメモ。まず、実際にそれ以降昭和天皇は靖国神社を参拝していないことからメモの内容は正しいと思えるので、これを捏造と言う側のほうが何らかの意図を持っていると考えるのが自然。次に、靖国神社そのものの性格で、靖国神社を擁護するポジションの人々は、日本人の国民性には亡くなった方はその立場の違いや考えの違いに関わらず「英霊」として崇敬する精神があるというが、”靖国神社は政府軍、官軍、与党軍のための神社である。つまり、同じ日本人の戦死者でありながら、時の政府側すなわち天皇陛下の側に敵対した戦死者は排除されている”(p208)のであり、決してすべての戦死者を均しく扱っていない。むしろ、「太平洋戦争での犠牲戦死者」を祀っていることを言わば「人質」にとり、強硬にA級戦犯を合祀して話を混濁させているだけだと思う。おまけに、その「敵味方の線を引く」基準である天皇陛下の意向は無視する。

ニクソン訪中の際、事前にその情報を伝えられなかった理由を「日本は機密を守れない国である」と言われたトラウマが、特定秘密保護法の遠因なのかもしれないが、日本の政治のおよそ汚いところは、そういう切実な要件を利用して国民の権利をなんとか制限しようと働くところ。「日本の価値の混迷をもたらしたのは、明治維新そのもの」(p231)という観点は思った以上に重要。

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2017/01/02

『外資系経営人材開発コンサルが教える 役員になる課長の仕事力 グローバル時代に備える思考術・行動術』/綱島 邦夫

4820719327 外資系経営人材開発コンサルが教える 役員になる課長の仕事力 グローバル時代に備える思考術・行動術
綱島 邦夫
日本能率協会マネジメントセンター  2015-08-29

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 本著を探し出すに至った経緯はけして昇進の野心によるものではなく、むしろほぼその機会が永久に失われたという現実を受け入れられたので、その世界の一般常識としてどういう事柄が昇進に必要とされていたのか、というのを知ろうと思ったからだった。
 自分にとっての最大のポイントは「組織マネジメント力」だった。自分が敢えて「組織マネジメント力」から距離を置いていたことがよくわかった。逆に、本著で「組織マネジメント力」がどういう要素に分解でき、それを伸ばすためにどういった行動が必要かということも理解できた。現状の自分にその活用を当てはめた場合の課題は、やはり制約が大きすぎて、組織編制に関しては何もできないというところと、数値主義に傾き過ぎていて能力を伸ばすというカルチャーを醸成すること自体がチャレンジということだろう。
 PDCAとPOIMの違いは常に意識することになると思うし、ステージや舞台が変わったとしても頭の中にいつも入れておこうと思う。

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2016/07/21

『日本会議の研究』/菅野完

4594074766 日本会議の研究 (扶桑社新書)
菅野 完
扶桑社  2016-04-30

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 一番判らないのは、日本会議はなぜ天皇統治を実現する憲法改正を掲げないのか、ということだった。彼らの情熱が、(あるのかないのか判らない)「古来伝統の日本」の復活を目指すというなら、その姿は天皇による統治でしかないと思う。それもちょっとよく考えてみると、実際に天皇が政治を行っていたのって何時代までだっけ・・・?となるのだけど、それでも「古来伝統の日本」と言い、神道の世界観を持ち出すなら、やはりその「古来伝統の日本」の姿は天皇による統治国家で間違っていないと思う。

 だけど、日本会議が執心しているのは優先度から順に、緊急事態条項の追加、家族条項の追加、自衛隊の国軍化となっていて、基本的人権の制限等々重大な問題があるにせよ、天皇主権は見当たらない。つまり、「古来伝統の日本」とか神道とかを担ぎ出すけれども、目指したいのは天皇の権威だけを利用した明治の統治体系であり、大日本帝国憲法の復活で、彼らが目指しているのは「古来伝統の日本の復元」でも何でもなく、大日本帝国憲法の復活による独裁政権体制なのだ。

 安東巌のように、「谷口雅治先生はこう言っている・・・」と他人の権威を間接話法で利用するスタンスは、直接自分の言葉で語らないその理由を考えるとわかるように、必ず悪意を伴っている。自分の言葉で語らないのは、責任を負いたくないからであり、自分の言葉では他人を動かすことのできない卑小な言葉しか持ち合わせないからだ。摂関政治から始まる、天皇の威を利用する政治のように、誰かの言葉を利用するスタンスは悪意に満ちている。正面切って行動できない目的を達成するために他人の権威を借りるのだ。だから日本会議も、天皇を元首に留めて、天皇を主権とせず「権威を利用できる対象」に留めて独裁体制を実現したいのだ。第一、他人の言葉の借用は、その解釈はどうにでもできるから絶対に単純肯定してはいけないものなのだ。ちょうど、日本会議の支援を受けている現内閣が解釈改憲という手段を実際に行使したじゃないか。

 しかし、安東巌しかり伊藤哲夫しかり百地章しかり椛島有三しかり、家族家族というけれど自分たちは家族をどれだけ大切にしているのだろう。そもそも、天皇主権なのかどうなのかに考えが及んだけれど、彼らの改憲への情熱はそんな高尚なものではなくて、学生運動の時代に日陰を歩んだ怨恨、日本国憲法が定める自由を謳歌できなかった、いわばイケてるグループに入り込めなかったイケてない連中が、その悔しさやるせなさを晴らしたくて、自分たちが慣れ親しんでいてシンパシーを感じる大日本帝国憲法を復活させたい、と思っているだけだと思う。

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2016/04/03

『物を作って生きるには ―23人のMaker Proが語る仕事と生活』/編=John Baichtal・訳=野中モモ

487311747X 物を作って生きるには ―23人のMaker Proが語る仕事と生活 (Make:Japan Books)
John Baichtal
オライリージャパン  2015-12-26

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「メイカームーブメント」がどういうことなのか、を正確に教えてくれる良書でした。世間のニュース等だけに触れていると、どうしても3Dプリンタのキャズム越えと「誰もが製造者になれるユートピアがやってくる!」的なイメージをメイカームーブメントに持ってしまうのですが、単純に考えて誰もが製造者になったら誰も消費者にならない訳だし、雇用の概念が消失するし、それって全然ユートピアじゃないよ、だからそんな世の中来ないんじゃない?という疑問を持って本著を読むのは非常に有意義でした。

本著が教えてくれたのは、先駆者である「メイカー」は、至って一般的な、現在存在する企業の経営と同じ考え方で活動していて、現在のメイカームーブメントの本質は、それが非常にクイックに小規模で継続できるようになった、というところ。それは中国などアジアが負うところが大きくて、必要なパーツを、個人事業として必要なロット数でクイックに入手することもできるし、事業がスケールしてさらに大量なロットが必要になったときに、その規模に対応できるサプライヤからこれまたクイックに調達することもできる環境になった。これはとりもなおさずインターネットの効用。こういった動き方は日本の場合、中小製造業はかねてから得意だったと思う。逆にそういう動きについていけないいわゆる大企業もあったと思う。だから、ある意味では日本ではすでにメイカームーブメントは高度成長期にあったとも言える。現代は企業が難しい社会環境になっているので、日本ではメイカームーブメントが大きくなりにくいのかも。

そのあたりも、DMM.make等のインタビューレポートで、日本の事情も抑えているところ、本当に読み甲斐のある一冊です。

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2016/01/01

『ふなふな船橋』/吉本ばなな

4022513098 ふなふな船橋
吉本ばなな
朝日新聞出版  2015-10-07

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何といえば良いのか凄く難しい。リアリティのあるオカルティックストーリーテリングとしては、『N.P』のような初期の作品ほどのパワーを感じることはできなかったし、全体的に密度が薄いというか、イベントが起きた際のそのイベントの突拍子もなさで一気にテンションが上がる場面と、そうでない場面との密度・落差が大きくて、どっぷり浸れた、という読後感ではありません。ましてやふなっしーなんてとてもポップなキャラクターを主軸に据えて、まるで「船橋マーケット」は手堅く抑えて、というマーケティングを見てしまったり。

けれどこの物語では、ふなっしーは重要な意味がある。主人公の花と、別れた恋人俊介は、現代の日本の資本主義経済下の二つの典型的なスタンスを代表していて、俊介は老舗のそば屋の跡取り息子でいわゆるエスタブリッシュメント、花は小さいけれど文化的な熱意を持った書店の店長でつまり小商い。一度振られた花が、復縁を申し込まれた俊介を、迷いに迷った果てに逆に袖にする。俊介は花と別れて別の女性と付き合っているけれど、その女性に「1か月だけ自由にしてほしい」と言って君に会いに来た、という。それはつまり、「滑り止め」の保険としてその女性はキープされている、ということで、その用意周到さもエスタブリッシュメントの特徴と言える。それに対して花は「「なんのために」とか「どうなるために」がない人たち」が良い、と言う。この二人のスタンスの違いを象徴しているのがふなっしーで、花にとってはふなっしーは心の拠り所となる大切な存在だけれど(そしてなんであれ人の心にはその人が納得できる心の拠り所が必要なのだと語る)、俊介にとってふなっしーは藤子不二雄などの物語キャラクターに比すると「格が違う」ということになる。人の心の拠り所はそれぞれに個人的なもので、だから較べることでしか現れない「格」など無関係なのだが、エスタブリッシュメントはその考え方を受け入れる訳にはいかない。それを受け入れることはエスタブリッシュメントの存在基盤を脅かすからだ。

問題は、この小説がそうした「小さなお金で生きている人たち」に力を与えられる小説か、ということだ。そうした生き方にこそ、お金に対する正しいスキルが必要で、だから花も「経理の勉強をして店長になった」というような描写がある訳だけど、この小説が、果たしてそういう生き方を志そうという人を増やす力を持っているかと言われると、考え込んでしまう。そういう生き方をして苦しんで傷ついた人を癒す力は持っていると思うけれど、そういう生き方を選ぶ人を増やして世の中を変えていくような力は持っていないんじゃないか、そもそもそれは志向していないんじゃないだろうかこの小説は、とそんな風に思ってなかなか難しいと思ったのでした。

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2015/12/06

『服従』/ミシェル・ウェルベック

4309206786 服従
ミシェル ウエルベック 佐藤優
河出書房新社  2015-09-11

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今年の始め、「今年は宗教について読まなければいけない」と思い、大して読めないまま、今年最後の読書になるかもしれないと思う『服従』が強烈に宗教(と政治)を考えさせる一冊だった。

2017年(以降?)のフランスで、イスラーム同胞党が与党となり、フランスがイスラームの国へと変容する。そこに至るのは、極右政党国民戦線が得票率首位の中、UMP・民主独立連合・社会党が「拡大共和戦線」を立ち上げ、イスラーム同胞党を支持し、イスラーム同胞党が大統領を輩出する、という流れ。つまり、極右とイスラーム、どちらを「否定」すべきか、という問いの答えとして、「イスラーム」が選ばれたのだ。イスラームの政策主張は一点、教育に関してだった。

男尊女卑、一夫多妻、貧富の差拡大、家族主義。そして何より大学はイスラーム信者でなければならない。みないわゆる「前近代的」なイメージがするのに、登場人物はみなそのイスラーム化したフランスに不都合を感じているようではない。これでいいではないか、と言わんばかり。もちろん世界にはイスラームの教えに則って運営されている国があり、その国の国民が文字通り「不自由」で不幸な生活なのかと言うとけしてそうとばかりは言えず、豊かとは言えずとも心満ち足りた生活を送っていることだってあり得るだろう。であれば、フランスだってイスラームを選択しても何らおかしくはない、ということ。そこには「貧富の差が拡大」するという、為政者がそうだと認める事象があるけれども、行ってみれば人間中心主義の近代ヨーロッパにしても、芸術文化の力を開花させることができたのはそのシステムの中での著しい富の集中だった。であれば、貧富の差が拡大する社会の中にあっても、貧困層が不満を感じないシステムのほうがより優れたシステムではないのか。

しかしそれは「服従」が可能にするシステムだ。「服従」はなんら問題を孕まない姿勢なのか。それはかつての極右の変形を新たに生産することはないのだろうか。11/13の日経ビジネスオンラインの「ア・ピース・オブ・警句」の「安倍政権支持率回復の理由」で、”具体的には、「自分でない誰か」に決断を丸投げにしたい欲望を抱いたということだ。”という一文を読んだところだった。

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2015/11/04

『偶然の科学』/ダンカン・ワッツ

4152092718 偶然の科学
ダンカン・ワッツ Duncan J. Watts
早川書房  2012-01-25

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経営戦略全史』の終盤に出てきて気になったので。気になったポイントは「過去から学ばない」「結果だけで見ない」という論旨と、『偶然の科学』というタイトル。『偶然の科学』というタイトルからは『偶然とは何か』のような内容を想像したけれど、偶然そのものを科学するというよりも、社会学において事象はほぼ偶然なんだよ、という意味に取れた。だから、「過去から学ばない」「結果だけで見ない」。人間は現在の事象について、過去からの因果関係で、それが必然だとして説明したがるけれども、物理学などと違い、一度きりしか起こらない社会現象について、それが過去の出来事群からの因果と証明することはできないし、多様な出来事のすべてを考慮することもできない、だから、起きたことはすべて「偶然」であり、「過去から学ばない」のが最善の戦略であると述べる。

これは「計画」を捨て去るという点で、今までの自分の生き方を大きく転換しなければならず、少なくない心理的抵抗がある。計画性はこれまで人間性の重要な一要素と信じて疑わなかったところ、「柔軟性」の元に、当初計画をどんどん変更していくのが最善なのだ、ということだから。これは頭では判っていても、「とにかくやってみりゃいい」式の「いい加減さ」を受け入れがたい人間にとってはかなりハードルの高い転換。不確実性の名の下に朝令暮改を繰り返すことを是とした風潮を思い出す。

ここで必要になるのも、やはり「何のためにそのスタンスを取るのか」という目的意識であり倫理観であり道徳観だ。なぜ、細かい軌道修正を繰り返すのか?その答えの先に、受け入れられる土壌がある。

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2015/10/12

『ビジネスモデル全史』/三谷宏治

4799315633 ビジネスモデル全史 (ディスカヴァー・レボリューションズ)
三谷宏治
ディスカヴァー・トゥエンティワン  2014-09-18


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  • 金融。両替商が為替業の元祖、くらいの理解しかできていなかった。直接決済の時間差決済というビジネスモデル、ということを認識したが、完全には理解できていない。
  • 「神の御技である芸術家を支援すること」ジョバンニ・ディ・ヴィッチ。社会的地位をあげるための有効な手段がパトロネージュ。パトロンの理解。芸術を愛しているからではない。
  • A&P、百貨店、GMS、CVS、大規模店の「売り方」ビジネスモデルの変遷が難しい!チェーンと百貨店くらいまでは直感的に理解できるけれど、GMSと大規模店は自分の言葉で説明できない。
  • 行動主義』を読んだ際、「今年は去年と、来年は今年と異なる洋服を纏いたいと思うものだ」と、変化したい欲望を自然なものと断定していたけど、それはGMが開発したビジネスモデルと知り、消費資本主義という言葉がようやく理解できたと思う。
  • オークネットとリンカーズ。恥ずかしながら日本の革新的ビジネスモデル開発企業を知りませんでした。もう少し調べて知識を増やしておきたいです。
  • 「そのヒマこそがわれわれヒトの本質なのです」ここにも暇倫

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2015/10/11

『HHhH(プラハ、1942年)』/ローラン・ビネ

4488016553 HHhH (プラハ、1942年) (海外文学セレクション)
ローラン・ビネ 高橋 啓
東京創元社  2013-06-28


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自分は本当に何も知らないのだなあと打ちひしがされた一冊です。

Himmlers Hirn heiβt Heydrich. タイトルの『HHhH』はこの文章の略で、意味は「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」。この小説は、ナチのユダヤ人大量虐殺の首謀者・責任者のハイドリヒを、ロンドンに亡命したチェコ政府が暗殺を企図した史実に基づいて描かれています。まずヒムラーもハイドリヒも知らなかったし、チェコ政府がロンドンに亡命したことも知らなかったし、ナチの重要人物を暗殺しようという計画とその実行も知らなかったし、リディツェも知りませんでした。『ソハの地下水道』を読んだときも思いましたが、ナチが猛威を振るっていたあの時代に、市民レベルで抵抗を続けていた事実が、ポーランドやチェコやハンガリーには存在するという事実が自分には理解を超えていて咀嚼することができないくらいです。ローラン・ビネは小説の終盤で、「こういう人たちにこそ敬意を払うべきだと一所懸命頑張りすぎた」と述懐します。ハイドリヒ暗殺計画である類人猿作戦の存在すら知らなかった私にとってはガブチークとクビシュが暗殺実行のために躍動する様とその胸の内模様はもちろん衝撃的過ぎてただただ茫然と読み進めるしかなかったのですが、そのガブチークとクビシュを支援する一般市民達が、一般市民であるが故に同じ一般市民である自分の胸にどうしようもないくらい深い深い釘を刺していきます。「お前ならどうするか?」という。

我々日本は、その暴力に対し、自分たちで抵抗することができなかった歴史を持っている国です。その事実を小説として、もしくはドキュメントとしてでも、あるいはニュースの中ででも描くときに、ビネのこの言葉は思い起こされるべきだと思います。

ありうるということと、まぎれもない事実であることは違う

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2015/09/24

『職業としての小説家』/村上春樹

4884184432 職業としての小説家 (Switch library)
村上春樹
スイッチパブリッシング  2015-09-10


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紀伊国屋が買い占めたことで話題になった本著。私は迷わずamazonで買いました。発売日翌日には手元にありました。

タイトル通り、著者が「職業として」小説家をどのように遂行しているかをかなり詳細に記述してくれています。通常、ある職業の人が自分の職業について解説すると、とりわけ小説家が解説すると、それ以降の仕事の内容が、小説家で言うと小説の言葉が「痩せる」ように何とはなしに思っているのですが、著者に関して言うとそれはないように思いました。何故かというと、そういう危険性について言及していて、すでに予測した上で思考されているからです。

「職業としての」小説家という切り口で一番印象に残ったのは、「ダイナミックな経験がなくても小説は書ける」というくだりです。これが日本だけのことなのか、世界的にもそうなのかわからないけれど(きっと世界的にもそうなのだと思う、ヘミングウェイの例を引いていたから)、無頼派という言葉もあるように、小説家は何か世間の常識から外れたような生活をしていなければいけないという思い込みがあるように思います。もう少し言うと、そういう時代があったようです。これは小説家だけじゃなくて、プロ野球選手なんかでもそういう類の武勇伝が語られることが多々ありますし(前の晩朝まで深酒してても翌日ホームランを打ったとかそういう類)、そういうスタイルがそれなりの結果を出すことができる特殊な職業と社会状況だった時代があったということなんでしょう。

いや、スポーツ選手や芸術家だけでなく、実はサラリーマンもそうなのかも知れません。私が就職してサラリーマンを始めた1995年でも、まだそういう「豪放」な文化というのは残っていた気がしますし、私にもなんとなくそういうものを楽し気というか、心を浮つかせるものに感じる気風はかすかに残されています。けれども、成果を出すスタンスとしてのそれは今や主流ではなくなりつつあります。そういう意味では、現代は真摯に追及することが成果に結びつけられる時代に近づいているのかも知れません。

その一方で、オレオレ詐欺のような、労力の割りに見返りの大きい不正や、不正でなくとも簡単に高収入を得られるような誘い文句の乱舞ぶりはより酷いものになっているように思います。そういった、破壊力の大きい暴力によって、真摯さが壊されることが現代の最大の脅威ではないかと思います。それに対しても、著者は答えを二つ提示してくれていると私は思ってます。

p157「「時間によって勝ち得たものは、時間が証明してくれるはずだ」と信じているからです」

p212「「効率」という、短絡した危険な価値観に対抗できる、自由な思考と発想の軸を、個人の中に打ち立てなくてはなりません。そしてその軸を、共同体=コミュニティーへと伸ばしていかなくてはなりません

この二点。時間をどのように使っていくのか。どのようにペースを刻むのか。この点をしっかり意識して感が続けたいと思います。

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2015/09/06

『ロジ・コミックス ラッセルとめぐる論理哲学入門』/アポストロス・ドクシアディス,クリストス・パパディミトリウ,アレコス・パパダトス,アニー・ディ・ドンナ

448084306X ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 (単行本)
アポストロス ドクシアディス クリストス パパディミトリウ アレコス パパダトス アニー ディ・ドンナ 高村 夏輝
筑摩書房  2015-07-23


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 「論理で世界を理解することはできないかもしれない。それでも論理は人間が世界と向き合うための、最も強力な道具である」。ラッセルが科学という論理に一度絶望しているからこそ、この言葉に力強さが籠るのだと思う。ラッセルはラッセルのパラドックスによってフレーゲに対して、そのラッセル(直接にはフォン・ノイマン)はゲーデルの不完全性定理によって、そして弟子のウィトゲンシュタインは戦場という極限状態によって、論理に絶望する。とりわけ不完全性定理と、ウィトゲンシュタインが戦場で至った境地ー「世界の意味は、世界の内にしか存在しない」の共通性は、こうやって書くだけで自分も絶望の淵に成すすべなく落ちてしまいそう。もちろんここにはラッセルのパラドックスも連想させるものもある。

 どんな体系をもってしても、必然的に不完全であり、解答不可能な問題が必ず存在する。日常の生活に照らし合わせてみればこんな当たり前のことはないのに、論理の上での話になるとこれほど絶望を感じるのは、人は論理にそれほどまでの力を期待してやまないということなのか。しかし、既に「解答不可能な問題が必ず存在する」とすでに発見された後の世界に住んでいる我々は、「それでも論理は人間が世界に向き合うための、最も強力な道具である」という言葉を忘れずに生きていかないといけない。

 もう一つ、本著で学べたことが、アメリカの「孤立主義」。1939年、アメリカ国民は世界大戦への参戦に反対する国民が大多数だったということ。本著での言葉ではあるけれど、国民が持つプラカードのひとつに、「やるべきことは国内にある」「国外で死ぬのはごめんだ」と書かれている。この姿勢は、現代日本で安保法案に反対する姿勢と、類似すると見ることもできる。

 現実にはアメリカは参戦し、戦後は世界の警察の役割を自任するようになり、その役割から降りようとしているのが現在言われていること。本著ではアメリカ国民が「孤立主義」であったその当時、ラッセルが公演において、ナチと戦うためにアメリカに参戦を呼びかけるような演説をしたと描かれている。

だがこれだけは申し上げておきたい、この部屋にいる皆さんと同様、私も懸命に平和主義者でいようと努めています。しかし、ヒトラーとスターリンに欧州を支配されるのは、どうしても耐え難い!

 現代において、ヒトラーとスターリンに匹敵するような脅威が存在している、または出現する可能性があるということで、積極的に海外に軍事力を展開可能とする、ということを、本著のラッセルの演説から導けるのか?本著はこれに対してラッセルにこう答えさせている:

あなたの答えは?

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2015/08/22

『HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか』/ベン ホロウィッツ

HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか
HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか ベン ホロウィッツ 滑川 海彦

日経BP社  2015-04-17
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「答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか」というサブタイトルと相まって、かなり多くのビジネス誌やビジネス書書評で取り上げられているが、これは企業家・創業CEOにとって該当するところの多い知見の書であって、一般ビジネスマン・一般サラリーマンが参考にできる点はそれほど多くないと思います。もちろん「立ち向かう」という精神スタンスは見習うべきものですが、成功を収めた企業経験から来る実践的アドバイスのうち、少なく見積もっても半分くらいはCEOでなければあまり生かしようのないアドバイスだと思います。本著内で「平時のCEO、戦時のCEO」と場合訳しているように、一般ビジネスマン・一般サラリーマンは自分に活かせるアドバイスを取捨選択するスキルは必要と思います。

それだけにCEOの激務さ辛さ加減が他の書籍より生々しく伝わってきます。本著から最も繰り返し聞かされるアドバイスは、「会社にも人間にも、そのステージそのステージで相応しいやり方があり、それを見極めないといけない」ということと、「必死になってやれ」ということ。差は、やることでしかつけられない。

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2015/05/31

『遠いつぶやき』/池上哲司

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奈良県立図書情報館乾さん が、『不可思議な日常』を真面目に読んでくれたので、ということで、特別に送ってくださった『遠いつぶやき』。乾さんが編集を担当されたということで、正直「編集」という作業がどういう作業なのか未だに実感できていないけれども、これは初回はまず一気に読んで全体的な感想を持って、それからひとつひとつを丁寧に読みたいなと思い、頂戴したのがGW連休前だったので、まず連休中に時間を取って一気に読み終えました。

読後感で頭に残されているもので一番大きなものは、「道筋立てることの虚しさ」みたいなもの。私はシステムエンジニアとしてお客様に提案をする仕事をしているので、原則ロジカルに筋道を立てた説明が必ず必要となる仕事をしています。池上さんの書かれたものというのは、『不可思議な日常』を読んだときも感じたことで、他の哲学者の書かれたものに比べて、筋道の積み上げ型が丁寧で細かくて強固に感じます。他の哲学者(特に海外のーそれは翻訳でしか読めないからかも知れませんが)のは、生み出したこれまでにない新しい「概念」に寄りかかるというか、誰でもわかる言葉で積み上げた結果、説明しうる一つの結論に辿り着く、という印象に薄いのです。池上さんの文章は、およそ誰でも理解できる言葉とロジックをこつこつ積み上げる思索を追うことができるのですが、そういうスタイルというかプロセスというか、それを最近の世の中があまり聞く耳を持とうとしないように感じていることを逆に思いださせて虚しさを覚えるのでした。私の仕事でも決してロジカルであることでお客様が受け入れてくれる訳ではないですが、その程度が年々ひどくなってきている気がします。何か「飛び道具」を求めているというか、いつの間にか日常語になってしまった「サプライズ」がないといけないというか。それも確かに認めないといけないのですが、そこもバランスと程度があると思うのです。そしてシステム提案についてだけでなく、日常生活においても、筋が通っていることを許容しようとしない空気が蔓延しています。どれだけ感情的に受け入れづらくても、筋が通っている以上いったん腹に落とさなければいけない、という、「大人の姿勢」というのはどんどん忘れられていっているように思います。池上さんの書かれた文章の背景は、そういうものを浮き彫りにします。

この読後感を大事にしながら、今度はひとつひとつをじっくり読んで考えてみようと思います。

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2015/03/07

『沈黙』/遠藤周作

4101123152 沈黙 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社  1981-10-19

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フェレイラの棄教の理由について。直接的には拷問を受ける信者が、自分が棄教しなければ助からないという状況において、神に祈ったものの沈黙を通されたので棄教したと言っている。その一方、フェレイラは日本人の基督信仰において神は教会の神ではなく、日本人の都合のいいように屈折させられた別物の神であり、日本には基督教は根付かなかったし根付きようがないと言っている。しかし、信者およびフェレイラが拷問を受けるような状況に陥ったのは日本人が基督教を正しく理解しなかったからというよりは、日本の権力側政治側の都合の問題で、信者がどのように信じていようとも起きた拷問だったと言える。そう考えると、フェレイラの棄教に至る心境のプロセスは認めがたい。日本の信者の基督教が協会の基督教と異なると言い切るのであれば、信者の拷問に呵責を覚える必要はない。拷問を受けているのが信者であろうとなかろうと自分のせいであるならば救わなければならないというのであれば、棄教を選ぶことに躊躇いはないはず。フェレイラの日本における基督教の屈折化の説明は、とてもいい訳じみて聞こえる。

確かに、日本人は命を賭してまで守らなければいけない「信条」といったものをあまり持たない国民ではないかとは思う。ロドリゴは最後まで殉教について悩んだけれど、それは神が絶対だからであって、「神に祈る」という言葉の重さ自体、基督教信者と私との間ではとんでもなく大きく開いている。それでも、命を賭してまで守るものがあることが是か非かというのはとても注意して考えなければいけないことだと思う。それによって自分の命も他人の命も粗末にすることが、誰かの幸福につながることが決してないと思うから。

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2015/02/14

『時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?』/松岡真宏

479422088X 時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?
松岡 真宏
草思社  2014-11-20


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ITの浸透と進化によって、従来大きな価値を持ちえなかった「すきま時間」が価値を持てるようになった結果、今後、「時間」の価値がこれまで以上に大きくなる、それを「時間資本主義」と呼んで議論を展開しているのが本著。

「時間資本主義」という視点は薄々問題意識として持っていて、考えを深めることができていいタイミングで読めた。一方、このタイプの日本の書籍は大体、「サプライサイドの視点」-ビジネスを行う側が、時流をどう捉えれば今後自分たちは稼いでいけるのか、という視点で書かれていて、そういう時流となった結果、どのようなスタンスを取れば「社会」がより良くなるか、という視点がなく、本著も(時間資本主義で個人はどうふるまうべきかは書かれてはいるものの)あまりその視点はないところが残念。そのあたり、やはり先日読んだ『つながりっぱなしの日常を生きる』などは違うと改めて思う。

時間の使い方について、「効率化」という視点ではなく、「どれだけ自分が使いたいものに使える時間があるか」という視点。なので、従来からの富裕層はともかく、ホワイトカラーの高給層は今後そのポジションの維持のために「すきま時間」もすべて注ぎ込むことになり、「自分が使いたいもの」に使えないため生活の満足度は低下し、一方、現在のところ低所得者層と言われている層は、収入は少ないかも知れないが、「自分が使いたいもの」に使える時間は多いため満足度は高くなる。大雑把に言うと自分の理解はこのように纏まる。

問題意識は2点:

  • 公平性に関して。p97「銀行や市役所の窓口だって同じではないだろうか。あるいは病院の窓口も同様かもしれない。」「時間ごとにこの重要なパラメーターを合理的にいじることで、個々人の満足度を引き上げ、ひいては社会全体の厚生を引き上げることが可能になる」とあるが、特に福祉に関しては「格差」について慎重にならなければならないと思う。時間は再配分できないので、支払う額によって窓口対応のレスポンスに差をつけるというのは賛成できない。
  • ユニクロとバーニーズが引き合いに出され、富裕層は時間の重要性を理解しているので、定番品については選択する時間を極小化するために間違いのないユニクロを購入しているし、そのように決してユニクロは格差の象徴ではないと書かれているが(p114)、ユニクロとバーニーズ双方を楽しむ富裕層はいても、バーニーズを楽しむ低所得者層はいないので、この推論には問題がある。ただ、低所得者層でも月額1万円近く通信費に出費したり、高級ブランドに出費したりすることは確かになるので、そういう意味では格差が二極という捉え方が間違っているのかもしれない。低所得者層の中でも格差がある。

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2015/02/08

『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。』/カレン・フェラン

4479794336 申し訳ない、御社をつぶしたのは私です。
カレン・フェラン 神崎 朗子
大和書房  2014-03-26

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 木を見て森を見ずというのか、判らないことや未来のことを少しでも判ろうと精緻に精緻に分析し問題を定義し解決策を生み出し、というサイクルを回し続けた結果、トータルで恐ろしく失敗してました、ということをコンサルタントが詳細に具体的に語る一冊。

 自分の勤める会社が株主資本主義とコンサルタントを活用した経営の権化のような会社なので、最初から最後まで興味深く面白く読みました。インセンティブ制度とか、肌感覚的になんかおかしいよな、と思いつつも「成果主義」「実力主義」と言われると反論のロジックを組み立てられずもどかしくなるところを、明瞭に批判を加えられているところ等々、読みどころは数多いです。

 最もクリティカルだったのは、「現在、広く一般にはびこっている誤った考え方ー「数値データで計れないものは管理できない」(もちろん、できる!)」。肌感覚的になんかおかしいよな、と思いながらも既にすっかり洗脳されてしまっていた自分に気づいた瞬間。メトリックが必須、と言い切ってしまうと、その厳然たる姿勢、冷徹な響き、仮に数値が到達しなかった場合は己の責と受け止めると宣言しているような暗黙の了解、そういったものが入り混じって「プロフェッショナリズム」と錯覚してしまうが、数値は計測できるのは当たり前の話で、数値化できないものにどうトライしていくかのほうが遥かに困難で「プロフェッショナル」なのだ。

 本著も『仕事をつくる全技術』同様、具体策への落とし込みがきちんとあって、概念論で終わってません。特に「実験結果を見定める」と「結論を出す」と「ステップを繰り返す」の考え方は自分にとって重要と思った。PDCAサイクルとの差異を意識。実験結果と結論は違うものだということをよくよく理解する。ベストプラクティスの無効性にも繋がる。もう一つ興味深かったのはフランクリン・コヴィは無批判に登場したこと。全く触れていないので、一度読まないといけない。

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2015/02/07

『仕事をつくる全技術~トップ営業はこうして「稼げる案件」を生み出している』/大塚寿

仕事をつくる全技術~トップ営業はこうして「稼げる案件」を生み出している~
仕事をつくる全技術~トップ営業はこうして「稼げる案件」を生み出している~ 大塚 寿

大和書房  2014-09-14
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 本著と『申し訳ない、御社をつぶしたのは私です』は、確か別々の時期に何かの書評で知って興味を持って府立図書館に予約をしたところが結構待って二冊同時に順番が回ってきた。この2冊を同時に今読めたのは幸運でした。この2冊は突飛なところのない、非常にオーソドックスな仕事に対するスタンスを、丁寧かつ具体的なアクションリストに落とし込んで説明されているので、自分が如何に基本を蔑ろにしているかを反省したし、「ビジネスを生み出す」という大きそうに見えるチャレンジも実は基本の積み重ねによって生まれるものだということを理解できたし、常々自分が思っていることの裏付けを得れたので自信にもつながった。

 特に本著で言うと、”p229「組織には「TAKE&TAKE」な人を上にはいかせない自浄作用というガラスの天井がある」”と述べられる章があり、これは事実でもありある種前時代までは事実だったという幻想ということもできると思う。ただ、こういう認識を社会全体で持つことが、社会をよりよくしていくための土壌だと思う。そういう意味でも、たくさんの人に読まれたらいいなと思った一冊。

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2015/01/25

『つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの』/ダナ・ボイド

つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの
つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしたもの ダナ・ボイド 野中モモ

草思社  2014-10-09
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ティーンが、親が肩越しにSNSをしている画面を覗くことに対して不快感を示すという至って当たり前、だけど何でもかんでも法律やルールがなければ「できることはやっても問題ない」という世の中にあって、「この問題は技術的なアクセス状況がどうあれ、むしろ社会的行動規範とエチケットの問題」と明快に言葉で表現された箇所に少なからず感動した。できるからと言ってやるかどうかは、人間性を左右する。日本では、よくわからない因習やしきたりに悩まされた世代が、それらを一気に打ち破った時代と、アメリカ社会の特徴の一部である訴訟主義・ルール偏重が入り込んで、「できることはやっても問題ない」という風潮が蔓延したけれど、だからと言ってそれをやるかどうかは「社会的行動規範とエチケットの問題」なのだ。ここで気を付けないといけないのは、この「社会的行動規範とエチケット」を、時計の針を逆戻りさせ、旧式の権威主義を復活させる口上にしてはいけないということだ。新しい社会的行動規範とエチケットを志向するものでないといけない。

それにしても、至る所で「コンテクスト」ー文脈が登場することに驚きを禁じ得ない。そして、アメリカにおいて文脈に注目が集まる理由の一つが、本著では人種や格差として登場する。同質であることはレジリエンスにとっては有利だけれど、その分どうしても「文脈」が増えてしまう。日本はハイコンテクストと言われたが、アメリカもハイコンテクストに近づいている。

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2015/01/11

『新・戦争論』/池上彰・佐藤優

4166610007 新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)
池上 彰 佐藤 優
文藝春秋  2014-11-20

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 池上彰氏と佐藤勝氏の書籍は、衆院選前にどの書店に行っても目立つところに置かれていて、選挙前に読みたかったのだけれど果たせず、ようやく読めた第一冊目。

 民族・宗教の基礎知識に始まり、欧州・中東・朝鮮・中国・アメリカの現在の問題の読み解き方を対話形式で解説。情報の密度が高いので頭に入れるのに苦労しますが読みやすい文章なので読み進めるのに苦労することはありません。一歩踏み込んだ、戦略的な読み解き方をする技法をガイダンスしてくれるような内容です。

 最も印象に残ったのは第2章「まず民族と宗教を勉強しよう」の中で、佐藤氏が、イスラエルのネタニヤフの官房長を努めた知人の話を紹介しているところ。「国際情勢を見るときは、金持ちの動きを見る」という話。金持ちは、その時代その時代で、自分の資産を保全するための最善の策を模索し打っている。現代は、直接社会に還元するパイプを作ってしまっているので、再分配が偏るし国家も介在できない。この話は、ピケティの『資本論』に照らして考えられそう。もう一つ、ナショナリズムは社会的に持たざるものの上昇回路、という話は、富が集中し格差が拡大・固定した結果、社会的に持たざるものがナショナリズムによって先鋭化する、としても、今の日本の政治状況はナショナリズムが、格差拡大を志向する現政権を支える結果になっている、このメカニズムを考えるのも面白そう。

もう一つ、ピケティの解説書『トマ・ピケティ『21世紀の資本論』を30分で理解する!』でも、本著のあとがきでも、フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は間違いだった、と断定されているところに、日経新聞でフランシス・フクヤマがインタビューされていた。ちゃんと突き合せて考えてみよう。

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2015/01/01

『コンテキストの時代ーウェアラブルがもたらす次の10年』/ロバート・スコーブル シェル・イスラエル

4822250474 コンテキストの時代―ウェアラブルがもたらす次の10年
ロバート・スコーブル シェル・イスラエル 滑川 海彦
日経BP社  2014-09-20

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テクノロジーの進化がもたらす時代変化の予想はこれまで何冊も読んできたけれど、今回初めて「こうやって時代は作られていくんだなあ」というのを実感した一冊。こういった書籍は、予測と推測から導いた予想図を、予想ではなく確信として著されているのであって、その説得力が高ければ高いほど共鳴する人が多くなり、時代はその方向に進むということなのだと。株と似ている。

コンテキストの活用に、予想も含まれているのだろうか?「渋滞なし」というサジェスチョンをするコンテキストシステムは、それを見てそのルートを選択するユーザの増加も見越して「渋滞なし」なのだろうか?大量に集められたコンテキストデータは、それも含めてサジェスチョンするということなんだろうか?そこは少し理解しきれなかった。

ペイトリオッツの例は、結局のところ、富裕層にマーケティングが集中するということを言っているように聞こえた。フリーミアムと相まって、その収益構造でサービスが普及していくのは望ましいように思う。これは、どちらかと言うと行政に応用されないだろうか?富裕層に適切なサービスを提供することで上がる収益でもって、地域行政全体の財政の大半を賄う、というような。

個人の精神面を自動送信するのはもっと危険なことと取り上げてよかったと思う。落ち込んでいる状態を捉えられて、例えば宗教勧誘があったりした場合、どんな結果になるだろう?

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2014/12/14

『フランシス子へ』/吉本隆明

4062182157 フランシス子へ
吉本 隆明
講談社  2013-03-09

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 吉本隆明の著作なので、僕にとっては最初から最後まで全部いいところばかりで、いちいちポストイットなんて貼ってられないんですが、『フランシス子へ』は、知ってはいたけれど何故か手が伸びなかった一冊。なんか多分、亡くなる直前の作ということで、その頃の文章としては『開店休業』で触れていたというのもあるし、亡くした愛猫に向けてのエッセイというのがどうも予想できるような気がして手が伸びなかったんだけど、『それでも猫は出かけていく』を読んで、やっぱり吉本家ともなると猫に対しても半端じゃないなあと感服したのと、大体吉本隆明の著作のレビューは良し悪し荒れるんですがamazonの本著のレビューは全般的に高評価だったので読んでみることにしたのでした。
 ホトトギスの話なんか「らしいなあ」と一ファンとして笑ってしまうのですが、一番印象に残ったのは老いに関して、「思ってるんだけど、やらないだけ」と言っているところ。これ、わかりそうでわからない。ここを目指して生きていけばいいんだな、という直感みたいなのはある。こういうところを目指さないで、「いつまでもやろうとする」老人が増えたから、世の中おかしくなってるのかなって。

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『まいにち見るのに意外と知らないIT企業が儲かるしくみ』/藤原実

4774163570 まいにち見るのに意外と知らない IT企業が儲かるしくみ
藤原 実
技術評論社  2014-03-11

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 IT企業に勤めているのに意外と世間での常識的なことを知らないことがあるので、読みやすそうな本書を手に取ってみました。最も勉強になったのは「ダブルアイリッシュ・ダッチサンドイッチ」。租税回避についてはニュースで都度都度見るので知ってはいたけれど、具体的な手法は初めて本書で読みました。法人税を納めている企業・納めていない企業はこれから話題になりそうなので、基本を押さえてニュースに留意しようと思いました。
 IT業界では大体常識的な内容で、IT業界でなくてもITに対する興味が強い方はたいてい知っている内容かもしれませんが、事実を丁寧にまとめてあるので読んで損はないと思います。

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2014/11/15

『ほんとうの花を見せにきた』/桜庭一樹

4163901272 ほんとうの花を見せにきた
桜庭 一樹
文藝春秋  2014-09-26

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この1,2年、深み・読み応えのある小説とはどんな形態だろう?という疑問が頭の中にずっとあって、それは『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだあたりから。外国の近代名著も長年並行して読んできたけれど、分量が膨大というのと、書かれた時代のバックボーンやそもそも文体・言い回し・修辞が直感的に分からないことも多いというので、なかなか読み進められないということが増え、読書の時間があまり取れない中、それでも読書を続けたいという気持ちを整理して考えると、現代は過去に比べると読書、とりわけ小説にかけられる時間が少なくなっているのは紛れもない事実で、現代でもバブル前後のように、これでもかという具体的な比喩・固有名詞の多様でリアリティを醸したり、ト書き満載で情報過多で世界観を表現したりする形態は、読書好きの支持を得にくくなってくるんじゃないかなと思っていました。それがどんなに豊饒な作品でも、500ページもあるとちょっと腰が引けるというか。それを読ませられるのはそれこそ村上春樹くらいの一握りのビッグネームだけじゃないかと。そのビッグネームがあんなに読みやすい『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を出し、立て続けに『女のいない男たち』を出した。私は「5分でわかる名作古典」的なダイジェストや、何でもかんでも時短する傾向は性に合わないのですが、分量による深みというのは小説に取ってはだんだん主流でなくなっていく形態じゃないかなと感じていました。

だからと言って、音楽のように、ストリーミングとか定額聞き放題とか、あれはあれで悪いことではないんですけど(そしてamazonがとうとう書籍でも始めましたけど)、ああいった「単位を細分化して回転で稼ぐ」という方向ではなく、小説の「深み」を出すための十分な時間がかけられた作品をこれからも読みたいと思っていたとき、日経の書評で知ったのが本作でした。

「読了にかかる時間を現代の許容範囲に収めつつ、十分に練られた深さを味わえる」形態として、本作のような「寓話」形態が最有力と思えました。本作は、中国古来のおばけ「バンブー」に関して事細かく描写を重ねてリアリティを生み出すということは全然なされてないけれど、バンブーの住む物語を受け入れて読んでいける。僕が今まで読んできた現代の「寓話」作品は、一言で言ってしまうとあくどくて単純で「子供向け」の設定で読ませることで純粋さを無理矢理受け入れさせようとするものばかりだったけれど、本作はそういったあくどさは感じません。泣けると思います。

それにしても、小説は時間との兼ね合いで分量の模索が続く中、時短の主役だったITはコンテキストにフォーカスが当たるなんてなんて皮肉、と思いましたが、小説は分量を模索しているだけであってコンテキストを更に深くしているのだと思いました。ITはいつまでたっても文学には追いつけないでしょう。

  

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2014/11/03

『それでも猫は出かけていく』/ハルノ宵子

4344025741 それでも猫は出かけていく
ハルノ 宵子
幻冬舎  2014-05-09

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吉本家の人々の手による作品を読むときはいつもそのテーマに対する徹底具合が別格だなあと思うのですが、本作も「猫」に対する徹底具合が尋常ではないです。端から「メチオニン製材」とか、世の猫飼い主はみなこの程度のこと普通に知っているの!?と慄くくらいディープな固有名詞がずらずらさも「当たり前」的に登場して圧倒されます。が、吉本家の人々の作品が「違うなあ」と思うのは、それを「高慢ちき」な感じで振り回しているように感じられないところです。専門用語やト書きの多い作品というのは、その情報量で深みが感じられる作品もある反面、どうにも「高慢ちき」なだけの作品のほうが多かったりしますが、吉本家の作品がそうでないのはそこに思慮深さがあるからだと思います。

「家の間を通られない権利?花壇を汚されない権利?自分の持てるあり余る権利の内、ちっぽけな最後の一片まで行使するために、弱い生き物の生きるというたった一つの権利さえも奪い取る」(p37)や、「孤独死が問題にされたり、病院でなく家で死ぬためにはーなどと、そろそろ自分の身体がアブナクなってきた”団塊の世代”が言い出した昨今の生ぬるい風潮に、父はまた最期に、見事に水をぶっかけて逝っちまいました」(p187)等、感銘を受ける文章だらけなんですが、いちばん印象に残った章をひとつあげるとしたら「その27 旅の途中」(p120)です。

京都の友人に外猫の「太郎くん」を譲り受けた女性が、東京に戻ってきてその太郎くんを逃がしてしまった、という話で、太郎くんは京都に向けて西へ西へ進むだろう、という予想で、

「京都までおよそ600キロ。1日数百メートル移動したとして約3年。/途中居心地の良い土地があれば、何か月も留まったり、その地で”彼女”と出会って何年か過ごしたり…。そうしていつか京都のことなど忘れてしまうのでしょう」

僕は人生を「旅の途中」と旅に例えるのにぼんやりとした嫌悪感を若い頃から抱いてきてたんだけど、この「太郎くん」の話で非常にしっくりきたことがあって、「旅」というのは予定変更が許されるのが「旅」なのだということ。出発地点と経過地点と到着地点が決まっていて計画通りに進むことは「旅」とは言わないのだということ。だからいつか京都のことなど忘れてしまったとしてもそれは酷いことではなく、人生とはそういうものだということ。

弱いつながり』で旅について考えたことと再びシンクロ。数十年という時間をかけて、少しずつ「旅」を好きになってきている自分を認めつつあります。

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2014/09/23

『世界のエリートはなぜ、この基本を大事にするのか?』/戸塚隆将

4023312215 世界のエリートはなぜ、「この基本」を大事にするのか?
戸塚隆将 208
朝日新聞出版  2013-08-07

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「基本を大事にする」というのが大好きな性分なので、ちょっと俗っぽいタイトルに引っかかりながらも読んでみました。「これだけやれば10kg痩せる」とか「10日聞くだけでペラペラに!」とか、一撃必殺系が大嫌いで、「エリート」とかタイトルにつくタイプの本はそういうケースが多いだけに、「なぜ、この基本を大事にするのか?」というタイトルには大いに惹かれました。

内容は期待通りで、本当に「エリートが実践している基本」ということではなく、一般的に社会人になって働いている人なら誰でもわかっているであろう「基本」、その内容と重要性が丁寧に纏められているものです。「基本」を常に確実に実行できる人が、成果を出すことができるということを論理的に納得させられる内容です。「基本」を蔑ろにしてしまいがちな毎日を送る自分にとって、非常にありがたい戒めの書になりました。

ひとつ印象に残ったのはp85「シャツの首元が擦り切れているゴールドマンのアメリカ人シニアパートナーを目にしたことがあります」というところ。

「しかし、決して汚らしく、みすぼらしい擦り切れ方ではありませんでした。モノを大切にしている様子が窺えました。彼の身に着けている時計も地味で機能性を重視したものでした。清潔感という共通点を除き、服装や持ち物へのこだわりは、人それぞれと言えるようです」

これは辿り着きたい境地だなあと思いました。

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2014/09/19

『「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ』平川克美

4903908534 「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)
平川克美
ミシマ社 2014-06-20

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 本著で疑問を感じた点は2つに集約できます:

1) 自分たちが生きた、経済成長の時代を、どのような国家でも経済発展の中で辿るであろう「自然過程」としていながら、現在以降に本来なら辿るであろう過程を否定し、いわば「自然」ではなく、「意志」の力で「自然」に抗うことを強いている点。そういった「意志」の力で「自然」に抗わなければならないような状況を生んだ、かつての自分たちの営みはすべて「自然過程」で片づけて顧みもしない点。
2) p131”ヨーロッパや日本で起きたことが示すのは、文明がある程度のところまで進展すると、自由や独立を望む個人が増え、伝統的な家族形態が解体へと向かって社会が変質するということです。”と、ヨーロッパや日本というように普遍性があるような記述であるにも関わらず、p120”自分たちが伝統的にもっていた、いわざ「自然過程」を通じて培われてきた、封建的ではあるが贈与・互酬的な会社システムを、外からもち込んだ人工的なものでそっくり入れ換えようとしても、うまくいくわけがありません”と、日本独自の社会性が”「消費」をやめる”社会の成立要件であると記述している点。

 ある社会変遷が、その国独自の要件に依存しているのか、それとも国を問わず普遍的なものなのかは、混乱してはならない点だと思います。本著はあたかも「日本であれば消費社会を脱することができる」と主張しているように読めますが、消費社会を脱することの必要性や利点の主張はありますが、なぜ「日本だけが」消費社会を脱することができるのか、その根拠が十分に説明できているとは思えません。
 全体的には、お金に困り、医療費や年金と言った社会保障にも不安を抱く高齢者が、安心してこれからの老後を生き抜くために、なるべくお金のかからない世の中にしたい、それはすなわちいろんな人から「無償」で助けを得られる世の中にしたい、という願望と、p228「おカネは必要ですが、おカネを持っている人はどこからか見つけてくればいい。とくに期待したいのが団塊の世代」にあるように、どこかからスポンサー(パトロン)を見つけて、金持ちからお金を融通してもらえばいい、という処世術を綯交ぜにしたような内容だと思います。

 率直に言って読む必要はあまりないかと思います。団塊世代が何を考えているかを知るには好著で、ぱらぱらと斜め読みして2時間ほどで事足ります。

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2014/08/31

『野望の憑依者』/伊藤潤

4198638225 野望の憑依者 (文芸書)
伊東 潤
徳間書店  2014-07-09

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 期を同じくして目に入った「悪を描く」という書評二冊、『弾正星』と本著。私は所謂「ピカレスク・ロマン」というジャンルはあまり好みではないけれど、同時期に類似の作品が紹介されるということは、世間の流れがこういうものを求めているということと思い、その「ピカレスク」の趣向を知るべく読んでみることにしました。

 本著は主人公が高師直、足利尊氏の側近として謀略を尽くして尊氏を押し上げ成り上がっていく極悪人というのが一般的な師直像。天皇も南北朝に、武家も幕府と反幕府に、おまけに足利家も兄弟で、と敵味方が入り乱れる南北朝の乱戦を背景に、師直が非情に成り上がっていく筋は飽きずに読み進められるのですが、「悪の中の悪」というストーリーかと言うと、どちらかと言うとステレオタイプなストーリーではないかと思いました。年を取るうちに、女性と出会ううちに、だんだん角が取れて丸くなって、それが仇となって・・・というような。おまけにその仇の張本人の顛末のオチもステレオタイプというか。「こんな悪いヤツいるんか!!」という、心底怖くなるというタイプのストーリーではなかったです。

 本著と『弾正星』、「悪の中の悪」と謳っているけれども人物造形は既視感のするもので、時代モノなので当然なのかも知れませんが斬新さはあまりありませんのでぞくぞくする怖さみたいなものはありません。それより、この二冊に共通するのは、「悪の中の悪」ではなく、「誰かを裏で操る者」というところ。この二冊が同時期に注目されているのは、悪を求めるということよりも、「表に出ずに、安全なところから好き勝手したい」というのが世の気分ということを示しているのかもと思いました。

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2014/08/15

『ITビジネスの原理』/尾原和啓

4140816244 ITビジネスの原理
尾原 和啓
NHK出版  2014-01-28


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 「そしてインターネットは、人を幸せにする装置へ」-こんなことを書く本というのはだいたい著者が関わる何かへの利益誘導を目的としたもの。それもタイトルとは無関係な。そういう意味では本著はその典型的なもので、「ITビジネスの原理」という、ITビジネスの構造と利益源泉が読めば分かるような期待を抱かせておいて、その実、内容は著者が転職した楽天が、amazonとは違うショッピング体験を追求してるんだよ、楽天のショッピング体験のほうが優れているといえるのはこういうことを考えてるからなんだよ、と、「ハイコンテクスト」で洗脳しようとして終わる、という内容です。しかも、途中にgoogle glassを噛ませて、ちょっと間違いかもと疑わせる囮を仕掛けておいて視点をずらすという念の入れよう。IT関係者にとっては読む必要はあまりないと思います。

 特に問題があると思った2点:

  • クラウドソーシングに関して、ネット時代は時間が細切れになるので、その細切れな時間を有効活用しなければいけない、有効活用できるクラウドソーシングが有用だというロジックは分かるのですが、議事録の例えで優れた仕事をやる人の単価は上がっていくとありますが実際はそうはならない。なぜなら、その優れた仕事をやるクラウドソーシング上のマーケットも当然存在するからで、その人はそのマーケットの価格と戦わなければならないから。今のところ、クラウドソーシングマーケットというのは工数単価に落とし込めるようになったワークがたどり着くところ。
  • グローバル企業は英語よりも非言語化を志向しているので、言語を介さないほうが、ハイコンテクストなコミュニケーションが楽しめるのではないか、とあるが、これは完全に矛盾していると思う。非言語化されたところにコンテクストはない。1枚の写真がどれだけ芳醇な意味を提示しうるとしても、そのためには言語が必要になる。

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2014/08/09

『ヤバい日本経済』/山口正洋・山崎元・吉崎達彦

4492396047 ヤバい日本経済
山口 正洋 山崎 元 吉崎 達彦
東洋経済新報社  2014-08-01


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東洋経済ONLINEの「やっぱり、アベノミクスは蜃気楼?」を読んだ流れで購入。アベノミクスは成果を上げているのか、という話題が最近あまり見なくなっていたところに新鮮だったので。

やっぱり、アベノミクスは蜃気楼?」でポイントと思ったのは:

  • 消費支出が前年同月比5月がマイナス8.0%、6月もマイナス3.0%
  • 機械受注が前月比5月マイナス19.5%
  • 日経平均が15,000円を維持している資産効果が全体を底上げ
  • 公共投資4兆円の恩恵を受ける業種だけ好調
  • 消費税上げの前は社会保障がままならないと言っておいて増税後は公共投資にばらまいている

これらを直裁に書かれていたので本著を読もうと思ったのですが、出だしは「予想を覆したアベノミクスの脱デフレ効果」でした。ただ、高額消費が増えた理由として、団塊世代の投資信託の価格回復が挙げられていて、上記の「日経平均が15,000円を維持している資産効果が全体を底上げ」と一貫していて納得しました。

しかしながら、日本経済全体が回復を実感できるのは、地価が上昇したとき、つまり、バブル前に購入してローンがまだ残っているような不動産の価値が今は「元本割れ」状態だけど、これが回復したら、皆お金を使うようになる、と解説されていて、理屈は理解できるけれどどうしてもこの理屈に素直に首を縦に振れない。その理屈だと、先の投資信託の話も併せて、消費の主役は団塊世代初め高齢者ということになる。高齢者は日本のボリュームゾーンだからそれは一面仕方がないとしても、資産効果によって高齢者の消費が好調になることが、20代~30代の若者世代の経済に波及するだろうか?地価の上昇によって経済を上向きにするシナリオよりも、下落した地価をコスト減と評価するほうが、今後の日本経済にとって望ましい方向ではないか、という疑問が持ち上がる。これは成長を是とするか非とするかという根本的なところに関わってくるので簡単に考えを纏められないが、地価が上昇しなければ日本経済は復活できないというロジックは、実は乗り越えなければいけない課題のような気がする。


そこへグッドタイミングというべきか、今日の日経朝刊にこんな記事。やはり、日本経済のマクロ指標が悪いというのは周知の事実なのだ。


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他に面白かったのは、ロシアが付加価値が分からない、希少価値しか分からない、という下り。なるほどね、と納得。

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2014/07/05

『「外食の裏側」を見抜くプロの全スキル、教えます。』/河岸宏和

B00KA25GVG 「外食の裏側」を見抜くプロの全スキル、教えます。
河岸 宏和
東洋経済新報社  2014-05-22

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食品業界関係者の中で「食品業界を知り尽くした男」と言われる著者による、良い外食・悪い外食の見分け方スキル。外食は儲けに走りすぎていておいしいものを出すという基本が失われている、というのが著者の主張で、全体を通じたメッセージは「料理に何を使っているのか、きちんと表示されていないことが問題」というもの。スーパーなど店頭での販売では食品の成分について表示が義務付けられているけれど、外食には義務付けられていない。外食のニーズは様々なので、もちろん「安く食べられればそれでいい」というニーズもあるだろうしそれに応える店があってもいい、だけどその店で何が提供されているかが表示されていなければ正しい選択が消費者はできない。これは何の異論もないと思う。

この本を読んで思い出したのは日経ビジネス2014/3/24号の「食卓ルネサンス」という記事。一言で纏めていうと、「もはや家庭で食事をつくるなんてナンセンスだ」という主張に貫かれていたと思う。老夫婦二人暮らしでどちらかが食事をつくる負担を背負ってまでつくる食事よりも安価で美味しいものが食べられるようになった、だから家庭で食事をつくるなんてナンセンスだ、老夫婦に限らず、あらゆる世代・世帯でこうした食サービスを利用することで、食事の準備をする時間からも開放されより生活が豊かになる、という主張。

日経ビジネスで紹介されていた安価な食サービス群が、『外食の裏側』で紹介されているような「コスト削減」手法を使っているサービスかどうかは分からないけれど、『外食の裏側』の主義主張である、「ちゃんとした手間をかけた、作りたての料理はおいしいものだ」に照らすと、どうしても「食卓ルネサンス」の主義主張に頷くことができない。私も『外食の裏側』と同じで、外食やコンビニの食事や出来合いの惣菜での食事を全く否定しない。けれど、効率とか時間の無さとかを理由にして、「食事をつくる」ということをカットする暮らしが幸せなものにつながるとは生理的に直感的にどうしてもそうは思えない。ここは、利用方法に節度が求められる重大なポイントだと思う。

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2014/06/07

『日本の論点』/大前研一

4833420627 日本の論点
大前 研一
プレジデント社  2013-10-10


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最近少し、時事問題に関して発散的というか散発的というか、ニュースで見て場当たり的に考えてそれで済ましてを日々繰り返して、「中長期的に何を考え続けないといけないんだろう?」という思考能力がやや低下していたので、論点整理された書物を纏めて読んでみたいと思いまずピックアップしたのがこれ。文藝春秋の『日本の論点』でも良かったんだけど、まずは少なめの量のものを。

頭に残ったポイントは2点:

  • 税制改革。所得減・人口減の社会では、金融資産・不動産などの資産課税が有効。フローではなくストックに課税する。
  • p185「今、除染の限界線量はどんどん下がり、逆に除染費用はうなぎ上りに上昇している。こうなると巨大な除染産業が勃興してきて、かつての自民党政治時代の砂防会館に象徴される「砂防ダム」のように、ホットスポットを見つけてきては予算を分捕る「利権化」が起きてくる。その利権の強い味方になっているのは、乳飲み子を抱えた母親であり、「校庭で遊べない子どもが可哀そう」などと騒ぐ親へのインタビューを得意とするマスメディアである」
資産課税に関しては、本著の03で書かれている「お金は使うべき」という論旨とも整合していた。どうしてもお金を使うことを推奨するスタンスに躊躇はあるけれど、やはり要は「使い方」なので、お金を貯めこむ層によって日本経済が歪んでいるとすれば、お金を使う方向に誘導するために資産課税を強化するのはよいと思う。

除染利権化に関しては、まず線量に関していったい何が正しいのかはずっと見続けないと分からないことなので簡単なことは言えないけれど、この文章を読んで真実だなと思ったのは、情緒的であることが社会を悪くすることは少なくないということ。過ぎたるはなお及ばざるが如しという諺もある。誰も反論できないような訴え方をする言説というのは大抵の場合害悪だと思ったほうがいい。

その他に考え続けたいと思ったポイントは:
  • 「安倍自民党政権がうまくいっているように見えるのは、中央の役人を上手に使っているからで、改革にはほど遠い。中央省庁を解体するか、すべての利権と権限を剥奪するくらいのことをしなければ、無血革命にはならない。中央集権を是としてきた自民党政権にそんなことできるわけがない。安倍政権にできるのは、せいぜい中央省庁の利権を奪わない程度に分け与えるお目こぼし「特区」くらいのものだ。したがって安部首相は改革者にはなれない」
  • 国民医療費の問題
  • 憲法96条について

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2014/05/03

『女のいない男たち』/村上春樹

4163900748 女のいない男たち
村上 春樹
文藝春秋  2014-04-18

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断トツに深い印象を残したのは『木野』。その都度その都度の出来事に対して本気の感情を出さない姿勢の顛末を描いていると思うけど、「しかし正しからざることをしないでいるだけでは足りないことも、この世界にはある」という一文をめいっぱい拡大解釈したくなる物語でした。黙って見過ごすことがより大きな罪であり災いを引き起こすのが現代社会だと思う。

タイトルどおり、女に「見捨てられる」男が主人公の短編集で、これまではそういった男が市民権を得ることはなかったと思う。むしろそれが特殊だから話になる、という扱いだったと思うけれど、本作はそれが普通のことになった、つまり女も男も捨てるものであり捨てられるものになったんだということを象徴しているよう。

目についたのが、「病気」といった言い回しが出てくること。もうどうしようもないことが世の中にはあって、それは「病気のようなもの」という片付け方を何度かしているように思う。それは突き詰め方が甘いというよりも、「なんでもかんでも原因分析してきりきりしていくばかりがいい結果にならない。病気だってあるんだ」という姿勢が現代は結構重要なんじゃないか、という視点を僕に改めてくれた。

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2014/04/20

『地図と領土』/ミシェル・ウェルベック

地図と領土 (単行本)
地図と領土 (単行本) ミシェル ウエルベック Michel Houellebecq

筑摩書房  2013-11-25
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あまりの要素の多さに頭が全く追い付きませんでしたが追い付けなくても大興奮のおもしろさでした。サムソンとかコマツとか固有名詞を挙げ、しかもマニュアルか新聞記事かと思うくらいの細かさでの描写も、リアリティの追求ではなくて消費社会・市場主義社会の批判がダイレクト。ただ物語の筋が消費社会・市場主義社会の批判ひとつだけではなくていわば複々線的なので文字通り息をつく隙がない。シナリオがメインとサブというのではなくて全部が並び立っている小説は日本の小説だとあまりない気がします。

感想にどのエピソードを取り上げればいいのか迷うんですが、そうは言ってもやはり「消費社会・資本主義社会の批判」というのが私にとっては最重要。ジェドがアートの世界で成功を収めたのも、あの凶悪な犯罪者の動機も、僻地-と呼ぶのがはばかられるなら田舎または郷土-の復権も、大学で学問を熱心に学ぶ女性学生も、そしてジェドの父親さえも、皆結局は市場主義の仕組みとルールを理解し、それに則っているだけだという結論に収斂されていきます。タイトルの『地図と領土』、領土は現実のもので地図はそれを模したもの、そしてジェドは終盤「<世界>を説明したい」という言葉を呟きます。著者の市場主義の様々な事象を具に記憶する観察眼と、そこから齎される「諦念」が徹底しているので、「市場主義社会というひどい世界に今我々は住んでいる」というような読後感を残すものではないのですが、かと言って(小説というのはもちろんそんな役割を受け持つものではないと思いますが)「現代の市場主義社会のその先」を発想するところはないので、深く考えこむとその点に少し物足りなさ・寂しさを覚えるところです。

私個人は、市場主義社会が持つ歪に対抗できる単位は「時間」ではないかと思っています。何に時間をかけているのか。でもこれは「かけた時間が価値なのか」「価値の創出には効率性の観点でかける時間が少なければ少ないほどよい」という2つの概念が堂々巡りで戦うことになります。

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2014/04/15

『里山資本主義』/藻谷浩介

4041105129 里山資本主義  日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
藻谷 浩介 NHK広島取材班
角川書店  2013-07-10

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この本は詰まるところ、地方の閉じた経済圏内で、資源を有効活用して収支安定を計るという施策の「実行可能性」と、「収入を増やすことよりも、支出を減らすことを考えましょう」ということの2つに自分の中では尽きました。

「支出を減らすことを考える」際、今までは年金をカットするとか、高齢者の医療費負担を上げるとかが主だったと思いますが、「エネルギーを自作することで、エネルギー費用を縮小する」という方策は新鮮でした。ある程度実現可能性もある。だから、本当にそんなことができるのか?という気にかかり方ではなく、気になったのは「これまで地域の外に支払っていたお金が地域に残る」という発想でした。そして、周防大島の瀬戸内ジャムズガーデンのように、地域の外から人を呼びこむことによってお金を稼ぐ、という発想、これは正に「外貨を稼ぐ」発想と近いように感じます。もちろん通過は同じ国で円なので外貨を稼ぐ訳ではないですが、日本の中でラインを引いて、自分たちの領域内から外に出るお金をなるべく減らし、領域外の人が使うお金を増やすことが望ましい方向ということだとすると、やはりそこには「成長」がないと格差が開いていくだけなのではないか、と考えてしまいます。

少し話がそれますが、ふるさと納税もこれに近い違和感を感じるひとつです。どうして他都道府県の人がお金を使ってくれたら、それに対して特産品とかの特典をつけなければならないんだろう。その地域に住んでいて、真面目に住民税を払っている住民に対してこそ、まず何か特典があって然るべきじゃないのか?住民が支払う住民税は土台であってベースであっていわば当たり前のお金なのでそれに対してお礼は全然考えません、でも非住民の方がくださるお金は上積みなので、インセンティブを出してどんどん追加がくるようにしましょう、ということだと思うんだけど、これって正直者がバカを見ると言ってるに等しくて、でもそれによって助かる地域の生産者がいたりする訳で、結局「経済最優先」になってしまっている。健全な社会に生まれ変わらせるなら、こういうところは正していかなければならないと思う。

ちょうどこの本を読み終わるくらいの頃、藻谷氏がニュースステーションに出ていて、里山資本主義というのは何も大仰に「電気使うのやめましょう」と言っている訳ではなくて、できるところからやればいいということと言っていたのを聞いた。領域外に流れるお金を減らす策を突き詰めるとすれば、節約できたお金が向かう先が領域内になるのかどうかがこの話の決めてじゃないかなと思います。

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2014/04/13

『1971年 市場化とネット化の起源』/土谷英夫

1971年
1971年 土谷 英夫

エヌティティ出版  2014-01-17
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変動相場制への移行を導いたニクソン・ショックと、インテルの世界初マイクロプロセッサ発売の1971年。著者はこの2つの出来事を現代に至るエポック・メイキングとして、1971年を「市場化とネット化の起源」とする。IT業界に身をおいているのに恥ずかしながらマイクロプロセッサが世に登場したのが1971年と知らず、ニクソン・ショックと同じ年にマイクロプロセッサが登場していたんだという事実に少々感動してしまいました。確かにこの2つの出来事が、(良し悪しは関係なく)現代の世界のかなりの部分のベースであることは否定できないので、「起源」という著者の表現は彗眼と思います。

著者は成長のない経済は成立しないという趣旨で話を展開していると思います。また、その反証として「オキュパイ・ウォールストリート」もいつの間にか下火になったという現実を冷徹に記載しています。それと、ハイエクの「合理的な経済を実現する統合的な一つの知は存在しない」ので、多様な不完全な知の集合が全体として合理性に近づく、という趣旨を最後に展開するのですが、IT業界に身を置く私としては、1971年のマイクロプロセッサ登場とともに始まり、何度も何度も「全能」を唄いながらキャパシティ不足や処理能力不足で不完全なもので終わってきたデータ分析が、昨今、いよいよビッグデータという言葉とともに(少なくとも市場(マーケット)的には)完成形を迎えつつあるように見えるなかで、「多様性」は今後も求められるのか?その辺りが次のエポックと考えて、読むテーマを意識していかなければいけないのかなと考えています。

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2014/02/11

『テトラポッドに札束を』/和佐大輔

会社の人に勧められて、わざわざ勧めてくれるくらいだから世間での会話の共通言語ではあるのだろうと思って読んでみましたが、結論としては読まなくてもいい本でした。私に残った興味は、著者は自身のビジネスの黎明期の収入に関して、確定申告をしているのかなということくらいでした。

このタイトルから連想する内容で、読んで得られると期待することは大きく2つあると思っていて、一つは超実践的なネットビジネスノウハウ、もう一つは半身不随という厳しいシチュエーションに置かれた方のタフなメンタリティ。だが、前者はそもそもそのノウハウで稼いでいるので本で公開されるはずもなく、後者に関しては文面は丁寧なんですが胸に迫ってくるものはあまりありませんでした。最もこれは個人差があることだと思います。

端的に言うと、彼が成功した要因の多くは先行者利得であって、彼のスタンスや精神性や向学心とはあまり関係がないと思います。もちろん、あの時代にインターネットに目をつけたこと、更にそのインターネットに目をつけるに至った理由が不慮の事故だったというところで、「不慮の事故にあってもそれを恨むのではなく現状を受け止めて前を向く」という教訓や、「インターネットといった先進的な技術を意欲的に取り組む」というスタンスを学ぶことはできますが、この手の教訓やスタンスを鮮烈に心のなかに印象付けるような文章にはなっていないと思いますし、こういった教訓やスタンスを身につけたいと思っている人は、本著を読む前にすでにこの教訓やスタンスは少なくとも頭のなかに入っていると思います。

タイトルはもちろん『アルジャーノンに花束を』にかけていて、かつ、敢えて「札束」とヒールな空気の表現を使いつつ実は自分を半身不随にしたテトラポッドに感謝をしているということを伝えている捻った構造なんだと思うのですが、花束が札束に変わっていた通り、金銭的な成功を伝える以外のものは私にはありませんでした。

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2014/02/09

『クォータリー マグナカルタ Vol.05』/島地勝彦

4864911061 クオータリー マグナカルタ Vol.05 WINTER 2013
島地 勝彦
ヴィレッジブックス  2013-12-20


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「税金から逃げるのは誰だ」というオビの文句に心を鷲掴みにされて購入。その特集はどの記事も興味深かったです。中から二つ:

「税金と共同体 租税回避と国民国家の解体/内田樹」

ここ最近ブログに書かれていたのと一貫した趣旨で、グローバル化による流動化に対する批判が展開。私はグローバル化については「程度問題」と捉えるのが適切と思っているので、グローバル化を全面否定するに近い論調には馴染めないのが正直なところなのですが、「自民党改憲草案」の22条改憲案が、「公共の福祉に反しない限り」が削除されているという指摘の部分はなるほどと頷いた。ただ、日本を見限るのは何も富裕層だけではない。このあたりの時代の変化を直視した上で、「日本に税金を納める」気持ちにさせるのは何かを突き詰めないと、この議論は何の意味もないように感じた。そうでないと、「日本に生まれた限りは日本に税金を納めるのが当たり前だろう」という精神論の域を出ないし、それこそ「古いスローガン」を振り回す側とやってることはなんにも変らないからだ。
「税をめぐる不都合な真実」/橘玲
「日本国の行政経費は国家予算90兆円に地方自治体の歳出や公的年金・医療保険など社会保障関連支出80兆円を加えたおよそ170兆円だ。これを20歳以上65歳未満の労働可能人口8000万人で割れば、一人当たりの人頭税は年間200万円強になる。これで、所得税や法人税、消費税はもちろん、年金や健康保険料もなく、国債の発行で将来世代に負担を先送りすることもない完全に平等な国家が出来上がる」
「ほとんどのひとは提供される公共サービスに対して過小な税金しか払っていない」

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2014/01/12

『異端の統計学ベイズ』/シャロン・ヴァーチェ・マグレイン

4794220014 異端の統計学 ベイズ
シャロン・バーチュ マグレイン 冨永 星
草思社  2013-10-23


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ビッグデータに関する資料や書籍を当たっているうちにいつの間にか興味を惹かれていたのがベイズ。今思い返すと、ベイズの何を聞きかじって興味を惹かれたのか明確に思い出せず、また、ベイズと巷で取り上げられる意味でのビッグデータとの関連性が今ひとつ明確に説明できないけれど、ベイズ統計学と本著は非常に読み応えがあり抜群に面白かったです。数学に全く興味が持てなくても、現代の最先端のITを支えている理論、その考え方が、黎明の1740年頃から今に至るまでどんな歴史を歩んできたのか、スリリングなドキュメンタリーに惹きつけられると思います。

ベイズの定理そのものの解説や来歴は脇に置くとして、「ベイズ」という統計学の歴史を読もうとして思いがけず現在の日本の情況を顧みずにいられない記述に二箇所出くわします。一つは第二次大戦終結時にチャーチルが暗号化解読の証拠の破棄を命じた部分、もう一つは1970年代のアメリカでスリーマイル島原発事故をベイズ理論で予見していたという部分です。

p161「なぜこんなにも長い間、暗号解読を巡る話が伏せられてきたのだろう。たぶんそこには、自分たちがタニー・ローレンツ暗号を解読できるという事実をソビエト政府に知られたくない、というイギリスの意図が働いていたのだろう」

連合国の勝利にはチューリングらによるドイツ軍の暗号・エニグマの解読が大きく貢献したのですが、チャーチルはエニグマを所有したソビエトに、自分たちが暗号解読能力を保有していると知られないほうが好都合と判断したというものです。このために、暗号解読に多大な貢献をしたベイズ理論は陽の目を見られなくなるのですが、この判断をベイズ理論の立場から見るのか国家安全保障の立場から見るのかで意見は大きく異なってしまいます。これ以外にも、本著には幾度と無く「機密扱い」という文言が出てきます。学者達が国家の安全に貢献する研究を行ったにも関わらず、その成果が「機密」となって世に知らしめられない事態。特定秘密保護法の本来的に期するところはこういった国家の安全に関わる機密情報だと思うのですが、意図するところが仮に国民として納得できるそれであったとしても、その制定過程を誤ると理解できないし、その法によって実現される規制が本来の意図から大きく逸脱してしまうということを改めて思いました。

p326「アイゼンハワー大統領は1953年に「平和のための原子力」と題する演説を行って、原子力産業の展開に着手した」「そしてその20年後には、環境や人々への安全リスクに関する包括的研究はいっさいなされぬまま、アメリカ国内で計50基の原子力発電所が稼働していた」
p329「2003年にはアメリカの全電力の20パーセント相当が104基の原子力発電所で作られていたにもかかわらず、1978年からこれを執筆している今(2010年から2011年にかけて)までに、原子力発電所を新設せよという命令は一度も下されていない」

「これまで事故が一つも起きていないのだから、この先も事故は起こらないはずだ。そうはいっても疑問は残った。不可能とされることは、ほんとうに起きないのだろうか?」この言葉は、3・11における福島原発事故を経験した日本人には重く痛く突き刺さります。アメリカでは、「起きていないこと」の起きる確率を導き出そうという発想がありました。おそらく、日本にはそれはなかったのでしょう。これはひどく単純でかつ重大な違いのように思えます。今のところ起きていない事象の発生確率を考えるためにはどのようにすればいいか、そもそもそれを考えようとするかどうか、「ありえない」という言葉が安直に使える日本語の世界では、根付きようのなかったスタンスなのかも知れません。

ベイズ理論は、そのような「起きていないこと」の発生確率を考えることのできる理論です。これは頻度主義と言われる一般的な統計手法、つまり発生件数をカウントして検定して確率を導く方法ではそもそも扱いようのない課題でした。この点に興味をもたれたら、それだけでも読む価値のある一冊だと思います。

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2014/01/05

『安倍政権のネット戦略』/創出版

4904795253 安倍政権のネット戦略 (創出版新書)
津田 大介 香山 リカ 安田 浩一 鈴木 邦男 中川 淳一郎 下村 健一 マエキタ ミヤコ 亀松 太郎 高野 孟
創出版  2013-07-23

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日本には既に「ティーパーティ」があったんだ。迂闊だったよ。

自民党は、適当なこと、いい加減なこと、嘘をついても誰にも怒られない場所をうまいこと見つけたんだなあ、というのが最大の感想。おまけに、自分たちの代わりに勝手にネガキャンを張ってくれる「自民党ネットサポーターズクラブ(J-NSC)」という”市民団体”を見つけて公認してる。手が付けられなくなったら、切って捨てるんでしょうきっと。

ソーシャルメディア人口3,000万人のうち、政治の話題で反応しているユーザが推計10万人で、果たしてどれくらい効果があるのかというふうにも思うけれど、投票率が低い40代以下の世代の支持を取れている効果は小さくないと思う。40代以下の世代全般の支持を得ているということではなく、「投票に行かない人が多い中で、愛国的な発言によって投票に行く集団をうまく見つけた」というところ。

それにしても「サプライズ」感覚が、こんなにも悪い方向に出てくるとは。ネット上では「平和主義」が「優等生」で「驚きがない」ので見向きもされず、敢えて「愛国的」な言説を唱えるほうが「注目」され「主流」になるという。一体何がその人のゴールなのか。何をやりたいと思って生きているのか。よくわからない。
ネットというのはほんとにホントとウソが混じった世界なので、ユーザがリテラシーを高く保とうという意識が大事なんだけど、「時間がある」ユーザは暴力的にウソをばらまくことができるし、それに対抗するだけの時間をほとんどの人は持たない。これって「取り付け騒ぎ」のように僕の目には映る。その「風説の流布」をした人間が咎められることはない。だって噂だから。だってネットだから。こういうことが起こらないように、という文脈でなら、ネット上の匿名性を制限しようという動きもまだ理解できなくはないけれど、特定秘密保護法は成立した今であっても、ネット上の匿名性制限の話はとんと聞かなくなった。J-NSCなんて市民団体があれこれ触れ回っているような状況ならそりゃそうでしょう。制限しようなんて思わないでしょう。

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2014/01/01

『ペテロの葬列』/宮部みゆき

ペテロの葬列
ペテロの葬列 宮部 みゆき

集英社  2013-12-20
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久し振りのミステリーでしたが、帯の『”悪”は伝染する』に惹かれて、ドロドロした性悪な人間性の応酬みたいのを期待していたもののそれはそこまでではなかったです。本筋の事件での顛末よりも、主人公の杉村夫婦の動静に最も心を持って行かれます。

「世直し」という言葉を頻繁に使う、という会社社長が登場するのだけれど、時流を捉えた言葉というのは、その背景に目を瞑らせるというか気にさせなくするというか、詳しい説明を省略させるだけの力を持ってしまうという怖い事実を改めて思いました。よい意味ではそれが「信用」なのだけれど、背景や裏付けを全く聞かず、バズワードとか流行の三文字略語とか、その単語だけを振り回してしまうことの怖さ。でも世の中時間がないから、それだけで事が進んでしまう怖さ。それは、「言葉そのものが価値を持つ」という考えを無意識に支持しているから起きてしまうことで、やはり先日読んだ池田晶子の中の「言葉は交換価値ではなく価値そのもの」という定義は否定されなければならない、と強く思いました。それは、「とりわけ、多くの人たちがもてはやしているという理由だけで流行っているものには」という杉村の台詞からも感じます。

もうひとつ、会社にせよ軍隊にせよ、抗えない環境が構築されそこに囚われたとき、人間はどうなってしまうのか、どう行動するのが正しいのか、ということを考えさせられます。「この理念こそが正しいのだ」という思想的な動機であっても、「こうすることが儲かるのだ」という金銭的な動機であっても、受ける傷はそう変わりません。もっと悲劇的なのは、タイトルにあるペテロのように、途中で良心の呵責か何かでその道を引き返そうとしたとき、そこで行いの罪が現前してしまうことで、引き返そうとしなければそんな罪もそれに対する罰も受けずに済んだのにーということです。これに対して本著がどういう答えを導いてくれているのかは、ひとつではないので、この答えを考えながら読んでみるのがオススメです。

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2013/12/31

『人びとのための資本主義』/ルイジ・ジンガレス

人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す
人びとのための資本主義―市場と自由を取り戻す ルイジ・ジンガレス 若田部 昌澄

エヌティティ出版  2013-07-26
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・アメリカは「縁故主義」(クローニー資本主義)が蔓延している。アメリカにおける縁故とはロビー活動である。ロビー活動に大金を使える、大企業を利する経済政策が行われている。
・これを正すにはクラスアクションをより簡便に、活発にする仕組みを組み込む必要がある。もう一つは企業のロビー活動に対する累進課税。
・租税裁定取引を避けるための方策は、個人所得税とキャピタルゲイン税を同等に取り扱うことだが、その際発生する問題は、法人税率の修正で解決できる(法人もキャピタルゲインを得る際には課税されている)。
・未払いの短期債務に1%の課税をすれば、上位9行だけで年額2150億ドルの税収が得られる。これは年収三万ドル以下の家庭6500万世帯からの総徴税額に等しい。

上記の趣旨とアイデアはよく理解できたし特に租税に関してはなるほどと納得したのだけれど、何とも違和感を覚えながら読んだのはアメリカの医療保険制度に対する批判の部分。

社会保障制度がネズミ講と批判されている部分、これは日本の年金制度と全く同じことだと思う。でもその後、医療保険に関して大きな欠陥があると批判している部分はうまく納得できなかった。アメリカは、保険が存在しないから、医療費が高額になるので風邪をひいても病院に行かない人が多いという話じゃなかったっけ?そして、医療保険の実質コストが支払人から隠されていると批判されているが、これは日本でも同じではないか?ということ。

後者はよく考えてみれば隠されているから高齢者がむやみやたらと通院するところから見てその通りなのかも知れないが、前者は正反対のことを言っていてそのままにはしておけない。

日本も会社員は企業の組合健康保険に加入していて、本人と企業が保険料を支払っている。じゃあその組合に国から保険料が支払われているか?というとNoだというのが私の知識。しかし調べてみると、国民健康保険に関しては国庫負担が30%~50%の幅で存在した。この国民健康保険への投入税金は、国民が広く分担していることになるので、会社員の我々にしてみれば、もし自社の健康保険組合が税金投入を受けていなければ、自分たちが便益を受けないサービスに対して負担を負っていることになる。これがフリーライダーの一種ということか。

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2013/12/22

『イエスタデイ』(文藝春秋2014年01月号)/村上春樹

B00GUP6QYS 文藝春秋 2014年 01月号 [雑誌]
文藝春秋  2013-12-10


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村上春樹を読むとき、僕はいつも「自分がわからないことはどれか」と探しながら読んでいる。ストーリーももちろん楽しめるのが村上作品だけれども、ストーリーの姿を借りて伝えようとしていること-より正確に言うと直接表現するのではなくてストーリーの姿を借りることでしか伝えられないこと-をできるだけ見つけられるようにと思いながら読んでいる。自分がわからないこと、つまり自分は知らないことなのにそれに気づくことができるというのは矛盾だけれども、それができてしまうところが読書の面白さであり凄さでありありがたさと思っている。
そういう意味で言うと本作は、書き下ろし新刊と違って、それほど村上春樹に熱心ではないような人、もっというと普段小説なんてあまり読まない人が読む可能性をよく計算に入れた小説だったと思う。比較的、「読んで分かった」気になりやすい構成になっていると思う。東京生まれの関西弁使いと、関西生まれの標準語使い。お互い、田園調布と芦屋という、世間的には裕福な世帯と受け取られる土地ながら実のところそれほどでもなく至って普通の所帯、という設定が何を言わんとしているかは比較的容易に頭に浮かぶし、栗谷えりかとの奇妙な、というよりは主人公の友人で栗谷えりかと「つきあっていることになっている」木樽の作為的な三角関係とその顛末で指し示そうとしていることもすんなり頭に浮かぶ。
僕はこの物語を、何が普通で何が普通でないのかの基準云々を考えることについての契機としてではなく、昨日は二度と帰ってはこない、けれど昨日を思い出せることは人生に不可欠なことであるという教示を得るものでもなく、明日のことは誰にもわからないのだから今を大事に生きるべきなのだという気概を読み取るのでもなく、やっぱり「言葉」についての単純な一言に引っかかったまま読み終えた。

「大事なときに適切な言葉が出てこないというのも、僕の抱えている問題のひとつだった。住む場所が変わっても、話す言語が変わっても、こういう根本的な問題はなかなか解決しない」

だから、谷村が「語気がいくらか荒くなって」言ったことが、谷村にとって大事なときの適切な言葉だったのかどうかは、わからない。

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2013/12/08

『41歳からの哲学』/池田晶子

4104001066 41歳からの哲学
池田 晶子
新潮社  2004-07-17


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41歳の今、どういう訳か中途半端な「41歳」からの哲学、というタイトルを見つけて即借り。2004年の本なのでちょうど10年前。取り扱っている出来事も『バカの壁』や年金法案、デジタル放送や北海道地震等々並んでいて近過去を振り返るいい材料でもありました。特に北海道地震に際しての下りについては、東日本大震災を経た今、著者がどんなことを地震に対して言うのかとても興味があるし、たぶん深刻な被災者ではないと思われるので、本当に東京に大地震が起きて被災した際に何を言うのかにも興味があるが、それ以上に「北海道地震のときよりも東京での大地震の実感が高まった」のかどうかとそれについてどう言うのかに興味があります。

さて本著については頷けるところと頷けないところがはっきり別れ、しかも頷けるところも頷けないところも非常に大きいのが印象的でした。しかも頷けるところは主に「生死」に関するところ、頷けないのが「テクノロジー」に関するところ、というのが面白い。
  • 死は観念でしかない。自分の死は体験できないのだから、動物には死は存在しないし、死を恐れてもいない、人間は観念として自分の死を所有している。この説明は、今までいろんなところで触れているはずなものの、最もすとんと頭に入ってきた説明だった。
  • 「おそらくそれは、大学紛争のせいである」大学がなぜ愚者の楽園になったのか、そして大学では学問を教えるのではなく商売の仕方を教える、または商売そのものをしろというようになったのか、その原因を「大学紛争のせい」と断定している。これはその通りだと感じる。その通りだと感じる理由は本章で続けて書かれている通り、「反体制と金もうけとが、どんなふうにアウフヘーベンされたものか、一度きっちりと自己批判して頂きたい」ということに尽きる。自分たちで学問を破壊しておいてその反省もないから大学は愚者の楽園になるより他になかったし、学問を破壊するような、学問の価値を分からない人間だからこそ大学に対して「役に立つこと、つまり金もうけに直結することをやれ」としか言わない。
  • デジタル放送にしろケータイにしろ電子メールにしろおよそ新しいテクノロジを「不要」「人を馬鹿にするだけのもの」と切って捨てているが、私はこの手の言い分は間違いだと思う。それならば書物だって不要だとされた時代があったのだ。言葉は人の口から出てくるものだけが言葉そのものであって、書き残す言葉というのは何事か、と。それにテクノロジが不要だというなら人間の歴史の中で火ですら、無かった時期と使い出す時期の境目はあり、そこでは火の使用に対する抵抗があったはずだ。自分たちが生きる時代に新しく生まれたテクノロジにのみ要・不要を向けるこの手の言い分は間違っていると思う。
  • この本の一番の問題点は「言葉は交換価値ではなく価値そのもの」という部分。これは記号論から学んだ知識と激しく対立する。敢えて記号論を持ちださなくとも「言葉は言葉自身で価値を持つ」という言い回しそのものに危ういものを感じずにおれない。あるものがあるものそのもので価値を持つという考え方は、言葉に対しても当てはめるべきではないと私は思うので、その理由付けを記号論関連書籍を再読しながら考えたい。

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2013/11/17

『すばらしい日々』/よしもとばなな

すばらしい日々
すばらしい日々 よしもとばなな

幻冬舎  2013-10-24
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よしもとばなながこれまで繰り返し言っているのは「今日一日を大切に生きよう」というシンプルなことで、逆にこれ以外のことはほとんど言っていないと思う。「今日一日を大切に生きる」というテーゼは誰でも思っているし誰でも言える簡単なテーゼだけど、それを芯から納得できるように言葉で伝えるのはほとんど誰もできない。よしもとばななは物語でそれをやってのける上に、エッセイでもそれをやってのける。

いちばん心を打たれたのはやはり「血まみれの手帳」という、父・吉本隆明の遺品である、血糖値をメモした手帳を譲り受けた件を書いたエッセイ。眼が見えなくなっていてもメモを書き付け続けた父の孤独な闘いが、よしもとばななをいつか支えるんだというこの話は、自分はどういうふうに生きていけばいいのかを考えるとても大きな助言になる。
できることなら自分も、考えることをやめないで、思うことをできる限り正確に伝えられるように自分を鍛錬し続けていきたいと思う。生きていくために働くことが必要であるなら、働いているフィールドにおいても、できる限り正確に話し、正確に伝えられるように研鑽していきたい。そう思うことは、その日一日を大切に生きることに繋がっていると思う。ただそれには途方もない精神力が必要だけれども、その精神力の立ち上げの助けになってくれるのが本著だと思う。

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2013/11/10

『数字を追うな 統計を読め』/佐藤朋彦

4532355761 数字を追うな 統計を読め
佐藤 朋彦
日本経済新聞出版社  2013-09-21

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確か日経新聞の書評だったと思うのだけど、「公開されている統計情報でも十分に深い知見を得ることができることを教えてくれる」と書かれていたので興味を惹かれ購入してみました。通読した感想としては、公開された統計情報を使ってデータ分析をするスキル・技法の解説書ではないので、そういった点に期待すると肩透かしかもしれませんが、「統計」に向き合う際の姿勢を学ぶのによい一冊だと思います。「統計」という言葉の来歴など、統計周辺の予備知識が豊富に語られています。

本書で紹介された統計の中でいちばん印象に残っているトピックは、統計としては「世帯主の年齢階級別「うるち米」購入量の前年同月比」の話でした。1993年の平成コメ騒動の際、その当時の40歳代、いわゆる「団塊の世代」だけがうるち米の購入量増加率が増えなかったという統計結果で、「昔から団塊の世代が動くと世の中で大きな動きになると言われていたが、やはりこの世代は他の世代とは何か違う動きをしている」というコメントが添えられていました。

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2013/11/04

『海辺の生と死』/島尾ミホ

海辺の生と死 (中公文庫)
海辺の生と死 (中公文庫) 島尾 ミホ

中央公論新社  2013-07-23
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『死の刺』に登場するミホが作品を残していることも知らなかったし、解題を吉本隆明が書いていると知ったのもあって、書評で見かけて即購入。でも、タイトルに「死」がついているし、やっぱり『死の刺』のミホが書いたものだと思うと読む前からどんよりしてなかなか手をつけられませんでした。
しかし読んでみるとけして「生と死」から連想する澱んだものではなく、ミホの故郷である奄美大島の習俗や暮らしがのびやかで心優しい筆致で描かれていて、ミホとその父母の大きな心の在り様に魅せられました。「生と死」は、島で起きるあらゆることに、例えば牛の眉間を斧で打つというような、そういう一切にタブーを設けず受け入れる姿勢を端的に表したタイトルだったのです。

コミュニティが確立している、南の小さな島に入れ替わり立ち代わり本土など外部から一時的にコミュニティにやってくる。この「外部からやってくる人たち」との交流と、話の序盤で語られる頼病患者の死の話や牛の話、子山羊の誕生の話とが不思議な交歓を生む。ここを吉本隆明が解題してくれていて、これらが「聖」と「俗」の物語になっている、という。そして、「聖」と「俗」は元来一体のもの。切り離すことはできず、あるのは「聖」と「俗」から離れた外部だけだという。島尾ミホは、そのことを意識のうちに入れて、「生と死」というタイトルを与え、序盤に頼病や牛のと殺や山羊の誕生を配置し、中盤に不安な夜の回遊と旅の者という「外部」との交流を、そして終盤に、島民全員から崇め奉られる、(これも外部からやってきた)特攻隊長の夫島尾敏雄との出会いを配置したのだろうか?この朗らかで屈託のない調子は、そういった「構成」の作為が働いているとはどうしても思わせない。
この吉本隆明の「聖」と「俗」は切り離せず一体となってやってくるものだという解説は感覚的によくわかり賛成できる。現代に生きていると、「聖」はどこまでも「聖」であって、その対極に「俗」がある、というのが極めて疑いようのない常識的なことだという認識になるけれど、実は「聖」と「俗」は切り離せない。もし、何かの形で序列をつけなければならないとしたら、日常生活の柵を抜け出そうとしない自分自身の弱さを底辺に置くべきであって、そこから逸脱し超越しようとするものはすべて「聖」であり「俗」であるということだと思う。作中、ミホが「俗歌」を歌ったことを母に窘められ縮こまったことが脳裏に浮かぶ。

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2013/10/27

『鈴木忠志対談集』/鈴木忠志

私が「アート」「芸術」について書かれたり話されたりしているのを見聞きしたときに浮かぶ疑問についてのあらゆることがこの本に書かれていた。私のようなアートや芸術にほとんど知見のない一般市民が抱いている疑問が網羅されているというのは物凄いことだと思う。通常、その道の専門家の方というのは、一般市民の素朴な疑問は既に彼方に置き去りにしていることが多く、一般市民の素朴な疑問に対する答えも持ち合わせている人というのは、その道を追求しきっている人だと思うから。

金森譲との対談『「芸術家」は公共の財産である」から:
  • 身体に対する「言葉」をもつ。自分の関わっている事柄に対して、明晰にかつ深耕した説明のできる「言葉」を持たなければならない。このことについて、自分は、ITというのはITを触れていない人にとって専門用語が多く理解しがたいものなので、できる限り専門用語を使わない説明を指向してきた結果、ITに関わる明晰で深耕した「言葉」の獲得が等閑になっていたきらいがあると反省。
  • 集団活動のための方法論と共同意識。ある特定の目的の下にある集団活動のためには、共通の「言語」を持たなければならない。共通の「言語」を持つためには、その活動に関わる「基礎」が共有されてなければならないが、日本ではその「基礎」がおざなりにされる傾向がある。それは、舞踏の場合は、その「基礎」練習に時間をかけられないという経済的な制約に由来する。なぜ時間を掛けられないかというと、舞踏に限らないことだけれども、つまりは「芸術」で生活を成り立たせるのが難しい環境だからであり、日本人の文化レベルの問題になるかもしれないが、もう一方で「芸術」が公共財であるというコンセンサスが醸成されていなからでもある。芸術は「公共財」であるというコンセンサスが成り立つことで、自治体の財源を利用することが可能という筋道を立てることができる。
  • もうひとつ、「基礎」練習がおざなりになる理由として、日本では「素人」であることも表現のひとつであるという土壌ができあがってしまった。これは、「専門性」のヒエラルキーの害悪に対するサブカルチャー、アンダーグラウンドのムーブメントが一定の浸透を見たからだと思う。その結果、訓練されない「あるがまま」も表現のひとつとなってしまった。このことに対して徹底的に異議を唱え続けることも一つの方法だと思うけれど、私は鈴木氏が述べている「差別されることに自覚的であるか」というスタンスを習得したい。歌舞伎は身分的・社会的に差別的な位置におかれていたが、そこで異常なことを自覚的にやっていることで発露する芸術性というものがあり、メッセージ性というものがあった。これが、ヒエラルキーの害悪を回避しつつ、エネルギーを保ち続ける方法論のひとつだと思う。社会的に「素晴らしいことをしている」「正しいことをしている」という賞賛を得つつ、経済的にもメッセージ的にも成功したい、という強欲が芸術を失墜させているのではないか。

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2013/10/10

『恋しくて』/村上春樹

■「テレサ」デヴィッド・クレーンズ

二作続けて学生時代の恋愛が描かれた作品だったことが少し意外だった。村上春樹がチョイスすると聞いて、学生時代の恋愛をイメージしていなかったから。でも考えてみればノルウェイも学生時代だし、そんな変なことではないか。学生時代の恋愛というといくつかの定型パターンがあって、そういう「すぐイメージできるパターン」を読みたくないから、あまりイメージしていなかったのかもしれない。
この話はとても短くて、かつ、状況が日本ではイメージしにくい(けれどもかの国では誰もがイメージできるような)状況がポイントになっているので、具体的な状況のひとつひとつが胸に迫ってくるわけではなかったけれど、アンジェロの「大人」になっていく様が胸に迫ってくる。いつから自分はこういう伸びしろがないとあきらめてしまったんだろう、と。
4120045358 恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES
村上 春樹
中央公論新社  2013-09-07

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2013/10/08

『恋しくて』/村上春樹

『恋しくて』は村上春樹選の9篇の海外の短編恋愛小説と、村上春樹の描き下ろし短編の10篇。一日一篇読んでいこうかな。しかしやっぱり現代モノは読みやすい。

■「愛し合う二人に代わって」マイリー・メロイ

村上春樹氏解題にも触れられているけど、物凄くオーソドックスでストレートな恋愛小説。若干冴えない目の男子ウィリアムと派手に見えるところがあって誘いの手にも慣れている女子ブライディーという片田舎?の幼馴染の高校生の、大学生から社会人生活を経る恋愛小説。いったいどこでどんな突き落としが?と思いながら読むとなんと最後に。というストレートさ。
このストレートさを以てして著者が言おうとした最も大きなテーマはここだと思う。
p22”ドイツ語ならきっと、世界的な大事件が個人の私生活に波及することを意味する長い複合語があるに違いないとウィリアムは思った”
この物語には9・11、イラク侵攻、アブグレイブと、まだ記憶に新しい「現在」が取り込まれている。その「現在」を青春時代に通過しているウィリアムとブライディーが存在していることにすこしくらくらする感覚を味わうと共に、「歴史が個人に及ぼす不可避的な影響」を思い起こさせる。我々日本人にとって最も身近なのは戦時中の独裁体制だけれども、東日本大震災や福島第一原発も同じく「世界的な大事件が個人の私生活に波及する」ことだ。これを「しょうがないこと」で語りもせず片づけようとするところに、文学の誕生はないように思う。
4120045358 恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES
村上 春樹
中央公論新社  2013-09-07

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2013/09/23

『ヒプノタイジング・マリア』/リチャード・バック 天野惠梨香訳

4839701555 ヒプノタイジング・マリア
リチャード・バック 和田穹男
めるくまーる  2013-08-15

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 『かもめのジョナサン』のリチャード・バックの最新作、よしもとばななの推薦文、ということで飛びついて買ったのですが、読んでいる最中にあらましわかってしまうし、あまり高揚感なく読み終えてしまいました。一言で言うと、『ジ・アービンガー・インスティチュートの”箱”』の小説版、という感じです。

 「ヒプノタイジング」とは催眠術。自分の人生そのものも、催眠術に掛けられているようなもので、繰り返し繰り返しやってくる暗示を受け入れたり否定したりしながら生きている。だから、肯定的な暗示を選び、自分で肯定的な暗示を発し、否定的な暗示は捨て去るようにすれば、人生は肯定的なことばかり起きるようになる。この存在は「魂(スピリット)」なのだから、すべての制限は「思い込み」=否定的な暗示に自分を掛けているだけで、死んだとしてもそこで自分が終わるわけではない。それさえも否定的な暗示に過ぎない。

 という、唯心論的な教義を、読者の心になるべく効果的に嘘くさくなく落とし込めるように物語が描かれていますが、そうは言ってもどうしたって嘘くさいと思う。これは一種の「最善の事例」であって、これを読んで「よし、じゃあ私も今日から肯定的な暗示ばかりを選んでいこう」というふうに奮い立つ人は少ないと思うし、一方でジェイミーが体験した不思議な成り行きにココロ震わす人もいないと思う。この小説はストーリーを魅せるというよりも「経典」的な性格を強く負わせて書かれていると思うし、アメリカの小説にはこういう「経典」タイプがジャンルとして確立してるよなと思う。

 肯定的に考えるという姿勢自体は全然否定しないけれど、こういう講釈をつけられた上でその姿勢を取るのはなんか疲れてしまわないか?といつも思います。日本人はやっぱりそういう講釈の裏付けで動くのが苦手なのかも、と自分を振り返ってみて思ったり。

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2013/09/16

『文・堺雅人』/堺雅人

4167838710 文・堺雅人 (文春文庫)
堺 雅人
文藝春秋  2013-07-10

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 「堺雅人は鞄に原稿を書くための道具を入れて、持ち歩いている」と背表紙にあったので、もっと思索の密度の濃い文章を想像していたら、起承転結の意識がしっかりしたきちんとした「コラム」だったのでちょっと肩すかしでした。もっと、結論の出ない苦悩感のある文章かと思ってました。

 雑誌の連載ということで、最初の方はまだ書き馴れていないからなのか、丁寧な構成だけれどもそれほど目新しくない内容かな、という印象でしたが、全体の半分を過ぎたころ、『ジャージの二人』の話題が出てくるあたりから深みが増してきて面白かったです。更に後半、『篤姫』が出てくるあたりになってより深くなって、俳優さんはやっぱりその時手掛けているお仕事によって密度が変わるのだなあと改めて思いました。
 特に興味深かったのは2点、ひとつは長嶋有との対談で男女同権について触れているところについて。堺雅人は5歳くらい年下という印象なんですが実際は1歳違いなのでほぼ同世代、その彼が男女同権について、男性という側から男女同権を実行しようとすると、必ず困難が付きまとうと言っているところ。実際のところ、「男女同権」と言っている女性も、実は「同権」なんて求めていないのではないか、もしくは「同権」ということがわかっていないのではないか。ここはこの本を読んだ人にはみなちゃんとそう読み解いてほしい。
 もうひとつはコトバについて、「僕のなかには東京コトバでうまくいいあらわせないなにかがあるのだが、僕のさびついて宮崎コトバではもうそれは表現できない」と言っているところと、「本来コトバのうらにあるはずの動機(といって大袈裟なら、そのコトバがでてくるまでのココロのうごき)が追いつかなくなってくる」と言っているところ。自分の思っていることを自分の思っているように”話し”コトバで表せない、という悩みは常に深くある。僕の場合、それはもしかして、関西弁としてほとんど同じようで実は微妙に違う奈良弁と伊賀弁の差にあるのではないかと思うことがあったり、よどみなく話せるようになったことの裏側では、話したいというココロのうごきが衰えてしまっているというような話。これについて語っている部分は、丁寧に書いていらっしゃるなあととても感動しました。

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2013/08/24

『ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える』/ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ

4062180618 ビッグデータの正体 情報の産業革命が世界のすべてを変える
ビクター・マイヤー=ショーンベルガー ケネス・クキエ 斎藤 栄一郎
講談社  2013-05-21

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 「ビッグデータの要諦は正確性の放棄と相関関係」という基礎知識については置いておいて、「そこに人間の自由意志は残るのか」という問い掛けにずっと心が囚われた。理由は判らないけれどもハリケーンが近づくとポップターツがよく売れるので店頭に置いておいたら果たして売上増大に繋がった、という話を聞くと、それを選択しているときは確かに自分で選択してるはずなのに、そういう選択をするということが何者かに判られている時点で自由意志ではないような気持ち悪さを感じてしまう。思想の書物を読んでいても、その選択は本当に「自分」が下した選択か?という問い掛けを何度も読んで考えてきたので、ビッグデータという、思想や哲学ではないIT分野の書物でこの問い掛けに遭遇して、自分の好奇心が刺激された。

数年前から事あるごとに思い出す「編集」に関する問い掛けもよく似ている。「果たして「オリジナル」は存在するのか?」という問い掛け。「編集」の文脈で考えるとき、「オリジナルは存在しない」というのがほぼ覆せない定説で、いつもデリダのエクリチュールを思い返す。そしてエクリチュールを思い返すとき、いつも連想でフーコーのディスクールを思い返す。オリジナルはないし、自由もない。言葉を使うとき、すでに権力に伏していて、権力の下で言葉を使っている。これまでのITの世界も、これとすごく似ていたと思う。世界の事象をそのまま扱うことはできないから、モデルを作りそのモデル内でデータを集め、更にそのデータをサマライズする。これは編集に似ていると思うし、モデルを構築する時点で、権力の元にある。
 しかし、ビッグデータはサマライズしない。ローデータにアクセスして、知見を見出そうとする。少なくとも、ITの世界の中では、ローデータにアクセスするということは、オリジナルにアクセスしているということになる。実際のデータサイエンスの世界はそんなに簡単なものではないようだけど、概念上では大量の、整形されていないオリジナルにアクセスすることになる。このITの潮流は、また新しい哲学に繋がるのだろうか?とても興味津々だけど、追いかけて行き方がまだ、わからない。

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2013/08/18

『爪と目』/藤野可織

文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌]
文藝春秋 2013年 09月号 [雑誌]
文藝春秋  2013-08-10
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 主人公の「あなた」の無感動ぶりというか無執着ぶりというか薄情ぶりというか、誰が読んでも「現代人ってこういうふうに、無暗に自我を通そうとしたりせずに低温で生きてるよなあ」と思うような気がして、だから「あなた」だと思えて仕方ない。ちょっと人間としてでき損ねてる具合では、「あなた」が愛人である「わたし」の父もいい勝負なんだけど、「あなた」のほうが賢い感じで、父のほうがバカな感じを受ける。そして賢い感じの「あなた」が、怪死した「わたし」の母のブログを見つけ、そこに記録されていった拘りのあるようでないような些細で細やかな日常の変化の記録を追いかけまくったとき、人はなぜ「執着」するのかを少しわかったような気になる。でも肝心なところは見ないので、「わたし」に「見ないようにすればいい」と諭して施したマニキュアという「見えないようにするもの」で「見えるようになった?」と言われてしまう。

 わたしは前々からよく見えていたというのに、あなたとわたしはそれ以外はだいたいおなじという。そこが救いがあるのかないのか僕にはよく判らないけれど、日々嫌なことから目を逸らしたり逃げたりいい加減なことをやったりしつつも、僕は「あなた」や父のように、「見ないようにして」生きていたりはしていないので、この物語を自分の教訓にするようなことはないと思う。そしてそれはもちろん、この物語が自分にとって無用だったということじゃない。

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2013/08/10

『夏の入り口、模様の出口』/川上未映子

4103256214 夏の入り口、模様の出口
川上 未映子
新潮社  2010-06

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さすがだな、と思ったのは『おめでたい人』、土浦市の連続無差別殺傷事件の犯人が語る「哲学的思考」のその「哲学的センスのなさ」を明快な文章で説明してみせるとこ。そして、「なぜ人を殺せる考えの持ち主が現れるのか?」という思考方法の限界を定義して、「我々はなぜ殺せないか」を語る必要がある、というところ。理解できないからとその言葉に耳を傾けない姿勢は批判されるべきではあるけれども、哲学的思考が世に有益な作用を及ぼすためには、これ以上耳を傾けても仕方のない事柄を見抜く力と、それに対抗しうる視点で思考するセンスが必要ということかな?目から鱗です。

p13「こんな気持ちに負けないためには更なる希望を見つけて育てるしかないのかも知れないけれど、当然とされているものには逆の価値観で挑むのも一つの方法」
p25「言うべきは言ったほうがいいんですか問題」
p28「彼はなぜ殺したか、ではなく、我々はなぜ殺せないか、という側面から語られる言葉もおなじように準備するべき」
p35「「いつか絶対に死んでしまう!」という身もふたもないあまりにも絶対的な事実」「どばっと飛び起き、部屋の電気をつけて、自分に身体があることを確かめて恐ろしい興奮を逃がす、でもまだこわい」
p60「こうしたある種の感動には批評も目論見も追いつけない、という事実をマイケルの踊るのを精読ならく精観して知り、またため息をつく」
p133「世間は手を替え品を替え物語を用意して、最近は「言い切る」形で捏造して煽ってくるけど、お待ちください。この人生の主導権はいつだってこっちにあるのだからそういった物言いはすべて堂々と無視する力を持ちたいものだ。自立なんてのはお金を持つことでも独立して新しい家族をもつことでも世間の感情に自分の感情をすり寄せることでもなくて自分で考えた価値観を自分の責任において遂行するだけのことなのだった」

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2013/06/15

『さきちゃんたちの夜』/よしもとばなな

4103834102 さきちゃんたちの夜
よしもと ばなな
新潮社  2013-03-29

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 宮崎行きの飛行機で読んでいたら、舞台に宮崎が出てきてびっくりしたとか、いつも通りシンクロする我が読書。

 「これ、いつ頃に書かれた作品群なのかなあ」と思いながら読んでいたら、あとがきに「途中で親が死んだり」「けっこう長い中断を強いられたり」とあって、なんとなく読んでいて感じられた、ストーリーの滑らかさと相容れない、こつこつと諦めずに繋いでいくというような気配の訳が少しだけ判ったような気になりました。初出が2011年6月とあるので、1年半かけてこの五篇が創られたということになります。それが長いのか短いのかなんとも言えないですが、簡単な道ではなさそうだなあということだけは判ります。

 かつて、よしもとばななが世に広まり出した頃の、「癒し」「救い」というテーゼには、「ほんとにそんなにキツいのか?」と全面的に没頭することができないまま、よしもとばななの言葉と物語の力にだけは心酔していったのですが、非常に落ち着いたトーンで描かれた本著からは、今という時代が本当に生きにくい時代で、そんなキツい時代を生きる我々に物語を差し出そうとしてくれた気持ちがよく判ります。個人的には『デッドエンドの思い出』以来の読後感でした。

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2013/06/12

『集合知とは何か-ネット時代の「知」のゆくえ』/西垣通

集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)
集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書) 西垣 通

中央公論新社  2013-02-22
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 ウェブが一般化して、ビッグ・データも(ともかく言葉と雰囲気だけは)一般に広がり始めて、「集合知」という考え方も広がりつつある状況で、「集合知」の捉え方を整理できる良書だと思います。必読の一冊と言って良いかも。なのでパラドックスになるけれど、本著で書かれている「集合知」の考え方を知っていることが、「集合知」を活用できる前提となり、なおかつ、「集合知」が有効に作用する社会の成立要件と言ってもいいと思うんだけど、この考え方そのものが、一部の「エリート」層の独占になってしまって、「集合知」の要諦を知りつつ、単純な「多数決」を振り回すような事態がこれからも続いてしまうことを心配した。
 広く意見を聞くことが最適解への道だというこの考え方の盲点は、「広く意見を聞く」”誰か”がいて初めて成り立つということで、たくさんの人間が口々に広く意見を言い合っている状況ではないということ。その”誰か”は言うまでもなく”主観的”な存在なので、この”主観的”な存在のキャパシティに、最適解の質が依存するということ。ただ、単なる”主体礼賛”ではないところが、本著の優れたところだと思う。

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2013/05/07

『北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか』/翁 百合 西沢 和彦 山田 久 湯元 健治

4532355435 北欧モデル 何が政策イノベーションを生み出すのか
翁 百合 西沢 和彦 山田 久 湯元 健治
日本経済新聞出版社  2012-11-16


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  • 最も印象に残ったのは、今までやってきたことをいかに止めるか、その止めやすさの醸成がカギだということ。
  • TV番組で、フィンランドの子どもたちの「将来どんな仕事をしたいか」の第三位が「なにもしたくない」だったというのを聞いたから、世代によって柔軟に変更していかないといけないということだろうか。

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2013/05/05

『地図になかった世界』/エドワード・P・ジョーンズ

456009019X 地図になかった世界 (エクス・リブリス)
エドワード P ジョーンズ 小澤 英実
白水社  2011-12-21

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 奴隷制度が存在している南北戦争以前のヴァージニア州マンチェスター群が舞台ということで、奴隷制度の不条理や非人間性に焦点が当てられているのかと思いきや、読んでいると奴隷制度への抵抗が荒々しく胸に燃え上がるような感じではなく、逆に、登場人物たちがみなあまりにも「奴隷制度」を当たり前のものとして生きているので、その制度枠の中でどうやって生きていくのか、という視点で読み進めることになる。奴隷制度に対する批判といった、お説教なところはほとんどない。悪事を働いた人物がストレートに懲らしめられるような展開でもない。でも、奴隷制度下の親子世代に渡る長いタイムスパンが、大河ドラマのように展開していく。
 いちばん印象に残るのは、何度も「法律」が登場するところ。奴隷制度が登場人物にとって当然なのは、法律がそう定めているからだ。だから「法律」は絶対で、登場人物はみな「法律」の順守に強い意識がある。日本はこういう感覚が凄く薄い気がする。法律であっても、皆であつまって決めたことでも、簡単に破る傾向にあると思う。「決め事」に対するこの感覚の違いは、日本式のほうが分が悪いと思う。
 後半で自由黒人の奴隷であるモーゼズが「自由」に対して執着するところが、奴隷制度への不条理感を炙り出す。それでも、それも世界の一コマ、という描かれ方が貫かれるところが、この小説のスケールの大きさだと思う。

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『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第六章 人間はロジックより感情に支配される-ジェームズ・ワトソン

  • サイエンスにおいては優れた着想は個人からしか出て来ない、集合知能というのはあまり有効ではない、総意を得るのは時間が掛かるし、そもそも往々にして間違いである。これはサイエンスにのみ有効な考え方なのか?ジャレド・ダイアモンドによれば、民主主義に個人の優れた判断力というのは必須ではない。それは、集合知のほうが間違えない、ということを言っている訳ではないのか。ただ、インスティチューションが大きくなりすぎると個人を潰す、というのはその通りだと思う。
  • 社会が丁寧になりすぎているというのは、ナイーブになりすぎているというのと同じ意味合いだと思う。特に文化的背景が異なる交流が増えると、丁寧にならざるを得ない面があるのは否定できない。

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2013/05/01

『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第五章 サイバー戦線異状あり-トム・レイトン

  • 自分の勤める業界の話なので非常に興味深かった。
  • 起業に至るプロセスの描写がとても良かった。起業を考えている人には、こういうドキュメンタリを勧めるほうがよいと思う。
  • チョムスキーが「資本主義に政府の介入は絶対に必要」と言っていたのが重なる。
  • プランをつくることの重要性。

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2013/04/30

『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第三章 柔らかな脳-オリバー・サックス

  • 常にフルパフォーマンスを出せるのが一流という考え方もあるが、偏頭痛のような、ハンディキャップの存在によって成立している特殊能力というのもある。
  • 宗教の必要性。「実践者であるが信仰者ではない」という表現は優れている。
  • 幻覚について用語が多数存在しているのに驚く。
  • 環境と遺伝は明確に分けられないものになりつつある。

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2013/04/29

『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第四章 なぜ福島にロボットを送れなかったか-マービン・ミンスキー

  • コンピュータの知能を上げる研究は、もっぱら統計的なものによってきたが、統計分析のためのソースデータの規模を上げることはできるが、結果の向上は限界にきているという。これはビッグ・データに対するスタンスを一段深める。現状でも、ビッグ・データは分析手法が課題であるということは理解されつつある。
  • 叡智というのは個人知能に依存するという話。少なくとも科学の世界ではと書かれているが、これは一般化できることだろうか?ジャレド・ダイアモンドによれば、個人レベルでの優れた判断をそれほど重要視していなかった。ミンスキーは、集合知能は「間違うことも多い」と、ジョージ・ブッシュが勝利した大統領選を例に出して繰り返し言う。
  • ゆっくり考えることの重要さ。

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『知の逆転』/NHK出版新書

4140883952 知の逆転 (NHK出版新書 395)
ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第一章 文明の崩壊-ジャレド・ダイアモンド

  • 「個人の優れた判断力というのは、健全な民主主義のための必須条件ではない」。優れた判断力はそうそうないのだからと言われると至極全うだけれども、吉本隆明、ノーム・チョムスキーの「大衆への信頼」に完全に同意できない思いもある。ポピュリズム。しかしポピュリズムは民衆の自発的な行動ではなく、為政者の誘導によるものということか。優れた判断ではなくとも、健全な民主主義に相応しく必要な判断の仕方と、そうではない判断の仕方というものはありそう。もし、個々人における判断は蔑ろでよいという前提を認めてしまったら、個人は大衆に埋没して初めて存在価値を得るということになってしまう。
  • いじめは子どもの世界で起こるものだから、子どもの世界のルールで対応するのが最善と漠然と思っていたが、やはり既にその閾値は越えてしまっていると考えた方がよい。
  • 「いかなる社会も、人びとが互いにナイスにし合うことで存続してきたためしはない」だから一定の権力機構が必要になる。ナイスにし合いながら行けるところまで行く、という「ゆるい」共同体はある種の理想だが、そのあり方はどこかで大事な責任を放棄することによって成り立っているとも言える。大事な責任を放棄することによって、少なくとも表面上、大成功しているように見える事柄が、実は何かをむしばんでいることはあまり指摘されない。

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2013/04/28

『知の逆転』/NHK出版新書

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ジャレド・ダイアモンド ノーム・チョムスキー オリバー・サックス マービン・ミンスキー トム・レイトン ジェームズ・ワトソン 吉成真由美
NHK出版  2012-12-06


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第二章 帝国主義の終わり-ノーム・チョムスキー

  • アメリカの行動規範が徹底した目的主義ということを再認識。これは、「何に着目しなければいけないか」ということを考えることが徹底的に訓練・教育される土壌だからだと思う。それが如何に直線的で退屈なものに見えたとしても。
  • 「インターネットはカルトを生む土壌になる」。どんなに無害に見えたとしても、カルトの危険性をはらんでいるものがある。
  • 誰かとの共同作業を行うことと、自立した個人であること、その両方のスタンスの必要性を認識できること。

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2013/04/25

『WIRED VOL.7 GQ JAPAN.2013年4月号増刊」/コンデナスト・ジャパン

WIRED VOL.7 GQ JAPAN.2013年4月号増刊
WIRED VOL.7 GQ JAPAN.2013年4月号増刊
コンデナスト・ジャパン  2013-03-11
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「未来の会社」目当てで買ったけど、「Googleの挑戦」と「Facebookの進化」という、二大検索についての記事が大変面白かった。Google以前を知っている僕は、「検索と言って、これ以上何が必要なのか」と考えるけれど、Google以後の、Google既存の世界から見ると、今の検索はまったくまだ「検索」ではないのだ。「僕が好きなものを好きな人」を、どうすれば検索できるだろうか?
個人的な感覚では、「検索」は「思い出し」のプロセスと重複し始めている。何かを思い出そうとするとき、思い出そうとするよりも先に検索しているようなケースがある。実際に検索していなくても、検索しようとまず頭が考えていることがある。これはよくないことだと常々思っているけれど、Google既存の世界では大した問題ではないのだろうか?いや、そんなことはないはずだ。Googleによる検索のほうが遅いケースが多いから。

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2013/04/21

『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』/村上春樹

4163821104 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年
村上 春樹
文藝春秋  2013-04-12

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 村上春樹の作品に対する感想は、常に自分自身だけの個人的な感想にならざるを得ないのだけど、本作は、これまでの村上春樹作品と違って、これ以上ないくらい判りやすいつくりになっていたと思う。深く読み取らないと作者の意図が判らないとか、そういうことが極力ないように書かれたような印象を持った。もちろん深く読もうと思ったら読める深さは持ち合わせていると思うけれど、ストレートに読んでも、そのままで物語の意図がちゃんと読者に伝わるような書き方がされていると思った。

 村上春樹作品のメインテーマとして「予め失われたもの」があるが、本作は珍しく、喪失感の強調だけを感じて終わらなかった物語だった。軽い言い方だけど、救いがある。これまでは徹底的に「予め失われたもの」を感じさせられ、その救いの無さを感じる中から、自分なりの立ち向かい方を模索するような読み方になっていたのが、本作はきちんと救いが書かれている。多崎つくるが失ってしまったものは、無くなってしまったのではないということが、きちんと語られる。ここが僕個人はいちばん感動したところだった。

 その上で、たくさん登場するテーマの中で僕が強く惹かれたテーマは二つ。ひとつは、「だとすれば人間の自由意思というのは、いったいどれほどの価値を持つのだろう?」という問い。先日の『不可思議な日常』の読みでも、ディスクールを思い出さされる一篇に出くわした。表面的には、この問いに対する答えは本作では書かれない。この問いには生涯をかけてでも向き合わなくてはならない。

 もう一つは、「そしてその悪夢は一九九五年の春に東京で実際に起こったことなのだ」。村上春樹はけしてサリン事件を忘れない。そして、世の中の安定が奇跡的だと言いながらその奇跡の度合いを実感できず、何かとんでもないことが起きないとありがたみが判らないとでも言いたげな現代(人)に対して、「あっただろう、つい最近」と突き出して見せている。そして何故そんなことが起きるのかと言えば、「我々が暮らしている社会がどの程度不幸であるのか、あるいは不幸ではないのか、人それぞれに判断すればいいことだ」ときちんと言い放ってくれる。

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2013/04/07

『マニフェスト 本の未来』/ヒュー・マクガイア&ブライアン・オレアリ

4862391176 マニフェスト 本の未来
ヒュー・マクガイア ブライアン・オレアリ アンドリュー・サヴィカス ライザ・デイリー ローラ・ドーソン カーク・ビリオーネ クレイグ・モド イーライ・ジェームズ エリン・マッキーン
ボイジャー  2013-02-20


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 面白いです。少しずつ読み進めているのですが、本著に限ってはノート式に感想を書いていきたいなと思いました。読み始めて真っ先に思ったのは、僕はかねて電子書籍に否定的な人に対して、「活字がなかったころは書籍自体が邪道で、口承こそ真の知識伝達だと思われていたと思いますが、それでも書籍が最高最上の媒体だと言えますか?」と尋ねていたのですが、その考え方をどう導いていけばいいのかを教えられているようだということ。

1.コンテナではなく、コンテキスト/ブライアン・オレアリ

  • 「コンテナ」と「コンテキスト」
  • 「コンテキスト」・・・タグ付きコンテンツ、取材ノート、注釈入りリンク、ソース、BGM、バックグラウンドビデオなどと呼んでいる、ある本の内容を取り巻くある種の「環境」
  • コンテンツビジネスにおいて、コンテナありきの状況は終焉を迎える。コンテンツにとって重要なのはコンテキストになり、コンテキストに応じたコンテナを選択できなければ、そのコンテンツは流通すらしなくなる。エンドユーザに見いだされなくなる。
  • ワークフローの転換。

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2013/02/24

『「反核」異論』/吉本隆明

B000J78L32 「反核」異論 (1983年)
吉本 隆明
深夜叢書社  1983-02


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 『「反核」異論』は未読だったのですが、書店でたまたま『吉本隆明が最後に遺した三十万字〈上巻〉「吉本隆明、自著を語る」』を立ち読みした際、『「反核」異論』の章が開いて食い入るように読んでしまい、本体もぜひ読みたいとなりました。

 『「反核」異論』は、原発の是非を世間が語り続けている今、読む価値のある一冊だと思います。吉本氏は原子力の利用について否定派ではなかった為、否、なかったからこそ読む価値があると思います。それは、原子力の利用の是非そのものについての知見を得るということではなく、『「反核」異論』という言葉を受け取ったときに何をどう考えるべきかを考えるという点において。

吉本氏の「反核」運動に対する「異論」の理由は明瞭で、

どうしてかれらは(いなわたしたちは)非難の余地がない場所で語られる正義や倫理が、欠陥と障害の表出であり、皮膚のすぐ裏側のところで亀裂している退廃と停滞への加担だという文学の本質的な感受性から逃れていってしまうのだろう?

 この一文に集約されると思います。私にはこの文章に何かを付け加えることは全くできません。自分なりに言い換えようと思っても言い換えることすらできないくらい、隙のない、それでいて今まで私が思ってきたことを代弁してくれている一文です。

 そしてもう一つ、その「反核」に対する反対表明について、

文学者の反核声明はだめだと思うんだけど、あれをだめなんだという批判と否定を組織してはいけないということです。つまり、反核声明を批判するのはひとりひとりでやらなきゃいけないと思う

 これで本当に充分だと思います。誰も反対することが出来ない、安全地帯と免罪符を振りかざし賛同を強要し徒党を組む行為というのが、「退廃と停滞への加担」だと切って捨てる気風や気概は、苦しく険しい道に違いないけれど、自由への道というのはそこにしかないと思う。吉本氏がこのとき「反核」に異論を唱えた理由は明瞭で、「反核を言うなら、なぜソ連にも言わないのか。なぜアメリカだけなのか。」「ソ連が仕掛けた「反核」運動は、ポーランド「連帯」弾圧を隠すためのものだというのがなぜ判らないのか」ということ。
 東日本大震災以降の日本で、例えば「反原発」と言うのは容易いことではないし、反核と反原発は共通点もあるが異なる文脈でもあります。でもそこでもし「反原発」に批判の余地がもしあったとしたら、それはやはり声をあげないといけない。「反原発」と同じように、「エコ」とか、「もったいない」とか、「ロングライフデザイン」とか「コミュニティ」とか、そういったものに繋がる可能性を孕んだお題目は、現代の日本にも氾濫していることを、忘れてはいけない。

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2013/02/11

『カジュアル・ベイカンシー 突然の空席』/J.K.ローリング

4062180227 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 1
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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4062180235 カジュアル・ベイカンシー 突然の空席 2
J.K.ローリング
講談社  2012-12-01

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言わずと知れた『ハリー・ポッター』のJ.K.ローリング初の現代小説。『ハリー・ポッター』シリーズは映画は何作か観たことありますが小説は一作も読んでないのですが、映画と、ニュースやウェブなどから様々に漏れ聞こえる情報だけでもわかるファンタジー界の綿密なる創り込みで作品の面白さを組み上げている著者が、ファンタジー界を用いなくても面白い物語を描いているのか?という興味で読みました。

物語の主軸は、街を二分する区域-パグフォードとヤーヴィルのいがみ合いのような地方政治。「住人の三分の二近くは全面的に公に頼って生きている」フィールズというエリアが、元はヤーヴィルに所属していたがある時パグフォードに組み込まれることになり、パグフォードの住人はフィールズをヤーヴィルに突き返すことを宿願としている。そんな折、パグフォード内でフィールズの擁護派だったバリー・フェアブラザーが急死、議会に<突然の空席>が生じた-。

と、中心軸は国を問わず判りやすい筋を置きつつ、両地区の住民・家庭を多数登場させて、海外ドラマの展開さながらにストーリーが入り乱れます。親、子、夫、妻、義父義母、同級生、ケースワーカー、議員、その他もろもろ入り乱れます。このストーリーのひとつひとつが人間臭いし、話の展開の仕方もとても丁寧で、海外文学によくある「読んでるうちに場面が変わってて置いてけぼりにされてる」というようなことは全くなく、さすがは希代のストーリーテラーと言ったところですが、そのストーリーテリングのテンポの良さでどんどん読み進められるものの、作中で起きるイベントそのものはそれこそ日常生活でも聞いたことありそうなもので、リアルではありますが、「人生のなんたるか」みたいなことを考える向きではないです。これだけのエゴを連続して食らわされるような構成であっても、これは娯楽小説として読める類の作品で、エゴ塗れになって深淵を覗きたいなら『明暗』のほうが数倍覗けます。

個人的にはファッツに関する筋がいちばん興味深かった。それはもちろんクリスタルが絡むからでもあるし、アンドルーの(ある種の)健気さが若干虚構じみているように感じるからでもあるけれど、「オーセンティック」で一括りにしてしまう、「美学」を気取った価値観の描写が流石児童文学の名手と思わされたからだ。
そしてもう一つ、フェイスブックとSQLインジェクションがさも日常というふうに物語に登場したのには少し驚いた。著者がどれだけITに造形が深いのかは調べていないけれど、日本の小説やドラマでITが出てくるときのぎこちなさは全然感じなかった。

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2013/01/27

『新建築 2013年01号』/新建築社

B00AN570E6 新建築 2013年 01月号 [雑誌]
新建築社  2012-12-29

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・p43 岡田新一(岡田新一設計事務所)
「そこに、グランドデザインに基づく「アーキテクチュア」が現れてくるのだ。そこには市民参加のワークショップからは到達し得ない統合的思考の結果が開示される。このようなプロセスが歴史的変革の時に現れている」
・・・権威主義、特権主義という批判とのせめぎ合いが始まるが、敢えて「市民参加のワークショップ」を、その弱点を捉えて批判的に叙述するのは、現在的な価値があると思う。

・p44 原広司(原広司+アトリエ・ファイ建築研究所)
「建築にとって、豊かな感性や直感は、きわめて重要である。しかし、今はその時ではない。自らの判断力を疑うと同時に、もっともらしい事柄すべてに疑問符を打つ態度が、建築活動全般に要請されている」
「今日本は、残念なことに、かつて、作家のボルヘスが、「どうしてアルゼンチン国民は、これほどまでにおろかなのか」と嘆いた状況にある。このような状態を、打開しようとか、意識を変えようなどという主張に、実はおろかさが現れている」

・p45 中村光男(日建設計 会長)
「海外のクライアントの多くの方が、「日本は街も人も静かな国だ」との印象を口にします。それは新興国のような躍動感を失ったということでもあり、でき上がった国という意味でもあると思います」
・・・こういう、両面を見る発想が常に求められる。

p76「フクノワ」
・「市民参加のワークショップ」の典型的手法

p131「山梨県立図書館」
・情報のフードコート

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2013/01/14

『速習!ハーバード流インテリジェンス仕事術 問題解決力を高める情報分析のノウハウ』/北岡元

B0079A3GX2 [速習!]ハーバード流インテリジェンス仕事術 問題解決力を高める情報分析のノウハウ
北岡元
PHP研究所  2011-01-31

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kindleストアの日本版がオープンしたので、何か1冊買ってみようと思い、選んだのがこれ。よく言われるように、日本のkindleストアは紙書籍に比べて大きく安価な訳でもないし、新刊が多くある訳でもないので、「kindleでなければ」という本を選ぶのは結構難しかった。敢えて「kindleで読む」ということを想定すると、僕の場合、kindleで読むのは概ね通勤時間が最適と言える。なぜかというと、特に行きの通勤時間は混んでいるので、鞄から本の出し入れをするのが大変だから。そして、30分弱の時間は、長めの小説を読むのには不適と経験上判っているので、ビジネス本等が向いている。そこで、少し古めで、1,000円前後のビジネス本を買うのがよかろう、という結論に。
ところが盲点がひとつあった。僕の持っているkindle 3は、日本のkindleストアで買った書籍をダウンロードできない。日本のアカウントに、kindle 3を紐付できないのだ。アカウント結合したら解決なのかも知れないけど、洋書は洋書で入手できる道を残しておきたいので、androidにkindleアプリを入れてそちらで読むことにした。

結果を言うと、「ビジネス本」をケータイkindleで通勤時に読む、というのは悪くない。ビジネス本は基本的にはノウハウを吸収するものなので、机に向かうような状況じゃないところで読むほうが頭に残ったりする。読み直したいときに、片手ですぐ読み直せる。小説は、小さい画面でページあたりの文字数が少ない状態で読むとストレスがあるが、ビジネス本はフィットすると思う。

ところで本の内容自体についてですが、意思決定に関するノウハウの基本が非常にコンパクトにまとまっています。しかもそれらがすべて、「エピソード」という例を元に解説されるので、理解が早いです。個人的には「盲点分析」が知っているようで知らないということが判り、使いこなせるよう読み込みました。

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2013/01/06

『横道世之介』/吉田修一

4167665050 横道世之介 (文春文庫)
吉田 修一
文藝春秋  2012-11-09

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 「世之介」が好色一代男の主人公の名前ということも知りませんでした。オビに「青春小説」と書かれていて、「これって青春小説だったんだ!」とタイトルしか知らなかったのでびっくりしたのですが、確かに九州から東京に出てきた横道世之介の大学生活を描いてるので青春小説なんだけど、その舞台は1980年代のバブル真っ盛りで、そのバブル真っ盛りの学生時代を、2008年の現代から振り返っている、という構成で、僕らぐらいの世代にとって、二重に捻った味わいのある青春小説です。

 バブルの景気の良さを背景にした、軽佻浮薄な世間の中で、それなりに時代の空気とマッチしながらも「人の良さ」を持ち合わせた世之介の人間性と、そんな世之介でも何かを失っていきつつ生きていく様を、僕のような同世代の読者は読みながら、今の自分もまだまだ一生懸命やり続けなければいけない、やることができるんだと思えるはずです。年を取って40歳も過ぎて、諦めるように生きなければいけないなんてただの思い込みだと、そんな気分にしてくれます。これは文句なく、厳密には世之介の世代より少し下なんだけど、同世代である団塊ジュニア世代にお勧めできる一冊です。

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2013/01/03

『ロスト・シティ・レディオ』/ダニエル・アラルコン

4105900935 ロスト・シティ・レディオ (新潮クレスト・ブックス)
ダニエル アラルコン Daniel Alarc´on
新潮社  2012-01-31

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 難しかった。段落が変わったら、いきなり時空が変わってて、そのことに数行、ひどいときには2,3ページ読まないと気づかなかったりで混乱しながら読んだせいもあってか、長く内戦の続いた架空の国家という舞台で、何を語ろうとしているのか、うまく掴めないまま読み終えてしまった。
 政府も、反政府組織も、結局は民衆のその時々思いつきのムードの産物で、民衆は自分達が生み出したムードから反撃され怯えて暮らしているのだ、という読み解きは思いつくけれどそれは設定から勝手に推測したような気がする。

 「世の中には、自分は誰かのものなんだって思っている人たちがいる」

 メモを取った箇所を読み返してみて、この一文が自分にとってハイライトだと思った。何かに捉われている自分。行方不明になっている自分。なくしたものを探しているようで、その時点で既に主体が自分ではなくなっている。『ロスト・シティ』は、つまりそういうことなのだと思う。

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2012/12/31

『あたらしい書斎』/いしたにまさき

年末年始休暇のタイミングで、部屋の組み換えを考えていて、本棚をどうしようか、というより本棚の存在そのものを考えていたところだったので、タイムリー。主な内容は、書斎とは何か、IKEA製品を使った書斎づくりの実践、デジタルの活用の3つ。概ね、誰もが薄々は分かっている内容だけど、形にして纏まっていることで書斎づくりに活かしやすくなっている。自分にとっては「書斎とは何か」という、「書斎の位置付け」が最も有用でした。

p30「モバイル」や「ノマド」で細切れにされる時間と思考
p48「貼雑年譜」
p55「イギリスでは論文を書くにあたって引用元を記載しないと法律で罰せられる」
p73「LERBERGシェルフユニット」
p96「自分の感覚では近いジャンルだと思っている本を、数冊から10冊ぐらいのグループにして並べていく」
p122「デジタル化した情報は、検索性が向上する一方で、一覧性はアナログのときよりも落ちてしまう」
p128「Pogoplug」
p132「フロー情報を編集し、ストック情報にしておく」
p146「まずは自分が楽しめることや、興味を持って学び、考え続けられることを、こつこつと続けていくことが大切です」
p162「図書館は情報を交換し、イノベーションを生む場である」
p165「林信行」「電子書籍には『ジャケ買い』を誘うようなセレンディピティは期待できない」
p174「クランプ」

4844332783 あたらしい書斎
いしたにまさき
インプレスジャパン  2012-09-21

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2012/12/30

『驚きの介護民俗学』/六車由美

4260015494 驚きの介護民俗学 (シリーズ ケアをひらく)
六車 由実
医学書院  2012-03-07

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 「民俗博物館」等で「民俗」という言葉を知っているだけで、「民俗」とは何か、考えたことがなかったので、「民俗学」というのも、判らないとは思わないけれどそれは何かと言われると答えられない、そういうものでした。図書情報館の乾さんのお勧めで購入。この本の面白さは、介護の現場での「聞き書き」で得られた話そのものの面白さと、「聞き書き」という行為そのものを巡る考察の面白さ、そして「介護」に対する社会制度も踏まえた上での主張、この三点。このうち、後者二点について。

 著者は、「聞き書き」は「回想法」とは異なると明言します。「回想法」は、介護において、利用者(要介護者)の心の安定や、コミュニケーション能力の維持・向上を目的として行われるものです。利用者の能力向上という「目的」があり、それを実現する手段として生まれたのが「回想法」です。それに対して、介護民俗学の「聞き書き」は、まず、聞き手である民俗学者=介護者が、民俗情報を求めている立場であり、それを得る行為の結果として、利用者の心の安定や能力維持・向上になるという順序です。「利用者の心の安定・コミュニケーション能力の維持・向上」という成果は結果的に同じでも、その順序の違いは重要で決定的なものである、ということを著者はいろんな言葉で繰り返し語ります。例えば、「ケアする者とされる者は非対称である」という言葉。ケアは相互作用だけれども、ケアする者はケアに対して出入り自由であるのに対して、される者は出入りの自由はない。されなければ生命が脅かされるのだから。「回想法」の発想は、この非対称性に準拠しており、更に非対称性を強化する(要は、介護する方が「してやっている」立場で、介護される側は「してもらってるのだからおとなしく感謝しなさい」という立場)のに対して、「聞き書き」を旨とする介護民俗学の場合、聞き書きの時間はケアする者とされる者の関係性が逆転する(要は、介護する側が「教えて頂く」という立場になる)、これによって、「介護」の相互行為性が回復され、結果、「利用者の心の安定・コミュニケーション能力の維持・向上」がより成果が上がるものになる、と解釈できます。
 この「双方向性」と「非対称性の解消」は、人間関係性での一つの「理想」だと思っていて異論はないのですが、これを実現するための困難さも容易に浮かびます。その一つ、「実際に、介護の現場で「聞き書き」をすることの時間的・精神的余裕の無さ」についても、本著では実践の過程が詳しく書かれています。
 介護者としての実践だけでなく、介護者という個人の活動(と限界)を規定する社会制度面についても主張をきちんと書き込まれているところが本著の行き届いたところだと思います。掻い摘んでしまうと、「時間的・精神的余裕の無さ」の根本は、介護者の低賃金であり、介護者の低賃金を生んでいるのは、国民の意識が介護をその程度に低く見ているからだという問題認識です。著者は介護者として、介護の社会的評価を上げる努力をしなければならないという反省を書きつつ、「介護予防」という厚生行政の考え方を批判します。著者は「介護予防」ではなく、介護は必ず必要になるものだとして「介護準備」という考え方を示し、金銭面の準備もしていくべきだとします。この点は、財政面も含めて考えなければならないところだと思います。

 「聞き書き」して纏められる「思い出の記」は、民俗学的見地からも、話をしてくれた要介護者の方の思い出としても、非常に意義深いものだと思う。個人的には、発話されたものが書き言葉になることで再び生まれる「気配」というものの他に、やはり、発話そのものの「気配」も記録し再現できることにも意義が感じられるように思いました。

 「聞き書き」のモチベーションは「驚き」であり、常に「驚く」ためには好奇心と矜持が必要だという下りは、少し前なら、そんな精神論的なものでは維持できない、と考えたような気がする。しかし、この無形のモチベーションというのは、実は大事にしなければいけないという思いが強くなっている。
 そして、「回想法は誰でもそれを活用できるように方法論化が進んでしまった」というのは、誰でもできるようにマニュアル化することによって魂が抜け落ちるという悲劇を改めて認識するとともに、IT化というのは基本的にモデル化でありマニュアル化であり、誰もができるようにする手伝いであるということにこれもまた再び思いを馳せてしまう。

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2012/12/26

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「娘の作文」
作文と言えば、「こういう趣旨で書きなさいよ」というのを如何に汲み取るか、というものだと思い込んでいる。例に挙げられていた「税について」だと、子供でさえ、「税金は納めないといけないものです」という趣旨をくみ取って、それにそったストーリーを書こうとする。自分の考えを書く、という訓練になっていない。作文という体を使って、洗脳しているのと同じ。自分の思ったことを思ったように話せない呪縛は、こんなところから始まっている。なぜ、作文をそんなふうに扱うのか?大人側が、子供が思っても見ないことを言ったときの対処能力を身に付けないまま大人になってしまうからだ。

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2012/12/24

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「知識よりも思考を」
学びの楽しさを知らないから学生が学問する気を持たないというのはその通りと思う。僕も学びの楽しさを知らないのでとても同感できる。でも、就職面接で「クラブ活動に打ち込んできました」とか、学問以外のことをアピールするのは、企業側が大学での学問活動など取るに足らないと重視していなかったからのように思う。それともそれは僕がレベルの低いところで活動していたということなのか。それと、知識よりも思考を、というのはよくわかるし、思考こそが学問の楽しみの核だということもわかるけれど、それよりも問題は、思考のためには知識が必要なのだという、その必要性を理解させられていないことだと思う。

4004121418 自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)
池田 潔
岩波書店  1963-06

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『ことり』/小川洋子

4022510226 ことり
小川 洋子
朝日新聞出版  2012-11-07

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 小川洋子の物語と日本語は、何も不安になるところがない。最近では新聞でさえ「ひとつの事実」として読むことすら危ういと心して掛からねばならない状況の中で、安心して読める物語と日本語の紡ぎ手には感謝の念を覚えます。

 自分にとって『ことり』の有難かったところは、これが数十年という長いスパンの物語だったこと。今年40歳になり、後方に積み上がった時間の思った以上の長さと、前方に残った時間の思った以上に見通しがよいことに戸惑っているので、長いスパンの語りは自分の戸惑いの扱い方を少し指南してくれるようでした。

 小父さんは若干偏執症の気があると思う。そういう言葉しかないので偏執症と表すけれど、実際には小父さんは病の域ではないと思うし、それを言えば、自分にしかわからない言語を語るお兄さんも、それを「病」と言っていいのかどうかも判らない。ただ、「昨日と同じ一日を過ごすこと」が最重要の日々を送りたいというのは、日々が決まっていないと不安になる、「拘り」の気質があるのだと思う。そんな小父さんが大切に維持に努め守ってきた鳥小屋もゲストハウスも、「長い」スパンの中で踏み荒らされてゆく。最後には「ことり」さえも。
 でも、踏み荒らされても踏み荒らされても、小父さんは独り自分のペースを変えようとはせず、力んで立ち向かったりしようとせず、日々を過ごす。この小父さんの孤独は、果たして不幸な一生だったのだろうか。目的の地に着いたとき、ひどく疲労しているという渡り鳥と同じく、疲れ果てて最後を迎えたのだろうか。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「本は楽しく」
緊張と緩和。入ることと出ること。本を楽しむ読むための心得として語られた内容は、いささか堅苦しくはあるけれど、ただ「おもしろく」読むという次元ではなく、「楽しく」読む域に達するために、常に心掛けないといけないポイントと素直に想います。

4004121418 自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)
池田 潔
岩波書店  1963-06

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2012/12/14

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「顔を持つために」
小学生が「ルール」であることを振りかざして、「ルール」をはみ出した者を徹底攻撃する。そういう心性が、閉じた社会をつくる。盲目的に「ルール」に従う社会をつくる。だから、「ルール」であっても、「ルール」だからと「正義」として振りかざすのではなく、それは本当に「正義」と言える「ルール」なのかを考える姿勢を身に付ける必要がある。

と、このロジックは「日本に」いると、非常に当たり前のように聞こえるのだけど、先日、某所で立ち読みした『自由と規律』で、イギリスでは学生時代に、徹底的に規律を守ることを叩きこまれる、という章を読んで、深く悩みに落ちた。

4004121418 自由と規律―イギリスの学校生活 (岩波新書)
池田 潔
岩波書店  1963-06

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2012/12/09

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「話すということ」
電話をかけたときの緊張感や苦手意識のところは共感したけれど、電話は会話ではないというのは若干違和感が残った。話し言葉が「話す」なのか、書き言葉が「話す」なのか、伝達なのかコミュニケーションなのか、手話は「話す」ではないのか、よくあるテーマと切り口がずらずらと頭に並ぶところだけど、ツールを間に挟むコミュニケーションということに話を限定すれば、電話やメール、さらに言えば「手紙」などを使ったコミュニケーションを「話すではない」と断定してしまうのは行き過ぎだと思う。確かにface to faceよりも情報量は落ちるかもしれないが、それを指摘する人には見えていないメリットというのもあり、一概に劣っているとは言えないはずだ。

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2012/12/08

『読書人の雑誌 本』/講談社

出版社のPR小冊子を初めて手に取ってみて、こういう冊子ってこんなに充実してると初めて知った。これからなるべくチェックしようと思う。

たまたま立ち読みしたのが『』で、目次に梨田昌孝とあったので思わず(近鉄ファンだったので)パラパラっと捲って読んでみた。近鉄がリーグ優勝した2001年の「いてまえ打線」は、もともと監督が志向したものではなく、その前年に機動力野球を掲げたものの、あまりにも盗塁失敗率が高いため、チームにあった戦術に転向した結果だと梨田氏が語っていたのが印象に残る。集団をゴールに導くためには、自分が当初これだと掲げた錦の御旗を取り換えることも時には必要で、それには明瞭なロジックを経て判断しなければいけない、ということを学んだ。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「願いのとき」
ここ最近、若かった頃、特に学生時代の景色を思い出しては胸が苦しくなる思いが日に何度もやってきていたので、この章はひとつの解決策を示してくれた。無暗に前を向くと言うよりも、平穏無事であることに感謝する。年齢を経た人間には、若い人間と違う前の向き方というものがある。平穏無事に感謝するだけでは現状満足で終わるかと言えばそうではない、歳を取った人間のやり方を模索し続ければ道は開けるはずだ。

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2012/12/05

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「終着駅」
「人生も五十歳を過ぎると捨てることを考えないといけない」 この格言に悩まされながら10年、生きて行かないといけないのかなと思う。振り返れば昔とあんまり人格的に成長していない自分をしり、その後、高度なタスクワーカーの働き方を見る。

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2012/12/02

『プラスチックの木でなにが悪いのか 環境美学入門』/西村清和

4326653671 プラスチックの木でなにが悪いのか: 環境美学入門
西村清和
勁草書房  2011-12-21

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1972年、ロスアンゼルス群は、ジェファーソン大通りの中央分離帯に900本以上の「プラスチックでできた木」を植え込む実験的プログラムを実施した。この実験的プログラムに対する反対意見は大きく、差し止め動議が承認されたのだが、もし、見た目にも本物そっくりのプラスチックの木だったとしたら、いったいそれの何が悪いのだろうか?

本書はこの「プラスチックの木でなにが悪いのか」という課題を、単に対自然の審美観や、自然の擬製に対する嫌悪感というレベルではなく、リーフェンシュタールの『意志の勝利』を持ち出して、それは美的フレーミングに関わる問題だと言う。良いと悪いは倫理に関わるが、逆に「美的」と「倫理的」を完全に引き離すのも問題がある、と指摘する。そうすると、美的フレーミングにも倫理性が発生する。社会的ディスクールとしての美的フレーミングとは、人びとが何を美しいと感じる社会なのか、ということの言い換えで、社会通念としての倫理性だけでなく、美的フレーミングにも倫理性があると言う。

これは、「美学」を単なる「意地」以上にするための、確固たる理論になると思う。何を「美しい」と考えて選択するかは、単純な一個の倫理だけでなくてもよいのだ。

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2012/11/29

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「老犬の昼寝」
「ある」と「なる」と「する」。自らが何かを「する」ことが、自分の存在意義であり存在価値だと思えているうちは幸せだということがよくわかる。「幸せだ」というのは反語的に。自分が自分として存在していることも、自分の選択ではなく、与えられたものを受け取っているだけ、ということ。だからと言って、「する」ことをおろそかにすることは許されない。

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2012/11/28

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「生命へのおそれ」
最後の一文で十分です。ここまで読んだ中で一番おもしろい章でした。

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2012/11/27

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「花を見る」
毎年、毎日、見ていたものに今日初めて心を動かされたといって、それまでの自分の眼を怠惰だと責める必要はない、なぜなら毎年毎日同じように見えているものであっても、その時々の自分の状況によってまったく違うものであるからだ。この考え方は「常に新鮮な目で世の中を見る」という一種の美徳的な価値観と相容れないので躊躇うけれど、自分の置かれている状況はすべて自分で切り開けると考えるほうが傲慢であり、与えられたその状況を受け止めることが肝要という意味で、この考え方を厳然たる現実として受け止めるほうが人間的成長に繋がると思える。

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2012/11/18

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「私のもの」
いわゆる疎外論だと理解した上で、自分の「行動の結果」についても同じことが言えるかどうか、ということを考えてみる。マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』でも、大学入試の公平性についての追求で同じテーマが出てきたが、どんな綺麗事を並べても、生まれた環境や育った環境で、有利不利は存在するのだ。今、自分が持っている「有利」は、自分の力だけで成せたものだと言えるのか?これは絶対にそうは言えないのだ。だから、自分の「行動の結果」も、自分のものだとは言えない。そこから、私は私のものでもない、という結論も引ける。このことが理解できない人は、自分と相手の立場をひっくり返すことが出来ず、自分側の立場に知らず知らず固執し続けている。どれだけ、相手の立場を調査して考え抜き、それに対する内容を提示したとしても、結局、それは「自分側」から発したもので、けして「相手側」から発したものではない。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「その後のポチ」
売上をあげるのは容易いこと、と簡単に言われたくない気持ちあるものの、そういう気持ちこそが、生き物に寄り添うことの意味が分かっていない気持ちなのかなと思う。この章はその終わり方も含めて、結論のない厳しい問いを投げかけてくる。

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2012/11/11

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「小さな旅」
この章に出てくる「上の子」の健気さが、なぜ自分には身につかなかったのだろうと恥ずかしく情けなくやるせなくなるが、誰かがやらなければならないがやっても何の得にもならない役回りが割と多く回ってくるところはやはり「上の子」の空気なのか、そして、責任はそれを負えるだけの人間のところにしか行こうとしないという言い回しを思いだして自分をなだめる。

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2012/11/08

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「それぞれの人生」
ふと思い立って何年か振りに電話できるような、若い頃からの友達がいてる境遇というのが羨ましい。それと、二次会と誰も言いださず解散、という下りが淋しい。淋しいけれど、いい関係だなあと羨ましくなる。この年になって、今更迷うこともないのかも知れない。

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2012/11/06

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「捨てるということ」
若い頃の方が捨てることに躊躇がなかったか、今の方が躊躇がないか、ちょっと判断に迷うところがあった。昔の方が何でもため込んでいたような気もするし、この章でかかれていたように今の方が過去に縋る気持ちが大きい気もする。過去を大切にしながら今を生きることはとても難しいことはよく判っているつもり。

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2012/11/04

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ゴキブリ捕獲の作法」
戦争が直接的な戦いから、湾岸戦争のようなスクリーン上での戦いになり、戦っている実感を伴わないようになったことを「進歩」とは決して言わない、というところから想起したのは、企業に勤めることの不条理だった。巨大企業であればあるほど、自分達がやっていることと自分達の成果報酬とに直接的な実感を持てない。それに、厚生年金基金問題のように、自分のやっていることに問題がなくても、基金破綻で割りを食ってしまうこともあれば、自分の会社には何の問題もないのに、厚生年金で補填すると言いだされ、割りを食ってしまうこともある。もはや、自分の手の届かない範囲で割りを食うことが多過ぎる世の中になり国になっているけれど、それが社会だと言われると何も言い返せないような気がする。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ポチの場合」
目の届く範囲にいること。とれも重要なことだと思う。目の届くとこにいなければ思い続けることができないと考えるとそれは切なく感じてしまうけれども、それは現実として受け入れなければならないことだと思う。一方で、目に届くところにいられなくなるどうしようもない事情も多い現代社会で、SNS等のツールでコンタクトを取り合えることが「目の届く」範囲なのか、というところもよく考えなければならない。SNSを活用できている関係の人もいると思うから、一面的なことは言えないものだ。

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2012/11/02

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「生まれつき」
持って生まれたものを受け入れる。嘆いても歯軋りしても構わないけれど、受け入れない限り前には進まない。

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2012/11/01

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「子供から大人へ」
「祝祭」の話なんだけど、書かれていることはよく理解できる一方で、現在では日常のあらゆるところに常に祝祭が偏在しているのが理想形みたいに言われているところもあって、ほんとうに「大人になる」ということの意味・意義をどう定義づけすればいいのか難しい。「大人買い」みたいなことが起きる土壌もこの辺なのかもと思った。それはもはや「大人」ではないけれど。

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2012/10/30

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「末っ子の疑問」
上の兄弟に較べて写真が少ないというのは、確かに不公平な思いを抱くだろうなあと、もちろん思う。話はそれだけではなく、自分が存在する前後の時空の話に広がるところが面白い。自分がいなくなった後の世界、誰かがいなくなった世界を想像することはあっても、自分が存在する前の世界を想像することは、私は長男なので、確かにあまりなかったように思う。

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2012/10/28

『メモリー・ウォール』/アンソニー・ドーア

4105900927 メモリー・ウォール (新潮クレスト・ブックス)
アンソニー ドーア Anthony Doerr
新潮社  2011-10

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『メモリー・ウォール』
 認知症と化石の対比がとても鮮やか。リタイアした後、元来の化石発掘に熱中したハロルドは、妻アルマに「この世で唯一変わらないことは、変化するということ」「別のものに変わらないのはとても珍しいこと」と、化石の魅力を語る。その夫ハロルドを亡くした妻アルマは認知症を発症し、その進行を遅らせるべく、遠隔記憶刺激装置を処置される。記憶を、カートリッジに取り出して保存し、好きな時にカートリッジを挿入してその記憶を参照できる。

僕は人よりもたぶん、記憶力がよくないと思っている。自分では別に、憶えることをさぼっているつもりはない。覚えなければと言う意識が低いつもりもない。それでも、固有名詞を覚えるのが特に苦手だし、昨日食べたご飯を覚えていなかったりする。それは、できれば覚えていたくない出来事が多かった時代があって、なるべく忘れようとする志向を脳が持ってしまったんだと勝手に自分で解釈している。

アルマにとって最も辛い記憶-ハロルドを亡くしたときの記憶-が、巡り巡ってアルマの使用人だったフェコとその子供を救う。もし、その記憶が、アルマにとってだけのものだったなら。それはカートリッジで他人の記憶を見ることもできないのだから、と様々な推測をしてしまうが、それよりも、認知症によって、アルマは最後、一緒に暮らす男がいたのだけれど、男は私をここ(施設)にひとりぼっちでおいていった、としか思い出せなくなりつつ、そういうふうに思い出すに留まっているところ。カートリッジという化石を、それが何なのかさえ思い出せなくなったことが、アルマにとって幸福なのだと信じたい。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「パンダの自己意識」
自己意識、自己嫌悪、自己反省。動物は、鏡を見てそれが自分であるという「自己意識」まではあるとしても、過去の自分を振り返ってそれを反省する力はないだろうとは言える。しかし、その自己反省の能力を持ったが故に、罠を仕掛けることを覚え、ひいては戦争を起こし、そしてその戦争について自己反省できないのが人類ということになる。それならいっそ、自己反省などできず、その場その場で起きたことにだけ対応して生きているほうが、平和な世の中なのではないか?この問いに対して、自己反省のメリットとデメリットを並べて、これだけのメリットも享受している、という形で対応するのは、経済優先主義に冒された愚の骨頂なのだろう。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「芙蓉の花」
自分以外に、自分の存在を認めてくれる人がいることは大きい。自分の存在を必要とするとまでいかなくても、存在を認めてくれるということは大きい。これは仕事においても生活においても大切なことだが、これを真面目に考えれば考えるほど、人生は生きにくくなることも確か。こんなことを考えること自体、生き物として弱すぎるということだろうか?

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2012/10/27

『プラハ冗談党レポート: 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史』/ヤロスラフ ハシェク

4798701246 プラハ冗談党レポート: 法の枠内における穏健なる進歩の党の政治的・社会的歴史
ヤロスラフ ハシェク Jaroslav Ha〓sek
トランスビュー  2012-06-05

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第一次大戦前の1911年、ボヘミア王国プラハに、人気作家ヤロスラフ・ハシェクが新党を設立して選挙戦に挑んだ。その名も「法の枠内における穏健なる進歩の党」!

つまりは「冗談党」な訳だけど、実際に立候補して選挙戦を戦って、その活動っぷりの記録を一冊の本にしたのが本作。もうめちゃくちゃに面白いです。帝国という国家権力、その国家権力の維持の仕組と成り下がっている政党政治、それらを、外野ではなく実際に政党を作って立候補して選挙戦を戦って、スキャンダル告発やらなんやら、無茶苦茶にやりこめていく。でもその政党の政治活動と言ったら、プラハの居酒屋に集まって飲んだくれて、これまた滅茶苦茶な弁舌を捲し立てる、という具合。そのビールの金にも事欠くような集団が、体裁は整っているけれど、スタンスは冗談みたいな選挙戦を繰り広げるのです。

居酒屋でビール飲みに集まることが政治活動なのかどうなのか?知識としては持っている、ヨーロッパの「サロン文化」に似たようなことか、と合点してしまうこともできるし、そもそも冗談なんだから酒飲みながらやってんじゃないの、と言う気もする。でも、「広場のないところに政治はない」というように、政治って、政策とか投票とか、実行内容や仕組から考えがちだけど、原点は「人と人がどんな話をするか」というところだと思う、ので、この「口達者」な新党党員たちの八面六臂ぶりが眩しく見えます。

そう、帝国という危なっかしい体制だから、私服刑事とか密告者とか、現代の日本では考えられないような危険な相手が普通にいるというのに、彼らはその口八丁ぶりで、そんな「当局」側の攻撃さえ、逆に返り討ちにしてしまう。その鮮やかさにびっくりするとともに、そんな弁舌を持ちながら、まともに選挙をやる訳ではないところに、不思議よりは面白さを強烈に感じてしまう。

僕らはいつの間にか、「望みがあるなら、直線的に、直接的に、行動して結果を出さなければ、意味がない」と思い込まされていたと思う。確かに、成果の出ない行動は、やってるのかやってないのか分からないことには違いない。でも、何かを変えるために、しゃかりきになって青筋立てて「あいつが悪い」とやるのが果たして正解なんだろうか?そこまでやっても変わらないのだからよりもっと強力に、となってしまうのもわかるし、正面切ってやらずにコネとかなんとかで裏から手を回してネゴして、みたいな日本的なやり方がとんでもない数の弊害を招いてきた歴史も知っているから、どうしても、しゃかりきにならないと正々堂々としていないと思ってしまう。でも、第一次対戦前のボヘミア王国、今の僕らよりももっと閉塞していたに違いない政治状況で、こんな風に打って出たハシェクの行動を粒さに読むと、「維新」のなんたるか、その神髄を教えられた気になったのだ。

日に日に困難な政治状況になっていくような今こそ読むに相応しいと思います。

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2012/10/26

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「こころの不思議」
一読したときは、亡くなる少し手前で思い出すのではなく、亡くなった事実が思い出させたということだ、と理解したけれど、改めてもう一度読むとそう単純なことを言いたかったわけじゃないと気づいた。

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2012/10/25

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「不思議な経験」
僕は、説明のつかないことは極力排除することで、自分がそう言っているだけではなく、他人から見てもそう言えることである、という考えをとるように心掛けてきたけれど、不思議なことを不思議なこと受け止めることについては普通の人よりも自然にできると思っている。自然にできるから、安易にそちらに走らないよう、説明のつかないことを極力排除するよう努めてきたけれど、もう十分、そうしなくても自然なバランスで振る舞えるよう訓練できたと感じた。それよりも何もよりもこの章を読めたことは自分にとって大きな意味を持つ点がひとつあり、そこはこれまで以上に、この本を紹介してくださった乾さんに感謝したい。

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2012/10/24

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「進歩のない」
ここで例に挙げられている免疫学同様、僕が働いているIT業界も進歩の速い業界ではあるが、進歩の速い業界というのはそれだけまだ未熟な思考レベルということなのかなと思った。伸びしろが少なくなってからが勝負。そういう考え方と、伸びないものを伸ばしてもしょうがない、という考え方。ある意味、前者はただの意固地だとも言える。ただそれでも、本章のラスト、「文部省のように、急におもいつきだけでこころの教育を言ったところで、何の役にも立ちはしない」のところは胸を刺される。こころの教育だけでなく、急におもいつきでやることは、やらないよりはましとよく言われるけれども実は意外とそうではないことも多い。

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2012/10/23

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「直列型と並列型」
「この返すことのできない債務は担い続けるしかない」この言葉の迫力に圧倒された。死ぬまで担い続けるしかないこと。僕にもあるはずだ。集中力と持続力の必要性には何の異存もない。改めて認識を強くするのみ。

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2012/10/22

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「ジャムパンの怨み」
「何か失礼なことをしましたか」と一言聞くことの、なんと難しいことか。いつもいつも思い悩むことである。その一言を発して、真実を聞けば解消できることなのに、その一言を発するくらいならこのまま有耶無耶にして関係さえないことにしてしまえばと、なぜ思ってしまうのだろう。どれだけ信頼関係を築いていても、簡単に口に出せる言葉ではない。それは、大事な関係になればなるほど、その一言が最後の引き金を引く言葉になると、身を以て経験していくことになるからだろう。

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2012/10/08

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「一家に一台」
「ものは悪、こころは善というふうに単純に言いたくなる。が、この主張は、ものを絶対視してきた発想の裏返しでしかない」。この一文を読んだとき、いったいこのエッセイの初出はいつだったのだろうと思わず裏表紙から捲った。僕もまったくその通りだと思う。何も何も、一面的な決めつけほど危うくて不要なものはないのだ。そして、「在る」と「成る」にちょっとだけ通じる、後半の話。所有ではなく、存在を願うということを、発想の中心に置き続けるよう心掛けてみる。

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2012/10/05

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「睡魔との戦い」
睡魔との戦いは年々ひどくなっているので、これを読んですこしほっとした。興味がないから睡魔が襲ってくることは分かっているし、だからといって興味がないものからは目を逸らしていればいいという訳にもいかない。いろいろ工夫するにも限度がある。どのようなことにもなるべく興味を持てるようにするという努力と、興味を持てないことは持てないと諦めて、その上で少しでも眠くないように工夫するという努力、この両面からの努力の姿勢は、自分の人生の方針に重なる。

 

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2012/10/04

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「6月嫌い」
初めて、これと言った結論めいたものが思いつかない賞に出くわした。6月が嫌いな理由が滔々の並べられて、最後に奥さんの誕生日が6月だった、と来る。それが意味してるものはなんだろう?と思っても、唸ってしまうのが事実。深読みしようと思ったけれど、たまにはそんな話が混じるのも当然だ、ということで。

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2012/10/03

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「息子の朝帰り」
ウチは著者の家庭のような、「電話ぐらいしろよ」と一言諭すというような家庭ではなかったものの、非常な愛情を持って躾けてくれたということは身に染みて感じている。それも、べたべたとしたものではなく、両親が合わさると適度なドライさを伴っていて自分のバランス感覚の礎になっていると感謝している。それにしても、ここに書かれている「子離れ」の話、「子離れできてこそ親の完成」であり、感謝の要求に繋がるようなことは望ましくないというスタンス、大学生の就職活動にまで親がしゃしゃりでる世の中になってしまったことを激しく憂うものである。本当に、一億総子どもになってしまう。

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2012/10/02

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「中年になって」
こころとの不一致を感じたとき、我々が成すべき努力は、その劣化を遅らせることだという結論は、なんか消極的努力のように聞こえて(せめて「維持」と言ってほしい)少しさびしい気もしたのだけれど、考えてみれば維持することは、老いは一秒ごとに進んでいる以上土台無理な話で、少しでも劣化を遅らせるというスタンスこそが最も望ましく美しいものだろうなと納得した。そこを理解できず、抗うように維持に、ややもすると若返りに邁進するようなスタンスが、現に若い人々の領域を押しつぶすような軋轢を生んでいて見苦しいのかも知れない。

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2012/09/30

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「中庸ということ」
長い間、次の一章を読めずにいた理由が、読んで立ちどころに分かった気がする。この一章は正に今の僕に必要な一章だった。「中庸」という言葉を誤解していた。そして自分が大切にしていることが「中庸」であることもわかった。「中庸」を重んじることを、誰にも共感してもらえなくとも、それが皆から見て面白くないヤツと見える原因になったとしても、僕は自分の極端に振れることのできる能力を十二分に活かして、「中庸」をこれからも目指していこうと思う。

・自明でないことを自明であるかのように語る、ここから数多くの欺瞞が生じる。

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2012/09/23

『ラジオ深夜便 隠居大学 第一集』/NHKサービスセンター

4871081117 ステラMOOK ラジオ深夜便 隠居大学 第一集
NHKサービスセンター
NHKサービスセンター  2012-07-18


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こういう、年配の方の発言集とかインタビュー集、おもしろくて好きで結構読むんだけど、毎回、「自分が年をとってもこうなれてないよなあ、きっと」と思うのはなんでだろう?とそれこそ毎回思う。自分があまりにも若い頃から成長がなく、歳相応の分別というものを身につけてないままだからだろうか?と思ったりしたけど、やっぱりいちばんは経済的なところだと思う。本著でも出てくるように、「お金のあるなしなんて関係ない」と、ご老人は言うし、実際、ほんとに蓄財のなくても隠居を楽しんでいる人もたくさんいるんだろうけど、それは、人脈とか、知識とか、社会資本とかインフラとか、ぜんぶひっくるめて、日本国にある高度成長時代の「貯金」がまだ効いているからできることなんじゃないかと思う。その点をクリアに意識したご老人の発言というのは、亡くなった吉本隆明氏以外に見たことがない。

  • 小沢昭一氏の「お前が知らないから面白くないだけだ」というところ、話し手と聞き手の立場を考える自分のテーマにハマる。「サロン」への違和感に対するアンチテーゼとしても。
  • 山田太一氏の「世の中に個人で抵抗する」。これは『シゴトとヒトの間を考える』で考えたことにハマる。そういう人の数が大多数になれば社会を変えられる、けれど政治はそれでは変えられないように見える。

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2012/09/20

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「続・人を好きになるということ」

ほどんどできそうにもない課題に対して唯一できること、それは逃げ出さないことだ。逃げ出さないことは、寄り添うことと同じ。結論としてはそんなところだけど、ちょっとおさまりが良過ぎるかなと。ここでも部分と全体の包含の話が出てくるけど、部分でもって全体に対して評価するというのは、「クリティカルポイント以外は目を瞑ろう」式の考え方ではないことは、記しておこう。

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2012/09/17

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「人を好きになるということ」

この「人」という言葉は難しい。カッコで括った「人」は、人間を指す「人」と区別するために用いられていると思うけど、「人が悪い」というときの「人」は、いっそ「人間」と同じ「人」だとしてしまったほうが僕にとっては通りが良い。なぜなら書かれている通り、「人が悪い」というときの「人」は、性質という一面的なものではなく、言動なんかも含めたその人「全体」で成り立っているからだ。でも確かに言葉としては「人間」だと書き換えただけということになる。「人間」にも二つ(以上)の意味が包含されていることになって、書き表しにくいので始末に悪い。

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『ワーク・シフト-孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』/リンダ・グラットン

4833420163 ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉
リンダ・グラットン 池村 千秋
プレジデント社  2012-07-28

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これは相当に難しい。2025年には、主に、テクノロジーの進展、富の集中化、富の集中化に付随する人の集中化の三点から、時間に追われる・孤独にさいなまれる・繁栄から締め出される、という3つの暗い類型が導かれる。そんな未来に陥らないために我々が今実行すべき3つの「シフト」が示されるが、これが相当に難しい。

示されていることは、総論で正しいと思う。実際に、行動に移せている人もたくさんいると思う。でも、自分のことになると、どこから手を付けていいのか分からない。そんな難しさ。この難しさとは2年前から付き合い始め、今、正に喫緊の課題になっているけれど、それでも手の付け方に逡巡するくらいに難しい。

実際に、行動に移せている人もたくさんいることは分かっているけれど、それでも「そう言われてもなあ」という気持ちが抜けないくらい、大上段で違う世界の話のようにしか受け止められない。それでも、今自分が勤めている会社は、制度的にはいろんなことがやりやすい会社ということを思い出してみようと思う。

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2012/09/14

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「待つ」

これは結構長い間悩んでるテーマ。現代は基本的には説明責任の時代だと思う。その根本的かつ最大の理由は、グローバル・ボーダレスだと思う。人間、根本的なところは世界中どこでも変わらないとは言え、やっぱり基本的には言わなければわからない。その上、都市部では急速な産業の高次化と情報技術の進展で、もはや肉親間でさえ、言葉不要の信頼関係というのがなくなってしまった。こんな状況で、考えが出てくるまで「待つ」ことの重要さを語るのは、ある種のノスタルジーであり、ほんとは変わらなければいけないことではないのか?これには直感的に反発したくなるものの、実はきちんとした反論を組み立てられていない。

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2012/09/12

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「小さな思い出」

「忘れないで」という願いの意味が長らく理解できなかったことを思い出した。小説やドラマでもしょっちゅう登場する普遍的な願いだが、離れてしまうのに覚えられていてそれがいったい何の足しになるのか、と僕には常に疑問だった。この「小さな思い出」の冒頭の学生のような、自分が墓に入っても誰も参ってくれないのは辛い、というような感覚は持たないが、自分はできる限り感謝をもって人を忘れないようでいようと思う。

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2012/09/10

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「海のものとも山のものとも」

ここまで読んだ中で最も強い衝撃を受けた章。自分が何者であるかということを理解してもらう努力をかなり怠っていたし、そもそも理解してもらうというのがどういうことなのか、その重大性を自覚していなかったのだと痛烈に思い知らされた。なんとなく、空気で、自分が何者なのかを感じてもらうようなやり方を意識的に改めていかなければいけない。同じ趣旨の話を、たまたま日経夕刊で読んだ。意思疎通が必須になる民族同士で、無言は死を意味するのだ。

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2012/09/09

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「家族の眼」

家族に限らず、よく知れば知る程、決めつけが過ぎることがあるし、知りはしなくても話す回数が増えたりすることで、詳しくは知らないままに、概要を掴めてしまうこともある。「家族の眼」は、自分が見られる側での、自分への戒めの話だったけれど、僕は自分が見る側に回った時の自分の戒めを想像した。

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『再帰的近代化 近現代における政治、伝統、美的原理』/ウルリッヒ・ベック、アンソニー・ギデンズ、スコット・ラッシュ

4880592366 再帰的近代化―近現代における政治、伝統、美的原理
ウルリッヒ ベック スコット ラッシュ アンソニー ギデンズ Ulrich Beck
而立書房  1997-07

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「サブ政治」の下り、昨今の日本の大きな<政治的>課題-原子力発電の継続をめぐる、産業界と個人と原発建設地住民との対立や、オスプレイ配備問題での対立に思いが巡る。正にひとつの方向に収斂させることが限りなく困難な課題であり、工業化進展の途上=単純的近代化の過程であれば是是非非のうちに方向性を決められたものが、大局的に方向性を決めることが出来ない状況というのが、正に「再帰的近代化」なのだろうか?と思う。

専門家システムの機能の変遷も印象に残っている。「諮問」が意味を失うのが再帰的近代化の過程であり、多くの個人が共同体の中で何らかの「専門家システム」を担うことになるという説明は、現状をうまく把握する手助けになった。情報コミュニケーション構造の進展と、「格差固定」の問題も、現状認識をより強固にした。その上で、ほぼ粉砕されてしまった地域共同体のその先と、粉砕に加担した情報技術と情報社会の歴史的意味づけを考えてみなければならない。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「カラコルムの杏」

「国と民族と宗教そして言語」「これらの要因を考えなくてよいとされてきたわれわれ日本人」とあるが、よく引き合いに出されるけれど日本にもアイヌなど少数民族はある。それを「ごく少数」だから「単一民族と言ってよいほどのごく少数なので無視できる」と確率論的に言って言い訳はないが、丁寧に断り書きを書くのも煩雑なことで、しかし煩雑だからといってなかったことには絶対にできない。この「ごく少数」の捉え方・扱い方というのは、現代におけるものの考え方のヒントになるのではないかとふと思った。

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2012/09/05

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「見えない境界線」

トランシーバーと携帯電話の話は、ちょっと頷けないところがあって、それはトランシーバーの登場がそう言った時代だったからであって、「トランシーバー」と「携帯電話」の形態には依ってないから、もしトランシーバーが今、こなれた価格で登場したら、同じことは起きると思う。これは手紙のフォーマットをメールに強要したり、移動手段が徒歩しかなく、そうそう対面できない時代の挨拶儀礼のやり方を現代に強要するのと同じようなことだと思う。
境界線を「官」に求める、という指摘は、少なくとも日本ではその通りだと思う。境界線を、誰かに決めてほしい、誰かが決めて当たり前、という思考回路が、日本人の思考能力を弱めているような気がしているが、境界線を自分で考える際のポイントが「はた迷惑」というのは、いかにも日本的だけど、僕はこれもあまり頷けない。なぜなら自分の境界線の主語はやはり自分であるべきだと思うからだ。

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2012/08/31

『不可思議な日常』/池上哲司

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池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「坊さんが屁をこいた」

理解できないものに遭遇したとき、それをより詳しく知ろうと思うかどうか。単に違いの内容を認めるだけでなく、違いが生まれた原因・理由にまで思いを飛ばせるかどうか。どちらも、成果を中心に、究極目標とする場合、どちらでもいいと隅に追いやられる思考である。しかしながら、どんなものでも「違い」があるところから価値が生まれる。

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2012/08/30

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「今とここ」

目が覚めたとき「今」がいつかわからない、という所在の無さとはちょっと違うけど、僕は眠りに落ちそうなときと、眠りから覚めそうなときに、急に自分が死を間近に控えた年齢になった実感を得ることがある。もちろん、普通に目を覚ましているときでも、70歳になった自分、80歳になった自分を想像するとそれはそれで怖いんだけど、寝入りばな・寝起き中のときに思い浮かべたときの恐怖感は比べ物にならない。あれは、眠りと覚醒が入り混じっている状態で、「今」とうまく切り離されていく状況だから、感じられる恐怖なのかなと思った。

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2012/08/28

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「書かれた名前」

ちょうど今日の日中、「長嶋終身名誉監督」のことを思い出していた。社内にいかにも肩書で仕事をしているような、肩書が人間の値打ちと思っているような人がいて、その人の話題になったからだけど、もっと若い頃のほうが、「肩書がどうした」と言う勢いが強かった気がする。「長嶋終身名誉監督」というのを聞いたときも、「なんだその”終身”って!」とせせら笑った気がするんだけど、今は若干ながら”終身”を付ける気持ちというか、無暗に長い肩書にしようという感じとか、「退かなくてもいいようなことが判る名前にしないと」という理屈っぽいところとか、そういうのに理解を示せてしまう自分がいる。これは、自分が何者かを証明することに楽をしよう楽をしようと慣れていってしまっている現れに違いない。自分で自分が何者かを証明することはできない。だからといって、客観性を突き詰め続けていく果ては「肩書」になる。

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『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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「遠い記憶」

過去と過去の記憶は別物。自分のだけではない過去の記憶を連ねて交差させればさせるほど、過去の記憶によって過去に近づくことができる。これを、実際に人々と会話したりすることなく、自分の意識の中でどれだけやることができるか。それは、自分は過去の記憶を持つ大勢のうちの一である、という認識がなければできない。そして、過去は固定されたものではなく、現在の自分による「判断」によって過去は動的なものとなる。このことは、「過去は動かせない」という絶望に対するひとつの救いと成り得る。

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2012/08/27

『不可思議な日常』/池上哲司

483410334X 不可思議な日常
池上 哲司
真宗大谷派宗務所出版部  2005-05

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 図書情報館の乾さんに、40歳の記念にお勧め頂いた『不可思議な日常』。「ゆっくり読むのがお勧めですよ」と仰られていたので、読んでいた本と慌ただしく落ち着かなかった日々がある程度落ち着いた今、一日一章ずつ読んでいこうと思います。

「鈴の音」
鈴をつけていない僕自身も、鈴同様に自分自身でコントロールすることはできない。自分が何者かは、相対する者にも依存している。相対する者がいない世界では、僕自身は何者でもないということになるのだろうか?鈴の音をどんなに鳴り響かせても、何者にも成れないだろうか?仮にそうだとしても、僕自身がいなければ相対する者もおれないから、僕自身を僕自身はどう受け止めているかを平生よく考えておくことは無駄ではない。

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2012/08/24

『独立国家のつくりかた』/坂口恭平

4062881551 独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
坂口 恭平
講談社  2012-05-18

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 ヘルシンキ行きの前後に渡り読了したんですが、その間に読んだ『家族のゆくえ』と恐ろしいほどシンクロするところがあって、痛烈なインパクトで頭に残りました。それは「考える」ということに関して。吉本隆明氏も坂口恭平氏も「考える」ことの重要性を強調されている。それも、ただ「考える」という枠に収まっているのではなく、「考える=生きる」というところまで持ちあげて語られている。効率化すること、自動化することは考えずに済むことを増やすこと。それにどうやれば対抗して生きていけるのかを、真剣に考えるだけでなく、長く深く考え続けないといけないと思いました。

 全体を通じての感想は、経済に関する論点と、精神に関する論点の二つに対しての感想に大きく分かれるのですが、経済に関する論点、態度経済について、ホームレスの方の生き方を述べる部分では、一点、大きく欠落している点があると思っていて、それは、「都市には確かになんでもゼロ円で手に入るくらいものが溢れているかもしれないが、それは誰かが資本主義経済の下で”余剰”的に生産する人がいるから成り立つもの」だということ。ある経済システムがその経済システムだけで自立して成り立つためには、その経済システムの中に「生産性」がないといけない。必要なものをタダで拾ってくる経済システムは、自立していないのでこれを手ばなしで称賛する訳にはいかないと思う。
 そこを拡張しているのがゼロ円特区ということになると思うけど、ゼロ円特区も「贈与」で成り立つ訳なので、けして自立していないし、そもそも「パトロンを持つ」ということを推奨しているし、「パトロン」という概念を金銭以外に拡張してはいるけれど、結局のところ資本主義経済からの流入に依存しているのであって、これ自体が資本主義経済に対するカウンターとなるシステムとは言えないと思います。

 精神に関する論点は、鬱状態のときの視線、「絶望眼」の捉え方は共感しました。僕は鬱ではないけれどひどく塞ぐことはあり、そのときは感性は冴えるのでひどくいろいろなものの捉え方ができるものの、生産的ではないのであまり有用な状態ではないと自分を責めていたが、この捉え方を改める契機になりそう。そして、この状態は、芸術のような領域には役に立つのかもしれないが、自分のようなふつうの社会人には必要のないものと決め込んでいたけれど、芸術と生活を切り離そうとするそのスタンスこそが問題で、芸術と生活は同一線上にあるという認識を保ち続けないといけない。「芸術」をそのように捉えることは坂口氏も本著で書いているし、『楽園への道』でも学んだことだった。

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2012/08/22

『家族のゆくえ』/吉本隆明

4334786073 家族のゆくえ (知恵の森文庫 a よ 4-2)
吉本隆明
光文社  2012-07-12

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 ヘルシンキ行のフライトで読もうと買った二冊のうちの一冊(もう一冊は『国境の南、太陽の西』)。刊行時はなぜか読む気になれなかった一冊。

 自分の精神的に非常に大きな力になったのは、「「やる」ことは「考える」ことより大切だとおもわれがちだが、わたしはそんなことは信じていない」という一節。行動を起こせていなければ、それは「口だけ」であり意味のないことだと自分を責めるようにしていたが、もちろん、行動することは大切だけれども、「考える」こともそれと同等に大切なことだと信じることがより重要だ。何も考えていない人々の群れが、社会をよくない方向に導いていく。だから、社会は人々をより何も考えない方向に導こうとする。このことに、自覚的にならないといけない。

 「本気の愛情」の下りはなかなか難しかった。本気というのは手間を惜しまないということに繋がるが、効率的であることと本気であるということは相反することになるのだろうか?企業社会では「本気」になっているように見える人たちが大勢いるが、彼らは必ず「効率」を説く。端折れるものは端折れと説く。あれは、本気のような「プロセス」をよく知っているだけということだろうか?

 「七十九歳以降の老齢実感」の章で語られる、現在の大都市の問題は、IT産業に身を置く自分にとって痛切。現在の「現代社会」で起きている諸問題が、大都市とハイテク産業における時間スピードの高速化によって、人間間の暗黙の了解と意思疎通が破壊し尽されつつあることが原因であり、これを解決するためには、ハイテク産業の歴史的役割を見出し組み入れることしかない、とする著者の意見は全くその通りだと思う。ハイテクの進化を進め、社会を更に”改善”しようとしていくことが、この現代社会の諸問題を解決することには繋がらないと思う。その弛まざるスピードアップが歴史上どういう意味を持つのかを「考え」なければならない。

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2012/08/12

『Think Simple-アップルを生みだす熱狂的哲学』/ケン・シーガル

4140815450 Think Simple―アップルを生みだす熱狂的哲学
ケン・シーガル 林 信行
NHK出版  2012-05-23

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 個人的に微妙な状況下で読み切ったこともあり、ビジネス書と思えないくらい感じ入ることが多かった。その上、自分が勤めている会社のことが、落ち着いた筆致で批判的に書かれていることもあり、それに対して腹立ちとか憂鬱とかではなく、深く考え込んでしまうことになった。

 「シンプルであること」が強力なスタンスということは、誰しも認めることだと思う。なのに、なぜ、単に「シンプル」でいられなくなるのだろう?ひとつ根底にあるのは、「孤独に対する恐怖に打ち勝てない弱さ」だと思う。人は必ず組織したい。群れたい。友達なら、多いほうがいい。そうやって輪を広げていった結果、収集がつかなくなることはよくあるし、収集がつかなくなっている集団もたくさんある。多くの人が関連した中でも、自分の意見をきっぱり貫き通せる程、どの人も強い訳ではない。かくして、「シンプルさの親友は、有能な少人数のグループだ」という結論が導かれる。
 僕にとってこの命題は、『来たるべき蜂起』を読んだ時にある程度解消されている-コミューンは分割されなければいけないのだ。一定数以上になったコミューンは、メンバーの誰しもがリーダーシップを発揮できる程度の規模にまで、分割されなければならない。これこそが、人が再び人として生命を取り戻す術なのだ。ただ、それが怖くてできないから、人は甘んじて複雑性を受け入れ、シンプルがいいことを判っていながら、複雑の存在理由をあれやこれや捻りだしては受け入れている顔をしているのだ。

 製品面で見た場合、「カスタマイズ」がひとつのブランドになっていた企業は少なくない。個人個人の趣味嗜好に応じた製品を提供できる、多品種少量生産が製造業の進むべき道だと30年前には確かに言われていたと思う。ところが事態はそうは進まなかった。個人個人はそれほど「個性」を持たなくなったのだろうか?それとも、より他と「峻別」できる、決定的な差異だけで事足りるようになってしまったのだろうか?僕はそうは思わない。時代は、状況は、より、微細な差異で差別化を図り、微細な差異を感じ取れることが、美意識に繋がるようになっていると思う。ではなぜ、スマートフォンはiPhoneだけで事足りそうに状況は進んでいるのだろうか?iPhoneは、個人個人が欲する差異の実現方法を、ユーザにとってより簡素なオペレーションである「アプリのインストール」というやり方で実装した、つまり、複雑性の実現方法をシンプル化したところに、ポイントがあったということだろうか?

 アップルのやり方は、どんな組織でもどんな状況でも使えるようなメソッドではもちろんない。その中心には「有能な人の集団」という大前提があるからだ。そして、「有能な少人数の集団」があるカテゴリでそのカテゴリを牛耳れるとしたら、その他大多数は職にあぶれることになる。だから、このメソッドは、けして人々を明るい未来に導くメソッドではない。それでもこの本の主張が悲壮な響きを持たないのは、やりたいことの規模が地球規模であれ町内会規模であれ、やりたいことにストレートに進むことの正当性に自信を持たせてくれるからだ。

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2012/07/30

『極北』/マーセル・セロー

4120043649 極北
マーセル・セロー 村上 春樹
中央公論新社  2012-04-07

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 「なにか」が起きて、ほとんど破滅したような地球の極北に住む生き残り、メイクピースが主人公。メイクピースの一家はアメリカから極北への入植者。メイクピースの父親は、豊かになり過ぎた社会に疑問を抱き、それを「極北への入植」という形で行動に移した。厳しい自然、何もない環境を「理想郷」とする、現代の矛盾。そこで試される「理想」の形。

 温暖化や原子力発電、更に地球規模の格差問題を絡ませ、それらが地球を破滅させたイメージを思い起こさせる。その文脈も、特に3・11があった以降の僕達には考えることがたくさんあるけれど、僕は「正義」を巡る考察にとても興味を引かれた。メイクピースが暮らす世界では、理念優先の正義は役に立たない、とメイクピースは言い切る。確かに、生きることさえ困難な、荒廃した地球で、理念優先の正義は何の役にも立たないことは想像に難くない。
 けれど、正義が一面的でないことは、なにも、荒廃した地球だけで成立しうることではなく、まだ「破滅」していない現代に暮らす僕達の地球でも同じことが言えると思う。『極北』の世界が示す正義の多様性は、極限で起きることを言ってるのではなくて、どこにでも起こり得ることなのだと語っていると思いたい。「我こそは正義」と声高に叫ぶ意志こそが、最も正義から遠いことが多いのだ。なぜなら正義はある一面で絶対的な否定を孕んでいることに気づいていないからだ。

 だから、メイクピースが後半、「怖いのは絶滅だ」と語るところで肝が冷える。環境によって、時代によって、正義がいかようにも姿を変えるのだとしたら、正義とは単なる「価値観」の一形態であって不変で普遍なものではないとしたら、それは絶滅を避けるための多様性の確保なのではないか、とまで思えるからだ。物事がうまく行ってない例えである「ゴー・サウス」を、メイクピースの父親は自分独特の言い回しとして「ゴー・ウエスト」と言い、正義を北になぞらえ、北の極限まで進んでしまうと正しさを示すコンパスは役に立たなくなるという。ここで唯一出てきていない「東」には何があるのか?その極東の地で3・11に遭遇した僕達が考えるべきことはあまりに多い。

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2012/06/23

『デザインと死』/黒川雅之

4883376540 デザインと死
黒川 雅之
ソシム  2009-05

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 タイトルになっている「死」に関する散文については、事実認識が間違っているところもあって、真剣に読む気になれなかった。日本人に神はいなかった、の下り等。正確性を欠く。「日本人とは古来・・・」という、日本人の特異性を説く言説に対してはまず厳しい目を向けようと常に考えているが、本著の「死」に関する散文についてはその必要もなかったくらい。

 翻って、株式会社Kの話はスリリングでとても面白かった。特に、設立当初から海外売上の占める割合を70%にするという目標設定をしたというあたりなど。理想を掲げる人はたくさんいるけれども、成功する人というのは理想を単に現状維持のためのものではなく、現状を把握した上で目標を設定するんだなというところ。

 もう一つ、伝統産業について批評を加えている散文があったので、橋下氏が今やっていることに対してどのような意見を述べられるかを聞いてみたいな、と思った。

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2012/06/16

『PUBLIC 開かれたネットの価値を最大化せよ』/ジェフ・ジャービス

4140815132 パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ
ジェフ・ジャービス 小林 弘人
NHK出版  2011-11-23

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 「パブリック」を称揚するんだろうという先入観から行くと、プライバシーなど全く無くなってしまったほうが良いという論が展開されるものだと予想するけれど、本著はそんなに短絡的で浅い論ではなかった。平野敬一郎の『ドーン』を読んだ際、「ディビジュアル」という概念が出てきて、これはインディビジュアルと呼応した表現なんだけど、「人間はもともと1つの首尾一貫した顔だけを持つのではなく、社会のなかでさまざまな役割があるだけさまざまな顔を持つものであって、それが自然な人間の姿」として、そういうさまざまな顔の一つ一つを「ディビジュアル」と名付けてた。本著における「プライバシー」と「パブリック」の対概念は、この「ディビジュアル」を思い起こさせた。ただ一つの公共圏と、個人がそれぞれに作る無数の公共圏。そして、何をどこまで公共圏に含めるかは個々人の判断で、その行為が「シェア」である。ただ一つの公共圏と個人それぞれの無数の公共圏というのは、正にディビジュアルの考え方。そして、ディビジュアルをディビジュアル足らしめる行動を、本著では「シェア」だと言ってるんだけど、確かにシェアがなければ公共圏を形成できないけれど、「シェア」だけだとするとアクティブに関わることだけが「圏」を形成することになる。これはすっきりする考え方ではあるけれど、「圏」にはパッシブに影響するものもあることは否定できないし、忘れてはいけないと思う。
 「パブリック」というのはシェアであり、つまり「公開」することからは決して切り離されないとしたら、パブリックというのは不可逆的であると言っていいと思う。だから、著者は「データ保護の4つの柱」に喰ってかかっている。一旦公開されたものはなかったことにはできない。それは確かにそうだけど、技術的なことを言えば、人々の記憶に残ることと、某かの媒体に残ることとは区別すべき問題だと思う。人々が知ってしまったことをなかったことにはできないとしても、ログを削除可能であることは、パブリックに取って必要不可欠なことだと思う。10年前の自分は今の自分とは違う、だから生まれたときの自分と今の自分とはもはや同じ自分ではない、だから「私」の同一性は何をもって保証されるのかと問うと、過去の「私」の痕跡がログに存在していることは、現在の「私」のパブリックの必要条件ではない、と言えると思うからだ。

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2012/06/10

『100の思考実験』/ジュリアン・バジーニ

4314010916 100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか
ジュリアン バジーニ 河井美咲
紀伊國屋書店  2012-03-01

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 2005年にイギリスで出版された『The Pig That Wants to Be Eaten And 99 Other Thought Experiments』の翻訳。ハーバード白熱教室で有名になった「トロッコ問題」をはじめとした哲学的課題が100収められています。それぞれの課題は、物語風に語られ、その後、どう考えるといいか、方向が解説的についています。トロッコ問題でいうと、トロッコの分岐点に立っている自分に向かって、暴走トロッコが突っ込んでくる、そのままにしておけば、40人が作業している作業場に突っ込んでしまうが、ポイントを切り替えれば5人の作業場に進路を変えられる、自分はより被害が少ないほうを、意図的に選ぶべきなのか。選ばなければその結果に自分は責任を負わなくてよいと、言えるのか。

 僕はこの「トロッコ問題」のような、選択の意志に関する困難性を考え抜くのはとても大事だと思ってる。選択が難しい課題を、「難しい」で済ませてしまうことは簡単だけれども、それでは生きている意味がないとさえ思えるから。とりわけ今の日本には、原子力発電という難しい問題がある。世界各国では継続であれ廃止であれ、答えを考え結論を出し歩みを先に進めているように見えるなかで、日本だけが遅々として前に進めていないのは、こういった「考える」ことの文化の欠如に起因しているのかも、と思った。だからこそ、この『100の思考実験』の100の課題を、真剣に常に考え抜きたい。

 最後の思考実験が、現代では避けては通れない市場主義・資本主義の問題を取り上げていてこれがいちばん重要に思う中、僕がいちばん気に入っている部分は:

p256 「判断を誤る可能性があるからといって、何もしない言い訳にはならない」

 日本の政治家に聞かせたい一文だし、常に先送りで済ませようとする我々日本人が考え抜かなければならないテーマだと思いました。

 

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2012/06/03

『青春の終焉』/三浦雅士

この、圧倒的に打ちのめされる感じが、評論の醍醐味。

「青春の終焉」というタイトルだけで、もうビッと来た。何が書いてあるかはすぐわかったし、読んでみたいと思った。この本を書店で見つける数日前に、別の書店で買った『反哲学入門』の帯で見た名前が著者だというのも、この本は読まなければいけないというサインだと思った。そして、期待通りの面白さだった。最初の1ページから最後の1ページまで、ずっとおもしろいおもしろいと思いながら読み続けられた評論は久し振り。原本は2001年刊行、なんで見つけられなかったんだろうと思うくらい。「青春の終焉」というテーマについて、「そもそも青春とはあったのか?あったとすれば、それはいつからあったのか?」という問いの設定からおもしろくて、1972年生まれの僕にとって物心ついた頃からずっと胡散臭かった「青春」について、余すところなく徹底的に解剖してくれる。

僕にとって「青春の終焉」以上に大きなインパクトだったのは、「連歌」の話。連歌は15世紀に宗祇が完成させた知的遊戯だが、僕は連歌のことを単なる「知的遊戯」だと思っていた。その当時の知的階級=特権階級が、どれだけの知識量を持っているかを背景に戦う知的遊戯。事細かに規則が決められ、その規則を知らないことが野暮扱いされ、元は「おもしろさ」を保つためだった規則に雁字搦めになって芸術性を保てなくなる詩歌の類同様に下火になったというような理解をしていた。

しかし、連歌を考えるときに大切なのは、「座」だった。連歌というのは複数でその場に集って句を読み合うので、必然的に「その場所に集まれる」人達とのつながりが大切になる。というか、その地理的なつながりがないとできない遊びだ。そうして、連歌は前の人の句を受けて読む訳だから、どうしても何か共通の「おもしろい」と思える感覚が必要になる。それは土地に根付いたものなのかどうなのか、かくしてその「おもしろさ」のための規則が生まれたりしたようだけど、僕にとっては、この、「座」という場所は、当たり前のように「共通の言語」を持たなければならないという事実に、改めてインパクトを受けたのだった。

僕はコミュニティが特権意識を持つことがとても嫌いで、コミュニティが特権意識を持つために「共通言語」が必ず生まれると思っていた。言語だけではなくて知識もそうだけど、先にコミュニティに入っている人は後から入る人よりも当然たくさんのコミュニティ内で必要な言葉や知識を持っていて、それをオープンにするかクローズにするか、というようなところで嫌悪感をよく抱いていた。しかし「座」にとってはそれは当たり前のことで、さらに重要だったのは、それを「座」だけのものにしておこう、という姿勢もあった、ということだ。それを「座」だけのものにしておくことで、徒に句としての高尚さを競ったり、難渋な解釈を覚えたりすることを避けることが出来、「座」の一同は、いつも楽しくおもしろく連歌を愉しむことができる。それを担保しているのは、共通言語であり共通知識なのだ、と。

その分岐点となるのが、口語か文語か。「座」というその場限りの口語で留めておくのか、後に残すために「文語」を選ぶのか。「文語」を選んだ途端、「おもしろさ」を犠牲にせざるを得ない。なぜなら、「文語」は「座」の存在する土地を離れてしまうから。何が「共通」するかわからない地点に飛んで行ってしまうから。「文語」を選んだ途端に、「笑い」を失っていく文学。

何かが一斉に流行することは昔からあったけど、これだけ「個性」「個性」と言われるなかで、あれは「森ガール」が端緒だったのか「沼ガール」が端緒だったのか、「ある程度」の固まりが出来るような流行がときどき発生し続けているのは、個人社会になって細分化された社会のなかで、やっぱり「座」が欲しいと叫んでいる証左なのかも知れないと思った。流行歌のない時代は寂しい、というようなことを登場人物が言ったのは重松清作品だったと思うけど、やっぱり人は「座」が欲しいのだ。

4062921049 青春の終焉 (講談社学術文庫)
三浦 雅士
講談社  2012-04-11

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2012/05/05

『反哲学入門』/木田元

4101320810 反哲学入門 (新潮文庫)
木田 元
新潮社  2010-05-28

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解説で三浦雅士氏が「若い時期にこの本に出会える人がまったく羨ましい限りです」と書いているが本当に心底そう思う。「哲学」という「ものの考え方」がどんな道のりを歩んできたのか、その要諦を余さず教わることができる凄い一冊だと思います。それだけではなく、これまで日本で流布してきた哲学にまつわる様々な言葉や解釈の誤りを、鮮やかな切り口で正してくれるので、僕のように趣味で哲学書を読んで理解を深めようとしている人にとっても必読だと思います。

「反哲学」というのは、「哲学なんかクソくらえだ!」というスタンスを指しているのではなく、「それまで哲学と呼ばれていたものに対して、それを根底から転覆する」ことを企てている哲学、という意味で、具体的にはニーチェ以前と以後は、同じ「哲学」と呼びならわすのはおかしい、ニーチェ以降は「反哲学」だ、ということで、その説明が非常に理解しやすい。それと共に、これまで読んできた哲学書の言葉の難解さ具合とか、「なんで”脱”構築なんだ?」とか、そういうところがみな理解できるよう、用語のレベルは落とさずに、分かりやすく解説してくれてます。

哲学というのは非常に馴染みが悪いですし、直接的に何かの役に立つようなものでは決してないし、生半可にかじられて「あの高名なナントカがこんなふうに言っているのだ」的に使われることほど害悪なことはないのだけれど、ニーチェが最終的に「美」をもち出しているところだとか、哲学ということは経済に限らず芸術の領域だったり、実は生活全般に深く浸透してくる「考え方」なので、少しでも触れておくことは悪くないと思います。

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2012/04/22

『サウスポイント』/よしもとばなな

4122054621 サウスポイント (中公文庫)
よしもと ばなな
中央公論新社  2011-04-23

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過ぎたるはなお及ばざるが如し。なぜかわからないけど、そんなことを読後、思った。

あと、幸彦さんが実は珠彦だった、じゃなくて、幸彦のままでどんな展開になったか読みたかったなあ、というのはちょっと低俗な趣味かな。

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『偶然とは何か-北欧神話で読む現代数学理論全6章』/イーヴァル エクランド

4422400193 偶然とは何か―北欧神話で読む現代数学理論全6章
イーヴァル エクランド Ivar Ekeland
創元社  2006-02

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「圧縮不可能でなければならない」と、原子力発電所の炉心融解のリスクと、ビッグ・データ。IT業界の今と密接に関連する事柄を知れる好著だった。もちろん、タイトル通り、「偶然とは何か」という問いを、数学的な切り口と、哲学的な切り口で迫ってくれるおもしろさにも満ちている。

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2012/03/21

『バートルビー/ベニト・セレノ』/ハーマン・メルヴィル

4990481127 バートルビー/ベニト・セレノ
ハーマン・メルヴィル 留守晴夫
圭書房  2011-01-10

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 「その気になる」「ならない」ということと、「そうしない気になる」というのは全く異なること。「その気にならない」というのはただの否定だけど、「そうしない気になる」というのは否定の肯定だ。この「そうしない気になる」ということに、いろんな哲学者が可能性を見出したらしい。それを眺めているだけで興味津々。

 「代書人」という職業も気になる。郵便配達人にしても、代書人にしても、ある意味、国家から仕事を貰う立場のように思う(今の日本は郵政は民営化されているけど)。そういう、国家から与えられる仕事には、嫌気が指すということなんだろうか?それはともかく、どちらも言葉を扱う仕事であるところが奥深い。

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2012/03/20

『春を恨んだりはしない-震災をめぐって考えたこと』/池澤夏樹

4120042618 春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
池澤 夏樹 鷲尾 和彦
中央公論新社  2011-09-08

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 池澤夏樹氏も理系の学問(物理学)を修めていたということを初めて知った。優れた文学者の多くが理系にも関わっている気がする。「移ろうものを扱うのなら文学」と本著にあるけれど、移ろうものを文学で扱うために、前提として静的な分析をするための姿勢・方法論として、理系の思考回路が必要ということのような気がする。

 組織機能について記載されているところがむず痒かった。確かにゆるい結びつきのネットワーク型組織が、非常事態で有効に機能することはわかる。けれど、これにもデメリットがあるからピラミッド型を志向する訳で、それがなんなのかは明確に言葉にしないといけないなと思った。

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2012/03/18

『乳と卵』/川上未映子

4163270108 乳と卵
川上 未映子
文藝春秋  2008-02-22

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 豊胸手術をもくろむ母・緑子と、自分の性を受け入れられない娘・緑子。緑子は言葉を話さず、日記には精子と卵子と乳。世の中の辛いこと悲しいことは生まれてくるからだから、自分は子どもは絶対産まない。お母さんは私を産んだから大変でも当然だと思ったけれどそんなお母さんも自分で生まれた訳じゃないんだからそれもお母さんのせいではないというところまで突き詰める緑子。そんな緑子は声を発さず筆談し、言葉で表せない言葉はないのか、言葉を言葉で表すと一周するんじゃないのかと電子辞書を繰る…。

 生命の輪廻と言葉の輪廻。ほんとのことはどこかにあるのかないのか。そんな根源的な話題をぎっしり詰め込みながら、母と娘が遂にぶつかり合うクライマックスでお互いではなく自分にぶつけあうのは生卵。もう徹底していて清々しい!

 この事の重大さは、「ほんとのとこ」は女性でないとわからないのだろうなと思ってはいますが、それを見透かしてか「言葉」という要素を哲学的に入れ込んでいるあたりがあざといくらい見事で、最後まで面白かったです。

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2012/03/10

『Sunny』/松本大洋

4091885578 Sunny 第1集 (IKKI COMIX)
松本 大洋
小学館  2011-08-30

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 松本大洋の作品について感想を書くのはとてもとても難しい。僕は松本大洋作品は大好きで、『ピンポン』も『鉄コン筋クリート』ももちろん大好きで、松本大洋作品のこの「ベタ」な感覚が大好きなんだけど、世間で松本大洋作品が人気があり好きだという人が多いのが、この「ベタ」な感覚のところなのかそうじゃないのか、そこがどうもよく分からないからです。僕にとっては松本大洋作品はかなり「どストレート」なシナリオで、初めて触れたときから、こういう率直に人の魂を揺さぶるようなストーリーが、そんなに世間で受けるもんなのか、どうにも腑に落ちなかったからです。これはやっぱり、高校生という青春時代をバブル期に過ごし、大学生になった途端バブルが弾けたこの世代独特の「捻くれた」感覚なのかなと思います。

 だから、アツく語れと言われればいくらでもアツく語れるくらい、松本大洋作品は大好きで、この『サニー』も、手にして帰った電車の中で一気に読んでしまったくらいです。作者の来歴は何も知らなかったのですが、ウェブの記事を読んで、作者自身も、この『サニー』が取り上げている「施設」で過ごした経験があると知って、やっぱりそういう体験がないとここまで鮮やかに描けないよな、と納得しました。「施設」で過ごす子どもたちの日々を描いた作品というものは、漫画だけでなく小説やTVドラマや映画やとたくさんありますが、そういういろんな形態で展開されてきた「施設物語」のパターンがすべて投げ込まれ反復されているだけのようで、全然違ったものとして胸に迫ってくるのはやっぱり松本大洋という作家の画風と演出の力だと思います。少し何かを振り返ってみたい気持ちのときに読んでみると、自分にはそういう過酷な経験がないと思っていても、何かシンクロするものがきっとあると思います。それは、松本大洋自身がウェブの記事で語ってましたが、施設の経験がない人間が、施設を過酷と思ってても、そこで過ごしている子どもたちは「意外としたたかにやっている」からかも、知れません。

感想もう一つ。http://tatsumi.posterous.com/sunny

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2012/02/26

『小さなチーム、大きな仕事 完全版』/ジェイソン・フリード デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン

415209267X 小さなチーム、大きな仕事〔完全版〕: 37シグナルズ成功の法則
ジェイソン・フリード デイヴィッド・ハイネマイヤー・ハンソン 黒沢 健二
早川書房  2012-01-11


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  「完全版」の出版予定があるのを知って、知ったその日にamazonで予約をして、読める日を心待ちにしてた。昨日、やっと読めた。これは素晴らしい本だ。掛け値なしに素晴らしい。実行するのがとんでもなく難しいことは何も書かれていない。インターネットが「普通の」存在になったことで、小さなチームで大きな仕事がほんとうにできるようになったんだということに納得できる内容で、それはテクノロジーに精通していなければいけないということではなく、普段の仕事の進め方如何だということを分からせてくれる。例えばこの一文:

「仕事依存症患者は、ほどよい時間しか働いていないという理由で、遅くまで居残らない人たちを能力に欠けているとみなす。これは罪悪感と士気の低下 をはびこらせる。さらには実際には生産的でないのに、義務感から遅くまで居残るような「座っていればいい」というメンダリティを生み出してしまう」

 まるで日本の悪しき習慣について書かれているようだが、本著は紛れもなくアメリカで書かれたものだ。こういうことは、日本だけで起きてるのではなくて、世界のどこでも起きるのだ。合理主義が徹底されていると言われ、能力主義で給料が決まると言われ、残業なんか誰がするのかと言われているようなアメリカですら、起きるのだ。

 そしてこうしたことは、外資系でも起きている。僕たち日本社会において生産性向上の足を引っ張っているのは実は「和」の精神だ。これは何も、小異を、マイノリティを切り捨てろ、と言っているのではない。いちいち仲の良さを確認しなければ仕事ができないメンタリティの問題なのだ。

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2012/02/12

『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』/西岡常一

4532194644 宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み (日経ビジネス人文庫 オレンジ に 2-1)
西岡 常一
日本経済新聞出版社  2008-09

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 率直に言って、この本からは仕事に関わるほぼ「すべて」のことを感じることができる。「書かれている」のではなくて、読み手が西岡氏の言葉から、ほぼ「すべて」を感じることができるのだ。外資系に勤める僕が長らく思い悩んできた「収益と社会への貢献」という問題も、軽々とその問題の考え方が伝わってくる。職人というからには丁寧に仕事をしろということかと思えば、「拙速を尊ぶという言葉がある」と、ザッカーバーグ顔負け(Done is better than perfect)の説教をしているし、宮大工としての正論を叫んでいるのかと思えば「施主には勝てない」という現実感あふれる性がある。
 「仕事」に関して、その意義に思い悩むことは決して無駄なことだとは言わない。けれど、その思い悩みが必要なステージと不必要なステージは、人それぞれに存在する。今の僕には「仕事」についての思い悩みはもはや存在しない。大切なのはまず魂だ。西岡氏もいうように、知識は必要不可欠なものだし、スキルも絶対必要なものだし、現代で言えば資格のようなものも必要だしそれを取得していることは認められるべき。ただ、それもこれもみな、まっとうな「魂」があって初めて輝くものだ。魂もないのに、美辞麗句を並べられるような、誰にも嫌われないような言葉をうまく並べられるような、口のうまい奴にロクなヤツはいないし、そういう奴に流されるようなヤツにも要はなくなった。必要なのはまず魂だ。この精神を汚す人とは付き合わない。

 口のうまいヤツと、しりあいの多いヤツは信用してはいけない。これは、富本憲吉も、志賀直哉も、そして五味さんも教えてくれたことだ。

 そして、頑固であることを回避する必要はないと教えられた。もちろん、その道は非常に険しいが、折れることが頑固を回避していることにはならないことも教えられた。

 何が現代日本を堕落させたのか?そういうと、誰もが、多数決による「数」の暴力、大量生産主義、迎合主義、そういうものを上げるというのに、いまだにただ徒に「つながる」ことへの礼賛はやまない。よく考えないままつながることが、自分の意志の一票を投じることが、他ならぬ身近な誰かを苦しめ、その生活を困難なものにしているかも知れないという想像力が、相変わらず欠如している、そんな人たちとは関わらない。それが進むべき道だと、西岡氏は教えてくれた。

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2012/01/31

『経営の教科書-社長が押さえておくべき30の基礎科目』/新将命

4478002258 経営の教科書―社長が押さえておくべき30の基礎科目
新 将命
ダイヤモンド社  2009-12-11

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 私は社長ではないけれど、経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思い書店に向かったら、本著と、小宮一慶氏の『社長の教科書』が並んでいた。手に取って内容を少し読んでみたところ、『社長の教科書』は箇条書き的にフレーズとその解説文が並び読みやすそうだったのだけど、『経営の教科書』の文章の力に引き寄せられてこちらを選んだ。本著のいちばんの魅力は外連味の無さだと思う。現実性・納得性と普遍性の両立を心がけたと後書にあるが、その通りに伝わってくる。

 誰もが誰も、経営者的になる必要はないと思う。経営者と社員の役割分担はある。だからこそ私は経営者が身に付けるべき観点を知りたいと思った。書かれていることは8割が当たり前のことだけれども、その当たり前のことを得心させてくれる素晴らしい書物だと思う。

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2011/12/31

『あたまの底のさびしい歌』/宮沢賢治・川原真由美

488008347X あたまの底のさびしい歌
宮沢 賢治 川原 真由美
港の人  2005-12-01

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 自分の死後、手紙というものが公にされるのって、どんな気持ちなんだろうか?と少し胸が苦しくなる。自分だったら相当厭なことだなあと思うけれど、本著は敬愛する宮沢賢治の、作品から知る人物像ではない、作品を作らんとする人間である宮沢賢治を知れて、作家とは作品だけで向き合うのがよいのか、作家という人間全体を知ろうと様々な資料に当たるほうがよいのか、考えは巡る。けれどとにかく、この本を手にしたことは最高によいアクションだったと思う。

 幾つかの手紙で、賢治は相反する概念を並列にする。「恋してもよいかも知れない。また悪いかもしれない。」「だまって殺されるなり生きているなりしよう。」「すべては善にあらず悪にあらず」等々。こういう賢治の言い回しでわかるのは、世の中のどんなことも一義的ではないと肝に銘じる賢治の意志の強さ。どう考えたってそれは善いことでしょう(または悪いことでしょう)という行為でも、それは悪いことだ(もしくは正義だ)と訴える、それも自分にとっての都合・利得で言うのではなくそう信じて訴える人がいて然るべきなのだということを、賢治は強く肝に銘じようと努めていたのだと思う。もしくは、善とか悪とかを決めるのは、自分でもなければ誰か別の人でもない。そういう価値判断は、人間が下すべきものではない、と。
 そうやって、諸々様々の視点が入り乱れることを賢治は許容し、その結果当然に混濁させてしまうことになる世界の中で、「しっかりやりましょう。」とただひたすらに繰り返す手紙を賢治は書く。この「しっかりやりましょう」の反復に、僕は胸を打たれる。すべてを認めてしまったら、後は「しっかりやりましょう」とお互いに声を掛け合うのみなのだ。

 賢治が生きた時代は日本にも資本主義が定着していく明治後半~昭和初期なので、どれだけ賢治が崇高な理念を持っていてそれを語れたとしても、勤労に励むことが社会の通念に沿っている時代で、賢治自身も「働いていない自分、こんなんじゃダメだ」と苦悩したことが、手紙の端々から読み取れる。最近、仕事に関する書籍を二冊読み、その歴史、経済の仕組に応じたことが倫理観となって普及させられていくことを学んだところなので、その重さを痛感する。作家の側面を知るということの意義は、こういうことなのだと思う。

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『いま、働くということ』/橘木俊詔

4623061094 いま、働くということ
橘木 俊詔
ミネルヴァ書房  2011-09-01


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 先日、『日本人はどのように仕事をしてきたか』を読んだのですが、あちらが日本人の仕事の歴史を、戦中あたりから、主に経営における人事管理の視線を中心にまとまっていたのに対して、本著は正に「いま」、現代の仕事の捉え方・意義・価値観といったものを、古今東西の哲学、あるいは仕事に対置させうる「余暇」や「無職」の分析によってより深く理解する本です。この2冊を併せて読んだのはちょうど良かったと思います。どちらも非常に簡明な文章で、仕事を考えるための基礎知識を纏めて把握するのに役立ちます。

 印象に残ったこと、考える課題となったことを3点:

  • 「仏教的労働観」の「知識」の説明に感動。「知識」は「情報」ではないのだ。ソーシャルとかコラボレーションとかコワークとかなんだかんだいろいろな新しくて手垢のついていない呼び名で、その自分たちの活動の理想性を表して、他の何かと線を引こうと躍起になっている様をしょっちゅう目にするけれど、僕は今後、「知識」という言葉を自分の行動に活用していこうと思う。
  • 日本人はどのように仕事をしてきたか』でも学んだことで、「勤労」の価値観というのは、その時代の経済のカタチ(日本で言えば高度経済成長)に最も効果のある価値観だから、是とされただけで、普遍的根源的な価値がある訳ではない。資本主義の発展のために、キリスト教が有効に作用した歴史を認識する。同じように、今の日本では「やりたいことをやる」のがいちばんという価値観が広がりつつあるが、この価値観はどんな経済のカタチにとって都合がいいから広がっているのかを考えてみる。
  • 僕がフェミニズムをどうにも好きになれないのは、それが問題の原因を常に「外部」に求めるスタンスだからだ。

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2011/12/30

『これ、いなかからのお裾分けです。』/福田安武

4862020372 これ、いなかからのお裾分けです。
福田安武
南の風社  2010-07-07

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 僕は生粋のど田舎育ちなので、「いなか」を持ち上げる言葉とか話とかがどうも好きになれません。「田舎暮らし」とか、一生田舎で暮らすなんて子どもは絶対嫌がるよ。せめてときどき都会に出れる環境だから、田舎暮らしもいいかな、なんて言えるんだよ。自分の子どもの頃の感覚からそう思ってるんだけど、日本には僕が住んでたような、電車で1時間半で都会に出ようと思えば出れるような環境じゃない田舎もたくさんあって、そういう地域の子ども達は、都会に出たいとより強く思うのかそうじゃないのか、もちろん個人によりけりだろうけど、そういうことを思う。
 この『これ、いなかからのお裾分けです。』の著者は、生半可な田舎ファンじゃなくて、田舎に生まれ育ち田舎を心から愛している「田舎人」なので、その生き方にただただ感服してしまう。僕は田舎で育ったとは言え、引っ越してきたサラリーマン家庭なので、農業を体験する訳でもなく、著者のようなディープな田舎知識は身についてなくて、同じ田舎で生きてもこうも差のつくものなのかと、引いては日々の過ごし方が大きな差になるんだよなと、当たり前のことを改めて反省したり。そして著者が、漁師に憧れたり、漁師になるために大学を選んだり、そこで漁業の現実を知り将来に迷ったりする姿は、真摯過ぎて圧倒。ここまで筋を通して生きていくことはなかなかできない。田舎暮らしのディティールよりも、その筋の通し方に、誰しも感じるところの多い本だと思います。

 田舎で暮らしていくことは、都会で暮らしていくことに較べて、金銭的な豊かさはたいてい劣ることを覚悟しないといけない。「心から喜んでくれる人がいるから、お金儲けにならなくてもいいんだと言うおじいさん」の話が登場するが、これはとても象徴的だと思う、というのは、お金儲けにならなくても暮らしていける要求水準の「おじいさん」ならそういうスタンスで(理想の)生活をやっていけるかも知れないけど、これからいろいろな人生のイベントのある著者が、そういうスタンスで続けていけるのかどうか、そこを指し示すことこそが、現在ではこういう本には必要なことかな、と思う。「はじめてみよう」と誘い出す本はあまた溢れていて、そういうことを言う役割は、もう本では終わったのかな、と。

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2011/12/18

『レインツリーの国』/有川浩

4101276315 レインツリーの国 (新潮文庫)
有川 浩
新潮社  2009-06-27

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 この物語は、もちろん、聴覚障害者の苦しみと、若い頃の父親の喪失という苦しみについて、読み取る物語ではない。その苦しみの「理解できなさ」を読み取る物語でもない。人にはそれぞれ苦しみがあって、その苦しみは聴覚障害や父親の喪失のような特別・特殊なものでなくともその人にとっては苦しみであり、人には理解されることがないのが苦しみなのだ、と読み解くべき物語。教科書的には。それはわかるんだけど、僕は敢えて「聴覚障害者」の部分を、一般化せずにそのまま読みを深めようと思わされた。
 聾と中途失聴の違いは、第一言語が手話か日本語かという違いになる。そして、中途失聴者は、第一言語は日本語で、自分からの伝達は第一言語で行えるのに、自分が受け取る伝達が第一言語だと困難を伴う。この「言語」の分離は、手話のみとなる聾者よりも困難と言える側面があると思う。
 自分と相手は同じ言語を使っているはずなのに、相手の考えていることが完全には理解できない。これは、中途失聴者だけの苦しみではないかもしれない。もし、「相手の考えていることが完全には理解できない」という状況があったとすれば、それは、中途失聴者の状況と同じ状況に置かれていることになる。「同じ言語を使っているのに、相手の考えていることが完全には理解できない」という状況は、中途失聴者のケースを持ちだすことによって理解しやすくなるが、これは、僕たち誰にでも起こりうること、起こっていることだと思う。そして、その苦しみを誰にもわかってもらえないとぼやきがちになるが、それが中途失聴者に限らない以上、主客を入れ替えれば、僕が第一言語である日本語を使って行っている伝達行為が、相手にとってみれば、僕の考えていることが完全には理解できない、という状況に陥っている可能性だってもちろんある。つまり、「誰にもわかってもらえない」苦しみなんかじゃないのだ。この物語は、同じ言語を用いているのに違う発話になる、つまり、ラングとパロールの物語だったのだ。

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『どうでも良くないどうでもいいこと』/フラン・レボウィッツ

4794959788 どうでも良くないどうでもいいこと
フラン・レボウィッツ 小沢 瑞穂
晶文社  1983-03


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 例えて言うならマツコ・デラックスとかそういうこと?著者は皮肉多目のユーモアで人気を博したそうです。それにこのタイトルに期待大で読み始めてみたのですが、ちょっと日本人の我々が感じる「どうでも良くないどうでもいいこと」というのとずれてはいます。英語の原文で読めたら「ほほう」とニヤッとできるところが、もっと多いんだろうなあ~と思うのですが、残念ながら’10年代の日本に暮らしている僕は、’80年代のアメリカの、若干アイロニカルなノリは半分以下しかわかってないと思います。

 そんな中で胸に飛び込んでくる文章というのは、物凄い破壊力です。壮絶な破壊力だったポイントが3点あります。この3点に抉られた人には間違いなく「買い」の本です。

  1. p112「愛読書は「ザ・ホール・アース・カタログ」とかいうもので、着るものはこれを見て注文する」
  2. p183「近代社会の特徴として、一般市民は便利なシステムに頼りたがり、地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値を忘れる傾向がある」
  3. p200「貧乏人に税金を課すのだ。それも重税を。金持ちのテーブルからのおこぼれを与える考え方が間違っている」

 1.は「世界市民」とか「地球人(アースマン)」とかを自称する胡散臭さに唾棄してる章の一節で、この文章の前は、「地球人(アースマン)は友情のしるしと称する青い葉のある野菜を食することで知られる。熱心に食べるのみで食物連鎖についてあまり考えず、再生説を信じる。」とある。僕は何にせよ、「センスがある」と自他共に認められているそうな人達の、自他共に認められていることのためのシンボル、アイコン、免罪符、あるいはバイブルとしての存在が何かにつけて嫌いで、『ザ・ホール・アース・カタログ』はよくは知らないものの、初めて耳にしたときから嫌いの最右翼だった。それを口にする人たちの、その盲目的な感じが何につけ怖いのだ。なぜ、みんな怖くないのかが分からなくて、怖いのだ。

 2.は、’80年代のアメリカで、こういうことが書かれていたことにちょっと感動。「地道で苦しい労力の結果もたらされる喜びや価値」って何だ?この30年間、「それってなんだかんだ言って結局カネで表さないと意味ないだろう?」というところで諦めて手を打って突き進んできたんだと思う。確かに、生活するに不足のないカネを得られなければ、その地道で苦しい労力を続けることはできないし、単に「喜びや価値」で食っていけはしない。その最低限の循環をどうやって作るか?を考え始めているところ。蛇足だけれど、こういうことを言っている著者も、結局のところは「企業初期にひたすら低コストで蓄財し、損益分岐点を越えるところで大きく越えることで一気に安定軌道に乗せる」という、古典的な資本主義の作法に則って成功したところが食い足りない。

 3.は超難問。基本的に僕は、この字面通りの意味には賛成だ。消費税を増税して、低所得者層には還付するとか、根本的に間違っていると思う。還付するためのコストを考えてみたら、還付しなくてもいい程度の税率にするほうがよっぽどマシだ。
 それに、ここからがもしかしたら著者が言おうとしていることと重なるかも知れないけれど、これはあくまで「相対性」の問題だと思う。お金が足りないのは、結局、低所得者も高所得者も同じ。高所得者が、「税金で50%も持って行かれると思うと、やる気をなくす」と言ってるのは、そのまま低所得者にも当てはまるのではないか。なんかこの辺にヒントがあるような気がする。

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2011/12/04

『わたしのはたらき 自分の仕事を考える3日間Ⅲ』/西村佳哲with奈良県立図書情報館

4335551509 わたしのはたらき
西村 佳哲 nakaban
弘文堂  2011-11-30

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 一読して最も強く思いに残っているのは「健康」。健康とはたらきとの関係。

 僕は子どもの頃相当に体が弱く、しょっちゅう病院のお世話になっていた。母親も虚弱体質で、父親に至ってはいわゆる「不治の病」で、一家揃って不健康。だから、健康であることが当たり前だと思っているような人とはどうしても打ち解けられないし、健康について気を使えない人を信用することもできない。

 今は子どもの頃に較べれば随分丈夫になったものの、何かに取り組もうとして一生懸命になると覿面に体調を崩すところがある。なにか勉強を始めようと睡眠時間を削り始めたらひどいヘルペスに冒されるとか、ロードバイクも半年くらい続けていよいよというときに他の要因も重なったけどひどい扁桃腺炎になってしまうとか。
 その度に僕は「頑張ろうとすれば必ず体に足を引っ張られる」と恨めしく思ってきた。軌道に乗りそうになる度に体が音を上げ、一週間二週間とブランクを置かざるを得なくなり、結果、それまでやってきたことがゼロにクリアされる。
 と思ってきたんだけど、ここ最近、そんなことないなと思えるようになってきた。ゼロに戻っているようで、ゼロには戻っていない。三歩進んで二歩下がるでいいんだ、と。

 そういうことを思い起こさせる内容が、「わたしのはたらき」にはいくつも出てきた。

 とりわけ、川口有美子さんのALS-TLSの記述は堪らない。僕の父親はALSでもTLSでもないが、働くには相当辛い病を患っている。それにも関わらず、発症してからも家族の為に働き続けて僕と妹を独立させ、その後も働き続け、患って27年、定年まで勤め上げた。これをはたらくということのすべてだと思いはしないけれど、はたらくということの非常に大切なことがここにはあると確認している。

 「仕事」でも「働く」でもいいけれど、それは「感謝する」ためにあることだ。間違えたくない。仕事や働きは、誰かに「感謝してもらう」ためにするものではなくて、仕事や働きをすることは、それによって誰かに「感謝する」ことなのだ。「感謝させて頂く」と言ったほうが判りやすいかもしれない。それを自分が仕事や働きとして選び取っている以上、それをやり切るのは「当たり前」のことで、感謝してもらえないからやる気にならないというのは筋が違うと僕は思っている。そして、仕事や働きをやればやるほど、いろんな人たちの力が重なって自分の生活が営めているということが判るし、そういうのではない、うまく言葉にできないところで、仕事や働きというのは「感謝する」ことなのだと思う。

 坂口さんの「啓蒙」に関する熱い語り口とか、僕は「啓蒙」は大嫌いな概念なのでちょっと鼻白んだこととか、そういう思いも普通なら書きたいんだけど、この『「自分の仕事」を考える三日間』とそれを収めたこの本については、そんなことどうでもいいくらい満ちてくる思いというのがある。図書情報館の乾さんを直撃して、お話を聞かせて頂き、今も交流を持たせて頂いているのもそのエネルギーがくれたものだと思う。あれから約一年、チェックポイントを設けたい。

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2011/11/29

『スウィート・ヒアアフター』/よしもとばなな

4344020936 スウィート・ヒアアフター
よしもと ばなな
幻冬舎  2011-11-23


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 これは、関西に住んでいる僕のような、東日本大震災で直接的な被害に遭っていない人こそ読むべき物語だと思います。絶対に読むべきです。

 帯に「この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたものです。」とあって、「そうなんだ」と思って読んで、読み終えて「そうかなあ?」と思って、今これを書き始めて「その通りだ」と思ったのです。

 この物語の中には、大震災は出てきません。そこまで直接的な物語ではなく、帯に「小夜子は鉄の棒がお腹にささり、一度死んで、生き返った。」と書いているほど、オカルティックな物語でもありません。確かに鉄の棒がお腹にささるんだけど、「一度死んだ」はどちらかと言うと、比喩的です。
 でもこの物語は、確かに大震災を経験した人々に向けて書かれているということは、読めば実感できると思います。「とてもとてもわかりにくいとは思いますが」と書かれてますがけしてそんなことはなくて、恋人を喪失し、自身も生死の淵を彷徨い、そこから回復していく様は、変わらぬばなな節であり、大震災を経験した人々への祈りであることもストレートに読み取れると思います。

 でも、僕は読中も読後も、いくつも胸に迫るシーンがあったりしつつも、何か読み足りない気持ちが残りました。うーん…と思ったのですが、あとがきを読んでわかりました。

 もしもこれがなぜかぴったり来て、やっと少しのあいだ息ができたよ、そういう人がひとりでもいたら、私はいいのです。

 この物語の「重さ」は、やはり、あの大震災の被災者の方にきっちりと伝わるのだと思います。あとがきでばなな自身が「どんなに書いても軽く思えて、一時期は、とにかく重さを出すために、被災地にこの足でボランティアに行こうかとさえ思いました。しかし考えれば考えるほど、ここにとどまり、この不安な日々の中で書くべきだ、と思いました。」と書いている通り、被災を真剣に受け止めている人に伝わる「重さ」なんです。そして、その「重さ」を、頭でわかっても心には感じ切れなかった僕は、やはり、大震災を自分のこととして捉えていないのだと思います。
 だからこそ、東日本大震災で直接的な被害にあっていない、西日本の人々に読んでほしい、如何に自分が東日本大震災を自分のこととして捉えていないかがきっとわかるから。だから、冒頭で引用したように、「この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたもの」という言葉に深く納得したのです。あらゆる場所。

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2011/11/27

『ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス』/ポール・キメイジ

4915841863 ラフ・ライド―アベレージレーサーのツール・ド・フランス
ポール・キメイジ 大坪 真子
未知谷  1999-05

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 今、日本は空前の自転車ブーム。ほぼ連日のようにニュースでは自転車に関するニュース(それはたいていピストの暴走とかのあまりよくないニュース)が取り上げられる。エコな移動手段、健康的、クリーンなイメージと共にある自転車。でも自転車がブームになったのは今が初めてじゃない。1960年代にも大流行したことがあるらしく、当然だけどその歴史は古い。

 本著が取り上げているのはそれよりはまだ新しく、1980年代後半のツール・ド・フランスを中心に語られる。1980年代と言えば日本は高度成長期からバブルに向かおうとする、正に現代に通じる発展を遂げてきた時代で、世界ももちろんそう変わらない。にも関わらず、登場するエピソードはいったいいつの時代の話なんですか?と繰り返し聞きたくなるくらいに泥臭く闇の世界的なある行為が語られる。ドーピングだ。
 自転車競技は1980年代、薬物に汚染される道をひた走っていたらしい。ドーピング自体は禁止行為だったが、バレなければ構わない。というよりも、バレずに済むことが判っていれば使用する者が当然のように現れ、使用しない者は使用する者にどうやっても勝てないとすれば、これも当然のように誰も彼も使用するようになる。正に悪化は良貨を駆逐する。そこまでして勝たなければいけない最大の理由はスポンサーだ。つまり、1980年代のロードレース界は、金によって薬にズブズブと使ってしまっていたのだ。

 著者のポール・キメイジは本著のサブタイトルに「アベレージレーサー」とある通り、華々しい戦績を挙げた選手ではない。であるが故に、ドーピングの告発を込めたこの本も、その発言も、「ぱっとしない選手がああいうことよく言うんですよね」式に片づけられそうになったらしい。ルールを破ることが成功するための唯一の道で、その中でルールを守ることを貫き通す勇気を、この本から学ぶことには意味がある。どんな世界でも、常にルールと倫理を厳しく守り通して競い合うとは限らない。むしろ逆で、ルールの抜け道を探し出すことが勝利に大きく貢献したりする。それでも、自分はそのようなことはしないというスタンスを貫く勇気と、そういうルールを補正し続けて行こうという持続力の大切さを知ることのできる良書。

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2011/11/20

『震災のためにデザインは何が可能か』/hakuhodo+design studio-L

4757142196 震災のためにデザインは何が可能か
hakuhodo+design studio-L
エヌティティ出版  2009-05-29

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 この本は、hakuhodo+designと山崎亮氏のstudio-Lが2008年に実施したプロジェクト「震災+design」をまとめたもの。東日本大震災を経験したこの2011年、果たしてこのプロジェクトの活動およびアウトプットで実際的に役立ったものがあったのか、その「活動」を役立てた「活動」があったのか、そういうところに興味が向くものの、読中は「システムをデザインしている立場として、”デザイン”とはどういうことかを異なった分野のデザインから学ぶ」つもりで読みました。

 震災のためのデザイン、ということで、当然強く印象に残るのは「社会的デザイン」という考え方です。商業的デザインと社会的デザインの違いは本著を一読することで理解できるものの、「社会的デザイン」という新しい視座を、自分の領域である「システムデザイン」にどう絡めるかというのは難しい。「システムデザイン」というのは原則必ず商業的デザインであるから、という次元の捉え方ではなくて、「商業的デザイン」ではなく「社会的デザイン」を行うときの、対象の把握の仕方、前提の整理の仕方、デザイン中の進め方、出来上がるデザインの完成を図る物差しとしての価値観、等々を、システムデザインにも反映できるはず。これを反映することは、システムデザインの手法だけではなく、自身の「働き方」そのものにも影響を与えることになるので、丁寧に時間をかけて整理してみたい。

 「システムデザイン」そのものの文献も、再度当たってみないといけない。

 もうひとつは、例え社会的デザインであっても、デザインは「正しさ」「楽しさ」「美しさ」を持つものだ、と定義されていて、ここでいちばん引っかかるのは「美しさ」。「美しさ」の基準を考え直すため、『言語にとって美とは何か』を再読しようと思った。

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2011/11/08

『ユリイカ 特集=宮沢賢治、東北、大地と祈り』

4791702255 ユリイカ2011年7月号 特集=宮沢賢治 東北、大地と祈り
吉本 隆明 池内 紀 奈良 美智 大庭 賢哉 桑島 法子 天沢 退二郎
青土社  2011-06-27

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宮沢賢治と吉本隆明は、僕の読書体質に大きな影響をくれた二大文筆家なので、もちろん読まないわけにはいきません。

東日本大震災に遭って、吉本隆明が宮沢賢治ならどう考えただろうか、という推測が語られます。ひとつは、宮沢賢治は両眼的かつ包括的な物の見方をする。だから、津波に関しても、一面的な分析はしなかっただろう、ということ。もうひとつは、東日本大震災で日本の気候の何かが変わってしまったのではなく、ここ十数年の間にじわじわと気候変化が起きていて、その結果のひとつとして東日本大震災が発生したのだと捉え、今後はこのような気候であることを前提として、社会の仕組や建築建造などを考えていったほうがよい、という話で、このふたつが印象に残っています。

より変化に強い、というよりも突発的な破壊に強い、そういう社会や建築建造を志向するのは、最近、目にする度に収集している「メタボリズム」の思想に関連したり、ここ1、2年の間、聞こえることが増えてきているような気がする「”所有”に対する疑問」にも通じるようでおもしろい。

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2011/11/06

『スクウォッター-建築x本xアート』/大島哲蔵

4761523182 スクウォッター―建築×本×アート
大島 哲蔵 大島哲蔵アーカイブ
学芸出版社  2003-06

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【ノート】
p92「ポトラッチ」・・・太平洋岸北西部インディアンの重要な固有文化。彼らの社会的地位は所有の量ではなく、贈与の量で決まる。
「ヴァルネラビリティ」・・・攻撃誘発性。
「ボルシェヴィズム」・・・ボルシェビキの思想を実践する流派。
※「プチブル」のコンテクスト。

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2011/11/05

『食う寝る坐る 永平寺修行記』/野々村馨

食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)
食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫) 野々村 馨

新潮社  2001-07
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 デザイン事務所勤務の著者が30歳の時、突然出家し一年間永平寺にて修行生活を送ったノンフィクション。

 まず、お寺と何の関係もない一般の人が、突然思いついて出家するなんてことが許されるんだという驚きと、おまけに一年で帰って来れるんだという驚き。僕は出家と言うと、もうそのまま一生、仏の道を歩まなければいけないものだと思っていたので、「一年間」という区切りのある永平寺の修行というのがまず驚きだった。
 ただ、僕にとってこの本を読み終える目的と言うのは、アマゾンのユーザーレビューの中にあった、「強制力を持って成し遂げて得られた達成感というのは、一時的なもので人間的成長にほとんど有用でない」という意味のレビュー、その内容の真偽を確かめたい、というものになっていた。

 と言うのも、僕も概ね、スパルタ方式とか徒弟制とかに懐疑的だから。僕たちの世代というのは、親の世代=団塊の世代以上に、徒弟制のようなものに懐疑的で、大学生の頃から年功序列を敵視し、実力主義を尊ぶような思想に染まって育ってきた世代だし、ちょっと話は逸れるけどダウンタウンのような「ノーブランド漫才」=師匠が存在しない、という仕組=主従・徒弟ではなく、職能教育を施す仕組が本格的になっていきそうな時代に育ったので、スパルタ式や徒弟制に疑問を持ち続けてきた。人間扱いされていないような言われようが我慢できない、という程度のこともあるし、世の中にはそれが本当に人間の尊厳を損なうところまで突き進んでしまっていることもある。

 だから、徹底的に強制的で、暴力的と言ってもいいくらい厳しい永平寺の修行を通して、著者がどんな満足感を得たのかというのが知りたかった。

 読んでいて感じたのは、まず、著者にはそういう視点がないのだろうということだった。ある一つの思想に、哲学に、その方法論に、良し悪しを問わずまるごとどっぷりと浸かること、そのことを批判的に評価する視点はなかったのだろうと思う。もちろん宗教というのはそういうもの。だから、著者はつべこべ言わず、永平寺の流儀を丸ごと飲み込んだ。そして、その結果辿り着いた地点に、十分な達成感と満足感を得て下山した。
 僕は、この、「どっぷり浸かる」というやり方が、最も効率的であるということは知っている。右も左もわからない世界では、まずどっぷり浸かるのが最短距離。例えば数学において公理公式を丸ごと暗記するように。でも、その一方で、例えば某企業において、まるで軍隊と見紛うまでの徹底教育が成され、その結果業界でも群を抜いた業績を収めるというトピックがあるけれど、それは、要は社員を徹底的により安くより多くを産みだすように訓練しているに過ぎない。

 という訳で、資本主義体制の欠点の視点からも、僕はスパルタ式・徒弟制というのはよくないことだと思っていたのだけれど、反対に、なんでもかんでも理屈や理由がないと行動できない現代人というのもどうかなと疑問に思ってて、例えば電話対応を誤ると自社の悪い評判が口コミであっと言う間に広がり、それを回復するコストが高くつくので正しくやりましょう、とか、そんなもん理屈以前にやれて当たり前だろう、と常々思っている。その「当たり前だろうと常々思っている」部分、かつては「常識」と言えたのに、多様性とか個性を尊重とかが行き過ぎて「常識」と軽々しく言ってはいけない風潮が間違った方向に進んでるところを、「常識だろ」と言えるような、そういう強制力はやっぱり必要じゃないのかな、そんな風に読み終えて思ったのでした。

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2011/11/03

『オートバイ・ライフ』/斎藤純

4166600486 オートバイ・ライフ (文春新書 (048))
斎藤 純
文藝春秋  1999-06

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オートバイ好きの作家による、オートバイの愉しみ方。
僕はオートバイには乗らないので、オートバイに直接関わる情報についてはそれほど役に立つ訳ではないけれど、「愉しみ方」という観点はとても面白かった。僕はロードバイクに乗っているが、ロードバイクもオートバイと同じで、パーツやウェアに拘りだすと切りがないものの、それが「愉しみ方」とは思えないし、欲しいものは出てくるものの、それを愉しみとはできない自分がいて、なぜそれが「愉しみ」ではないのかを、本著は明確に語ってくれる。

オートバイの本と言いながら、映画やクラシックの話題も絡められ、オートバイに乗るということが、ひとつの文化と言えるようになっている。オートバイが文化を形作ってる側面。こういう本に触れるにつけ、自分が若い頃からあまりにも映画やクラシックに興味を持たな過ぎてきたことを後悔する。

特に面白かったのは、エコロジーに対する「感傷」という批判。「牛肉を食べている人間に自然保護を語る資格はない」式の言い分に対して、「子供っぽい感傷」と一刀両断にしている。そして、「知ること。行動すること。」というロジックを展開している。ここで言う「感傷」と言うのは、言うなれば「思考停止」ということだろう。僕は感傷そのものは否定しない。何も生み出さない感情の美学というのは確かにあるから。それを、文学とか音楽とか、アートだけの特権にしておく必要はないと思う。けれど、感傷を持ちながらも知り、行動する手立てはある。そこまで考えた上で、「アンドレ・マルローが1930年代に、悲観的かつ行動的な者たちは、ファシストであり、将来ファシストになるだろうと述べている」という一文が、重い。

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2011/10/11

『来たるべき蜂起』/不可視委員会

4779114802 来たるべき蜂起
不可視委員会 『来たるべき蜂起』翻訳委員会
彩流社  2010-05


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 『来たるべき蜂起』はフランスで2007年に刊行されたもの。本書は2009年の『焦点を合わせる』が所収された増補版の訳書。僕にとってのポイントは3つ:

1.これは基本的には「目には目を」の思想である。
2.「蜂起」は比喩ではない。
3.フランスの思想に触れるときはいつも、相対するように見えるものがそれぞれお互いの一部であり、あるものはあるものの一部であり、それが一つのものに見えるように見えて実は既に異なるものに変わってしまっている、ということが詳らかにされる。そうやって常に出口を切り開いてきたが、遂に出口などないということが語られている。

 コミューンとは何か。コミュニティとは何か。コミューンであれコミュニティであれ、何かひとつの集団を形成するとき、形成する成員につきまとうあの選民感情、特権意識、優越感。たとえそれが「自由」を標榜するコミュニティとしても、コミュニテイである以上はコミュニティの内と外を造り出してしまうことに、気づかない。本著ではこう記される。

そうしたものをネットワークと呼んだところで、それらは結局のところひとつの界(ミリュー)として固着してしまう。そこではコード以外何も共有されず、アイデンティティの絶え間ない再構築が行われるだけである。

 労働を憎む。労働こそが、この資本主義社会を維持してしまう装置になっている。もちろんこれを額面通り受け止めて自らの行動に直結させることはできないが、誰もが薄々感じていながら口に出さなかった多くのことの一つとして、現在を考える上で認識しておかなければならないことのひとつ。

これからも消費するために消費を減らし、これからも生産するためにオーガニック商品を生産し、これからも規制するために自己規制すべきであると。

 「タルナック事件」が明らかにした、国家によるテロリズム、「いずれ犯行に及ぶに違いないという憶測で」逮捕されたこの事件。それを可能にしたのは、人民の恐怖心なのだろうか。

 いずれのテーマも、どこかに引かれる線-”界(ミリュー)”が問題になっている。自分が何者かを語ろうとするとき、自明のように「個人」の概念が用いられるが、「個人というあのフィクションは、それが現実化したのと同じ速さで崩壊してしまった。メトロポリスの子供としてわれわれは断言できるが、剥奪状態が極まったときにこそ、つねに暗黙のうちに企てられてきたコミュニズムの可能性がひらかれる」。

 問題は、いつも境界だ。”界(ミリュー)”だ。どれだけ崇高な志から形成されたコミュニティでも、必ず”界”を準備する。そうして個人も”界”がなければ個人として成立できない。そのことに自覚的であり敏感であるコミュニティにお目にかかることは滅多にない。コミュニティを形成じた時点で、自分達のその崇高な志と相反するものを敵とするだけでなく、自分達以外のすべてを”界”の外側として敵に回しているということに自覚的でない。

 それでもコミュニティが生き残り、コミュニティの生成が止まないのは、人間の生の循環が止まないからではない。人間の根源的な弱さ-それも無自覚的な弱さの故だと思う。都合のいいところだけを味わって、生きていきたいのが人間なのだ。そのご都合主義が、新たな「社会問題」を生み出し、それによって繰り返し疎外され、それをまた「社会問題」と定義づけられその解消に励むように誘導されてしまっているというのに。

 コミューンの拡張にさいしてそれぞれが配慮すべきは、これ以上拡張すれば自分を見失い、ほぼ不可避的に支配階層ができてしまう規模を越えないということである。そうなったときコミューンは不幸な結果を察知しつつ分裂し、また広がっていくことを選ぶだろう。

 カリスマとコミューンは矛盾する。コミュニティも然り。コミュニティにヒエラルキーは不要なのだ。某かの秩序を持ったコミュニティは、偽物のコミュニティだ。擬制なのだ。しかし、それには誰もが目を瞑ろうとする。

集合の欲求は人類にとって普遍であるが、決定を下す必要はめったにない。

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2011/10/01

『行動主義-レム・コールハースドキュメント』/瀧口範子

行動主義―レム・コールハースドキュメント
行動主義―レム・コールハースドキュメント 瀧口 範子

TOTO出版  2004-03-15
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 レム・コールハースは、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト+ホウ・ハンルゥ というサイトで偶然知った。ハンス・ウルリッヒ・オブリストもホウ・ハンルゥも知らなくて、このサイトを知ったところから本当に偶然。このサイトを見るきっかけになったのは日経朝刊最終面に、森美術館で開催中の「メタボリズムの未来都市展」と関連づけて、メタボリズムが取り上げられていて、「メタボリズムとはなんだろう」と検索してみたところから始まった。そこでレム・コールハースを知り、レム・コールハースが『プロジェクト・ジャパン』という本を出すということを知り、そうしてこの本に辿り着いた。

 レム・コールハースは、こういった風に書籍に取り上げられる他の著名人と同じで、天才であり超人だ。だから、このタイプの書籍を読むときにはいつも「鵜呑みにしてはいけない。自分の頭で考えて取りこむように」と意識している。それでも、レム・コールハースのスタイルには惹きつけられ、鼓舞されるようなところがある。

 最も印象に残っているのは、「コールハースの仕事ぶりについて、彼をいくらかでも知っている人に尋ねると、「レムは編集者だ」という言葉がよく返ってくる」というくだり。「編集とは何か?」というのは、今年ずっと付きまとっている命題なんだけど、ここでは、コールハースの建築家としての活動の、世界と世界の"変化"を受け止め掘り下げその社会的な問題に深く関与していくというスタンスとイメージが重なりあう。コールハースはプラダ・プロジェクトに携わることで商業主義に堕落したという批判を受けるが、現代世界にショッピングが大きなウェイトを占めていることから目を逸らしても意味がない、という。

 同様に、世界は常に変化を続け、好むと好まざるに関わらず、というよりも、ほとんどの人は変化を好み、その結果、今年は去年と、来年は今年と異なる洋服を纏いたいと思うものだ。そういった「欲望」からの変化への圧力と、世界が複雑になったが故に変化しなければならないという「必然性」からの変化への圧力によって、世界だけではなく個人も常に変化の圧力にさらされる。このような世界では、「未来永劫維持できる」建築や品物を創ることは到底不可能なのだ。住居ですら、一生モノではない世界なのだ。その住居の内部に存在させる品々を一生モノにしたところで、何の意味があるというのか?一生モノを謳える製品は確かにそれだけの耐久性とクオリティを保有しているかもしれない。しかし、もはや「一生モノ」を一生保有し続けることなど、「欲望」と「必然性」のどちらの観点からも能わない世の中で、「一生モノを保有すること・選択すること」に優越性を覚えさせるような価値観を流布することは、どちらかと言えば犯罪的だろう。不必要となる時間分の、余剰の金額を払わせてそれを自らの利潤としているのだ。

 変化は受け入れるべきなのだ。変化が存在する以上、一生モノを選ぶモノと選ばないモノの、選ぶときと選ばないときの、その「選択の自由」を尊ぶような価値観でなければ現代には存在する意味がない。これが、僕がコールハースによって自信を与えられた僕の考えだ。そうして僕の興味はここから民藝活動にジャンプする。それはこの一節からだ。

 ”あえて何が僕の本当の審美感かというと、アルテ・ポーベラ(貧しい芸術)が最も深く僕をかたどっている。そのために用意されたのではないオブジェ、日常的でないものの美しさ、ランダムさ。現在の文明には、多くのランダムさと分裂が起こっている。その分裂を見出して美しさに転換すると、妥当なオブジェが生まれる。”

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2011/09/10

『そこへ行くな』/井上荒野

4087713989 そこへ行くな
井上 荒野
集英社  2011-06-24

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 僕は小学五年生の冬、祖母を亡くした。

 小説では、多感な幼少時代、肉親を亡くすような出来事に遭遇した子は、周りの子の呑気さ加減に違和感を覚え距離を覚えるようによく描かれるが、僕はどうだったのだろうか?そんな感情を覚えた記憶はない。ただただ悲しかった。祖母は一年近く入院しての闘病生活の末に亡くなった。気持ちの優しく、人情にも厚く義理堅くもある父母は僕と妹を連れて、毎週必ず車で片道1時間強の病院に見舞いに行った。半年以上が過ぎた頃、土日に満足に友達と遊びに行けないことを不満に思った僕は、父母に「もういい加減にしてくれ」というようなことを言った。今覚えば、そんなことを言えば間違いなく僕を殴り飛ばしたに違いない父に殴り飛ばされた記憶はない。相当に困り果てた空気が流れたのを覚えている。

 祖母は入院していた病気ではなく、直接的には風邪で発熱し体調を崩してそうして亡くなった。その数週間前、まだ発熱もなかった頃、祖母がベッドに腰掛ける傍で風邪気味の僕がふざけてベッドに寝っころがっていたりして、風邪をうつしたのは自分だと思った。本当にそうなのかどうかはわからないまま、そう思わなければいけないような気がして、でも母も父も当然それを否定するし、そんな状況でそう思わなければならないと思ってそう思うこと自体が厭らしいことではないのかという非難にも苛まれた。苛まれたというほど自分を追い込めてはいないという思いも苦しかった。「もういい加減にしてくれ」という気持ちを抱いてしまったことの罪悪感も、同じだった。

 本著『病院』の龍は、母親が「よくない病気」で「消えていく様子」をつぶさに感じている。しかし龍は、自分が置かれたその境遇から、周りの子が「ひどく幼く見える」と感じる、などとは描かれない。事実、龍はひどく幼い。いじめに遭い、階段から転げ落ちて骨折し、母と同じ病院に入院している泉と微かに心を通わせても、泉と病院で親しくしていたことを同級生に知られて同じようにいじめられることを恐れ、泉がもしそんなことを言っても全部否定してかかろうと考える。

 ところがそんなことを考えていたとき、父と話しながら手に取った母の料理本に気付いてしまう。常にさばさばとした振る舞いのように見えた母の本心を。

ボールペンは、レシピを記した文章の中の文字の幾つかを丸く囲んでいた。マルとマルとは線で繋ぎ合わされ、辿っていくとひとつの言葉があらわれる。し、に、た、く、な、い。

 僕はいつも、自分から見た祖母しか考えたことがなかった。自分が考える、祖母がどう考えていたのかだけを追い求めて、あの病床で祖母は何を考えていたのかということを、30年近く思い至らそうと考えたことがなかった。堪えきれなくなりそうだったがここで泣く訳にはいかなかった。感情というのは、なんだって発露すればよいというものではないのだ。発露して消化してそれで済ませてしまうようなところが感情にはある。感情には、そういうふうに使ってはいけない種類の感情が、確かにあるのだ。

 『そこへ行くな』のタイトルの意味、短編ごとの意義、全編通してのメッセージ、そういうことを読み解くことは、僕にとっては今回はしなくてもよいことのように思える。これだけでよいのだ。

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2011/08/29

『災害がほんとうに襲った時-阪神淡路大震災50日間の記録』/中井久夫

災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録
災害がほんとうに襲った時――阪神淡路大震災50日間の記録 中井 久夫

みすず書房  2011-04-21
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 『歴史の中に見る親鸞』同様、これまた奈良県立図書情報館の乾さんのオススメで読みました。オススメというか、某日、乾さんとサシでお話させて頂く機会を得た際に、話題に挙がった一冊。乾さんがこの一冊を僕に教えてくれた理由のその一節は、

ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない

ここだと思うのだけど、どうでしょう?

 「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」、これはいろんな状況で、いろんな意味で当てはまる言葉だと思う。例えば通常の仕事の場面で。この言葉が引用された、阪神淡路大震災発生直後のような、大緊急事態の際、何事かを決定して次々実行に移さなければいけない場面、そういう場面では、通常は少しでも相手方とのコミュニケーションが、できればフェイスツーフェイスのコミュニケーションが望ましいけれど、「ほんとうに信頼できる人間には会う必要がない」。これを演繹していって、例えば、一般の会社でいちいちいちいち会議を開かなければならないのは、間違いのない意思疎通確認を重要視しているともいえるし、お互いが信用ならないからということもできる。もちろん、お互いは黙っていては信用ならないという真摯な態度で意思疎通確認を重要視しているとも言えるけど。
 更にこの言葉をもっと広く取って、旧知の仲なんかに当てはめることもできる。いちいち、同窓会とかなんとか会とかを持って維持しなければいけないのは、それだけ信頼できてないからで、ほんとうに信頼できる人間は「会う必要がない」。もう相当なピンチのときにだけ、声をかけるか、思い出すかくらいでいい。そんな関係は、確かにある。

 p22の「デブリーフィング」。ブリーフィングの反対なのだけど、日本でももちろん「反省会」というような形式で存在する。設定するスパンの問題でもあるが、「回復」をプロセスの中に組み込む思想があるかないかが大きい違いだと思う。

 p92「なかったことは事実である。そのことをわざわざ記するのは、何年か後になって、今「ユダヤ人絶滅計画はなかった」「南京大虐殺はなかった」と言い出す者がいるように、「神戸の平静は神話だった-掠奪、放火、暴行、暴利があった」と書き出す者がいるかもしれないからである」

 p94「ふだんの神戸人はどうであったか。」「あまりヤイヤイ言うな」というのが、基本的なモットー

 p95「世界的に有名な暴力組織がまっさきに救援行動を起こしたということは、とくにイギリスのジャーナリズムを面白がらせたそうだが、神戸は彼らの居住地域であり、住人として子どもを学校に通わせ、ゴルフやテニスのクラブに加入しているからには、そういうことがあっても、まあ不思議ではない」

 p97「共同体感情」

 p128「ところが、以上の悪夢は二月十三日夜、セパゾン(クロキサゾラム)二ミリを使うことによって即日消滅した」

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2011/08/21

『歴史のなかに見る親鸞』/平雅行

4831860611 歴史のなかに見る親鸞
平 雅行
法藏館  2011-04

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奈良県立図書情報館の乾さんのオススメで読みました。親鸞については通り一遍のことはもちろん知っていて、「行き着くところまで行き着いた」形の思想として「悪人正機」を捉えていたのですが、「悪人正機」が親鸞のものだとする定説がそもそも誤りでありなおかつ大変な問題を孕んだ誤りであること、そして、親鸞の「行き着くところまで行き着いた」思想は、「自然法爾消息」に、「義なきを義とする、その義すら放棄せよ」とある、その思想の到達に涙。「義なきを義とする、その義すら放棄せよ」は、言葉としては誰でも言える。誰でも書ける。だけど、その言葉にどのように到達したかが、その言葉の「生」となる。同じ言葉でも、同じ音を持って響いても、「誰」が「どのように到達したか」で全く別の言葉になる。僕たちがそれを黙読しても声に出して読んでも、親鸞の思想には届かない。そしてこの「絶対他力」を、「思想の発展と見るか、それとも挫折と考えるか」、それは読者にゆだねましょう、という著者のスタンスが、最も親鸞の到達点を深く理解している言葉だと思う。

その他、親鸞を現在の親鸞の地位に押し上げたのは覚如であるが、その著作『親鸞伝絵』は教団としての成功を意図して作為的に作り上げられた話を含むという指摘が、戦略性の重要性と、成功のために本質さえもすり替えることが古くから存在するということに興味。 

この本については書いても書いても書き足りない気がするので、都度都度、引用文とともにエントリを書きたそうと思う。

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2011/08/17

『ペルセポリスⅡ マルジ、故郷に帰る』/マルジャン・サトラピ

ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る
ペルセポリスII マルジ、故郷に帰る マルジャン・サトラピ 園田 恵子

バジリコ  2005-06-13
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僕はたいていの自分の悩みというのはしょうもない、取るに足らないものだと考えていて、自分の悩みだけでなく、周りの人の悩みも、たいていは取るに足らないものだと考える。なぜ取るに足らないかというと更に他人との比較論で取るに足らないものと考える訳で、その比較対象というのはこの『ペルセポリス』のマルジ、のような存在だ。もちろん、「わたし」から「あなた」の悩みを見て上だの下だの言ってはいけないと肝に銘じているものの、ワールドワイドクラスで考えると、途端にその物差しの目盛が変わるのだ。

マルジはイランの少女で、両親の計らいでオーストリア・ウィーンに留学している。この『ペルセポリスⅡ』では、留学先ウィーンでの4年間の人生と、テヘランに戻り学生結婚し破局するまでの過程が描かれている。そこにはイラン・イラク戦争、イラクのクェート侵攻、イランの凋落と体制主義などが淡々と、しかしくっきりと描かれる。自由を求めてウィーンに渡ったのに、どうしようもない流れに飲み込まれてテヘランに戻りたいと切実に思うその経緯は、自分の悩みをしょうもないことだと言うに十分だと思う。

読書体験というのは、実体験では補いきれないものを補ってくれる。それは確かに実体験ではないし、テレビモニタで見るような実際の映像つきでも音声つきでもない。でも確かに文学は実体験を補ってくれることができる。それは映像や音楽とは根本的に質の違うもの。本著は、その根本理由を説明できなくても、そう信じさせてくれる良い「漫画」だと思う。

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2011/08/10

産経新聞2011年08月08日朝刊「Karoshi 過労死の国・日本」

文京学院大学特別招聘教授で、ILO事務局長補などを歴任した堀内光子(67)は意外な理由を明かす。「日本は労働時間の規制に関するILO条約を一本も批准していない。批准しない政府には、監視も改善勧告もできない」

こういう情報は、感覚的にだけど、日経を読んでいても絶対に出てこない気がする。日経は基本的に経営よりの発想思想で記述された記事が並び、日本ではビジネスマンとしては日経を読んでいなければならない、という空気で、誰もが経営よりのロジックを「これが現実」と取りこまされてきている気がする。最近の原発再開に対するスタンスなんかはその典型。でもよく考えてみたら、紙名に「経済」と、経済だけの1カテゴリを関している新聞がメインになるような状況は単純に考えておかしいと思い始めた。社会は経済が中心で成り立っている訳ではない。

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2011/07/31

『楽園への道』/マリオ・バルガス=リョサ

4309709427 楽園への道 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-2)
マリオ・バルガス=リョサ 田村さと子
河出書房新社  2008-01-10


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ポール・ゴーギャンと、その祖母で、女性解放と労働者の権利獲得のための活動に一生を捧げたフローラ・トリスタン。実在の二人の人物を用いた物語は、奇数章がフローラ、偶数章がゴーギャンの物語として交互に語られる。村上春樹の作品で慣れ親しんだこの構成は、「フローベールが交響曲の同時性や全体性を表現するために用いた方法」であり、「二が一に収斂していくのを回避しながら重ね合わせる手法」であること、また本作は「直接話法から伝達動詞のない話法への転換が用いられている」が、これは「騎士道小説の語りの手法を取り入れたもの」ということを、解説で学んだ。

ヨーロッパ的なるもの、偽善、性、読み込みたいよく知ったテーマが詰め込まれているけれど、物語の最終版、それらを押しのけるように衝撃的に登場した言葉があった。「日本」だ。

洗練された日出づる国では、人々は一年のうち九カ月を農業に従事し、残りの三カ月を芸術家として生きるという。日本人とはなんとまれなる民族だろうか。彼らのあいだでは、西洋芸術を退廃に追いやった芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった。

戦後、日本人として日本の教育を受けてきた身にとっては、とても表面的で、とても要約された日本観に見えてしまう。19世紀と言えば日本はまだ徳川の世で、「日本の版画家たちよりこれをうまくやったものはいなかった」と書かれている通り、ゴーギャンが影響を受けたと言われている浮世絵師達が活躍した時代。僕の頭にはこれまた表面的で短絡的に「士農工商」という身分制度が思い出され、年貢によって貧困に喘ぐ「被搾取者」農家が、芸術家として生きるなんて考えられもしない。それでも、「ヨーロッパ的なるもの」を考えるとき、「芸術家とそれ以外の人々のあいだの悲劇的な隔たりは生じなかった」というのは頭に入れておかないといけないのかも知れない、と思った。なぜかと言うと、戦後から現代の間に、正にそれが起き、そしてそれが現代社会として当然の姿と思っている僕たちのような意識が存在するから。

芸術とは自然を真似るのではなく、技術を習得し、現実の世界とは異なる世界を創ることだった。

自分にとって「仕事」とは生きるためのものであり、生きることにとって芸術は必須のものではなく、芸術は自分の仕事の領域には含まれ